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異世界料理道  作者: EDA
第五十三章 四大神の子ら
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伏して待つ日々①~報告~

2020.7/20 更新分 1/1

・今回の更新は、全8話です。

 トゥラン伯爵家の晩餐会を終えた後、俺はしばらく落ち着かぬ日々を過ごすことになった。

 言うまでもなく、それはシフォン=チェルがメルフリードに直訴した一件がどのような形で落着するか、気になってたまらなかったためである。


「お前が心を乱しても、結果が変わることはあるまい」


 アイ=ファなどには、たびたびそのように諭されることになった。

 しかし、アイ=ファは鋼の精神力でもって、自分の感情を抑制しているのだろう。アイ=ファは俺たちとティアの別れをリフレイアとシフォン=チェルの別れに重ねている節があったので、俺と同じぐらいこの一件に感情移入しているように見受けられた。


 アイ=ファのそういった心情は、俺にも痛いぐらい理解できている。ティアとシフォン=チェルでは似通った部分などないように思えるが、それでも根底の部分には確かな共通点があったのだ。


 それは両者が、個人の感情ではどうにもならないほどの大きな存在によって、人生の行く末を左右されている点であった。

 ティアは聖域の掟に、シフォン=チェルは四大王国の掟によって、人生の選択を迫られることになった。家族や同胞とともに生きるか、血族ではないが慕わしく思える相手とともに生きるか――それで、ティアは前者を、シフォン=チェルは後者を選ぶことになったのだ。


 もちろん、ティアとシフォン=チェルでは立場も背負っているものも違うだろう。ただ、リフレイアを慕わしく思いながら、遠い異国で暮らさなければならないのだと思われていたシフォン=チェルは、どうしたってティアの存在を思い出させてやまなかったのだ。


 しかし、シフォン=チェルはジェノスでリフレイアとともに生きる道を選んだ。

 ティアとは異なり、自分さえ望めばのちのち家族や同胞のもとに戻ることも許されるのであろうが、それにしたって大きな決断であることに違いはない。

 そんなシフォン=チェルの覚悟が、果たして報われるのかどうか――俺は胸をしめつけられるような思いで、その結果が届けられる瞬間を待ちかまえる事態に至ったのだった。


「なんだか、そっちは大変だったみたいだねー。ま、こっちも大変じゃないわけじゃなかったけどさ」


 そのように言いたてたのは、後から事情を知らされたララ=ルウであった。晩餐会の翌日、屋台の商売が終わりに近づき、ともに青空食堂の仕事を果たしていた際のことである。


「そっちはそっちで、サトゥラス伯爵家の晩餐会だったんだもんね。でも、料理のほうはご満足いただけたんだろう?」


「うん。でも、レイナ姉がまた――」


 と、ララ=ルウが何か言いかけたところで、空の食器を抱えたレイナ=ルウが慌てて駆け寄ってきた。


「ちょ、ちょっと! 余計なことは言わないでいいってば!」


「えー? 余計なことなのかなあ? ドンダ父さんだって、すべての氏族に話を回そうとしてるんじゃない?」


 それは、穏やかならぬ話であった。朝方には、サトゥラス伯爵家の晩餐会も大成功に終わったという嬉しい報告を受けていたのだ。


「いったい何があったのかな? 料理のほうに問題はなかったんだろう?」


「うん。料理の話じゃなくってさ。レイナ姉が、また貴族に色目を使われちゃったみたいなんだよねー」


「い、色目なんて使われてないってば! ただ、ちょっと誤解があっただけで……」


 そうしてレイナ=ルウは、事の顛末をしぶしぶ打ち明けてくれた。

 今回の晩餐会は、ルイドロスの姪にあたる人物の婚儀の前祝いであったわけだが、その人物の伴侶となる男性が、食後の挨拶に出向いたレイナ=ルウの姿に見とれてしまったのだそうだ。


「なるほど……これは、リーハイム殿が執心されたというお話も納得でありますね」


 その男性は、そんな風に言っていたらしい。

 まあ、言葉の内容自体に大きな罪はないように思えるが、しかしこれは彼自身の婚儀の前祝いの席であったのだ。彼の伴侶となるべき女性は大いにむくれてしまい、それを取りなすのにけっこうな時間と労力が費やされたのだという話であった。


「そっかそっか。それは大変だったねえ。でも、婚儀の約束が取り消されたりはしなかったんだろう?」


「も、もちろんです! あんなのは、ただの軽口であったのですから……」


「でも、そいつはとろーんとした顔でレイナ姉のことを見てたんでしょ? あれじゃあ相手の女衆が怒るのも当然だって、シーラ=ルウが言ってたよ?」


「そ、そんなことは……ないと思うけど……」


 樽の水で皿洗いをしながら、レイナ=ルウは頬を染めつつ、上目づかいに俺を見つめてきた。


「……どうしてわたしばかりが、このような目にあってしまうのでしょう? 何か、私の立ち居振る舞いに問題でもあるのでしょうか……?」


「いやあ、それは相手の問題だよ。婚儀の前祝いの場で他の女性に見とれるなんて、言語道断だね。レイナ=ルウには、なんの責任もないさ」


「そーそー! いっそのこと、婚儀の約束なんて取り消されちゃえばよかったのにね!」


 レイナ=ルウは、ちょっときょとんとした様子で俺とララ=ルウの顔を見比べた。


「そ、そうですか。……ララはともかく、アスタが見知らぬ相手にそのようなことを言いたてるのは珍しいように思います」


「そうかい? ただ、相手の女性に対して、あまりに失礼だと思ったからさ」


 それに世間には、婚儀を挙げたくてもなかなか挙げられない人間だって存在するのだ――などと考えるのは、完全に私情であっただろうか。とにかく、愛する相手と婚儀を挙げられるという幸福に見舞われながら、それをないがしろにするような行為は、なんとも腹立たしく思えてならなかったのだ。


「だけどまあ、料理のほうはご満足いただけたんだからね。一番大事なのは、その点さ」


 俺がそのように取りなすと、レイナ=ルウは「はい」と幸福そうに微笑んだ。朝方にも、レイナ=ルウはこんな素敵な笑顔で昨日の報告をしてくれたのだ。俺のいない場で、自分の責任で城下町の仕事を無事に果たすことができて、レイナ=ルウは心からの誇らしさを得ることができたのだろう。俺としても、もっとも古くからの交流を持つレイナ=ルウがついに独り立ちをしたような感慨を噛みしめることができていた。


 トゥラン伯爵家の晩餐会を受け持った俺のほうも、料理の面では大成功を収めることができたと言ってもいいだろう。アルヴァッハの論評も、これまでで一番熱が込められていたように思う。妥協を知らないアルヴァッハがああまで賞賛してくれたのだから、俺は胸を張っていいはずであった。


 よって、気にかかるのはシフォン=チェルの一件だ。

 ジェノス城では、どのような詮議が行われているのか。俺がその結果を知ることができるのは、いつなのか。そんなことを悶々と考えながら、俺は日々を過ごすことになった。


 そうして迎えた、茶の月の17日――晩餐会の、3日後である。

 その日も俺は、頭の片隅に煩悶を抱えながら、屋台の商売に取り組んでいた。


 晩餐会の翌日までを城下町で過ごしていたプラティカは、昨日になってニコラとともに姿を現し、ルウの家に逗留した。昨日はルウの家における勉強会であったので、そのままルウ本家で晩餐をともにして、朝方の下ごしらえの仕事まで見届けたのだ。よって本日は、4日ぶりにファの家に逗留することになっていた。


 最近のプラティカとニコラは、宿屋と森辺の屋台の料理を、均等に食べるようになっていた。まずは宿屋の屋台村で半分ほど腹を満たして、そののちに俺たちの屋台で満腹になるまで料理を食するというスタイルだ。

 なお、なるべくさまざまな献立を味見できるように、両名はそれぞれ異なる料理を買い求めて、それをシェアするという作戦を取っていた。いまだ出会って10日足らずの両名であるのに、すっかりコンビプレイが板についてきた様子である。


 そうしてその日も、プラティカとニコラを青空食堂に迎えて、俺たちはつつがなく商売を進めていたわけであるが――そこに、城下町からのトトス車が到着したのだった。

 トトス車は、町の入り口で停車する。この距離では車体の紋章を確認することもできなかったが、地面に降り立った人物の姿に、俺は息を呑むことになった。それは、東の民のようにフードつきマントを纏った、サンジュラであったのだ。


「アスタ。ご報告、遅れてしまい、申し訳ありません。仕事の後、時間、いただけますか?」


「も、もちろんです! なんなら、今すぐにでも――」


「いえ。リフレイア、仕事、終わるのを待つ、言っています。時間、気にせず、語らいたいためです」


 そう言って、サンジュラはやわらかく微笑んだ。


「その間、我々も、ギバ料理、いただきます。4名分、見つくろっていただけますか?」


「4名ということは、シフォン=チェルにムスルもいらっしゃっているのですね? あの、シフォン=チェルの一件はどうなったのでしょうか……?」


「リフレイア、それを語るため、参じました。私、語ってしまっては、不興を買うでしょう」


 ということで、サンジュラは4名分の料理を抱えて、トトス車と屋台を往復することになった。

 終業時間までは、あと半刻ほどである。その前に、俺の担当している屋台は完売するかと思われるが、それにしたって四半刻はかかりそうなところであった。


「残りの料理は、わずかです。アスタが屋台を離れても問題はないかと思われますが、如何でしょう?」


 本日の相方であったクルア=スンはそんな風に言ってくれたが、俺は「いや」と首を振ってみせた。


「こういうときには、ルウ家の人にも同行をお願いしてるからさ。せめて屋台の仕事ぐらいは終わらせておかないと、申し訳ないよ」


「そうですか。では、一刻も早く料理が売り切れることを祈りましょう」


 ひそやかに微笑みながら、クルア=スンはそんな風に言ってくれた。

 俺は俺で、料理を焦がしたりしてしまわないように細心の注意を払いながら、仕事を継続する。すべての料理を売り切ったのは、やはり四半刻ていどが経過したのちのことであった。

 俺が事情を説明すると、その日も当番であったレイナ=ルウは「わかりました」と首肯した。


「食堂のほうは手も足りているようですので、すぐに向かいましょう。ララ、あとはお願いね」


「うん! いってらっしゃーい」


 俺は食堂で働く人々にお詫びの言葉を届けてから、いざトトス車に向かうことになった。

 トトス車には、警護の武官も2名ほど控えている。伯爵家の当主が乗っていることを考えれば、つつましい人数であろう。しかしまあ、森辺の狩人にも匹敵するサンジュラさえいれば、戦力としては十分なのであろうと思われた。

 その武官の案内で、トトス車の内部へと導かれる。

 10名は乗れる立派なトトス車に、想像していた通りの4名が待ち受けていた。リフレイア、サンジュラ、ムスル、シフォン=チェルの4名である。


「……忙しいところを申し訳なかったわね。でも、こちらも忙しい合間をぬって参じたのだから、容赦してもらえるかしら?」


 開口一番、リフレイアはそのように言った。

 どこか、すねているような口調と面持ちである。ムスルはいくぶん心配そうにしていたが、シフォン=チェルは普段通りにやわらかく微笑んでいた。


「ほら、アスタが来たわよ。これはあなたの起こした騒ぎなのだから、あなたの口からきちんと説明なさい」


「はい……先日は、会食の場を乱してしまい、本当に申し訳ございませんでした……」


「そ、そんなことはまったくかまいません。あの一件は、どのような形で決着がついたのでしょうか?」


 俺がついつい性急に問い質すと、シフォン=チェルは幸福そうに目を細めた。


「ジェノスの領主様は、わたくしがトゥラン伯爵家で働き続けることを許してくださいました……ジャガルの王都にて、南方神に神を移したのち、再びジェノスに戻るようにと……そのように申しつけてくださったのです……」


 俺は、膝から砕けそうになってしまった。

 口からは、無意識の内に大きな息が吐き出される。


「それは……本当によかったです。おめでとうございます、シフォン=チェル」


「祝福の言葉をかけるには、まだ早いのじゃないかしらね。ジェノス侯がなんと言おうとも、ジャガルの側に断られる可能性だって残されているのよ?」


 そっぽを向いたまま、リフレイアがそのように言いたてた。


「ジャガルの使節団とは、ジェノスで暮らす北の民のすべてを引き渡すという約定を、すでに交わしているのだからね。あの謹厳実直なお人たちが、こんなぎりぎりの瀬戸際で条件の変更を認めてくれるかどうか、はなはだ心もとないでしょうよ」


「そっか。そうなんだね。……でも、シフォン=チェルが罪に問われなかっただけで、まずは安心できました。ひとまずは、おめでとうございますと言わせてください、シフォン=チェル」


「ありがとうございます……これも、アスタ様のおかげです……」


「俺のおかげ? 俺なんて、何の役にも立っていないかと思いますが……」


 俺がそのように言いかけると、またリフレイアが威勢よくまくしたててきた。


「ふん! トゥラン伯爵家で晩餐会を開くように提案したのは、あなたでしょう? ジェノス侯爵家の人間だけじゃなく、ゲルドのお人らや外交官のフェルメスが同席していなかったら、あんな無茶な話は一蹴されていたに決まっているわよ。あのメルフリードっていうのは、規律が服を着て歩いているようなお人なのだからね!」


 そうしてそっぽを向いたまま、リフレイアの鳶色をした瞳が横目で俺をねめつけてくる。


「……まさかとは思うけれど、あなたはサンジュラたちと共謀して、あんな晩餐会を提案したのじゃないでしょうね、アスタ?」


「そ、そんなわけないだろう? 俺だって、心から驚かされていたさ」


 そんな風に答えてから、俺はシフォン=チェルに向きなおった。


「だから、俺に御礼を言う必要なんてないはずですよ、シフォン=チェル。すべてを成し遂げたのは、シフォン=チェルたちのお力です」


「ですが……アスタ様はリフレイア様のことをご心配なさって、あの晩餐会を提案してくださったのでしょう……? アスタ様のお優しき心づかいが、わたくしにまたとない機会を与えてくださったのです……」


 そのように語るシフォン=チェルの瞳が、どこか遠くを見るような光をたたえた。


「それに……最初にわたくしの心を動かしてくださったのは、アスタ様であるのです……アスタ様に出会っていなければ、わたくしはこのような心情に至ることもなかったのでしょう……」


「それも、覚えのない話ですね。俺はなかなかシフォン=チェルと語らう機会がなくて、もどかしく思っていたほどです」


「言葉は、必要ございません……アスタ様の存在そのものが、わたくしに力と勇気を与えてくださったのです……」


 シフォン=チェルは遠い眼差しになりながら、真っ直ぐに俺を見つめていた。


「あの晩餐会でもお話ししました通り、わたくしの心はずっと固く凍てついておりました……そんな折、アスタ様とお会いすることができて……どのような苦難にも負けじと、運命にあらがおうとするそのお姿に……わたくしは、心を揺り動かされてしまったのです……」


 それはつまり、俺がトゥラン伯爵家に幽閉されていた時代のことを言っているのだろうか。

 俺をさらうように命令したのはリフレイアであり、それを実行したのはムスルとサンジュラだ。このような場で、そんな話を持ち出してしまっていいのかと、俺はいくぶん慌ててしまったが――リフレイアたちは、気に止めている様子もなかった。彼女たちはすでに、そんな話を明け透けに語れるような間柄となっていたのだ。


「アスタ様の存在に心を揺り動かされ、リフレイア様と長きの時を過ごすことで……ついにわたくしは、人間らしい心を取り戻すことがかなったのです……どちらが欠けても、今のわたくしはなかったのでしょう……ですから、アスタ様には心から感謝しております……」


「そうですか。やっぱり俺には、御礼を言われる筋合いなんてないように思いますけれど……でも、シフォン=チェルにそんな風に言っていただけることを、心から嬉しく思います」


 そう言って、俺はシフォン=チェルに笑いかけてみせた。

 途端に、リフレイアが「ふん!」と鼻を鳴らしてくる。


「呑気なものね。わたしやあなたに出会っていなければ、シフォン=チェルはジャガルで家族たちと過ごす心情になれたということなのよ? 言ってみれば、わたしたちがシフォン=チェルの人生を歪めてしまったのじゃないかしら?」


「そのようなことは、ございません……わたくしは、自分がもっとも幸福であれる道を選んだのです……」


 シフォン=チェルは、ゆっくりとリフレイアのほうを振り返った。

 リフレイアはその視線から逃げるように、頑なにそっぽを向いている。

 その横顔に浮かべられているのは、幼子のように不安げな表情であった。


「やっぱりわたしには、あなたの気持ちがわからないのよ。家族や同胞とともに暮らす道を捨ててまで、わたしのもとに留まろうだなんて……あなたはわたしに同情しているだけなのじゃないの?」


「いいえ……情ではあっても、同情ではございません……わたくしは、リフレイア様を憐れんでいるのではなく……むしろ、そのお強さに敬服しているのです……アスタ様とご同様に、苦しき運命に屈しないそのお強さが……わたくしには、何よりまぶしく感じられるのです……」


「わたしなんて、無力な小娘よ。けっきょく、あなたたちに安楽な生活を与えることもできなかったし……」


「そのために、リフレイア様がどれだけ心を砕いてくださったか、わたくしは間近から見守らせていただきました……そのお姿が、わたくしの心を生き返らせてくださったのです……」


 シフォン=チェルの白い指先が、リフレイアの指先をそっと握りしめた。

 リフレイアはぴくりと肩を震わせてから、その指先を握り返す。そして彼女は、おずおずとシフォン=チェルのほうを見た。


「……本当に、後悔しない?」


「いたしません……わたくしの帰るべき場所は、リフレイア様のもとであるのです……」


 シフォン=チェルを見つめるリフレイアの瞳が、見る見る涙に霞んでいった。

 そして、それを見守るムスルまでもが、また涙を浮かべてしまっている。サンジュラはいつも通りの静謐な表情であったが、その眼差しはとても優しかった。


 俺の知らない間に、彼女たちはこれだけの絆を深めていたのだ。

 リフレイアを中心に紡がれた、一種不可思議な絆である。主従の関係にありながら、このような絆を結ぶことが可能であるのかと、俺は神妙なる心地を味わわされることになった。


「わかったわ。あなたが、そうまで言ってくれるなら……わたしだって、もう心を偽ったりはしない」


 その目に涙を浮かべたまま、リフレイアはやわらかく微笑んだ。


「なんとかあなたがジェノスで働けるように、使節団のお人らを説得してみせるわ。……だからもう、あなたは無茶な真似をしないでね?」


「はい……リフレイア様の、仰せのままに……」


「本当によ? 今度あんな騙し討ちのような真似をしたら、ただではおかないんだから!」


 そうしてリフレイアは織布も使わずに手の甲で涙をぬぐうと、かたわらのムスルたちをにらみつけた。


「それは、あなたたちもだからね! 特に、サンジュラ! わたしたちは正しく生きていくと決めたのだから、陰謀めいた手際で物事を解決しようとするのはおやめなさい!」


「はい。反省しています」


 まったく内心のうかがえないサンジュラであるが、やはりその眼差しは優しいままであった。

 リフレイアは「もう!」と頬をふくらませてから、ようやく俺とレイナ=ルウの存在を思い出した様子で頬を赤らめた。


「……仕事の最中に呼びつけておいて、みっともない姿を見せてしまったわね。とにかくアスタには、一刻も早く事情を伝えておきたかったのよ」


「うん、ありがとう。俺もずっとこの一件が頭から離れなかったから、心からありがたく思っているよ。あとは、ジャガルのお人らを説得するだけだね」


「ええ。その日取りも、実は目の前に迫っているのよ」


 リフレイアは、にわかにきりっと表情を引きしめた。


「実はついさっき、先触れの使者が城下町にやってきたの。北の民たちを連れて帰るジャガルの使節団は、明日の昼に到着するようよ」


「明日の昼?」と、俺は目を丸くすることになった。


「そうか。思っていたよりも、早かったね。雨季の到来までは、トゥランの仕事があるんだろう?」


「だからといって、あちらも雨の中を出立したくはないでしょうからね。ここまで時期を合わせてくれたことに感謝するしかないわ」


 ぴんと背筋をのばしながら、リフレイアはそのように言いつのった。


「それで、ここからが本題であるのだけれど……その使節団の団長が、森辺の民に興味を抱いているようなのよ」


「森辺の民に? どうしてまた?」


「あなたがたは、北の民の食事を改善させるのに、ひと役買ったでしょう? 粗末な食材で立派な料理を作る手ほどきをしたり、北の民の食事場に石窯を作らせたり……これまでの会談で、そういった話もジャガルに伝えられているのよ。それで、森辺の民にも目通りを願いたいので都合をつけておいてほしいと、先触れの使者が告げてきたわけね」


 それはまた、意想外の申し出であった。

 何も危ういことはないのであろうが――それでも相手は、南の王都の使節団であるのだ。西の王都からやってきた貴族たちの顔ぶれを考えると、相応の気構えは必要であるように感じられた。


「料理の手ほどきに関しては、あなたも他人事ではないでしょうからね。きっとまた、城下町に呼びつけられるのじゃないかしら」


「そっか。俺はその頃、ちょうど『アムスホルンの息吹』に罹ってしまったから、それほど関わっていないんだけどね」


「でも、最初に料理の内容を考案したのはアスタなのですから、誉れを受けるべき立場であると思います」


 と、長らく静観のかまえであったレイナ=ルウが、そんな風に発言した。


「まあ、そのあたりのことはジェノス侯と族長たちの協議でしょうね。ただ、使節団を歓待するのに、宴料理は必須でしょうから、そちらの方面でも心の準備をしておくべきじゃないかしら?」


「なるほど、了解したよ。事前情報を、どうもありがとう」


「……わたしにできるのは、こんなちっぽけなことだけだものね」


 そう言って、リフレイアは口もとをほころばせた。

 その瞳に、またうっすらと涙が浮かべられている。


「また城下町で会える日を楽しみにしているわ、アスタ。それに、森辺にお邪魔できる日もね」


「うん。こちらはいつでも、歓迎するよ」


「そう言ってもらえるのはありがたいけれど、ふた月ていどは遠慮しておこうかしら」


「ふた月?」と反問してから、俺はすぐに理解した。ジェノスと南の王都を往復するには、それぐらいの時間が必要であるのだ。


 シフォン=チェルが南方神に神を移せば、誰の目をはばかることなく森辺に参ずることもできるようになるのだろう。

 シフォン=チェルは、家族や同胞と離れて生きていく決断をした。そんな彼女がジェノスで幸福に生きていけるように、俺も力を尽くしたい。手を取り合って微笑み合うリフレイアとシフォン=チェルの姿を見やりながら、俺はそんな思いを噛みしめることになった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] トゥラン伯爵一派が完全に仲好し家族に変貌していてすげー和みましたw
[一言] 前菜にギバの角煮(&煮たシィマ)、スープはギバ汁、野菜料理はシィマサラダ、肉料理はギババーグのおろしシィマとポン酢タウ油、なら、ぐうの音も出ないと思います!
[一言] レイナの件でアスタ氏が憤慨しているけど、君のフェミニストっぷりも大概にしとくべきじゃないかね。 まぁアスタの場合、女性に限らず人誑しの気が強いけど。
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