トゥラン伯爵家の晩餐会③~お披露目~
2020.7/6 更新分 1/2
「それでは次に、汁物料理と肉料理の味見をお願いいたします」
俺は小姓たちにお願いして、該当する料理を取り分けていただいた。
「申し訳ありませんが、こちらの肉料理にはギバ肉を使っていますので、フェルメスは少々お待ちくださいね。あと、汁物料理にはキミュスの骨ガラを使っているのですが……そちらは如何でしょう?」
「キミュスですか。骨髄の風味がそれほど出ていなければ、口にできるかと思うのですが……とりあえず、ひと口だけでも味見をさせていただこうかと思います」
「本当に申し訳ありません。魚や海草の出汁でも試してみたのですが、ちょっとしっくりこなかったのです」
「いえいえ、とんでもありません。これはゲルドの方々を歓待する晩餐会であるのですから、僕の存在が足枷となってしまっては心苦しい限りです」
そんな言葉を交わしている間に、ささやかな量を盛りつけた味見用の皿がテーブルに回されていく。人々は、まず汁物料理のほうに関心をかきたてられたようだった。
「菓子のように甘い香りね。もしかしたら、この汁物料理にはマヒュドラのメレスという食材が使われているのかしら?」
エウリフィアが笑顔で問うてきたので、俺は「はい」と応じてみせた。
「こちらは、メレスを主体にした汁物料理となりますね。具材はキミュスの卵のみで、非常に簡素な仕上がりかと思いますが、お気に召したら幸いです」
メレスは、甘みも豊かなトウモロコシを彷彿とさせる食材である。よってそれは、中華風を意識したコーンスープであった。
本当は純然たるコーンポタージュに挑戦してみたかったのだが、この世界にはフードプロセッサーもミキサーも存在しないのだ。それでなめらかなピュレを大量にこしらえるのは困難に過ぎたので、こちらの料理を考案した次第である。
水で戻したメレスは、キミュスの骨ガラの出汁でかなり入念に煮込んでいる。その実が崩れて内なる甘みがぞんぶんに溶けだした頃合いで、塩とピコの葉で味を調え、水溶きチャッチ粉でとろみを加えて、溶いた卵を投じ入れる。あとはホボイ油で風味をつけたら、完成であった。
「香りの通りに、甘い味わいだわ。これは、オディフィアも好みの料理でしょう?」
オディフィアは、「うん」とうなずいた。相変わらずの無表情なれども、ぱたぱたと尻尾を振っているように幻視できるので、きっと心からご満足いただけたのだろう。トゥール=ディンが普段味わっている幸福感を噛みしめることができて、俺も温かい気持ちであった。
「フェルメスは如何かしら? わたくしはべつだん、キミュスの風味を感じたりはしないように思うのだけれど」
エウリフィアに水を向けられると、フェルメスはちょっぴり切なそうに眉を下げた。
「非常に申し訳ないことに、僕にはいささか苦手な味わいであるようです。キミュスの骨髄の風味が前面に出ているようですので……」
「あら、そうなのね。このように美味なる料理を口にできないなんて、心からお気の毒に思えてしまうわ」
エウリフィアは、以前よりも気さくな調子でそのように言いたてた。それに応じるフェルメスも、昔からの友人であるかのように「まったくです」と微笑んでいる。
「どのような因果で、このような身体に生まれついてしまったのか……アスタにも、心よりのお詫びの言葉を伝えたく思います」
「いえいえ、滅相もない。またいずれ、魚介の汁物料理をお出ししますね」
そうして汁物料理の論評にひと区切りがつくと、肉料理に取りかかっていたリフレイアが待ちかねていたように声をあげた。
「こちらのギバ肉の料理には、ふんだんに香草が使われているようね。とても力強い味わいだわ」
肉料理は、ギバの肉団子である。スパイシーなハンバーグで確立した香草の配合を、そのまま応用したひと品であった。ハンバーグとの違いは、デミグラスソースではなく甘酢あんかけであるという一点だ。
付け合わせには、ティノとマ・プラとネェノンを千切りにした生野菜サラダを準備しており、そちらには大葉のごときミャンを使った新作のドレッシングを掛けている。ジェノスにおいては生野菜を食する習慣があまり根付いていないのであるが、こってりとした甘酢あんかけにさっぱりとしたミャンのドレッシングは、きわめて調和するように思われた。
「確かにこの肉の団子は、香草の風味が素晴らしいですね。でも、力強いというよりは、清涼さが先に立っているように感じられます」
と、別のテーブルの末席から、ディアルがいぶかしげに発言した。言葉づかいは丁寧であるが、相手がリフレイアであるために、気さくに声をあげているのだろう。そちらを振り返ったリフレイアもまた、いぶかしげな面持ちになっていた。
「もちろん、香草ならではの清涼な風味も素晴らしいでしょう。でも、先に立つのは辛みじゃないかしら?」
「辛み? 辛みなんて、これっぽっちも感じませんけれど……」
「それはおかしいわね。南の民であるあなたは、わたしよりも辛みに敏感であるはずよ」
というわけで、ふたりの少女は解答を求めるように、俺へと視線を転じてきた。
「説明が遅れてしまって、申し訳ありません。肉団子は、2種を準備していたのです。いっぽうにはミャンツを始めとするさまざまな香草を使っており、もういっぽうにはミャンのみを使っています」
リフレイアが食したのはセージを思わせるミャンツとさまざまな香草を使ったスパイシーな肉団子であり、ディアルが食したのは大葉に似たミャンのみを使った肉団子であった。
俺はキミュスのつくねにミャンを練り込むアイディアを考案していたが、それをギバの肉団子でも応用してみたのだ。ミャンの量を惜しまなければ、ギバ肉の強い味わいに力負けすることもなかったので、無事に採用の運びとなったのである。
「肉団子、どちらも美味である。我々、もたらした香草、満足な形、使ってもらえて、感無量である」
ナナクエムは、そんな風に言ってくれていた。
すると、無言で肉団子を頬張っていたアルヴァッハが、ゆるりとそちらに向きなおる。
「……我、感想、述べること、禁じられたのに、ナナクエムのみ、感想、述べたてる。不公平、なかろうか?」
「我、禁じた、長広舌である。感想、述べたいなら、フェルメス殿、頼らず、自らの口、述べるがいい」
「承知した」と、アルヴァッハは俺に向きなおってきた。
「こちら、汁物料理、美味である。アスタ、言う通り、簡素であるが、完成度、極めて高い。調和、見事である」
「ありがとうございます。これもメレスという食材を使えるようになった恩恵でありますね」
「うむ。キミュスの卵、使った、汁物料理、以前、食している。そちら、応用であるのであろうが、メレスの甘さ、際立っているため、まったく異なる味わい、生まれている。また、簡素でありながら、その裏に、大きな手間、感じられる。キミュス、骨の出汁、および、メレスの実、よほど入念、煮込まなければ、これほどの味わい、求められない、思われる。そうした、妥協ない手際、この完成度、生み出しているのであろう。また、味付け、塩、ピコの葉、ホボイの油、のみであり、簡素きわまりない。その簡素さ、食材の味わい、十全、引き出している。簡素、あるゆえ、誤魔化し、許されない。アスタ、卓越した手際、持つ証である。そして――」
そこでナナクエムがこらえかねたように、「アルヴァッハ」と口をはさんだ。
「西の言葉、長広舌、いっそう不適切である。つつしみ、必要である」
「しかし、自らの口、述べるべき、言いたてた、ナナクエムである」
「我、長広舌、控えるべき、言っている。皆、味見、中断してしまっている」
アルヴァッハはとても不満そうな眼差しでナナクエムを見やってから、他の人々に目礼をした。リフレイアやエウリフィアは貴婦人らしい優雅さでそれに応じたが、トルストは戸惑い顔であり、ディアルはすっかり呆れ顔である。これでアルヴァッハが本気を出したらどうなるのか、のちのちの反応が楽しみなところであった。
「アルヴァッハのご感想は、あとでゆっくり拝聴させていただきましょう。……アスタ、他の料理の説明をお願いできるかしら?」
「承知しました。次は……魚介の料理と炒め物の料理にいたしましょうか」
俺は、あえて共通点の多い料理を同時に味見してもらうことにした。
魚介の料理はエビチリを模した『マロールのチリソース』の改良版で、炒め物の料理と称したのは麻婆ナスを模した『麻婆チャン』である。
『マロールのチリソース』は、以前にもフェルメスのために作りあげている。そこに、新たな食材たるココリや魚醤やマロマロのチット漬けを加えた、改良版であった。
基本の味付けはタラパのケチャップであるが、それらの新たな食材を使うことで、より中華風に仕上げることができた。山椒のごときココリや豆板醤に似たマロマロのチット漬けは隠し味ていどの分量であるが、もとの味わいと比較すれば違いは歴然であろう。
いっぽう、『麻婆チャン』のほうは、そのマロマロのチット漬けを主体にして、さらにミソやタウ油や魚醤、砂糖やホボイ油、ミャームーとケルの根のすりおろし、そしてやっぱりココリを使って理想の味を追い求めていた。
俺の故郷で麻婆の料理は、花椒を使った四川風のレシピが流行っていたように思う。花椒と山椒では風味も味わいも大きく異なるのであろうが、俺がこのたびこしらえた料理においては、ココリがずいぶんと大きな役割を担ってくれたように感じられた。
『マロールのチリソース』においても『麻婆チャン』においても、ココリを入れるか入れないかで大きく風味が変わってくるのだ。特にマロマロのチット漬けを主体にしている『麻婆チャン』のほうは、もともと辛みもきいているのだが、そこにココリならではの風味がいっそうの深みをもたらしてくれていた。
ナスに似た食材が存在しないために、ズッキーニに似たチャンを使うことになったが、これはこれで楽しい仕上がりになっている。ギバのミンチもたっぷり使っているために、食べごたえのほうも十分であろう。
それに、どちらの料理においても、長ネギに似たユラル・パを使用できるのが嬉しいところであった。さらに、別個で熱を通しておいた小松菜のごときファーナを皿に添えれば、視覚の面でも彩りが豊かであった。
「『マロールのチリソース』、格段、美味、なっている。これもまた、驚嘆である」
そんな風に言ってから、アルヴァッハはナナクエムの顔を横目で見た。
「……長広舌、なければ、不満、なかろう?」
「うむ。許容しよう」
ナナクエムは、すました無表情で同じ料理を食している。そのかたわらに、陶磁のティーポッドを掲げたシフォン=チェルがすうっと近づいた。
「失礼いたします……新しいお茶をおいれいたします……」
どうやら、リフレイアと同じ卓の人々の面倒を見るのが、シフォン=チェルの役割であるようだった。
ナナクエムは、変わらぬ無表情でひとつうなずく。朋友である北の民が奴隷として働かされていることを、いったいどんな風に考えているのか――それはわからなかったが、シフォン=チェルを思いやる気持ちがなければ、あえて「姿を隠す必要はない」などと言いたてることはないだろう。彼らは努めて、シフォン=チェルを「ひとりの侍女」として扱っているように感じられた。
シフォン=チェルが順番に茶を注いでいくと、最後にそれを受け取ったリフレイアが「ありがとう」と自然な声で言った。
シフォン=チェルは、とてもやわらかい微笑みとともに目礼をする。そんな姿を見ただけで、俺はまた胸が疼いてしまいそうだった。
「……ところで、アリシュナ、長きの時間、無言である。そちらこそ、遠慮せず、語ってもらいたい」
と、ナナクエムがふいにそのようなことを言いだした。
無言なのはプラティカも同様であったのだが、そこは身内ということで、あえてスルーしたのだろう。また、プラティカが語り始めるとアルヴァッハも触発されるのではないかと危ぶんだのかもしれない。
ともあれ、そんな裏事情を知るすべもないアリシュナは、普段通りの沈着さで「はい」と応じた。
「すべての料理、美味である、思います。また、初めて口にする味わい、多いので、とても心、弾んでいます」
「ふむ。ならば、幸いである」
メルフリードがわざわざアリシュナを呼び寄せたということは、ゲルドの人々との相性も悪くはないのだろう。何せどちらも完全無欠の無表情であるものだから、おたがいのことをどのように判じているのかも、傍目からはうかがい知れなかった。
それにしても、アリシュナとプラティカがこうして並んで座っていると、山猫とシャム猫さながらである。同じ無表情であっても眼光が鋭く一本気な気性が匂いたっているプラティカと、存在自体が夜の湖のように静謐なアリシュナであるのだ。容姿に共通点が多い分、その違いがいっそう顕著であるように感じられた。
「アリシュナは、西の王国で生まれ育った身であるのよね。それでもやっぱり、香草の料理を好むものであるのかしら?」
エウリフィアがそのように尋ねると、アリシュナは「はい」と静かに応じた。
「私の家族、香草の料理、好んでいたため、西の王国においても、香草、採取していました。私、その料理、食べて、育っています。よって、アスタの料理、『ギバ・カレー』、至高、思っています」
「それで、アスタの屋台の料理を毎日のように城下町まで運ばせているという話ですものね」
隣のディアルがすかさず言葉をはさむと、アリシュナはまた「はい」とうなずいた。
「ただし、毎日、ありません。『ギバ・カレー』、屋台、売られる日、のみとなります」
「それでも、月の半分ほどでしょう? 10日や半月にいっぺんぐらいしか足の運ぶことのできないわたしには、十分に羨ましく感じられますね」
唇をとがらせながら、ディアルはそう言った。
その姿に、エウリフィアはころころと笑い声をたてる。
「あなたがたは、見るたびに絆が深まっているようね。シムとジャガルを友にするセルヴァの民としては、心より喜ばしく思うわ」
「えー? もちろん西の領土で東の方々と諍いを起こすつもりはありませんけれど……その仰りようは、いささか不本意に思います」
「でも、ゲルドの方々も同じような心情なのではないかしら?」
「うむ」と応じたのは、ナナクエムであった。
「無論、我々、友になること、許されない。しかし、ゲルドの民、ジャガル、憎む気持ち、希薄である。ディアル、この晩餐会、参席したこと、得難い、思っている」
「……ええ。これからは、ジェノスでたびたび顔をあわせることになるのでしょうからね」
ディアルはにっこりと微笑みながら、不敵な眼差しでナナクエムを見返した。
すると、酒杯で口を湿していたアルヴァッハが、横から口をはさむ。
「其方、ジェノス、売っている刀、拝見した。きわめて、上質であった、思う。可能であれば、我々、買いつけたいほどである」
「さすがにそればかりは、南方神がお許しにならないでしょうね。西の王国を間に通したとしても、ジャガルの武器をシムに売ることはできません」
「うむ。我々、わきまえている。ジャガルの食材、買いつけられるだけ、僥倖である」
料理の話から離れると、アルヴァッハには施政者らしい風格が満ちあふれた。ディアルもそれに逆らおうとはせずに、ただ「そうですね」と応じる。
(よく考えたら、敵対国の貴人と異国で晩餐をともにするって、けっこうな重圧のはずだよな。ディアルなんて俺より年下なのに、大したもんだ)
そんな風に考えていると、アルヴァッハの青い瞳が俺のほうに向けられてきた。
「では、次の料理、願いたい。我、すべての料理、心ゆくまで、味わえる瞬間、待ちかねている」
「あ、はい。では最後に、ポイタン料理と菓子になります」
「菓子」のひと言で、オディフィアがぴょこんと背筋をのばした。
それを見守るトゥール=ディンが、とても優しげな眼差しになっている。
ポイタン料理は、風味のきついゲルドの乾酪とペルスラの油漬けを使った、ピザであった。乾酪の臭みを好ましい風味に転化させるために、ミャンツを始めとする複数の香草を使用した、それなりの意欲作である。
ペルスラの油漬けというのは、これまた風味のきついアンチョビのごとき食材であるため、そちらのためにも香草を多用している。小姓の手によってクロッシュが開けられると、室内にはこれまででもっとも強い香りがあふれかえることになった。
「こちらはかなり風味が強いため、オディフィア姫のお口には合わないかもしれません。その分は、どうかシャスカ料理や菓子のほうをお召しあがりください」
「お気遣いをありがとう、アスタ。オディフィアにはわたくしの分をひと口だけ取り分けるので、ポイタン料理は不要よ」
「かしこまりました」と応じながら、小姓たちは料理を取り分けていく。
ただしオディフィア本人は、菓子に心を奪われていたため、そんなやりとりもほとんど耳に入っていない様子であった。無表情なフランス人形めいた顔の中で、灰色の瞳がきらきらと明るく輝いている。
「こちらの菓子の担当は、いずれもトゥール=ディンとなります。トゥール=ディン、説明をお願いするね」
「は、はい。……こちらは、ポイタンとフワノの焼き菓子となります。生地とくりーむの両方に、ワッチやアマンサを使ってみました」
本日の菓子は、城下町でもすでにお披露目済みであるロールケーキである。生地には果汁を、生クリームには潰した果肉を練り込んでいるために、ワッチのほうは朱色、アマンサのほうは青紫色のコントラストが美しかった。
「トゥール=ディンも、ついにアマンサを使えるようになったのね。これは、ダイアの作る菓子との比較が楽しみだわ」
「い、いえ、わたしなどは、まだまだ修練を始めたばかりですので……」
「うふふ。でもきっと、オディフィアが落胆することはないでしょう」
優美に微笑む母親のかたわらで、オディフィアはそわそわと小さな身体を揺すっている。
その手もとに、エウリフィアがそっと陶磁の皿を差し出した。
「それじゃあ菓子の前に、こちらの味見を済ませておきなさい、オディフィア。楽しみは、後に取っておいたほうがいいでしょう?」
オディフィアは菓子の取り分けをしている小姓たちの姿をちらちらと見やりながら、『ペルスラと乾酪のピザ』を食した。
その身体が、ぴくんと小さくすくみあがる。口の中身を噛もうともせぬままに、オディフィアはのろのろと母親の笑顔を見上げた。
「あら、これは本当に、オディフィアの苦手な味であるようね」
エウリフィアは侍女に命じて、オディフィアのカップに新しい茶を注がせた。
オディフィアはロボットのようにぎこちない動きでカップをつかみ取ると、両手を添えてこくこくと茶を飲み干す。かくして俺の意欲作たる『ペルスラと乾酪のピザ』は、ひと口も噛まれることなくオディフィアの胃袋に流し込まれる事態と相成ったのであった。
だけどまあ、俺の故郷においてもアンチョビを使ったスパイシーなピザを喜ぶような7歳児は少ないだろうと思う。そのように考えて、俺がオディフィアに呼びかけようとすると、幼き姫君は空になったカップをテーブルに戻すなり、深々と頭を下げてきた。
「……ごめんなさい」
「え? いえ、お詫びを申し上げるべきは、こちらであるかと……」
「べつだん、どちらも謝るような場面ではないように思うわよ。ただ幼子の口に合う味わいではなかったというだけのことなのでしょうからね」
笑いながらそう言って、エウリフィアは自分のピザをかじり取った。
「わたくしは、美味であるように思うもの。魚の風味が、いささか食べなれないように思うけれど……それでも、城下町ではもてはやされる味わいではないかしら?」
「そ、そうですな。アスタ殿の作りあげた料理にしては、城下町の料理を彷彿とさせる味わいであるように思います」
そのように声をあげたのは、トルストであった。
リフレイアも小首を傾げながら、「そうね」と同意する。
「何も知らされずに食べていたら、これがアスタの料理であると判ずることもできなかったかもしれないわ。美味でないという意味ではなく、城下町の料理めいているのよ。……森辺の方々は、この料理を美味だと思うのかしら?」
それは、俺の背後にたたずむアイ=ファに向けられた言葉であった。
アイ=ファは厳粛なる面持ちで、「いや」と首を振る。
「少なくとも、私が美味と思うことはなかった。アスタがこれまでに作りあげてきた料理の中で、もっとも苦手に思えたもののひとつとなろう」
「あら、そうなのね。でも、わたしたちには美味に思えるだろうということで、今日の献立に加えてくれたのかしら?」
「はい。ペルスラの油漬けという食材は、なかなか使い道が考案できなかったもので……ひと品だけでも、お披露目したく思った次第です」
「わたしは、十分な出来栄えであるように思うわよ。ゲルドの方々は、如何かしら?」
「美味である」と答えてくれたのは、ナナクエムのほうであった。
「ペルスラの油漬け、およびギャマの乾酪、ともに、風味、殺すことなく、香草、使われている。アスタ、手際、見事である」
「では、美食家として知られるアルヴァッハは、如何かしら?」
アルヴァッハはリフレイアのほうをちらりと見てから、重々しく言った。
「短い言葉、集約する、困難である。……ただ、手際、見事である」
「それなら、よかったわ。では、トゥール=ディンの菓子もいただきましょう」
オディフィアは、すでにそちらをいただいていた。アマンサのほうをたいらげて、ワッチのほうに移行するさなかであったのだ。その口もとのクリームをぬぐってあげながら、エウリフィアはやわらかく微笑んでいた。
「やっぱり、素晴らしい出来栄えね。アマンサもワッチも、とても強い味を持つ果実であるのに、この菓子はとても優しい味わいだわ。ねえ、オディフィア?」
「うん。すごくおいしい」
オディフィアは、きらきらと光る目でトゥール=ディンを見つめていた。
それを見つめ返しながら、トゥール=ディンも幸福そうに微笑んでいる。
「放っておいたら、オディフィアは菓子ばかりを食べてしまうでしょうね。きちんと他の料理も口にしてから、残りの菓子をお楽しみなさい?」
ということで、ようやく試食の時間は終わり、本格的に晩餐会が始められることになった。
ここまで来れば、俺とトゥール=ディンの仕事もほとんど終わったようなものである。あとは至極リラックスした心地で、人々が料理を楽しむ姿を見守ることができた。
「……すべての料理、美味である。その中、秀逸、思うのは、こちら、マロマロのチット漬け、料理である」
やがてアルヴァッハが、満を持した様子でそのように言いたてた。
さらにアルヴァッハが言葉を重ねようとすると、お茶でひと息ついていたフェルメスが声をあげる。
「よろしければ、僕が通訳をいたしましょうか?」
「うむ。しかし、フェルメス殿、食事、さなかであろう?」
「はい。ですが、これだけの料理をまとめて論評するならば、長きの時間が必要となってしまうでしょう。それでしたら、食事のさなかにわずかずつでもお伝えしたほうがいいように思います」
「では――」と、アルヴァッハが本気で語り出した。
トルストやディアルばかりでなく、リフレイアやエウリフィアも目を丸くしてしまっている。彼女たちも、かつてアルヴァッハたちが開催した返礼の晩餐会に出席していたが、ここまでの長広舌を拝聴する機会はなかったのだろう。また、それは昨年よりも本年のほうが、いっそう質量を増しているように感じられた。
「……マロマロのチット漬けは、それ自体が強い風味と辛みを持つ食材である。そこにアスタは、ココリや魚醤ばかりでなく、ミソ、タウ油、砂糖、ホボイ油、ミャームー、ケルの根という、実に数多くの食材で味を重ねている。それでいて、マロマロのチット漬けが持つ元来の美点はまったく損なわれることなく、豪奢にして壮麗なる変貌を遂げている。また、細かく刻んだギバ肉とユラル・パも、具材であると同時に調味料のごとき役目を担い、この素晴らしき調和を完成させているのであろう。では、具材の主役であるチャンはどうかというと――こちらは事前にホボイの油で揚げ焼きにされたものであり、もちろんその後は煮汁とともに熱を通されているのであろうが、その味わいがしみ込むには至っていない。至っていないゆえに、チャン元来の味わいと瑞々しさが保たれており、煮汁の味わいをより際立たせているのであろう。豊潤にして濃厚なる煮汁の味わいと、純朴にして清涼なるチャンの味わいが口の中で絡み合うさまは、絢爛なる舞踏会さながらであり――」
と、『麻婆チャン』の論評だけでも、人々を震撼させるには十分な熱量であった。
さすがに貴き人々の前であるためか、プラティカは大人しく口をつぐんでいる。しかしいずれは、アルヴァッハとみっちり論評を重ねることになるのだろう。森辺で試食をした段階で、プラティカはその時間を心待ちにしているように感じられたものであった。
そうしてアルヴァッハとフェルメスが食事を再開すると、その合間には他の人々が談笑の声を響かせる。やはり主賓ということで、ゲルドの人々に話題を振られることが多く、それにはもっぱらナナクエムが答えていた。
アルヴァッハのもたらす長広舌がいささか異彩を放っているものの、俺にもずいぶん見慣れてきた貴族たちの歓談の場だ。
ゆったりとした、優雅な空気が流れている。朗らかな気性をしたエウリフィアやディアルでも、こういう場における節度は十分にわきまえているので、そのたゆたうような空気が乱されることはなかった。
そこに異変が生じたのは、いよいよ料理が尽きかけてきた頃合いである。
そろそろアルヴァッハの長広舌が再開されるのではないかと、誰からともなく口数が少なくなってきて、その場にひさびさの静寂が訪れようとしたとき――その声が響きわたったのであった。
「非常にぶしつけな申し出ですが……わたくしが言葉を発することをお許し願えるでしょうか……?」
声の主は、リフレイアの斜め後方に控えていたシフォン=チェルであった。
そして、紫色をしたその瞳は――真っ直ぐに、メルフリードの冷徹なる面を見据えていた。