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異世界料理道  作者: EDA
第五十三章 四大神の子ら
928/1677

南の王都の使節団⑦~神の御業~

2020.7/27 更新分 2/2

・本日は2話同時更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

「失礼いたしますわ、ロブロス卿。シフォン=チェルの一件について、少しお話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 ロブロスは無言のまま、硝子の酒杯で口を湿した。

 リフレイアの問いかけに答えたのは、その隣に座るマルスタインである。


「その件に関しては、明日でかまわないそうだよ、リフレイア姫。何も晩餐会のさなかに、そのように堅苦しい話を持ち込む必要はなかろう」


「それほど堅苦しい話にはならないかと思いますわ、ジェノス侯。それに……この場には、ゲルドと森辺の方々がそろっているでしょう? 北の民たちの今後については、そちらの方々も小さからぬ関心をお持ちのようだから、この後の晩餐会を心置きなく楽しんでいただくためにも、このような話は早急に終わらせるべきではないかと考えましたの」


 丁寧な言葉づかいをしているためか、リフレイアは普段以上の貫禄であるように感じられた。

 しかしそれでも、13歳という若年の姫君である。いかにも貴族らしい風格に満ちみちた面々を前にして、その姿はあまりに小さく、なよやかに見えてならなかった。


「……話をしたいというのならば、それを拒む理由はない」


 と、ことさら重々しい口調で、ロブロスはそう言った。

 その光の強い目が、リフレイアとそのかたわらに控えたシフォン=チェルを見比べる。


「ただし、こちらの意向はすでに伝えている。繰り言だけは、避けてもらいたく思う」


「ええ、もちろんです。わたしは、心を改めました」


 ロブロスに負けないぐらい瞳を強く光らせながら、リフレイアは一礼した。


「シフォン=チェルは、南の王都で神を移す儀式に臨ませてもらいたく思います。どうか他の北の民たちと同じように取り計らっていただけるよう、重ねてお願いいたしますわ」


「ほう」と、ロブロスは目を細めた。


「それは、何よりの話である。では、シフォン=チェルを手もとに置くことは断念したのであるな?」


「いえ」と、リフレイアは微笑んだ。


「やっぱりその思いは、どうしても断ち切ることがかないませんでした。シフォン=チェルは南の民となったのち、再びジェノスに迎えさせていただきたく思いますわ」


「……それはならじと、日中にも伝えたように思うが?」


「はい。もちろんジャガルの方々にお手間は取らせません。そちらは当初からの予定通りに、移住の手続きをお願いいたします。そちらが滞りなく済んだのを見届けて、わたしはシフォン=チェルをジェノスに迎えさせていただきますわ」


 ロブロスはリフレイアの笑顔を注視しながら、椅子の背もたれに体重を預けた。

 リフレイアは、澱みのない口調で語り続ける。


「すべての北の民たちは、王都の方々の采配によって、それぞれの領地に送られるのですわね? ただし彼らは家も銅貨も持たない寄る辺なき身でありますので、王都の管理下にある領地で小作人として働かされる……ジャガルにおいては、奉公人と呼ばれる立場でありましたかしら?」


「うむ。トゥランで働く北の民たちはフワノとママリアの収獲について職能を得ているので、おおよそは荘園の農夫として扱われる。寝場所や食事や日用の品々――そして、移送や訓育に掛かる費用については、日々の働きから生じる賃金の中から差し引く段取りとなっている。それが、奉公人の在りようである」


「そこで規定の労働を終えた人間だけが、自由民としての資格を得るのですわね?」


「うむ。おおよそは、5年ほどの労働で自由民としての資格を得る。そののちは、住居や生業を変更するのも、当人の自由である」


「そして、奉公人が5年の間に生み出す富と同額の代価を支払えば、その身柄をお預かりすることができるのですわね?」


 リフレイアは、ゆっくりと噛みしめるようにそう言った。


「トゥラン伯爵家は、その代価を支払ってシフォン=チェルを身請しようと考えておりますの」


 ロブロスは、炯々と光る青紫色の瞳をまぶたの裏に隠してしまった。


「……リフレイア姫は、それが如何ほどの額となるか、存じておるのだろうかな?」


「ええ。さきほど、ポルアースからうかがいましたわ。おおよそは、銀貨50枚ほどであるそうですわね」


 銀貨50枚ということは、赤銅貨5万枚であるから――俺の金銭感覚でいうと、およそ1000万円にものぼるはずであった。


「確かに荘園の農夫でも、5年も働けばそれだけの富を生み出すことがかなうのでしょう。そのような価値を持つシフォン=チェルを、なんの代価も支払わずに引き取らせていただきたいなんて、どれだけ厚かましいお願いであったことか……心から恥じ入ってしまいますわ」


「……トゥラン伯爵家は奴隷を失うため、これから困窮する恐れがあると聞いている。そのような状態で、銀貨50枚を支払うことが可能なのであろうか?」


「ええ。ひとときは存亡の危機ともういうべき状況でありましたけれど、食材の流通を立て直すことができたので、わずかばかりのゆとりはありますの。今後の困窮に関しては……トルストと手を取り合って、なんとか乗り越えてみせますわ」


「……トルスト殿はリフレイア姫の後見人として、トゥラン伯爵家のすべてを取り仕切るお立場であられたな」


 まぶたを閉ざしたまま、ロブロスはそう言った。


「たかだか侍女ひとりのために銀貨50枚を費やすのが、トゥラン伯爵家にとって正しき所業なのであろうか?」


「は、はい……わたくしは、そのように考えております」


「何故に?」と、ロブロスは短く問うた。

 トルストは額の汗を織布でぬぐいつつ、「はあ……」と身を縮める。


「リフレイア姫は、トゥラン伯爵家の当主であられます。その健やかなる暮らしをお守りするのも、わたくしの役目でありますため……」


「侍女は、あくまで侍女である。侍女ごときの存在でリフレイア姫の生活が左右される恐れはないのではなかろうかな?」


「いえ……」と、トルストは弱々しく微笑んだ。


「リフレイア姫が健やかに暮らすために、こちらのシフォン=チェルは欠かせぬ存在であると……わたくしも、そのように判じた次第でございます。銀貨50枚というのは、確かに大層な代価でありましょうが……世の中には、銀貨で買えぬ安らぎというものもございましょう。それが銀貨で解決できるならば、まだしも僥倖なのではないかと……」


 すると、リフレイアが卓に額がつきそうになるぐらい、深々と頭を下げた。


「これまでの失礼な振る舞いに関しては、心よりのお詫びを申しあげますわ、ロブロス卿。やはりわたしは若年で、何も世の中が見えていなかったのです。なんの代償も支払わずに、シフォン=チェルをこれまで通り手もとに置きたいだなんて、そんな厚かましい願い出はないでしょう。……どうか、わたしがシフォン=チェルの身請人となることをお許しください」


 ロブロスは、ようやくその目を見開いた。

 そして、その目をマルスタインのほうに突きつける。


「斯様な事態に相成った。ジェノス侯の思惑通りであるな」


 マルスタインは、ゆったりとした笑顔で「ええ」とうなずいた。

 面を上げたリフレイアは、動揺した様子もなくマルスタインを見やる。


「やっぱりジェノス侯は、最初からそのような思惑であられたのね」


「うむ。リフレイア姫は、そこまで見通していたのかな?」


「見通していたというか、シフォン=チェルの非礼な行いがあっさり許されたことを、いささかいぶかしく思っていたのよ。なんの罰も与えないままに、シフォン=チェルがジェノスで働き続けることを許すだなんて、寛大というも愚かしい采配だものね」


 そう言って、リフレイアは薄く笑った。


「でも、わたしも浮かれてしまっていたのでしょうね。その寛大な采配の裏にそんな思惑があるんじゃないかと思い至ったのは、シフォン=チェルの身柄を銀貨で身請することを考えついてからとなるわ」


「ふむ。リフレイア姫が怒りにとらわれていないことを、得難く思うべきであろうな」


「……だって、わたしが世間知らずの甘ちゃんであったことに変わりはないもの」


 リフレイアは、自嘲するように目を伏せた。

 そこに、アルヴァッハの重々しい声音が響く。


「発言、許し、願いたい。……では、ジェノス侯、および、ロブロス卿、リフレイア姫、自ら、身請、願うこと、待っていたのであろうか?」


「ええ。そういうことになりますな」


「なるほど。……不可解である」


「不可解?」と、マルスタインは小首を傾げた。

 アルヴァッハは、「うむ」とうなずく。


「リフレイア姫、自ら、正しい道、見出せるか、試したこと、理解できる。また、銀貨50枚、支払う覚悟、備わっているか、試したこと、理解できる」


「では、何が不可解なのでありましょうかな?」


「ロブロス卿、そのような策謀、承諾したことである」


 アルヴァッハの深い色合いをした碧眼が、ロブロスのほうに向けられる。


「南の民、率直な気性、美点、聞いている。リフレイア姫、切なる心情、弄ぶがごとき策謀、承諾する、不可解である」


「貴殿は、我々を愚弄するつもりであるか?」


 と、腰を浮かせたのはロブロスではなく、フォルタであった。

 ロブロスは、分厚い手の平でそれを制する。


「ジェノス侯は、リフレイア姫にどれだけの正しい心と覚悟が備わっているか、それを確かめたいと願っておられた。吾輩も、北の民なるシフォン=チェルを手もとに置きたいと願うなら、リフレイア姫に相応の覚悟が必要であると考えた。ゆえに、ジェノス侯からの提案を承諾したまでである」


「そうか」と、アルヴァッハはまたうなずいた。


「我、誹謗する気持ち、皆無である。気分、害したならば、謝罪の言葉、申し述べる」


「謝罪には及ばないが、これはセルヴァとジャガルの問題となる。シムの方々には、静聴を願いたい」


 それだけ言って、ロブロスはリフレイアに向きなおった。


「さて……では、リフレイア姫はそちらのシフォン=チェルを身請する覚悟であるのだな?」


「ええ。皆様が南の王都に向かう際には、こちらの従者も同行させていただいて、然るべき相手に銀貨50枚を支払わせていただきますわ」


「我々の出立は、2日後か3日後を予定している。それまでに、銀貨を準備することがかなうのであろうかな?」


「ええ。なんとしてでも、準備してみせますわ」


 リフレイアは、粛然とした面持ちでロブロスを見返している。

 その姿をしばらく無言で注視してから、ロブロスは「うむ」とうなずいた。


「承知した。リフレイア姫の申し出を、認めよう」


「感謝いたしますわ、ロブロス卿。……でも、わたしの申し出の可否を決めるのは、シフォン=チェルに割り振られる領地の領主なのではないでしょうか?」


「否。吾輩は、王陛下に全権を託されている。このジェノスにおいてすべての可否を裁決するのは、吾輩である」


 そう言って、ロブロスは黄金の紋章がきらめく胸をそらした。


「身請の銀貨は、必要ない。そちらのシフォン=チェルは王都で神を移したのち、すみやかにジェノスへと帰還させよう。その役目を果たすのはジェノスの荷車を運ぶ兵士たちであるので、そちらはジェノス侯と話を詰めていただきたい」


「え?」と、リフレイアは目を丸くした。


「ど、どうしてですの? そのような温情は、必要ないでしょう?」


「温情ではない。奉公人として荘園に送られる以前の段階であれば、身請の代価など不要であろう。我々はリフレイア姫の真情と覚悟を確かめたかったのみであるので、すでにその用事は果たされている」


 厳格きわまりない声音で、ロブロスはそのように宣言した。


「また、このような手段で銀貨50枚もの富をせしめては、我々が吝嗇の徒と誹謗されることになろう。王都の王陛下もそのように判ずるものと、吾輩は確信している。よって、身請の銀貨を受け取ることは了承できない。それに不服があるならば、シフォン=チェルを侍女として召し抱えることを諦めるがいい」


「そんなの……不服なんて、あるはずがないですけれど……」


 そこでリフレイアは、泣き笑いのような表情を浮かべた。


「……わかりましたわ。どうあっても、わたしは無力な小娘から脱することができないのですわね」


「否。リフレイア姫の真情と覚悟には、吾輩も深く感じ入ることになった。シフォン=チェルが南の民となったあかつきには、どうか末永く幸福に過ごしてもらいたい。南の同胞として、西の友人として、吾輩も両名の息災を祈らせていただこう」


 リフレイアは内心の激情をこらえるように、きゅっと唇を噛みしめた。

 そのほっそりとした肩に、シフォン=チェルがそっと手を添える。


 今はまだ、人前で手を取り合って喜ぶことも許されないのだろう。

 しかし、シフォン=チェルが南方神に神を移せば――どのような振る舞いも許されるのだ。


 俺は満ち足りた思いで、そんなふたりの姿を見守ることができた。

 アイ=ファもまた、同じ気持ちでふたりを見守っているようであった。


「か、寛大なおはからい、感謝いたしますぞ、ロブロス殿。それに、ジェノス侯も……で、では、我々はこれにて失礼いたします」


 トルストにうながされて、リフレイアはゆっくりと立ち上がった。

 円卓の面々に深々と一礼して、きびすを返す。そして、リフレイアはさりげなく俺たちのほうに近づいてきた。


「最後まで、大人たちの手の平の上で踊らされていた気分だわ。アスタたちにも、ぶざまな姿を見せてしまったわね」


「ぶざまだなんて、そんなことはないよ」


 他の人々に聞かれぬように、俺も小声で答えてみせた。

 その瞳にうっすらと涙をたたえながら、リフレイアは「いいのよ」と微笑む。


「どんなにぶざまだって、かまいはしないわ。だって、シフォン=チェルと一緒に暮らすことが許されたのだもの。だったら、いくらだって踊ってあげるわよ」


 リフレイアの笑顔には、幼さと大人っぽさが混在しているように感じられた。

 そんなリフレイアの姿を見下ろしながら、アイ=ファも低い声で囁きかける。


「お前たちの願いがかなったことを、祝福する。ふた月もの間を離れて過ごすのは苦しかろうが、その後の幸福を思って、こらえるがいい」


 リフレイアは、びっくりしたようにアイ=ファを見上げた。

 まさか、アイ=ファからこのような言葉をかけられるとは思っていなかったのだろう。リフレイアは、アイ=ファがどのような心地で彼女たちの去就を見守っていたのかも知らないのだ。結果、リフレイアは目もとに溜めていた涙を頬にこぼすことになった。


「さ、参りましょう、リフレイア姫。控えの間にて、しばらくお気持ちを落ち着けなさいませ。……そちらであれば、余人のお目をお気にする必要もありませんからな」


 涙をこぼすリフレイアに、トルストが皺深い顔で微笑みかけた。

 リフレイアは、そんなトルストとアイ=ファと俺の姿に目をやってから、小さな声で「ありがとう」と囁き、そうして俺たちのかたわらを通りすぎていった。


 シフォン=チェルは無言のままに一礼して、リフレイアの後を追っていく。

 そのいつでも静かな面には、とても幸福そうな微笑がたたえられていた。

 おそらくは、彼女が南の王都から戻るまで、俺が再びまみえる機会はないのだろう。

 だけど、再会がかなうその日まで、シフォン=チェルの笑顔はずっと俺の心に焼きついているのだろうと思われた。


「うむ! やはり、大丈夫であったな!」


 ずっと無言で控えていたダン=ルティムが、呵々大笑した。


「では、晩餐の続きに取りかかるとするか! 俺の腹は、まだまだ半分も満たされておらんぞ!」


「そうですね」と、俺も笑顔で応じてみせた。

 すると横合いから、「アスタよ」と呼びかけられる。声の主は、ロブロスである。


「其方に、話がある。手間をかけるが、こちらに参じてもらいたい」


「はい」と、俺は円卓に近づいた。

 するとロブロスが、意味ありげな視線をマルスタインたちに突きつける。それでマルスタインは、隣のフェルメスとともに立ち上がることになった。


「では、我々は失礼する。アルヴァッハ殿とナナクエム殿も、ご一緒に如何であろうかな?」


「我、アスタ、料理の感想、届けたい、願っている」


 すると、今度はフォルタより先にロブロスが眉を吊り上げた。


「貴殿らは、まだしばらくジェノスに居座る算段であるのであろうが? この場は、吾輩に譲っていただきたい」


「うむ。しかし――」


「何も、晩餐会の終わりまでアスタを引き留めるつもりはない。それでもまだ、不服と言い張るつもりであろうか?」


「承知した」とナナクエムが立ち上がり、視線でアルヴァッハをうながした。

 アルヴァッハはいかにも鈍い動きで身を起こしつつ、俺の顔をじっと見つめてくる。


「……では、のちほど」


「はい。料理のご感想、楽しみにしております」


 アルヴァッハはナナクエムと、マルスタインはフェルメスと、そしてフォルタはデヴィアスと連れ立って円卓から離れていく。ダン=ルティムとガズラン=ルティムもすでに立ち去っていたので、後に残されたのは俺とロブロスとアイ=ファのみであった。


「私はこの場に残ることを許してもらえるであろうか?」


 アイ=ファが尋ねると、ロブロスは「うむ」とうなずいた。


「かまわんから、座るがいい。……ああ、違う。そちらではなく、こちらに座るのだ」


 ロブロスは、かつてマルスタインたちが座していた隣の席を指定してきた。

 そうして俺たちが着席すると、円卓に肘をついてこちらに向きなおってくる。何か密談でもしたいかのような格好だ。


「何でしょう? ゲルドの食材について、何かご質問でしょうか?」


「否。そちらに関しては、もはや話すべきことも残されていない。あとは、我々のもたらす食材に価値が見いだされるか否かであろう」


 そんな風に言ってから、ロブロスはすくいあげるように俺の顔を見つめてきた。


「……しかしまた、それには其方の尽力が必要なのであろうな。其方の腕でもって、南の王都の食材にどれだけの価値があるか、正しく示してもらいたく思う」


「はい。どのような食材が届けられるのか、心待ちにしております」


 そうして俺は次の言葉を待ったが、ロブロスはなかなか語りだそうとしなかった。

 俺の肩ごしにロブロスを見ているアイ=ファも、いぶかしそうに小首を傾げている。


「どうしたのであろうか? 何やら、思い悩んでいる様子だが」


「うむ……いや、何も思い悩んでいるわけではない。吾輩は、確固たる意志をもって正しき判断を下したものと任じている」


 そんな風に言いながら、ロブロスは立派な眉をぎゅっとひそめた。


「……しかし、率直さを旨とする森辺の民には、さぞかしもどかしいことであったろうな。ゲルドの貴人に対しても、リフレイア姫に対しても……どうしてこのように迂遠なやり口で真情をはかろうとするのか、其方たちには理解も及ばぬのであろう」


「いや。あなたたちの判断が間違っていたとは思わない。あなたやジェノス侯爵があえて真情を隠したことで、リフレイアはもっとも正しい道を選ぶことができたのであろうと思う」


 アイ=ファがそのように答えると、ロブロスはいっそう眉をひそめてしまった。


「……本心から、そのように述べておるのか?」


「うむ。森辺の民は、虚言を罪としている」


「そうか。そうであったな」


 ロブロスは、大きな鼻から深く息をついた。


「もちろん吾輩も、正しき手段で正しき結果を得たのだと任じている。……しかし我々とて、率直さを旨とする南の民である。このようなやり口を好んでいるわけではない」


「ふむ……?」


「己の真情を覆い隠すのは、きわめて疲弊する。相手が自分と同じぐらい率直さを旨とする人間では、なおさらにな」


 そうして、ロブロスは――もしゃもしゃの髭に半分がた隠された厳つい顔に、ちょっと照れ臭そうな笑みを浮かべた。


「また、そのように真情を覆い隠していたものだから、其方たちと同じ時間を過ごした心地がしないのだ。ジェノスに到着するまでは、其方たちと相まみえることを心待ちにしておったのにな」


「それは……傀儡の劇を目にしたゆえであろうか?」


「うむ。森辺の民というのが本当にあれほど実直で愉快な者たちであるのかと、それを確認したくてならなかったのだ」


 ロブロスの青紫色をした瞳は、今でも炯々と光り輝いている。

 しかしそこには、これまでにはなかった明るくて朗らかな光も加えられているように感じられた。


「まあ、其方たちが傀儡の劇で演じられていた通りの人間であることは、すでに証し立てられている。あの幼き傀儡使いたちは、本当に優れた手腕を有していたのだな」


「はい。リコたちはあの劇を作りあげるために、それは熱心に取り組んでいましたので」


 俺は、そのように答えてみせた。


「リコがこのようなご縁を結んでくれたことを、自分もありがたく思っていました。貴き身分であられるロブロスに、このような申し出をするのは気が引けるのですが……自分も、もっと色々な話をさせていただきたいと願っていたのです」


「あのように立派な劇の主人公であるアスタにそのように言ってもらえるのは、光栄の限りであるな」


 ちょっとおどけた様子で、ロブロスはそのように言いたてた。

 あの厳格なる仏頂面の下には、このような素顔が隠されていたのだ。


 そして俺は、ふいに天から舞い降りてきた感慨に、心をとらわれることになった。

 確かにこの縁をもたらしてくれたのは、傀儡使いのリコたちであったのかもしれないが――そもそもの発端は、ミソの行商人デルスである。北の民たちをジャガルに迎えさせるべしと最初に言い出したのは、他ならぬ彼であったのだ。


 そしてまた、アルヴァッハたちがジェノスを訪れるきっかけとなったのは、《颶風党》の襲撃だ。あの一件がなかったならば、ゲルドとの交易が始められることもなかったのだろう。


 俺がデルスと出会ったのは、去年の灰の月の半ばとなる。

 そして、シルエルの率いる《颶風党》がトゥランや森辺を襲撃したのは、その数日後だ。

 その時代の出来事が引き金となって、アルヴァッハたちとロブロスたちはそれぞれジェノスを訪れることになり――そしてついには、南の王都とゲルドの間でジェノスを介した交易が始められようとしている。その運命の妙に、俺は感銘を抱かされたのだった。


「……どうしたのだ、アスタよ?」


 と、ロブロスがいくぶん心配そうに、俺の顔を覗き込んできた。

 まだ神妙なる心地を払拭できぬまま、俺は「いえ」と笑ってみせる。


「ただ、ロブロスと出会えた喜びを噛みしめておりました。……きっとこれも、四大神の御心なのでしょうね」


「うむ。四大神は、常に我々を見守っておられる」


 ロブロスは分厚い胸もとに手をやって、厳粛なる面持ちで黙祷を捧げてから、にっと口もとをほころばせた。


「しかし、アスタにそうまで言われるのは、いささか面映ゆいところであるな。吾輩はまだ、何もありがたがられるような行いをしておらぬはずであるぞ」


「いえ。ここでこうして語らせていただけるだけで、俺はありがたく思っています」


 俺は心を偽ることなく、そのように答えることができた。

 ロブロスの言う通り、人間が神々の御心を推し量ることなど、できないに違いない。しかし、それでも――あるいは、それゆえに――その御業に感銘を受けて、心を震わせることはできるのだ。


 人智の及ばない神々の御業によって、俺はアイ=ファと出会うことができた。そして、ロブロスやアルヴァッハとも出会うことができた。その運命を、俺は心から祝福したかった。

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― 新着の感想 ―
何このおっさんかわええw
[一言] いつも読ませて頂いています。 何度も繰り返し読むくらい大好きな作品です。 これからも更新楽しみにしています。
[良い点] ロブロスがなんだか可愛く見えてしまいました。あの劇の主人公に会える!ってわくわくしてたんだろうなあ。
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