ファの家の晩餐③~熱き思い~
2020.7/1 更新分 1/1
アルヴァッハがすべての感想を放出するのに、およそ15分ほどが費やされることになった。
『煮込みうどん』に添え物の天ぷら、そして『ギバ肉とドルーのタウ油煮込み』という3品について語るのに、それだけの時間が必要であったのだ。
さしあたって、俺の準備した料理はおおよそお気に召した様子であった。
その中で、苦言を呈されたポイントは2点。天ぷらに使用した油の種類と、『ギバ肉とドルーのタウ油煮込み』の具材に関してである。
以下、アルヴァッハの言葉を引用すると――
「こちらの天ぷらという揚げ物料理も、きわめて高い完成度を誇っているように感じられる。しかし我は、ジェノスや森辺に素晴らしい油が存在することを知っている。ホボイの油やギバの脂を使えば、さらなる完成度を目指せるのではないだろうか?」
「こちらの煮込み料理は、いくぶん簡素な面はあれども、やはり高い完成度を保っているように感じられる。こちらが簡素に感じられるのは、おそらく香草を使っていないためと思われるが……それはまた、ともに食する『煮込みうどん』との調和を考えての措置なのであろう。我は東の民であるために、どうしても香草を欲する気持ちが否めないが、しかし、香草を主体にした肉料理では『煮込みうどん』と調和しないことも想像に難くない。なおかつ、どちらもタウ油を主体としながら、まったく異なる味わいを有しているため、大きな調和を得ながらも、まったく飽きのこない仕上がりとなっている。よって、それを欠点と見なす愚は避けたく思うが……ただひとつ、野菜の食材がドルーのみという点には、不満を禁じ得ない。さらなる具材を加えることで、ドルーの持つ味わいをより際立たせることが可能なのではないだろうか?」
といった次第である。
やはりアルヴァッハも、無条件で俺の料理を賞賛しているわけではないのだ。俺にとって、それはむしろ喜ばしい発見であった。
「揚げ物に、ホボイの油やギバの脂ですか……それは確かに、一理あるのかもしれません」
俺は、そのように答えてみせた。
俺が揚げ物で使用しているのは、オリーブオイルのような風味を持つレテンの油である。ゴマ油のごときホボイの油やギバのラードと比較して、果たして揚げ物に相応しい油であるかどうか――それは、一考が必要なところであった。
「ホボイの油やギバの脂は、レテンの油よりも風味が強いです。それが、いい風に作用すれば……きっと、さらに美味しい天ぷらを作ることがかなうのでしょうね」
「うむ。アスタ、これまで、取り組んでこなかった、不思議である」
「ホボイの油は、それなりに値の張る食材であるために、揚げ物で使おうという考えには至りませんでした。ギバの脂に関しては、『ギバ・カツ』で証明されている通り、肉の具材には調和すると思うのですが……野菜の具材には、レテンやホボイのほうが合うのではないかと思いますね」
しかしまた、揚げ物のために2種の油を準備するというのも、なかなか贅沢な話である。それに、どれだけの富を手にしても、「食材を無駄にしてはならじ」というのが森辺の習わしであるのだ。使い回しにも限度のある揚げ物の油に関しては、俺も他の料理ほど思いきったチャレンジができていなかったのだろう。そんな間隙を、アルヴァッハに鋭く突かれたような心地であった。
「煮込み料理の具材に関しては、ちょっと研究の時間が足りていませんでした。ドルーの熱加減を見極めるのに精一杯で、他の食材との相性にまでは手が回らなかったのですよね」
「うむ。さらなる研鑽、期待している」
アルヴァッハがそのように応じると、ナナクエムが非難の声をあげた。
「アルヴァッハ。アスタ、貴殿、使用人ならぬ存在である。その言いよう、失礼ではないだろうか?」
「あ、いえ、アルヴァッハにご指摘いただけることは、心からありがたく思います。ナナクエムのお心づかいもありがたく思いますが、どうぞお気になさらないでください」
俺は心から、そのように告げてみせた。アルヴァッハほど鋭敏な舌を持つ人間から意見をもらえるというのは、きっと料理人にとってかけがえのない糧であるのだ。
「それにしても、ずいぶん時間を食ったものだな。俺はすっかり、腹が落ち着いてしまったぞ」
ゲオル=ザザが苦笑まじりに言うと、プラティカが「では」と腰をあげた。
「次、私の料理です。温めなおしますので、少々、時間、いただきます」
プラティカの準備した料理は、かまど小屋にて保管されている。その配膳を手伝うために、ユン=スドラとトゥール=ディンも席を立つことになった。
「ジルベ。念のために、お前も同行せよ」
アイ=ファの命令に、ジルベは「わふっ」と嬉しそうな声をあげて、ユン=スドラたちを追いかけていった。
しばしのブレイクタイムとなり、広間には沈黙が落ちる。
それを破ったのは、ナナクエムであった。
「聖域の民、顛末、聞いている。和解、かなったこと、喜ばしく思っている」
アイ=ファは厳粛なる面をナナクエムのほうに向けて、目礼をした。
「気づかいの言葉、いたみいる。……あなたは、故郷で聖域の民と出くわしたことがある、という話であったな」
「うむ。厳密には、聖域、捨てた民である。その者、王国の民、転じること、かなったか、謎である」
「……私はモルガの山におもむいて、数多くの聖域の民と顔をあわせることになった。聖域に生まれ落ちながら、外界の民となることを願う人間がいようとは……いささか、信じ難いように思えてしまうな」
「大神、眠りに落ち、600年以上、過ぎている。志、見失う人間、現れても、不思議、ないやもしれん」
そう言って、ナナクエムは小さく息をついた。
「聖域、様子、ジェムド殿、聞いている。『デデイットの帰還』、さながらである。我、少なからず、羨望、抱いている」
「うむ。その折には、ずいぶんジェムドの世話になってしまった」
アイ=ファがそのように水を向けると、ジェムドはバリトンの美声で答えた。
「わたしは主人たるフェルメス様のご命令通りに振る舞ったに過ぎません。どうぞアイ=ファ様は、お気になさりませぬように」
「うむ。……しかし、あなたのように立派な男衆が、私に敬称などつける必要はなかろう」
「では、アイ=ファとお呼びしても?」
ジェムドの静かな眼差しが、アイ=ファを真っ直ぐに見返した。
アイ=ファはいくぶん虚を突かれた様子で、わずかに身を引くような仕草を見せる。
「……うむ。あなたの好きに呼ぶがよかろう」
「承知しました。ありがとうございます、アイ=ファ」
何か、おかしな空気であった。
そういえば――城下町の祝宴にて、ジェムドはアイ=ファにダンスの申し入れをしていたのだ。それは森辺の習わしによって回避することがかなったのであるが、あのときにもアイ=ファはちょっと気まずそうな顔を見せていたのだった。
(まさかジェムドも、本気でアイ=ファに恋心を抱いてるわけじゃないんだろうけど……まったく内心が読めないお人だからなあ)
おかしな空気が伝染して、俺まで居心地が悪くなってきてしまった。
この空気を打破するべく、俺はメルフリードに照準を定める。彼はまだ、この場でほとんど口を開いていなかったのだ。
「あの、トゥラン伯爵家の晩餐会も開催されることが決定されましたけれど、やっぱりメルフリードも参席されるのでしょうか?」
「うむ。トゥラン伯爵家からは、わたしの一家が招待されることとなった」
「あ、エウリフィアとオディフィアもいらっしゃるのですね。それはますます楽しみです」
するとメルフリードは、月光のごとき眼差しで俺を見据えてきた。
「今日の内に確認させていただこうと思っていたのだが、その日もトゥール=ディンは厨番として参ずるのであろうか?」
「あ、はい。菓子に関しては俺も力が足りていないので、またトゥール=ディンを頼ることになりました」
「そうか」と、メルフリードは息をついた。おそらく、安堵の息であるのだろう。銀の月はバタバタしていたために、けっきょくお茶会なども開催されなかったのだ。
「そしてその後には、俺たちの収穫祭も控えているぞ。そちらにあの幼き姫は参じないのか?」
ゲオル=ザザが陽気に笑いかけると、メルフリードはそちらに視線を向けなおした。
「リリン家の婚儀と同様に、わたしは見届け人として参ずるのだ。そこに家族を同行させるのは、公私混同であろう」
「ああ、それでお前たちは、ファの家を含む6氏族の収穫祭に参ずることになったのだったな」
「うむ。……そのような提案をしてくれたのは、ゲオル=ザザであったように記憶しているが」
「そうだな。で、今回も、俺の口添えが必要ということか?」
メルフリードは、形のいい眉をうろんげにひそめた。東の民さながらの彼がこうまで表情を動かすのは、珍しいことだ。
「口添えとは、どういった話であろうか? もとよりわたしは、そちらの収穫祭に家族を同行させる気もなかったのだが……」
「北の集落の収穫祭は、いつもトゥール=ディンに宴料理の取り仕切り役を任せている。あの幼き姫であれば、さぞかし喜ぶのではなかろうかな」
そう言って、ゲオル=ザザはアルヴァッハたちのほうに視線を転じた。
「お前たちは、森辺の民と正しく絆を深めたいがために、北の集落の収穫祭の見物を願った。……親父の前で、お前たちはそう言っていたはずだな」
「うむ。族長グラフ=ザザ、了承もらえたこと、得難い、思っている」
この5日間の間に、アルヴァッハたちは北の集落を訪れて、収穫祭を見物する権利を勝ち取っていたのだ。ゲオル=ザザは満足そうに笑いながら、大きくうなずいた。
「では、そこにジェノス侯爵家の人間が加わることに、何か問題でもあるのであろうか? 俺たちは、君主筋たるジェノス侯爵家の者とこそ、正しく絆を深めるべきであろうよ」
「しかし……わたしは見届け人として同行をするのだ。リリン家の婚儀の際には、貴殿もわたしの家族を同行させるのは不相応であると言っていたはずであろう?」
「あのときのアルヴァッハたちは、東の民であったシュミラル=リリンが森辺の民と婚儀をあげる姿を見届けたい、と言いたてていたのだ。そこにお前の家族を同行させる理由は、一片もなかろうよ。……だが、絆を深めたいという理由で参ずるのであれば、おのずと事情も違ってくるのではないのかな」
ゲオル=ザザは、ますます楽しそうに笑いながら、そう言った。
「そもそもな、オディフィアやエウリフィアと絆を結んだのは、トゥール=ディンばかりではない。この俺とて、すでに何度となく顔をあわせているのだ。北の集落において、オディフィアやエウリフィアに興味を抱いている人間は、ひとりやふたりではないのだぞ?」
「……そうなのであろうか?」
「当たり前だ。俺は城下町の祝宴に参加するたびに、それがどのようなものであったか、事細かく説明する役目を負っていたのだからな。それにトゥール=ディンは、北の集落においても絶大な信頼と情愛を向けられている。そんなトゥール=ディンから菓子を買いつけるオディフィアというのはいったいどういう人間であるのかと、誰もが興味をひかれているだろう」
メルフリードは、思案深げに目を光らせながら口をつぐんでしまった。
ゲオル=ザザは立てた片膝に頬杖をつきながら、分厚い肩をすくめる。
「まあ、どのように取りはからうかを決めるのは、お前だ。収穫祭までにはまだ半月ほどもあろうから、その間に考えておくがいい」
と、話が一段落したところで、ようやくプラティカたちが戻ってきた。
車座の視線は、自然とトゥール=ディンに集まってしまう。重ねた木皿を抱えたトゥール=ディンは、目をぱちくりとさせることになった。
「あ、あの……わたしは何か、不始末でもしてしまったでしょうか……?」
「そんなはずがあるまいよ。覚えのないことに不安を抱く必要はなかろう」
ゲオル=ザザは気さくに笑うだけで、多くを語ろうとはしなかった。
その間に、プラティカとユン=スドラがふたりがかりで運んできた鉄鍋が、屋内のかまどに設置される。
「お待たせいたしました。料理、お配りします」
プラティカは気迫の込められた面持ちで一礼し、木皿に料理を取り分けていった。それはユン=スドラとトゥール=ディンの手によって、各人に配られていく。
俺たちは、すでに調理の過程を拝見していた。
これは、マヒュドラの食材たるドルーを主体にした汁物料理である。
赤紫色をしたカブのごときドルーをみじん切りにして、燻製魚の出汁で入念に煮込む。しばらくすると、ドルーはぐずぐずに溶け崩れてしまうので、そこに具材と香草と調味料を投入して、さらに煮込むのだ。
具材は、アマエビのごときマロール、ホタテガイモドキ、ユラル・パ、ファーナ、ペレ――さらに、アリアやネェノンやマ・プラといった、西の野菜も使われていた。
調味料は、塩と砂糖と魚醤。香草は、セージのごときミャンツと、チットの実と、マスタードに似たサルファルの3種だ。
調理ポイントは、具材を投じるタイミングであった。身をほぐしたマロールやホタテガイモドキやアリアやネェノンは、形が残らないぐらい入念に熱を通し、それ以外の具材は食感を保つために、後から投じられている。
あと、俺が意外に思ったのは、サルファルの使い道であった。
サルファルはマスタードに似た風味を持っているが、熱を通すと辛みがとんでしまうのだ。そんなサルファルを、プラティカはかなり早い段階から投入していた。これだけ調味料を使った料理において、辛みの消えたサルファルがどのような役割を果たすのか、俺には大きな謎である。
ともあれ、これはプラティカが全力で取り組んだ料理であった。
いったいどのような味わいであるのか、客人たちよりもかまど番のほうが期待をかけていることだろう。ユン=スドラやトゥール=ディンの瞳の輝きにも、それは如実に表れていた。
「私、未熟者ですが、力、余さず尽くしました。お気に召せば、幸い、思います」
そんなプラティカの挨拶とともに、俺たちは木匙を取り上げた。
セージのごときミャンツの香りが、ちょっと土臭いドルーの風味をさらに際立たせている。それに、じっくりと煮込まれたマロールとホタテガイモドキによって、いかにも魚介の料理らしい香りが匂いたっていた。
(まさしく、海の幸に山の幸って感じだな)
まずは具材を除けて、赤紫色のスープだけを口に運ぶ。
さまざまな味わいが、一気に口の中に広がった。
入念に煮込んだホタテガイモドキの出汁によって、魚介の滋養が強く感じられる。それに、魚醤の恩恵もあらたかであろう。まろやかな甘さと香ばしさが前面に出されており、そこにチットの実がアクセントとしての辛さを加えていた。
(複雑ってわけじゃないけど……なんだか、不思議な味わいだな)
そこまで辛みがきいているわけではないのに、印象としてはものすごくエスニックだ。やはりこれが、異国の料理人たる所以なのであろうか。
具材をかじると、いっそうその思いが強まっていく。長ネギのごときユラル・パも、小松菜のごときファーナも、キュウリのごときペレも、パプリカのごときマ・プラも、すべて見知った食材であるのに、ずいぶんと食べ慣れない感覚がした。
「これは、素晴らしい出来栄えですね。プラティカは、魚介の料理を得意にしているのでしょうか?」
と、真っ先に声をあげたのは、意外なことにフェルメスであった。
プラティカはぴしりと背筋をのばしたまま、「はい」と応じる。
「ゲルド、ドゥラの食材、豊富です。魚介の乾物、扱う機会、恵まれています」
「なるほど。正直に言って、ジェノスでこれほど巧みに魚介の食材を扱えるのは、アスタとヴァルカスぐらいのものでしょうね」
そんな風に言ってから、フェルメスはメルフリードににこりと微笑みかけた。
「もちろんジェノス城の料理長たるダイアも、最近では素晴らしい魚介の料理を作りあげてくれているのですが……こうまで複合的な扱い方には、まだ及んでいないはずですね?」
「うむ。ダイアはフェルメス殿がジェノスに来られるまで、魚介の食材というものに関心が薄かったのだと聞き及んでいる」
「はい。ですが、あのマロールの料理などは、心から素晴らしい出来栄えであると思っています」
そんな両者のやりとりを見届けてから、アルヴァッハが俺を見据えてきた。
「アスタ、感想、うかがいたい。この料理、如何であろうか?」
「はい。とても美味だと思います。それに、不思議な味わいですね」
「不思議とは? 今少し、説明、願いたい」
「え? そうですね……海の幸である魚介の食材と、山の幸であるドルーや野菜の組み合わせが、とても新鮮に感じられたのですが……うーん、ちょっと説明が難しいですね」
「説明、難しい。つまり、均衡、崩れているのではないだろうか?」
そう言って、アルヴァッハは他の森辺の民たちを見回した。
「アスタ以外、如何であろうか? 忌憚なき意見、願いたい」
「……私は、ギバを使っていない料理の善し悪しなどわからないので、口をつつしみたく思う」
「そうだな。俺も、同様だ」と、ゲオル=ザザもアイ=ファの言葉に乗っかった。
「ただ……不味いとは思わんが、美味だとも思わん。そして城下町においては、ギバの肉を使っておらずとも、美味と思える料理がなくもなかった。俺に言えるのは、それぐらいのものだ」
「感謝する。……料理番たる女衆、どうであろうか?」
「はい。わたしもちょっと、説明に困っています。言葉を飾っているわけではなく……自分の抱いている感覚の正体がわからないのです」
そのように語ったのは、ユン=スドラであった。
トゥール=ディンは困った面持ちで考え込んでいるので、その間にスフィラ=ザザが発言する。
「わたしはこの場にいる他の女衆ほど、修練を積んでいるわけではありません。また、魚介の食材というものもまったく食べなれていないため、これを美味なる料理と判ずることはできないようです」
「なるほど。……トゥール=ディン、如何であろうか?」
「は、はい……アスタの言葉を聞いて思ったのですが……なんとなく、ドルーの味と魚介の味がぶつかってしまっているような……そんな印象を受けました」
「なるほど」と繰り返して、アルヴァッハは最後にニコラを振り返った。
「では、城下町の料理番、ニコラ、どうであろうか?」
「はい。これはとても、趣向を凝らした料理だと思います。ジェノスの城下町においては、高い評価を受けるのではないでしょうか」
「では、美味であるか?」
ニコラは、言葉を詰まらせた。
が、やがて意を決したように発言する。
「以前のわたしであれば、美味な料理と判じたように思います。ですが、今は……アスタ様やヤン様の料理に比べて、無駄な細工が多いように感じられてしまいます」
アルヴァッハは大きくうなずいて、プラティカのほうを見た。
が、口を開く前に、かたわらのフェルメスを振り返る。
「食事中、申し訳ない。多少、通訳、願えるであろうか?」
「ええ、なんなりと」
「感謝する」と目礼をしてから、アルヴァッハは東の言葉で何かを語り始めた。
俺の料理に対する論評に比べればささやかなものであるが、それでもそこそこの長広舌だ。
その言葉を聞きながら、プラティカは彫像のように不動である。いったいどのような言葉が語られているのか、俺のほうが心配になってきてしまった。
「それでは、通訳いたします。……こちらの料理は、実にさまざまな食材が使われている。その挑戦的な姿勢はプラティカの美点に他ならないが、やはりまだまだ未熟な面は否めない。とりわけ未熟であるのは、食材の組み合わせである。アスタやトゥール=ディンが指摘した通り、これは海と山の食材を調和させんと願った料理であろうが、その調和が致命的なまでに乱されている。この料理においてドルーを主体とすることに、いったいどのような意義があるのか? ドルーの有する大地の風味こそが、魚介の味わいを阻害してしまっている。その一点が、アスタたちに不可解な心地を与えているのであろうと察せられる」
プラティカは動じた風でもなく、「はい」と首肯した。
フェルメスは、さらに言葉を重ねていく。
「ただ、サルファルの扱いに関しては、ずいぶん手慣れてきたように思う。こちらの料理が致命的な破綻を抱えつつ、上っ面だけでも均衡を保っているのは、サルファルの恩恵であろう。しかし、ドルーと魚介の食材を完全に調和させるには、まだ至っていない。そこに6種もの具材を使っているために、いっそうの混乱が生じているものと思われる。ドルーと魚介を調和させるには、どういった細工が必要であるのか。そこに焦点を当てて、いっそうの修練に励んでもらいたく思う」
プラティカは再度「はい」と応じながら、アルヴァッハに向かって一礼した。
アルヴァッハは鷹揚にうなずき返してから、俺のほうを振り返ってくる。
「プラティカ、斯様に、未熟である。アスタのもと、研鑽、願いたい」
「は、はい……ですが、俺とプラティカでは、ずいぶん調理の作法が違っているようです。もしかしたら、城下町の料理人の方々のほうが、より参考になるのではないでしょうか?」
「否。プラティカ、手本となる、アスタ、ヴァルカス、のみと思っている。……無論、決めるのは、プラティカであるが」
プラティカは正座をしたまま俺に向きなおると、深々と頭を下げてきた。
「私、森辺にて、学ぶこと、望みます。城下町の料理人、手腕、見事であり、きわめて刺激的、思いますが……どこか、私、似ている、思うのです」
「あ、頭を上げてください、プラティカ。……でも、似ているほうが参考になるのではないですか?」
「いえ。悪い部分、似ているのです。それ……****です」
プラティカの言葉に、東の言葉が入り混じった。
フェルメスがゆったりとした声音で、「それは、虚飾と訳すべきでしょうかね」と解説する。
「はい。本質、ともなわない、装飾です。城下町の料理人、私、同じ迷路、踏み込んでいる、思います。新たな味、目指すため、足もと、おろそかになっている、思います。……唯一、ダレイム伯爵家の料理長、異なっている、思いました」
「なるほど。その御方はアスタと親交が深いため、迷路から脱することがかなったのかもしれませんね」
フェルメスは楽しそうに、くすくすと笑い声をあげた。
「プラティカの仰ることは、わからなくもありません。プラティカの料理は、ジェノスの城下町の料理人たちが作りあげる料理と、似ている部分があるように思います。あまたある食材を、無理に使いこなそうとしているような……すべてを足し算で取り組んでいるような気配が感じられるのですよね」
そういえば、王都から出向いてきたフェルメスや、かつての監査官たるドレッグなどは、ジェノスの城下町の料理が奇抜である、と評していたのだった。
「似たような思想を持っていれば、理解や共感を深めることも容易でしょう。でも、アルヴァッハ殿やプラティカは、それを求めているわけではないようですね」
「はい。私、その先、進みたいのです。自分、間違っている、思いません。ただ、未熟であるため、理想、届かないのです」
そうしてプラティカは、また俺に向かって頭を垂れてしまった。
「アスタ、調理の作法、まったく異なっています。ですが、調和、見事です。私、その技、体得したいのです。ですから――」
「だから、頭を上げてくださいってば。調理の見学については、もう話がついているでしょう? 族長や家長たちの反対がない限り、俺は協力を惜しみませんよ」
そう言って、俺はプラティカに笑いかけてみせた。
「それに、この料理がまだ完成していないというのなら、俺も完成したものを食べてみたいです。ジェノスを出立する日がやってくるまで、どうか頑張ってくださいね」
「はい」と言いながら、プラティカは顔をそむけて、目もとを手の甲でぬぐった。その姿に、ナナクエムが小さく溜め息をつく。
「ゲル、藩主の屋敷、毎夜、このような騒ぎである、聞いている。プラティカ、心、折れないこと、不思議である」
「あなたは毎夜、そのようにプラティカを責めたてているのか?」
アイ=ファが鋭く問い質すと、アルヴァッハは重々しく「うむ」とうなずいた。
「ただし、責めている、不正確である。我、プラティカ、躍進、心より願っている。そのため、論評、重ねている」
「はい。アルヴァッハ様、ご満足いただける料理、作りあげること、私、悲願です」
まだ目もとを潤ませたまま、プラティカもそのように言いたてた。
アイ=ファは、ナナクエムと一緒に溜め息をついている。確かにアルヴァッハとプラティカというのは、ずいぶん不可思議な主従関係を構築している様子であった。
「それじゃあプラティカの料理も食べ終えましたので、最後は菓子で締めくくりましょう。こちらはもちろん、トゥール=ディンの取り仕切りで作りあげた菓子となります」
「い、いえ。手ほどきをしてくれたのは、あくまでアスタですので……」
そうしてトゥール=ディンが広間の片隅から運んできたのは、ヨモギ餅ならぬ『ブケラ餅』であった。言うまでもなく、ヨモギに似たブケラをシャスカの生地に練り込んだ、新作の菓子である。中にはブレの実のつぶあんを詰めて、上からは砂糖をまぜたタウ豆のきなこを掛けていた。
「苦み、強い、ブケラの葉、菓子、使用したのであるか」
アルヴァッハは、鋭い眼差しで『ブケラ餅』をかじった。
それを咀嚼する内に、その眼差しはますます鋭くなっていく。
「ブケラ、風味、豊かである。しかし、苦み、抑えられている。こちら、如何なる細工であろうか?」
「は、はい。ブケラはそのまま使うと苦みが強いので、いったん煮立ててから水気を絞ったものを使っています」
かつては俺の母親も、庭で摘んだヨモギを茹でてからヨモギ餅に使っていたので、それにならっただけのことである。こと和風の菓子に関して、俺にとっては母親がすべての手本であったのだった。
「……美味である。ブケラ、風味、ほのかな苦み――シャスカの生地、ブレの実、タウ豆の粉、完全、調和している」
「はい。こちら、食材、ブケラ、シャスカ、ブレの実、砂糖、塩のみです。虚飾、皆無です。それでいて、簡素、ありません。トゥール=ディン、菓子作りの手腕、見事です」
プラティカも、熱っぽく言いながら身を乗り出した。
そしてその後は、東の言葉による意見の応酬である。自分の作りあげた菓子について、いったいどのような言葉が交わされているのかと、トゥール=ディンはたいそう不安げな面持ちになってしまっていた。
「……お前はアスタの料理よりも、トゥール=ディンの菓子により強い感銘を受けているのか?」
途中でアイ=ファがいぶかしげに口をはさむと、プラティカは東の言葉で何かを答えた。それから気を取りなおしたように、西の言葉で言い直す。
「いえ。自分の料理、供するまで、緊張、強かったため、言葉、出ませんでした。また、西の言葉、アスタの料理、論ずる、難しいのです」
「では、あとでまとめて、僕が訳しましょうか?」
そんな風に言ってから、フェルメスはくすりと笑った。
「ただし、おふたりのやりとりをそのままお伝えするのは手間ですし、真意を伝えることも難しくなりましょう。アスタの料理についてもトゥール=ディンの菓子についても、おふたりの意見をすりあわせたのちに、あらためておうかがいいたしましょうか」
「うむ。フェルメス殿、厚意、感謝する」
そうしてアルヴァッハとプラティカは、再び論議を開始した。
どちらも無表情であるが、まるで剣でも交わしているかのように眼光が鋭くなっている。なおかつ、東の言葉など解さない俺にしてみても、両者が早口になっていることは容易に察することができた。
そんな両名の姿をしばらく黙って観察していたアイ=ファが、ふっとナナクエムのほうを振り返る。
「……こういったやりとりも、ゲルの屋敷では毎夜のように交わされているのであろうか?」
「うむ。我、たびたび、目撃している」
「そうか」と、アイ=ファは口もとを引き締めた。東の民でもあるまいに、おそらく微笑がこぼれるのをこらえているのだ。
しかしその心情は、俺にも理解することができた。アルヴァッハは一方的に自分の好みをプラティカに押しつけているわけではなく、こうして意見を戦わせることによって、プラティカのさらなる飛躍を願っているのだった。
(アルヴァッハは、まだ21歳かそこらのはずだけど……なんだか、親子みたいに見えてきちゃうな)
そんな感慨を俺に与えているとも知らずに、両者は飽くことなく言葉をぶつけあっている。
そうしてアルヴァッハたちを招いた2度目の夜は、最後に思いも寄らぬ熱気をかもしだしながら、粛々と過ぎ去っていったのだった。