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異世界料理道  作者: EDA
第五章 宿場町のギバ肉料理店
95/1705

②初日~東の民~

2014.9/30 更新分 1/1

2014.10/1 ・2014.10/4 ・2018.4/29 誤字修正

「ふむ! なるほどね!」としか言い様がなかった。


 もちろんこういったゲリラ的な大雨は、町の住人にとってもお馴染みの現象であったのだろう。


 雨が降りだしたその瞬間に、人々は大急ぎで通りを走り抜けるか、あるいは手近な木陰にでも潜りこんで、被害を最小限に留めたのであろうと思われる。


 隣りで飾り物を売っていたご老人が、すかさず布ごと商品をかつぎあげて背後の林の中に逃げ込む手際などは、実にお見事なものだった。


 で、止んでしまえば、みんなやれやれとばかりにまた通りへと姿を現したようなのだが――


 この最北端では、めっきり人通りが絶えてしまっていた。


 屋台から見て左側、南の通りに目をやれば、最前までと大差のない賑わいが復活している。


 が、買い物目当ての人間が少なかったこのあたりは、みんなどこかに走り去ってしまい。ひたすら閑古鳥が鳴くばかりだった。


「……完全に人がいなくなっちゃったわねぇ……?」


「これはまあ天災だから、しかたがないですね。もともと勝負時は中天からその後だったんですから、今はのんびり英気を養いましょう」


 ヴィナ=ルウの咄嗟の働きにより、薪を湿らせてしまうこともなかった。鍋にも雨水は混入していない。何か致命的なアクシデントが生じたわけでもないので、ここは開き直りの一手であろう。


「……中天を過ぎて人が増えるまで、ずっと立ってるだけなのぉ……?」


「そうですよ。待つのも仕事です」


「……なんか、これだけで代価をもらっちゃうなんて、悪い気がするわぁ……」


「いえいえ。一番必要だったのは荷物持ちだったわけですから。すでに十分な働きをしてくれていますよ、ヴィナ=ルウは。……それに、鍋を焦げつかせないようにずっと攪拌もしてなきゃならないし、薪の補充もしなきゃいけないから、どの道ひとりでは難しいんです。これからですよ、これから」


 とはいえ、太陽が中天に昇るまでにはまだ2時間ばかりもかかるだろう。

 その間、火の番しかやることがないというのも、なかなかの虚無感をかきたてられるものだ。


 今のうちに薪を確保しておくというのもありかもしれないが、雨の直後ではいまいちそういう気分にもなれない。あと1、2時間もすれば湿った落ち枝も乾くであろうから、採取はその後でいいかなという気分になってしまう。


 つまりは、やることがない。


「えーと……世間話でもしましょうか?」


「そうねぇ……」


「ヴィナ=ルウって、家族では誰と仲がいいんですか?」


「……その話、面白い……?」


「俺にとっては、面白いですけど」


 ヴィナ=ルウは小さく息をつき、栗色の髪の毛先をいじり始める。


「一番話がはずむのは、やっぱりリミとルドかしら……あとは、一緒にいて楽しいのは、ダルムねぇ……」


「あ、ダルム=ルウですか」


「うん。無口で、怒りっぽいところもあるけれど……怒ったら怒ったで、それも可愛いしねぇ……」


「ちょ、ちょっと待ってくださいね。そういえば、ヴィナ=ルウのほうが年長なんでしたっけ?」


「そうよぉ。1歳しか変わらないけどねぇ……」


 そういえば、俺は男衆と女衆でくっきり分けて考えていたので、男女の中ではあまり誰が年長とか年少とか考えたことがなかったのだった。


 だけどまあ、曖昧なのはヴィナ=ルウとダルム=ルウの順番ぐらいか。

 ダルム=ルウは、ヴィナ=ルウより1歳年少の19歳、と。


「ちなみにジザ=ルウって何歳なんですか?」


「ジザ兄は、23になったところねぇ……」


「おお、意外に若い! で、リミ=ルウは8歳でしたっけ? そうすると……15歳差か! なかなかの年齢差ですね!」


「そうかしらぁ? ……まあ、15歳で親になる人間もいるから、そういう意味では親と子ぐらいの年齢差だけどぉ……」


 そしてヴィナ=ルウは、あんまり覇気のない流し目で俺を見つめてきた。


「ねぇ……本当にこの話、面白いのぉ……?」


 いや、俺にとってはけっこう面白いのだが。

 もしかしたら、1日の大半を仕事に追われている森辺の民にとっては、退屈をもてあます、というのがけっこうな苦行になってしまうのだろうか。


 まだ雨が止んでから5分も経ってませんぜ、ヴィナの姐御。


「……わたしは、アスタの話が聞きたいなぁ……」


「ええ? 俺のほうこそ、面白い話の種なんてありませんよ?」


「……アスタの生まれた国の話が聞きたいのぉ……」


 俺はちょっと口をつぐみ、タラパソースの赤い色彩を見つめてから、言った。


「すいません。俺はあんまり生まれ故郷のことは話したくないんですよね。……ちょっと、気分が重くなってしまうので」


「あらぁ、どうしてぇ……?」


「……俺が突然いなくなってしまって、親父が無事にやれているかどうかが、心配なんです」


 しばしの沈黙の後、ヴィナ=ルウは「ごめんなさい……」と小声でつぶやいた。


 これはなかなか、思いの他に暗鬱な空気である。


 すると。

「アスタおにいちゃん!」という元気いっぱいな声とともに、小さな救世主が街道の水たまりを跳ね飛ばしながら、駆け寄ってきてくれた。


 ターラである。


「本当にお店を出したんだねっ! すごーい!」と、屋台の台に手をついて、俺の顔を見上げやってくる。


 それから、かたわらに控えたヴィナ=ルウにも、ターラはちょっとおずおずとした様子で笑いかけた。

 ヴィナ=ルウも、つられたように口もとをほころばせる。


「タラパのいい匂い! それ、ギバのお肉の料理なの?」


「そうだよ。ターラのお口に合うかなあ?」


「食べてみたい! ひとつください!」


「あ、でもこれは大人用の大きさだから、ひとつで銅貨が赤2枚なんだよね」


「そうなんだ? じゃあじゃあ父さんに銅貨をもらってくるね!」


「あ、ちょっと待って! 口に合わないとまずいから、ちょっと味見をしてみてよ。……ヴィナ=ルウ、そっちの袋に木皿がもう1枚入っているので、それを取ってもらえますか?」


 そう呼びかけながら、俺は鍋の中身を探索した。

 あったあった。

 試食のための、ミニバーグである。

 商品のバーグより一回り小さいそいつを鍋の中で半分に切り、その片方だけを木皿に取りわける。

 で、さらにそいつを3分割にして、秘密兵器、グリギの小枝を削って干して作成した爪楊枝を、1本だけ刺す。


「はい、どうぞ」


 その木皿を差しだしてみせると、ターラはきょとんとしてしまった。


「……だって、お金は?」


「俺の国では、買う前にこうやって味見をさせる売り方があったんだよ。露店区域の責任者である宿屋の親父さんにも了解はもらってるから、遠慮なく食べてくれ」


「そうなんだ。……ありがとう! 賜ります!」


 そうしてターラは何の恐れ気もなく爪楊枝をつまんで、小さなハンバーグのかけらを口の中に放りこんだ。


「……どうかな?」


 俺としては、緊張の一瞬である。

 森辺の民は、そのほとんどが俺の料理の味付けを大絶賛してくれていた。

 しかし、調理の概念がそれなりに行き渡っているであろうこの石の都の宿場町において、俺の味付けと調理技術は通用するや否や――今ひとつ素性の知れないカミュア=ヨシュを除けば、これが最初の、判決の刻なのだ。


 ターラは――

 爪楊枝をくわえたまま、硬直してしまっていた。

 驚きに見開かれた目が、じっと俺の顔を見つめやっている。


「何これ……」


 その口が、呆然とした声を絞り出した。


 そして。


 黄褐色の小さな顔が、喜色を爆発させる。


「美味しい! すごく美味しいよ、アスタおにいちゃんっ!」


 俺はそのまま、へなへなと崩れ落ちそうになってしまった。

 心臓に悪い。

 だけどまあ……これでようやく、第一関門突破だ!


「すごいすごい! もっと食べたい! 父さんにお金をもらってくるね!」


「あ、ちょっと待って! 良かったら、ドーラの親父さんにも食べてもらってくれよ。そのほうが、安心して銅貨を出してもらえるだろうから。……えーと、その木の針はあんまり数がないんで、またそいつを使ってもらってもいい?」


「うん!」と元気いっぱいにうなずくと、ターラは新たな欠片にぷすりと爪楊枝を突き刺して、そいつを聖火みたいに掲げながら、ぱしゃぱしゃと父親のもとに走り去っていった。


 ドーラの親父さんの店は、ここから何とか皮張りの屋根が見えるぐらいの位置である。


「……良かったわねぇ、アスタ……?」


「うん! 本当に良かったですよ! ……あああ、これで希望の光がずいぶん明るくなってきた! この味で戦えるんだったら、後はいかにして食べてもらうかだけです!」


「それが一番、難しそうだけどぉ……?」


「大丈夫! そのための試食品なんですから! 人通りが増えてきたら、南や東の人たちを中心に、こいつを配りまくりましょう!」


 とはいえ、試食用のミニバーグは2個しか焼いていない。小分けにするのは6つが限度だから、しめて12名分だ。

 だけど、あんまり売れ行きが芳しくないようだったら、商品分の10個も試食に回す心づもりである。

 とにかく今は、ギバ肉の味をひとりでも多くの人間に知らしめる、というのが肝要なのだから。何だったら、今日は試食の提供だけで終わっても悔いはないぐらいの心境だ。


「アスタ……あたしはあんまり、自分から町の人間に話しかけたりはしたくないんだけどぉ……」


「うん? ああ、そこらへんは俺が引き受けますから! ヴィナ=ルウはその間、火の番をしていてくれればいいですよ」


「ううん。それも代価の内だから……でも、どうやったらいいかわからないから、お手本を見せてねぇ……?」


 やっぱり自分の仕事に対しては真面目な森辺の民である。

 相変わらず通りに人影はなかったが、俺はどんどん気持ちが昂揚していくのを感じた。


 そうこうしているうちに、またターラがぱしゃぱしゃと駆けてくる。


「父さんも美味しいって! なんだこりゃあって、すっごく驚いてたよっ!」


 そして、銅貨が差し出される。

 茶色くくすんだ赤の銅貨が――4枚?


「ふたつください! ターラのぶんと、父さんのぶん!」


 正直に言うと、ちょっと泣きそうになってしまった。

 確かに俺は祝宴の仕事でたいそうな代価を手に入れることができたが、お客さんが、目の前で俺の料理を美味しいと言ってくれて、そして代価を支払おうとしてくれている――これで涙腺を刺激されないはずがないではないか。


 しかし、ここで泣いていてはさすがに男がすたるので、俺は「毎度あり!」と応じながら、ティノとアリアを切り刻んでやることにした。


 ポイタンの上にそいつを乗せて、タラパソースをたっぷりからめたパテを重ねて、最後にまたポイタンをかぶせる。


「はい、お待ち! ……こぼれやすいから、こうやって横にして食べてね?」


「うん! ありがとう! ものすごく美味しそう!」


 ありがとうは、こちらの台詞だ。

 俺は少女に商品を引き渡し、そして、銅貨をいただいた。

 赤の銅貨が、4枚。

 我が店の、初めての売り上げだ!


「……わたしへの代価の分を稼ぐだけでも、もう1個は売れないと駄目ってことよねぇ? これで本当に、商売になるのぉ……?」


「なりますとも! まあ、顔見知りだから買ってくれたっていうのもあるんだろうけど、最初のお客がジェノスの現地の人たちだっていうのは、ものすごく希望が見えますよ!」


「そうかしらぁ。……あ、アスタ……」と、また腰あての布を引っ張られる。


 見ると、北のほうから歩いてきた旅装束の人物が、駆けていくターラの背中と、俺たちの屋台を怪訝そうに見比べていた。


 皮のマントについたフードを深くかぶっているが、わずかに覗いている顔の皮膚が――黒い。


 東の王国シムの人間だ。


 これは売り込みのチャンスかな、と俺は木皿に手を伸ばしかけた。

 が、それよりも早く、その人物はすたすたと屋台に近づいてきた。


 近づきながら、少し雨粒のついた皮のフードを背中にはねのける。


 黒い髪に黒い瞳、肌の色までもが闇のように黒い、シム人だ。

 ただし、俺が知る世界の人々とは、少々趣が異なる。


 その目は切れ長でキッと吊り上がっており、鼻は細く、唇は薄い。どちらかといえば東洋人に近い面立ちで、なかなかの長身だが、骨格もけっこう華奢である。


 長い黒髪を首の後ろで束ねており、首や手首には綺麗な色合いの石を連ねた飾り物を巻きつけている。


 年齢の見当はつけにくいが、まあ若者の部類だろう。


 その、東の王国の若者が、屋台の手前で立ち止まり、また怪訝そうな目で看板の文字を見つめやった。


 そして、鍋の中身を指差して、「ギバ?」と問うてくる。


「はい。ギバの肉の料理です。良かったら、試しにこちらで味を確かめてみてください」


 そう言って、俺は木皿に残った最後の欠片に新しい爪楊枝を刺したのだが、若者はいぶかしそうに首をひねるばかりだった。


 で、「アスタ……」とヴィナ=ルウに囁きかけられる。


「このシム人、もしかしたら、あんまり西の言葉をわかっていないんじゃないかしらぁ……?」


「え! 四大王国って、国ごとに言葉が違うんですか?」


「言葉が違うのは、東と北だけよぉ……アスタは、そんなことも知らなかったのぉ……?」


 だってこの俺はずっと日本語で喋っているつもりでありましたからね!

 それじゃあ俺が東や北の王国で覚醒していたら、まったく言葉が通じていなかったのだろうか? それとも、神の見えざる何とやらで、そんな不都合も補正されていたのだろうか?


 まあ、そのようなことを思い悩んでいる場合でもないし、思い悩んだところで結論など得られない。


 今はとにかく、せっかく興味を抱いてくれたこの御仁に、如何にして試食品を食べていただくかだ。


「……アスタ、木皿に新しい肉を乗せてくれるぅ? ……あと、その木の針も、1本ちょうだい……?」


「え? ああ、はい」


 俺は鍋の底に沈んでいたミニバーグの半身をすくいあげて、それを木皿の上でまた3等分にしてみせた。


 ヴィナ=ルウがうなずいて、屋台の裏から若者のかたわらに回り込む。

 ちょっと警戒した顔つきで引き下がる若者に微笑みかけてから、ヴィナ=ルウは優雅な手つきで試食品のひとつを口に入れた。


 そして、木皿を若者の側にちょいと動かす。


 若者は、木皿の上に手をかざした。

 そうして、探るようにヴィナ=ルウを見る。

 ヴィナ=ルウがもう1度微笑みかけると、小さくうなずき、若者は爪楊枝を手に取った。


 で。

 ひょいっひょいっひょいっと、残っていたハンバーグの欠片をすべて口の中に収めてしまった。


 もぐもぐもぐと咀嚼して、満足そうに大きくうなずき、奇妙な形に指先を組んで、俺とヴィナ=ルウに頭を下げる。


 そして――皮のフードをかぶりなおすと、若者は軽妙な足取りでその場から立ち去ってしまったとさ。


 数秒間の沈黙ののち、蚊の鳴くような声でヴィナ=ルウが「……ごめんなさい……」と告げてきた。


「いや! 食べさせるまではいったんだから、見事なものです! 試食品なんて今までこの宿場町には存在しなかったんでしょうから、これぐらいの事態は想定して然るべきです!」


 自分自身を励ますためにも俺は大きな声でそう応じたのだが、ヴィナ=ルウはよよよと屋台の柱に取りすがってしまった。


「……死にたい……」


 意外とメンタル弱いよな、このひと。

 とか、面白がっている場合でもない。


「大丈夫ですってば! 試食品はもう1個残ってますから! 勝負は中天からです! 頑張りましょうよ! ね!?」


「……アスタおにいちゃん、どうしたの?」と、いつのまにやらターラが屋台の前に立っていた。


「いや、なんでもないんだよ。『ギバ・バーガー』はどうだった?」


「ぎばばーがーっていうの? すごく美味しかった! ね、これから毎日、お店を出すの?」


「うん、いちおう10日間の契約だからね。それ以降は、今後の売れ行き次第だけど」


「やったあ! それじゃあ毎日、買いに来るね! 父さんも毎日食べたいって! すっごいすっごいびっくりしてたよ!」


「ありがとう。そんなに喜んでもらえたなら、俺も嬉しいよ」


 本当にターラと親父さんが1日に2個ずつ購入してくれれば、それだけで20個をさばくことができる。

 10日間を通しての最低ノルマが60個なのだから、これはかなり力を得られる声援だ。


「アスタ……」と、そこでまたヴィナ=ルウが呼びかけてきた。

 ちょっといつもと異なる響きの声である。


「どうしたんですか?」と振り返ると、もうその答えを待つまでもなく、俺にも異変の到来が見て取れた。


「わ……」と弱々しい声をあげて、ターラが屋台の陰に引っ込む。


 賑やかな南側から姿を現した正体不明の一団が、速足で真っ直ぐ俺たちの屋台に向かってくるところだった。


「な、何ですか、あなたたちは?」


 皮マントの一団に、屋台を取り囲まれてしまった。

 ターラがちょっと震えながら、俺の足に取りすがっている。

 そして、ヴィナ=ルウは――俺のかたわらに寄り添いながら、腰の小刀の柄にそっと指をからめていた。


 ざっと見て7名ほどの男たちである。

 全員背が高く、フードつきのマントで顔や姿を隠している。

 ただし――そこからのぞく顔の下半面は、いずれも漆黒の色合いをしていた。


「ギバ」と真ん中あたりにいたやつが、仲間の身体を押しのけて前のほうに進み出てくる。


 そうして、その人物がフードをはねのけると――そこから現れたのは、ほんの今さっき試食のハンバーグをすべてたいらげてしまった、あのシム人の細長い顔だった。


「ど、どうしたんですか? 俺たちの商売に、何か問題でも?」


 無駄とは知りつつ、俺は思わずそんな風に呼びかけてしまう。

 すると若者は、さきほどと同じように鉄鍋の中身を指し示して、また「ギバ」とつぶやいた。


「そうですよ、ギバですよ。それがどうかしましたか?」


「ギバ。赤。1。2。3?」


「……はい?」


 俺が首を傾げると、若者はちょっと困惑した様子でマントの内側に手を差しこんだ。


 すかさずヴィナ=ルウが俺の腕を引き寄せようとしたが――そこから取り出されたのは、茶色くくすんだ赤色の銅貨だった。


「ギバ。赤。1。2。3?」


 それでも俺が答えられずにいると、若者はちょっと悲しそうな目つきをした。


「……白?」


「いえ! 赤です! 赤! 2!」


 若者はうなずき、さらにもう1枚の銅貨を出して、台の上にかちゃりと置く。


 そして、俺の顔を、じっと見た。


「……ヴィナ=ルウ、攪拌をお願いしますね」


 うっかり攪拌の手が止まってしまっていた。

 俺はヴィナ=ルウに木べらを託し、大急ぎでティノを千切りにする。

 そうして新たな『ギバ・バーガー』を作成し、若者に「どうぞ」と差し出してみせた。


 若者は大きくうなずいて、商品を受け取る。

 その様子を観察しながら、おそるおそる銅貨に手を伸ばしたが――幸いなことに、それをとがめる者はいなかった。


 やっぱり、ただのお客さんだったのだ。

 そいつは実に、ありがたいことだ。

 しかし、屋台を取り囲んだままぴくりとも動かないこの連中は、いったい何なのだ?


「アスタおにいちゃん……」


「だ、大丈夫だよ。ただのお客さん……だと、思うから」


 若者はもふもふと『ギバ・バーガー』を頬張っている。

 最初は片手で食べていたが、反対側からタラパのソースがこぼれ落ちそうになっていることに気づき、両手で、横向きに持ちなおす。


 で、また、もふもふもふ。


 何だろう。冷たい感じはしないのに、ちっとも表情が動かない。

 不気味である……というほどではないのだが、やっぱり不安感をそそられてしまう。


 そうしてすみやかに『ギバ・バーガー』を食べ終えた若者は、また指先を奇妙な形に組み合わせて、静かに頭を下げてきた。


 そして。

 周囲の仲間たちにも、うなずきかける。


 いずれも長身のその男たちは、一斉にうなずき返し、一斉にマントの内側へと指先を潜りこませた。


 かちゃり、かちゃり、かちゃり――と、赤い銅貨が台の上に並べられていく。


 6名分、合計12枚の赤い銅貨が。


 俺は無言でティノを刻み、次から次へと『ギバ・バーガー』を仕上げていくことになった。


 完成品を差し出せば、近い順に黒い指先が伸ばされて、それをすっと引き取っていく。


 無言。

 俺も無言。客も無言。ヴィナ=ルウもターラも無言。


 そうして数分後には6個の『ギバ・バーガー』が全員の胃袋に消え、俺の手には最初の若者の分も合わせて14枚の銅貨が残った。


 フードをかぶったままの6名が最初の若者と同じように指先を組み合わせて、頭を下げ、そして一斉に立ち去っていく。


「いやあ、大人気じゃないか、アスタの料理は!」


「うわあ、びっくりしたっ!!」


 いつのまにやら、金褐色の頭をしたひょろ長い人影が、屋台の横合いに飄然と立ち尽くしていた。


 言うまでもない。カミュア=ヨシュである。


「ど、ど、どこから現れたんですか? 心臓に悪い登場の仕方をしないでください!」


「商売の邪魔をしないように、そっと見守っていたんだよ。ずっとあの木の陰にいたんだけど、気づかなかった?」


 本当に、ぶん殴ってやりたいほど、すっとぼけたおっさんである。

 ヴィナ=ルウも、色気の控えめな横目でカミュアの笑顔をねめつけている。

 嬉しそうにしているのは、ターラだけだ。


「カミュアのおじちゃんだあ! おじちゃん、アスタおにいちゃんのぎばばーがー、すっごく美味しかったよ!」


「うんうん、こいつは美味そうだねえ。タラパまで使っているのか。アリアとティノだけでもあの美味さだったのに、こいつはよだれが止まらないよ」


 相変わらず、薄っぺらい。


「……今の人たちは、何だったんですか?」


「うん? そりゃあ東の王国シムからの旅人だろう。なかなかの大人数だったから、何か大がかりな商団の関係者なんじゃないのかね」


「まさか、あなたの差し金なんじゃないでしょうね?」


「差し金? どういう意味? アスタの店の評判を高めるために、俺が人を雇ったとでも?」


 カミュアはにんまりと笑いながら、長マントの下で肩をすくめた。


「俺がそんな作戦を立てるとしたら、もっと効果的な演出を試みるよ! こんな人通りの少ない時間帯にそんな作戦を決行しても、ちっとも評判はあがらなそうじゃないか。ほら、見てごらん。君の料理がいっぺんに7食も売れたことなんて、だーれも気づいちゃいないから」


 確かに。南の賑やかなほうからこちらをうかがっていた人間がいたとしても、この距離では皮マントの集団が屋台を取り囲み、そしてすみやかにその場を離れた姿しか見て取ることはできなかっただろう。


 ただ、隣りのスペースで飾り物を売っていた老人が、やっぱりぽかんとした顔つきで俺たちのほうを眺めているばかりである。


「東の民っていうのは、ああいう人たちが多いんだよ。閉鎖的っていうのとは違うんだけど、周りの目は気にせず自分たちの道を突き進んでいるっていうか……それでもって、感情の動きを他者にさらすのはお行儀が悪い、という風にも考えている。話せばなかなか愉快な人たちなんだけど、いかんせん、あちらはロクに西の言葉を覚える気がないんだよねえ」


「はあ……」


「まあ、東の民って言っても色々さ。もうちょっと西の流儀をわきまえた人たちも少なくはないし。この宿場町で店を出していれば、おのずとそのあたりのこともわかってくるだろう」


 そう言って、カミュアはマントの中でもぞもぞと腕を動かした。


「さて。そんなわけで、俺にもアスタの料理を売っていただけるかな? レイトの分と、ふたつ頼むよ」


「いや、それがですね……実は、残り1個で品切れになってしまうのです」


「ええ? ターラが2つと、東の民が7つで、まだ9つしか売っていないはずだろう? どうしてそれで品切れなのさ?」


 このおっさん、いったいいつから盗み見をしていたのだろう。

 交流が深まれば深まるほどうさんくささが増していく、こんな人間は初めてだ。


「初日はそんな売れ行きは望めないだろうという見込みで、10個しか用意しなかったんです。材料費も馬鹿にならないし」


「困るなあ! アスタの料理がたったの10個でおさまるわけがないじゃないか! こんなに大きな鉄鍋にたったの10個! 俺もレイトもアスタの料理を楽しみにしていたのに、がっかりだよっ!」


「すみませんね。試食用のが余っているから、それもおつけしましょうか? いちおうポイタンだけは余分に焼いてきたんで」


「うん! とにかく売ってくれ! 他のお客に横取りされては、たまらない!」


 そのちょっと焦り気味の表情だけは、あんまりうさんくさくはなかった。

 こういう表情を織り交ぜられてしまうから、いっこうにこの男の印象が定まらないのだ。


 とにもかくにも最後の1個と試食用のミニバーグで『ギバ・バーガー』を作り上げ、2枚の銅貨と引き換えにカミュアへと差し出してやる。ミニバーグ分は、サービスだ。


「ありがとう! こいつはレイトと一緒にいただかせてもらうよ! 《キミュスの尻尾亭》にいるから、感想はまたのちほど!」


 そうしてカミュアもすみやかにいなくなってしまった。


 俺は何だかそこはかとない虚脱感を噛みしめつつ、ヴィナ=ルウと顔を見合わせる。


「えーと……今日の仕事は、終了してしまいました」


「うん。……火はもう消してしまっていいのねぇ?」


「はい。お願いします」


 これがいわゆる、狐につままれた気分というやつなのだろうか。


 宿場町における勝負の第1日目は、中天を迎えるどころか、わずか1時間足らずで終了してしまったのだった。

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