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異世界料理道  作者: EDA
第五十三章 四大神の子ら
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トゥラン伯爵家の晩餐会②~開会~

2020.7/5 更新分 1/1 ・7/6 誤字を修正

・明日は2話同時更新します。読み飛ばしのないようにご注意ください。

 リフレイアとの会見を終えた俺は、控えの間で休んでいたユン=スドラたちと合流し、厨で調理の仕事を開始することになった。


「それじゃあ、よろしくお願いします。時間には余裕がありますので、焦らずに丁寧な仕事を心がけてください」


 6名のかまど番たちは、「はい!」と元気に応じてくれた。ひとり緊張していたフェイ=ベイムも、浴堂の効能かすっかりリラックスできたようだ。

 おおよその作業手順は昨日までに確立していたので、誰もが迷いなく自分の仕事に取り組んでいる。俺自身も、もちろんそれは同様であったが――頭の片隅には、まだリフレイアの表情や言葉がこびりついてしまっていた。


(南方神に神を移したら、シフォン=チェルは自由の身になる。それなら今後は奴隷ではなく、ひとりの南の民としてジェノスで働けるんじゃないかって……ムスルは、そんな風に言ってたよな)


 あれはフェルメスの開催した、仮面舞踏会におけるやりとりであっただろう。リフレイアとムスルの語っていた言葉は、常とは異なるきらびやかな扮装の記憶とともに、俺の胸に刻みつけられていた。


(でも、仮にそれが許されるとしても、ただひとりの家族であるエレオ=チェルとは離ればなれになってしまうから……そう簡単にはいかないよな)


 それを理解しているからこそ、リフレイアはああして懸命に自分の悲しみをこらえているのだ。

 それに、シフォン=チェルたちをこのような境遇に貶めたのは、リフレイアの父親であるサイクレウスであったのだ。ならばいっそう、シフォン=チェルたちに正しい行く末を与えたいという気持ちがつのるはずだった。


「……大丈夫ですか、アスタ? ずいぶん元気がないようですけれど……」


 と、作業台の向かい側で仕事を果たしていたユン=スドラが、心配そうに声をかけてくる。

 俺は「大丈夫だよ」と、なんとか笑ってみせた。


「仕事には集中しているから、心配はいらないさ。ただ……」


「ただ?」


 ただ俺は、自分の無力さを噛みしめているばかりであった。

 なんとかリフレイアの心を和ませることはできないものかと、俺はこのような晩餐会まで提案し、わざわざリフレイアたちと言葉を交わすための場を作ったというのに――けっきょく、何もできなかったのだ。


「……アスタよ、刀を置くがいい」


 と、ふいに背後からアイ=ファの声が響きわたった。

 そうして菜切り刀をまな板に置いて、背後を振り返るなり、強い力で頭をわしゃわしゃとかき回されてしまう。俺におしおきをするアイ=ファは、その青い瞳にさまざまな感情の光を渦巻かせていた。


「余人では、どうにもできぬことがある。私やお前は、それを知っているはずだ」


 もしかしたら、それは――ティアとの別れのことを指しているのだろうか。

 そうでなければ、アイ=ファがこのような眼差しになることはないように思われた。


「リフレイアには、サンジュラにムスルという者たちがついている。だからああして、上辺だけでも笑うことができているのだ。その気丈さは、敬服に価しよう」


「……うん、そうだな」


 俺はアイ=ファにうなずきかけてから、正面のユン=スドラに向きなおった。


「心配してくれてありがとう、ユン=スドラ。今は仕事に集中しないといけないから……森辺に戻ったら、いずれ話を聞いてもらえるかい?」


「ええ、もちろん」と、ユン=スドラは俺をいたわるように微笑んでくれた。

 俺は菜切り刀を取り上げて、調理を再開する。


(俺がうじうじ思い悩んだって、なんの解決にもならないじゃないか。俺もサンジュラやムスルみたいに、リフレイアを支えられるように頑張ろう)


 その後は何事もなく、粛々と時間が過ぎ去っていった。

 下りの三の刻ぐらいになると、この貴賓館の料理番たちがぞろぞろと入室してくる。彼らには彼らの仕事が存在するので、俺たちは指定されたスペースで仕事に励んでいたのだった。


「アスタ殿、ようこそいらっしゃいました。本日は、ゲルドの方々を歓待するための料理を作りあげているそうですな」


 と、料理長たる人物がこちらに近づいてきた。新たな食材のお披露目会でも、たびたび遭遇している相手である。


「やはり、新たな食材を使われておるのですか。本来であれば、わたくしも調理の見学を願い出たいところでありました」


「それは光栄です。新たな食材の取り扱いについては、如何ですか?」


「やはり、香草や魚の油漬けといった食材には、いささか苦戦しておりますな。香草も、そこまで使い勝手が悪いわけではないのですが……ミャンやブケラといった香草は、他の香草に馴染みにくいように思うのです」


「そうですね。自分もミャンは、単体で扱うことが多いです。ブケラはミャンツと混ぜたり、あるいは菓子の材料で使ったりしておりますね」


「あの苦いブケラを、菓子の材料に? それは、興味の尽きないところでありますな!」


 と、恰幅のいい壮年の料理長は、ふいに可愛らしくもじもじとした。


「あの……きわめてぶしつけなお願いであるのですが……料理が完成したならば、ひと口ずつでも味見をさせていただくことはかなわないでしょうか……?」


「かまいませんよ。多めに作って自分たちの晩餐にするつもりでしたので、量にはゆとりがありますからね」


 プラティカやニコラに見学と試食を許して、この人物のお願いを断る理由は存在しなかった。こちらは厨と調理器具をお借りしているのだから、なおさらである。

 そうして料理長は、鼻歌まじりに自分の作業台へと戻っていった。彼の調理助手たちは、こちらの手際よりもユン=スドラたちの容姿に気を取られている様子である。


(うかうかしていると、ニコラに先を越されてしまいますよ)


 そんなエールを心の中で送りながら、俺は作業に没頭した。

 客人の到来が告げられたのは、さらに一刻ほどが経過した頃合いである。


「アスタよ、南の民のディアルにラービスなる者が、面会を願い出ておるぞ」


 扉の外に待機していたラヴィッツの長兄の声に呼ばれて、俺はアイ=ファとともに厨を出ることになった。


「やあ、アスタにアイ=ファ! 今日の料理も、楽しみにしているからね!」


 ディアルは今日も元気いっぱいに、挨拶をしてくれた。これから晩餐会であるために、瀟洒なワンピースのような姿である。


「この娘も、晩餐会とやらの客人であるのか? シムとジャガルの民というのは、敵対する間柄なのであろう?」


 ラヴィッツの長兄がそのように問い質すと、ディアルは「うん!」と子供のようにうなずいた。


「だからこれまでは、関わることもなかったんだけどね。でも、その連中はこれから定期的にジェノスを訪れることになるんでしょ? だったらいっそ、よーく顔を拝んでおこうと思ってさ!」


 そんな風に言ってから、ディアルは不敵に微笑んだ。


「それに、リフレイアは僕の大事な友達だからね! そのリフレイアと絆を深めようってんなら、僕がじっくり検分してあげないとさ!」


「ふむ。よくわからんが、四大王国のすべての民が一堂に会するというのは、なかなか愉快なものだな」


「え? あなたはシフォン=チェルを知ってるの?」


「うむ。さきほど顔をあわせることになった。俺よりも頭ひとつ分も大きそうな娘であったな」


「あはは。そりゃー北の民だからね!」


 さすが多くの森辺の民と絆を深めてきたディアルは、落ち武者のごとき面相をしたラヴィッツの長兄に臆するところもないようだった。


「ディアルは俺よりも、シフォン=チェルのことをよく見知ってるんだろうね。さっきリフレイアたちと、そんな話をしたんだよ」


「うん! 僕は南の民だから、あの娘を忌避する理由もないしね! あの娘が南方神に神を移すっていうんなら、なおさらさ!」


「うん……リフレイアは、少し心配だけれどね」


 俺の言葉に、ディアルは「あはは」と明るく笑った。


「こればっかりは、しかたないよ! いざってときには、僕が架け橋になってあげるさ!」


「架け橋?」


「うん! あの娘がどこで暮らすことになるのかはまだわかんないけど、シムとの国境がある東方や、ゼラド大公国に近い西方に連れていかれたりはしないと思うんだよね。だったら僕の故郷のゼランドとそんなに離れることもないだろうから、おたがいに手紙とか贈り物とかを届ける用事があったら、僕が受け持ってあげようと考えてたんだー!」


 俺よりもリフレイアに近しいディアルは、もうずっと前からこの一件について思案していたのだろう。北の民をジャガルに移住させようという話が持ち上がってから、すでに4ヶ月ぐらいの月日が流れているのだ。


「あとは僕たちが、リフレイアをしっかり支えてあげないとね! 僕がゼランドに帰ってる間は、アスタもよろしくお願いね!」


「うん、承知したよ」


 ディアルの笑顔に心を和まされながら、俺はそのように答えることができた。

 するとアイ=ファが、鋭い視線を回廊の奥へと差し向ける。


「……お前たちは、行動をともにしていたのか?」


「うん? お前たちって?」


 けげんそうに後ろを振り返ったディアルは、「あーっ!」と大きな声をほとばしらせた。回廊の向こう側から、フードつきマントを纏ったほっそりとした人影が接近してきていたのだ。


「なんだよ、もー! 僕たちのあとを、つけてきたの?」


「いえ。仕事、終えたため、参じたまでです。刻限、重なった、偶然です」


 こちらはディアルよりもひさびさとなる、シムの占星師アリシュナであった。彼女はメルフリードとエウリフィアのはからいで、本日の晩餐会に加わることになったのだ。


「アスタ、おひさしぶりです。壮健な様子、何よりです」


「はい。アリシュナとは、闘技会の祝宴以来ですね」


 しかしあの夜も、アリシュナは星読みの仕事で引っ張りだこであったため、会話らしい会話もできていなかった。彼女は祝宴の貴賓ではなく、余興の芸人という立場であるため、仕事を二の次にすることもかなわないのだ。


「ゲルドの方々とは、何度か晩餐をともにされているそうですね。今日は料理番のプラティカという御方もご一緒しますよ」


「はい。噂、聞いています。その御方、ファの家、逗留しているのですね?」


 その言葉に、ディアルがまた「えーっ!」と声を張り上げた。


「ファの家に逗留って、どういうこと? そいつ、アスタたちの家に居座ってるの?」


「いや、晩餐をともにしているだけで、最近は荷車に寝泊まりしているよ。以前の傀儡使いの一行と同じような感じだね」


「それでも、アスタたちと晩餐をともにしてるのかー。なんだか、ずるいなー」


 そう言って、ディアルはぷっと頬をふくらませた。


「今日はそいつも、晩餐会に参席するんだね? よーし、そいつのことも見定めてやらないと!」


「あなた、見定めて、何か意味、生じますか?」


「うるさいなー。そうしないと、僕の気が済まないんだよ!」


 ぷんすかと怒りながら、ディアルはアリシュナをにらみつける。この子犬とシャム猫みたいなコンビのやりとりを拝見するのも、ずいぶんひさびさのことであった。


「それじゃあ僕たちは、リフレイアにも挨拶してくるから! ほら、あんたも参席するんだったら、挨拶は必要なんじゃないの?」


「はい。案内、感謝いたします」


「べつに、好きで案内するわけじゃないよ!」


 そうして両名は賑やかに声をあげながら、回廊を引き返していった。最後まで無言であったラービスは、俺たちに目礼をしてから、それを追いかけていく。


「ふむ。南と東の民というのは、もっと剣呑な間柄なのかと思っていたのだが……こうして見ると、気性の異なる姉妹であるかのようだな」


 ラヴィッツの長兄が感慨深そうにつぶやいていたので、俺は「そうですね」と賛同の声をあげてみせた。


「彼女たちはそれぞれ戦争とは無縁な土地で生まれ育ったから、おたがいに憎み合う理由もないのだと思います」


「俺たちが、北の民を憎む理由がないのと同じことか。そう考えると、ジェノスというのはずいぶん恵まれた土地であるのだな」


「恵まれた土地?」


「うむ。北と西の民が憎み合うこともなく、東と南の民は争うことを禁じられている。森辺の外のことなどよくわからんが、四大王国のすべての民がそうして和やかに過ごせる土地など、そうそうないのではないのか?」


 そんな風に言ってから、ラヴィッツの長兄はにんまりと笑った。


「まあ、奴隷として扱われていた北の民が、西の民にどのような思いを抱いているかは、わからんがな。さきほどのシフォン=チェルという女衆は、少なくとも憎悪の念などは持っていない様子であったので、そのように考えただけのことだ」


「……そうですね。俺にもジェノスの外のことなんて、なんにもわかりませんけれど……でも本当に、恵まれているのだろうと思います」


 サイクレウスとシルエルが裁かれたのち、トゥランで働かされていた北の民たちはどのように処するべきか、詮議がされたのだと聞いている。この近在には奴隷を扱っている領地も存在しなかったため、いっそのこと処刑してしまってはどうか――などという声もあげられたのだそうだ。

 しかし、ジェノスの人々がそのように非道な真似をする事態には至らなかった。北の民を憎む気持ちがないために、そのような真似をするのははばかられたのだろう。


「……では、俺は仕事に戻りますね」


 ラヴィッツの長兄に別れを告げて、俺は厨に舞い戻った。

 リフレイアの涙をこらえているような笑顔や、シフォン=チェルの静かに目を伏せた姿が、また脳裏に思い浮かんでしまっている。

 だけど俺は、それを無理に振り払おうとはせず、彼女たちに思いを馳せながら、同時に仕事に集中した。俺は無力かもしれないが、それを他人事として割り切ることはできない。ならばこうして、彼女たちへの思いを胸に抱きながら、生きていくしかないように思えた。


                    ◇


 やがて、下りの五の刻を少し回ったぐらいの刻限に、すべての料理は完成した。

 晩餐会の開始は、下りの五の刻の半である。小姓たちの手を借りて料理をワゴンに移動させつつ、俺はユン=スドラに声をかけておくことにした。


「俺とトゥール=ディンは晩餐会に立ちあわないといけないから、みんなは先に食べててね。あと、しばらくしたら料理長のお人も来るはずだから、そのお相手もどうぞよろしく」


「承知しました。何も心配はいらないのでしょうが、どうかお気をつけください」


 晩餐会に立ちあうのは、俺とトゥール=ディンとアイ=ファの3名だ。残るメンバーは、厨のすぐそばにある控えの間で、晩餐を食する手はずになっていた。

 プラティカはさきほど食堂に招集されたので、ニコラだけがユン=スドラたちに追従する。すべてのセッティングを終えた俺たちは、いざ食堂へと出陣することになった。


「失礼いたします。料理人のアスタ様とトゥール=ディン様をご案内いたしました」


 小姓の案内で、俺たちは食堂に入室した。

 やはり、というべきか――そこはかつて、リフレイアにさらわれた俺の奪還劇が繰り広げられた部屋であった。

 天井には硝子だか水晶だかのシャンデリアがきらめき、足もとには毛足の長い絨毯が敷かれている。部屋の四隅に陣取るのは、獅子の頭に人間の上半身、そして鹿の四肢を持つ立派な石像――今ではそれが、ジェノスの守護神たる太陽神アリルであるということを、俺もわきまえていた。


「ご苦労様、アスタにトゥール=ディン。それに、アイ=ファもね。……料理の完成を心待ちにしていたわ」


 本日の晩餐会の主催者であるリフレイアが、鷹揚なる笑顔でそのように出迎えてくれた。

 本日はバイキングの形式であるためか、中央の空いた部分に料理のワゴンが設置され、それを取り囲む形で3脚のテーブルが並べられている。客人たちは席を立つことなく、小姓たちがご要望の料理を取り分けていく格好になるのだろう。


 そのテーブルに、貴き身分の客人たちが、ずらりと居並んでいた。

 上座にあたる正面のテーブルには、トゥラン伯爵家のリフレイアとトルスト、アルヴァッハとナナクエム。右側には、王都の外交官フェルメスと、ジェノス侯爵家のメルフリード、エウリフィア、オディフィア。左側には、貴き身分ならぬプラティカ、アリシュナ、ディアルという配置であった。


 リフレイアたちの背後には背の高い屏風がずらりと並べられているので、護衛役の兵士たちはそこに潜んでいるのだろう。ムスルやサンジュラやジェムドも、そこに含まれるのかもしれない。

 そして、屏風のこちら側や左右の壁際には、小姓や侍女が控えているのだが――リフレイアの斜め後方には、シフォン=チェルが立ち尽くしていた。


 このような場でシフォン=チェルの姿があらわにされているのは、初めてのことである。

 俺の視線に気づいたのか、リフレイアのかたわらにあるアルヴァッハが重々しく声をあげた。


「アスタ。北の民、同席、忌避するであろうか?」


「え? いえ、とんでもない! ……ただ、彼女がこのような場で侍女の仕事を果たすのは珍しいように思えたので、ついつい目を奪われてしまいました」


「うむ。そちらの侍女、北の民であるため、普段、姿を隠している、聞いていた。しかし、我々、東の民であるため、その姿、隠す必要、存在しない。……以前、リフレイア、ジェノス城の晩餐会、ともにしたとき、そのように告げたのだ」


 俺の姿を真っ直ぐに見返しながら、アルヴァッハはそう言った。


「アスタたち、忌避の心情、ないならば、幸いである。晩餐会、開始、願いたい」


「かしこまりましたわ、アルヴァッハ。……本日は、ゲルドの方々とジェノス侯爵家の第一子息のご一家、王都の外交官たるフェルメス、そして東と南の客人をそれぞれご招待させていただきました。森辺の料理人アスタとトゥール=ディンの料理や菓子をお楽しみいただけたら、幸いに思います」


 席を立ったリフレイアは、如才のない調子でそのように言いたてた。その横で、トルストは深々と頭を下げている。


「なお本日は、料理人アスタからの提案で、お好きな料理を自由に取り分けていただく形式となりました。6種の料理を順番に食するというのはジェノスの作法であるため、ゲルドの方々にも支障はないというお話でしたわね?」


「うむ。6種以上、料理、楽しめる、僥倖である」


「それは何よりでしたわ。では、さっそく料理を取り分けていただきたいのだけれど……何から手をつけていいものか、わたしたちには見当もつかないのよね」


 と、気さくな口調に戻っても、そこには貴婦人らしい優美さが残されている。少し見ない間に、リフレイアはずいぶん貴族らしい社交術を体得したようだった。


「だから最初は、アスタに料理の説明をお願いできるかしら? それでひと通りの料理を口にしてから、あらためてお好みの料理を取り分けていただくわ」


「承知しました。それでは最初に前菜代わりの料理と、シャスカ料理をお披露目させていただきますね」


 シャスカ料理は小姓の手にゆだねることもできないので、トゥール=ディンが進み出た。その姿を、オディフィアが横から食い入るように見つめている。俺には背中しか見えないが、トゥール=ディンはそちらに微笑みかけているのであろうと思われた。


「シャスカは、粒のまま仕上げております。そして、魚介の食材を使っておりますので、どうぞフェルメスもお召し上がりください」


「お気遣いありがとうございます。アスタの親切なはからいには、いつも心よりの感謝を捧げています」


 メルフリードの隣に座したフェルメスが、遠い位置から俺に笑いかけてくる。普段通りのゆったりとした長衣姿であるが、本日はポニーテールのように髪を結っているので、いっそう可憐な少女めいていた。


 そうしてトゥール=ディンの手で土鍋の蓋が開かれると、エウリフィアがはしゃいだ声をあげた。


「素敵な香りねえ。城下町の料理店でも、シャスカを粒のまま仕上げるところが多くなってきたように思うけれど……やっぱり森辺の料理人が作りあげるシャスカ料理にはかなわないように思えてしまうわ」


「ありがとうございます。ご期待にそえれば幸いです」


 トゥール=ディンのかたわらでは、小姓が前菜代わりの料理を取り分けている。そちらの皿のほうがひと足早く回され始めたので、そちらの説明を先に果たすことにした。


「前菜代わりの料理というのは、ゲルドの食材であるペレを、魚醤やマルの塩漬けやさまざまな調味料で揉み込んだものとなります」


「マルの塩漬け、未知なる食材である」


 アルヴァッハがぎらりと青い目を光らせ、フェルメスも不思議そうに小首を傾げた。


「マルというのは、この地方の川に棲息する小型の甲殻類となりますね。ジェノスにおいても、マルは食用にされていたのですか?」


「うむ」と応じたのは、意外なことにメルフリードであった。


「友人のカミュア=ヨシュから、そのような話を聞いた覚えがある。宿場町やダレイムなどでは、マルを塩漬けにしたものが酒肴として好まれているそうです」


「なるほど。では、庶民のための食べ物であるというわけですね。アスタはそれを、食材のひとつとして用いたわけですか」


「はい。城下町でマルの塩漬けが流通していないとは知りませんでした。このような料理は、晩餐会に不相応であったでしょうか?」


「否」と応じたのは、やはりアルヴァッハであった。


「城下町、アリアですら、ほとんど使われていない、聞いている。しかし、アリア、美味である。食材、貴賤、存在しない、思われる。重要、美味か否かである」


 というわけで、最初の料理も無事に配膳されることになった。

 マルというのはオキアミのような生き物で、宿場町においてはその塩漬けが酒の肴として好まれている。なおかつ《玄翁亭》においては、それを材料としてキムチに似たチット漬けが作製されていたのだった。


 俺も最初に思い浮かべたのは、キュウリのごときペレを使ったオイキムチであるが、これはまだまだ修練が必要であったので、類似の料理に軌道修正することになった。マルの塩漬けとチットの実、それにめんつゆと魚醤とホボイ油とミャームーとケルの根を使った、ピリ辛の和え物だ。アルヴァッハはペレとヌニョンパの和え物にもひどく感銘を受けていた様子であったので、そこにさらに辛みまでを加えたひと品であった。


「まあ、辛い。これは、チットの実も使っているのね。……でも、ペレという野菜がとても瑞々しくて、チットの辛さを中和してくれるようだわ」


 そう言って、エウリフィアは隣の愛娘に微笑みかけた。


「これぐらいの辛さなら、オディフィアでも食べられるでしょう? ペレのお味は如何かしら?」


「おいしい」と、オディフィアもうなずいてくれていた。

 東の民や城下町の人々ほど辛みを好んでいないディアルも、問題なく食せている様子である。それにしても、プラティカ、アリシュナ、ディアルという席順は、なかなかに容赦のない配置であった。


「確かにこれは、美味ですね。マルの塩漬けという食材が、魚介の風味を与えてくれているようです」


 フェルメスも、ご満悦なようで何よりである。本日、ポルアースはサトゥラス伯爵家の晩餐会に参席しているために、こちらではフェルメスやエウリフィアが空気を和やかにする役を負ってくれている感があった。

 そしてその頃には、シャスカ料理も配膳されている。人々の興味は、速やかにそちらに移行されることになった。


「こちらも魚介の豊かな香りが感じられますね。もしかして……生きた魚を使っているのでしょうか?」


「はい。生きた魚をぞんぶんに使える、貴重な機会でしたので」


 遠方から届けられる鮮魚は、この貴賓館の厨で保管されているのである。俺がそれを扱うのも、ずいぶんひさびさのことであった。


「こちらには、川魚であるリリオネの身を使っています。それに、ゲルドの香草であるココリも使わせていただきました」


 それは、土鍋を使った『炊き込みシャスカ』であった。ファの家においてもたびたび披露している料理であるが、そこにリリオネとココリを用いてみたのだ。

 リリオネは、いったん焼き上げてから身をほぐして、それをシャスカやネェノンやブナシメジモドキとともに炊き込んでいる。基本の味付けはタウ油であり、隠し味にケルの根を使い、ジャガルの蒸留酒や燻製魚および海草の出汁で炊き上げるというのも、俺にとってはスタンダードな手順だ。そこにアクセントとして用いたのが、山椒に似たココリであった。


 ココリは後掛けではなく、最初に他の食材と一緒に混ぜ合わせている。何度か試作を繰り返した結果、それなりの量を投入しても、辛みが先に立つことはなかった。タウ油の甘辛い味わいの裏に、ココリの風味がふわりと香る、俺としては満足な出来栄えであった。


「ああ、こちらも美味です。以前にいただいたシャスカ料理よりも、さらに美味であるように思います」


 幸福そうに微笑みながら、フェルメスがそのように言ってくれた。フェルメスが以前に食したシャスカ料理というのは、おそらくマロールを使ったチャーハンや天丼であろう。


「ただ……アスタはここしばらく、生きた魚を森辺に取り寄せたことはなかったはずですね。なんの修練もなしに、このような料理を作りあげることがかなったのですか?」


「え? ああ、はい。魚は使わないまま、あれこれ修練を重ねていたのですが……俺が魚を取り寄せなかったことを、よくご存じでしたね」


「それはまあ、アスタに関わる話であれば」


 と、フェルメスは恥じらう乙女のように可憐な唇をほころばせる。

 俺の背後に立ちはだかったアイ=ファがどのような表情をしているのか、ちょっと確かめたいところであった。


「……アスタ、修練なく、この料理、作りあげたのであるか」


 と、アルヴァッハが重い斧のような声音を飛ばしてきた。


「はい。基本の味さえ構築できれば、川魚でも応用はきくと思いましたので……アルヴァッハには、ご満足いただけなかったでしょうか?」


「否。完成度、高さ、驚愕である」


 そうしてアルヴァッハがフェルメスのほうに向きなおると、ナナクエムがすかさず「アルヴァッハ」と声をあげた。


「晩餐会、始まったばかりである。長広舌、わきまえるがいい」


「しかし、シャスカ料理、ペレの前菜、どちらも見事である」


「アルヴァッハ、語っている間、我々、食事、進められない。ジェノス、貴き人々、非礼であろう」


 アルヴァッハは深々と息をつき、俺のほうに視線を転じてきた。


「……では、のちほど」


「はい。料理はまだまだたくさんありますので、まずはひと通りお召し上がりください」


 他の面々は、おおよそ和やかな面持ちで俺たちのやりとりを見守ってくれている。

 まあ、東の客人やメルフリードとオディフィアの父子などは、完全無欠の無表情なわけであるが――それでも、空気が和やかであることに疑いはなかった。


『炊き込みシャスカ』をついばんでいるリフレイアも、とても穏やかな表情だ。

 そしてそんなリフレイアを、シフォン=チェルは斜め後方から静かに見守っている。それはまるで、我が子を見守る母親のごとき眼差しであった。

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[気になる点] 毎回思う、調理中の長々とした面会邪魔くさい
[気になる点] 「友人のカミュア=ヨシュから、そのような話を聞いた覚えがある。宿場町やダレイムなどでは、マルを塩漬けにしたものが酒肴として好まれているそうです」  メルフリードのセリフなら   好ま…
[気になる点] ユラル⚫パではなくペレではないでしょうか。
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