南の王都の使節団①~対面~
2020.7/22 更新分 1/1 ・7/26 誤字を修正
それから、2日後――茶の月の20日である。
俺たちは、朝から荷車で城下町に向かっていた。
本日は、ジャガルの使節団を歓待するための料理を準備してほしいと、そのように依頼を受けている。
そしてその前に、使節団の責任者と会見をしてほしいと願われていたのだ。
「西と東に続いて、ついに南の貴族と対面か。ずいぶんややこしい話になったものだな」
荷車の中でそのように言いたてていたのは、本日も護衛役を志願したラヴィッツの長兄であった。茶の月の頭に収穫祭を行った彼らも、すでに休息の期間を終えていたのであるが、まだまだギバの数は少なかったので、仕事を休むのに支障もなかったのだ。
ただし今回は、相手が未知なる南の使節団ということで、護衛役も増員されている。その結果として、フォウの血族からもチム=スドラとジョウ=ランが参じていた。それにラヴィッツの長兄とモラ=ナハム、そしてアイ=ファを加えた5名という、なかなかバラエティにとんだ顔ぶれであった。
いっぽうかまど番は、トゥラン伯爵家の晩餐会と同じ顔ぶれとなる。俺、トゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア、フェイ=ベイム、ラッツの女衆の7名だ。今宵はいささか晩餐会の規模が大きかったため、ルウ家と小さき氏族からそれぞれ精鋭部隊を選出する事態に至ったのだった。
「宿場町の領民でも、貴族などとはそうそう顔をあわせる機会はないと聞くぞ。そう考えると、このようにたびたび城下町に招かれる森辺の民というのは、ずいぶん特殊な立ち位置になるのではないだろうかな」
「そうですね。でも、森辺の祝宴には城下町の貴族と宿場町の民の両方を招いたりもしています。森辺の民が架け橋となって、城下町と宿場町の間にも絆が芽生えたりすれば、いっそう望ましいのではないでしょうか?」
そんな風に応じたのは、同じ荷車に乗っていたジョウ=ランであった。
そちらに向きなおりながら、ラヴィッツの長兄は「ほほう」と口の端を吊り上げる。
「さすが、宿場町の民を嫁に取ろうなどと考える人間は、言うことが違うな。一瞬、アスタが言葉を発したのかと思ってしまったぞ」
「俺なんて、アスタの足もとにも及びません。ただ、アスタのおかげで色々なことを考えられるようになったと思います」
よりにもよって、個性的な面々が同乗してしまったものである。普段はおしゃべりなレイ=マトゥアやラッツの女衆も、この荷車においては彼らの様子を興味深そうに見守っている場面が多くなっていた。
(こういうときって、だいたい血族同士で固まるもんだよな。ジョウ=ランやラヴィッツの長兄が、あえて血族とは別の荷車に乗り込んだってのは……さまざまな氏族の相手と交流を広めようっていう意識の表れなんだろうか)
ともあれ、もういっぽうの荷車でもチム=スドラとモラ=ナハムが絆を深められていれば幸いであった。
ちなみに、昨晩もファの家に逗留したプラティカとニコラは、自前の荷車で俺たちを追いかけてきている。厨の見学を許すかどうかは今日の内に決するので、とりあえずは俺たちと一緒に参ずるようにと言い渡されたのだ。
やがて荷車がルウの集落に到着すると、そちらでも2台の荷車が準備されていた。
かまど番は、レイナ=ルウ、シーラ=ルウ、ララ=ルウ、リミ=ルウ、マイム、ルティムの女衆、護衛役は、ダルム=ルウ、ルド=ルウ、ジーダ、ガズラン=ルティム、ダン=ルティム、といった顔ぶれとなる。さらに、族長代理として南の使節団と会見をするジザ=ルウを加えて、定員いっぱいの12名であった。
「そんじゃー、行くか」
ルド=ルウの号令で、5台の荷車が発進する。
プラティカとニコラを除いても、これだけの人数で城下町に向かうというのは、ずいぶんひさかたぶりのことであった。そもそもかまど番だけで13名というのも、過去最大なのではないだろうか。数日前にふってわいたような依頼にしては、ずいぶん大がかりなものであった。
そしてさらに、森辺から参ずるのはこのメンバーだけではなかったのだ。
5台の荷車が宿場町を踏破して、城下町の城門にまで到着すると、そこにはサウティ家の荷車が待ちかまえていた。
「皆、息災なようだな。今日は1日、よろしく頼む」
ダリ=サウティが、普段通りの落ち着いた笑顔で俺たちを出迎えてくれた。
かつて北の民たちが森辺に街道を切り開く工事に着手した際、その面倒を見ていたのはサウティ家に他ならなかったので、族長たるダリ=サウティも招集されることになったわけである。そちらの荷車には、お供の男衆が1名だけ同行していた。
そうして俺たちが旧交を温めていると、城門から武官が近づいてくる。いつもの初老の武官ではなく、近衛兵団と思しき立派なお仕着せを纏った若者であった。
「貴き方々は、間もなく参られます。荷車を街道の端に寄せて、お待ちください」
南の使節団は、これからトゥランの作業場の視察をする。森辺の民も、まずはそれに同行してほしいと言い渡されていたのだ。
しばらくすると、城門の向こうから立派なトトス車がしずしずと現れた。
そのトトス車の左右には、トトスに跨った騎兵の姿も見て取れる。その半数は、鎖かたびらを纏ったジャガルの兵士たちであった。
「我々が先導しますので、森辺の方々も追従をお願いいたします」
そのような指令を受けて、俺たちはトトス車と騎兵の行軍を追いかけることになった。
トトス車の数は2台であるが、騎兵の数は50名にも及ぶ。それも、白銀の甲冑を纏った近衛兵と鎖かたびらを纏った南の兵士が半々である。御者台の脇からその物々しい様子を盗み見たラヴィッツの長兄は、「ふふん」と鼻を鳴らしていた。
「俺たちが一斉にかかれば、あれらを討ち倒すことも難しくはなかろうな。あやつらは森辺の民を信頼しているのか、それともその力を見くびっているのか……いささか、判断に迷うところだ」
「……何にせよ、我々がそのような真似をする理由はないぞ?」
御者台のアイ=ファが低い声でたしなめると、ラヴィッツの長兄は「無論だ」と肩をすくめた。
「しかし、護衛役たる俺たちは、相手の力量をはかっておく必要があろう?」
「そのようなことは、誰もがわきまえている。しかし、わざわざ口にする必要はない」
護衛の仕事に関しては、アイ=ファのほうこそがエキスパートであるのだ。ラヴィッツの長兄は不敵に微笑みながら、引き下がることになった。
行軍は、やがてトゥランに到着する。
俺にとっては、初めてのトゥランである。まさか、このような形でトゥランの地を踏むことになろうとは、夢にも思っていなかった。
トゥランの領地は、頑丈そうな木造りの塀にぐるりと囲まれている。ギバの襲来を防ぐための塀である。その入り口から領内に踏み入ると、地面が剥き出しになった道の左右に、木造りの家屋がずらりと立ち並んでいた。
「ふむ……確かにどの家も、しっかりと補修が為されているようだ」
アイ=ファが、誰にともなくつぶやいた。アイ=ファはかつて俺がリフレイアにさらわれたとき、このトゥランに足を踏み入れていたのである。
家屋の密集した居住区域を通り抜けると、とたんに視界が開ける。
トゥランは領地の中央部にフワノやママリアの畑があり、それを取り囲む格好で家屋が建てられているのだ。
広々とした畑では、大勢の人々が立ち働いている。俺の視力では判然としないが、それこそが北の民たちであるはずだった。
トトス車は畑の外周を巡るようにして進んでいく。畑と逆の側に並んでいるのは、これまでよりも立派な造りの家屋である。ガズラン=ルティムによると、それは畑の管理を任されている人々の家屋であり、かつてはサイクレウスの私邸も含まれていたのだという話であった。
(ザッツ=スンやズーロ=スンが族長であった時代は、3ヶ月置きにこの場所を訪れていたんだな)
そのように考えると、俺はえもいわれぬ感慨にとらわれてしまった。
歴代の族長たちは、会合のたびにこうしてトゥランで働かされる北の民たちの姿を見せつけられていたことになる。そしてサイクレウスというのは、奴隷を見るのと同じ目つきで森辺の民を見ていたのだと――カミュア=ヨシュやガズラン=ルティムは、そんな風に言っていたはずであった。
その時代の森辺の民は、トトスも荷車も所有していない。スンの集落からこの場所まで、徒歩では90分ぐらいもかかってしまうことだろう。その一歩一歩を踏みしめるごとに、ザッツ=スンはジェノスに対する反感を募らせていったのかもしれなかった。
「……到着したようだな」
と、アイ=ファがギルルの手綱を引いた。
前方でも、トトス車や騎兵たちが停止している。その先には、ひときわ大きな石造りの建物が見えた。
俺たちが待機していると、騎兵のひとりがこちらに近づいてくる。最初に声をかけてくれた、若い近衛兵だ。
「では、使節団の方々と面会される5名は、こちらに」
ジョウ=ランに手綱を託して、俺とアイ=ファは地面に降りることになった。
ルウ家の荷車からはジザ=ルウとリミ=ルウが、サウティの荷車からはダリ=サウティが参上する。これが、南の使節団と面会する5名であった。
近衛兵もトトスから降りて、俺たちをトトス車のもとまで先導する。
その間、頭上からは遠慮のない視線を突きつけられることになった。南の王都の兵士たちである。やはり彼らも兵士の性で、森辺の狩人の力量を検分しているように感じられた。
やがてトトス車にほど近い場所で、俺たちは待機を命じられる。
それとほとんど同時に、トトス車の扉が開かれた。まずそこから現れたのは、メルフリードとポルアースと外務官の3名だ。
さらに、フェルメスとジェムドが現れて――そののちに、ついに使節団の責任者たちが姿を現した。
立派な装束を纏った小柄な男性と、いかにも武官らしいお仕着せを纏った大柄な男性である。
「……この者たちが、森辺の民であるか」
小柄なほうの男性がよく響く声でそのように言いたてると、ポルアースが笑顔で「はい」と応じた。
「右から、ジザ=ルウ殿、リミ=ルウ嬢、ダリ=サウティ殿、アスタ殿、アイ=ファ殿となります。……森辺の方々も、ご足労であったね。こちらがジャガルの使節団の団長たるロブロス殿で、こちらが兵士長のフォルタ殿だ」
小柄なほうがロブロスで、大柄なほうがフォルタであるようだった。
フォルタというのは、俺がこれまで見てきた中でも、もっとも身体の大きい南の民である。ダリ=サウティやジザ=ルウよりも大きいので、185センチ以上はありそうだ。それこそ、北の民と見まごう巨漢であった。
しかも、手足の太さや身体の厚み、それに頭の大きさが尋常ではない。首などはほとんど肩の筋肉に埋まってしまっており、上腕の太さなどは華奢の女性の腰回りほどもありそうに感じられた。
やっぱり南の民というのは、骨格の出来が違っているのだろう。彼に比べれば、ジィ=マァムやディック=ドムだってすらりと見えたかもしれない。骨が太くて、肩幅や胴回りも尋常なサイズでないために、まるで壁のようだった。
その巨大な体躯に纏っているのは、鎖かたびらではなく武官らしいお仕着せだ。頭には砲弾のように頭頂部の尖った兜をかぶり、その中心には彼の身分を示すのであろう黄金の飾り物がきらめいている。腰に下げているのは、立派な鞘に収められた巨大な長剣であった。
顔のほうは、典型的な南の民である。髪も髭ももしゃもしゃとしており、ぎょろりとした目には緑色の瞳が光っている。ただ、顔のサイズそのものが巨大であるために、やたらと迫力のある面相となっていた。
そんな巨漢のかたわらにあるためか、ロブロスのほうはずいぶん小さく見える。また、南の民としても小柄なほうであるのだろう。160センチには達していないように見えた。
ただし、迫力の度合いでは隣のフォルタに負けていない。とりわけ印象的であるのは、アマンサのように青みの強い紫色の瞳であった。その眼光がとにかく鋭くて、視線をぐいぐいと押しつけてくるかのようであるのだ。
また、身なりのほうもいささか異彩を放っている。西洋風の胴着に脚衣というのはジャガルらしい様式であるが、彼はその上から袈裟のような前掛けのようなものを着込んでおり、そこに施された金色の刺繍がぎらぎらと照り輝いていたのだった。
宿場町を闊歩していた行軍も、同じ紋様の旗を掲げていたように記憶している。ぎざぎざとした三角形を主体としたデザインであり、もしかしたら岩山がモチーフにされているのだろうか。大地の神を崇める南の王国の国旗としては、相応しいものであるように思えた。
また、額には赤銅色の金属の環をはめており、そこにも黄金色の宝石が輝いている。毛髪はその環によってぴっちりと抑えつけられているのだが、もしゃもしゃの髭は胸の紋章の上半分を覆い隠すぐらい豪快に渦巻いていた。
(リフレイアは、こんなお人らを説得しないといけないのか……)
一昨日のリフレイアは、使節団の責任者を「謹厳実直」と評していた。それはもちろん美点と呼ぶべき特性であろうが、謹厳実直も度を過ぎれば頑迷さに通じる恐れがある。同じ特性を有するメルフリードとて、出会った当時はなかなかの威圧感であったのだった。
「……もともと我々が面会を望んだのは、森辺の族長ダリ=サウティと、ファの家のアスタのみとなる」
やがてロブロスは、青紫色の瞳を炯々と光らせながら、そう言った。
「さらに3名の人間を追加したいという話は了承していたが……それは、別なる族長筋の子息とファの家の家長、そして、北の民に与える食事に大きく関わった人間である、という話ではなかったか?」
「ええ、その通りでありますね」
ポルアースが社交的な笑顔で応じると、ロブロスは強い眼光をそちらに突きつけた。
「では、何故にこのような幼子がまぎれこんでいるのか、説明を願いたい。その幼子は、どのような身分にある者なのであろうか?」
「はい。リミ=ルウ嬢はジザ=ルウ殿と同じく、族長ドンダ=ルウ殿の子にあたります。このたびの責任者は、レイナ=ルウ殿ではなくリミ=ルウ嬢であったのだよね?」
ポルアースの言葉に、リミ=ルウは「はい!」と元気に応じた。普段通りの、とびっきりの笑顔である。ロブロスは、ゆっくりとそちらに向きなおった。
「……最初に食事の仕事を受け持ったファの家のアスタは、雨季の病魔に臥したため、別なる人間に仕事を引き継いだと聞いている。それが、其方であるというのか?」
「はい! 仕事はみんなで果たしましたけど、だいたいはリミ=ルウが取り仕切ることになりました!」
レイナ=ルウやシーラ=ルウには屋台の取り仕切りがあったため、リミ=ルウがその役を負うことになったのだ。その際に、俺が考案したクリームシチューをいちはやく得意料理として習得するに至ったのだった。
ロブロスは、まだ納得していない様子で「ふむ……」とうなっている。
「森辺の民はいたわりの心情でもって、北の民の食事の世話をしたのだと聞き及んでいる。奴隷に過ぎない北の民に対して、そのような温情をかける森辺の民の行いに、我々は大きく感銘を受けたものであるのだが……それは、思い違いであったのであろうか?」
「思い違い? それは、何故でしょう?」
「このような幼子に責任を負わせるというのは、森辺の民が片手間で北の民の世話をしていたという証になるのではないだろうかな?」
生半可な人間であれば、その眼光だけで気圧されてしまいそうなところであった。
しかしさすがのポルアースは、人をそらさぬ笑顔で「いえいえ」と応じている。
「それは、誤解でありましょう。このリミ=ルウ嬢というのは、城下町の茶会において厨を任されるほどの料理人であるのです」
「……それは例の、メルフリード殿の息女が菓子を買いつけているという者であろうか?」
「いえ、そちらはトゥール=ディン嬢と申しまして、あちらの荷車に控えているかと思われます。城下町の茶会においては、リミ=ルウ嬢とトゥール=ディン嬢とアスタ殿の3名が、毎回招かれておりますね」
「ほう……」と、ロブロスがまたリミ=ルウに向きなおった。
リミ=ルウはリミ=ルウで、もっと恐ろしい眼光を持つ家族のもとで育った身である。無礼がないようにしゃきんと背筋をのばしたまま、無邪気な笑顔でロブロスを見返していた。
そこでメルフリードが、「ロブロス殿」と声をあげる。
「森辺の民らとはのちほどゆっくり語らっていただくとして、あちらの車の方々もお呼びしてよろしいだろうか?」
そういえば、もう1台のトトス車からは誰も降りてきていなかったのだ。
ロブロスはしばらくリミ=ルウの笑顔をねめつけてから、「うむ」と応じた。
「まずは、北の民たちの様子を視察せねばな。あちらの方々も参じていただくがよろしい」
「承知いたした」
メルフリードの視線を受けて、近衛兵の若者がトトス車のほうに走っていった。
そちらから現れたのは、リフレイアとトルストとシフォン=チェルである。リフレイアたちがとても穏やかな表情をしていたので、俺はほっと安堵の息をつきかけたのであるが、すぐさまギクリと身体をすくめることになった。その3名の後から、巨大なるふたつの人影が出現したのだ。
「あれは、もしや……ゲルドの貴人たちではないか?」
ダリ=サウティがいぶかしげに声をあげると、メルフリードが「うむ」と応じた。
「ダリ=サウティも、リリンの婚儀で挨拶をしていたはずだな。いかにもあちらは、ゲルドの貴人たるアルヴァッハ殿とナナクエム殿である」
「やはり、そうであったか。……しかし、シムとジャガルは敵対する間柄であると聞いていたのだが」
「同行を願ったのは、吾輩である」と、ロブロスが割り込んだ。
「かの者たちは、ジェノスを通してジャガルの恵みを買いつけようとしているのだと聞き及んでいる。それは王国の法に背く行いではないのであろうが……かといって、我々が無条件に受け入れるべき話でもないはずであろう」
「ふむ。あの者たちは、南の王都からも食材を買いつけようとしていたのであろうか?」
「否。しかし、ジャガルの版図に存在する領地は、すべからく王都の意思に従うべきである」
そんな風に言ってから、ロブロスはダリ=サウティの姿をじろりとねめつけた。
「……ところで其方は、まるで我々と対等な立場であるかのように振る舞っているな」
「気分を害したなら、申し訳なく思う。決して礼節の心を忘れてはいないつもりであるのだが」
ダリ=サウティは、とても穏やかな表情でそのように応じた。
どっしりと大地に根を張った、大樹のごとき風格を有するダリ=サウティである。ロブロスはその姿を上から下まで検分してから、「まあよかろう」と言い捨てた。
「ともあれ、ゲルドなる領地の者たちの心根を確かめぬ内に、うかうかと南の恵みを受け渡すことはできん。我々がこの地で相まみえたのは四大神の思し召しと判じ、その心根を確かめさせてもらおうと考えている」
では、アルヴァッハたちがロブロスのお眼鏡にかなわなければ、ジャガルの食材を受け渡すこともできなくなる、ということなのであろうか。
そうして俺がひそかに困惑している間に、アルヴァッハたちがこちらに到着していた。
「お待たせいたしました、ロブロス卿。ご要望の通りに、シフォン=チェルも同行させましたわ」
リフレイアが貴婦人の礼をすると、ロブロスは真面目くさった面持ちで「うむ」と応じた。
「では、トゥランの視察を始めたく思う。ゲルドの方々も、よろしかろうな?」
「うむ。トゥラン、北の民、対面できる、大きな喜びである」
アルヴァッハとナナクエムは、いつも通りの重厚なるたたずまいであった。
ただ、周囲の空気がはっきりと張り詰めている。その原因は、ずっと無言をつらぬいている兵士長のフォルタと、この場を遠巻きにしている南の兵士たちが原因であるように思われた。
ロブロスの様子に大きな変化は見られないが、フォルタは明らかに緊迫していた。その緑色の瞳は射るようにアルヴァッハたちを見据えており、その巨体からは蒸気のように闘志がたちのぼっているかのようである。そして、それを敏感に察知したアイ=ファやジザ=ルウたちも、警戒レベルを一段階ひきあげたように感じられた。
アルヴァッハたちも静かな重圧感ともいうべき迫力を有しているが、やはり東の民であるために、決して感情をこぼそうとはしない。それがまた、闘争心の塊と化したかのようなフォルタと、見事なまでに対照的であった。
なおかつ、身体の厚みや横幅では圧倒的にフォルタがまさっているが、アルヴァッハなどは2メートルに及ぼうかという長身の持ち主である。それに、草原の民と比べれば遥かに逞しく、腰には湾曲した刀を下げている。それはまるで、沈着なる黒豹と凶暴な大型犬が相手の出方を探るように牽制しあっているかのようだった。
「……では、北の民たちの食事場にご案内いたそう」
と――両者の眼光を断ち切るようにして、メルフリードが進み出た。
メルフリードもまた、180センチを超える長身の持ち主で、なおかつ剣王の称号を有する名うての剣士だ。鉄仮面めいた無表情に月光のごとき眼光を持つ彼は、東や南の勇士たちともまた異なる迫力を携えていた。
(なんというか……とんでもない場に居合わせちゃった気分だな)
俺たちは、アルヴァッハたちが参じることなど、まったく聞かされていなかった。ということは、昨日の夜か今日の朝にでも、いきなり決定されたことであるのだろう。このロブロスという人物がどういった思惑でこのような真似に及んだのか、俺としても気が揉めてしかたがなかった。
(だいたい、今さら森辺の民を呼びつけるっていうのも、よくわからないんだよな。北の民の移住が決定された後に、わざわざ俺たちを呼びつける理由はないように思うんだけど……)
そんな俺の思惑も余所に、トゥランの視察が開始された。
向かうのは、トトス車の向こうに立ちはだかっていた石造りの建物である。城下町の外ではほとんど見かけることのない石造りの家屋であるが、それはずいぶん無機的で、飾り気のない様相であった。
「こちら、北の民、寝場所であろうか?」
ナナクエムがそのように問いかけると、ポルアースが愛想よく「はい」と応じた。
「北の民たちを送り出した後は、こちらも宿泊施設か何かに造りかえる予定となっています。しばらくは、日雇いの人間に頼る面も多いでしょうからね」
ロブロスやフォルタは、以前にもトゥランの様子を見届けているのだろう。いっぽう初めての検分となるアルヴァッハとナナクエムは、俺たちと同じぐらい興味深そうに周囲の様子をうかがっているようだった。
四角い石造りの建物は3階建てで、同じものが4棟ほどずらりと並べられている。現在は扉がぴったりと閉められており、内部の様子をうかがうこともかなわなかった。
「……かつて、凶賊たち、この場所、襲撃したのであるな?」
今度は、アルヴァッハが重々しい声音で問い質した。
ポルアースもいくぶん真面目くさった面持ちとなって、「ええ」とうなずく。
「大罪人シルエルの率いる《颶風党》が襲撃したのは、奥から2番目の建物となります。かつてトゥランの支配層であったシルエルは、北の民たちの取りまとめ役が寝起きしていた場所も把握していたということでありますね」
そうしてシルエルは、北の民たちに脱走をうながし――それを断られたため、取りまとめ役の男性を斬り伏せたのだ。
しかしその人物は魂を返すことなく、翌日に意識を取り戻した。そして、その人物と面談したカミュア=ヨシュが、襲撃者の正体を知らされる事態に至ったのであった。
「北の民たちは凶賊どもの甘言にも惑わされず、この場に留まった。それもまた、北の民たちが西の王国に対する憎悪に凝り固まっていない証となろう」
と、ロブロスが遠慮なく会話に割って入った。
「言うまでもなく、南と西は友好国である。西の王国に深い恨みを抱いた人間を、南の王国に迎えるわけにはいかん」
「うむ。得難き話である。北の民たち、凶賊、加わっていたならば、我々の罪、より重くなっていた」
「ふん。ゲルドの山賊の悪名は、遥かなる南の王都にまで鳴り響いているからな」
ロブロスが、青紫色の瞳でアルヴァッハをねめつけた。
アルヴァッハは、海のように深い青色の瞳でそれを見返す。
「……貴殿、瞳の色、北の民、思わせる」
「なに?」
「ゲルドの民、北の民、血の縁、重ねたため、紫色の瞳、多い。こちら、ナナクエム、然りである。貴殿もまた、北の民のごとき、瞳の色である」
「……南の王都には、紫色の瞳や大柄な体格をした人間が多い。それらはいずれも、先祖返りと呼ばれている」
「なるほど。南の民、かつて、北の民、血族であった、伝承、所以であるな。……興味深い」
ロブロスはしばらくアルヴァッハの長身をにらみあげていたが、やがてふいっとポルアースに向きなおった。
「では、食事場の視察に取りかからせていただこう」
「はい。こちらにどうぞ」
ポルアースの案内で、俺たちは建物の裏側に回ることになった。
そちらに近づくにつれ、ポイタンを焼きあげる芳しい香りが強くなってくる。アイ=ファのかたわらで小さな鼻をひくつかせていたリミ=ルウは、やがて建物の裏側に到着すると、「あーっ!」と元気に声を張り上げた。
「北の民の女衆だー! みんな、ひさしぶりー!」
その場で働いていた人々が、はっとした様子でこちらを振り返った。
そこは革の屋根が張られた屋外の炊事場であり、何名ものマヒュドラの女衆が忙しそうに立ち働いていたのだ。
「……リミ、このような場で許しもなく声をあげるものではない」
ジザ=ルウが、低い声音で幼い妹をたしなめた。
リミ=ルウは慌てて自分の口もとを押さえてから、貴き方々に向かって「ごめんなさーい!」と謝罪する。それに「かまわん」と応じたのは、意外なことにロブロスであった。
「この場で言葉を飾る必要はない。森辺の民らは、心のままに北の民たちと言葉を交わすがいい。……そのためにこそ、我々は其方たちをこの場に呼びつけたのだ」
そのために、とはどういう意味であるのだろう。
俺がその真意を探っている間に、奥のほうから大きな人影が近づいてきた。護民兵団と思しき身なりをした男性に導かれた、2名のマヒュドラの男衆である。
「失礼いたします。ご用命により、こちらの両名を招集いたしました」
男衆も女衆も、その足には鎖が繋がれている。それをじゃらじゃらと鳴らしながら、こちらに近づいてきた男衆のひとりが、驚嘆に目を見開いた。
「シフォン……また、来たか」
シフォン=チェルは無言のまま、一礼した。周囲の人々の目をはばかって、迂闊に返事をすることはできなかったのだろう。
しかしその瞳には、こらえかねたように涙がにじんでいた。
その男衆は、シフォン=チェルの兄たるエレオ=チェルであったのだ。
「そちらが、侍女シフォン=チェルの兄であるか」
ロブロスが声をあげると、エレオ=チェルともうひとりの男衆は地面に膝を折ろうとする。ロブロスは、それを「よい」と掣肘した。
「異国の地において、異国の民に膝を折られる理由はない。其方たちは南方神に神を移したのち、しかとジャガルの法を学ぶがよい」
慇懃な調子でそのように言いたててから、ロブロスは俺を振り返ってきた。
「ファの家のアスタよ。其方もまた、この者とゆかりのある立場ではなかったか?」
「は、はい……2度ほど顔をあわせたことがあるだけですけれど……」
そのような話までロブロスたちに伝わっているのかと、俺は息を呑む思いであった。
ロブロスはしかつめらしい面持ちで、「ふん」と鼻を鳴らす。
「其方たちは心のままに振る舞うがいいと言いつけたはずだ。心を偽ることこそが、この場においては罪になると心得よ」
俺には、ロブロスの言葉の真意がまったく計り知れなかった。
だけど俺は、これでも森辺の民の一員だ。相手の言葉を疑って心を偽るよりは、正面からその言葉を受け止めるべきであるのだろう。
そのように考えて、俺はエレオ=チェルに笑いかけてみせた。
「おひさしぶりです、エレオ=チェル。お元気そうで、何よりです」
エレオ=チェルは、深みのある紫色の瞳で俺を見返してきた。
金褐色の渦巻く髪に、赤銅色に焼けた肌を持つ、魁偉な容貌をした北の民である。シフォン=チェルの兄であればまだまだ若いはずであるのだが、ごわごわとした無精髭に顔の下半面を覆われているため、壮年のように見えてしまう。
しかし、その眼差しはやわらかかった。
妹を見るときと同じぐらい優しい眼差しで、エレオ=チェルは俺の視線を受け止めてくれた。
「ファの家のアスタ。再会、嬉しい、思う」
つたない西の言葉で、エレオ=チェルはそう言った。
その姿を、ロブロスやフォルタは探るような眼差しでじっと見やっているようだった。