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異世界料理道  作者: EDA
第五十五章 群像演舞~六ノ巻~
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    貴公子と風来坊(下)

2020.9/22 更新分 1/1

 翌日、ジェノスの騎士団は、朝も早くからセスの領地を出立することになった。

 100名からの騎兵隊は、街道をひたすら東に駆けていく。やはりジャガルの領土に足を踏み入れるのは差し控えるべきであろうと思い、このまま道なりにジェノスを目指すことになったのだ。


「ただし、最後の最後で細工を凝らしましょう。あと7日ばかりも街道を進むと十字路に差しかかりますので、そこで南下するのです。その先は自由国境地帯ですので、2日をかけてそれを踏み越え、ジャガルの宿場町に一泊だけさせていただき、それから北上すれば、6日ほどでジェノスに到着と相成ります」


 昨晩、カミュア=ヨシュはそんな風に言っていた。

 道なりに進めば10日で到着できるのだから、やはり5日ほどは遠回りをすることになる。なおかつ、ひとたびはジャガルの領地に足を踏み入れなければならなくなるのだ。


 しかしメルフリードは、その提案を受け入れることにした。

 カミュア=ヨシュの器量を信用してみようと、そのように決断するに至ったのだ。


(案内人たるこの者たちこそ、トゥラン伯爵家の息がかかっているという恐れもなくはないのだろうが……そうであれば、自らサイクレウスの名を出すことはあるまい)


 もしもそれさえもがメルフリードをたぶらかすための讒言であったというのなら、これはもう剣をもって切り抜けるしかない。そこまで考えての、決断であった。


 しかしまた、その可能性はきわめて薄いものと、メルフリードは判じている。

 それは、カミュア=ヨシュが昨晩に垣間見せた、あの眼差しゆえであった。

 カミュア=ヨシュには、何か底知れない力が感じられる。あれだけの器量を持つ人間が、トゥラン伯爵家の奸臣たちに懐柔されることはあるまい――と、メルフリードはそのように考えていたのだった。


(それに、《赤髭党》の一件――トゥラン伯爵家の手の者であれば、それを自分から口に出すことはないはずだ)


 それは、メルフリード自身がひそかに疑惑を抱いていた事件であった。

 今からおよそ8年前、護民兵団の団長が何者かに弑された。近在の領地を荒らしていた盗賊団を討伐するために、200名の精鋭を引き連れて遠征したところを、わずか数名の襲撃によって魂を返すことになってしまったのだ。


 賊の正体は不明であるが、その者たちは野営をする討伐隊のもとに忍び寄り、団長と側近だけを弑したのち、煙のように消え失せてしまったという。驚くべき手練れの所業であった。


 それから次の護民兵団長に成り上がったのが、トゥラン伯爵家のシルエルである。他にも新たな団長に相応しい候補は何名かいたようだが、トゥラン伯爵サイクレウスの強烈な後押しによって、そのように決されてしまったのだった。


 しかし、それだけならばメルフリードがこうまでうろんに思うことはなかっただろう。栄誉ある身分を求めるのはトゥラン伯爵家に限った話ではないのだから、もっとも力のある家がその座を勝ち取るのも自然な話である。

 よってメルフリードは、その後の護民兵団のありようによって、疑念を抱くに至ったのだった。


 まずシルエルは、先代の護民兵団長やバナームの使節団を襲撃したのは《赤髭党》であると断じ、それを討伐した。長年において近隣の領地を騒がせていた《赤髭党》をいとも容易く見つけだし、その身柄を捕縛してみせたのだ。

 それはただ、シルエルがきわめて有能であったというだけの話なのかもしれない。しかしメルフリードは、どこか腑に落ちないものを感じていた。


 そもそも先代の護民兵団長やバナームの使節団を襲撃したのが《赤髭党》であるという証は、どこにも見られなかったのである。昨晩にカミュア=ヨシュが言っていた通り、《赤髭党》というのは不殺の掟を持つ義賊と称されていたのだ。その《赤髭党》が強殺の罪で処断されることになり、市井では不審の思いが渦巻いていると、メルフリードはそのように聞き及んでいた。


 むろん、《赤髭党》はれっきとした盗賊団である。貴族ばかりを襲撃して、その富を貧しき人間に配り歩くという行いから、市井においては英雄視する向きもあったようだが――どのような思想に基づいた行いであろうとも、他者の金品を奪うのは大きな罪だ。決して許される行いではない。


 だが、そうであるからこそ、罪は正しく裁かれなければならなかった。

 護民兵団長やバナームの使節団を弑したのは、本当に《赤髭党》であったのか。メルフリードに、それを確信することはできなかった。


 そして、バナームの内情についてである。

 バナームは、ジェノスとは一風異なるフワノとママリアで交易をするための準備を進めていた。盗賊団の襲撃によって、その計画も頓挫してしまったのだ。

 フワノとママリアといえば、トゥラン伯爵領の豊かさの要である。

 バナームの商品がジェノスを席捲すれば、トゥラン伯爵家にとって小さからぬ痛手になることだろう。しかもそれは侯爵家の当主同士で結ばれる交易であったため、トゥラン伯爵家が牛耳ることもまかりならなかったのだった。


(さまざまな出来事が、トゥラン伯爵家の利益に繋がっている。これらはすべて、偶然の産物であるのか?)


 メルフリードはそんな疑念を抱え込みながら、長きの時間を過ごしていたのだった。

 そして――あのカミュア=ヨシュは、まるでメルフリードの頭の中を覗き見たかのように、トゥラン伯爵家に対する疑念を打ち明けてきたのである。

 メルフリードは、これまで以上にカミュア=ヨシュの存在を意識するようになってしまっていた。


「団長殿、ちょっとよろしいでしょうかね?」


 と、そのカミュア=ヨシュがまたメルフリードのもとにトトスを寄せてきた。


「中天の食事についてなのですが、前か後ろに二刻ほどずらしていただきたいのですよ。どちらにずらすのが相応か、次の小休止でジェノス侯におうかがいを立ててはいただけませんか?」


「……その前に、どうして食事の時間をずらさなければならないのか、それを聞かせていただこう」


「それは、このまま道行きが順調だと、もっとも危険な位置で中天を迎えてしまうからでありますね」


 大きな口でにんまりと笑いながら、カミュア=ヨシュはそう言った。


「その場所は、片側に大きな崖が切り立っております。賊が身をひそめつつ矢を射かけるのに、絶好の場所なのですよ。その場所だけは足を止めずに、ひと息に駆け抜けるべきかと思われます」


「……では、往路と同じように北方の街道を進むべきだったのではないのか?」


「賊が身をひそめる場所など、どこにでも存在します。我々が行き道と同じ街道を進んでいると考えたならば、賊はそちらにひそんでいるでしょうね」


 同じ笑顔を保持したまま、カミュア=ヨシュは言葉を重ねた。


「ですが、あちらが斥候でも放っていたなら、どの街道を通っても襲撃は回避できないでしょう。回避できないなら回避できないなりに、最善を尽くしたく思う所存でありますよ」


「……承知した。次の小休止で、わたしからジェノス侯におうかがいを立てよう」


 それから数刻の後、メルフリードがトトス車の父親におうかがいを立てると、そちらからは愉快そうな笑顔を返されることになった。


「そういうことなら、食事は前倒しということにさせていただこう。危険な場所を通過するのに、空腹では心もとないだろうからな」


「承知しました。では、もう一刻ほどトトスを走らせたら、そこで食事とさせていただきます」


「うむ、頼んだぞ。……あのカミュア=ヨシュというのは、本当に気の回る男のようだな」


 メルフリードは多くを語らぬまま、マルスタインのもとを離れることにした。

 カミュア=ヨシュが見て取った通り、マルスタインはトゥラン伯爵家に対してさしたる危機意識を有していない。トゥラン伯爵家の野心がどれほどのものであるのか、それを泰然と観察している風なのである。


 確かにマルスタインも、凡庸ならざる人間である。トゥラン伯爵家がいざ牙を剥いたとしても、マルスタインなりのやり方で対処はできるのかもしれない。

 しかしメルフリードは、より積極的な対処を求めていた。トゥラン伯爵家が本当に陰で悪事をしでかしているならば、それを放置してはおけないと思うのだ。


 メルフリードは、父親ほど大局を見る目は持っていない。それゆえに、法や正義というものを重んじていた。目の前の悪や罪をひとつずつ確実に処断していけば、きっと正しき行く末を迎えられるものと、そのように判じているのだ。よって、証がないために放置されている悪や罪というものを、放っておけない性分であったのだった。


(トゥラン伯爵家が正当なる手段で大きな富を求めているだけならば、わたしの関知するところではない。しかし、もしもそのために大きな罪を働いているならば――決して看過することはできん)


 そんな思いを胸に秘めながら、メルフリードは任務に戻った。

 一刻の後にはまた休憩を取り、そこでささやかな糧食を取る。そしてその場で、100名からの近衛兵たちに檄を飛ばすことになった。


「もう間もなく、待ち伏せに相応しい場所を通過することになると、案内人たる《守護人》らはそのように提言している。これまで以上に気を引き締めて、無法者の襲撃に備えるのだ」


 兵士らは、引き締まった面持ちでメルフリードの言葉を聞いている。

 確かに長旅の疲れはあろうが、弱音を吐くような弱卒はひとりとして存在しない。彼らはメルフリードが選りすぐった、近衛兵団の精鋭であったのだった。


「では、車のトトスに幌を張れ。その作業が完了次第、出発する」


 メルフリードの命令に応じて、何名かの兵士たちがトトスの車に駆け寄った。車を引くトトスを守るため、その頭上に幌を張るのだ。幌は分厚い革製で、よほどの至近距離でなければ矢を弾くことも可能なはずであった。


 あらためて、ジェノスの騎士団は街道を駆ける。

 その道行きで、またカミュア=ヨシュがメルフリードに語りかけてきた。


「これが初めての長旅でしょうに、士気は十分であるようですね。旅の終わり頃には気がゆるむという昨晩の言葉は、撤回するべきでありましょうか」


「うむ。しかし身体に疲弊が溜まれば、おのずと注意力は散漫となる。貴殿の提言は、決して間違ってはいないように思う」


「そう言っていただければ、幸いです。さしあたって、この区域を無事に通過できれば、しばらく安全に過ごせるはずですよ」


 カミュア=ヨシュの予告通り、やがて右手の側が険しい断崖にふさがれた。

 逆の側は、雑木林だ。断崖の上から矢を射かけられれば、街道を進むか戻るかの他に逃げ道はない。自然、メルフリードらの注意は頭上に向けられることになった。


「おやおや、これは念入りなことだ」


 と――カミュア=ヨシュが、低くつぶやいた。

 その顔は、正面に向けられている。同じ方向に視線を転じたメルフリードは、鋭く息を呑むことになった。


 街道に、何本もの丸太が転がされている。

 騎兵のトトスであれば踏み越えることも容易であるが、これでは車が進めない。明らかに、それを見越しての罠であった。


「団長殿、ここはいったん――」


「全軍停止! 反転し、街道を引き返すのだ!」


 メルフリードがそのように命じると同時に、頭上から矢が射かけられてきた。

 やはり、断崖の上に賊が伏せていたのだ。丸太の手前で停止していた兵たちは、腰の刀でそれを薙ぎ払うことになった。


「反転し、街道を引き返せ! 雑木林からの襲撃にも、用心せよ!」


 メルフリード自身も長剣を振るいながら、そのように声をあげ続けた。

 さして幅のある街道でもないので、トトスの車が反転に苦労をしている。そして、トトスの頭上に張られた幌や車の屋根にも、すでに何本かの矢が突き立ってしまっていた。


(幌は車が駆ける勢いによって、矢を弾くことがかなうのだ。このままでは、車のトトスが真っ先にやられてしまう)


 メルフリードはそのように考えたが、さりとて現在は自分の身を守るだけで手一杯である。

 そのとき、1頭のトトスが風のように車のほうに近づいていった。

 カミュア=ヨシュの乗ったトトスである。そうして車に接近すると、カミュア=ヨシュは屋根に飛び移り、騎手を失ったトトスはそのまま雑木林の向こうに潜り込んだ。


 屋根の上に立ちはだかったカミュア=ヨシュは、自身とトトス車にあびせかけられる矢を悠然と払いのけていく。

 カミュア=ヨシュは長身であり、なおかつその長剣はひときわ長い刀身を有していたため、幌を守り抜くことも可能なようだった。


 メルフリードの周囲では、何名かの騎士たちが矢を防ぎきれずに、地面に落ちている。そうして騎手を失ったトトスもまた、雑木林の中に巨体をねじ込んでいく。本能で、その場所こそがもっとも安全であると察したのだろう。


(しかし、矢だけで車中の人間を仕留めることは難しい。ならば――)


 メルフリードがそのように考えると同時に、ようやく矢の雨が収まった。

 それと同時に、今度は雑木林から襲撃者が出現する。いずれもその手に刀を携えた、ひと目で盗賊としれる者どもだ。


「車を守れ! 決して賊を近づけるな!」


 言いざまに、メルフリードもトトスを駆けさせた。

 敵は全員、徒歩である。トトスの背中から長剣を振るい、敵を斬り伏せて、メルフリードは車のそばまで参じてみせた。


 他の騎士たちも周囲で応戦しているため、けっきょくトトス車はその場から動けずにいる。ならば、車を守りながら敵を殲滅するしかなかった。

 そしてその場では、カミュア=ヨシュが獅子奮迅の働きを見せていた。


 そのやたらと長い長剣が閃くたびに、濁った悲鳴と赤い鮮血が四散する。

 普段の飄々としたたたずまいからは、想像がつかないほどの身のこなしである。

 だが、メルフリードがそれで驚かされることはなかった。メルフリードは最初から、カミュア=ヨシュが自分をも上回る剣士であると察していたのだ。


 カミュア=ヨシュは、優雅とも思えるような挙動で、次々に敵を退けていく。しかもその剣は、敵の首や胴ではなく、腕や足ばかりを狙っていた。敵の生命を奪うことなく、的確に無力化しているのだ。それこそが、彼の並々ならぬ技量を顕著に示していた。


(《北の旋風》――と、あのザッシュマはそんな風に呼んでいたな)


 カミュア=ヨシュは、まさしく風のように流麗であった。しかし、相手の攻撃をふわりと回避し、なめらかな挙動で長剣をひるがえすさまなどは、疾風というよりも清風のごとしである。自らも死闘のさなかにありながら、メルフリードはその剣技に心を奪われてしまいそうなほどであった。


 その姿に勇を得たのか、周囲の騎士たちも素晴らしい働きを見せている。敵の数は多かったが、それでもこちらの人数を上回ることはなかっただろう。最初の混乱さえ乗り越えれば、ジェノスの騎士の敵ではなかった。また、メルフリードの位置からはよく見えなかったが、しんがりを守っていたザッシュマも《守護人》の名に恥じない活躍を見せているようだった。


(よし。このまま一気に決着を――)


 そのとき、ふいに雷鳴のごとき声音が響きわたった。


「メルフリード! 頭上だ!」


 メルフリードは、ほとんど無意識の内に長剣を振りかざした。

 再び頭上から、雨のような矢が射かけられたのだ。

 また何名かの騎士たちが地面に伏すことになってしまったが、メルフリードはすべての矢を弾き返してみせた。

 そして騎士たちのみならず、街道に出ていた賊たちも、その身を射抜かれてしまっていた。


「……ようやく、矢が尽きたようですね」


 しばらくして、カミュア=ヨシュがそのようにつぶやいた。

 断崖の上を見上げても、人の影はない。そして、雑木林から新たな敵が現れることもなかった。


「ふむ。どうやら矢を射かけてきた連中と、こちらで倒れている連中は、別口の賊であったようですね」


 傷ついた同胞の救護を命じてから、メルフリードはカミュア=ヨシュに向きなおった。


「それは、どういう意味であろうか? まさか別なる盗賊団が、たまたま同時に襲いかかってきたとでも?」


「いえいえ。おそらくこちらの盗賊たちは、甘言でたぶらかされたのでしょう。まさか、自分たちもろとも矢を射かけられるとは夢にも思わずに、ね」


 そんな風に語りながら、カミュア=ヨシュは気の毒そうに足もとを見回した。

 彼が退けた賊たちは、いずれも頭上からの矢で魂を返してしまっていたのだった。


「だいたい、この矢の数を見てください。100本や200本じゃきかないでしょう? 普通の盗賊団が、回収の見込みもないのにこれほどの矢を放つことはありえませんよ。矢だって、ただではないのですからね」


「つまりそれは――」


「ええ。相応の資産を有する何者かが、賊の背後に潜んでいるということです。まったく、剣呑な話でありますねえ」


 そう言って、カミュア=ヨシュはメルフリードに笑いかけてきた。

 その紫色の瞳は、また不思議な透徹した光をたたえている。


「どうぞご自愛ください、団長殿。せっかくジェノス侯爵家の方々とお近づきになれたのですから、末永きおつきあいを願っておりますですよ。……もちろんジェノスに戻るまでは、俺も力を尽くさせていただきますけれどね」


「うむ。貴殿と巡りあえたのは、西方神のはからいであるのだろう。貴殿は案内役として、今のところはたったひとつの不備しか見せていない」


「おや? 俺は何か、不始末を犯してしまったでしょうか?」


「うむ。わたしの名を面前で呼ぶことは、控えるように命じたはずだ」


 カミュア=ヨシュは一瞬きょとんとしてから、愉快そうに笑い声をあげた。


「あれは危急の際であったので、お目こぼしをいただけたら幸いでありますね。……そしてジェノスに帰りついたのちは、ぞんぶんにお名前を呼ばせていただきたく思います」


                    ◇


 メルフリードの語らいは、そこまでであった。

 いつの間にやら、寝台のオディフィアも寝入ってしまっていたのだ。用事を果たしたメルフリードは、微笑む伴侶とともに寝所を出ることになった。


「お疲れ様でしたね、あなた。これでオディフィアも、ぐっすり眠れることでしょう」


「うむ。……しかし、寝かせつけに聞かせる話としては、いささか不相応だったのではないだろうか? 悪い夢など見なければいいのだが……」


「心配はご無用よ。オディフィアは、あんなに瞳を輝かせながら聞き入っていたもの」


 応接の間には、まだ煌々と燭台が灯されている。長椅子に腰を落ち着かせると、伴侶のエウリフィアは感じ入ったようにまぶたを閉ざした。


「わたくしも、興味深く聞かせていただいたわ。カミュア=ヨシュは、本当に卓越した剣士であられるのね」


「うむ。カミュア=ヨシュがいなければ、こちらの被害もあれでは済まなかったはずだ」


「二名の騎士が魂を返して、十数名の騎士が手傷を負ってしまったのよね。なんて恐ろしい……あれはけっきょく、トゥラン伯爵家の謀略であったのかしら?」


「確たる証は得られなかったが、トゥラン伯爵家がひそかに擁していた《黒死の風》が手引きしたのであろうな」


 その《黒死の風》は、すでに1年半ほど前に捕縛されて、苦役の刑に処されている。脱走を果たしたシルエルと異なり、彼らは今でも死よりも過酷な苦役に身を置いているはずであった。


 4年前に出会って以来、メルフリードはひそかにカミュア=ヨシュと通じて、トゥラン伯爵家の大罪を暴くことになったのだ。

 いくつかの計略は水泡に帰したが、最後の計略によって大罪人たちを追い詰めることがかなった。首謀者たるサイクレウスとシルエルはすでに魂を返しており、当主の遺児たるリフレイアは後見人のトルストとともに、懸命にトゥラン伯爵家の再建に励んでいる。これ以上は望むべくもない結果であった。


(それもすべては、カミュア=ヨシュの功績……まったく、計り知れない男だ)


 むろん、その一件には多くの人間が関わっていた。途中で同志に引きずりこまれたポルアースや、さまざまな雑事をこなしてくれたザッシュマに、あとは森辺の民の勇躍なくして、この結果はありえなかっただろう。それに、マサラの狩人であったバルシャとジーダ、バナーム侯爵家のウェルハイド、ひいてはサトゥラス伯爵家や宿場町の領民まで、この一件には大なり小なり関わりを有していたのだ。


 そして、それらを結びつけたのがカミュア=ヨシュであるのだと、メルフリードはそのように考えている。

 さまざまな人間が、さまざまな縁を結ぶことによって、トゥラン伯爵家を捕縛する網が完成された。その糸を紡いでいったのが、カミュア=ヨシュであるように思うのだ。


 なおかつ、カミュア=ヨシュ自身もそれを紡ぐための重要な糸そのものであった。

 すべてを見通せるような明哲さを持ちながら、矢表に立つことも厭わない。それこそが、カミュア=ヨシュの強さの正体であるはずだった。


(当時のわたしは、自分よりもカミュア=ヨシュのほうがよほど貴族めいた社交術を備えているように思ったものだが……しかし、そうではない。貴族社会というものですら、カミュア=ヨシュが生きるには窮屈なのだろう。あれは、そのような器に収まるような存在ではないのだ)


 メルフリードがそんな風に考えたとき、エウリフィアがくすりと笑い声をたてた。


「次の機会には、森辺の大罪人を捕縛したときのお話を聞かせてもらえるかしら? あなたが正体を隠して《守護人》に扮していただなんて、わたくしですら胸が弾んでしまうもの。傀儡の劇ではあなたの存在も言及されていなかったから、オディフィアもきっと喜ぶはずよ」


「それもまた、いささかならず荒事のからむ話となってしまおう。7歳の幼子には、もう少し穏便な話を聞かせてやりたく思うのだが……」


「でも、王都の祝宴のくだりなんて、オディフィアは退屈そうな様子になってしまっていたでしょう? あの子はきっと、血の沸くような活劇を好む気性であるのよ。……だって、あなたの娘なのですからね」


 そう言って、エウリフィアはまた笑った。


「あなただって、そうなのでしょう? カミュア=ヨシュと大暴れをする話をしているとき、あなたはとても楽しそうだもの」


 あまりに意想外な言葉を聞かされて、メルフリードは一瞬言葉に詰まることになった。

 エウリフィアは愛娘の眠っている寝所のほうを見やりながら、言葉を重ねていく。


「それに……あなたがカミュア=ヨシュと強い絆を持っていると知れば、オディフィアもいっそう喜ぶのじゃないかしら? 自分の父親が貴族ならぬ相手とそこまで絆を深められるというのは、今のあの子にとって何より心強い話でしょうからね」


 メルフリードは、カミュア=ヨシュとそこまで深い絆を結んだ覚えはない。

 しかしまた、あの奇妙な男がメルフリードにとって唯一無二の存在であることに違いはなかった。


(……何せあのように奇妙な男は、城下町に限らずそうそう存在しないのだろうからな)


 そんな風に考えながら、メルフリードは「そうだな」と笑ってみせた。

 エウリフィアも、楽しそうに笑ってくれていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 過去話で何がモヤっとするって、サイクレウスにせよシルエルにせよクソザッツにせよ、この時代において奴らは断罪されず悪事し放題ってことだわ。 特にサイクレウスは、悪事の元凶のクセに最後救いがある…
[良い点] メルフリードの笑顔って初めて見た気がします
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