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異世界料理道  作者: EDA
第五十五章 群像演舞~六ノ巻~
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第四話 分かたれた道(一)

2020.9/24 更新分 1/1

 グラフ=ザザは、ザザ本家の次兄としてこの世に生を受けることになった。

 いずれ家長の座を継ぐのは、長兄となる。しかし次兄たるグラフ=ザザも、幼き頃から厳しい教えをこの身に叩き込まれていた。


「狩人の仕事は過酷であり、どれほどの修練を積もうとも、若くして森に朽ちることはある。現にこの俺も次兄の身であったが、兄が父よりも早くに魂を返すこととなったため、家長の座を継ぐことになったのだ」


 ザザの家長たる父親は、厳格なる面持ちでそのように言いたてていた。


「そして、もしもお前たちがともに魂を返すことになれば、本家は別の分家に移されることになる。それがこの家の恥になることはないが、大きな誇りを失うことに間違いはない。家族にそのような思いをさせぬためにも、狩人の修練に力を尽くすがいい」


 グラフ=ザザは愚直な気性であったため、父親の言いつけ通りに力を尽くしていた。また、兄にしてもそれは同様であった。祖父から父に、父から自分たちに受け継がれてきたザザ本家の血を決して絶やさぬようにと、幼き頃から心身を律していたのである。


 だがやはり、どれだけの修練を積もうとも、すべての危険を回避することはできないのだろう。

 最初に大きな手傷を負ったのは、グラフ=ザザであった。見習いの狩人として森に入り、1年半ほどが過ぎた頃――飢えたギバに、真正面から襲われることになってしまったのだ。


 グラフ=ザザは狩人としての本能で、巨大なギバに刀を繰り出した。

 刀の切っ先はギバの口の中に潜り込み、そのまま脳髄を貫いたかに思えたが――ギバの突進は勢いを弱めず、グラフ=ザザもろとも岩の断崖から落ちることになった。


 そこから、記憶は寸断されている。

 気づいたとき、グラフ=ザザは薄暗い場所で苦悶の声をあげていた。


 全身が、燃えるように熱い。

 とりわけ、頭と肩と背中がひどかった。焼けた鉄串を何本も突きたてられているかのような心地である。これほどの苦しみは、かつて想像したこともないほどであった。


「死ぬな、グラフ! 俺と一緒に、ザザの家を導いてくれるのだろう? 俺を残して、魂を返さないでくれ!」


 そのように叫んでいたのは、兄であったのだろうか。グラフ=ザザには、それを認識することもできなかった。


「お前の刀は、ギバを仕留めた! お前はもう、一人前の狩人であるのだ! 生きて、ともに仕事を果たそう! お前が子も生さぬ内に魂を返してしまうなんて、俺は絶対に許さんぞ!」


 グラフ=ザザは、死よりも苦しい業火にさらされていた。

 それでも、死んで楽になりたいなどとは、決して念じなかった。

 生きて、ザザの力となるのだ――それだけが、苦悶にあえぐグラフ=ザザの最後のよすがであった。


 それから、何日が経過したのか――

 焼けた鉄串が煮えたぎった泥水ていどの痛みとなり、グラフ=ザザはようやく周囲の状況を把握できるぐらいに回復した。


 ここはザザ本家の、自分の使っていた寝所である。グラフ=ザザはうつ伏せで寝具に寝かされており、かたわらには母の姿があった。


「ああ、グラフ……ようやく目覚めたんだね。あんたは5日も、死のふちをさまよっていたんだよ……」


 いつも毅然としている母親が、そのときばかりは涙を流していた。

 その手が、敷物に置かれていた何かを持ち上げる。それは、ギバの頭部の毛皮まで使った、狩人の衣であった。


「ほら、あんたが仕留めたギバの毛皮で、狩人の衣を仕立てたんだよ……あんたが力を取り戻したら、お祝いをあげないとねえ……」


「うむ……俺が仕留めたギバは、もっと巨大であったかと思うのだが……」


 グラフ=ザザがひりつく咽喉からくぐもった声を絞り出してみせると、母親は「まあ……」と笑いながら、新たな涙をこぼした。


「ギバの毛皮は頭の部分だけ、煮え湯にひたして火で炙って、小さく干し固めるんだよ……たいていのギバは人間よりも大きな頭をしてるんだから、そうでもしないと狩人の衣に仕立てることもできないだろう……?」


 そうして母親は、まだ動かすことのできないグラフ=ザザの手を握りしめてきた。


「あんたは、立派な狩人だ……もう少ししたら、家長たちも戻ってくるからね……あんたが元気になるように、毎日みんなで森に祈っていたんだよ……」


 もしも深手を負ったのが父や兄であったなら、自分もそのようにしていたことだろう。だからグラフ=ザザも、それが特別なことであるとは思わなかった。ただ、ザザの人間として生まれつくことができた喜びを噛みしめるばかりであった。


                      ◇


 グラフ=ザザが自分の足で歩けるようになったのは、それから2日後のことである。

 ただし、手傷はまったく回復しきっていなかったので、それから長きの時間を家で過ごすことになった。ギバとともに断崖から落ちたグラフ=ザザは、頭や肩や背中の皮膚を岩盤に削られてしまっていたのだった。


「しかし、骨が折れたりはしていなかった。ザザの強き血が、お前を守ったのだ。その傷が癒えたならば、またザザの狩人として仕事を果たすがいい」


 厳格なる父は、そのように言っていた。

 その言葉は、母や兄や妹たちの言葉と同じぐらい、グラフ=ザザの心を満たしてくれた。


 グラフ=ザザが狩人としての修練を始めたのは、けっきょくふた月ほどが過ぎてからのことであった。それほどに、深い手傷であったのだ。


 肩や背中の皮膚が剥がれてしまった場所は、今でも赤黒い肉の色合いが剥き出しになってしまっている。自分の目で見ることはできないが、頭の右半分も同様の有り様であるのだろう。右の耳もちぎれてしまい、そこにはただぽっかりと穴だけが空いていた。


「うむ。ひどい傷痕だな。しかし、その傷痕こそが、お前の誉れであろう」


 長兄などは、そのように言っていた。


「傷痕などが、誉れになるのか? べつだん恥とは思わぬが、誇るようなものでもあるまい?」


 グラフ=ザザはそのように答えたが、長兄は「いや」と言い張った。


「お前はそれほどの深手を負いながら、魂を返すことなく力を取り戻した。しかもギバまで仕留めてみせたのだから、誉れであり誇りであろう。俺は、そのように思っている」


「俺はまだ、まったく力を取り戻していない。誇りを抱くのは、狩人の衣を授かってからだな」


 グラフ=ザザが狩人の衣を授かったのは、さらにふた月ほどが経過してからであった。再び狩人として働けるようになるまではつつしむべきであろうと、家長たる父がそのように定めたのだ。

 それは、正しい判断であったに違いない。狩人の衣を授かったグラフ=ザザは、その誇りと喜びで胸をいっぱいにしながら、翌日からの仕事に励むことができた。


 グラフ=ザザの後に産まれた本家の男児はみんな幼い頃に病魔で魂を返してしまったため、けっきょく家長の座を受け継げるのは長兄と自分しかいない。威厳と力に満ちた父親の背中を追いながら、グラフ=ザザたちは懸命に日々を生き抜いていた。


 そうして1年と少しが過ぎて、グラフ=ザザが16歳となった頃、ついに収穫祭の力比べで勇者の座を得ることができた。

 もちろん長兄や北の集落の家長たちにはまったく及びもつかないが、それでも8名の勇者となることができたのだ。

 その収穫祭の祝宴で、グラフ=ザザは家長から重々しく伝えられることになった。


「次の家長会議からは、お前を供として連れていく。ザザの狩人として恥じることのないように、その役目を果たすがいい」


 その役目こそ、グラフ=ザザには何よりの誉れであった。

 同じ場所で話を聞いていた長兄も、羨ましそうに笑っていたものである。


「こればかりは、跡継ぎたる長兄には果たせぬ仕事だからな。余所の氏族にはどのような狩人が居揃っているのか、後でしっかりと聞かせてくれ」


 家長が家を離れる際、跡継ぎたる長兄は家を守るというのが森辺の習わしであったのだ。

 また、北の集落で暮らすザザの人間は、血族ならぬ相手と顔をあわせる機会がない。なおかつ、親筋たるスンの集落で収穫祭を行うのは年に1度と決められていたので、ドムやジーンを除く血族ともそうそう交流は深められていなかった。


(そういえば、俺はスン家でも族長のザッツ=スンぐらいしか見覚えていない。北の狩人とまともに渡り合えるのは、族長ザッツ=スンぐらいのものであったしな)


 そして、他の勇者はたいてい北の狩人で埋め尽くされるため、他なる血族の狩人というのもほとんど記憶に残されていなかった。せいぜいが、北の集落における婚儀の祝宴で招いたことのある、それぞれの家長たちぐらいのものである。その供となる人間はいずれも未婚の若い男衆であったので、グラフ=ザザの興味をかきたてるような人間は存在しなかった。


(ルウの血族にはそれなりの狩人が育っているようだと、親父はそんな風に言っていたな。次に家人や眷族が多いのは……サウティやラッツなどと言っていたか。どれほどの狩人が居揃っているのか、本当に楽しみなところだ)


 それにグラフ=ザザは、スン本家の長兄というものにも見覚えがなかった。

 グラフ=ザザの父親と族長ザッツ=スンは同じていどの齢であったので、その長兄であれば自分と何歳も離れてはいないのだろう。だからこれまでは、力比べでも目立つところがなかったのだと思われた。


(そやつが族長の座を継ぐ頃には、俺か兄貴がザザ本家の家長となっているだろうからな。今の内に、確かな絆を結んでおくべきか)


 そんな思いを胸に秘めて、グラフ=ザザは家長会議の当日を迎えることになった。

 青の月の10日。中天を目処にしてスンの集落を目指すと、広場には大勢の狩人たちが集結していた。

 当時の森辺には、50以上の氏族が存在したのだ。ならば、100名以上の狩人が居揃っていることになる。否応なく、グラフ=ザザは胸を弾ませることになった。


(しかし……やはりそれほどの力量を持つ狩人は、多くないようだな)


 スン家と北の一族は、森辺でもっとも勇猛と称されているのだ。そんな狩人たちに囲まれて育ったグラフ=ザザは、自然に見る目が厳しくなってしまっていた。

 そして周囲の狩人たちも、グラフ=ザザのほうに探るような視線を飛ばしてきている。ギバの頭の毛皮まで狩人の衣に使っているのはザザとジーンのみであるので、これが北の狩人か――と品定めされているのだろう。それらの視線に対抗するべく、グラフ=ザザは普段以上に毅然と振る舞わなければならなかった。


「そろそろ中天となる。祭祀堂で、族長を待つのだ」


 家長たる父親にうながされて、グラフ=ザザは広場の中央にある祭祀堂を目指した。ドムとジーンの狩人たちも、それに追従する。北の集落においてもっとも家人が多いのはザザの家であるので、自然に血族を率いる立場となっているのだ。


 祭祀堂では、他なる血族の家長たちも待ち受けていた。ダナとハヴィラ、ディンとリッドの狩人たちである。これに北の一族の3氏族を加えた7氏族が、族長筋たるスンの眷族であった。


 他なる血族の家長たちも、顔ぶれは変わっていないようだ。去年の収穫祭や婚儀の祝宴で見かけた顔ばかりである。際立った力量は感じられないが、さりとて脆弱な気配もない。他の小さき氏族の家長たちに比べれば、まだしも精悍と言えるだろう。家長の供に過ぎないグラフ=ザザとしては、それで満足するしかなかった。


(しかし、スン家や北の一族に比べると、やはりいささか物足りないところだな。それに比べて、あの赤毛の狩人などは……なかなかの気迫をこぼしているではないか)


 その狩人は、右の端の最前列に座していた。グラフ=ザザの父親よりも大きな図体をした、燃えるような赤毛の狩人である。年齢は、やはりグラフ=ザザの父親と同程度であろう。


 しばらくして、族長ザッツ=スンとスンの狩人たちが祭祀堂にやってきた。

 血族と言葉を交わしていた狩人らも、しんと押し黙る。ザッツ=スンはただ狩人として優れているだけでなく、烈火の気性も持ち合わせているのだ。


 その迫力は、去年の収穫祭で見た通りのものであった。上背などはそれほど大きいわけでもないのだが、肉厚の体格をしており、そして威厳と迫力に満ちあふれている。その肉体が黒い炎を纏っているかのようだった。


(だが……供の男衆らは、何者であるのだろう)


 他の家長らは1名ずつの供しか引き連れていないのに、ザッツ=スンは3名もの男衆をともなっていた。ザッツ=スンよりもやや若めに見える男衆と、あとはグラフ=ザザと変わらないぐらいの若衆たちである。


(あちらの馬鹿でかい若衆は、きっとスン本家の長兄だな。昨年の収穫祭で見かけた覚えはないが……かなりの力量であるようだ)


 その若い男衆は、それこそ祭祀堂の右端に陣取った赤毛の狩人よりも図体がでかかった。なおかつ、眉が前面にせり出して、下顎が張っており、岩のように厳つい顔をしている。腕の太さなどは、女衆の腰回りぐらいもありそうであった。


 いっぽう、もうひとりの若衆は、ずいぶん頼りなげな風体をしている。体格などはそれなりに逞しいのだが、妙にきょろきょろと落ち着きなく視線をさまよわせているのだ。なまじザッツ=スンやもうひとりの若衆が凄まじい気迫を発しているために、そちらの若衆はギーズの大鼠みたいにちっぽけに思えてしまった。


 最後尾を歩く男衆は、影のように気配が薄い。まだそれほどの齢ではないようなのに、その眼差しは老人のように落ち着いている。なんだか、奇妙な男衆であった。


「家長は全員、居揃っているな……? では、家長会議を始めたく思う……」


 地鳴りのように重々しい声音で、族長ザッツ=スンがそのように宣言した。

 すると、赤毛の狩人が「待て」と鋭く声をあげる。


「その前に、その男衆は何者であるのだ? 初めて見る顔であるようだが」


「ルウの家長は、性急であるな……今、説明しようと思っていたところだ……」


 ザッツ=スンは、獣のように笑った。

 その黒い瞳が、大きな図体をした若衆を横目で見る。


「ほとんどの人間にとって、これが初めての対面となろう……自ら名乗りをあげるがよいぞ……」


「うむ。偉大なる族長ザッツ=スンのお許しをいただけたので、名乗らせてもらおう。俺はスンの分家の長兄たる、ミギィ=スンというものだ」


 ミギィ=スンは、濁った声音でそのように言いたてた。

 せり出た眉の下に光る小さな目が、何か揶揄するように祭祀堂の家長たちを見回していく。


「まだ狩人の衣を授かったばかりの若輩者だが、偉大なる族長ザッツ=スンの温情により、家長会議の見学を許された。どうか俺にはかまわずに、会議を進めてもらいたい」


「分家の長兄……? そちらの男衆は、分家の家長であったはずだな。では、その男衆の子ということか?」


 赤毛の狩人――ルウの家長は、うろんげに問うた。

 その言葉に、ミギィ=スンは巨大な口の端を吊り上げる。


「このテイ=スンが俺の父親とは、なかなか愉快な冗談だな。俺とテイ=スンに、どこか似たところでもあるように見えるのか?」


 どうやら影のようにひっそりとした男衆は、テイ=スンという名であるらしい。

 それはともかくとして、やたらと礼節に欠けた振る舞いである。ルウの家長は青い瞳を爛々と燃やしながら、ミギィ=スンの歪んだ笑顔をにらみ返した。


「親子でないなら、それでかまわん。それよりも、どうして貴様がその席に座しているのかを説明してもらおう」


「このミギィ=スンは、13歳となって初めて森に入ったその日に、ギバを仕留めることになった……これほどの力を持つ狩人は稀有であるので、今の内にさまざまなことを学ばせておこうと思いたったのだ……」


 野獣のごとき笑みをたたえたまま、ザッツ=スンがそのように応じた。


「それからまだ何ヶ月も経ってはいないのだから、ミギィ=スンはいまだに13歳となる……しかしこの中に、力比べでミギィ=スンにかなう人間がどれだけ存在するであろうかな……?」


「その図体で、13歳か。それは確かに、稀有なことだな」


 ルウの家長もまた、青い双眸を燃やしたままそのように言い捨てた。


「では、その力量に見合った誇りを身につけることだ。どれだけの力を持っていようとも、慢心すれば森に朽ちることになろう」


「ふふん。ギバごときが俺の生命を奪えるとは思えんがな」


 そうしていささかならず不穏な空気の中、家長会議が始められることになったのだが――グラフ=ザザは、なかなか驚きを抑えることがかなわなかった。下手をしたら、ミギィ=スンはこの場にいる誰よりも大きな図体をしているかもしれないというのに、いまだ森に入って数ヶ月の13歳であるというのだ。


(これは確かに、驚くべきことだ。それに、森に入った最初の日にギバを仕留めただと……?)


 グラフ=ザザがギバを仕留めたのは1年半ほどが過ぎてからであり、しかも全身に深手を負っている。それだけで、力量の差を思い知らされた心地であった。


(去年の力比べでこやつの姿を見かけなかったのは、いまだ見習いの狩人ですらなかったためか。これは、今年の力比べが楽しみなところだ)


 そしてグラフ=ザザは、かたわらの父親にこっそり呼びかけることになった。


「家長よ。あの気弱そうなスン家の男衆は、いったい何者であるのだ?」


「家長会議の間は、余計な言葉をつつしむがいい。……あれは、本家の長兄たるズーロ=スンだ」


 やはり、グラフ=ザザが思いなおした通りであった。ミギィ=スンではなく、こちらの気弱そうな男衆こそが本家の長兄であったのだ。

 家長会議が開始されても、ズーロ=スンはせわしなく視線をさまよわせるか、あるいは目を伏せてしまっている。『弱者の眼力』などというものを持たないグラフ=ザザには、その力量を正しく読み取ることもかなわないのであるが――ズーロ=スンの内に狩人の魂が育まれていないということは、ひと目で見て取ることができた。


(こやつこそ、きっと俺と同程度の齢であろう。これで本家の長兄というのは……あまりに頼りないことだ)


 そうして家長会議そのものは、不穏な事態に陥ることなく終わりを迎えることになった。

 日が暮れると、ザッツ=スンたちは祭祀堂を出ていき、スンの女衆によって晩餐が供される。べつだん宴料理ではないので、ギバ肉とアリアとポイタンを煮込んだだけの、ごく簡単な晩餐であった。


 晩餐は、血族で輪を作って食することになる。あまり余所の氏族の人間と言葉を交わす習わしはないようだ。それはそれでかまわなかったが、グラフ=ザザはひとつだけ不満であった。


「家長よ。族長やスンの狩人らは、晩餐をともにしないのか?」


「うむ。それぞれの家で家族と晩餐を食しているのであろう。それがどうかしたのか?」


「せっかくスン家に来たのだから、もっと族長らと絆を深められるのではないかと期待していたのだ。それがかなわぬなら、残念なことだな」


 すると、ダナの家長がひかえめに発言をした。


「だが、他の男衆らはともかく、族長ザッツ=スンと同じ場にあっては、いささかならず気が張ってしまうのではないか? 族長の前では、なかなか軽口を叩くことも許されぬからな」


「それはそうかもしれんが……ズーロ=スンやミギィ=スンといった者たちとは、言葉を交わしてみたかったものだな」


「……ミギィ=スンか」と、ドムの家長が口を開いた。


「あれは確かに、稀有なる力を持つ狩人であるようだ。もしかすると、族長は……自分の子らが早々に魂を返すものと見越しているのではないだろうか?」


「どういうことだ?」と応じたのは、ジーンの家長である。ドムの家長に負けないぐらい、真剣な眼差しになっている。


「スン本家の次兄はなかなかに見込みのありそうな若衆であったが、昨年に魂を返してしまった。末弟も気概は十分であるが、あまり体格には恵まれていない。それで、長兄はあの有り様だ。不遜を承知で言わせてもらうならば……俺は、あの長兄が父親たる族長よりも長く働けるようには思えんのだ」


 ドムの家長は寡黙な気性であったが、この日ばかりは長々と語っていた。もちろん、周囲の血族ならぬ者たちには聞き取れぬほどの、低い声音である。


「もしもザッツ=スンの子らが全員若年の内に魂を返すようであれば、本家は別の分家に移されることになる。ミギィ=スンがどのような血筋であるのかは聞いていないが、分家の長兄であればゆくゆくは家長となる身であろう?」


「なるほど……ミギィ=スンの家に本家を移せば、あやつが次代の族長となるわけか」


「うむ。あれで13歳であるならば、狩人としての力量に申し分はなかろう。……むろん俺とて、本家の子らが魂を返すことを望んでいるわけではないがな」


「そうだな」と、グラフ=ザザの父親が低く応じた。


「最近は、ルウの血族がずいぶん力をつけているように感じられる。すべての氏族を統制できるように、ザッツ=スンには次代の族長を正しく育んでもらいたいものだ」


 父親たちの言葉を聞きながら、グラフ=ザザは少なからず昂揚していた。血族の家長たちがこのように真剣に語らうさまは、北の集落でもそう見かけることがなかったのだ。


(俺たちは族長筋の眷族として、スン家を支えていかなければならんのだ。それはきっと、ギバを狩るのと同じぐらい大事な仕事であるのだろう)


 まだ若いグラフ=ザザの胸には、そんな思いが燃えあがっていた。

 そして――その脳裏に、ズーロ=スンの気弱げな顔がふっとかすめていく。


(あいつだって、俺と変わらないぐらい若いのだろうから、まだまだどのような成長を遂げるかもわからん。まずは本家の長兄が、誰よりも力を尽くすべきであろう)


 グラフ=ザザは、そのように考えていた。

 そして、やっぱりこの夜にズーロ=スンともう少し言葉を交わしておきたかったな――と、そんな思いを抱くことになった。

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