表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界料理道  作者: EDA
第五十五章 群像演舞~六ノ巻~
947/1677

第二話 貴公子と風来坊(上)

2020.9/21 更新分 1/1

・今回は全7話の予定です。

 今から、およそ4年ほど前――メルフリードの率いるジェノス騎士団の一行は、故郷から遠く離れた街道でトトスを駆けさせていた。


 西の王都アルグラッドにおいて行われた、戴冠式の帰り道である。100名からの騎兵に守られたトトス車の中では、メルフリードの父親であるジェノス侯爵マルスタインがゆったりとくつろいでいるはずであった。


 ジェノスから王都までは、片道で30日から40日はかかるとされている。しかし、行き道ではきっかり30日で王都に到着することができたし、この帰り道においても旅程は順調であるように感じられた。


 王都を出立してからすでに20日が経過しているので、残りは10日ほどであろう。

 旅程がこれほどに順調であるのは、案内役たる《守護人》たちの功績であるはずだった。


「ずいぶん日が傾いてきたようですね。でも、日が没する前には目的の地に辿り着けるはずでありますよ」


 と――先頭を駆けるメルフリードのかたわらに、《守護人》のひとりがトトスを寄せてくる。

 ひょろりとした長身に革の外套を纏った、金褐色の髪と紫色の瞳を持つ、とぼけた風体の若き剣士――カミュア=ヨシュなる人物である。彼は仇敵たるマヒュドラの人間を母に持つ身であったが、現在はセルヴァに神を移しており、王都から正式な《守護人》としての認可を受けていた。また、それに見合った器量を有していることも、この長旅の間でメルフリードも理解している。


「懐かしのジェノスまで、残りは10日といったところでありましょうかね。団長殿も、故郷に残した伴侶やご息女が愛しい限りでしょう?」


 なるべく外界の人間に素性を悟られぬようにと、メルフリードは自分の名を呼ばぬように周知していた。それで選ばれたのが、この呼称である。この一団はジェノスの近衛兵団で編成されており、メルフリードはその団長を務める立場であったのだった。


「……任務が達成されるまで、雑事にかまけているいとまはない。貴殿も、そのように心がけていただきたい」


「俺は家族を持たない身であるので、そんな心配もご無用です」


 と、深くかぶった頭巾の陰で、カミュア=ヨシュはにんまりと微笑んだ。


「でも、団長殿のご息女は、ようやく3歳といったところでしょう? 可愛い盛りじゃありませんか。それを雑事などと割り切れるのは、いやはや鋼のごとき自制心でありますね」


「……どうして貴殿が、わたしの娘の年齢を把握しているのだ?」


「それはもちろん、ジェノス侯からおうかがいいたしました。ご両親からいい点ばかりを受け継いだ、それは愛くるしい姫君であられるそうですね」


 メルフリードの父たるマルスタインはとりわけこのカミュア=ヨシュを気に入っており、この旅の道中でずいぶん親交を深めた様子であった。

 いかに相手が王都に認められた《守護人》でも、侯爵たる身がそうそうそばに近づけるべきではないように思えるのだが――そういう面において、マルスタインは年齢にそぐわぬ稚気を有している。また、カミュア=ヨシュのほうも稚気の塊のごとき人柄であったもので、余計に共鳴してしまうのかもしれなかった。


(……この者が害意を有していたならば、わたしでも止めることは難しかろうにな)


 部隊の指揮官たるメルフリードとしてはそういった不安がぬぐえないのであるが、今のところはカミュア=ヨシュの真情を疑う理由はなかった。


 そうしてしばらくトトスを駆けさせると、前方に城壁の影が見えてくる。

 太陽は、ようやく西の果てに差し掛かったあたりだ。本日も、ゆとりをもって目的の領地に到着できるようだった。


「ああ、見えてきた見えてきた。あれがセス伯爵領でありますね」


 カミュア=ヨシュが、弾んだ声をあげている。


「セスの名物は、キミュスの香味焼きです。ジェノスの貴き方々にも、きっとご満足いただけることでしょう。……もっとも、ジェノスほどさまざまな食材が流通しているわけではないでしょうけれどね」


                     ◇


 城門をくぐった一行は、そのままセス伯爵の城へと招かれることになった。

 先触れの使者を出していたので、歓迎の準備が整えられている。城へと通じる街路には兵士たちが配備され、その向こう側から領民たちが物珍しげな視線を送ってきていた。


 城壁に囲まれた領地の中で、領主の住まう城はさらなる城壁に囲まれている。100名からの騎士団は、全員がそこに踏み入ることを許された。


「兵士の方々は、宿舎にご案内いたします。ジェノス侯と近侍の方々は、こちらにどうぞ」


 こういった際、マルスタインと同行するのは側仕えの小姓とメルフリード、それにカミュア=ヨシュのみと決められていた。

 するとカミュア=ヨシュが、とぼけた面持ちで発言する。


「あの、今日は相棒もご一緒させていただいてもかまいませんでしょうか? 明日の旅程に関して、ちょっと打ち合わせておきたいことがあるのですよ」


 相棒とは、もう1名の《守護人》である。

 マルスタインが鷹揚に許しを与えると、城の従者にトトスの手綱を預けたその人物が近づいてきた。


「どうもどうも。貴き方々とご一緒させていただくのは恐悦の限りでありますが、何卒よろしくお願いいたします」


 礼節はわきまえているが、決して物怖じはしていない。その者もまた王都に認可を受けた《守護人》であり、名はザッシュマといった。カミュア=ヨシュよりも10歳ほど年長で、いかにも世慣れた風来坊といった雰囲気の人物だ。


「それでは、浴堂にご案内いたします。まずは旅の汚れをお清めください」


《守護人》たちは控えの間に案内され、メルフリードは父親および小姓とともに浴堂へと招かれる。

 父親とともに身を清めるというのはおかしな具合だが、しかしこれはひそかに言葉を交わすための大事な時間であった。


「セスというのも、ジェノスとはまったく交わりのない領地となります。くれぐれも、ご油断なきように」


「うむ。しかし、我々が見知らぬ相手に悪意を向けられるいわれはあるまい。それに、セス伯爵とは王都にて挨拶をしているはずだしな」


 このたびは新たな王の戴冠式であったため、王国中の名だたる貴族が王都に招集されることになったのだ。

 しかしその中に、ジェノスの擁する三伯爵家は含まれていない。複雑な来歴を持つジェノスにおいては元来よりも高い爵位の格付けが為されているため、このような際にはジェノス侯爵家のみが招集される習わしであったのだ。


(確かにこのセス伯爵家も、ジェノス侯爵家と同等の力を持っているようだしな)


 城壁に守られたセスの領地は、ジェノスの城下町と同等の規模であるように見受けられた。

 この浴堂の設備なども、それは然りである。むしろ、ジェノスよりも古き歴史を有する分、洗練の度合いはまさっているように感じられた。


(我々は、自分たちで思っていた以上に、辺境の民であるということだな)


 600と余年に及ぶ王国の歴史の中で、ジェノスはいまだ200年ていどの歴史しか有していない。貴族の治める領地としては、指折りで新参となるのだろう。なおかつ、王都からはもっとも遠く離れた領地であるのだから、辺境というも愚かしいほどの僻地であるはずだった。


 しかしまた、王国の心臓部たる王都アルグラッドを訪れたことにより、メルフリードは別なる感慨も抱かされていた。正確には、その道中で立ち寄った領地のありようが、メルフリードに感銘をもたらしたのだった。


 王都は完全な別格として、それ以外の領地がそうまでジェノスよりも栄えているようには思えなかったのだ。

 確かに侯爵領ともなれば、ジェノスよりも規模は大きいように感じられる。しかしまた、ジェノスにおいてもダレイムとサトゥラスとトゥランを含めれば、他なる侯爵領に匹敵する規模であるように感じられた。


 ただ領地の規模のみならず、繁栄の度合いに関しても同様である。ジェノスはシムおよびジャガルの商人が数多く訪れるために、それだけの豊かさを誇ることがかなっているのだった。


 よって、ジェノスに侯爵の爵位が冠されているのは、べつだん不相応ではないのだろう。

 不相応なのは、やはり三伯爵家のほうであるのだった。


 ダレイム、サトゥラス、トゥランの三伯爵家の擁立は、ジェノス侯爵家の勢力を分割するための政策であったのだ。

 ジェノス侯爵家がゼラド大公国のように独立などを目論まないように――という、そんな危機意識から生じた政策である。それを施行したのは、もちろんジェノスの君主たるアルグラッドの王たちであった。


(その政策そのものに、異議があるわけではない。しかし――伯爵家の人間が侯爵家の転覆を目論むようであれば、話はまた別であろう)


 そんな思いを胸の奥深くにひそめながら、メルフリードは浴堂を出ることになった。

 次は《守護人》たちが身を清めるのであろうが、それを見届けることなく、晩餐のための広間へと導かれる。カミュア=ヨシュが招集されるのは、あくまでマルスタイン個人の趣向であるのだ。縁も薄い領地の貴族たちに、荒事を生業とする《守護人》の同席を望むことはかなわなかった。


「おお、これはこれは。王都で知遇を得たばかりの皆様を我が城にお招きできること、望外の喜びでございますぞ」


 食堂では、セス伯爵その人が待ち受けていた。

 小柄で、細身で、壮年であるのにつるんとした肌をした、とても柔和そうな人物だ。なかなか個性的な外見を有していたため、メルフリードも辛うじて記憶に留めていた。


 巨大な卓には、伯爵夫人とその子らも控えている。誰もがにこやかな面持ちで、時ならぬ客人を迎え入れてくれた。


「わたくしは、2日ほど前に王都から戻ったところでありました。さあさあ、まずはこの再会を祝福いたしましょう。今日はジャガルの発泡酒を準備しておりますぞ」


 セスの領地もジャガルとは遠からぬため、交易を成しているようだった。

 硝子の酒杯は、きっと東の商人から買いつけたものであるのだろう。この大陸アムスホルンにおいて、シムの商人が踏まないのはジャガルの大地のみなどと言われていた。


 祝福の酒杯が掲げられて、豪勢なる晩餐が開始される。

 セス伯爵は終始、上機嫌であった。


「それにしても、戴冠式の祝宴は見事でありましたな。王都に出向いたのはこれが3度目となりますが、さすがにあれほどの祝宴は初めてでありました」


「ほう、3度も。恥ずかしながら、わたしは初めての王都でありました」


 マルスタインはゆったりと微笑みながら、如才なく相槌を打つ。

 それに対するセス伯爵も、如才のなさでは引けを取らなかった。


「ジェノスから王都まで出向くには、小さからぬ労力がかかってしまうでしょうからな。王都の方々も、それを慮っておられるのでしょう。このたびはジェノス侯爵と2度までも言葉を交わすことがかない、光栄に存じておりますぞ」


「こちらこそ。突然の来訪をお許しいただき、心より感謝しております」


 格式はこちらのほうがまさっているが、王都との交流はあちらのほうがまさっている。そういった事情を考慮して、両名はおたがいを同格の立場と見なしているようだった。


(こういった社交術は、まだまだまったくかなわない。父上とて、そうそうジェノスを離れる身ではないはずなのにな)


 寡黙に食事を進めながら、メルフリードはそのように考えた。

 父たるマルスタインがどれだけ社交的であるかは、もちろん十分にわきまえている。ジェノスの領内にあっても余所の貴族を迎える機会は少なくないのだから、そういう場でマルスタインは社交の術を磨くことになったのだろう。


 しかし、それが自分の想像以上に錬磨されていたことを、メルフリードはこの旅で大いに思い知らされていた。

 何せ王都では、何十何百という見知らぬ貴族と相対することになったのだ。しかもその場には、王家や公爵家といった格上の貴族も多数存在した。それでもマルスタインは臆する様子もなく、普段の優雅さで社交の糸を紡いでいたのだった。


「……それにしても、こういう形で客人をお招きするのは、実にひさかたぶりとなります。いずれの領地を目指すにしても、このセスに立ち寄る理由はそうそうないはずですからな」


 と、セス伯爵がそのように言い出した。


「王都からジェノスを目指すならば、もっと北寄りに立派な街道がありましょう? このたびはセルヴァ中の貴族が王都に集まったはずですが、このセスに立ち寄られたのはジェノス侯が初めてです。……それに、行き道においてはこのセスに立ち寄られることもなかったはずですな?」


 マルスタインは悠揚せまらず、「ええ」と応じる。


「行き道は、もっと北寄りの街道を使いました。帰り道は、あえて異なる道筋を選んでいるのです」


「ふむ。何故にそのような試みを?」


「それはもちろん、なるべくさまざまな領地の方々とご縁を紡がせていただくためとなります。我々ジェノスの人間はなかなか遠方の方々とご縁を持つ機会がなかったので、そのように取り計らっているのです」


「なるほど」と、セス伯爵も笑み崩れる。

 マルスタインの言葉を、ひとつも疑っていないのだろう。それもまた、卓越した社交術の成せる技であった。


「ジェノスとセスは古くから交易を結んでいるのに、当主たる我々が顔をあわせる機会はありませんでしたからな。まったく、得難きことであります」


「交易」と、マルスタインは何気なく繰り返した。

 メルフリードも、酒杯にのばしかけていた手を思わず止めてしまう。


「……そうですな。セスから買いつけた食材は、我々の食卓を彩るのに不可欠でありましょう」


「それは光栄の限りであります。本日の晩餐においても、セスの名産たるマ・プラとマ・ギーゴをふんだんに使っておりますよ」


 やはり交易とは、トゥラン伯爵家が独自に結んだものであるらしい。

 マルスタインはメルフリードのほうにちらりと目をやってから、何事もなかったかのようにキミュスの香味焼きを口に運んだ。


(……ジェノスから10日の距離であるセスとも、トゥラン伯爵家は交易を結んでいたのだな)


 むろん、トゥラン伯爵家はシムやジャガルとも独自に交易を結んでいるのだから、10日ていどの距離など何ほどのものでもないのだろう。

 問題は、それらの食材が城下町にも流通しているにも拘わらず、ジェノス侯爵家にはまったく把握できていないことであった。


(食事とは、人間の生に欠かせぬ存在だ。それを作りあげるための食材の流通が、のきなみトゥラン伯爵家に牛耳られてしまうというのは……やはり、正しき姿ではあるまい)


 最近では、ダレイムで収獲される野菜の値についても、トゥラン伯爵家の支配が及んでいるのだという話が囁かれている。また、余所の領地から買いつけた食材をどのような形で流通させるかも、すべてトゥラン伯爵家の心ひとつであるはずだった。


(……存外、さまざまな領地を巡るというのも、無益ではなかったようだな)


 そんな思いを噛みしめながら、メルフリードは食事を進めることになった。


                     ◇


「ううむ、今日はいくぶん酒が過ぎてしまったな。呼びつけておいて申し訳ないが、わたしは先に休ませていただくとカミュア=ヨシュに伝えておいてくれ」


 晩餐の後、マルスタインはそんな言葉を残して、寝所に姿を消した。

 領主の護衛役でもあるメルフリードは、寝所と回廊の狭間にある応接の間で身を休めることになる。少し考えて、メルフリードは2名の《守護人》をこの場に呼びつけることにした。


「どうもどうも。本日は、俺も一緒でかまわないんですかね?」


 入室してきたザッシュマに、メルフリードは「うむ」と応じてみせる。


「明日の旅程が定まったのなら、わたしも確認させてもらいたい。ジェノス侯は就寝なされたので、静粛にな」


 カミュア=ヨシュとザッシュマは、メルフリードの向かいにある長椅子に並んで腰を落ち着けた。

 北の民のごとき風貌をしたカミュア=ヨシュと、いかにも荒事の得意そうなザッシュマである。メルフリードにはもはや見慣れた姿であるが、やはりセス伯爵家の貴族たちに気安く引きあわせられるような風体ではなかった。


「……それで、どのような旅程に定まったのだろうか?」


 メルフリードがうながすと、カミュア=ヨシュが「はいはい」と卓の上に地図を広げた。


「実はこちらも、団長殿にご確認をさせていただきたかったのですよ。ジャガルの領地に足を踏み入れるのは、やっぱり避けるべきでありましょうかねえ?」


「ジャガルの領地に? それはあまりに……遠回りになってしまうのではないだろうか?」


「ええ。残り10日の旅程が、半月ほどにのびることでしょう。しかし、もっとも安全なのはその道筋であるかと思われます」


 そう言って、カミュア=ヨシュはにんまりと微笑んだ。


「我々が受け持ったご依頼も、片道30日から40日でジェノスと王都を往復する、というものでありましたからね。遠回りをしても復路は35日ていどとなりますから、契約の範囲内でありましょう?」


「いや、しかし……ジャガルの領地では、宿を求めることも難しくなってしまうのではないか?」


「いえいえ。我々はジャガルの情勢にも通じておりますので、ご心配は無用です。宿の半分は自治区に求めることになるかと思われますが、ジェノス侯を危険にさらすことはないと保証いたしますよ」


 しばし黙考したのち、メルフリードは「いや」と答えてみせた。


「やはり、西の騎士団が通達もなしに南の領土を踏むことは避けたく思う。たとえ100名の手勢であっても、侵略行為と疑われてはのちのちが面倒だ」


「そら見ろ。いくらなんでも、ジャガルを通るのはやりすぎって言っただろ」


 笑いながら、ザッシュマがカミュア=ヨシュの腕を肘でつついた。

 カミュア=ヨシュは「あはは」と呑気な笑顔をさらす。


「でも、これがもっとも安全な道筋というのは確かだろう? ジャガルにだって無法者はいるだろうけれど、西の騎士団を襲うほどの荒くれものは、この道行きに存在しないはずだからね」


「普通だったら、どんな辺境でも100名からの騎士団が襲われることはねえよ」


「うん。普通だったら、ね」


 と、楽しそうに細められたカミュア=ヨシュの目が、メルフリードのほうに向けられた。


「だけどこちらの団長殿は、もっとも安全な旅程を組んでほしいとご所望だ。何せ、往路と復路で異なる道筋を選ぶべしという念の入れようなのだからね。……つまりは、普通以上の用心を心がけたいということなのでありましょう?」


「……こちらには侯爵家の当主と第一子息が控えているのだから、用心に用心を重ねるのは当然のことであろう」


「そう、それですよ。さすがに戴冠式ともなれば、侯爵家の当主が出向くのも相応なのでしょう。しかもこのたびは、烈火の気性と噂も名高きカイロス第一王子が玉座につくという儀であったのですからね。いずれの領地においても、領主がじきじきに参席したものと思われます」


 そんな風に言いながら、カミュア=ヨシュはいよいよ楽しげであった。


「しかし、そこに第一子息を同伴させる領主というのは、なかなかいないことでしょう。領主の身に何かあったならば、第一子息こそが新たな領主となるのですからね。こういう際には、領地に残すのが普通です」


「…………」


「つまりこれは、最初から普通のご依頼ではなかったわけです。団長殿は第一子息としてのお立場よりも、近衛兵団長としてのお立場で、領主たるジェノス侯をお守りしようと決断なさった。……それだけの危険があると、そのようにお考えであるわけですね?」


 メルフリードは小さく息をついて、椅子の背にもたれかかった。


「……それで? 貴殿は何が言いたいのであろうか?」


「我々は、皆様を安全にご案内するという依頼を受けております。何か普通でない事情がおありなら、それを把握せぬままに仕事を全うすることは難しいように思う次第でありますね」


 メルフリードは、金褐色の無精髭に覆われたカミュア=ヨシュの笑顔を、じっと見据えることになった。


「……どうやら貴殿の明敏さは、わたしの想像を超えていたようだ」


「それは、恐悦至極でございます」


「しかし貴殿らは、ここまで何事もなく仕事を果たしてくれていた。残りの旅程も10日ていどという段に至って、どうしていきなりそのようなことを申し述べてきたのであろうか?」


「それは、今こそが正念場と任じているからでありますね」


 虫も殺さぬ笑みをたたえたまま、カミュア=ヨシュはそう言った。


「盗賊団などを警戒するならば、復路よりも往路でありましょう。こちらの荷車には王都に献上するための財宝がたんまり積まれていたのですから、それこそが獲物となるはずです。それでもまあ、100名からの騎士団を襲撃できるほどの盗賊団など、そうそう存在はしませんがね。……しかし、ジェノス侯のお身柄が獲物であるならば、警戒すべきは復路です」


「……その理由は?」


「理由は、ふたつ。気のゆるみと、疲労の度合いでありますね。ジェノスから王都までは、最短で片道30日。往復でふた月の長旅です。さすがに騎士団の方々も疲れを隠せない状態でありますし、もうじき故郷に到着だという気のゆるみも否めないところでありましょう。俺が襲撃者であるのなら、旅程の残りが5日から10日となったあたりが狙い目じゃないかと思う次第でありますよ」


「…………」


「やはり団長殿は、トゥラン伯爵家の策謀による襲撃を警戒されているのでしょうかねえ?」


 今度こそ、メルフリードは大きな驚きにとらわれることになった。


「……どうしてそこで、トゥラン伯爵家の名があがるのであろうか?」


「それはまあ、ジェノス領内の勢力図を鑑みての、簡単な推察でありますね。もちろんジェノス侯の失脚を狙う人間は他にも存在するのでしょうけれども、もっとも強大な対抗勢力といえば、やはりトゥラン伯爵家でありましょう」


「……父上は、ジェノスに戻ったら貴殿に城下町の通行証を準備しようと言っていた。つまり、現在の貴殿は通行証を有していない。それでどうして、貴族間の勢力図などを察することがかなうのだ?」


「城下町に足を踏み入れることがかなわずとも、城下町を出入りする人間から話をうかがうことはかないます。もちろん通行証をいただけるなら、それに越したことはありませんけれどねえ」


 メルフリードはもう1度、今度は深く息をついてみせた。

 どうやらこのとぼけた男は、メルフリードの想定以上の器量だったようである。


「……何の証があるわけでもないのだから、トゥラン伯爵家を誹謗することはできん。しかしわたしは、最大限に用心するべきだと考えている」


「ええ。先代の護民兵団長も、何者かに暗殺されてしまいましたものね。ジェノスは平和な土地ですが、用心を怠るわけにはいかないでしょう」


「……護民兵団長の死去が、なんだというのだ? それはもう、何年も前の話であるはずだ」


「ええ。護民兵団長が暗殺され、トゥラン伯爵家の当主の弟君が、その座を受け継いだ。そうしてその御仁が新たな団長に就任するなり、《赤髭党》が討伐されてしまったのも、今は昔の話でありますね」


 とぼけた笑みをたたえながら、カミュア=ヨシュの紫色の瞳には、何か透徹した光がたたえられていた。

 老人のような幼子のような、えもいわれぬ眼差しである。


「俺がジェノスに興味を抱いたのは、その一件がきっかけとなります。あまり貴き方々にお話しするようなことではないのでしょうが……俺はいささか、《赤髭党》に縁のある身であったのですよ」


「《赤髭党》と? それは、盗賊団であろう? 護民兵団がそれを討伐することになったのは、ジェノスにまでその毒牙をのばしたゆえであるはずだ」


「ええ。護民兵団の前団長を暗殺したのも、ジェノスとの交易を計画していたバナームの使節団を襲撃したのも、すべて《赤髭党》の仕業と断じられたそうですね。……不殺の誓いを立てていた《赤髭党》が、どうしてそのような真似に及んだのか。それが俺の、疑問の出発点でありました」


 透き通った眼差しでメルフリードを見つめながら、カミュア=ヨシュはそう言った。


「そうしてちまちまと調査を進めていく内に、ジェノスの勢力図が描けるようにまで至ってしまったのですよ。仕事の合間にジェノスに立ち寄って、あれこれ話を聞いて回っただけのことなのですけれどね。それでもまあ、8年ばかりもあればそれなりの情報が積もるものです。俺としては、それなりの絵図面が描けたように自負しているのですよね」


「…………」


「あと、ついでにご指摘させていただきますと、近衛兵というのは元来、領主とその城を守るべき存在でありましょう? このような長旅の護衛役を近衛兵に命ずるのは、いささか不自然であるように思えてしまいます。……ですが、ジェノス侯爵家の方々がトゥラン伯爵家の暗躍に用心しておられるなら、当主の弟君が団長を務めておられる護民兵団に護衛役を命じないのも当然の話です」


「それで、貴殿は――」


「はい。どうやらジェノス侯はさしたる危機感を抱いてはおらぬご様子でしたので、こうして第一子息たるメルフリード殿に胸中を明かすことと相成りました」


 そう言って、カミュア=ヨシュは不思議な眼差しを保持したまま、普段通りのとぼけた笑みを口もとに広げたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ