南の王都の使節団④~下準備~
2020.7/25 更新分 1/1
ほどなくして、会議堂における会談は終了を告げられることになった。
西と南の貴き人々は引き続き、北の民たちの移送に関して話を詰めるのだそうだ。アルヴァッハやナナクエムとは別の扉から退席させられた俺たちは、兵士の案内で会議堂の外を目指すことになった。
「ジザ=ルウよ、ひとつ確認しておきたいのだが」
と、その道行きでダリ=サウティがジザ=ルウに呼びかける。
「ガズラン=ルティムばかりでなく、ダン=ルティムまで晩餐会に参席させようと考えたのは、如何なる理由からなのであろうか?」
「うむ。族長たるダリ=サウティを差し置いて、勝手に話を進めてしまったことを、申し訳なく思っている」
「ジザ=ルウはドンダ=ルウの代理としてあの場にいたのだから、そのようなことを気にする必要はなかろう。……それで、どうなのだ?」
「ダン=ルティムは相手の身分に関わりなく、絆を深めることを得手としている。その特性をもって、南の貴族たちの真情を暴いてもらいたく願っているのだ」
「南の貴族たちの真情か」と、ダリ=サウティは不敵に微笑んだ。
「確かにあの者たちは、どこか真情を覆い隠しているように感じられる。貴族としての立場が、そうさせているのであろうかな」
「うむ。事によると、虚言を口にしている可能性すらあろう。そのような者を信頼することは難しく思う」
表情だけは普段通りの穏やかさを保ちながら、ジザ=ルウはそう言った。
「こうして顔をあわせたからには、正しい絆を結ぶべく、力を尽くすしかあるまい。そのために、ガズラン=ルティムとダン=ルティムの力を借りたく思う」
「うむ。その両名がこの場に参じていたのは、森と西方神の導きであろうかな。まったく、心強いことだ」
そんな一幕を経て、俺たちはトトス車に乗り込むことになった。
会議堂から向かう先は、かつてアルヴァッハたちの返礼の晩餐会でも使用することになった、『紅鳥宮』なる小宮だ。
まずは浴堂で身を清め、立派な厨まで出向いたのちに、あらためて他のメンバーたちに事情を説明する。護衛役の面々にはアイ=ファとジザ=ルウたちが、そしてかまど番たちにはこの俺が、晩餐会にまつわるあれこれを伝えることになった。
「アスタやレイナ=ルウたちは、晩餐会に参席することになってしまったのですか。それはずいぶん……急な話ですね」
ユン=スドラやトゥール=ディンなどは、すっかり目を丸くしてしまっていた。
いっぽうレイナ=ルウは、きゅっと眉を吊り上げてしまっている。
「それに加えて、献立の変更まで申しつけられてしまったのですね。しかも、作る分量まで増やされてしまうというのは……あまりに急な申し出なのではないでしょうか?」
「うん。でも、それでゲルドとの交易を前向きに考えてもらえるなら、俺たちにしてもありがたい話なんじゃないのかな」
「それはもちろん、そうなのでしょうけれど……だけどやっぱり、なんだか横暴であるように感じられてしまいます」
本日は、ファの家とルウの家でそれぞれ分担して料理を準備する手はずになっている。つまりは、俺とレイナ=ルウの両名が、それぞれの家の取り仕切り役であるのだ。そういった立場から生じる責任感が、レイナ=ルウをいっそう憤慨させているようだった。
なおかつレイナ=ルウのかたわらでは、ララ=ルウも難しい顔で腕を組んでいる。ルウ本家の猛き姉妹たちをなだめるために、俺は言葉を重ねてみせた。
「そもそも今回は、何もかもが急な話だったからね。ジェノスに到着するまでは、ジャガルのお人らもこうまでややこしい話になるとは考えてなかったんだろうしさ。それでもって、2日後か3日後にはジェノスを出立しないといけないらしいから、色々と慌ただしくなっちゃったんじゃないのかな」
「そうだね」と同意を示してくれたのは、意外にもララ=ルウのほうであった。
「それにその連中は、リコたちの劇を見て森辺の民への興味がいっそうふくれあがったって言ってるんでしょ? それでこうやって、森辺の民の料理を食べたがったり、晩餐をともにしたいとか思ったりしたんなら、それは悪い話じゃないんじゃないのかな」
「うん、まあ……そうなのかなあ……」
「きっとそーだよ。それって、リコたちが新しい絆を深めるきっかけを作ってくれたってことじゃん。それに、ゲルドの連中やシフォン=チェルって娘もさ」
そう言って、ララ=ルウはにっと白い歯を見せた。
「ゲルドの連中は、ルウともファとも縁が深いじゃん。あいつらのために料理を作るのは、別に嫌なことじゃないでしょ? それを命じたのが見知らぬジャガルの貴族でも、結果的には悪い話じゃないと思うよ」
レイナ=ルウは、ちょっとすねたような面持ちで妹の笑顔を見返した。
「なんか、ララに諭されるって変な気分だね。ついこの前まで、わたしが諭すばっかりだったのに」
「へっへー。あたしだって、いつまでも子供じゃないからねー!」
もともとララ=ルウはレイナ=ルウよりも背が高かったが、ここ最近でさらにその差が開いたように感じられる。14歳のララ=ルウは、まだまだ成長の盛りであるのだ。
しかしララ=ルウは、外見よりも内面が成長を遂げているように感じられた。ダルム=ルウとヴィナ・ルウ=リリンが立て続けに婚儀をあげて家を出たことが、ララ=ルウに成長をうながしたのだろうか。
「とにかくさ、レイナ姉は美味しい料理を作ることに集中してよ! なにか面倒なことが起きたら、あたしが代わりに怒っておくから! かまど仕事の取り仕切りだけは、誰もレイナ姉にかなわないからねー!」
「それじゃあわたしが、かまど仕事しか取り柄がないみたいじゃん」
と、子供っぽくすねながら、レイナ=ルウも気持ちを切り替えた様子であった。
そうとなれば、メニュー変更の打ち合わせである。ララ=ルウの代わりにトゥール=ディンを呼び寄せて、俺たちは緊急会議を開くことになった。
「もともと予定していた料理にゲルドの食材を追加するのは問題ないとして、やっぱりゲルドの食材を主体にした献立も準備するべきだよね。ファの家と、ルウの家と、あとは菓子で1種類ずつ準備すれば、まあ十分かな」
「はい。新しい献立を追加する分、もともとの献立を削るのですよね?」
「うん。じゃないと、さすがに時間も作業場も足りないだろうからね。さっきもいきなりクリームシチューを作ることになっちゃったけど、ギバ肉の量に不足はないかな?」
「はい。ギバ肉は多めに持ち込んできたので、問題はないかと思います。ただ、チャッチの粉はいささか足りなくなるかもしれません」
「そ、それじゃあ新しい菓子を追加する分、チャッチもちを取りやめましょうか? 使節団の方々はもうチャッチもちを食べてしまったので、目新しさもなくなってしまうでしょうし……」
「そうだね、それでいこう。俺は汁物料理を追加しようかと思うんだけど、ルウ家ではどうする?」
「アスタが汁物料理なら……こちらはやはり、シャスカ料理でしょうか。ゲルドからはシャスカもたくさん買いつけているので、相応しいように思います」
そうして新しい献立が決定したならば、お次は不足しそうな食材のチェックである。もともと森辺の面々は、宴料理と同時に自分たちの晩餐もこしらえるつもりであったのだが、その内の8名までもが晩餐会に参席するとなると、すべての宴料理を均等に増量しなければならなくなるのだ。
不足しそうな食材と、いきなり使用することになったゲルドの食材は、小姓たちに調達をお願いする。もちろん貴族に忠実なる彼らは、不満の表情を浮かべることなくその仕事に取り組んでくれた。
それでようやく、下ごしらえの開始である。今はまだ下りの一の刻の半ていどであったので、何も慌てる必要はないように思えるが、それでも前日に組み立てた作業手順にはあれこれ変更が必要であるので、気をゆるめることはできなかった。
「不慮の事態、苦労、偲ばれます。……しかし、不慮の事態、乗り越える姿、拝見できること、得難く思います」
壁際にひっそりとたたずんでいたプラティカが、誰にともなくつぶやいた。アルヴァッハたちの参席が決定されるとともに、ようやく彼女の厨の見学も了承を得られることになったのだ。きっとアルヴァッハたちがロブロスの意に染まぬ相手であったなら、どちらの話も立ち消えになっていたのだろう。
(ってことは、ゲルドとの通商についても前向きに考えてるってことだよな。シフォン=チェルの一件についても、前向きに考えてくれるといいんだけど……)
しかしまずは、全力で目の前の仕事に取りかかるしかないだろう。
晩餐会には、リフレイアも参席する予定であるのだ。きっとリフレイアはロブロスを説得しようと考えているのであろうから、俺としても何とか力になりたかった。
「そういえば、今日はオディフィアも参じるのでしょう? トゥール=ディンは参席できすに、残念でしたね」
遠からぬ場所で、レイ=マトゥアがそのように声をあげていた。
それに対して、トゥール=ディンの「いえ」というひかえめな返事が聞こえてくる。
「もともとわたしは、晩餐会に呼ばれる立場ではありませんでしたし……ただ、最後に挨拶だけでもさせていただけたら、それで十分です」
「あー、北の集落の収穫祭にも、オディフィアが来てくださるんでしたっけ? それに、ゲルドのお人らが帰るときには、また城下町で晩餐会が開かれるのですよね!」
「はい。茶の月の間にこれだけオディフィアとお会いできるのですから、とても文句を言う気持ちにはなれません」
そのように語るトゥール=ディンの声には、確かに温かい喜びの感情が込められているように感じられた。
貴族と森辺のかまど番という身分を超えて、ふたりの間には確かな絆が結ばれているのだ。それは否応なく、俺にリフレイアとシフォン=チェルの関係を思わせてやまなかった。
リフレイアとシフォン=チェルは、主人と侍女である。さらに言うなら、貴族と奴隷である。それほど掛け離れた身分をも超えて、両者に絆が芽生えたというのなら――なんとかそれは、正しい形で成就してもらいたかった。
(シフォン=チェルが奴隷のまま、リフレイアのそばに仕えるか……あるいは、友としての絆を結んだ上で、遠いジャガルの地で暮らすか……今となっては、どっちも納得はいかないよなあ)
何せシフォン=チェルは、兄や同胞と離れて暮らす覚悟を固めてまで、リフレイアのそばにあることを選んだ身であるのだ。そんな覚悟を打ち捨ててまで、別の生き方を選ばなければいけないというのが、俺にはどうにも我慢がならなかったのだった。
(まあ、俺があれこれ思い悩んだってしかたないしな。晩餐会の間に、なんとかリフレイアたちの心情を聞かせてもらおう)
俺がそんな風に考えたとき、「なんと!」という大きな声が聞こえてきた。アイ=ファとともに厨の内部で護衛の役を果たしていた、ラヴィッツの長兄の声である。
「それではけっきょく、お前とアスタも晩餐会とやらに加わることになってしまったのか? それはずいぶんと、急な話だな!」
あちらでは、ようやく話がそこまで至ったらしい。俺などは調理の仕事があったので、晩餐会にまつわる話しか伝えることができなかったが、アイ=ファは会談の内容を余さず伝えていたのだろう。
ラヴィッツの長兄は苦笑を浮かべつつ腕を組んでおり、モラ=ナハムはその隣で黙然と立ち尽くしている。今日は作業時間が長いので、アイ=ファを除く狩人たちはローテーションでポジションを変更する段取りであったのだ。今頃は、扉の外でもジザ=ルウたちが残りの面々に事情を通達しているはずであった。
「で? 城下町における祝宴というのは、どのような内容でも宴衣装で臨むものであるのだろう? 集落まで、宴衣装を取りに戻るのか?」
「そのような時間はないし、貴族たちも城下町の宴衣装を纏うように望んでいた。放っておいても、以前に纏わされた宴衣装を準備されてしまうのであろう」
「城下町の宴衣装か! お前がどのような顔でそんなものを纏うのか、いささか気になるところだな!」
すると、俺のかたわらで調理刀を振るっていたフェイ=ベイムが、「あの」と尖った声をあげた。
「申し訳ないのですが、もう少しだけ声を落としていただけますでしょうか? わたしたちは、決して失敗の許されない仕事に取り組んでいるさなかであるのです」
フェイ=ベイムも時間を空けずに2度目の参戦と相成ったが、やはりどこか張り詰めたものが残されているのであろう。そうでなくとも、生真面目で思い詰めるタイプであるのだ。
ラヴィッツの長兄は、「おお、すまなかったな」と気安く応じる。そしてその隣では、モラ=ナハムがゆらりと巨体を蠢かせることになった。
「申し訳なかった……俺も注意をしておくので、どうか容赦を願いたい」
フェイ=ベイムは、四角い顔をたちまち赤らめてしまう。
「わ、わたしはそちらの御方にお願いをしたのです。いくら血族といえども、あなたが言葉を重ねる必要はないのではないでしょうか?」
「しかしナハムは、ラヴィッツの子となる……親たるラヴィッツの罪は、ともに分かち合うべきであろう」
モアイを思わせる無表情のまま、モラ=ナハムはそのように言いつのった。
ラヴィッツの長兄は、頭ふたつ分ぐらいも大きなモラ=ナハムの巨体をけげんそうに見上げている。
「お前は何を、くどくどと言葉を重ねているのだ? それではベイムの女衆に不興を買うのも当然であろうよ」
「最初に不興を買ったのは、お前だ……いいから、口をきくなら声を落とすがいい」
どうやらラヴィッツの長兄も、モラ=ナハムとフェイ=ベイムの間に存在する微妙な関係性までは知らされていない様子であった。
家も遠く、なかなか絆を深める機会も得られない両者であるが、休息の期間ではモラ=ナハムもしょっちゅうファの家を訪れていた。そうして細々と、フェイ=ベイムとの絆を紡いでいたのだ。
また、収穫祭を目前に控えた北の集落には、いまだモルン=ルティムが滞在している。このまま雨季が終わってしまえば、その滞在期間も1年を迎えてしまうはずだった。
復活祭の間には、ディック=ドムもルティムの集落に滞在し、モルン=ルティムとの絆をいっそう深めたように思うのだが――いまだ、婚儀をあげる決断は下せないのであろうか。
モラ=ナハムとフェイ=ベイム、ディック=ドムとモルン=ルティム――それに、ジョウ=ランやユーミだって、周囲から手放しで歓迎されることのない相手と絆を深めようとしている。さらに言うならば、狩人の身であるアイ=ファに懸想する俺だって、それは同じようなものなのかもしれなかった。
(人が人を想う気持ちに、身分なんて関係ない。そしてそれは……法や掟や習わしに負けないぐらい、大事なことであるはずだ)
俺は、そんな風に考えていた。
聖域の民と王国の民、そして西の民と北の民のように、どうしたって友や同胞になることの許されない厳格な掟は存在する。それでも俺は、ティアのことを友や同胞と同じぐらい大事に思っていた。そうして自分の気持ちに歯止めをかけない代償として、ティアとの別れという苦しみを呑み込むことになったのだ。
しかし、そんな掟から免れる道筋が存在するならば――リフレイアとシフォン=チェルには、幸福になってほしかった。
異国で相手の幸福を祈るのではなく、ともに生きる幸福を手にしてもらいたく思うのだ。
そんな想念にとらわれながら、俺はその日の多大なる仕事を片付けていくことになった。
◇
それから、時間は流れすぎ――下りの五の刻を四半刻ほど越える頃には、その日の宴料理を完成させることがかなった。
13名がかりで、およそ5時間がかりの大仕事である。それらの仕事を終える頃には、誰もが達成感に頬を火照らせていた。
「では、晩餐会に参席される4名様は、お召し替えをお願いいたします」
厨の入り口でじりじりと待ちかまえていた小姓や侍女たちが、そのように告げてくる。アイ=ファは「うむ」と応じながら、その場に残されるルド=ルウたちを振り返った。
「では、行ってくる。何も危険はなかろうが、おたがいに油断だけはするまい」
「ああ。リミとレイナ姉をよろしくなー」
ジザ=ルウたちは、下りの五の刻に達した瞬間、小姓たちに連れ去られたのだそうだ。俺とアイ=ファ、レイナ=ルウとリミ=ルウの4名は、それを追うようにして回廊を進むことになった。
そうして歩を進めていくと、やがて行く手に大きな人影が見えた。
右手側の壁に設えられた扉の前に、ガズラン=ルティムがひとりでたたずんでいたのだ。その鍛え抜かれた長身は、すでにセルヴァ風のゆったりとした宴衣装に包まれていた。
「アスタ、お疲れ様でした。かまど仕事を終えたばかりであるというのに、難儀なことですね」
「ええまあ、慌ただしいのは慣れていますので。……ガズラン=ルティムは、こんなところでどうしたのですか?」
「いえ。アスタはひとりで着替えることになってしまうので、それを見守らせてもらえるように許しを得たまでです」
ガズラン=ルティムがそんな風に答えると、アイ=ファは「いたみいる」と目礼をした。そういえば、これから着替える4名の中で男衆は俺ひとりであったのだ。
アイ=ファたちは隣の部屋へと導かれ、俺はガズラン=ルティムとともに扉をくぐる。その内側には、お召し替えを手伝う小姓たちがずらりと立ち並んでいた。
「お待ちしておりました。それでは、失礼いたします」
「ああ、いや、服は自分で脱げますので」
俺は自前の装束を草籠に放り入れつつ、ガズラン=ルティムに笑いかけてみせた。
「ガズラン=ルティムも、宴衣装がよくお似合いですね。ジザ=ルウに負けない貫禄だと思います」
「恐縮です。……実は、仮面舞踏会のときと同じ装束が準備されているのではないかと、いささか内心で危惧していました」
たびたび城下町に参じているガズラン=ルティムであったが、お召し替えを申しつけられたのはフェルメス主催の仮面舞踏会のみであったのだ。あの純白の甲冑もガズラン=ルティムにはまたとなく似合っていたが、もちろん通常の晩餐会には不相応な扮装であろう。
そんなガズラン=ルティムに準備されたのは、俺たちが闘技会の祝宴で着させられたセルヴァ風の宴衣装だ。ゆったりとした長衣の上に袖なしのガウンめいた上衣を羽織るという、俺にとってはジャガル風よりも異国的に思える装束である。上下で分かれた宴衣装よりはサイズ感にシビアさがないので、取り急ぎ準備することができたのだろう。
この宴衣装には瀟洒な刺繍が施されているし、首飾りや腕飾りなども装着させられるので、ガズラン=ルティムのように立派な体格をしていると、実に堂々たる姿であった。沈着にして機敏なる立ち居振る舞いも、そこらの貴族に負けない風格をガズラン=ルティムにもたらしている。
「アスタ様には、2着のお召し物が準備されております。本日は、こちらのお召し物でよろしいでしょうか?」
と、俺が下帯ひとつの姿になってから、小姓が衣装棚を開帳してくれた。そこに準備されていたのは、ガズラン=ルティムと同種の宴衣装と、かつてダレイム伯爵家の舞踏会で準備してもらった宴衣装である。小姓が指し示すのは、後者のほうであった。
「ああ、いや……俺もこちらの、長衣のほうにしていただけますか?」
「こちらでしょうか? ですがアスタ様は、直近の祝宴にてこちらの宴衣装をお召しになられたとうかがっているのですが……」
ジェノスにおいては、なるべく祝宴ごとに宴衣装を取り換えるのがステータスであるようなのだ。しかし俺はとある理由から、長衣のほうを纏いたく思っていた。
「同じ宴衣装を続けて着るのは、何か非礼になってしまうでしょうか? それでしたら、俺も考えなおしますけれども」
「いえ、非礼ということにはなりません。いずれの宴衣装を纏うかは、ご本人様の自由ですので……」
「でしたら、そちらでお願いいたします。俺はこの1年ほどでけっこう背がのびたと思いますので、そちらの宴衣装は寸法が合わない可能性があるのですよね」
「承知いたしました」と、小姓は恭しげに一礼した。
「では、飾り物だけでも別のものとお取り替えさせていただきたく思うのですが……如何でしょう?」
「はい。そちらは、おまかせいたします」
ということで、俺もガズラン=ルティムと同種の宴衣装を纏うことになった。
しかるのちに、向かいの控え室へと移動してみると、ジザ=ルウにダリ=サウティにダン=ルティムが待ちかまえている。
「おお、アスタもその装束か! おたがい、珍妙な姿にさせられたものだな!」
ダン=ルティムが、ガハハと笑い声を響かせる。その姿こそ、見ものであった。ダン=ルティムもまた、俺やガズラン=ルティムと同種の宴衣装であったのだ。
ガズラン=ルティムやジザ=ルウは、貴族や王族を思わせる風格である。しかし、ダン=ルティムはというと――その恰幅のよさや個性的な面相の影響か、まるでやり手の豪商か何かのようだった。
(もしくは、貴族の祝宴にまぎれこんだ海賊の親分とか……とにかく、ガズラン=ルティムたちとは方向性の違う風格だな)
そして、同種の宴衣装を纏った男衆の中で、ダリ=サウティだけが異彩を放っていた。闘技会の祝宴には参席していなかったダリ=サウティは、ダレイム伯爵家の舞踏会で準備された宴衣装を纏っていたのだ。
「そちらの宴衣装は、懐かしいですね。ダリ=サウティには、よくお似合いです」
「うむ。ほとんど1年ぶりになるのであろうからな」
これはジャガルの様式であるのか、あるいは南と西の様式が入り混じっているのか。袖なしの胴衣に、ゆったりとしたバルーンパンツのような脚衣で、肩から腰のあたりにまで装飾用のマントが掛けられている。胴衣の胸もとに深いグリーンの糸で刺繍されているのは、『森』を表す紋章だ。その宴衣装もまた、ダリ=サウティの風格をいっそう際立たせているように感じられた。
「アスタはてっきり、こちらの宴衣装を選ぶのではないかと考えていたのだがな」
「申し訳ありません。俺はこの1年ほどでけっこう背がのびているので、ちょっと窮屈になる気がしてしまったのですよね」
「ひとりだけ別なる装束であるというのも、族長らしくていいではないか! おたがい珍妙であることに変わりはないのだしな!」
ダン=ルティムが、再び笑い声を響かせる。もともと陽気さでは他者の追随を許さぬダン=ルティムであるが、本日はとびきり上機嫌であるようだ。
「今日はアスタたちが、すべての晩餐をこしらえたのであろうが? 森辺のギバ料理を楽しみながら、城下町の祝宴に加われるというのは、なかなかに愉快な趣向であろうよ!」
「そうですか。俺もダン=ルティムと城下町の晩餐会をご一緒できるのは嬉しく思います」
「うむ! それで俺は、南の貴族どもと絆を深めればよいのだな?」
はしゃぐダン=ルティムをたしなめるように、ジザ=ルウが落ち着いた声をあげた。
「ダン=ルティムには南の貴族たちの真情を見定めてもらいたく思うが、しかし相手は貴族であるのだ。非礼な振る舞いをしてしまわないように、くれぐれも用心してもらいたい」
「どのような振る舞いが礼を失することになるのか、俺にはいまひとつわからんな! そもそもそのように言葉を飾っていては、相手の真情を見定めることなどかなうまい!」
ジザ=ルウが小さく息をつくと、ガズラン=ルティムが微笑まじりに援護をした。
「では、最初の内は私が行動をともにいたしましょう。それに本日の晩餐会には、貴族ならぬ南の民も参席するという話でありましたね?」
「はい。みなさんが面談した書記官ですとか、兵士の中で位の高いお人らなどが、合計で6名ほど参席すると聞いています」
「では、まずその者たちと語らって、使節団の気風というものを探ってみましょう。ロブロスやフォルタという者たちがどのような気性をしているか、そちらから探ることもできるかと思います」
さすがに晩餐会に参席する経緯が経緯だけあって、ガズラン=ルティムたちもしっかり対策を練っているようだった。
長椅子に座したダリ=サウティも、「うむ」と重々しくうなずいている。
「ゲルドの貴人らが開いた晩餐会では、森辺の民が宴衣装を纏わされることもなかったのであろう? その時点で、ジャガルの貴族らはゲルドの貴人らよりも格式というものを重んじているように見受けられる。こちらも慎重に、相手の出方をうかがうべきであろうな」
そうしてダリ=サウティらが真剣な様子で言葉を交わしていると、やがて扉がノックされた。
「失礼いたします。お連れの皆様をご案内いたしました」
侍女の案内で、アイ=ファとレイナ=ルウとリミ=ルウが入室してくる。全員が、セルヴァ風の宴衣装である。その姿に、俺は内心で快哉をあげ、リミ=ルウは実際に快哉をあげた。
「わーい、みんなおそろいだね! ……あ、ダリ=サウティだけ違うのかー」
「うむ。まだ1度しか着ていない宴衣装が存在するのに、わざわざ新しいものを準備してもらう理由はないからな」
この8名の中で、もともと宴衣装の準備がなかったのは、リミ=ルウとガズラン=ルティムとダン=ルティムのみとなる。リミ=ルウもまた、古式ゆかしいセルヴァの様式と思われる、袖なしワンピースのごとき宴衣装であった。
ただし幼子であるために、大きく襟ぐりが開いたりはしていない。なおかつ、赤茶けた髪に大きな花飾りをつけられており、天使のように愛くるしかった。
そして、アイ=ファとレイナ=ルウである。
闘技会の祝宴でもお披露目された、実に美しい姿だ。優美な曲線を描く肢体に薄物の生地がふわりとかぶさり、普段よりも露出は少なくなっているはずであるのに、いっそう艶めいて見えてしまう。長衣に施された華やかな刺繍も、あちこちにきらめく銀と宝石の飾り物も、何もかもがふたりの美しさを際立たせていた。
「ほほう! これはまた、珍妙な姿だな! しかし、女衆が身を飾るのはおかしな話でもないので、俺たちよりは珍妙でないように思うぞ!」
ダン=ルティムは、遠慮のない笑い声を響かせる。本当に珍妙と思っているのか、あるいは異性の容姿をみだりに褒めそやさないという森辺の習わしを重んじているのかは、謎である。唯一、森辺の装束よりも露出の多い胸もとを気にしながら、レイナ=ルウは気恥ずかしそうに頬を染めていた。
ともあれ――俺にしてみれば、珍妙どころの話ではなかった。アイ=ファの輝くような姿に、目のくらむような心地である。
そうして貴婦人のごとき優雅な足取りで入室してきたアイ=ファは、真っ直ぐに俺のもとへと近づいてきた。
その桜色をした唇が、俺の耳もとにそっと寄せられてくる。
「……お前も、こちらの宴衣装を選んだのだな」
「うん。以前の宴衣装はもう大きさが合わないように思ったし……それに、アイ=ファもこっちを選ぶと思っていたからさ」
かつて舞踏会で準備された宴衣装もアイ=ファにはまたとなく似合っていたのであるが、本人は「窮屈だ」と不平を述べていたのである。だからアイ=ファはこちらの宴衣装を選ぶだろうと思ったし、それなら俺もおそろいにしておきたいと考えたのだ。
「そうか」と言って身を引いたアイ=ファは、しかし口をへの字にしてしまっていた。何やら、不満げなお顔である。
「どうしたんだ? この宴衣装はゆったりしているから、アイ=ファも嫌いではないんだろう?」
「うむ。しかし……どうせ宴衣装を纏うならば、自分の髪飾りをつけたかったように思う」
ゆるやかにウェーブを描くアイ=ファの金褐色の髪にも、大きな花飾りがつけられていた。
以前の祝宴では――いや、いかなる祝宴であろうとも、宴衣装を纏う場面において、最近のアイ=ファは俺が贈った髪飾りを常につけてくれていたのである。
それを準備できなかったことを悔やんでいるアイ=ファの不満そうな表情こそが、俺の胸を温かくしてやまなかった。