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異世界料理道  作者: EDA
第五十三章 四大神の子ら
926/1677

南の王都の使節団⑤~歓迎の晩餐会~

2020.7/26 更新分 1/1

・明日は2話同時更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。

「それでは、晩餐会の会場にご案内いたします」


 アイ=ファたちにひと息つかせる間も与えず、侍女たちがそのように申しつけてきた。

 晩餐会というのは、おおよそ日没の半刻前ぐらいに開かれるのが常であるのだが、きっとその刻限はわずかに過ぎてしまっているのだろう。こればかりは、急な申し出をしてきたロブロスたちに責任があるはずであった。

 赤みがかった石や煉瓦で造られた回廊を、侍女たちの案内で突き進んでいく。やはり俺たちの他には、回廊を行き交う人間の姿もない。


「それでは、こちらでお名前をご紹介させていただきますので、その順番でご入室をお願いいたします」


 と、扉の前ではそのように言い渡されてしまった。これは祝宴ではなく晩餐会であるのに、なかなか仰々しいことだ。

 入室の順番は、事前の打ち合わせで定められていたらしい。トップバッターは、もちろん族長のダリ=サウティであった。

 さらに、ルウ家のジザ=ルウ、レイナ=ルウ、リミ=ルウ、ルティム家のガズラン=ルティム、ダン=ルティムが続き、しんがりがファの家のアイ=ファと俺だ。


 普段の祝宴よりは控え目な歓声に迎えられて、俺たちはひとりずつ入室を果たしていく。本日の晩餐会に招かれているのは、森辺の民を除けば30名ほどであるはずだった。

 まずは主賓たる南の王都の使節団が、8名。ロブロス、フォルタ、書記官、そして5名のおそらくは武官だ。

 ジェノス侯爵家は、マルスタイン、メルフリード、エウリフィア、オディフィア。トゥラン伯爵家は、リフレイアとトルスト。ダレイム伯爵家は、ポルアースとメリム。サトゥラス伯爵家は、ルイドロスとリーハイム。それに、外務官とその伴侶も参じているはずだった。

 あとは外交官のフェルメスとオーグに、飛び入りの参加となるアルヴァッハとナナクエム。これで24名であるから、あとは俺の見知らぬ貴公子や貴婦人などが招かれているのだろう。


 かつてアルヴァッハたちが開いた返礼の晩餐会は、森辺のかまど番を除いて20名ていどの人数であったから、それよりも5割増しの人数となる。俺たちが厨を預かる城下町の晩餐としては、過去最大の規模であることに疑いはなかった。


「森辺の料理人らは、ご苦労であったな。それでは、ジャガルの使節団の方々を歓待する晩餐会を始めたく思う」


 部屋の奥に陣取ったマルスタインが、よく通る声でそのように宣言した。

 本日は、会食の形式も変則的になっている。会場のあちこちに大きな円卓が設置されているものの、決まった座席というものは存在せず、誰もが好きなように場所を移動して、お好みの料理をバイキング形式で食べていただくスタイルだ。6種の料理に限定するのも、食器を使わない料理で統一するのも、俺たちにとってはいささか負担であると伝えたところ、マルスタインがこのように取り計らってくれたのだった。


 現時点では、全員が立ち姿でマルスタインの言葉を聞いている。俺たちの準備した料理は左右の壁際にずらりと並べられており、大勢の侍女や小姓も控えていた。また、その内の何名かは盆にのせた酒杯をいそいそと配膳しており、広間の片隅に固まった俺たちのもとにも、やがて同じものが届けられてきた。


「明日にはジェノス城にて正式な祝宴を催す予定であるが、本日の晩餐会においてはすべての料理を森辺の料理人たちに手掛けていただいた。使節団の方々にも、それを歓待するために集まってもらったジェノスの諸氏にも、楽しんでもらえれば幸いである」


 そう言って、マルスタインは侍女から受け取った酒杯を高々と掲げた。


「では、ジャガルとセルヴァの友誼に祝福を」


 森辺の民のように声を張り上げることもなく、貴き人々は優雅にそれぞれの酒杯を掲げた。

 そうして晩餐会が開始されるなり、侍女のひとりが俺のもとに近づいてくる。


「アスタ様。ジェノス侯爵マルスタイン様が、使節団の方々に料理の説明を願いたいと申されています」


「承知しました」と答えてから、俺はダリ=サウティを振り返った。

 ダリ=サウティは力強く笑いながら、おどけた仕草で酒杯を掲げる。


「俺たちは、まず他の使節団の者たちと言葉を交わそうと思う。いずれそちらにも顔を出すことになるであろうから、まずは頼んだぞ」


「心得た」と、アイ=ファは厳しい表情で応じた。せっかくの宴衣装であるが、やはりアイ=ファもリフレイアたちのために、ロブロスの真情を探らねばと気を張っているのだ。

 しかしそれは、俺も同じ気持ちである。酒と料理で心を解きほぐしたロブロスたちが、日中とは異なる顔を覗かせてくれることを強く願っていた。


 そうして俺たちは侍女の案内で、広間の奥へと歩を進めたわけであるが――何歩も進まぬ内に、「おお!」という大きな声に呼び止められることになった。


「ひさしいな、アイ=ファ殿にアスタ殿! このような場で再会できたことを、心から嬉しく思うぞ!」


 アイ=ファは声のあがった方向を振り返るより早く、がっくりと肩を落としていた。


「……どうしてあなたが、このような場に参じているのだ?」


「どうしてと問われれば、招待されたからと答える他ないな! いくら俺でも、招待もされていない晩餐会に潜り込むことはできんぞ!」


 お察しの通り、それは護民兵団の大隊長たるデヴィアスであった。闘技会の祝宴以来、およそひと月ぶりの再会である。

 デヴィアスは、本日も武官の白い礼服を纏っていた。黙っていれば堂々たる武人の風格であるが、黙っていないのがデヴィアスである。デヴィアスは茶色の瞳を強く明るくきらめかせながら、宴衣装姿のアイ=ファを上から下まで見つめ回した。


「うむ、実に美しい! ただ美しいばかりでなく、狩人としての精悍なるたたずまいが、その美しさにまたとなき輝きを与えているのであろう! これだけの清らかさと艶めかしさをあわせもつ女人など、アイ=ファ殿の他には存在しないのだろうと思うぞ!」


「…………」


「ああ、うむ、容姿を褒めそやすのは、森辺の習わしにそぐわないのだったな? しかし、ひと月の時を経てそのように美しい姿を見せつけられてしまっては、なかなか口を止めることも難しいのだ。出会った瞬間についつい美しいと口走ってしまうことだけは、どうにか容赦を願えないであろうか?」


 アイ=ファが仏頂面で口をつぐんでいると、侍女が申し訳なさそうに「あの」と急き立ててきた。


「よろしいでしょうか、デヴィアス様? こちらのおふたりは、ジェノス侯のもとにご案内するさなかであったのです」


「ジェノス侯のもとということは、使節団のお歴々もご一緒だな? ならば、俺もともにご挨拶をさせていただこう!」


 その言葉で、俺は記憶巣を刺激されることになった。


「あの、デヴィアスは兵士長であるフォルタという御方と面識があるのでしょうか?」


「うむ? どうしてアスタ殿が、そのようなことを知っておるのだ?」


「ガーデルが宿場町に来てくださった際に、そのような話を聞かせてくれたのです。そのときは、名前まではうかがっていなかったのですが……」


「うむ。俺が酒杯を交わしたのは、まぎれもなくフォルタ殿だな。南の民らしい、大らかで豪気な御仁であったぞ!」


 俺はうなずき、アイ=ファの耳もとに口を寄せることになった。


「デヴィアスがフォルタと顔見知りなら、あっちも心を開きやすくなるんじゃないのかな? デヴィアスはダン=ルティムに負けないぐらい、人見知りっていう概念と無縁だろうしさ」


「……我々の心情など関係なく、どうせこやつは勝手に追従するつもりであろう」


 すると、俺たちの姿を見下ろしていたデヴィアスが「ううむ」と難しげな声をあげた。


「そうして仲睦まじく身を寄せ合っていると、いよいよ似合いのふたりであるな。同じ男児として、アスタ殿には強い羨望をかきたてられてしまうぞ!」


「……あなたはその齢になるまで、つつしみや遠慮というものを習う機会がなかったのであろうか?」


 アイ=ファはわずかに頬を染めながら、デヴィアスの顔をにらみあげた。

 デヴィアスは「おお」と額を押さえながら、わずかに上体をのけぞらせる。


「そのように頬を染めたアイ=ファ殿ににらまれると、俺はいっそう心を乱されてしまうのだ。これが分別もない若年の身であったならば、なりふりかまわず求愛してしまっていたことであろう」


「……まるで今は分別のあるような言い草だな」


「かなわぬ慕情は呑み下して、アイ=ファ殿とアスタ殿の幸福な行く末を願っているのだから、これも立派な分別ではなかろうか?」


 言葉を交わせば交わすほどに、アイ=ファの心労は募っていくようだった。デヴィアスの物言いはあまりに直線的であるために、俺まで羞恥心をかきたてられてしまう。


(でも、こういうお人だからこそ、南の民とは相性がいいんじゃないだろうか)


 そんな思いを胸に、俺たちはあらためて広間の奥を目指すことになった。

 マルスタインたちは、すでにもっとも奥まった場所にある円卓に着席していた。マルスタイン、ロブロス、フォルタ、アルヴァッハ、ナナクエム、そしてフェルメスという、豪華というも愚かしい顔ぶれである。ジェムドはフェルメスの影と化して、そのかたわらにひっそりと立ち尽くしていた。


「おお、ご苦労であったな、アスタにアイ=ファよ。……おや、デヴィアスも参じたのか」


「はい。そちらのフォルタ殿とは、以前にもご縁を結ばせていただきましたので」


 デヴィアスは、大きめの口でにっこりと微笑んだ。いっぽう、フォルタのほうはというと――何故だか、しきりに目を泳がせている。


「では、其方も着席するがいい。ちょうど席も空いているのでな」


「これはありがたい申し出です。それでは、失礼つかまつります」


 そんな風に言ってから、デヴィアスが俺の耳もとに顔を寄せてきた。


「アスタ殿、こういう場では同伴者が女人の席を引くものであるぞ」


 今日は祝宴ではないので、俺もアイ=ファの同伴者という立場ではなかったのだが――しかし、その役を余人に譲りたくはなかったので、アイ=ファの近くにあった椅子を少しばかり引いてみせた。

 アイ=ファは小首を傾げつつ、「うむ」と着席する。俺とデヴィアスは、その左右に控える格好で腰を落ち着けることになった。


「デヴィアスであれば、ロブロス殿ともゲルドの貴人らとも面識はあるはずだな。ジェノスの騎士として、貴き客人らを歓待するがいい」


「仰せのままに、ジェノス侯。南と東の貴き方々を同時に歓待する機会など、なかなかありませんでしょうからな」


 それはもちろん、デヴィアスの言う通りであっただろう。間にマルスタインとフェルメスをはさみながら、南と東の客人らは実に重々しい雰囲気を織り成していた。


「小姓には、適当に料理を運ぶように申しつけておいた。手間をかけるが、そのつど料理の説明を願いたい」


「承知いたしました。……フェルメスの口にできない料理も少なくはないでしょうが、どうかご勘弁ください」


「もちろんです。僕などのために献立の幅をせばめさせてしまったら、皆さんに申し訳が立ちませんからね」


 そうして俺たちが言葉を交わしている間も、ロブロスやアルヴァッハたちはむっつりと口を閉ざしている。アルヴァッハたちは事を荒立てまいと身をつつしんでいるのであろうが、ロブロスたちのほうは日中と変わらぬ警戒心をあらわにしていた。


「……北の民たちの移送に関しては、つつがなく段取りを進められたのでしょうか?」


 俺がそろりと切り出すと、ロブロスは「うむ」とうなずいた。


「たがいの段取りに、不備は見られなかった。ジェノスを発ってひと月ののちには、南の王都にて神を移す儀式に取り組むことができよう。残す問題は、シフォン=チェルの去就のみであるな」


「そうですか。シフォン=チェルは――」


「神を移して同胞と暮らすか、北の民のままジェノスに居残るか。出立の日までに返答をもらえれば、こちらとしても不都合はない」


 俺の追撃を封じるように、ロブロスは強い声音でそう言った。

 そして、青紫色の瞳をアイ=ファのほうへと突きつける。


「それにしても、見違えたものであるな。森辺の女人は、むやみに容姿を褒めそやしてはならんと聞いているが……そうでなければ、立場もわきまえずに浮ついた言葉を発してしまっていたところであろう」


「……いたみいる」


「其方はそういった姿で、トゥラン伯爵家の屋敷に潜入を果たしたわけであるな。これならば、豪商の息女と偽っても疑われることはなかろう。豪商どころか、貴族の姫君でも同様であったろうな」


 ロブロスは厳粛なる面持ちであったが、それでも少しはくだけた心地になっているのだろうか。もしもアイ=ファの美しさがその一助になっていたのなら、喜ばしい限りであった。

 そしてフォルタはというと、何やら首をのばしてデヴィアスに耳打ちをしている。デヴィアスが笑顔でうなずくと、ほっとした様子で椅子の背にもたれた。


(デヴィアスは、フォルタを酒場に連れ出したって話だったよな。もしかしたら、それはロブロスのあずかり知らぬことだったんだろうか)


 何にせよ、重々しい空気も少しばかりは軽妙さを得たようだ。

 あとは、俺たちの心尽くしでいっそう心を和ませることができれば幸いであった。


「失礼いたします。汁物料理をお持ちいたしました」


 と、大きな盆を掲げた侍女たちがぞろぞろと近づいてきた。

 美しい陶磁の皿に注がれた汁物料理が、円卓に並べられていく。フェルメスを除く8名には、2種の皿が届けられることになった。


「こちらはミソを使ったギバ肉の料理と、タラパを使ったマロールの料理となります」


「ほう。例の、ミソなる食材を使った料理か」


 ロブロスが、きらりと目を光らせる。そういえば、ミソの名前は昼間の会議でも挙げられていた。


「ええと、使節団の方々は、もうミソをご存じであるのですよね?」


「うむ。以前にジェノスを訪れた際にも、ジェノス城にてミソを使った料理を振る舞われることになった。しかし――」


「料理長のダイアも、当時はまだミソの使い道を考えあぐねていたのでね。ミソの魅力というものを、十全に引き出すことはできていなかったように思う」


 マルスタインが、そのように補足をしてくれた。

 まあ、ダイアというのはヴァルカスほど、目新しい食材に執着するタイプではないのだろう。何事においても、慌てずにじっくりと自分のペースで進めるのが、ダイアらしいように思えた。


 しかしそれならば、この場でミソの魅力をぞんぶんに味わってもらえるはずだ。このたびは「ジャガルの食材をふんだんに」という要請を受けていたので、俺は食材の素晴らしさがダイレクトに伝わるような料理を取りそろえたつもりであった。


 ということで、汁物料理は豚汁を模した『ギバ汁』である。具材もアリアとネェノンの他に、ジャガルの食材たるシィマ、マ・ギーゴ、ブナシメジモドキを使っている。ダイコンのごときシィマとサトイモのごときマ・ギーゴは、もとより『ギバ汁』とは相性のいい食材であった。


「ふむ。ミソというのは、タウの豆から作られていると聞いているが……タウ油よりも、タウの豆そのものと似た色合いであるようだな」


 ロブロスは厳しい表情で、『ギバ汁』を匙ですくいあげた。

 ほとんど髭に隠されている口の中に、銀色の匙がゆっくりと差し込まれていく。

 そしてその目が、日中と同じように大きく見開かれることになった。


「これは確かに……以前にジェノス城で出された料理とは、似ても似つかぬ味わいであるようだ」


「ええ。当時のダイアは、蜜や果汁で甘い料理に仕上げていましたからな。こちらのほうが、よりミソらしい味わいでありましょう」


 マルスタインの言葉を受けて、ロブロスは鋭い視線を俺に突きつけてきた。


「ジェノス侯は、このように言っておられる。その言葉に、相違はないだろうか?」


「はい。自分も煮物や焼き物の料理では甘く仕上げることが多いですが、こちらの汁物料理には砂糖なども加えておりません。ただ、具材を煮込んだ出汁にミソを投じただけの、簡素な料理となります」


「では……ミソだけで、これほどの味に仕上げることがかなうのか」


 ロブロスがあまりに真剣な目つきであったので、俺は考えつく限りの補足をしておくことにした。


「ただし、具材はすべて煮込む前に、ホボイの油で炒めています。ただ具材を煮込んだだけの状態でミソを投じたら、また少し異なる味わいになるでしょう。具材に馴染んだホボイの油が、この料理の土台を支えてくれているものと自分は考えています」


「さすがである。簡素であるゆえ、アスタ、技量、際立っている」


 アルヴァッハが、こらえかねたように発言した。『ミソ仕立てのモツ鍋』であれば屋台の料理で何度か口にしているはずであるが、不満を抱かれたりはしなかったようだ。


「こちらのマロールの汁物料理も、素晴らしい味わいです。ジャガルにおいても、マロールに似たマロリアが広く食されているはずでしたね」


 アルヴァッハの隣に座したフェルメスが、そのように声をあげてくる。それに応じたのは、フォルタのほうだった。


「うむ。王都においてもマロリア料理は定番のひとつであろう。しかし、このマロール料理は……南の王都においてもなかなか口にする機会がないほどの出来栄えであるように感じられる」


「そうですか。西の王都で暮らしていた僕も、同じ気持ちです」


 フェルメスは優美に微笑みながら、俺のほうに向きなおってきた。


「こちらの料理は、アスタが? それとも、レイナ=ルウでしょうか?」


「こちらは、レイナ=ルウの取り仕切りで完成させた料理となりますね。屋台においては、これにギバ肉を加えた料理を売りに出しています」


「うむ。なおかつ、ギバ肉、使わないこと、計算し、味、組み直しているのであろう?」


 すかさずアルヴァッハが口をはさんできたので、俺は「はい」と応じてみせた。


「屋台で出しているのは、いかにギバ肉とマロールを調和させるか、という点に眼目を置いた料理でありますからね。ただギバ肉を除くだけでは成立しなかったようで、香草の組み合わせを変更したのだと聞いています」


「素晴らしい。レイナ=ルウ、手際、見事である」


 すると、黙って2種の汁物料理をすすっていたロブロスが、じろりとアルヴァッハをねめつけた。


「……ゲルドの貴人においては、ずいぶん森辺の料理に精通しているようであるな」


「うむ。ジェノス侯爵、懇願し、昼の軽食、屋台の料理、取り寄せている」


「なに? 宿場町の屋台で売られている料理を、わざわざ取り寄せていると申すか?」


「うむ。森辺の料理、食したい、一心である」


 ロブロスが難しい面持ちで口をつぐむと、フェルメスがそちらにふわりと微笑みかけた。


「アルヴァッハ殿は、名うての美食家であられますからね。城下町と森辺においては調理の作法がまったく異なっているために、夜には城下町の料理、昼には森辺の料理と、それぞれ異なる楽しみを味わっておいでなのでしょう。……また、こうして森辺の料理人らが城下町に召されるのも、同じ理由であるかと思われます」


「うむ。さらに言うならば、ジェノスの料理は複雑に過ぎると揶揄されることも多い。ジェノスを訪れる客人らには、森辺の料理を好まれる向きも多いのではなかろうかな」


 悠揚せまらず、マルスタインも相槌を打った。


「わたしはジェノス城で生まれ育った身であるからして、ジェノス流の味付けというものが舌に馴染んでいる。然して、森辺の料理を簡素に過ぎるとは思わない。これもまた、れっきとした美味なる料理でありましょう?」


「……うむ。美味であることに、疑いはない」


 低い声音で答えつつ、ロブロスは俺に向きなおってきた。


「其方は本当に、優れた料理人であるのだな、ファの家のアスタよ。傀儡の劇を観賞した際に、どうしてジェノスの貴族たちまでもがそうまで其方の腕を褒めそやすのかと、いささか奇異に思っていたのだが……これほどの力量であるならば、何も不思議はない」


「ありがとうございます。そのように言っていただけるのは、心から光栄です」


 俺はほっと安堵の息をつくことになった。

 すると、侍女たちがさらなる料理を運び込んでくる。


「お待たせいたしました。こちらは、ポイタン料理となります」


 それは、レイナ=ルウの取り仕切りで作りあげた2種のピザであった。片方はギバの腸詰肉とプラ、もう片方はマロールとマ・プラを使い、共通の具材はタラパとアリアとマッシュルームモドキとなる。乾酪は、モッツァレラチーズのごときカロンのものを使用していた。シム産のギャマの乾酪は避けようという心づかいだ。


「僕のために、魚介の料理と対になるものを選んでくれているのかな? かまわないから、ギバ料理もどんどん持ってきておくれよ」


 フェルメスの言葉にマルスタインもうなずくと、侍女たちは恭しく一礼して引き下がっていった。

 ピザの出来栄えにも、不満の声があげられることはない。また、それがルウ家の手によるものだと説明すると、ロブロスは「ううむ」とうなることになった。


「もはや其方が関与せずとも、森辺の民はこれだけの料理を作りあげることがかなうのであるな。あのように幼いリミ=ルウですら、あれほど美味なる料理を作りあげてみせたのであるから、それも当然の話なのであろうが……」


「はい。特にルウ家には、腕の立つかまど番がそろっています。先日には、伯爵家の晩餐会でも厨をお預かりしていましたしね」


「ほう、伯爵家の晩餐会で! 城下町にいながら森辺の料理を楽しめるというのは、羨ましい限りでありますな!」


 2種のピザをあっという間にたいらげてしまったデヴィアスは、楽しそうに笑いながらそう言った。


「俺などは最近多忙の極みでありまして、なかなか宿場町に向かうこともできておらんのです。今日はひさかたぶりに森辺の料理を味わうことがかなって、心からありがたく思っておりますよ」


「……ジェノスの騎士たる貴殿も、宿場町の屋台に参じているのであろうか?」


 ロブロスの問いかけに、デヴィアスは「ええ」といっそう破顔する。


「美味なる料理に、貴賤はありませんからな。ロブロス殿もそのように考えたからこそ、森辺の料理人に晩餐会の厨をお預けしたのでありましょう?」


「否。吾輩は、ジェノス侯からの申し出を受諾したのみである」


「おや、そうであられたのですか? 使節団の方々は、森辺の民に強い関心を抱いておられると聞き及んでいたのですが……」


「であるから、ジェノス侯が我々の心情を汲んでくださったのだ」


「そうでしたか」と、デヴィアスはジャガルの蒸留酒を注がれた酒杯を掲げた。


「何にせよ、この出会いを祝福させていただきます。南の方々であれば、森辺の民と深く絆を深めることがかないましょう」


「……何故に、そのように思うのであろうか?」


「それはもちろん、森辺の民というのが南の方々に負けないぐらい、情感豊かで真っ直ぐな気性をしているためでありましょうな」


 デヴィアスがそのように答えた瞬間、ロブロスはふいっと視線をそらしてしまった。

 その様子に、デヴィアスは「おや?」とばかりに眉を上げる。しかし言葉を重ねようとはせず、黙って酒杯の中身を呑み下した。


(なんだ、今のリアクションは?)


 俺の隣では、アイ=ファもうろんげにロブロスの姿を注視している。そして俺の向かいでは、フェルメスが微笑をはらんだ眼差しでロブロスの横顔を盗み見ていた。


 ちょっと不自然な感じで沈黙が落ちそうになると、まるでそれをフォローするかのように小姓たちが近づいてくる。そちらから届けられたのは、『回鍋肉』と『マロールのチリソース』と『ギバの角煮』であった。


「おお、いよいよ主菜とも呼べるような料理が届けられたようだな」


 何事もなかったかのように、マルスタインがそのように言いたてた。

 俺もとりあえずは内心の疑念に蓋をして、料理の説明に取りかからせていただく。


「こちらの『回鍋肉』と『マロールのチリソース』には、若干ながらゲルドの食材が使われています。魚醤にマロマロのチット漬けという調味料になりますね」


 ロブロスとフォルタは、そろって眉をぴくりと動かすことになった。

 しかし、ゲルドの食材を使うべしと言いたてたのは、そちらのほうである。もともとマロールは乳脂ソテーのために準備していた食材であるし、『回鍋肉』に魚醤やマロマロのチット漬けを使う予定もなかったのだ。


 ロブロスは、厳粛なる面持ちでそれらの料理を食していく。

 そののちに、俺の顔をじろりとねめつけてきた。


「……こちらのほいこーろーという料理はタウ油を主体にしているように感じられるが、そこに入り混じっている風味がゲルドの食材からもたらされるものであるのか?」


「はい。それがおそらく、魚醤とマロマロのチット漬けの風味でしょう。他にも砂糖やホボイの油なども使っていますが、それらの食材はお馴染みでありましょうからね」


「……こちらのマロールの料理にも、馴染みのない風味が入り混じっているようであるな」


「それも同じく、魚醤とマロマロのチット漬けでありますね。主体はタラパからこしらえたケチャップという調味料になりますが、ゲルドの食材がより深みを与えてくれているかと思います」


 ロブロスたちの反応は、明らかに鈍くなっていた。

 その末に、フォルタが「ふん」と鼻を鳴らす。


「自分はこの、タウ油で煮込まれたギバ肉の料理こそがもっとも美味であるように感じられる。タウ油と、砂糖と、それにケルの根も使われているようであるな」


「はい。『ギバの角煮』は、宿場町でも人気の料理となりますが……」


「南の恵みでこれほどの美味なる料理を作りあげるファの家のアスタに、敬意を表したい。王都においても、これほど立派な料理は稀であろう」


 それはありがたいお言葉であったが、ゲルドの食材を使っていないほうが上等であると言いたてられているような心地である。

 俺がそんな風に考えていると、デヴィアスも「まったくですな!」と大きな声をあげた。


「しかし自分は、このほいこーろーという料理も捨て難く思います。ゲルドの食材を使っていないという料理と食べ比べることによって、その違いがいっそう歴然とするのでしょうかな。どちらが上というわけではなく、どちらも素晴らしい味わいだと思えるのです」


 フォルタよりも早く、アルヴァッハが「うむ」と反応した。


「タウ油と魚醤、相性、素晴らしい。またとなき、調和であろう。似ている部分、似ていない部分、双方、調和、もたらしている。まるで、兄弟さながらである」


「…………」


「ゆえに、我々、ジャガルの食材、欲している。今後、買いつけること、承諾、得られるであろうか?」


「……それに関しては、もうしばし時間をもらいたく思う」


 ロブロスは、厳しい面持ちでそのように応じた。

 そして、また俺のほうに鋭い眼光を突きつけてくる。


「これらの料理では、ゲルドの食材の如何を定めることが難しい。ゲルドの食材を主体にした料理も準備されているのであろうな?」


「はい。料理の種類も残りわずかですので、そろそろ運ばれてくる頃合いであるかと思いますが……」


 俺がそんな風に答えたとき、横合いから小姓ならぬ人々が近づいてきた。ダリ=サウティとリミ=ルウの、異色のコンビである。


「失礼する。南の方々に挨拶をするには、まだ早かっただろうか?」


「族長ダリ=サウティか。いや、其方とも言葉を交わしたく思っていた」


 そのように応じたロブロスが、俺とアイ=ファとデヴィアスの姿を見回してきた。


「今後の料理の説明は、リミ=ルウに願おうと思う。其方たちは、ご苦労であったな」


 口答えなどとうてい許されなそうな、強い声音と口調である。

 アイ=ファは数秒だけロブロスの顔を見返してから、貴婦人のようにふわりと立ち上がった。


「承知した。またのちほど言葉を交わさせてもらえればありがたく思う」


「えー、アイ=ファは行っちゃうの?」


 さびしそうな顔をするリミ=ルウの頭を、アイ=ファは優しい仕草で撫でた。


「晩餐会は、まだ始まったばかりであろう。南の客人らのお相手をよろしく頼むぞ、リミ=ルウよ」


 リミ=ルウはたちまち笑顔となって、「りょうかーい!」と右腕を振り上げた。

 そうしてリミ=ルウとダリ=サウティに席を譲って、俺たちは賑やかな広間の中央に舞い戻る。その行き道で、デヴィアスは「ふーむ」と首を傾げた。


「どうも使節団の方々は、以前と様子が違っているようだな。何か心労でも抱えているのだろうか」


「……やはり、そうなのか?」


 アイ=ファが鋭く問い質すと、デヴィアスは気安く「うむ」と応じた。


「ロブロス殿は南の民らしく一徹な気性であられたが、ああまで気難しげではなかったはずだ。フォルタ殿も、以前の豪放さがすっかりなりをひそめてしまっているし……やはり、ゲルドの貴人らを前にしているために、気を緩めることがかなわないのであろうかな」


「どうであろうな。我々は、あの者たちがゲルドの貴人らと同席している姿しか見ていないので、それを判ずるすべがない」


「そうか」とうなずいてから、デヴィアスはふいに口をほころばせた。


「と、このようにアイ=ファ殿とつつがなく言葉を交わせるのは、またとなき喜びであるな。その鋭い眼光にも、また胸をかき乱されてしまいそうだ」


「……では、我々は失礼する」


「いやいや、晩餐会はこれからではないか! またしばらくは会えぬ日々が続くのであろうから、アイ=ファ殿の麗しき姿をじっくり目に焼きつけておきたく思うぞ!」


 そんなデヴィアスの言葉を聞きながら、俺たちは次に対話をするべき相手を探し求めることになった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 「……こちらのほいこーろーという料理はタウ油を主体にしているように感じられるが、そこに入り混じっている風味がゲルドの食材からもたらされるものであるのか?」 回鍋肉って味噌が主体の料理…
[一言] ふと、メイトンと同じようなことを思っていたりして?と思いついてしまいました。
[一言]  ロブロス卿の言動に、何処か奥歯に物が挟まった様な部分が伺えますが……その原因が何か気になります。  本当はシフォン=チェルやゲルドの問題も二つ返事で了承したいけど、本国の意向で了承出来ない…
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