⑥構想の夜
2014.9/27 更新分 2/2
「……でな、色々計算してみたんだよ」
晩餐の後、俺は脳内で組み立てたプランをアイ=ファに説明してみせた。
「使う食材は、アリアとポイタン、ティノとタラパ、それにポイタンに混ぜるギーゴだ。儲けを考えるなら値段の安いアリアとポイタンのみに絞るべきかもしれないけど、それだと町の人間が手を出しにくいかも、と思ってな。そこはあえて、町側の感覚に寄せることにした」
「うむ」
「で、カミュアも言っていた通り、これは晩餐じゃなく、日中に食べる軽食なんだから、アリアやポイタンの必要摂取量とかを考える必要もないと思うんだ。だから、アリアはほとんど香味野菜としてしか使わないし、ポイタンも1個ずつしか使わない。その代わりにタラパとティノを使うから、まあ栄養価としては俺が食べた肉饅頭とそんなに変わらないんじゃないかなと思ってる」
「うむ」
「で、1個あたりの食材費をざっくり計算してみたら、だいたい0.65赤銅貨ってところだった。アリアとポイタン半日分だと0.55赤銅貨だったから、それほど極端に数字がはねあがるわけでもない。だったらやっぱり色々な食材を使って味と見栄えの向上を目指したほうがいいと思う」
「……うむ」
「なおかつ、これは1日10食分だけ作った時の食材費で。これだとけっこうタラパなんかは無駄に余っちまうんだよ。1日に20食作るとしても、タラパの量は1.5倍で済むと思う。となるとだな、やっぱり一番値の高いのがタラパだから、1日に20食分作れば、単価は0.6赤銅貨以下まで抑えられるんだ。これが1日に30食、40食と増えるたんびに、食材費はじんわり下がっていくことになる」
「…………うむ」
「で、それ以外の諸経費なんだけど。場所代と屋台の貸出賃が10日で白銅貨2枚、赤に換算すると20枚かかるのに加えて、ヴィナ=ルウに支払う代価の分もある。この代価が意外に馬鹿にならなくてな。1日に牙と角2本ってことは銅貨に換算すると赤6枚だから、10日分だと赤60枚。初期経費と合わせれば赤80枚。この時点で、最低40食はさばかないと赤字になる計算になる」
「うむ」
「で、食材費を一番高めの0.65赤銅貨に設定して計算するとだな、10日間で60個をさばけば、赤字にはならない計算になるんだよ! 1日に6個って考えれば、実にささやかな目標だ。……だけど、それっぽっちしかさばけないんじゃ、ギバ肉の味を宿場町に浸透させるなんて不可能だし、それに、何て言ったって町の人間が忌避するギバの肉なんだからな。最初の数日はまともに売れなくてもじっと耐えて、口づてで評判が広がるのを待つしかないだろう」
「……アスタ」
「仮に初日や2日目には1個や2個しか売れなくても、最後の3日間で20食ずつ完売を目指せれば黒字なわけだから、そこまで分が悪い勝負ではないと思う。この前調査した通り、あそこで軽食を売ってる人たちはみんな1日に20食から50食をさばいてるって話なんだからな。その最低個数ぐらいは達成したいところだ」
「アスタ。アスタ」
「ただ、分は悪くないとしても、博打の要素はどうしても否めない。こいつはただの味の勝負じゃなくて、ギバや森辺の民に対する偏見をどこまで覆せるかってところが焦点だから、そこで失敗したら最後まで1個も売れない危険性もあるわけだよ。だから最初の数日はひかえめに10個だけ用意して、なるべく材料費を抑えてだな――」
「アスタ!」
「うん? どうした?」
気づくと、アイ=ファは壁に取りすがるような格好をしつつ、首をねじ曲げて、俺のほうをにらみつけていた。
何だろう。足もとがあぐらではなく女の子座りみたいになっていて、とても可愛らしい。
「……お前は何か、明確な意図をもって私を苦しめようとでもしているのか?」
「んん? 何の話だよ?」と応じつつ、俺は「あれ?」と首を傾げた。
暗いのでよくわからないのだが。アイ=ファがちょっと涙目になっている気がする。
「お前が何を言っているのか、さっぱりわからん! だんだん頭が痛くなってきた!」
「は、話がわかりづらかったかな? ごめんごめん。だから、噛み砕いて言うとだな……」
「もういい! 全部お前にまかせる! 頭が痛い!」
まるでララ=ルウあたりを思わせるカンシャクの大爆発だった。
感情豊かなアイ=ファでも、これは珍しい。
「だ、だって、お前が説明しろって言ったんじゃないか? 確かにこれは俺たちふたりの仕事なんだから、お前もこまかい内容を把握しておいたほうがいいとも思うし……」
「もういいったら! 私は、頭が痛いのだ!」
たら!?
たらと言ったか、今!?
どどどどうしたんだろう。ダン=ルティムの幼児化が伝染してしまったのだろうか?
慌てふためく俺の目の前で、アイ=ファは壁に額を押しつけて、そのままずるずると崩れ落ちてしまった。
「……頭が痛い……」
「うわあ、大丈夫かよ! おい、アイ=ファ!」
ぐんにゃりと横たわってしまったアイ=ファの身体を抱き起こす。
額に手をあてると、ほんの少しだが熱っぽい感じがした。
「ち、知恵熱か? おい、苦しいのか? 水でも持ってきてやろうか?」
「いい。……大きな声を出すな……」
アイ=ファは苦しげに眉をひそめて、ぎゅっと目をつぶってしまっていた。
「動かすな……頭が痛いのだ……」
「わ、わかった」
膝の上にアイ=ファの身体を抱きかかえた格好で、俺はじっとその復活を待つ。
もちろんこんな状況でよからぬ気持ちはかきたてられないが、こんなに身体を寄せたことはついぞなかったので、アイ=ファの体温が俺を落ち着かない心地にさせる。
「……大丈夫か?」
「……もう少し」と応じつつ、俺のTシャツをぐっとつかんでくる。
胸が、大きく上下している。
本当に、苦しそうだ。
「ごめんな。さすがにこまかい部分まで説明しすぎた。……別にお前が金勘定の心配をする必要はないよ。俺だってギバの狩り方なんてわからないんだから、お前も金勘定は俺にまかせておいてくれ」
アイ=ファは答えず、俺の胸もとに頭をこすりつけてきた。
まだ頭が痛いのだろうか。
「失敗しても、なるべく傷口が広がらないように対処する。お前が生命をかけて狩ったギバの牙や角を1本でも無駄にしないように」
「……失敗したら、どれほどの牙と角を失うのだ?」
だいぶ落ち着きを取り戻してきたアイ=ファの声が問うてくる。
俺は少しほっとしながら、「最後の最後まで1個も売れなかったら、最低でもギバ12頭分だ。なかなかとんでもないだろ?」と答えた。
「とんでもないな」
「ああ、とんでもない。だけどその内、場所代と屋台の代金は2頭分足らずで、後は材料費とヴィナ=ルウへの代価が半分ずつだ。だから、削るとしたら材料費ぐらいしかない」
「……うむ」
「だけど、あの宿場町では、肉のみの単品料理なんてのはほとんど見かけなかったからな。鳥の足とちょっとした野菜だけを焼いて売っている店もあったけど、あれはどうやら酒の肴であるらしいし。勝負するなら、きちんとした軽食らしい献立で勝負するべきだと思う。……ただ目先の銅貨を稼ぎたいだけなら、それこそ焼肉や干し肉でも売りに出せばいいんだろうけどさ」
「それでは意味がない。私とお前が生きていくだけなら、銅貨に困ってなどはいないのだからな」
と、アイ=ファは空いているほうの手で、首飾りをじゃらりと鳴らした。
ギバ12頭分――ぐらいは、余裕でありそうだ。俺と出会った当初の倍以上にはなっているだろう。はっきり言って、ルウの男衆にもそこまで引けを取らないぐらいのボリュームである。
たった2名の家人しかいないのに、2日に1頭のペースでギバを狩り続けていれば、これが当然の結果なのだろう。
だけどそれは、森にギバが増え始めた証しであり、そして、そのぶんアイ=ファが今まで以上に己の身を危険にさらしている、という証しでもある。
その、生命をかけて集めた牙と角を賭け金にして、アイ=ファは宿場町を相手に戦いを挑もうとしているのだ。
森辺に、豊かさをもたらすために――かつてのファの家のように苦しんでいる、名も知れぬ同胞たちのために。
「私には、ガズラン=ルティムのように高い志を語る言葉はない。……だが、これで多くの牙や角を失っても悔いはしない。だからお前は、ドンダ=ルウと対峙したときのように、婚儀の宴を引き受けたときのように、己の力を振り絞ればいいのだ、アスタ」
「ああ。ファの家の名誉にかけて、死力を尽くすよ。……頭が痛いのはもう大丈夫か? 楽になったんなら、今日は早く寝ちまおうな?」
「……うむ」と応じつつ、アイ=ファは動こうとしない。
「えーと……床に降ろそうか?」
「重いなら、降ろせばよい」
いや、重いとしても、それは無茶苦茶に心地好い重さであるのだが。
降りなくていいなら降ろしてあげないよという心境である。
「……店は、いつ開くのだ?」
「4日後だ。3日後にルウ家でまた買い出しがあるっていうから、それに便乗させていただいて、店を出す手続きをしてくる。それまでは、今日作ってみせた献立に改良できる点がないか試行錯誤してみるよ。……そういえば、また『美味い』っていう感想しかいただけなかったけど、何か気になる点とかなかったか?」
「ない」
「そうですか。……普通のハンバーグと、どっちが美味かった?」
「……どちらも美味い」
「絶対にどちらかを選ばなきゃいけないとしたら?」
「……お前はまた私の頭をいためつけるつもりなのか?」
怒った声で言いながら、アイ=ファは俺の膝の上で寝返りを打った。
ただし、外側ではなく内側を向く格好で。
「あれを不味いと抜かすようなら、町の人間は全員舌が腐っているのだ。そのときは店などあきらめて、私のためだけに料理を作れ」
「それはそれで幸福な人生なんだけどな。……だけど、まずは成功できるように力を振り絞るよ」
「うむ」とうなずき、アイ=ファはそのまま俺の胸に頭をおしあててくる。
「お前の喜びは私の喜びだ、アスタ」
「ああ」
「そして、お前の成功は――私の誇りだ」
まるで、俺の心臓に囁きかけるかのような体勢で、アイ=ファは低くそうつぶやいたのだった。
(……大丈夫だ)
たぶん、店を開いたのちも、数々の問題が噴出するのだろう。
それぐらい、俺たちは無謀な戦いにうって出ようとしているのだ。
80年も続いてきた、森辺の民とギバに対する偏見の目、差別感情を相手取り、どこまで宿場町の常識をひっくり返すことができるのか――
やれる限りのことを、やってみよう。
今の自分にとっては一番大事な人たちと、その故郷のために。
俺もその一員なのだと、胸を張って言えるように。
そうして気づくと、アイ=ファは俺の腕の中で眠ってしまっていた。
(……お前がいてくれれば、きっと大丈夫だ)
その心地好い重みと熱を身体中で感じながら、俺はそんな風に思うことができた。