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異世界料理道  作者: EDA
第五十四章 二つの祝宴
935/1682

北の集落の収穫祭⑦~交流~

2020.8/16 更新分 1/2

 祝宴が開始されてから、すでに半刻ぐらいは経過しているはずであったが、もちろんまだまだ宴はたけなわに向かう途上であった。

 広場では大勢の人々がひしめいて、祝宴の熱気に酔いしれている。その熱量は、いずれの氏族の収穫祭にも負けていなかった。


(まあ、勇猛で知られるザザの血族の収穫祭だもんな。活気があって、当然か)


 女衆の多くはかまど仕事に従事しているため、広場を行き交っている人間のおおよそは男衆か幼子か客人たちだ。

 他の氏族との相違点は、狩人の全員が狩人の衣を纏っていることであろう。血族ならぬ客人に関しては自由にしてよいと布告されていたものの、それが北の集落の習わしであるのならと、アイ=ファやルティムの人々も狩人の衣を装着している。


 なおかつ女衆に関しても、ルティムの家人を除く人々は宴衣装を纏っていた。

 元来、森辺において宴衣装が持ち出されるのは、婚儀の祝宴のみとなる。しかし、族長のグラフ=ザザは血族の縁が深まることを願っているので、収穫祭でも宴衣装を纏うという新たな習わしを受け入れることになったのだろう。これは、家の遠いディンやリッド、それにハヴィラやダナと絆を深める、貴重な機会なのである。


「ふふん。この夜にも、また新しい婚儀の約束が交わされるのかしらね。そうだとしても、祝宴が行われるのは雨季が明けてからになるのでしょうけれど」


 そんな風にのたまうレム=ドムは見習い用の狩人の衣を纏い、胸もとには勇士の証たる草編みの勲章を掲げている。もとより180センチ近い長身を有するレム=ドムであるので、その颯爽とした姿はアイ=ファにも負けないぐらいであった。


「そういえば、ディック=ドムとモルン=ルティムのほうは、進展はないのかな?」


 俺がこっそり問い質すと、レム=ドムは皮肉っぽく笑いながら「さあ?」と肩をすくめた。


「わたしも事あるごとにディックをつついているのだけれど、『きちんと考えている』の一点張りよ。何をどんな風に考えているのか、それを明かしなさいって話なのにね」


「うん、まあ、レム=ドムはディック=ドムの妹だから、そう言う権利もあるんだと思うよ」


 しかし俺は、押しも押されもしない部外者である。もちろん両名にそれぞれ思い入れを持つ身であるが、血族でなければ婚儀に関しては口出しも許されないのだ。


(復活祭の期間、宿場町をふたりで歩いてるときなんて、すごくいいムードだったんだけどなあ。ディック=ドムがきちんと考えてるっていうんなら、何も心配する必要はないのかもしれないけど……うーん、どうなんだろう)


 俺がそんな風に考えている間に、最初のかまどへと到着した。

 その場を取りしきっているのは、スフィラ=ザザである。鉄鍋の中身は、まだ俺たちが口にしていないタラパの煮込み料理であった。


「お疲れ様ね、スフィラ=ザザ。まだ仕事は終わらないのかしら?」


「ええ。この鍋の料理が尽きるまで、わたしの仕事は終わりません」


 スフィラ=ザザは柔和な微笑を浮かべかけたが、俺とアイ=ファの姿に気づくと、慌てて表情を引き締めてしまった。


「……ファの方々もいらっしゃったのですね。こちらの料理は如何でしょうか?」


「はい。いただけると、ありがたいです」


 スフィラ=ザザとは、かつてダレイム伯爵家の舞踏会をご一緒している。が、森辺の宴衣装を纏った姿を目にするのは、これが初めてのことである。玉虫色のヴェールをかけて、長い髪をほどいたスフィラ=ザザは、掛け値なしに美しかった。

 ただし、ルウの血族に比べると、まだしも質素な装いであろうか。要所に高価そうな飾り物を輝かせてはいるものの、それよりも花や木の実の飾り物のほうが多くの割合を占めている。どちらかといえば、小さき氏族に近い装いであるように思えた。


 実のところ、北の集落は近年まで、それほど豊かな生活に身を置いていなかったようであるのだ。

 さすがに飢えることまではなかったようだが、値の張る薬などはなかなか購入することができず、狩りの仕事における負傷や病魔などで、数多くの家人を失ってきたという。それゆえに、男女を問わず年配の人間が少ないのだという話であった。


 理由は単純明快で、真正面からギバを斬り伏せることを得意とし、また、誇りにもしていた北の集落においては、大事な毛皮がほとんど売り物にならなかったのだそうだ。

 ギバの毛皮は、角と牙の合計と同じぐらいの値段で売ることができる。それで毛皮を売り物にできなければ、手にする銅貨も半分に減じてしまうということであった。


(でも今は、毛皮を売れなくても肉を売ることができるし――それに、猟犬のおかげでギバを傷つけずに捕獲できるようになったはずだもんな)


 北の集落は、藍の月から銀の月まで、城下町に売り渡す腸詰肉やベーコンを準備する役割を担っていた。ここ最近には2頭のトトスと2台の荷車を買いつけたという話であるので、値の張る薬などはもちろんそれよりも先に買いそろえているのだろう。

 また、猟犬の利便性も十分にわきまえており、もっと数多くの猟犬を買いつけるべきという意見にも賛同を示している。それと同時に、猟犬だけに頼って修練をないがしろにしないように、自分たちをきつく戒めているのだ、と――俺は、そんな風に聞き及んでいた。


(北の集落の狩人たちは、現時点でもすごい力を持っているはずだけど、今後はそれがさらに上乗せされていくんだろうな)


 そんな風に考えながら、俺はタラパの煮込み料理を口にした。

 これもまた、臓物の料理であったようだ。適度に辛みがきいており、タラパの風味がぞんぶんに活かされている。


「ああ、ほっとする味ですね」


 俺がそのように評すると、スフィラ=ザザはけげんそうに眉をひそめた。


「こちらの料理には、チットの実を使っています。アスタは辛い料理にほっとするのですか?」


「いえ、なんというか……すごく地に足がついた出来栄えだなと思って。ザザの方々の人柄がよく表れているように思います」


 それでもスフィラ=ザザが難しい顔をしていると、同じ料理を食べていたレム=ドムが「そうね」と笑い声をあげた。


「トゥール=ディンにこの料理の手ほどきをされたのは、ずいぶん昔の話でしょう? そういう料理って、なんだか味が落ち着いているのよね。それだけの修練が重ねられてるってことなのじゃないかしら」


「ああ。そういえば、トゥール=ディンが初めて北の集落で宴料理の取り仕切りを任されたとき、タラパの煮込み料理を手掛けていたね。これは、1年以上にも渡る修練の成果というわけか」


 俺の言葉に、スフィラ=ザザはますます眉間の皺を深くした。


「……どうしてアスタが、トゥール=ディンの手掛けた料理の内容をご存じなのでしょうか?」


「当時、トゥール=ディンに味見を頼まれたのですよ。初めての取り仕切り役で、トゥール=ディンも不安だったのでしょうね」


「なるほど」と、スフィラ=ザザは口をへの字にしてしまう。

 その顔を見て、レム=ドムはまた笑い声をあげた。


「何よ。アスタがあなたより先にトゥール=ディンと絆を深めていたのが、気に食わないのかしら? しかたないじゃない。ディンの家は、ファの家の近在だったのだからね」


「べ、べつだん気に食わないわけではありませんけれど……ただ、親筋の人間としては忸怩たる思いというか……」


 と、スフィラ=ザザはいくぶん顔を赤くしながら、レム=ドムをにらみつけた。どこか、甘えるような仕草に見えなくもない。

 それで思い出したが、以前のスフィラ=ザザはけっこう熱烈にレム=ドムへと好意をぶつけていたのである。どちらも本家の家人であり、年齢も近いのだから、きっと幼少期から紡がれてきた確かな絆というものが存在するのだろう。


(そういえば、スフィラ=ザザはディック=ドムと、ゲオル=ザザはレム=ドムと婚儀をあげるんじゃないかって、そんな風潮もあったらしいしな)


 そんな思いを胸に、俺たちは次なるかまどを目指すことになった。

 が、その道行きで、アイ=ファとレム=ドムが同時に足を止めてしまう。ふたりの目は、広場の外側の薄暗がりに向けられていた。


「何か騒いでいるようね。血族ならぬ客人が関わっているなら、わたしが仲裁するべきかしら」


 レム=ドムがきびすを返してしまったので、俺とアイ=ファもそれを追いかけることにした。

 広場の外周には、ところどころにかがり火が焚かれている。その一団は、かがり火からも距離のある薄暗がりで、何やら騒いでいる様子であった。


「アンタ、いい加減にしなヨ! でかい図体でうじうじしてたら、余計にみっともないんだからサ!」


 聞き覚えのあるキイキイ声が、俺の耳にも届けられてくる。

 その場には、かつてスン本家であった4名が勢ぞろいしていた。


「いったい何を騒いでいるのかしら? ……まあ、おおよその見当はつくけれどね」


 レム=ドムが皮肉っぽい声をあげると、こちらに背を向けていたオウラ=ルティムとドッドが振り返ってきた。ツヴァイ=ルティムは不動のまま、足もとに座り込んでいるディガの姿をねめつけている。


「ほら、他のみんなにも迷惑だろお? 俺のことは、ほうっておいてくれよう」


 ディガが気弱げな声をあげると、ツヴァイ=ルティムは小さな肩をいっそう怒らせた。


「アンタがしゃきっとしてりゃあ、アタシらが騒ぐ必要もないんだヨ! いい加減にしないと、本当に蹴っ飛ばすヨ!」


「ちょっと落ち着きなさいよ、ツヴァイ=ルティム。あなたはルティムの客人で、ディガはドムの家人なのだからね。あまり騒ぐと、面倒なことになってしまうわよ?」


 レム=ドムはとりたてて深刻ぶってもいなかったが、オウラ=ルティムは申し訳なさそうに頭を下げていた。


「大事な祝宴のさなかに、申し訳ありません。決して諍いを起こすつもりはありませんので、どうかご容赦ください」


「ふふん。とりあえず、事情を説明してもらおうかしら?」


 レム=ドムはその場の全員の顔を見回してから、最後にドッドのもとで視線を固定させた。

 ディガに劣らず悄然とした面持ちのドッドは、気まずそうに語り始める。


「俺たちはただ、ディガを広場に連れ戻そうとしてただけなんだよ。でも、ディガが動こうとしないから、ツヴァイ=ルティムが癇癪を起こしちまって……」


「今は広場で騒ぐ気分じゃねえんだよう。俺なんかにかまってないで、みんなは祝宴を楽しんでくれよう」


 なんだかディガは、サイクレウスと決着をつける以前の彼に戻ってしまったかのようだった。変に間延びする口調まで復活してしまっている。

 レム=ドムは引き締まった腰に手を当てながら、「ははん」と鼻を鳴らした。


「まったく、情けないわねえ。わたしとドッドだけ勇士になったもんだから、いじけていたんでしょう? それじゃあ、ツヴァイ=ルティムが癇癪を起こすのも当然よ」


「そうだよ……俺は、情けない男なんだあ……」


 と、ディガはたちまち目を潤ませてしまった。


「やっぱり俺は、力が足りてないんだよ……ドッドとレム=ドムは、いずれ一人前の狩人として認められるんだろうけど……俺はきっと、見習いのまま魂を返すことになるんだ……」


「何を言ってるのよ。棒引きや闘技だったら、わたしたちよりもあなたのほうが強いじゃない。勇士のゲオル=ザザに負けたことが恥になるんなら、ジーンの家長だって恥さらしということになってしまうわよ?」


「でも俺は、ドッドよりもレム=ドムよりも歳をくってるのに、なんの結果も残せなかったし……」


「処置なしね。ディックかグラフ=ザザでも連れてきて、尻を蹴っ飛ばしてもらおうかしら」


 すると、無言で様子をうかがっていたアイ=ファが、ずいっと進み出た。

 オウラ=ルティムがツヴァイ=ルティムを引き寄せると、それで空いた空間に膝を折る。ディガは目をそらそうとしたが、アイ=ファはそれを許さなかった。


「こちらを見よ、ディガ。……お前はあれほどの力を見せておきながら、何を恥じ入っているのだ? それは、神聖なる狩人の力比べを愚弄する行いであるはずだぞ」


「そ、そんなんじゃねえよう……俺はただ、自分が情けないだけで……」


「いや。お前が自らを蔑むならば、それはお前に敗北した狩人たちをも蔑む行いとなるのだ。少なくとも、お前はすべての力比べにおいて、ひとたびは勝利を収めていたではないか?」


 アイ=ファの声音は、真剣そのものであった。

 ディガは涙をこらえながら、子犬のようにアイ=ファを見つめ返している。


「ダナやハヴィラの見習い狩人であれば、すべての力比べでひとたびの勝利もあげられなかった人間もいる。あやつらは、お前以上に情けない存在であるということか?」


「だ、だけどそいつらは、まだ15歳にもなっていないんだろう? 俺なんて、もう21歳になろうってのに、こんなざまで……」


「それはお前が、間違った生を歩んできたからに他ならない。それこそが、お前の贖わなければならない罪であろうが?」


 強い口調で言いながら、アイ=ファはぐっと顔を近づけた。


「お前が自分を情けないと思うのは、当然であろう。その齢で、いまだ見習いの狩人であるのだからな。よって、その苦しさを乗り越えることこそが、お前の贖罪となる。お前は罪を贖わないまま、母なる森に魂を返そうというつもりか?」


「でも……俺は、どうしたら……」


「その苦しさを、受け入れよ。受け入れた上で、胸を張るのだ」


 アイ=ファは、鋼のような声音でそう言った。

 ただ、ふたりの横合いに回り込んだ俺は、アイ=ファの厳しい眼差しにとても温かいものがまじっていることを見て取ることができた。


「21歳の狩人として、お前はまだまだ未熟であろう。しかし、森に入って2年足らずの見習い狩人としては、きわめて強い力を持っている。その事実を、正しく受け止めるのだ」


「そうよ」と、レム=ドムも声をあげた。


「わたしやドッドから見たら、あなたなんて才覚の塊よ。闘技の力比べでゲオル=ザザとあれだけの勝負をしておきながら、そんな泣き言をほざくなんて、信じ難い話だわ。そうじゃない、ドッド?」


「ああ。癪にさわるけど、俺たちの中で真っ先に狩人の証を授かるのは、ディガだろうからな」


 ドッドは泣き笑いのような表情で、ディガのもとに寄り添った。


「俺とレム=ドムは、ディガに追いつきたくて必死だったんだ。だからこそ、的当てや木登りであれだけの結果を残せたんだよ。……闘技や棒引きや荷運びじゃあ、ディガに勝てる見込みなんてありゃしないしな」


 ディガは涙に濡れた目で、かたわらのドッドを振り返った。

 ドッドは顔をくしゃくしゃにしながら、ディガの背中をばしんと叩く。


「そんなことも、言われなきゃわからねえのか? まったく、頼りねえなあ。……しっかりしてくれよ、兄貴」


 ディガは深くうつむいて、地面にぽたぽたと涙をこぼした。

 その姿をしばらく見つめてから、アイ=ファはおもむろに立ち上がる。


「では、我々は失礼する。まだ胃袋も六分目なのでな」


「あ、アイ=ファ……どうもありがとうございました」


 オウラ=ルティムが、また深々と頭を垂れた。

 その腕に取りすがったツヴァイ=ルティムは、アイ=ファを見やりながら口もとをごにょごにょとさせている。俺の見間違いでなければ、その唇は「ありがとう」の形に動いていたようだった。


 そうして賑やかなる広場に舞い戻ると、レム=ドムが小走りで追ってくる。その姿を見返して、アイ=ファは首を傾げた。


「お前は、あの場に留まらぬのか?」


「わたしが居残ったって、邪魔にしかならないでしょう。あとのことは、ドッドたちに任せるわよ」


 そう言って、レム=ドムはにっと白い歯をこぼした。


「うちの家人が、世話をかけたわね。あとでたっぷりと御礼をさせていただくわ」


「それこそ、いらぬ世話だ。同胞を正しく導くのに、氏族の別など関係なかろう」


 そんな風に言いながら、アイ=ファは俺をねめつけてきた。


「なんだ? お前も何か言いたげな顔をしているな」


「いやあ、アイ=ファは格好いいなあと思ってさ」


 目にも止まらぬスピードで、アイ=ファはぺしんと俺の頭を引っぱたいてきた。

 それでようやく、かまど巡りの再開である。

 行く手には、ずいぶんな人だかりができている。そちらに近づいていくと、輪の中心にはエウリフィアとオディフィアの姿が見えた。


「ああ、おふたりはこちらでしたか。ということは、菓子のお披露目でありますね?」


「ええ。ちょうど今、配られ始めたところよ」


 そこには簡易かまどではなく、丸太を組んだ卓が設置されていた。そこに並べられているのは、トゥール=ディンが自ら手掛けたワッチとアマンサの蒸し饅頭である。


 南の使節団を迎えた晩餐会においては、ワッチとアマンサの餡を包んだ大福餅が供されていた。これは、同じ餡をフワノとポイタンのブレンド生地で包み込んだ、蒸し饅頭であった。

 生地にも果汁が練り込まれているため、ワッチのほうは淡い朱色、アマンサのほうは淡い青紫色をしている。大きさはピンポン玉ていどであり、蒸して仕上げたものを常温で冷ましたものが供されていた。


「生地が違うだけで、こんなにも味わいが変わってくるのね。あなたも満足でしょう、オディフィア?」


 かじりかけの饅頭を大事そうに両手で持ったオディフィアは、灰色の瞳をきらきらと輝かせながら、「うん」とうなずいた。

 周囲の人々は、そんなオディフィアの様子を温かく見守っている。この半日ほどで、トゥール=ディンとオディフィアの間にどれだけの絆が結ばれているか、十分に見届けることがかなったのだろう。年齢を問わず、男女も問わず、ザザの血族の人々はオディフィアがトゥール=ディンの大事な友人であるということを認めてくれたようだった。


 ちなみにその中で見知った顔であるのは、ゲオル=ザザとゼイ=ディンのみだ。木箱の菓子を卓に並べているトゥール=ディンはもちろん至福の表情であったが、オディフィアの父親の姿が見当たらなかった。


「あの、メルフリードはご一緒ではなかったのですか?」


「ええ。ゲルドの貴人と王都の外交官を放り出すことはできないでしょうからね。今頃は、ともに広場を巡っているはずよ」


 ならば、アルヴァッハの長広舌もあまねく拝聴しなければならないということだ。俺自身はアルヴァッハにまじりけのない好感を抱いていたものの、それはなかなかに気疲れのしそうな役割であるように思えてしまった。


「そちらは、レム=ドムと一緒であったのか。俺たちの祝宴は、楽しめているか?」


 ゲオル=ザザが陽気に問いかけてくると、アイ=ファは謹厳なる面持ちで「うむ」とうなずいた。


「一族の持つ力というのは、祝宴にも反映されるものであるのだろうな。ルウの祝宴にも負けぬほどの力強さと、心地好さを感ずる」


「ほう、心地好いか」


「うむ。ザザの血族の毅然とした振る舞いは、以前から好ましく思っていた。……そちらは女衆の身で狩人を志した私のことを、疎ましく思っていたのであろうがな」


「レム=ドムの一件が片付くまでは、そうだったろうな。ファの家長が森辺の習わしを踏みにじったために、レム=ドムも乱心してしまったのだと、そんな風に考えていた人間も少なくはなかったはずだ」


 と、ゲオル=ザザは気安く肩をすくめた。


「しかし、ディック=ドムが早々にお前の力を認めていたために、そんな声も次第に聞こえなくなってきた。今日この場で、お前を疎んじる人間がひとりでもいたか?」


「いや。意外なほど、誰もが温かく迎えてくれたように思う」


「ふふん。ならばこの後も、ぞんぶんに余興を楽しむことだ」


「余興?」とアイ=ファは小首を傾げたが、ゲオル=ザザは答えずにアマンサの饅頭を口に放り入れた。

 トゥール=ディンの手によって、卓にはアマンサとワッチのロールケーキも並べられていく。俺たちもその中からお好みの菓子をひとつずつつまませていただいてから、次なるかまどを目指すことになった。

 その道行きで、アイ=ファがふっとレム=ドムを振り返る。


「レム=ドムよ、余興とは何なのだ? それもまた、古の習わしに基づくものなのであろうか?」


「さあ、どうかしらね。まあ、放っておいてもじきに始められるでしょうよ」


 悪戯小僧のように笑いながら、レム=ドムも答えようとしなかった。

 次なるかまどに到着すると、そこで働いていたのはモルン=ルティムとドムの女衆だ。さらにその場には、グラフ=ザザにダン=ルティムにガズラン=ルティムというなかなかの顔ぶれが集結していた。


「おお、アスタにアイ=ファ! どうやら反対の側からかまどを巡っていたようだな!」


「はい。そちらはグラフ=ザザとご一緒だったのですね」


 ついに5名の勇者たちも、席を離れられるようになったらしい。グラフ=ザザはギバの上顎の陰から、俺とアイ=ファの姿をじろりと見下ろしてきた。


「さきほど、ドムの家人らとルティムの家人らで騒ぎが起きていたようだが……ファの客人らに迷惑はかからなかっただろうか?」


「うむ。迷惑なことは、一切なかった」


 アイ=ファが粛然と答えると、グラフ=ザザは「そうか」とうなずいた。


「ドムの家人ディガにも至らぬ点はあったのであろうが、ルティムの家人ツヴァイ=ルティムも今少し自分の立場をわきまえるべきであろうな。あやつも粗相を許される齢ではないはずだ」


「ええ。ルティムの家長として、家人を正しく導いていきたく思います」


 ガズラン=ルティムは、悠揚迫らずそのように答えていた。

 俺にとっては物珍しい組み合わせであるが、城下町において隔月で行われる会合に毎回同席している両者であるのだ。この1年半ほどで、気心はずいぶんと知れているのだろう。


「アイ=ファにアスタ、こちらの料理も如何でしょうか?」


 と、かまどの向こうからモルン=ルティムが笑いかけてくる。

 こちらで配られていたのは、角切りのギバ・タンが練り込まれた肉団子とさまざまな野菜の炒め物だ。味付けはタウ油とホボイの油を主体にした中華風であり、敷物に腰を落ち着けていた際にも供されていたが、素晴らしい出来栄えであったのでもう一杯いただくことにした。


「これは本当に、非のうちどころのない出来栄えだよね。もしかしたら、レイナ=ルウ直伝なのかな?」


「はい。以前にルウの祝宴でかまど仕事を担ったときに、習い覚えることになりました」


 そうしてモルン=ルティムは里帰りをするたびに新たな料理を習い覚えて、北の集落に伝えているのだろう。北の集落における料理の質の向上には、トゥール=ディンの次に貢献しているはずであった。モルン=ルティムとともに働くドムの女衆らも、どこか誇らしげな面持ちである。


(昼間から思ってたことだけど、モルン=ルティムはすっかり北の集落に馴染んでるみたいだな)


 モルン=ルティムは客分の扱いであるため、宴衣装は纏っていない。なおかつ、ドムの女衆には長身の人間が多いため、小柄でふっくらとしたモルン=ルティムはひとり異彩を放っていた。

 しかし、そんな外見上の差異などまったく気にならないぐらい、モルン=ルティムの姿はこの場に馴染んでいる。ドムの女衆らがモルン=ルティムを見る目は優しげで、態度も打ち解けており、いまだ血族でないことが不思議に思えるほどであった。


「……ファの家のアスタに、聞きたいことがあったのだが……」


 と、頭上からグラフ=ザザの声が降ってくる。

 この魁偉なる族長からこのような言葉をかけられることはあまりなかったので、俺は思わず背筋をのばすことになった。


「はい、なんでしょう? 俺に答えられることであれば、なんなりと」


「そのようにかしこまる必要はない。……ゲルドの食材を使えばこの料理もさらに美味に仕上げることができるというのは、真実であろうか?」


「この料理に、ゲルドの食材ですか? そうですね……魚醤やマロマロのチット漬けという調味料や、ユラル・パにファーナという野菜などは、きっと相性がいいでしょうね。というか、似たような味付けの料理には、俺もすでにそれらの食材を使用しております」


「そうか……」とつぶやきながら、グラフ=ザザは肉団子を大きな口で噛み砕いた。


「トゥール=ディンがそのように語らっていたのだと、さきほど別の女衆から聞き及んだのだが……ううむ……」


「どうされたのでしょう? 何か問題でも?」


「料理が美味になるのなら、何も問題などはない。ただ、これほど美味なる料理にまだ改善の余地があるということが、なかなかに信じ難いのだ」


 グラフ=ザザがあまりに真剣な面持ちであったため、俺はとても和やかな気持ちになってしまった。


「もちろん好みは人それぞれですので、必ずしも味が向上するとは限りませんが……グラフ=ザザは、肉団子がお好みであるのですか?」


「……やわらかい肉ばかりを欲すれば、歯や顎を弱める結果になるとでも言いたいのか?」


「いえいえ。ザザの血族ほど厳格な氏族は他にないのでしょうから、そのような心配はしておりませんでした」


 グラフ=ザザはしばらく俺の顔をにらみつけてから、「ふん」と鼻を鳴らして新たな肉団子を頬張った。

 そこに、新たな一団がぞろぞろと近づいてくる。邪魔になるかと思ってかまどの前から退こうとすると、その内の1名がこちらに声を投げかけてきた。


「ファの家長、ルティムの家長、そしてルティムの先代家長よ。お前たちに、力比べを願いたい」


「なに?」と、アイ=ファは眉をひそめた。


「力比べとは、なんの話だ? 我々は、血族ならぬ客人だぞ?」


「わきまえている。しかし、族長グラフ=ザザも了承しているので、危惧する必要はない」


 アイ=ファは同じ表情のまま、グラフ=ザザを振り返った。

 グラフ=ザザは動じた様子もなく、「うむ」と応じる。


「親筋の家長として、俺が許しを与えた。むろん、その申し出を聞き入れるかどうかは、そちらの自由である」


「そもそも、どうして祝宴のさなかに力比べなど行おうとするのだ?」


「それが、北の集落の習わしだ。母なる森に力を示しきれなかったと感じた狩人たちは、祝宴のさなかに力を振るうことになる」


 そんな風に言ってから、グラフ=ザザは寄り集まった男衆らを振り返った。


「しかしファの家長アイ=ファは、狩人である前に女衆だ。闘技の力比べを許すことはできんぞ?」


「むろん、棒引きでかまわない。それで、おたがいの力は知れるはずだ」


 そのように申し述べたのは、ジーンの家長の長兄である。前回の勇者でありながら、今回は勇士の座も獲得できなかった人物だ。


「ファの家長は、ディック=ドムが認めたほどの狩人だ。女衆でありながら、本当にそれほどの力を身につけることがかなったのか、以前からずっと気になっていた。どうか、手合わせを願いたい」


 アイ=ファは小さく息をついてから、横目でレム=ドムをねめつけた。


「……これがお前たちの言う、余興か」


「ええ。誰も彼もがたらふく果実酒を口にしているのだから、神聖なる力比べとは別物よ。祝宴をより楽しむための余興というわけね」


 そのとき、広場の中央から「おお!」というどよめきが聞こえてきた。

 見ると、儀式の火のかたわらでドムの狩人が這いつくばっている。そのすぐ近くでグリギの棒を掲げているのは、ラッド=リッドであった。


「うむ! さすがはドムの狩人だな! しかし俺もリッドの家長として、そうそう簡単には倒されぬぞ!」


 アイ=ファたちに挑む許しが出たのなら、同じ血族であるラッド=リッドも然りなのであろう。その姿に、ダン=ルティムは瞳を輝かせていた。


「余興だろうが何だろうが、力比べだったらいくらでも受けて立つぞ! というか、俺もずっと身体が疼いてしかたなかったのだ!」


「ありがたい。……ファの家長とルティムの家長も、どうかお願いする」


 アイ=ファはがりがりと頭をかきながら、俺のほうをちらりと見やってきた。

 俺は笑いながら、アイ=ファの耳もとに口を寄せてみせる。


「行ってくればいいじゃないか。俺はここで大人しくしているから、心配はいらないよ」


「……決して、勝手に動くのではないぞ?」


 ということで、アイ=ファとダン=ルティムとガズラン=ルティム、さらにはレム=ドムも嬉々として広場の中央に向かうことになった。

 俺のかたわらに残されたのは、グラフ=ザザのみである。俺が目をやると、こちらが口を開く前にグラフ=ザザは説明してくれた。


「勇者は十分に力を示しているのだから、祝宴のさなかの力比べには加わらない習わしとなっている。行われるのが棒引きの力比べであるのなら、俺と2名の勇士には加わる資格がないということだ」


「なるほど」と、俺は納得した。

 本日は祝宴の参席者が多いので、闘技の力比べを行うスペースは確保できないのだろう。広場の中央に集まった狩人たちは、誰もが棒引きの力比べに興じていた。


 しばらくすると、アイ=ファとジーンの長兄による勝負が開始される。

 結果は、アイ=ファの瞬殺であった。

 ジーンの長兄は再戦を願ったようだが、そうはさせじと他の狩人たちがアイ=ファを取り囲む。そのかたわらでは、ダン=ルティムが高笑いを響かせながらザザの狩人を打ち倒していた。


「……もとより北の集落では、剛力でもって相手を倒すことを第一としていた。アイ=ファはもちろん、ダン=ルティムやガズラン=ルティムにかなう人間も、そうそうはいなかろうな」


 自分の血族たちが順番になぎ倒されていく姿を見守りながら、グラフ=ザザはそのように語らっていた。

 城下町の客人たちも、どこかでこの光景を見守っていることだろう。俺の愛しき家長がどれほどの力を持っているのか、アルヴァッハやナナクエムやプラティカたちに知ってもらえるのは、なんとも誇らしい限りであった。


 気づけば、ディム=ルティムやゼイ=ディン、それにディガやドッドも広場の中央に進み出ている。周囲の人々は大盛り上がりで、再び「ムーア!」の歓呼を響かせていた。


「すごいね。北の集落の収穫祭は、毎回こんな感じなのかな?」


 俺がこっそり呼びかけると、鉄鍋を攪拌していたモルン=ルティムは笑顔で「はい」とうなずいた。


「ルウの集落でも、旅芸人を招いたときにはこのような騒ぎになっていましたよね。北の集落では、これが普通であるようです」


「そっか。さすがは勇猛で知られる北の狩人だね」


 俺がそんな風に言ったとき、また新たな人影が近づいてきた。

 俺よりも先にその正体を知ったモルン=ルティムは、ぱあっと顔を輝かせる。それは、ギバの頭骨に草冠をかぶせられた、ディック=ドムに他ならなかった。

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