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異世界料理道  作者: EDA
第五十三章 四大神の子ら
919/1681

トゥラン伯爵家の晩餐会④~願い~

2020.7/6 更新分 2/2 ・7/12 誤字を修正

・本日は2話同時更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

「……それは、わたしに向けられた言葉であるのか?」


 感情の欠落した声音で、メルフリードが問い質した。

 シフォン=チェルは「はい……」とうなずきながら、毛足の長い絨毯に膝をつく。その姿に、リフレイアが上ずった声をあげた。


「い、いきなり何を言っているのよ、シフォン=チェル。控えなさい。こちらは、ジェノス侯爵家の第一子息であられるのよ?」


「承知しております……侍女にして奴隷なるわたくしなどが、そのように高貴なる御方にお言葉を賜りたく願うのは、決して許されざることであるのでしょう……ですが、何卒ご容赦を願えないでしょうか……?」


 リフレイアは、椅子を蹴って立ち上がろうとした。

 メルフリードは、右手をかざしてそれを止めさせる。


「其方の主人は、そちらのリフレイア姫である。その主人たるリフレイア姫の許しも得ずに、わたしとの対話を望もうとは、いったいどのような了見であろうか?」


「はい……これはわたくしの、勝手な振る舞いでございます。リフレイア様には何の罪もないことでございますので……どうぞその点をお含みおきくださいますよう……」


「やめなさい、シフォン=チェル! あなたはいったい、何をしているのよ!?」


 今度こそリフレイアが立ち上がろうとすると、隣のトルストが慌てた様子でその腕を引っつかんだ。


「お、落ち着きくだされ、リフレイア姫。貴きお客人らの前でありますぞ」


「でも――!」と叫ぶリフレイアは、真っ青な顔になってしまっていた。

 俺などは、何ひとつ理解できずに立ちすくんでしまっている。誰よりもつつましい気性をしたシフォン=チェルがこのような行動に出るなどとは、完全に想像の外であったのだ。


 他の人々も、水を打ったように静まりかえってしまっている。

 そんな中、顔を伏せたシフォン=チェルの言葉が、低く響きわたった。


「わたくしは、南方神に神を移すことが許されました……そののちも、リフレイア様のもとで侍女として働くことが許されるのかどうか……それをお聞きしたかったのでございます……」


「ほう」と、メルフリードも低く答えた。

 灰色の冷たい双眸が、探るようにシフォン=チェルを見据える。


「其方はそのようなことを問い質すために、この会食の場を乱したのであろうか?」


「はい……どのような罰でも、甘んじてお受けいたします……ただ、なんとかお答えをいただけたらと……」


「そのような話こそ、まずは主人たるリフレイア姫に許しを得るべきであろう。このような場で、主人を捨て置いて語るような話ではあるまい」


「リフレイア様は……わたくしがジャガルの地で生きることを望んでおられます……よって、心情を打ち明けることもかないませんでした……」


「あら」と声をあげたのは、エウリフィアであった。


「それはいささか、腑に落ちない話ね。リフレイアは、あなたのことをずいぶん重宝していたのではなかったかしら?」


「……エウリフィアよ、そのように軽々しく口をはさむものではない」


「でも、黙って聞いているのもおかしな話じゃない?」


 すると、リフレイアを抑えていたトルストが、泡を食って立ち上がった。


「た、大変失礼いたしました! そこなる侍女めはすぐさま退席させますので、少々お待ちくだされ!」


「うむ。まずはそのように取り計らうべきであろうな」


 メルフリードがそのように応じたとき、「否」と声をあげる者があった。

 黒曜石の彫像のように不動の姿勢を取っていた、アルヴァッハである。


「我、興味深く、聞いている。できうれば、そのまま、問答、願いたい」


「……しかしこれは、ゲルドの方々にお聞かせするような話ではないかと思われる」


「だが、我々、聞いてしまった。その結末、知らぬままでは、深い疑念、持ち帰ることになる」


 そう言って、アルヴァッハはかたわらのナナクエムを振り返った。


「ナナクエム、貴殿、どのように思うか?」


「我、アルヴァッハ、同感である。北の民、南方神、神を移す、興味深い、思っていた、ゆえである」


 メルフリードは鋭い眼差しでしばらくゲルドの客人たちを見やってから、やがて首肯した。


「承知いたした。それではしばし、お耳汚しをご勘弁願おう。……侍女よ、其方は何か、リフレイア姫を誹謗しようという心づもりであるのか?」


「とんでもございません……わたくしは、リフレイア様をお慕い申しあげております……それゆえに、神を移した後も侍女として働きたく思っているのです……」


「ならば何故、それをリフレイア姫に願わないのだ?」


「それは……リフレイア様が、それを決してお許しくださらないであろうと思うためでございます……」


 面を伏せているために、シフォン=チェルがどのような表情をしているのかはわからない。

 ただその声は、普段よりもいっそう優しげで、やわらかかった。


「リフレイア様は、わたくしたちが南方神に神を移すことを、心から祝福してくださいました……これでわたくしも、奴隷の身から解放されて、家族や同胞とともに生きていくことが許されるのだ、と……それを、我がことのように喜んでくださったのです……」


「その温情を、其方ははねのけようという心づもりか?」


「はい……わたくしは、リフレイア様とともにありたく願っているのです……」


「何を言っているのよ!」と、リフレイアがまた激昂した。


「わたしなんかのそばにいたって、なんにもならないじゃない! あなたの兄や同胞たちは、ジャガルで新たな生活を送るのよ!? それであなただけ、ジェノスに居残ったりしたら……あなたは、孤独のままじゃない!」


「いえ……わたくしには、リフレイア様がいらっしゃいます……それに、ムスル様やサンジュラ様や、トルスト様もいらっしゃいます……決して孤独ではございません……」


「わたしたちに、家族の代わりなんてつとまらないわ! いえ、本当の家族がいるあなたに、家族の代わりなんて必要ないのよ! あなたは大事な家族とともに、幸福な生を歩むべきであるのよ!」


「わたくしも、兄や同胞が幸福になることを望んでおりました……でもそれは、南方神に神を移すことで達せられるのです……」


「待て」と、メルフリードが口をはさんだ。


「其方はつい先日、トゥランの家族や同胞と対面することを許されたのではなかったか?」


「はい……6年ぶりに、兄や同胞と対話することを許していただけました……」


「それでもなお、家族や同胞とともに生きたいという思いには至らなかったのか?」


「それもまた、ひとつの幸福な生であるのでしょう……だけど、わたくしは……それ以上に、リフレイア様のおそばにありたいのです……」


 メルフリードはますます鋭い目つきになりながら、言った。


「其方は自分の心情を、すでに家族や同胞らに伝えているのか?」


「はい……自分の進むべき道は、自分で決するがいいと……兄や同胞らも、そのように言ってくださいました……」


「どうしてよ!」と、リフレイアが立ち上がって地団駄を踏んだ。

 まるで以前の、癇癪持ちの姫君に戻ってしまったかのようだ。

 しかし、その鳶色の瞳には、涙がにじんでしまっていた。


「あなたたちを奴隷として買いつけたのは、わたしの父様であるのよ? そんなわたしのそばにいたって、あなたが幸福になれるわけがないじゃない!」


「南方神の子となった時点で、わたくしは心の平安を得られることでしょう……そうしたら、次はリフレイア様の幸福な生を見届けたく思うのです……」


 そう言って、シフォン=チェルはようやく面を上げた。

 ひざまずいた体勢であるので、リフレイアの姿を見上げる格好になっている。その紫色の瞳にも、透明の涙が浮かべられていた。


「わたくしたちは、情を交わすことの許されない、西と北の人間となります……でも、わたくしが南の人間となれば、もう心を偽る必要もなくなるのです……わたくしは、ひとりの人間としてリフレイア様の生に関わりたいと願っているのです……」


「あなたはそれほどに、リフレイアのことを慕わしく思っているのかしら?」


 微笑を含んだ声で、エウリフィアがそのように問うた。

 今度はメルフリードもそれを咎めようとはせず、ただシフォン=チェルの姿を一心に見つめている。

 シフォン=チェルは、ためらうことなく「はい……」とうなずいた。


「わたくしは24歳となりますが、10歳の頃から奴隷として働かされておりました……そして、6年ほど前に兄や同胞と引き離されて、このお屋敷で働くことになり……その間に、心が凍てついてしまったのです……わたくしは、自分が幸福であるのか不幸であるのかも判じることができず、生きている意味を見出すこともできず……かといって、自ら死を選ぶほどの苦悩を負うこともなく……ただ、漂うように生きていくばかりでございました……」


 そんな風に語りながら、シフォン=チェルはゆっくりとリフレイアのほうを振り返った。


「そんなわたくしの凍てついた心を打ち砕いてくださったのが、リフレイア様であるのです……さまざまな苦悩を背負われながら、なんとか正しき生を取り戻そうとするリフレイア様のお姿や、そのお言葉が……ついに、わたくしの心をも生き返らせてくださったのです……」


「わたしは……何もしていない。けっきょくあなたに、何もしてあげられなかったじゃない」


 リフレイアは、弱々しい声でそのように応じた。

 その目からこぼれた涙が、つうっとなめらかな頬を伝っていく。

 そんなリフレイアの姿を見つめながら、シフォン=チェルは「いいえ……」と微笑んだ。


「リフレイア様の存在そのものが、わたくしにとっては大きな救いとなったのです……だからわたくしは、リフレイア様がこれからどのような生を送るのか、それを見届けたく思っているのです……」


「わたしなんかのそばにいたって……あなたが幸せになれるわけがないわよ」


 深くうつむいたリフレイアの瞳から、ぽたぽたと涙が滴った。

 それを見つめるシフォン=チェルの瞳からも、同じだけの涙がこぼれ落ちている。


「たとえ遠方の地にあっても、家族の絆が切れることはございません……わたくしは魂を返すその瞬間まで、エレオの妹であるのです……でも、ジェノスを離れてしまったら、リフレイア様との縁は切れてしまいましょう……わたくしには、それが耐えられないのです……」


「なるほど」と、甘いチェロの音色めいた声がふいにあげられた。

 これまで沈黙を保っていた、フェルメスである。そのヘーゼル・アイは、とても興味深そうにリフレイアとシフォン=チェルの姿を見比べていた。


「確かに、そちらのシフォン=チェルがジェノスで侍女として働くとしても、ジャガルに住まう兄のもとに里帰りすることはかなうでしょう。しかし、自身がジャガルで暮らすとしたら、そうそうジェノスを訪れることは許されないでしょうね。そのようにして異国を渡り歩くのは行商人ぐらいであるのですから、旅費や時間を捻出するのもひと苦労であるはずです」


「……しかしそもそも、かつて北の民であった人間がジェノスで働くことなど、許されるのであろうか?」


 メルフリードが冷徹なる声音で問うと、フェルメスは「さあ?」と悪い妖精のように微笑んだ。


「寡聞にして、そのような前例は存じません。ただ、ひとたび南方神の子となれば、西の王国で働くことを禁じられるいわれはないでしょうね。そちらのディアルや、料理人ヴァルカスの弟子たるボズルや、それにトゥランの再建作業を請け負った建築屋の方々など、西の王国に腰を据える南の民というのは、べつだん珍しいものでもありません」


「王都の外交官たるフェルメス殿は、そのように考えるのだな?」


「はい。ゲルドの方々は、どのようにお考えでしょうか?」


「うむ」と、アルヴァッハが重々しく首肯した。


「ゲルドの地、異国の民、住まうこと、ないように思う。しかし、ジャガル、捨てて、西の民、あるいは北の民、変じた人間、東の領土、住まうこと、願ったならば……忌避する理由、ないように思う」


「ええ。神を移すとは、そういうことです。北方神を捨ててなお、そのシフォン=チェルが西の王国を恨むことあらば、死後に魂を砕かれましょう。それは、新たな父たる南方神を裏切る行為に他ならないゆえです」


 そんな風に言ってから、フェルメスはにこりと微笑んだ。


「そちらのシフォン=チェルが、魂をかけてまで西の王国に復讐を果たそうとしているかどうか。……それはまあ、どなたの目から見ても瞭然でありましょう。ならば、ことさら忌避する理由はないように思いますね」


「……だが、わたしにこのような場でそれを判ずる権限は与えられていない。また、如何なる理由があろうとも、侍女に会食の場を乱すことは許されまい」


 法の番人たるメルフリードは、厳しい眼差しでシフォン=チェルを見やった。

 それと同時に、屏風の裏から大柄の人影が飛び出してくる。それは、気の毒なぐらいに顔色をなくした、ムスルであった。


「ど、どうかご容赦ください、メルフリード殿! シフォン=チェルがこのような真似に及んだのは、すべてわたくしの責任であるのです!」


「ムスル。其方も、会食の場を乱そうという心づもりか?」


「はい! シフォン=チェルの分まで、わたくしがその罪を負いたく思います!」


 ムスルは大きな身体を丸めるようにして、シフォン=チェルの隣にひざまずいた。


「ジャガルに神を移した後も、シフォン=チェルを侍女として召し抱えるように願っていたのは、わたくしであるのです! ですが、わたくしが何度となくそのように申し出ても、姫様は頑として聞き入れてくださいませんでした! シフォン=チェルは、どこかでその様子を垣間見てしまったのでしょう! それで思い余って、このような真似に出てしまったのです!」


「其方は、誰よりも取り乱している。落ち着いて、仔細を説明するがいい」


「は、はい……姫様もまた、シフォン=チェルがおそばに仕えることを望んでおられたはずであるのです。しかし姫様は、シフォン=チェルが家族や同胞と過ごすことこそが一番の幸福であるはずだと仰って、ご自分の気持ちを封殺されていたのです。かくなる上は、ジェノス侯爵家の方々に直接お許しを願う他ない、と……そのように企んだのも、このわたくしでございました」


 そのように語るムスルの目からも、涙が滴った。


「わたくしは昨晩、その企みを従者のサンジュラと語らっていたのです。わたくしどもは、この晩餐会の終わりを待って、メルフリード殿に会見を願う所存でありました。……シフォン=チェルは、その姿も垣間見てしまったのでしょう。それで、わたくしやサンジュラに累が及ばないようにと、このように非礼な真似をしてしまったのです。……シフォン=チェルとは、そういう娘であるのです」


「……サンジュラよ、今の言葉に偽りはないか?」


 メルフリードの声に応じて、屏風の陰からサンジュラも姿を現した。

 そして彼は、その場で恭しげに膝をつく。


「偽り、ありません。……そして、私、シフォン=チェル、立ち聞きしていたこと、承知していました」


「な、なに? お前はそのようなことを、ひと言も言っていなかったはずだぞ!」


「はい。シフォン=チェル、覚悟あるならば、自身で告白するであろう、思っていたのです。我々、リフレイアの心情、思うばかりで、シフォン=チェルの心情、確かめていなかったので、そうするべき、思いました」


 そうしてサンジュラは、誰よりも深く頭を下げた。


「また、我々、語るより、シフォン=チェル、語るほうが、真情が届く、考えていました。すべての罪、私にあります。シフォン=チェルとムスル、ご容赦、願います」


 ぱしんと、おかしな音が響いた。

 見ると、アルヴァッハがタランチュラを思わせる大きな手の平で、自分の顔の下半分を覆っている。メルフリードらも振り返ると、アルヴァッハはその奇妙なポーズを保持したまま、わずかに震える声で言った。


「トゥラン伯爵家、従者たち、愉快である。微笑み、こらえる、必死である」


「……この醜態を愉快な余興と思っていただけるなら、むしろ幸いであろう」


 メルフリードは、深々と溜め息をついていた。

 すると、ナナクエムが取りなすように声をあげる。


「アルヴァッハ、非礼であるが、我、同じ心情である。また、愉快である、同時に、温かい心情、得ている。我々、感情、こぼすこと、恥辱、考えているが、感情、重んじるゆえである。……その者たち、節度、破ったやもしれないが、人柄、好ましく思う」


「うむ。本日、我々、主賓である。この騒ぎ、気分、害する理由、皆無である。願わくは、その者たち、罰、容赦願いたい」


 大きな手の平を下ろしつつ、アルヴァッハもそのように言いつのった。

 3名の従者たちは絨毯にひざまずいており、リフレイアは言葉もなく涙をこぼしている。それらの姿を見回してから、メルフリードはもうひとたび溜め息をついた。


「今の一件は、後日にあらためて詮議をさせてもらう。……トルストよ」


「は、はい!」


「リフレイア姫の気持ちが落ち着くまで、貴殿がこの場を取り仕切るべきであろう。侍女よ、リフレイア姫を別室にご案内せよ」


「はい……」と、シフォン=チェルが立ち上がった。

 涙に濡れたその瞳が、慈愛を込めてリフレイアを見下ろす。


「参りましょう、リフレイア様……本当に申し訳ございませんでした……」


「……馬鹿よ、あなたは……」


 かぼそい声で言いながら、リフレイアはシフォン=チェルの纏った長衣をぎゅっと握りしめた。

 それはまるで、道に迷っていた幼子が、ようやく母親のもとに辿り着けたかのような姿であった。

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― 新着の感想 ―
[一言] シフォン=チェル「私が悪いのです」 ムスル「いや私が悪いのです」 サンジュラ「いえ私が悪いのです」 リフレイア「じゃあわたしが悪いってことで」 三人「どうぞどうぞ」 アルヴァッハ「(顔を…
[一言] 良かったね…
[一言] アルヴァッハさんの食べたもの日記とか読んでみたいですね。 この世界の紙価が日記を手軽に書ける程度の安さなら良いのですが…
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