北の集落の収穫祭⑥~祝宴~
2020.8/15 更新分 1/1 ・9/1、9/22 誤字を修正
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それから時間は移り行き――日没である。
広場の中央に儀式の火が灯されると、ジーンの長兄の取り仕切りによって勇者と勇士を称える儀式が開始されることになった。
5名の勇者たちは丸太を組んだ壇の上に座しており、同じく5名の勇士たちはその足もとの敷物に座している。本来、勇士は10名であったが、同じ狩人が重複したためにその人数となったのだ。
太鼓は低く、どろどろどろどろ……と打ち鳴らされている。
そして血族の人々は、地を這うような重々しい声音で、歌とも詠唱ともつかない旋律を響かせていた。
宴衣装を纏った若い女衆たちは、ひっきりなしに儀式の火へと香草や木の実を放り入れている。
そのたびに、甘ったるくて青臭い香りが白い煙とともにたちのぼり、木の実の弾ける軽妙な音色が響くことになった。
ジーンの長兄が勇者の名を告げると、歓声の代わりとばかりに詠唱の声が大きな起伏を帯びる。
そして、スフィラ=ザザが玉虫色のヴェールをなびかせながら壇の上に上がって、皆と同じ詠唱を唱えながら、勇者に草冠を授けた。
これが北の集落における、勇者を称える儀式であったのだ。
俺はアイ=ファや他の客人たちとともに、神妙な心地でそのさまを見届けることになった。
的当ての勇者は、ハヴィラの長兄。
荷運びの勇者は、ジーンの家長。
木登りの勇者は、ハヴィラの家長。
棒引きの勇者は、グラフ=ザザ。
闘技の勇者は、ディック=ドム。
全員が、再び狩人の衣とかぶりものを装着している。北の狩人の3名は、頭骨や毛皮の上から勇者の草冠を授かっていた。
そして次なるは、のべ10名の勇士たちである。
的当ての勇士は、レム=ドムとダナの家長。
荷運びの勇士は、グラフ=ザザとドムの分家の家長。
木登りの勇士は、ドッドとダナの家長。
棒引きの勇士は、ジーンの家長とダナの家長。
闘技の勇士は、グラフ=ザザとゲオル=ザザ。
それらの狩人には、胸もとに小さな草のリースのような勲章が授けられることになった。複数の競技で勇士となったグラフ=ザザとダナの家長には、複数の勲章が授けられるのだ。
それらの授与が終了すると、太鼓がドラムロールのように低く連打されて、詠唱の声は闇に尾を引くようにして消えていった。
それらが完全に消え去ってから、グラフ=ザザが壇の上に立ち上がる。
「以上をもって、勇者と勇士を称える儀を終了する。ザザ、ドム、ジーン、ハヴィラ、ダナの狩人、あわせて58名、いずれもが母なる森にその力を示すことがかなったであろう」
人々は、しんと静まりかえっている。この時間は、いずれの氏族であっても厳粛な気持ちで家長の言葉を聞くものであるのだ。
「そして、初めて収穫祭をともにするハヴィラとダナの狩人らには、親筋たるザザの家長として言葉を重ねたい。……ハヴィラの家長と長兄はそれぞれ勇者の称号を授かり、ダナの家長に至っては勇士の称号を3つまでも授かることになった。また、それ以外の狩人たちに関しても、決して恥ずべき力量ではあるまい。眷族たるハヴィラとダナに確かな力が育っていることを、俺は心から得難く思っている」
「…………」
「今後もザザの血族として、そして森辺の狩人として、たゆみなく仕事と修練に励んでもらいたい。そして――西方神の子としてはどのように生きていくべきか、それはともに正しき道を探りなら、一歩ずつ進んでいきたく思う」
やはり、答える者はいない。
しかし広場には、解放の瞬間を待つ熱気がぐんぐんと内圧を高めているように感じられた。
「この後は、血族の女衆らが作りあげた宴料理で、客人たちにも喜びを分かち合ってもらいたい。……母なる森と西方神に、祝福を!」
「祝福を!」の唱和とともに、また太鼓が乱打された。
渦巻く熱気に太鼓の重々しい音色までもが重ねられて、俺は目眩を起こしそうなほどである。
そうして、収穫祭の祝宴は華々しく開始されたのだった。
「では、ルティムとファの客人はこちらにどうぞ!」
そのように呼びかけてきたのは、日中も案内役をつとめてくれた10歳ぐらいの少年であった。
勇者の壇の左右に敷物が敷かれており、俺たちはそちらに導かれていく。その途中で「おい」と声をかけてきたのは、真ん中の敷物に座していたゲオル=ザザであった。
「また森辺と城下町の客人で、敷物を分けようというのか? そやつらも、おたがいに語らいたく思っているのではなかろうかな」
「は、はい。だけど、ひとつの敷物にすべての客人を収めることはできませんので……」
「ならば、半分ずつ分ければいいのではないか? たがいに10名ていどであるのだから、それで問題はなかろうよ」
少年が目を白黒とさせてしまっているので、ゲオル=ザザは笑いながら壇上を振り仰いだ。
「と、俺はそのように思うのだが、どうであろうかな? こちらは客人をもてなす手も足りていないし、客人同士で賑わってくれれば苦労もないように思うのだが」
壇上であぐらをかいたグラフ=ザザはしばらく沈思してから、「うむ」とうなずいた。
「まずは、客人らにどちらを望むか確認するべきであろう。そのように取り計らうがいい」
「しょ、承知しました! それでは、こちらにどうぞ!」
俺たちはきびすを返して、すでに城下町の客人らが座している左側の敷物を目指すことになった。
案内役の少年がたどたどしく事情を説明すると、ポルアースが「うん、いいね」と笑顔で応じる。
「ザザの血族の方々はもちろん、ルティムやファの方々とも席を同じくできるなら、それにまさる喜びはないよ。……では、どのように席を分けましょうかね?」
「ゲルドと王都の方々に、それぞれ我々のどちらかが同伴させていただくべきであろうな」
メルフリードとポルアースの話し合いにより、ジェノス侯爵家と王都の関係者で5名、ダレイム伯爵家とゲルドの関係者で6名という配分で席を分けることに決められた。
「では、我々、あちら、移ろう」
この場ではもっとも位の高い立場でありながら、アルヴァッハたちが席を立つ。
そうして俺は、立ち上がったアルヴァッハと敷物に居残るフェルメスに、視線で挟撃されることになった。お前はどちらの敷物に腰を落ち着けるのかと、無言のままに詰問されている心地である。
「席はいつでも自由に動くことがかないます。まずは我々がお相手をいたしましょう」
ガズラン=ルティムに穏やかな笑顔を向けられると、フェルメスは名残惜しそうに微笑んだ。
「ガズラン=ルティムと絆を深められるのも、僕にとっては大きな喜びです。……アスタにアイ=ファ、またのちほど」
「はい。それでは、失礼いたします」
ということで、俺とアイ=ファはアルヴァッハたちとともに、逆側の敷物に移動することになった。ガズラン=ルティムの采配で、オウラ=ルティムとツヴァイ=ルティム、それに2名の男衆もこちらに同行する。
(ダン=ルティムが、フェルメスやメルフリードと腰を据えて語らうのか。それはそれで、気になる組み合わせだな)
そんな風に考えながら、俺は敷物に座らせていただいた。
アルヴァッハ、ナナクエム、プラティカ、それに、ポルアース、メリム、ニコラという組み合わせだ。まずは、貴族の人々と馴染みの薄いルティムの面々を紹介させてもらうことになった。
「ああ、君たちがオウラ=ルティムとツヴァイ=ルティムか。君たちのことは、ガズラン=ルティム殿から聞いているよ」
にこにこと笑いながら、ポルアースはそう言った。
警戒心をあらわにするツヴァイ=ルティムのかたわらで、オウラ=ルティムは静かに微笑む。
「はい。わたしとツヴァイは、スンからルティムに氏を移すことになりました。……わたしたちも、あなたのお名前は家長ガズランからうかがっています」
「うんうん。ガズラン=ルティム殿は、城下町で行われる会合に毎回参席しているからね」
そう言って、ポルアースはいっそう朗らかに笑った。
「あのディガやドッドといった者たちも、ドムの家で健やかに暮らしているようで何よりだよ。怠惰に過ごしていた彼らは狩人の仕事についていけずに、すぐ魂を返してしまうかもしれない――なんて、当初はそんな風に聞かされていたからさ」
調停官の補佐官であるポルアースは、もちろん会合でそういう話を逐一報告されていたのだろう。
そこでアルヴァッハが、「では――」と声をあげかける。
が、その薄い唇はすぐに閉ざされることになった。
ポルアースは、きょとんとした面持ちでそちらを振り返る。
「どうしました、アルヴァッハ殿? 何か、疑問でも?」
「否。……ディガ、ドッドなる狩人たち、かつて、家族であったのだろうか?」
アルヴァッハの問いかけに、オウラ=ルティムは「はい」と応じる。
「ディガとドッドは、このツヴァイにとっての腹違いの兄でありました。それが如何いたしましたか?」
「否。どちらも、力比べ、見事であった。森辺の狩人、力量、感服である」
どことなく、アルヴァッハは何かをはぐらかしているような雰囲気であった。
しかし、その黒い岩の彫像のごとき無表情から、内心はうかがえない。ポルアースも無理に詮索はしようとせず、「そうですね」と笑みを振りまいた。
「僕が森辺の力比べを拝見するのは2度目となりますが、本当に感服させられます。……前回の収穫祭では、アイ=ファ殿も素晴らしい成績を収めていたよねえ」
「わたくしもポルアースから話を聞いているだけで、胸が躍ってしまいました。あなたは女人でそのようにお若いのに、闘技で勇者になるほどのお力なのですよね」
メリムも笑顔で追従すると、アイ=ファはしかつめらしい面持ちのまま「いたみいる」と目礼をした。
そこに、数名の男衆が近づいてくる。あまり馴染みのない、ザザの血族の若い男衆らだ。
「失礼する。女衆らはかまど仕事で忙しいため、我々が客人のお相手をすることになった」
「これはこれは、ご丁寧に。さあ、どうぞお座りください」
男衆の数は3名で、その内の1名はザザ本家の家人である若者であった。残りの両名はかぶりものをしていないので、ダナやハヴィラの家人であろう。
俺やアイ=ファの見知った相手は、のきなみ勇者か勇士であったので、しばらくは客人のお相手もままならないのだ。それならそれで、この俺こそが潤滑油の役割を果たす所存であった。
「今日は色々とありがとうございました。みなさんのおかげで、とても充実した時間を過ごさせていただいています」
「うむ。……何か不始末はなかったであろうか?」
「不始末なんて、とんでもない。力比べの後は、またじっくりと調理の見学をさせていただけましたしね」
そんな風に言いながら、俺はプラティカやニコラのほうに視線を飛ばした。
得たりと、プラティカが一礼する。
「私、アスタ、同じ気持ちです。調理、見学、許していただき、心より感謝しています」
「わ、わたしもです。きょ、今日はありがとうございました」
ザザの若者は毛皮のかぶりものをしているため、ニコラはまたいくぶん腰が引けているようだった。この若者も、ダン=ルティムに匹敵するような巨体なのである。
そんなニコラをフォローするように、メリムがにこりと微笑を投げかける。
「こちらのニコラは、わたくしたちが暮らす屋敷の料理番であるのです。ニコラのために骨を折っていただき、わたくしも感謝しております」
「かまど仕事に関しては女衆の領分であるので、俺たちが礼を言われるいわれはないが……ただ、ひとつ問うておきたいことがあった」
と、ザザの若者は巨体を乗り出した。
「そちらのニコラとプラティカは、いずれも貴族に仕えるかまど番であるのだろう? そのような者たちが、北の集落でかまど仕事の見物をして、何か得るものがあるのだろうか?」
「無論です。でなければ、見学、願い出ません」
そんな風に答えてから、プラティカは猫のように首を傾げた。
「何か、疑問、ありますか? 質問の意図、不明です」
「いや……ファの家のアスタやトゥール=ディンの仕事を見届けたいという話であれば、まだわかるのだ。しかしそちらはトゥール=ディンのみならず、すべてのかまど番の仕事を見物していたのであろう?」
「はい。トゥール=ディン、力量、図抜けています。そして、トゥール=ディン、手ほどきされた人々、手際、見事です。一定の水準、保っている、思います」
紫色の瞳を強く光らせながら、プラティカはそう言った。
するとニコラも、意を決したように言葉を重ねる。
「わ、わたしもそのように思います。もちろん森辺の方々は、氏族によってそれぞれ熟練度に差があるのでしょうが……それでも、アスタ様のもたらした調理法を、確実に我が物にされているかと思います。その手際を拝見するだけで、わたしたちにはまたとない修練になるのです」
「そうか。……やはり北の集落よりも、他の氏族のほうが優れた腕を持つかまど番も多いのであろうな?」
「はい。普段、ファの仕事、手伝っている氏族、比較にならない、思います。また、ルウの血族、同様です」
プラティカが断固たる口調で答えると、ニコラは慌てふためいた様子でその腕を引っ張った。
ザザの若者はかぶりものの下で苦笑しながら、「いいのだ」と応じる。
「ファの近在の氏族やルウの血族は、屋台の商売のために毎日とてつもない量の料理をこしらえているという話だからな。また、ファの家のアスタに直接手ほどきをされているのだから、こちらと力の差が生じるのも当然のことであろうよ」
「なるほど。そういえばザザの血族は、最後までファの家の行いに反対していた立場であったのだよね?」
ポルアースも興味深そうに口をはさんだ。
ザザの若者はてらいもなく、「うむ」と応じる。
「我々は、古よりの習わしを重んじていたからな。1年をかけてファの家の行状を見届けたことは、今でも正しいと信じている」
「うんうん。それだけの時間をかけて確かな信頼関係を築くことができたのなら、それが何よりの話だからね」
どうやら俺が潤滑油ぶらなくとも、話題が尽きることはないようだった。
そこにまた、新たな人影が近づいてくる。今度は盆に木皿をのせた幼子たちであった。
「宴料理をお持ちしました! どうぞお召し上がりください!」
敷物の中央に、料理をのせた大皿と取り分け用の小皿が並べられていく。人々は、それぞれの流儀で喜びを表現することになった。
「いやあ、いい香りだ! これは、ぎばかつ……だけではないのかな?」
「『ギバ・カツ』と『コロッケ』と『メンチカツ』ですね。アルヴァッハたちも、『ギバ・カツ』以外は初めてではないですか?」
「うむ」と重々しく応じながら、アルヴァッハは爛々と青い双眸を光らせている。調理のさまを見学しつつ、まだ口にはしていないプラティカやニコラも、それは同様である。
3種の揚げ物は祝宴が始まってから仕上げるという段取りであったので、いずれもほかほかの揚げたてである。ウスターソースとシールの果汁も、お好みで使い分けられるように別個で準備されていた。
あとは山のような千切りティノと、石窯で焼きあげた焼きポイタン、それに『ミソ仕立てのモツ鍋』も取りそろえられている。宴料理の第一陣としては、申し分のないラインナップであった。
「こちらの『コロッケ』はチャッチが主体で、そこにギバの挽き肉とアリアのみじん切りが加えられています。『メンチカツ』のほうはギバの挽き肉が主体で、アリアのみじん切りだけが加えられているはずですね」
この場には料理を手掛けた女衆も存在しなかったので、作業工程を見届けた俺が解説することになった。
料理を取り分けているニコラの姿を笑顔で見守っていたメリムが、ふっと俺を見やってくる。
「こちらはあの、リミ=ルウが茶会で出していた菓子とは異なるのですね? たしか、くりーむ……」
「ああ、『トライプのクリームコロッケ』ですね。はい、衣は同じものですけれど、まったくの別物です」
料理の取り分けをプラティカに任せていたアルヴァッハが、「トライプ」とまた目を光らせる。
「その名、知っている。ジェノス、雨季の期間、収獲される、野菜であるな?」
「はい。雨季の野菜もご存じであられたのですか」
「うむ。買いつけ、できないこと、無念である」
それはまあ、雨季の期間にしか収穫できない食材までは、交易で扱うことも難しいのだろう。その代わりにゲルドの食材を大量に仕入れたところで、市井の人々にはそう容易く手の出せる価格ではないのだ。
「収穫量、増やす見込み、立ったならば、来年から、交易、開始される。しかし、本年、間に合わなかった。……無念である」
「そうですか。では、来年が楽しみなところですね」
ということで、まずは来年の話よりも、目前の料理である。
取り分けられた料理が手もとに供されると、アルヴァッハの関心はすみやかに移行されたようだった。
「こちら、どのように、食するべきだろうか?」
「『コロッケ』も『メンチカツ』もやわらかいので、木匙で切り分けることが可能です。後掛けの調味料は、こちらのウスターソースがおすすめですね」
アルヴァッハは粛然とした手つきで、切り分けた『コロッケ』を口に運んだ。
他の人々も、それぞれの料理に手をのばしている。最初に感想を口にしたのは、やはりアルヴァッハであった。
「チャッチ、食感、素晴らしい。また、塩気、およびピコの葉、下味、重要である。……こちら、アスタ、考案したのであろうか?」
「はい。考案したのはずいぶん前なので、北の集落でもしっかり根付いたようですね」
するとプラティカが、鋭い視線を俺に飛ばしてきた。
「『コロッケ』、『メンチカツ』、どちらも美味です。ですが、ファの家、ルウの家、これまで供されていませんでした。理由、ありますか?」
「そうですね。森辺の民は油分の摂取量を控えるため、揚げ物はあまり頻繁に食べないように心がけています。なおかつ、森辺では『ギバ・カツ』が好まれているため、『コロッケ』や『メンチカツ』の出される頻度が低いという面があるのかもしれませんね」
「なるほど! これほど美味なる料理であったら、毎日のように食べたくなってしまうものねえ」
満面の笑みをたたえつつ、ポルアースも『メンチカツ』を頬張っている。
メリムはくすりと笑ってから、ポルアースの丸いおなかをぽんと叩いた。
「あなたもこれ以上の肉をつけてしまうと、健康に不安が出てしまいますものね。どうかお気をつけください」
ポルアースはきょとんとしてから、メリムに笑いかけた。
「うん。健康には留意しようかと思うけど……このような場で言われるのは、いささか気恥ずかしいかな」
「あ、申し訳ありません! 今はお仕事のさなかであるのですよね!」
メリムは大きく目を見開いて、片方の手を自分の頬に押し当てた。
「ついつい和やかな気持ちになってしまって、自分たちの立場を失念してしまっていました。今日のわたくしは補佐官の伴侶として同行することを許していただいたのに……これでは、いけませんね」
「うん。まあ、森辺の方々はそれを非礼と咎めたりはしないだろうけれど、その分こちらが注意しておかないとね」
そんな両名のやりとりに、ザザの若者が太い首を傾げた。
「何か、非礼であったろうか? とりたてて問題はないように思うのだが」
「うん、これは城下町の習わしであるのかな。貴族というのは祝宴に招待された身で、あまりくつろぎすぎた姿を見せてはいけないものであるのだよ」
「そうか。ならば我々の関与すべき話ではないので、そちらで取り計らってもらいたく思う」
まだわずかに残されていた緊張感も、そんな言葉を交わしている間にゆるゆるとほどけていくように感じられた。
ハヴィラやダナの男衆、それにルティムの男衆らも、ぽつりぽつりと発言する。途中で新たな料理が運ばれれば、それを肴にまた盛り上がり、いっそう人々の口はなめらかになっていくようだった。
「森辺の狩人、力量、感服である。ムフルの大熊、後れ、取ること、ないであろう」
「ムフルの大熊とは、いったいどのような獣であるのだ?」
「身の丈、アルヴァッハより大きく、その爪、ひと振りで、人間の頭蓋、叩き割る。……失礼した。食事中、不相応である」
「いえいえ。僕もメリムもそれほど神経の細い人間ではありませんので、お気になさらず。……おっと、ニコラは大丈夫かな?」
「は、はい。どうぞ会話をお続けください」
「失礼した。……ともあれ、ムフルの大熊、狂暴である。しかし、ギバの脅威、劣らないのであろう。ゆえに、森辺の狩人、卓越した力、育まれたのであろうと思う」
すると、『ギバ骨ラーメン』を一心に食していたアルヴァッハが、ふっとナナクエムを振り返った。
「ナナクエム、饒舌である。我、収穫祭、参席、願い出た際、たしなめられた覚え、あるのだが」
「……べつだん、反対、していない。ただ、貴殿、暴走、食い止める、我、役割である」
「ふむ。ナナクエム、収穫祭、楽しんでいるなら、何よりである」
ナナクエムは紫色の目を半眼にしてアルヴァッハをねめつけてから、ふっとアイ=ファのほうを振り返った。
「こういう際、適切な言葉、何であったろうか?」
「ふむ? 何か不本意な言葉をぶつけられたなら、私は『やかましい』とたしなめるようにしているが」
「それである。……アルヴァッハ、やかましい」
もしかしたら狩人の力比べについては、アルヴァッハよりもナナクエムのほうがより強い感銘を受けたのかもしれなかった。
何にせよ、微笑ましい両名のやりとりである。
「お食事の最中に、失礼いたします! 客人にも、勇者たちへの祝福をお願いしてよろしいでしょうか?」
と、また例の男の子がやってきて、そのように告げてきた。
ようやくすべての血族たちの祝辞が終了したのだろう。俺たちは残りわずかであった料理をきっちり食べ尽くしてから、腰を上げることになった。
勇者たちは壇上で、勇士たちは足もとの敷物で、それぞれ宴料理を口にしている。俺たちが近づいていくと、ちょうどメルフリードらが勇士たちへの挨拶を終えて、壇上に向かうところであった。
「みなさん、本日はおめでとうございました。狩人ならぬ自分でも、血をたぎらせることになってしまいました」
俺がそのように声をあげると、見知った人々が笑顔を返してくる。ゲオル=ザザ、レム=ドム、ドッドという、北の集落では指折りで縁の深い人々だ。
アルヴァッハやポルアースたちも、口々に祝辞を述べていく。そんな中で、オウラ=ルティムはそっと娘の背中を押しやった。
「ああ、オウラ=ルティムにツヴァイ=ルティム。今日はどうもありがとうな」
ドッドは狛犬のように厳つい顔に、とても満ち足りた笑みを浮かべていた。
それを見返しながら、ツヴァイ=ルティムは「フン!」と盛大に鼻を鳴らす。
「まぐれでも何でも、アンタは勇士になったんだからネ! それに相応しい働きをして、とっとと骨のかぶりものをいただきなヨ!」
「ああ。ミダ=ルウには、ずいぶん後れを取っちまったな。オウラ=ルティムとツヴァイ=ルティム、それにヤミル=レイにもよ」
同じ表情のまま、ドッドはそう言った。
「でも、ドムの家では俺なんてまだまだだからな。しっかり足もとを固めて、一歩ずつ進んでいくつもりだよ」
「ええ。あなたたちなら、その末に健やかな行く末をつかみ取れることでしょう」
ツヴァイ=ルティムの細い肩に手を置きながら、オウラ=ルティムもやわらかく微笑んでいる。
ドッドは「ありがとよ」と応じてから、ふっと眉を曇らせた。
「ところでさ、ディガのやつを知らねえか? さっき祝福を授けに来てくれたんだけど、すぐに姿が見えなくなっちまったんだよな」
「フン! 自分だけ勇士になれなかったから、どこかで泣きべそでもかいてるんじゃないの?」
と、口では厳しいことを言いながら、ツヴァイ=ルティムは心配そうに視線を巡らせた。
オウラ=ルティムはふたりをなだめるように微笑みながら、「そうですね」と応じる。
「力比べを終えたあとも、ディガはずいぶん気落ちしているようでした。わたしたちで捜してみようと思います」
「俺も行くよ。客人たちの祝福が済んだら、勇士は自由にしていいって言われてるんだ」
そんなやりとりを横目に、俺たちは壇のほうまで歩を進めることになった。
そちらでは、いっそう勇猛な風貌をした5名の勇者たちが待ちかまえている。ハヴィラの家長もそれなりの強面であったため、威圧感と無縁であるのはその長兄のみであった。
「ザザの血族の勇者たちに、祝福を捧げさせてもらおう。族長筋の名に恥じない力量であったと思う」
こちらでは、アイ=ファが率先して声をあげた。
グラフ=ザザは、族長に相応しい風格で「うむ」と応じる。
「5氏族で行う初めての力比べであったが、俺も満足のいく内容であったと任じている。新しい取り決めに関しては、どうだったであろうか?」
「私には、何の過不足もないように感じられた。2名の勇士という取り決めに関しても、多くの氏族が見習うのではなかろうかな」
「そうか。ファの家長アイ=ファの言葉は、胸に留めさせてもらう。……この後は、自由に宴を楽しんでもらいたい」
「いたみいる」と答えて、アイ=ファは身を引いた。
それを追いかける前に、俺はディック=ドムにも声をかけておくことにした。
「ディック=ドムも、おめでとうございます。最後の勝負には、俺も胸が熱くなってしまいました」
ディック=ドムは果実酒の土瓶を握りしめたまま、無言であった。
頭骨のかぶりものが深く傾けられているので、表情もわからない。俺が困惑して立ち尽くしていると、ジーンの家長が「おい」とその肩を小突いた。
「眠っているのか? ファの家のアスタが、祝福を授けているぞ」
ディック=ドムは、ハッとしたように顔を上げた。
頭骨の陰から、黒い双眸がぼんやりと俺を見返してくる。本当に、居眠りでもしていたのだろうか。
「ああ、ファの家のアスタ。……祝福の言葉、ありがたく頂戴する」
「はい。お疲れでしょうから、ゆっくり身をお休めくださいね」
俺はほっと安堵の息をつきながら、アイ=ファの後を追うことにした。
あれだけの死闘を繰り広げていたのだから、疲れているのが当然だ。それでもディック=ドムは右手で土瓶をつかんでいたので、古傷の心配もいらなそうであった。
祝福を終えた人々は、散開を始めている。勇者たちはまだ壇上に居残るかまえであったが、勇士と客人らは自由行動と相成ったのだ。ガズラン=ルティムとダン=ルティムはすでに姿を消しており、ジェノス侯爵家の一行はゼイ=ディンの案内でこの場を離れようとしている。きっとトゥール=ディンの働くかまどに向かおうとしているのだろう。
さてさて、俺たちはどうするべきか――と、アイ=ファとふたりで立ち並んでいると、こちらに気づいたアルヴァッハが近づいてきた。
「アスタ。質問、いいだろうか?」
「はい。何でしょうか?」
アルヴァッハはわざわざ長身を折り曲げて、俺の耳もとに口を寄せてきた。
「ディガ、ドッド、オウラ=ルティム、ツヴァイ=ルティム、かつての家族、語られていたが……ザッツ=スン、テイ=スン、関係者であろうか?」
アルヴァッハは傀儡の劇を観賞しているため、ザッツ=スンやテイ=スンの名を知っているのだ。それに、森辺の状況についてもさまざまな知識を蓄えているはずであったが――それでも、ディガたちに関しては聞き及んでいなかったらしい。
「はい。ディガとドッドとツヴァイ=ルティムはザッツ=スンの孫であり、オウラ=ルティムはテイ=スンの娘となります。よって、ツヴァイ=ルティムにとってはテイ=スンも祖父になるということですね」
俺が小声で応じると、アルヴァッハは「なるほど」と身を起こした。
その青い瞳は、この場から離れつつあるツヴァイ=ルティムたちの背中を追っている。
「あの……それがどうかされたのでしょうか?」
「うむ。さきほど、話題に出す、不相応、思ったため、問う機会、待っていた」
そう言って、アルヴァッハは半分だけまぶたを閉ざした。
どこか、満足そうに微笑んでいるかのような表情だ。
「大罪人の血族、健やか、暮らしているなら、何よりである。もはや、森辺の秩序、乱れること、なかろうと思う」
だからアルヴァッハは、さきほど不明瞭な態度を見せていたのだ。
同席していた人々は、たとえそのような話題を持ち出されていたとしても、心を乱すことはなかったかもしれないが――それでも、そんな風に気づかってくれるアルヴァッハの配慮が、俺には嬉しくてならなかった。
「では、我々、かまど、巡るため、失礼する。またのちほど、語らい、願いたい」
「はい。それでは、またのちほど」
どうやらアルヴァッハはかまどを巡って、料理の感想の絨毯爆撃を開始するかまえであるようだった。
通訳の仕事を頼まれたと思しきフェルメスは、こちらに名残惜しそうな視線を向けつつ、アルヴァッハたちに追従していく。そうして気づくと、俺とアイ=ファは完全に孤立してしまっていた。
「あら、アイ=ファとアスタがほったらかしなんて、珍しいこともあるものね。これは母なる森のはからいかしら?」
と、笑顔のレム=ドムが近づいてくる。
「ゲオル=ザザは? ああ、貴族らと一緒にトゥール=ディンのもとに向かったのね。それじゃあわたしが責任をもって、ふたりを案内してあげるわ」
ということで、俺たちはレム=ドムのエスコートで熱気の渦巻く広場に繰り出す段に至ったのだった。