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異世界料理道  作者: EDA
第四章 迷い惑える三日間
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⑤帰宅

2014.9/27 更新分 1/2

 そうして俺は、ようやくファの家に辿りついた。

 24時間以上ぶりの帰宅である。


「家の場所を覚えたいから」というヴィナ=ルウの言葉に従って、ルド=ルウも家の前までつきあってくれた。


「ふん。昼間っから酔っぱらってるようなボンクラはいねーみたいだな」などと言っていたので、やっぱり彼らもスン家の動静を気にかけてくれているのだろう。


 なおかつ、恐怖の吊り橋では、搬送のシミュレーションを実施することもできた。

 鉄鍋を抱えてあの吊り橋を渡ることが可能であるか否か。ルウ家が購入した野菜の袋を鍋に見立てて、実験してみたのである。


 結論:何とか大丈夫そうだった。


 その解答が得られるまでの俺の勇姿で、ヴィナ=ルウが俺に愛想でもつかしてくれれば、もっけの幸いである。


 恥の多き人生なり。


「それじゃーな! また俺にもアスタの料理を食わせてくれよ?」


「……仕事が始まる日を、楽しみにしているわぁ……」


 それぞれ大荷物を抱えながら、ルウ家の末弟と長姉が軽妙な足取りで帰っていく。

 100個のアリアと5本の果実酒を携えながら、ヴィナ=ルウの足取りにも乱れはない。


 やっぱりアイ=ファが言っていた通り……ヴィナ=ルウぐらいの若い女衆でも、俺よりは腕力でまさっているようである。


 きっともう、筋肉の質やら骨密度からして、出来が違うのだろう。

 生活環境がここまで違っているのだから、それはしかたがない。


 しかたがない、とは思うのだが――

 やっぱり、溜息は止まらない。


(こうやって毎日ギバを食べてたら、俺でも少しは体質改善できるのかなあ)などと無為なる想念に思考をゆだねつつ、俺はファの家へと足を向けた。


 太陽は、まだ中天と日没の真ん中ぐらいである。

 これなら、ぞんぶんにポイタンを焼くこともできる。


 森でギバを追っているアイ=ファのために、美味い晩餐をこしらえてやろう。そんな風に気持ちを切り替えて、俺はタラパやティノの詰まった袋と、売り場で1メートルぐらいに切ってもらった巨大ゴボウ・ギーゴを抱えなおし、戸板を開けた。


 すると――

 壁に、アイ=ファのマントが掛かっているのが、見えた。


「あれ?」


 こんな時間に、もう帰ってきているのだろうか?

 まあ、早々にギバを仕留めることができたのなら、そんなにおかしな話ではないが。当人はどこに行ってしまったのだろう?


「アイ=ファ、いるのか?」と声をかけながら、俺は食糧庫に向かった。

 戸板を開く――アイ=ファは、いない。

 俺は本日の戦利品をそこに置き、隣りの物置部屋をふたつとも確認してみた。


 やっぱり、いない。


「んー?」


 かまどの横には、新品の鉄鍋と、俺の預けた首飾りが置かれている。

 それ以外に、いつもと違うところは発見できない。


 いや――

 よく見ると、マントは掛かっているのに、刀がない。

 小刀は寝るときしか外さないアイ=ファであるが、家に戻った際はマントとともに大刀も外して、壁にたてかけるなり何なりするはずだ。


 これは、どういう状況なのだろう?

 マントはつけずに、刀だけ持ち歩く。

 アイ=ファがそんな姿でうろつくのは、朝方の水場での洗い物のときぐらいだった。


 それじゃあ、水場か?

 いや、鍋も水瓶も室内に置かれたままである。朝方以外に、水場に用事などない。


 俺はだんだん不安になってきて、家を飛び出した。

 日当たりのいい場所で、ピコの葉でも乾かしているのか?

 いや、そんな匂いは感じられない。


 匂い――

 かすかに漂ってくる、このなまぐさい匂いは、何だ?


 考えるまでもない。

 血の匂いだ、これは。


 たちまち、背筋に悪寒が走った。


 どこだ。

 この匂いの発信源は、どこだ。


 家の裏だ。

 俺はがくがくと震えそうになる膝に2、3発拳を入れてから、家の裏へと足を向けた。


 大丈夫だ――

 そんな、不吉な想像をしてはいけない。


 いくらスン家の連中が無法だからって、こんな日も高いうちから、そんな馬鹿な真似をするはずがない。


 馬鹿な真似――

 嫌だ。そんなことは、想像すらしたくない。


 気づけば心臓はガンガンと胸郭を叩いており、呼吸が荒くなっていた。


 大丈夫だ。


 何もおかしなことは起きていない。

 そんなことが、あっていいはずはない。


 くどいぐらいに自分に言いきかせて、俺は壁ぞいに足を進め――

 おもいきって、家の裏手に踏みこんだ。


 すると――


 そこには、真っ白に剥かれたギバの身体がだらりと吊り下げられていた。



 …………。



「ああ、帰ったのか、アスタ」


 アイ=ファは、その吊るされたギバを眺める格好で、家の壁にもたれて座りこんでいた。


 俺はずかずかと足を進め、アイ=ファの前で立ち止まり、膝を折り、そのなめらかな肩をわしづかみにする。


「お前――お前、びっくりさせんなよっ!」


 アイ=ファは、きょとんと目を丸くした。


「……アスタ。泣いているのか?」


「誰が泣くかっ!」


 俺は、ごつんと頭突きをかましてやった。

「痛い」と不満そうに言うのにはかまわず、ぐりぐりぐりと頭を押しつけてやる。


「何だ。何なのだ。何を取り乱しているのだ、アスタ?」


「うるさい! 死ぬほど心配させやがって……何でお前が皮剥ぎなんてやってるんだよ! 血の匂いがしたからびっくりしたじゃないか!」


「……皮剥ぎは、狩人の仕事なのだろうが?」


 ぶすっとした声で、アイ=ファが答える。

 至近距離すぎて、その表情はわからない。


「ルウやルティムの男衆がその仕事をこなしているのに、私がそれをやらぬのは腑に落ちん。だから、仕留めたギバで練習してみたのだ。お前が皮を剥ぐ姿はもう何度となく見物していたからな」


「だったら……最初に一言、言っておいてくれよ……心臓が爆発するかと思ったじゃないか……」


「だから、何をそのように取り乱しているのだ?」


「……刀がなくて、血の匂いがしたから、何かおかしなことでも起きたんじゃないかと、不吉な想像をしちまったんだよ……」


 アイ=ファの額に額をおしつけながら、俺は深々と嘆息してみせた。


「……刀は、ここにある。お前などに心配されるまでもなく、いつなんどき不埒者が現れるかもわからんからな。それぐらいの用心は、するのが当たり前であろうが」


 不機嫌の極みにあるようなアイ=ファの声。


「で、スン家の男衆が斬り刻まれている姿でも想像したのか? あのような下衆どもに遅れを取る私ではないぞ?」


「そんなことはわかってるけど……」


「……少しは私の心情が理解できたか」


 俺は、ハッとして頭を引き離した。

 アイ=ファは目をそらし、唇をとがらせる。


「お前のように非力な男を家人に迎えた私の心労はそんなものではないのだぞ? 理解できたのなら、お前も少しは短慮をつつしめ」


「……ああ」


「そして、そんな見当違いの心配をされたあげく、どうして私が怒鳴りつけられなくてはならないのだ。このように手間のかかる仕事を請け負ってやった家長に感謝の言葉もないのか、お前は」


「いや、あの……俺が悪かったよ」


「謝罪の言葉など求めてはいない」


「……ありがとう?」


「ふん」と言い捨てて、アイ=ファは立ち上がった。

 とがらせていた口をへの字に結び、尊大な感じで腕を組む。


 もしかしたら――

 俺が目を輝かせて、「どうしたんだ? すごいじゃないか!」とか言いながら飛び上がる姿でも想像していたのだろうか?


 そんな妄想をかきたてられるぐらい、アイ=ファは子どもっぽい表情でふてくされてしまっていた。


 俺はもう一回息をついてから、意を決して立ち上がる。


 そして。

 その金褐色の頭を、「いいこいいこ」と撫でてやると、強い力で、みぞおちをどつかれた。


「ここから先は、こまかい手順がわからん。腹を裂いたら、次はどうするのだ?」


 呼吸のすべを失った俺の後頭部に、アイ=ファの声が降ってくる。

 数秒間の酸欠状態に耐えてから、俺は改めて身を起こした。


「あいててて……ここから先って、解体までやるつもりなのかよ?」


「ルウの男衆は、そこまでやっているのだろうが?」


 こわい顔で、鼻の頭にしわを寄せる。

 ちょっとひさびさの、山猫フェイスである。


「わかったよ。それじゃあ、教えるけど……でも、そこまでやってもらったら、どんどん俺の仕事が減っていかないか? 何か、お前の負担ばっかりが増えていく気がするぞ?」


「何を言うか。それでは、お前が宿場町に降りている間はどうするのだ? お前が家に戻ってきて、ギバの始末をした上でポイタンを焼く時間を取れるのか? 私はもう何の工夫もないポイタン汁をすするのは御免だぞ」


 ふむ。

 実は晩餐用のポイタンは、朝方、店に出す用のものと一緒に焼く予定ではあったのだが。そうだとしても、俺がひとりでギバを解体するには軽く3、4時間はかかってしまう。多かれ少なかれ、それでは晩餐の仕度に支障が出てしまうだろう。


 俺よりも、アイ=ファの考えのほうが先を行っている。

 というか――アイ=ファは本当に、「店を出す」という行為を、俺たちふたりの仕事と考えて、行動しているのだ。


 俺の中にはまだ、「アイ=ファを頼りすぎてはいけない」という気持ちが強く残っているのだろう。


 俺の価値観として、それは間違っていないはずなのだが――

 ここは俺の世界ではなく、森辺だ。


 俺の価値観だけを押し通すのは、間違っている。

 甘えてはいけないが、頼らなくては、いけないのだ。


 そうしないと、正しく喜びをわかちあうことはできないのだろう、きっと。


「わかった。お前の言うことのほうが理にかなってるな。お前が皮剥ぎや解体まで受け持ってくれるなら、そのぶん俺は他の仕事を頑張るよ」


「ふん」


「まったく頼りになりすぎる家長だな。……お前に見捨てられないように、俺も死に物狂いで頑張るよ」


「たわけたことを言うな。私がやっているのは、どこの狩人でもこなせる仕事ばかりだ」


 まだちょっとふてくされ気味の顔で言いながら、アイ=ファは小刀を抜き放った。


「しかし、お前の仕事はお前にしかつとまらぬのだ。懸命につとめて、美味い料理を作れ」


「作るよ。だけど――」


 やっぱりアイ=ファだって、アイ=ファにしかできないことをやっていると思う。


 中天の前には女衆の仕事をこなし、中天を過ぎれば狩人の仕事をつとめる。そんな人間は、たぶんこの森辺にもアイ=ファしか存在しないのだろうから。

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