南の王都の使節団③~会談~
2020.7/24 更新分 1/1
その後、俺たちは城下町の会議堂まで連行されることになった。
これから一刻ばかりの間、この場でロブロスたちと会談を行うことになるのだ。それが済んで、ようやくかまど番たちは調理の仕事に取りかかる手はずになっていた。
俺やアイ=ファが会議堂を訪れるのは、おそらくフェルメスに招集された日以来であろう。以前とは異なる部屋であるのかもしれないが、記憶の中にある通りの、機能的で飾り気のない一室であった。
そしてここからは、ジェノス侯爵マルスタインも参席する。本来であればトゥランにも同行すべき立場であったのだが、復活祭で負った古傷の調子が思わしくなかったということで、メルフリードに代理を務めさせたのだそうだ。
他のメンバーは、さきほどとほとんど変わらない。トゥラン伯爵家の晩餐会と同じように、横長のテーブルがコの字形に並べられ、上辺の席にはマルスタイン、メルフリード、外務官、ロブロス、フォルタが並び、右辺には、アルヴァッハ、ナナクエム、トルスト、リフレイア、フェルメス、そして左辺に、ダリ=サウティ、ジザ=ルウ、アイ=ファ、俺、という配置に相成った。従者のジェムドは兵士たちの潜む垂れ幕の裏に引っ込み、シフォン=チェルは他の侍女たちと同じように壁際に控えている。
ただ、ポルアースとリミ=ルウは、この場から離脱していた。
使節団のメンバーである書記官が、この時間を使って他の森辺の民たちからも話をうかがいたいという話であったので、ポルアースはそちらに同席することになったのだ。今頃は会議堂の別室にて、こちらよりはもう少しだけフランクな会談の場が設けられているはずであった。
そして、リミ=ルウであるが――彼女はロブロスの要請によって、特別任務に取り組むことになってしまった。その成果は、会談の終わり頃を目処にお披露目される予定となっている。
「では、最初にうかがわせていただきたいのだが――」
と、マルスタインによる開会の挨拶の後、ダリ=サウティがそのように口火を切った。
「本日、我々はどうして招集されることになったのであろうか? 北の民をジャガルに移住させるべきかどうか、その話を論じるために我々から意見を聞きたいというのなら、まだしもわからなくはないのだが……北の民たちの移住が決された後に、我々を招集する理由はないように思えてしまうのだ」
「それには、3つの理由が存在する」
もったいぶった口調で、ロブロスがそのように応じた。
「まず、ひとつ目は……そこなる侍女シフォン=チェルが、神を移した後もジェノスで働きたいという旨を、このたびの来訪で初めて聞かされたためである。ファの家のアスタはシフォン=チェルと縁ある身であると聞いたため、その意見をうかがいたく思っている」
そんな重責が存在したのかと、俺は背筋がのびる思いであった。
ただ、向かいの席のリフレイアは、俺を安心させたいかのように小さく微笑んでいる。あなたはいつも通りにしていればいいのよと、無言のままに諭されている心地であった。
「そして、ふたつ目は……そこなるゲルドの貴人たちが、たまさかジェノスに居合わせたためである。聞けば、森辺の民はゲルドの貴人らとも懇意にしているとのことであったので、そちらの話もうかがいたいと念じていた」
「ふむ。以前にあなたがたがジェノスを訪れた際は、ゲルドにジャガルの食材を売り渡すという話も持ち上がっていなかったのであろうか?」
「否。そのような話は、確かにジェノス侯からうかがっていた。しかしその当時は、こうまで大規模な話ではなかったのだ」
そう言って、ロブロスは青紫色の瞳を強くきらめかせた。
「ゲルドの使節団は、定期的にジャガルの食材を買いつけたいと願い出ていると聞く。このたびの取り引きに関しては、もはや我々が口出しをできぬほどに話が進められてしまっているようだが……敵対国たるシムの領土に、そうまでジャガルの恵みを受け渡してしまっていいものかどうか、我々はそれを判じなければならない。そのために、森辺の民の話もうかがいたいと願っている」
「なるほど。いちおうは、理解した。……しかしそれらの話は、いずれもあなたがたがジェノスに到着した後に、決せられた話であるようだな。しかし我々は、あなたがたがジェノスに到着する前日から、城下町に参ずるように申しつけられていた。それには、如何なる理由があったのであろうか?」
「うむ。それこそが、3つ目の理由となる」
ロブロスは椅子に座したまま、分厚い胸をそらした。
「それは我々が、この道中で傀儡使いの劇を観賞したゆえである」
「なに? 今、傀儡使いの劇と言ったのか?」
「うむ。我々が立ち寄った領地にて、その傀儡使いの劇はたいそうな評判を呼んでいた。我々も、それを観賞し――そして、森辺の民というものに大きな好奇心を抱くことになったのだ」
あまりに意想外な言葉を聞かされて、俺は呆気に取られてしまった。
だけどそういえば、リコたちはバランのおやっさんたちにアレンジされた劇の出来栄えを確認してもらうべく、ジャガルへと旅立っていったのだ。それからまだひと月と少ししか経過していないのだから、リコたちがジャガルの領地を巡っていてもおかしいことはなかった。
「以前にジェノスを訪れた際にも、森辺の民については聞かされていた。その際にも、好奇心を抱かなくもなかったが、わざわざ呼びつける必要はあるまいと念じていた。しかし、あの『森辺のかまど番アスタ』なる傀儡の劇を観賞し、いよいよ好奇心をつのらせることになったのだ。よって、先触れの使者に森辺の民との会見を願う旨を伝えさせることとなった次第である」
「なるほど。であればいっそ、ドンダ=ルウやダン=ルティムをこの場に呼んでおくべきであったかな」
微笑まじりにダリ=サウティが言うと、ロブロスの視線が俺とアイ=ファに向けられてきた。
「あの劇に登場したのは、そちらの両名のみであるようだな。まあ、主人公たるファの家のアスタが参じているのだから、吾輩としても不服はない」
なんと答えればいいかもわからなかったので、俺はとりあえず頭を下げておいた。アイ=ファも溜め息をこらえているような面持ちで目礼をしている。
「また、ファの家のアスタがシフォン=チェルと縁ある身であったというのは、吾輩にとっても僥倖である。ただ己の好奇心を満たすばかりでなく、このたびの一件についても有益な話を聞かせてもらえるのであるからな」
ロブロスの視線が、俺のもとに固定された。
「ファの家のアスタよ。其方はあの傀儡の劇で語られていた通りに、かつてトゥラン伯爵家にかどわかされた身であった。その場でシフォン=チェルと縁を結ぶことになったのだと聞き及んだのだが、それに相違はないか?」
「はい。自分がトゥラン伯爵家に滞在していた5日間、ずっとシフォン=チェルが親身に面倒を見てくれました」
「しかし其方は、その場に幽閉されていた身であるのだ。いささか親身にされたからといって、それに恩義を感じるものであろうか?」
さすがに俺は返事に困って、視線をさまよわせることになった。
それを受け止めてくれたのは、リフレイアだ。
「いいのよ、アスタ。わたしや父様が犯した罪については、これから傀儡の劇によって世界中に知らしめられるのでしょうからね。何も言葉を飾る必要はないわ」
そう言って、リフレイアは大人びた微笑を浮かべた。
「あなたはあなたの思うままに語ってくれればいいの。きっとそれが、シフォン=チェルを正しい道に導いてくれるはずよ」
「……承知しました。それでは、語らせていただきます」
俺は、遥かなる昔日にと思いを飛ばすことになった。
あれは一昨年の白の月の出来事であったから、もう1年半も前になるのだ。
「大事な家族や同胞と引き離されて、見知らぬ屋敷で過ごすことになった自分は、ひどく不安な心持ちで日々を過ごすことになりました。当時の森辺の民はトゥラン伯爵家とただならぬ関係であったので、なおさらです。そんな中で……自分にとっては、シフォン=チェルの存在だけが救いでした。彼女の優しい心づかいや立ち居振る舞いが、自分にとっては何よりの慰めとなったのです」
「ふむ。今少し、具体的な話を願いたい」
「具体的ですか。そうですね。……最初に屋敷まで連れてこられた夜、自分は無謀にも脱走を試みました。その際にも、シフォン=チェルは自分の行動を見逃してくれたのです。シフォン=チェルは自分の見張り番でもあったので、自分が逃げ出してしまったらその責任を問われてしまう立場であったのですが……何もかまう必要はないので、自分の好きなように振る舞ってほしいと言ってくれたのです」
あの夜のシフォン=チェルのやわらかい笑顔を思い出しながら、俺はそのように言ってみせた。
「けっきょく自分は脱走に失敗して、すごすごと引き下がることになりましたが……そのときから、自分はシフォン=チェルが正しい心を持つお人だと確信し、信頼することがかないました。その気持ちは、今でも変わりありません」
「なるほど。……シフォン=チェルよ、其方からも話をうかがいたい」
「はい……」と、壁際に控えていたシフォン=チェルが進み出てきた。
「アスタ様は、最初からわたくしの身を気にかけてくださっていました……お屋敷から逃げようとなさった際にも、後に残されるわたくしの身をたいそう案じてくださったのです……最初はわたくしにも、ともに逃げてはどうかとお声をかけてくださいましたね……」
「はい。当時の自分は北と西の関係についても知識が浅かったので、屋敷から逃げればシフォン=チェルも自由になれるのではないかと勘違いしてしまっていました」
「当時のアスタは、まだ西方神の洗礼も受けてはいない身であったからな」
と、マルスタインがするりと言葉を差し込んできた。
俺がれっきとした西の民であれば、シフォン=チェルに脱走をうながしただけで小さからぬ罪となってしまうのだろう。俺は恐縮して、マルスタインに頭を下げることになった。
「そうしてアスタ様は、わたくしの腕を縛り、口にも詰め物をして、力ずくで脱走を試みたという体裁を整えてくださいました……それもすべては、わたくしの身を案じたゆえでございます……アスタ様の優しき心づかいにこそ、わたくしは胸を打たれてしまいました……」
「なるほど」と、ロブロスは繰り返した。
「しかし、其方は何故そのような危険を犯してまで、アスタの力になろうと考えたのであろうな? もしやそれは、トゥラン伯爵家に対する意趣返しであったのであろうか?」
「意趣返し……いえ……その当時から、わたくしは固く心を凍てつかせてしまっておりましたため……他者を恨むような気持ちにも至ってはおりませんでした……また、わたくしと兄の身を捕らえ、他の家族たちを弑したのは、ジェノスから遠く離れた北方の領地の兵士たちであったのでしょうから……ジェノスやトゥランの方々をお恨みする理由もございませんでした……」
「しかし、其方とともにトゥラン伯爵家の屋敷で働くことになった2名の北の民たちは、何の罪も犯さぬままに魂を返すことになったはずであるな」
それは初耳の話であったので、俺ばかりでなくアイ=ファやダリ=サウティも身じろぎすることになった。
しかしシフォン=チェルはまったく動揺した様子もなく、「はい……」と応じる。
「わたくしも、風聞を耳にしたばかりでございますが……その者たちを死に追いやったのは、当時のご当主の弟君であられたと聞き及んでおります……ご当主様やリフレイア様が、わたくしに鞭を振るうことは1度としてございませんでした……」
「弟」と、アルヴァッハが重々しく声をあげた。
「その者、大罪人、シルエルであろうか?」
「はい……そのようなお名前であったかと……わたくしも、その御方には何度か鞭を振るわれたことがございます……」
「大罪人シルエル、心根から、悪逆であったのだな」
表情は動かさないままに、アルヴァッハが重い怒気を放出したように感じられた。
フォルタはぴくりと巨体を揺らし、ロブロスは鋭い眼差しでアルヴァッハを振り返る。
「奴隷の身たる北の民を西の王国でどのように扱おうとも、それを裁く法はあるまい。異国の民たる我々が口をはさむべき話ではなかろう」
そのように語るロブロスのほうこそ、厳つい顔に嫌悪感をみなぎらせていた。口をはさむべき話ではないのと同時に、彼らがそれを快く思う理由もひとつとして存在しなかったのだ。
「……では、シフォン=チェルよ。其方にジェノスやトゥランを憎む気持ちは存在しないのであるな?」
気を取りなおしたようにロブロスが問いかけると、シフォン=チェルは「はい……」と頭を垂れた。
「其方の同胞を死に追いやったのは、リフレイア姫の叔父にあたる者となる。それでも過去の確執を捨てて、リフレイア姫に忠誠を誓えるのであるな?」
「誓います……リフレイア様のおそばにあることが、わたくしにとって一番の望みとなります……」
ロブロスはたっぷりと間を取ってから、「そうか」と言った。
「であれば、其方は北の民のまま、リフレイア姫に仕えるべきではなかろうかな」
かたりと、小さな音色が響いた。さきほどまで穏やかな表情をしていたリフレイアが、青い顔で腰を浮かせたのだ。
「ロ、ロブロス卿、どうしてそのようなことを仰いますの? あなたは昨晩、わたしたちの申し出を快諾してくださったように思ったのですけれど……」
「シフォン=チェルがジェノスで暮らしたいと望むならば、それは我々が口出しをするような話ではない。ただしそれは、シフォン=チェルが神を移さないという前提における話である」
強い声音で、ロブロスはそう言った。
「北の民たるシフォン=チェルが西の王国で何を為そうとも、それは我々の関知するところではない。しかし、ひとたび南方神の子となったあかつきには、すべてが我々の責任となるのだ。仮にシフォン=チェルがジェノスで大罪を犯したならば、我々もそちらのゲルドの貴人らと同じように、謝罪のための使節団を遣わすこととなろう」
「でも、お聞きになったでしょう? シフォン=チェルに、ジェノスやトゥラン伯爵家を恨む気持ちはないのです」
「シフォン=チェルの心を知るのは、シフォン=チェル本人のみである」
「だけど――!」と、リフレイアはついに立ち上がってしまった。
そこでマルスタインが、「リフレイア姫」と穏やかに声をあげる。
「トゥラン伯爵家の当主として、其方は冷静であるべきであろう。そのように声を荒らげても、其方の望むような結果は得られまい。……また、北の民たちをジャガルに引き渡す約定が締結してから侍女の一件を持ち出したのは、其方のほうであるのだ。決してロブロス殿を非難できるような立場ではあるまい」
リフレイアは真っ青な顔をしたまま、唇を噛みしめることになった。
俺も、鼓動が速くなってしまっている。リフレイアたちが落ち着いた様子を見せていたので、シフォン=チェルの一件はいい方向に話が進んでいるものと勝手に期待を抱いてしまっていたのだ。
やがてリフレイアは大きく息を吸い込んでから、もとの椅子に着席した。
「お見苦しい姿をお見せしてしまって、申し訳ありませんでした。……この話は、またのちほどゆっくりさせていただけますかしら?」
「うむ。早くとも、我々の出立は明後日以降となる。それまでに、シフォン=チェルの去就を定めてもらいたい」
厳粛なる面持ちで、ロブロスはそのように言いたてた。
「なお、老婆心ながらに吾輩の意見を述べさせてもらうならば……我々は先ほど、シフォン=チェルと兄たるエレオ=チェルがどれだけの情愛で結ばれているかを見届けることがかなった。おたがいにたったひとりの家族であるならば、血の縁を絶つことなく、同じジャガルの地で幸福な生を求めるべきではなかろうかな」
シフォン=チェルは、無言のまま恭しく一礼した。
そして、伏せた目でそっとリフレイアのほうを見る。
リフレイアは張り詰めた面持ちで、やはり無言のまま、シフォン=チェルの指先を一瞬だけぎゅっと握った。
それでいったい、どのような心情が交わされたのか、シフォン=チェルはしずしずと壁のほうに下がっていく。それを見届けてから、ロブロスは「さて」と声をあげた。
「では次は、ゲルドの一件であるな。貴殿らは、タウ油、砂糖、ホボイ、ケルの根――それに、コルネリアなる領地で売りに出されたミソなる食材など、南の恵みを多数買いつけようと算段を立てている」
「うむ。それらの食材、魅力、甚大である。定期的、買いつけること、許し、願いたい」
アルヴァッハの直截的な言いように、さしものロブロスも一瞬言葉を詰まらせた。
その隙を突いて、フェルメスが発言する。
「西の王都におきましては、シムの商団を通じてマヒュドラの食材を多数買いつけています。もちろんマヒュドラの者たちも、それが西の王国で売られることを承知で引き渡していると聞いています」
「うむ。そして、西の恵み、ジギの商人、通じて、マヒュドラ、売られている。北と西、通商、不可能であるため、古来より、ジギの商人、仲介している」
「はい。それがこのたびは、ジェノスが仲介役となって、南の恵みをゲルドに売り渡すことになるわけですね。ロブロス殿もさきほど仰っていた通り、これは王国の法に背く行いではありえないでしょう」
ゆったりと微笑みながら、フェルメスは言葉を重ねた。外交官としての本領発揮といったところであろうか。
「それにまた、ゲルドの民は東と南の抗争にも関わっていない立場となります。ゲルドの民が南の恵みによって喜びや力を得ようとも、それがすなわちジャガルの不利益になることはないでしょう。北の民などは西の王都に北の恵みが流入することすら厭うてはいないのですから、なおさら問題はないのではないでしょうか?」
「マヒュドラにはマヒュドラの、ジャガルにはジャガルの流儀というものが存在する。我々がマヒュドラの流儀に従う理由は、どこにもない」
ロブロスは、断固とした口調でそのように言いきった。
「また、ゲルドの悪名はジャガルにも轟いている。ゲルドの山賊が力をつければ、それはセルヴァやマヒュドラの不利益にもなるのではないだろうか?」
「ゲルド、山賊、多いこと、我々、大いに憂いている」
と、ひさかたぶりにナナクエムも声をあげた。
「現在、国境の巡回、強化、さなかである。山賊、撲滅、我々、悲願である」
「ええ。ゲルドの山賊の悪名は、西の王都にまで聞こえておりました。ゲルの民は剣技に優れ、ドの民は毒の扱いに長けているため、旅人や近隣の住人にとっては大きな脅威となりましょう。そして、山賊ならぬゲルドの人々は、これまで異国に足をのばす機会が少なかったため、山賊の悪名ばかりが際立ってしまったものと思われます」
フェルメスは実にいきいきと語っており、マルスタインやトルストや外務官などは、それを興味深そうに聞いていた。こちらの側でも、ダリ=サウティが熱心に耳を傾けている。
「しかし、風聞が真実の一面をとらえることはありえても、真実のすべてを包括することは難しいでしょう。ゲルドの山賊が恐るべき力を持ち、忌むべき存在であることは確かなのでしょうが、その一面をもってゲルドの民が凶悪なる一族と断じるのは早計であるかと思われます。ゲルドにおいて山賊などに身をやつしているのは、せいぜい数十名か数百名ていどであるのでしょうから、それはゲルドの実態のごく限られた一部分に過ぎないのです」
「貴殿の言わんとすることは、わからなくもないが――」
「たとえば西の王都において、ジャガルの最西端の領地に住まう民たちは、油断のならない二枚舌の民と称されておりますね」
ロブロスの言葉を至極自然にさえぎって、フェルメスはそのように言いたてた。
何か、とても懐かしい感じがする。俺たちもフェルメスと初めて対面した際には、こうして怒涛の弁舌をあびせかけられることになったのだ。
「南の民といえば、その率直さこそが美点として語られています。然して、ジャガルの西方に住まう者たちだけが、どうして二枚舌などと誹謗されているのか――ロブロス殿には、その理由がおわかりになりますでしょうか?」
「まったくもって、不可解である。本当に、そのような風聞が存在するのであろうか?」
「はい。それは西の王都のみならず、王都の近在に位置する領地においても同様でありましょう。僕は王都からジェノスに向かう道中でも、たびたびそういった風聞を耳にする機会がありました」
虫も殺さぬ可憐な笑顔で、フェルメスはそう言った。
「理由は、実に明白です。それは、ジャガルの西方で暮らす人々が、西の王都とゼラド大公国の双方と通商しているからに他なりません」
「ゼラド大公国であるか……」と、ロブロスは苦々しげな顔をした。
ゼラド大公国とは、こうして忘れた頃にひょっこりと耳にする名前である。かつて王都から排斥された大公家が、いつしか独立国家を樹立させた――というぐらいの知識しか、俺は備えていなかった。監査官のドレッグやタルオンは、ジェノスもいずれゼラドのように独立する目論見なのではないのかと、そんな風に難癖をつけてきたのだ。
「ゼラド大公国は、セルヴァとジャガルの国境に存在しています。ジャガルの西端部に住まう人々は、ゼラドと親密な関係を築きつつ、西竜海の航路でもって、西の王都とも交易を重ねています。ゼラドの鉱山から買いつけた鋼で武器をこしらえては西の王都に売り渡し、西の王都で手に入るさまざまな恵みはゼラドに売り渡し――と、こういった行いが、二枚舌などという僭称を生み出してしまったのでしょう」
「しかし、それは――」
「はい。それも決して、王国の法に背く行いではありません。おそらくゼラドにおいては、南の民を二枚舌などと蔑む人間もいないことでしょう。西の王都に武器が渡るのは不本意であっても、彼らはそれ以上に鉱石から得られる富を重んじているはずです。そうして南の民たちが鉱石を買ってくれなければ、王都と戦う力も得られないのでしょうからね」
いよいよ流麗なる弁舌でもって、フェルメスはそのように言いつのった。
「王都においてのみ、南の民がそうまで蔑まれてしまうのは、やはりゼラドとの密接具合によるのでしょう。王都は航路で交易をするのみでありますが、ゼラドとジャガルは文字通り密接しています。ゼラドの名だたる将軍や武人には、ジャガルの血が入った人間も少なくはないのです。よって王都の人間は、ゼラドに対する敵意や憎しみを、そのままジャガルにも重ねることになってしまったのでしょう」
「…………」
「しかし我々は、南の方々がどれだけ率直で裏表のない気性であるかを知っています。ジャガルの西方に暮らす人々も、果たして二枚舌などという僭称に価する人々であるのか、風聞のみで断ずることはできないように思います」
「しかし――」と声をあげたのは、ロブロスのかたわらに控えたフォルタであった。その緑色の瞳には、強い反感の光が渦巻いている。
「それは、敵対国同士の通商を取り持つことが危険であるという事実を示しているのではないだろうか? このままでは、ジェノスもまたいわれのない誹謗を受ける恐れが生じよう」
「我々は、そのような誹謗を恐れたりはしない」
と、マルスタインがゆったりとした口調で応じた。
「それに、王都とゼラドは実際に刃を交わす間柄であるからこそ、その間に立たされたジャガルの人々も誹謗されてしまうのでしょう。ゲルドはジャガルとの抗争に関わっていない立場となるので、我々が誹謗されるような事態には至らないのではなかろうかな」
「それもまた、真実の一面ではあろう」
ロブロスが姿勢を正して、そのように発言する。
「また、山賊の悪名をもってゲルドのすべてを語るべきではないというフェルメス殿のお言葉も、理解した。もちろん我々とて、ゲルドの貴人と山賊を同列に扱うつもりはない。……それゆえに、そちらの方々の心根を確かめたいと願っているのだ」
そうしてロブロスは、俺たちのほうに向きなおってきた。
「森辺の民にも、忌憚なき意見をうかがいたい。……ゲルドの貴人らは、かつてルウの家の祝宴に参席し、ファの家の晩餐に招かれた立場であるという話であったな?」
「うむ。ルウ本家の長姉であったヴィナ・ルウ=リリンの婚儀に、ゲルドの貴人らを招くことになった。婚儀とは血族で祝うべきものであるので、当初はいささか困惑させられたが……血族の多くは、ゲルドの貴人らが誠実な人柄であるという印象を抱いたように思う」
悠揚せまらず、ジザ=ルウはそのように答えた。
「そもそもゲルドの貴人らは、《颶風党》なる凶賊の犯した罪に胸を痛めて、ジェノスを訪れたのだと聞いている。確かにその凶賊たちはゲルドの生まれであったようだが、かつての同胞が罪を犯したというだけで、これほど遠方の地に出向いてくるというのは、ただならぬことであると思う」
「それはあくまで、東と西の関係を思いやっての行いなのではなかろうかな?」
「そうだとしても、ゲルドの貴人らは小さからぬ労力をかけて、ジェノスにやってきた。また、森辺の民に対する謝罪についても――我々の作法とは大きくかけ離れていたものの、誠実さにあふれていたように思う」
ジザ=ルウにそんな風に言ってもらえると、俺まで胸が温かくなってしまった。
などと考えていたら、ロブロスの眼光がこちらに突きつけられてくる。
「ならば、ファの家の者たちはどうであろうかな?」
「うむ。ジザ=ルウの言い分に、異論はない」
ファの家長として、アイ=ファが粛然と答えた。
「ただ思うのは……ゲルドの民は狩人の一族であり、森辺の民と似た部分が多いように思う。それゆえに、理解を深めやすい面があるのだろう」
「森辺の民とは、かつて南方神の子であったはずであるがな」
と、ロブロスが何やら不服そうに言った。
「しかし其方たちは、外見までもが東の民めいている。外見ばかりでなく、中身までもが東の民めいているということか?」
「それは東や南に関係なく、狩人の一族という一点が肝要なのであろう。ジャガルにも狩人の一族というものが存在するならば、我々とは理解を深めやすいのかもしれん」
そのように答えたのは、ダリ=サウティであった。
「かつてマサラという地で狩人として暮らしていたバルシャにジーダという者たちも、ルウの血族と絆を深めて、ついには家人として迎えられることになった。マサラは西の領土であるのだから、やはりいずれの王国の生まれであるかは関係ないのであろうと思う」
「うむ。我々は、東にも南にも多くの友を持っている。地震いによって崩れたファの家や祭祀堂を建てなおしてくれたのは南の民たちであるし、その者たちも何度となく晩餐や祝宴に招いている」
落ち着き払った声で、アイ=ファもそのように補足した。
ロブロスが「ううむ」とうなったところで、部屋の扉が外から叩かれる。マルスタインが了承を与えると、リミ=ルウとジョウ=ランの両名が小姓とともに入室してきた。
「お待たせしましたー! ギバの料理とお菓子です!」
いくぶん重くなりかけていた空気を、リミ=ルウの朗らかな声が粉砕してくれた。リミ=ルウは、「その力量を確認させてもらいたい」というロブロスの言葉に従って、昼の軽食をこしらえることになったのだ。
料理と菓子はワゴンにのせられており、小姓たちの手によって配膳されていく。
ロブロスは、鋭い眼光でリミ=ルウの笑顔をねめつけた。
「リミ=ルウよ。約定通り、これらは其方がひとりで手掛けたのであるな?」
「はーい! ちょっと大変だったけど、ひとりで作りましたー! ね、ジョウ=ラン?」
「はい。手を貸したのは、俺ひとりです」
なんとこのたびは、ジョウ=ランがリミ=ルウの調理助手を務めたのだ。リミ=ルウひとりでは鉄鍋を運ぶのもひと苦労であるので、それならばとジョウ=ラン自身が志願してきたのだった。
「俺も《西風亭》でかまど仕事を習いましたので、火の番ぐらいならば務まります。城下町の見知らぬ人間に手伝ってもらうよりは、リミ=ルウも気楽なのではないでしょうか?」
ジョウ=ランがそのように言いたてると、ロブロスは寛容に承諾を与えてくれた。むしろ、アイ=ファやジザ=ルウのほうが複雑そうな顔をしていたぐらいである。
ともあれ、リミ=ルウの力作がテーブルに並べられることになった。
軽食は、ギバ肉たっぷりのクリーム・シチューと焼きポイタン、菓子は王道のチャッチ餅だ。ぷるぷるとした半透明のチャッチ餅に、砂糖を溶かしたカラメルソースとタウ豆のきなこが掛けられている。
「アスタがマヒュドラの人たちのために考案したのが、このくりーむしちゅーに似た料理だったんです! あのときは使える食材も違ったから、味もぜんぜん違うと思いますけど!」
リミ=ルウはなれない言葉づかいをしているせいか、余計に力がこもってしまうようだった。
難しい面持ちでクリーム・シチューをすすったロブロスは、もともと大きな目をくわっと見開く。
「これを……其方がひとりで作りあげたと申すのか?」
「はい! ジョウ=ランにもちょっぴり手伝ってもらいましたけど!」
「俺は食材や鉄鍋を運んだり、火の番をしていたに過ぎません。リミ=ルウの手際があまりに見事であったので、すっかり感心してしまいました」
のほほんとした笑顔で、ジョウ=ランはそう言った。
「野菜を切り分ける手際なんて、本当にすごかったですねえ。いきなり『おりゃー!』とか叫びだすから、びっくりしてしまいましたけれど」
「えへへ。あんまり遅くなると、みんなおなかが空いちゃうだろうから、一生懸命がんばっただけだよー」
リミ=ルウはちょっぴり気恥ずかしそうに笑いながら、そんな風に答えていた。
リミ=ルウとジョウ=ランのコンビというのはいかにも異色であるが、なかなか微笑ましいものだ。――が、アイ=ファはちょっと唇をとがらせたそうな面持ちで、両名を見やっている。ときおり、可愛らしい独占欲を発露してしまう家長であるのだ。
何にせよ、リミ=ルウの作りあげたクリーム・シチューは見事な出来栄えであった。アリアにチャッチにネェノンに、ブロッコリーのごときレミロムとマッシュルームモドキというスタンダードな具材であったが、それゆえにケレン味のない仕上がりとなっている。ことクリーム・シチューに関しては、レイナ=ルウにも負けない腕前のリミ=ルウであったのだった。
そうしてしばらくすると、「うおう」という底ごもった声が響きわたった。
声の主は、フォルタである。彼はいち早くクリーム・シチューをたいらげて、チャッチ餅に取りかかったところであったようだ。
「なんと面妖な……これはいったい、どういった食材で作られているのだ?」
「それは、チャッチの粉を使っています! 作り方は、アスタに教えてもらいました!」
「これがチャッチ……? 上に掛けられているのは、タウの豆であるな?」
「はい! タウの豆を炒ってすりつぶした、きなこです! 今日はからめるそーすを使ってるけど、きなこに砂糖をまぜてもすっごく美味しいんだよー! ……あやや、美味しいんですー!」
「なるほど……タウの豆に、そのような使い方が……」
「タウの豆、素晴らしい食材である。我々、買いつけたい、願っている」
アルヴァッハが声をあげると、フォルタはたちまち闘犬のような形相でそちらをねめつけた。
が、トゥランで初めて顔をあわせたときに比べれば、猛烈な闘志なども感じられない。アルヴァッハの側も、実に落ち着いたものであった。
「我々、心根、確かめられたであろうか? よき返事、願いたい」
クリーム・シチューをじっくりと味わっていたロブロスは、強い眼光でアルヴァッハをねめつけた。
が、その口を開くより早く、俺のほうに向きなおってくる。
「……ファの家のアスタよ。今宵の晩餐会に関しては、其方が準備を任されているのであったな?」
「はい。取り仕切り役は、自分とルウ家のレイナ=ルウでありますね。ジャガルの食材をふんだんに使って、いくつかの料理をお届けする予定です」
「では、その中にゲルドの食材を使ったものも加えてもらいたい」
俺は「え?」と目を丸くすることになった。
ロブロスは、問答無用とばかりに言葉を重ねてくる。
「南の恵みを手に入れるために、ゲルドの貴人らがどのような食材を携えてきたのか、それも確かめておきたく思うのだ。手間ではあろうが、よろしく願いたい」
異国の貴族にそのように願われては、俺も断ることはできなかった。
それに、俺にとってもこの交易は重要であるのだ。アルヴァッハたちの喜びを願うのと同時に、今後もゲルドやジャガルから届けられる食材を扱えるように、俺も力を尽くすしかなかった。
(それに、シフォン=チェルの一件はどうなるんだろう……どうしても、シフォン=チェルが南の民としてジェノスで働くことは許されないんだろうか)
そんな風に思い悩みながら、俺はこっそりリフレイアたちのほうをうかがってみた。
リフレイアは、取りすました顔でクリーム・シチューをすすっている。一見は、すっかり落ち着きを取り戻した様子であるが――その鳶色の瞳は、かつてないほどに炯々と光り、目前に立ちはだかる不本意な運命をにらみ据えているように思えてならなかった。
「……そしてもちろん、今宵の晩餐会を取り仕切るのは、ジェノス侯爵マルスタイン殿であるな?」
いきなり矛先を向けられて、マルスタインは「ええ」と微笑んだ。
「ごく内々の晩餐会でありますが、ささやかながらに使節団の方々を歓待させていただきたく思います」
「ではそこに、ゲルドの貴人らと森辺の者たちも招待してもらいたい」
さしものマルスタインも、「ほう」と目を見開くことになった。
「敵対国たるシムの方々と、平民に過ぎない森辺の民らを、歓待の晩餐会に?」
「うむ。この後は、ゲルドの貴人らも森辺の民らも退席するのであろう? しかし、この短い時間だけでは、ゲルドの貴人らの心根を見定めることも、森辺の民に対する好奇心を満たすこともかなわなかった。急な申し出で恐縮だが、どうにか肯じていただきたい」
マルスタインはゆったりと微笑みながら、指定された人々の姿を見回した。その中には、もちろん俺も含まれている。
「ロブロス殿のたっての願いとあっては、わたしも肯じる他ないが……その招待を受けるかどうかは、当人たちの心持ち次第でありましょうな」
「我、拒む理由、存在しない」
ノータイムで、アルヴァッハが返答した。
いっぽうジザ=ルウは数秒ほど思案したのち、「承知した」と答える。
「ただし、この場にいる5名の他に、3名ほど加えさせてもらってもよいだろうか?」
「ふむ。3名とは、どのような顔ぶれであろうか?」
「アスタとともにかまど仕事の取り仕切りを任されている妹レイナと、ルティムの家長ガズラン=ルティム、および先代家長のダン=ルティムとなる」
「ほう」と、ロブロスが目を光らせた。
「ダン=ルティムとは、傀儡の劇に登場した豪傑であるな? もしやその者も、この場に参じていたのであろうか?」
「うむ。現在は女衆らとともに、別室にて控えている」
「そうか」と、ロブロスは椅子の背もたれに体重を預けた。
「8名というのは、いささか人数が多いようにも思えるが……まあ、よかろう。急な申し出をしたのは、こちらであるからな」
そうして俺たちは、いきなり城下町の晩餐会に参席することを余儀なくされてしまった。
しかし、俺にとってはまたとない好機である。このままリフレイアたちとお別れするのはあまりに忍びなかったし、それに――シフォン=チェルにあのような言葉を言いつけたロブロスの真情を、俺は確かめずにはいられなかったのだった。