ファの家の晩餐②~客人たち~
2020.6/30 更新分 1/1
有意義な時間というのは、あっという間に過ぎ去ってしまうものである。
その日も90分ばかりの勉強会は、すぐに終わりを迎えることになってしまった。
「なかなか愉快な見ものであったぞ。では、また2日後か3日後にな」
そんな言葉を残して、ラヴィッツの長兄は駆け足で立ち去っていった。
俺たちは後片付けを完了させてから、荷車でその後を追う。すでに晩餐まで2時間足らずの刻限であるので、こちらものんびりとはしていられなかった。
やがてファの家に到着すると、家の裏手から賑やかな気配が伝わってくる。どうやら客人の第一陣はすでに到着しているようであった。
「ファの家にようこそ、ゲオル=ザザにスフィラ=ザザ。本日は、どうもお疲れ様です」
「おお、ようやく戻ったか! ずいぶん時間がかかったではないか!」
以前にアルヴァッハたちを晩餐に招いたときと同様に、本日もゲオル=ザザとスフィラ=ザザの姉弟が参席することになったのだ。
ゲオル=ザザは、解体部屋の入り口をふさぐような格好で立ちはだかっている。それを押しのけるようにして、アイ=ファがぬうっと顔を突き出した。
「戻ったか。プラティカたちも、そろっているな」
「はい。アイ=ファ、壮健、何よりです。本日、よろしくお願いします」
プラティカとともに、ニコラも一礼する。その姿に、ゲオル=ザザは「ふむ」と下顎を撫でた。
「お前が、城下町の料理番か。お前の話は、ディック=ドムから聞いているぞ」
「……申し訳ありません。わたしはまだ、ごく限られた方々しか、お顔と名前が一致していないのです」
「ディック=ドムは、俺の血族だ。以前にお前が招かれたルウ家の祝宴にも加わっていたはずだぞ。……まあいい。こうして実際に顔をあわせたのだから、俺自身が絆を深めればいいだけのことだ」
ギバの毛皮を頭からかぶっているゲオル=ザザの迫力ある姿に、ニコラはずいぶんと辟易している様子であった。
しかしまあ、晩餐の際にはゲオル=ザザも素顔をさらしてくれるので、きっと問題はないだろう。いまや森辺の男衆の中で、ゲオル=ザザはなかなかの社交性を開花させた人物なのである。
「おお、トゥール=ディンもご苦労であったな。今日の夜は、またディンの家の世話になるぞ」
ゲオル=ザザが笑顔を向けると、トゥール=ディンもはにかむように笑顔を返した。ゲオル=ザザは、また朝方の内からディンの家におもむいて、そちらでギバ狩りの仕事を果たしてから、この場に参上したはずであった。
そうして挨拶を済ませたところで、俺たちはかまどの間へと移動する。こちらで助力をお願いしたのも、先日と同じくトゥール=ディンとユン=スドラの両名だ。これに俺とスフィラ=ザザを加えた4名で、本日の晩餐をこしらえる算段を立てていた。
「それでは、開始しましょう。スフィラ=ザザには見慣れない食材も多いかと思いますが、きちんと説明しながら作業を進めるのでご安心ください」
「はい。ゲルドからもたらされたという新たな食材を、さっそく晩餐で用いるのですね?」
「はい。ほんの肩慣らしですが、この5日間の成果を少しばかりお目にかけようと思っています」
ということで、作業開始である。
そこでプラティカが、「あの」と発言した。
「私、着替えたいのですが、部屋、お借りできますか?」
「あ、そうでしたね。隣のアイ=ファにひと声かけてもらえますか? そうしたら、母屋に入る許しをもらえるはずです」
「承知しました」と、プラティカはかまどの間から退室した。本日は、彼女もひと品だけ料理を作ってくれるのである。そのために、わざわざ調理着を持参してきたのだった。
しばらく作業に打ち込んでいると、やがてプラティカが舞い戻ってくる。城下町でも拝見した、藍色一色の調理着だ。同じ色合いのターバンを頭にきゅっと巻きつけているのが、以前と同様に凛々しかった。
「昨日お預かりした食材は、食料庫にまとめられています。調理器具は、鉄鍋ひとつでいいのですよね?」
「はい。その他、持参しましたので」
プラティカは、革製の鞄から何種類かの調理刀を取り出して、それを作業台の上に置いた。それらはすべて、亡父の形見なのだと聞いている。
自分たちの作業に励みながら、俺はプラティカの手際も気になってしかたがなかった。城下町では調理済みの料理が温められていたぐらいであったので、プラティカの手際を拝見するのはこれが初めてのことであるのだ。
水瓶の水で手を清めたプラティカは、木箱に収められていた食材を作業台に並べていく。そこにはゲルドから持ち込まれた食材ばかりでなく、ジェノスで購入した食材もふんだんに取りそろえられているようだった。
「プラティカは、3年間も西の王国を巡っていたのですものね。ジェノスに存在する食材も、多くは見慣れたものであるのでしょうか?」
ユン=スドラがそのように問いかけると、プラティカは迷うような口調で「はい」と応じた。
「多くの野菜、見慣れています。また、ジギの香草、見知っています。ただし、ジャガル特有の食材、ほとんど初見です」
「ああ、ミソやタウ油ばかりでなく、野菜のいくつかもジャガルから買いつけられたものであるのですよね。お恥ずかしいことですが、わたしはどの食材がどの地から買いつけられたものであるのかも、完全には把握できていないのです」
「ジャガル、セルヴァ、気候、および土の質、近いため、共通する食材、少なくありません。アリア、チャッチ、ネェノン、マ・ギーゴ、マ・プラなど、それに当たります。正確、区分できずとも、恥にならない、思います」
そんな風に語らいながら、どちらも手先は器用に動かされている。特にプラティカはひときわ姿勢がいいために、まるで機械人形のようだった。
「また、ジェノス、食材、もっとも豊富である、思います。海産物、少ないですが、それ以外、充実しています。私、巡った領地の中、一番である、思います」
「ジェノスはシムともジャガルとも接しているため、交易で栄えたのだそうですね。それでこのたびはゲルドとも交易できるようになって、いっそう食材も充実するのでしょう」
俺がそのように口をはさむと、プラティカは「はい」とうなずいた。
「そのような環境、アスタ、ヴァルカス、育んだのでしょう。得難きこと、思います」
「あはは。俺はまだ、居住2年足らずの新参者ですけれどね。でも、食材の豊かなジェノスで暮らすことができて、心からありがたく思っています」
「はい。なおかつ、ギバ肉、素晴らしいと思います。ムフル、ギャマ、同じぐらい力強く、しかも、臭み、少ないです。腸詰肉、買えること、ありがたい、思います」
ゲルドの使節団が持ち帰る食材の中には、ギバの腸詰肉も含まれているのだ。遥かなるゲルドの地でギバ肉が食されるというのは、俺たちにとっても誇らしい話であった。
「……ところで、ニコラ、料理、作らない、何故ですか?」
と、プラティカがふいにそのようなことを言いだした。
壁際でひっそりとたたずんでいたニコラは、愛想の欠落した面持ちでプラティカを振り返る。
「本日は、貴き方々が何名もいらっしゃいます。わたしのような未熟者の出る幕はありませんでしょう」
「私、未熟者、同様です。いくぶん、不公平、思います」
視線は手もとに据えたまま、プラティカはそのように言いつのった。
その端正な横顔をじっとりと見やりながら、ニコラはぶっきらぼうに言葉を返す。
「わたしとあなたでは、あまりに格が違います。わたしは厨に入るようになってから、2年足らずの身であるのですよ? 3年間も異国で修行を積んだというあなたとは、比較にもなりません」
「ですが、あなたの手際、昨日、拝見しました。菓子作り、見事であった、思います」
「……この場には、わたしの師たるヤンよりも菓子作りに長けた御方がおられます。わたしの粗末な菓子などをお出ししても、不興を買うばかりでしょう」
無言で調理に集中していたトゥール=ディンが、不安そうにニコラを振り返る。それに気づいたニコラは、ばつが悪そうに眉を下げた。
「今のは、皮肉でも嫌味でもありません。こちらの御方が妙なことを仰るので、抗弁せざるを得なかったのです。お気を悪くされたのなら、謝罪いたします」
「い、いえ、謝っていただく必要なんて、まったくないのですけれど……」
それでもトゥール=ディンが不安げな面持ちのままであったので、ニコラはきつい眼差しをプラティカに送りつけた。
「あなたが妙なことを仰るために、場の空気が乱されてしまいました。わたしはただでさえ不興を買いやすい人間であるのですから、どうかご容赦いただけませんか?」
「ご容赦、よくわかりません。私、謝罪、必要ですか?」
プラティカもまた調理の手を止めて、鋭い眼光をニコラに突きつけた。
俺は「まあまあ」と仲裁役を買って出ることにする。
「立場の異なる人間が集まっているのですから、意見が食い違うこともあるでしょう。そうだからこそ、感情的にはならないで、冷静に語り合うべきではないでしょうかね」
悪戯をとがめられた幼子のように、ふたりは黙り込んでしまう。やはり、どこか似たところのある両名であった。
「おふたりは、これからも一緒に森辺を訪れる予定であるのでしょう? 明日から気詰まりにならないように、正しい絆を結んでいただきたく思います」
「…………」
「…………」
「あと、今後の調理の見学について、俺から提案があるのですけれど、それをこの場で聞いてもらってもいいですか?」
プラティカとニコラは、同時に俺を振り返ってきた。無表情と仏頂面であるが、どちらもちょっと心配そうな眼差しだ。今の一幕で俺が気分を害してしまったのではないかと、不安になってしまったのだろうか。
「朝方の下ごしらえなんかは、これまで通りでかまわないと思いますが。勉強会や晩餐の支度に関しては、おふたりもただ見学するだけではなく、ひとりの料理人として参加してもらえませんか?」
「……申し訳ありません。いまひとつ、言葉の意味がわからないのですが……」
「最近の俺たちは、新たな食材にかかりきりです。だから、おふたりにも意見を出してもらったり、調理を手伝ってもらったりしてほしいのですよ。そのほうが、そちらもよほど修練になるのではないでしょうか?」
プラティカは持参した調理刀をまな板の上に置くと、身体ごと俺に向きなおってきた。
「森辺の方々、ともに調理すること、許してもらえるのですか?」
「はい。そうしたら、こちらもおふたりの手際を学ぶことができますしね」
「でも……」と、ニコラが彼女らしくもなく頼りなげに言った。
「そちらの御方はともかく、わたしなどは文字通りの未熟者です。なんのお力にもなれるはずがありません」
「そんなことはありませんよ。少なくとも、菓子作りに関しては俺以上の手際であるはずです。以前にダレイム伯爵家の晩餐会で供された菓子なんて、実に見事な仕上がりでしたからね」
そう言って、俺はニコラに笑いかけてみせた。
「今日はトゥール=ディンがいますけれど、普段の晩餐では俺ひとりです。ニコラが立派な菓子を作ってくれたら、うちの家長も菓子の美味しさに目覚めるかもしれません」
「ふむ。菓子に関して、私は眠っているというわけか」
いきなり背後からアイ=ファの冷徹なる声が響きわたったので、俺は「うひゃあ」とすくみあがることになった。
振り返ると、格子の入った窓の向こうから、アイ=ファの青い瞳が覗いている。
「び、びっくりしたなあ。どうしてそんな場所から、覗き見をしてるんだよ?」
「私はこの場で、ゲオル=ザザと語らっていただけだ。私に聞かれては都合の悪い話であったのか?」
「いやいや。俺は煎餅ぐらいでしか、アイ=ファに満足してもらえないからさ。これを機に、菓子作りが上達したら嬉しいなと思っただけだよ」
アイ=ファはしばらく俺の姿を注視してから、「ふん」と鼻を鳴らした。
「どうでもかまわんが、ずいぶん日が傾いてきているぞ。口ばかりでなく、手を動かすべきであろうな」
「了解だよ。晩餐の開始が遅れたら、アルヴァッハたちもガッカリだろうしな」
というわけで、俺たちは作業を再開することにした。
それからも、手に負けないぐらい口を動かすことになったが――とりあえず、プラティカとニコラの意見がぶつかることはなくなっていた。
◇
そんなこんなで、夜である。
太陽が西の果てに差し掛かった頃には貴き客人たちも到着し、日没と同時ぐらいに晩餐が開始されることとなった。
新たに到着した客人は、アルヴァッハとナナクエム、フェルメスとジェムド、そしてメルフリードの5名だ。これもまた、以前の晩餐とまったく同じ顔ぶれであった。
あの頃と異なるのは、プラティカとニコラが増えて、ティアが減ったことである。俺とアイ=ファ、ユン=スドラとトゥール=ディン、ゲオル=ザザとスフィラ=ザザで、総勢は13名だ。客人の数が2ケタに及んだのは、おそらくファの家で初めてのことであった。
「……今日もまた、さまざまな立場の客人を迎えることになった。色々と至らぬ点もあろうが、そこは容赦を願いたい」
普段以上に厳粛な面持ちをしたアイ=ファが、まずはそのように挨拶をした。ジェノスの領主の第一子息と、それよりも格上である貴人を客人として招くというのは、元来なかなかありえない話であるのだ。
言うまでもなく、ファの家の周辺は大勢の武官たちに包囲されている。貴族を狙う無法者を警戒しての措置である。自ら望んでやってきたとはいえ、ゲルドの貴人や王都の外交官にもしものことがあったなら、ジェノスはたいそうまずい立場に追い込まれてしまうのだ。そういう意味では、ジェノスの貴族を客人として招く際よりも、いっそう警護は厳重にされているはずであった。
しかし、この顔ぶれを迎えるのも2回目ということもあって、俺は以前ほど気を張らずに済んでいた。メルフリードともずいぶん気軽に言葉を交わせるようになってきていたし、アルヴァッハたちともそれは同様だ。そして何より、フェルメスとわずかつつ歩み寄ることができているのも、大きな要因であろう。昨年までの状態であれば、俺もアイ=ファもフェルメスが同席しているだけで相応の警戒心をかきたてられていたはずであった。
「それでは、晩餐を開始する。……森の恵みに感謝して、火の番をつとめたアスタ、ユン=スドラ、トゥール=ディン、スフィラ=ザザ、プラティカに礼をほどこし、今宵の生命を得る」
俺たちは食前の文言を復唱し、客人たちはそれぞれの作法に従って挨拶を済ませる。
しかるのちに、俺はユン=スドラに手を借りて汁物料理の配膳に取りかかった。汁物料理にして、本日の主菜とも言うべき料理である。
「本日は、『煮込みうどん』という料理を準備いたしました。シムのシャスカ料理とは似て異なる料理ですが、お気に召せば幸いです」
俺はアルヴァッハとナナクエムの両名に、そう説明してみせた。メルフリードやフェルメスたちはあくまで見届け人であり、主賓はゲルドの貴人たちであるのだ。
で、『煮込みうどん』についてであるが、これを本日のメイン料理に抜擢したのは、ふたつの理由からであった。すなわち、新たな食材のお披露目と、そしてギバ肉を食せないフェルメスを慮ってのことである。
『煮込みうどん』に使った具材は、4種。長ネギのごときユラル・パと、小松菜のごときファーナ、ジャガル産のシイタケモドキ、そしてキミュスの半熟卵だ。
そしてそれとは別に、『ギバのバラ肉とミャンのロール巻き』の天ぷらを準備している。フェルメス以外の人々には、そちらでギバ肉を堪能していただこうという試みだ。
それ以外には、アリアとネェノンのかき揚げに、アマエビのごときマロール、そしてミャンのみの天ぷらも取りそろえている。大葉のごときミャンは、単体でも天ぷらの具材に相応しい味わいを備え持っていた。
なお、めんつゆにもわずかながらに魚醤を使用している。『煮込みうどん』のめんつゆはタウ油をひかえめに配合してやや薄味に仕上げているため、魚醤の加減もなかなかに難しかったが、それでも確かなまろやかさが生まれていた。
「揚げ物は、『煮込みうどん』の煮汁にひたしてお食べください。あと、こちらの薬味はお好みでどうぞ」
俺が小皿を差し出すと、アルヴァッハは「七味チットであるな」とつぶやいた。
「はい。ただしこちらも、改良を加えています。2種の香草を、ミャンとココリに入れ替えたのですよね」
大葉のごときミャンと山椒のごときココリを手中にして、俺はいっそう七味チットを理想に近づけられたように感じていた。
「あとはこちらに、肉料理と副菜を準備いたしました。フェルメスには申し訳ありませんが、揚げ物だけではギバ肉の量が物足りなかったもので」
「とんでもありません。これだけの料理を準備していただけて、心よりありがたく思っています」
フェルメスは、屈託のない顔でにこりと微笑む。本日も体格のいい男性陣に囲まれて、可憐な少女のごとき様相であった。
「それで、そちらの肉料理と副菜にも、ゲルドから届けられた食材を使っているようですね」
「はい。肉料理はギバ肉とドルーをタウ油などで煮込んだもの、副菜はペレと茹でたヌニョンパをさまざまな調味料で揉み込んだものとなりますね。その調味料には、ドゥラの魚醤も含まれます」
ドルーは赤紫色をした、カブに似た根菜である。それをギバのロースとともに、タウ油や砂糖やニャッタの蒸留酒で煮込み、生のユラル・パを薄い輪切りにしたものを薬味として上から掛けている。
キュウリに似たペレとタコやイカに似たヌニョンパは、塩、めんつゆ、ケルの根のすりおろし、ホボイ油、そして魚醤で揉んだのち、金ゴマに似たホボイの実を上から掛けていた。
「この後には、プラティカの料理とトゥール=ディンの菓子が控えています。そのおつもりでお召し上がりください」
「うむ。出来栄え、楽しみである」
アルヴァッハは、『煮込みうどん』を豪快にすすり込んだ。東の民はシャスカを汁物料理として扱うこともあるので、麺をすするのも手慣れたものであるのだ。
そうしてひと口すすった後は、備え付けの木匙で七味チットを追加する。ひとつみまみ分ぐらいを入れては煮汁をすすり、それを3回ほど繰り返してから、あらためて麺をすすり込む。取り分けた天ぷらも順々にかじっていき、ほれぼれとするような健啖家っぷりであった。
他の人々も、まずは無言で食事を進めている。寡黙な客人の多い中、最初に口を開いたのは、やはりゲオル=ザザであった。
「俺としては、ぎばこつらーめんが恋しくてやまない心地であるのだが……そもそもこれは、ぎばこつらーめんと比べるような料理ではないのだろうな」
「はい。煮汁も麺の生地も、まったく別物ですからね。別物の料理として楽しんでもらえたら幸いです」
「うむ。これはこれで、美味でないとは思わん。それに……ギバ肉をまったく使っていないというのに、さまざまな滋養を感じる気がするな」
そんな風に言いながら、ゲオル=ザザは煮汁にひたした『ギバのバラ肉とミャンのロール巻き』を口に放り込んだ。
「そしてこうしてギバ肉も食せば、いっそうの味わいだ。しかし……最初から煮汁の中にギバ肉が入っていれば、いっそう美味であるのではないかと思えてしまうな」
「ギバ肉で出汁を取る料理に関しては、すでにトゥール=ディンが体得しています。いずれ北の集落でもお披露目されるのではないでしょうかね」
それは去りし日に勉強会で取り上げられた、『ソーキそば』のことであった。あちらはギバのあばら肉で出汁を取るので、森辺の民にとっては文句のない味わいであろう。
「こちらの料理はギバ肉で出汁を取らなくても最善の味を目指せるだろうという思いで、作りあげました。ただ、森辺の晩餐ではギバ肉が欠かせないので、天ぷらとして準備した次第です」
「ふふん。ギバ肉を食せない外交官のために、あれこれ頭を悩ませることになったというわけだな」
ゲオル=ザザはにやりと笑いながら、フェルメスのほうを振り返った。フェルメスは、どこか恥じらうような面持ちで微笑んでいる。
「本当にアスタには手間ばかりかけさせてしまい、恐縮の限りです。毎回、僕のことは考えなくてもけっこうと伝えているのですが……アスタとしては、なかなかそういうわけにもいかないのでしょうね」
「それはまあ、フェルメスにだけ食事をお出ししないというわけにはいきませんからね。ただ……トゥラン伯爵家の晩餐会については、ちょっとご相談をさせていただきたく思っていました」
ちょうどいい機会かと思い、俺はそのように告げさせていただいた。
「そちらでは祝宴のように、各人が好きな料理を取り分けて食べる、という形式にさせていただけませんか? 獣肉を使わずに6種の料理を作りあげるとなると、どうにも献立の幅が狭まってしまうもので……」
「承知いたしました。トゥラン伯爵家の方々には、そのように伝えておきましょう。……ゲルドの方々も、それでかまわないでしょうか?」
「うむ」と応じたのは、ナナクエムであった。アルヴァッハは、こちらの会話など耳に入っていない様子で、一心に料理を食べ続けていたのである。
「無論、すべて、おまかせする。晩餐会、楽しみである」
俺が提案したトゥラン伯爵家の晩餐会は、無事に敢行されることがすでに決定されていたのだ。俺としては、リフレイアやシフォン=チェルと言葉を交わしたいという思いが先行しての提案であったが、もちろん料理の内容を二の次にするつもりはなかった。
「それにしても、料理、美味である。また、目新しい食材、扱う手際、見事である。わずか数日、こうまで使いこなせる、驚異的である」
アルヴァッハが口を開く前に――とばかりに、ナナクエムがそんな風に言ってくれた。俺は心からの笑顔とともに、「ありがとうございます」と返してみせる。
「ゲルドから届けられた食材はいずれも使い勝手がいいので、宿場町でも評判になると思います。少なくとも、野菜や果実や調味料が売れ残ることはないでしょう」
「売れ残り、恐れある、いずれの食材であろうか?」
「あくまで森辺や宿場町に限っての話ですが、ギャマの腸詰肉とペルスラの油漬けは難しいかもしれません。もともと宿場町では、ギバの腸詰肉すら高額ということで買い手がつきませんし、ペルスラの油漬けに関しては……やはり魚介の食材に馴染みがないため、難しいように思います。王都から届けられる魚介の食材に関しても、宿場町ではまだほとんど流通していないのです」
「なるほど。乾酪、同様であろうか?」
「いえ。乾酪に関しては、値段次第だと思います。あちらは香草とともに食すると、独自の味わいが得られますからね。ジギ産の乾酪と同程度で買いつけられるのなら、需要はあると思います」
俺とナナクエムのやりとりを、ユン=スドラたちは興味深そうに聞いていた。貴き客人たちを眼前に迎えて、普段以上につつましくなってしまっているものの、やはり以前ほどは緊張せずに済んでいるようだ。
ちなみにニコラは、何の気後れもない様子で食事を進めている。前身が貴族であるために、今さら怯む理由はないのだろう。そしてそれ以上に、彼女は森辺のかまど番がこしらえた晩餐の検分に真剣であったのだった。
「……料理、いずれも、美味であった」
と――ついにアルヴァッハが口を開いたのは、自分の料理をすべてたいらげたのちのことであった。
炯々と光る青い双眸が、真っ直ぐに俺を見つめてくる。どれだけ心安い仲になっても、こういう際には背筋がのびてしまう俺であった。
「ありがとうございます。次は、プラティカの料理となりますが――」
「否。記憶、心、鮮明な内、感想、届けたく思う」
そうしてアルヴァッハは、呪文の詠唱のように聞こえる東の言葉を、フェルメスに伝え始めた。
この姿を初めて目の当たりにするのは、ただひとりニコラのみである。しばらくは知らん顔で料理をついばんでいたニコラも、やがてうろんげにアルヴァッハの姿を盗み見ることになった。それほどに、長い長いお言葉であったのだ。
「……以上ですね? では、西の言葉でお伝えいたします」
フェルメスは可憐に微笑みながら、俺に向きなおってきた。
「まずは、こちらの副菜からとなります。……こちらの副菜は、ペレとヌニョンパのみを使った、非常に簡素な料理である。また、ペレは火を通さずに使われているので、いっそう簡素であるといえよう。水で戻したペレと、水で戻した上で茹であげられたヌニョンパを、いくつかの調味料で味付けしたに過ぎない。言わば、口を休めるために存在する、まぎれもない副菜である。……その副菜が、これほどまでの完成度を誇っていることに、我は驚嘆を禁じ得ない」
「ふふん。その長広舌を耳にするのも、実にひさびさのことだな」
ゲオル=ザザが愉快げに揶揄すると、フェルメスはそちらに微笑みを返してから、さらに言いつのった。
「我もジェノス城にて長きを過ごし、数々の料理を口にしてきたため、こちらの料理に使われた食材はすべて言い当てることができるように思う。すなわち、塩、タウ油、西の王都の燻製魚および海草、ニャッタの蒸留酒、ホボイの油、ケルの根、そして魚醤である。ただし、タウ油、燻製魚、海草、ニャッタの蒸留酒に関しては、こちらの料理から知覚したものではない。それは、アスタが『煮込みうどん』という料理に使用した煮汁からの知覚である。アスタはそちらの料理のために準備した煮汁を副菜の味付けに転用したものと思われるが、この推測は当たっているだろうか?」
まさか、感想の中に質問までさしはさまれているとは考えていなかったので、俺はいくぶん慌て気味に「はい」と応じることになった。ご指摘の通り、そちらの副菜ではめんつゆを使用していたのだ。
アルヴァッハは重々しくうなずいて、フェルメスに通訳の続きをうながす。
「『煮込みうどん』なる料理も、きわめて高い完成度を有していた。その素晴らしい味わいを有する煮汁に、数々の食材を織り交ぜることで、こちらの副菜はこれほどまでの調和を得ることになったのであろう。また、ジャガルの食材であるホボイの油とケルの根が、ドゥラの食材である魚醤とこうまで見事な調和を見せていることが、ひとつの大きな驚きである。ホボイの油が持つ香ばしさとまろやかな風味に、ケルの根の刺激的な味わいが、魚醤の有する魚の旨みと得も言われぬ結合を果たしている。そしてさらに、タウ油を基調とした深みのある煮汁が、それらを見事にまとめあげているのである。タウ油と魚醤に似た部分が多いことは承知していたが、それがアスタの手腕によってまたとなき調和を為している。簡素きわまりない副菜の中に、これだけ鮮烈な味の結晶を見出して、我は心臓をわしづかみにされたような心地である」
そこでフェルメスは息をついたが、まだまだ続きがありそうであったので、とりあえず俺はアルヴァッハに目礼をしておいた。
「そして、具材に関してである。ペレは若干の青臭い風味を有しているのみで、味らしい味は備わっていない。ただし、水気が多く、独特の食感を有しているため、脇を支えるのに優れた食材と見なされている。では、この副菜においてもヌニョンパを支える存在であるのか、と考えると――それは、違うように思える。むしろ、ヌニョンパの存在がペレを引き立てているような――ヌニョンパの肉までもが、ペレを彩る味付けのひとつに過ぎないのではないのかと、我はそのような想念にとらわれた。ともあれ、ペレとヌニョンパの双方が存在して、初めてこの料理は成立するのである。それは、シャスカやフワノが単体では料理たりえないのと、同じようなものなのであろうか? ペレが味気ないからこそ、成立する料理。味気ないペレにどれだけ豪奢な宴衣装を纏わせることがかなうか、それを試み、成功した料理であるように思える。そしてその絢爛なる姿に、我は心を揺さぶられてやまないのであろう。ペレをジェノスに運び入れたことは絶対的に正しかったのだという思いを、我は大いなる喜びとともに噛みしめた次第である」
そうしてフェルメスは亜麻色の髪をかきあげながら、「ふう」と息をついた。
「ひとまずは、以上です。アルヴァッハ殿のお言葉は抽象的な表現も多く、通訳のし甲斐がありますね」
「フェルメスもアルヴァッハも、ありがとうございました。そこまでご満足いただけて、心より光栄に思います」
すると、ナナクエムが溜め息でもつきたそうな様子で「アルヴァッハ」と声をあげた。
「貴殿、これだけの時間、使い、副菜しか、語っていない。これ以上、時間、費やすつもりであるか?」
「無論である。『煮込みうどん』、揚げ物料理、および肉料理、まだ語っていない」
「それが、どれだけの時間、費やすか、我、不安の極致である」
そんな両者のやりとりに声を忍ばせて笑ってから、フェルメスが俺に向きなおってきた。
「アスタ。申し訳ないのですが、お茶をもう一杯いただけるでしょうか? 僕も咽喉を湿しておく必要があるようです」
「あ、はい。少々お待ちくださいね」
俺も笑いを噛み殺しながら、そのように応じてみせた。
居合わせた人々の大半は呆れてしまっているようだが、これこそがアルヴァッハというものであろう。アルヴァッハは黒い岩でできた彫像のようにどっしりと座しながら、感想の続きを述べたくてうずうずしているように見えてやまなかった。