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異世界料理道  作者: EDA
第五十三章 四大神の子ら
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合間の一日①~午前~

2020.7/2 更新分 1/1

 その朝も、俺は甘い香りの中で目覚めることになった。

 ということは、アイ=ファがぴったりと寄り添っているということである。俺が幸福な気分でまぶたを開くと、そこには予想に違わず金褐色のきらめきが渦巻いていた。


 アイ=ファは俺の左肩に頭を乗せて、ほとんど抱きつくような格好になっていた。その手は俺の右脇腹に差し込まれて、両足は俺の左足にからみついており、半ばうつ伏せとなった肢体は俺の右半身にやわらかく密着し――抱きつくような、ではなく、完全に抱きついてしまっている。幸福きわまりない気分で微睡んでいた俺も、じょじょに頭が覚醒していく内に、気恥ずかしさやら何やらで心臓が暴れ始めてしまった。


「お、おい、アイ=ファ。どうやら朝みたいだぞ」


 俺がそのように声をかけると、アイ=ファはむずかる幼子のような声をあげながら、俺の上で肢体をよじった。自然、密着した部分がえもいわれぬ感触を発生させて、俺の心をいっそうかき乱す。


「アイ=ファ、朝だってば。いつもの寝起きのよさはどうしたんだ?」


 なおも俺が声をかけ続けると、アイ=ファは俺に密着したまま、上のほうにずりあがってきた。そうして頭の位置が同じていどの高さになると、俺の頬になめらかな頬をすりつけてくる。俺はもう、そのまま絶命してしまいそうな心地であった。


「ほ、本当にどうしたんだよ? 身体の具合でも悪いのか?」


「……そのようなことはない」


 と、アイ=ファの低い声が至近距離から響いてくる。いまだに頬がくっついているためか、骨伝導の作用まで発生して、アイ=ファの声が頭の中にまで響くかのようだった。


「ただ……余韻にひたっている」


「よ、余韻?」


「うむ……お前とこのように触れ合えるのは、この目覚めの時間のみであるからな……」


 それは単に、俺たち自身がそのように取り決めたというだけの話であった。いまだ婚儀をあげることのできない俺たちは、むやみに触れ合うべきではないが、ティアと別れた喪失感を癒やすために、この朝方ぐらいは大目に見ようではないか――という、俺とアイ=ファの秘密の約束である。


 そうしてアイ=ファは数分ばかりも、俺の上で余韻を味わっていた。

 頬をすりつけるのをやめたかと思うと、今度はこめかみの辺りに額を押しつけてきたり、しなやかな指先で俺の肩をまさぐってきたり――正直に言って、俺はどこまで理性を保てるかを試されているような心地であった。


 しかしまた、それを苦痛に思うことは、決してない。

 それよりも、俺はアイ=ファがこんな風に、自分の弱さをさらけだして甘えてくれることが、幸福でたまらなかった。

 俺がアイ=ファのことをこの世でもっとも愛おしいと思っているのと同じように、アイ=ファも俺のことを思ってくれている。アイ=ファの温もりや甘い香りが、それを俺に実感させてくれるのだった。


(ティアも今頃、目を覚まして家族たちと語らってる頃合いかな……)


 半ば夢の中に引き戻されたような心地で、俺がぼんやりとそんな風に考えたとき、アイ=ファの香りや温もりがすうっと遠ざかっていった。


「うむ……アスタのおかげで、今日も健やかな目覚めを得ることができた」


 敷物の上であぐらをかいたアイ=ファが、自然に垂らした金褐色の髪をかきあげながら、幸福そうに微笑みかけてくる。

 窓から差し込む朝日によって、その姿は何よりも美しくきらめいていた。

 その姿にまた陶然とさせられながら、俺は半身を起こしてアイ=ファに笑いかけてみせる。


「アイ=ファが満足したなら、何よりだ。……でも、ティアがいなくなってから、そろそろひと月が経つんだな」


「うむ。明日でちょうど、ひと月となろう」


 アイ=ファは目を伏せて、いくぶん声のトーンを落とした。並々ならぬ記憶力を備えているアイ=ファは、その日付けもしっかり記憶していたのだ。


「……ひと月を迎えようとしているのに、いまだ心の収まらぬ私は、やはり柔弱なのであろうか?」


 と、アイ=ファはいくぶんうつむいたまま、伏し目がちで俺を見つめてくる。これもまた、余人の目がある場所では絶対に見せない顔である。

 それを愛おしく思いながら、俺は「そんなことないよ」と言ってみせた。


「俺たちにとっては、それだけティアの存在が大事だったってことさ。……昨日はひさびさに、他の人の口からティアの話題を出されたしな」


「うむ。それで私も、より鮮明にティアの存在を思い出してしまったのやもしれん」


 アイ=ファは小さな吐息とともに、言葉をこぼした。


「しかし私には、お前がいる。やっぱりいつまでもこのような気持ちを抱えているのは、正しいことではないのであろうな」


「どうなのかな。でも何にせよ、人間はそこまで絶対的に正しくあれるわけではないんだと思うよ」


 俺は、そんな風に答えてみせた。


「それに俺は、アイ=ファが正しくないなんて思わないしな。アイ=ファにとって、ティアはそれだけ大事な存在だったっていうことなんだから、むしろ嬉しく思うぐらいさ」


 アイ=ファはしばらく俺の顔を見つめてから、ふいにふわりと抱きついてきた。

 まだ余熱の残されていた俺の身体に、あらためてアイ=ファの温もりが届けられてくる。アイ=ファはきっかり5秒ほど、常にないやわらかさで俺の身体を抱きすくめてから、身を離した。


「……今の抱擁は、お前の言葉や態度からもたらされたものであるので、文句の言葉を聞くつもりはない」


 そう言って、アイ=ファはにこりと微笑んだ。

 朝から絨毯爆撃をくらったような心地で、俺は満身創痍である。


「では、朝の仕事だな。今日はとりわけ洗い物が多いのだから、ぐずぐずしているいとまはないぞ」


 昨日はアルヴァッハたちを客人として迎えたため、洗い物が山積みであったのだ。

 枕もとで眠っているサチはそのままにして、鉄鍋や木皿を玄関の外に運び出す。土間から飛び出したブレイブたちは、母屋の前にででんと鎮座ましましている巨大な荷車を発見して、小首を傾げていた。


「ああ、プラティカたちは、まだ寝てるのか」


 それは、プラティカたちの寝場所として置き去りにされた荷車であった。かつてのリコたちの例にならって、彼女たちもこういう形式で夜を明かすことになったのだ。


 ちなみにこれは、ゲルドの使節団が食材を持ち込むために使用していた荷車である。荷台は頑丈な木造りであるので、これならばギバやムントやギーズの脅威にさらされることもない。

 そして荷台は、2台が連結されている。ただでさえ2頭引きの巨大な荷車であるのに、その容量は通常の倍であるのだ。ゲルドの巨大なトトスでなければ、このようなものを引いてひと月も駆けることは難しいに違いなかった。


「プラティカ、ニコラ、朝ですよ。お目覚めになられていますか?」


 親切心で、俺は荷車の扉を叩いてあげることにした。

 しばらくして、扉は内側から押し開けられる。そこから出現したのは、灰褐色の羽毛を持つトトスの巨大な頭部である。俺は「うわー!」とわめきながら、その場に尻もちをつくことになった。


「何をやっておるのだ。プラティカたちは、こちらの荷台であろう」


 アイ=ファが呆れた声を出すのと同時に、逆側の荷台の扉が開かれた。そちらから顔を出したのは、まぎれもなくプラティカである。


「悲鳴、驚きました。アスタ、無事ですか?」


「は、はい。うっかりトトスの眠っている荷台に声をかけてしまいました」


 トトスも屋外で夜を明かすのは危険であるし、かといってこれだけ巨大な2頭のトトスを預かるスペースはなかったので、彼らも荷台で眠ることになったのだ。

 扉から首だけを出したゲルドのトトスは、ギルルよりも遥かに鋭い目つきで俺を見下ろしている。敵と見なされなかったのは、幸いだ。あんな鋭いくちばしでつつかれていたら、それだけで大惨事であった。


「アイ=ファ、アスタ、おはようございます。洗い物、手伝います」


「うむ。そういう約定であったからな」


 重ねた鉄鍋を地面に下ろしながら、アイ=ファは鷹揚にうなずいた。さきほどまでの甘えた姿が嘘のような、厳粛なる面持ちである。そして、俺にとってはどちらも愛しくてたまらないアイ=ファの姿であった。


 プラティカに続いて、ねぼけまなこのニコラも荷台から這い出してくる。朝方の下準備を見学するために、彼女も荷車で一夜を明かしたのだ。くるくるの巻き毛がぴょんと寝ぐせで立っているのが、ご愛敬であった。


 さすがに本日は洗い物の量が尋常でなかったため、荷車を使って水場を目指す。なかなか普段にはない光景に、ブレイブたちははしゃぎながら追従していた。

 水場においてはフォウやランの人々と交流を温めて、家に戻ったならば、お次は水浴びと薪拾いだ。


 さすがにニコラは、川での水浴びを辞退していた。アイ=ファとプラティカが水浴びをしている間は、俺とともに巨岩を背にしての世間話だ。思えば、ニコラとふたりきりで語らうのは、これが初めての経験であった。


「……アスタ様は、わたしの素性をご存じであるのですか?」


 ニコラがそのように問うてきたので、俺は正直に「はい」と答えてみせた。


「でも、それを知ったのは以前の祝宴のときですね。カミュア=ヨシュが、教えてくれました」


「……ヤン様やポルアース様ではなく、あの御方が?」


「はい。ヤンやポルアースは、余計な印象を与えることを避けたかったのでしょう。俺はべつだん、気にしていませんけれど」


「……そうですか。わたしは昨晩、プラティカ様に生い立ちを問われて、それを語ることになりました。そうしてプラティカ様にお伝えしたことを、あなたに隠したままであるというのは不義理であろうと考えたのですが……いらぬ心配であったようですね」


「はい。ですが、そうして打ち明けてくれようとしたことを、嬉しく思います」


 そう言って、俺が笑いかけてみせると、ニコラは不機嫌そうな面持ちで顔をそむけてしまった。


「……わたしは、罪人です。わたしのような人間が、今後も森辺に出入りすることを許していただけるのでしょうか?」


「ニコラの罪は、貴族としての身分を剥奪されたことで、贖われたのでしょう? 森辺にも、そうして罪を贖った人たちがたくさんいます。森辺の民は、過去の罪で相手を貶めたりはしません」


 そんな風にニコラと心情を打ち明け合うのも、俺にとっては有意義なひとときであった。

 アイ=ファたちの後には俺も身を清めさせていただき、薪と香草の採取を終えたなら、屋台の商売の下ごしらえだ。


 さすがにこの仕事をプラティカたちに手伝ってもらうことはできないので、ここは見学に徹してもらう。そして本日も、休息の期間にある氏族の人々が、大挙してやってくることになった。


「おお。デイ=ラヴィッツも、また参じてくれたのだな」


 アイ=ファがそのように呼びかけると、デイ=ラヴィッツは「ふん」と鼻息を噴いた。


「宿場町まで出向く、通りがかりだ。……昨日は、うちの長兄が世話になったそうだな」


「うむ。私は姿を見ていないが、ルウ家におけるかまど番の修練を見物していたそうだな。察するに、あやつは美味なる料理に対する関心が高いのか?」


「ふん。どうだかな」


 デイ=ラヴィッツの態度は相変わらずであったが、以前に比べれば、よほど能動的にアイ=ファと語らっているように感じられる。それだけでも、大きな1歩と言えることだろう。

 それに本日は、ナハムの末妹や、長姉の伴侶という人物も出向いてきていた。長姉はひどく謹厳な気性であるように見受けられたが、その伴侶は吊り合いを取ろうとしているかのように、大らかで柔和そうに見えた。


 また、ミームやスンの人々も、少なからずやってきている。この人数では、かまど小屋の窓や入り口から見物するぐらいしかかなわないのであるが、それでも彼らはひっきりなしに、ファの家を訪れてくれるのである。


「噂に聞いていた通り、これはたいそうな騒ぎだな。まるで、祝宴の準備をしているかのようだ」


「うむ。しかもこれが、毎日なのであろう? 屋台の商売というのは大きな富を生み出すという話だが……やはり、楽な仕事などないということだな」


「それにファの家は、手伝いのかまど番たちに銅貨を支払っているため、そこまで大きな富を得ているわけではないと聞くぞ。だから、ファの家は……自分たちの富のためではなく、余所の氏族の富と、そして宿場町に美味なるギバ料理の味を広めるために、これだけの苦労を担っているということだ」


「あとは、町の人間たちと正しき絆を結ぶために、だな」


 作業に没頭しながらも、そんな言葉があちこちから聞こえていた。

 森辺の男衆は、屋台の様子ばかりでなく、その下準備のさまも見届けるべきである――と、最初に言い出したのは、いったい誰であったろうか。それはずいぶん昔の話であったので、俺も記憶が薄れてしまっていた。


 何にせよ、それは正しい提案であったのだろう。森辺の民は先年の家長会議において、宿場町における商売を全面的に肯定することになったが、それでも本当に自分たちが正しい道を進めているかどうか、常に顧みなくてはならないのだ。


「……森辺の民、変革、さなかであるのですね」


 俺の手もとを熱心に覗き込んでいたプラティカが、ふいにぽつりとつぶやいた。やはり、かまど小屋の外で騒ぐ男衆らの言葉が耳に入ったのだろう。

 そちらに向かって、俺は「はい」と笑いかけてみせた。


「生きている限り、誰でも変革のさなかなのでしょうけれどね。大きく道をあらためた森辺の民は、その振れ幅が大きいのだと思います」


「……変革、尊ぶ気質、好ましい、思います」


 紫色の瞳を強く光らせながら、プラティカはそのように言っていた。

 ゲルドの料理人でありながら、西の王国で多くを学んだというプラティカもまた、変革を尊ぶ気性であるのだろう。


「そういえば、昨晩はニコラとおたがいの生い立ちを打ち明け合ったそうですね。俺もいつか、プラティカの生い立ちを聞かせていただきたく思います」


「……昨晩、昂揚し、なかなか寝つけなかったため、時間、潰したに過ぎません。私、生い立ちなど、語る価値、ありません」


「そんなことはありませんよ。西の王国を3年間も放浪したなんて、それだけで激動の人生じゃないですか」


 プラティカは俺の顔をじっと見つめてから、やがて言った。


「では、そちらも、聞かせていただきたく思います」


「そちらって、俺の生い立ちについてですか?」


「はい。でなければ、不公平です」


 プラティカはぷいっとそっぽを向いたかと思うと、そのまま『ギバまん』を包んでいるユン=スドラたちのほうに立ち去ってしまった。

 俺の生い立ちは――語る価値など、あるのだろうか。

 そういえば、俺はアイ=ファにすら、ほとんど故郷の話をしたことがない。アイ=ファは過去にとらわれる必要などないと言いたてていたし、俺にしてみても、2度と戻れぬ故郷のことを語っても、詮無きことではないかと思っていたからだ。


(でも……そんなことは、ないのかな)


 俺の生い立ちを語るならば、それはアイ=ファにも聞き届けてほしい。

 そんな思いを噛みしめながら、俺は下ごしらえの仕事を終えることになった。


「それでは、また宿場町でな!」


 俺たちが荷物の積み込みをしている間に、他の氏族の人々は立ち去っていた。

 買い物用の荷車には2台の空きがあったようで、そこにも乗りきれなかった人々は、徒歩で宿場町に向かうのだ。それもおおよそは、男衆が家族の女衆を背負って、駆け足で向かうという荒業であった。昨日のラヴィッツの長兄と同じように、狩人としての修練も兼ねているのだろう。


 俺たちのほうは、いったんルウの集落まで出向いてから、いざ宿場町である。

《キミュスの尻尾亭》に到着すると、レビが「よう」と笑顔で出迎えてくれた。


「今日も森辺のお人らが、トトスと荷車を預けに来たぜ。ここ数日は、ひっきりなしだな」


「うん。休息の期間でも家の仕事があるから、交代で順番に町に下りてるわけだね」


 そして彼らは夕暮れ近くまで宿場町に留まるので、トトスや荷車もきちんと宿屋に預けているわけであった。

 それには預かり賃というものが発生するし、それに彼らは昼の食事も屋台で買いつけている。多少の代価を支払ってでも、彼らは宿場町のことをより深く知ろうと懸命に取り組んでいるのだ。ユーミやレビの紹介で知り合った宿場町の若者の案内で、裏通りの店や広場や聖堂や――かつて俺たちが足を運んだ場所にも、くまなく出向いているはずであった。


(その顔ぶれが、とりわけ宿場町とは縁の薄かったラヴィッツの血族とミームとスンなんだもんな。いずれは北の集落の人たちや、ガズやベイムやラッツの人たちや、それにサウティやダイの人たちなんかも、こうやって交流を深めていくのかな)


 もちろんそういった氏族の人々も、復活祭の祝日には積極的に宿場町の検分をしていた。だけどやっぱり半月に渡る休息の期間がやってこなければ、こうまで濃密な時間を過ごすことは難しいだろう。また、復活祭の賑わいと同じぐらいに、平時の宿場町を知るというのは、有意義なことであるはずだった。


「……アスタ。いったん、お別れです」


 と、露店区域の所定のスペースに向かうさなかで、プラティカがそのように告げてきた。露店区域の中央付近――宿屋の合同屋台村ともいうべき場所に到着したのだ。


「本日、この場所、料理、検分したい、思います」


「承知しました。俺のおすすめの宿屋の名前は、覚えてますか?」


「はい。『南の大樹亭』、『タントの恵み亭』、そして、『アロウのつぼみ亭』です」


 屋台には、それぞれ宿屋の名前が掲げられている。ニコラが同行すれば、それを読み取ることもかなうのだ。


「もちろん他にも、立派な料理を売っている屋台はあるでしょうからね。そこはご自分で開拓をお願いします」


「はい。ですが、森辺の料理、食するため、満腹、避けなければなりません」


「え? こちらでも料理を買ってくださるのですか?」


 俺の言葉に、プラティカは鋭く両目をきらめかせた。


「下ごしらえ、見慣れぬ料理、発見しました。そちら、食さないこと、できません」


 本日はひさびさに、『ミートソースのパスタ』を供することになったのだ。

 俺は笑いながら、プラティカに手を振ってみせた。


「ありがとうございます。下りの一の刻の半までには売り切れることもないはずですので、それまでにどうぞ」


「承知しました。では、のちほど」


 そうしてプラティカたちと別れた後は、こちらも商売だ。

 本日の日替わりメニューは、かつてプラティカも食した『ギバの揚げ焼き』であった。あれから10日ほどが経ち、またこの人気メニューを供することになったのだ。


 新たな食材に関しては、正式に宿場町で売りに出されるまで、使用を控えていた。目新しい食材を使えば評判を呼ぶのが当然であったので、そんなフライングは回避して然るべきであろう。俺たちは正々堂々と、宿屋の連合軍と味で勝負しなければならなかったのだった。


(まあ、新たな食材が売りに出されるときは、また俺やヤンが使い道を手ほどきすることになるんだろうけど……それはそれ、これはこれだよな)


 その仕事はジェノス城からの正式な依頼であるので、もちろん賃金も発生する。ならば、文句を言う筋合いでもなかった。


 屋台を開けば、変わらぬ勢いでお客が押し寄せる。今のところ、あちらの屋台村の影響で客足が落ちたという実感はない。それでいて、あちらでもそれなりの売り上げを出すことがかなっているという話であったから、誰も損はしていないのだ。


 しかし――あちらの売り上げがのびているのに、こちらの売り上げが下がらないというのは、どういうことか。

 それはもう、宿場町の人出そのものが、日々上昇しているとしか考えられなかった。

 一昨年よりも去年のほうが、去年よりも今年のほうが、ジェノスを訪れる人間の数が増えているのである。また、宿場町に在住している領民たちも、屋台で軽食を買い求める頻度が上がっているのかもしれない。2年ほど前と比べれば、屋台における軽食の品質は格段に向上しているのだから、そういう現象が生じても不思議はないように思えた。


「……ファの家のアスタ。仕事、お疲れ様です」


 と、朝一番のピークが過ぎた頃に、新規の団体客がどっさりと訪れた。

 ゲルドの食材をジェノスまで運び込んできた、使節団の一行である。彼らはアルヴァッハが宣言していた通り、城壁の外で過ごしており、昼にはこうして俺たちの屋台を訪れてくれるようになっていたのだった。


 いずれも巨体の、山の民たちである。もっとも小柄な人間でも180センチを下ることはないし、アルヴァッハなみの巨漢もちらほらとうかがえる。それもそのはずで、彼らはゲルドにおいて兵士と呼ばれる身分にあったのだった。


 ゲルドは敵対国のジャガルと離れているために、いわゆる戦争とは無縁の土地柄である。ただし、ゲルドにもマヒュドラにもセルヴァにも、無法者というものは存在する。特にゲルドはマヒュドラとセルヴァの両方と領地の接する辺境の区域であるため、山賊や盗賊というものが非常に多いようであるのだ。

 そんな無法者から領地と領民を守るのが、ゲルドの兵士たちの役割となる。

 また、非番の際には雪山で狩りの仕事を果たしているという話であるのだから、その力量も折り紙つきであった。


 そんなむくつけき大男たちが、総勢できっかり30名である。

 ゲルドの使節団は荷車30台分の食材を運んできたという話であったが、朝方のファの家で証明された通り、2台の荷車を連結させている。ということは、御者の数は15名となる。それで、御者の交代要員および荷物の見張り役としてさらに15名が同行して、この人数というわけであった。


「油、香り、芳しいです。こちら、我々、初見ですね?」


 使節団の代表格たる人物が、そのように問うてくる。兵士という身分にあるためか、彼はプラティカや草原の商人と同じように、丁寧な西の言葉を扱うのだ。しかし、それはそれでなかなかの迫力が発散されるものであった。何せ彼も、身の丈2メートルはあろうかという巨漢であるのだ。


「はい。こちらは、ギバの肉を油で揚げ焼きにした料理となります。あとは、こちらの『ミートソースのパスタ』と……それにあちらの『クリームシチュー』という汁物料理が初見であるはずですね」


「承知しました。まず、その3種、人数分、購入いたします」


 代表の人物が、東の言葉で指示を送る。西の王国とゆかりの薄いゲルドの民であるからして、その過半数は西の言葉を扱うことがかなわないのだ。


「森辺の料理、いずれも素晴らしい、思います。我々、運んだ食材、使用、まだですか?」


「はい。みなさんがジェノスを出立する前には、お披露目したいところですね」


「はい。我々、強く願います」


 アルヴァッハに劣らず重々しい声音で言いながら、その人物は目礼をしてくれた。


(案外、このお人たちがいるおかげで、こっちの売り上げが落ちないで済んでるのかもな)


 何せ彼らは、外見通りによく食べる。最低でも、4種から5種の料理をぺろりとたいらげてしまうのだ。それが30名であるのだから、売り上げにも大きく貢献してくれているはずだった。


(でも、このお人たちがジェノスを出ていったら、また別の土地から別のお人らがやってくるんだろう。雨季の間はしかたないとしても、宿場町はますます賑わっていくんじゃないのかな)


 そんな思いをかきたてられるほどに、本日も宿場町の街道は賑わっていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] アルヴァッハさんが大好きです。 とても面白く読ませていただいています。 ありがとう。
[気になる点] アイ=ファが「おお。デイ=ラヴィッツも…」というところですが、 アイ=ファが「おお」というのは違和感が…
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