新たな食材④~慰労~
2020.6/15 更新分 2/2
・本日は2話同時更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
「やあやあ、お疲れ様! 今日は本当にご苦労様だったね!」
食堂に足を踏み入れると、さきほど厨で対面した貴族たちがずらりとテーブルに居並んでいた。
さすがに本日は、シム流の食卓を準備できなかったらしい。アルヴァッハもナナクエムも、立派な椅子にどっしりと座している。大きなテーブルの上には茶器しか見当たらなかったので、試食の皿はすべて片付けられた後のようだ。
そんなテーブルの末席に、ガズラン=ルティムがひっそりと控えている。貴き人々のように立派な身なりをしているわけではないが、まったく見劣りのしない風格と落ち着きだ。俺たちがテーブルの前に立ち並ぶと、ガズラン=ルティムは無言のままにそっと微笑みを投げかけてくれた。
「プラティカ殿の料理は、見事な出来栄えであったねえ。ゲルドから届けられた食材の素晴らしさが、十二分に伝えられたかと思うけれど……アスタ殿としては、如何であったかな?」
にこにこと笑いながら、ポルアースがそのように問うてくる。まさかアルヴァッハたちの目の前で苦言を呈することはない、と信頼してくれているのだろう。
また、俺の側としても虚言の罪を犯す必要はなかった。
「はい。いずれも素晴らしい食材ばかりで、料理人としての腕が鳴ります。森辺に持ち帰って研究に励むのが、楽しみでなりませんね」
「そうかそうか。宿場町においては、森辺の方々とヤンが頼みの綱だからねえ。どうか美味しい料理をあみだして、新たな食材の普及に努めていただきたく思うよ」
すると、アルヴァッハが重々しい声音で発言した。
「宿場町、食材、流通させる見込み、立つだろうか? アスタ、忌憚なき意見、願いたい」
「はい。食材の質そのものには何の問題もありませんので、気になるのは価格ぐらいのものでしょうかね」
アルヴァッハはひとつうなずくと、ポルアースのほうに視線を突きつけた。
ポルアースは、社交性たっぷりのお顔で微笑んでいる。
「価格を決定するのはこれからとなりますが、基本的にはジャガルから買いつける食材などと大きな差は出ない見込みとなっておりますよ。それならば、宿場町の領民が二の足を踏むこともないでしょう」
「そうか。交易、締結すれば、大きな喜びである」
そうしてアルヴァッハは、その場の貴族たちをぐるりと見回した。
「我々、ジェノス、買いつける食材、大きな価値、見出している。ママリア酒、フワノ、アリア、タラパ、チャッチ、ギーゴ、タウ油、ミソ、ケルの根、ブレの実――いずれも、素晴らしい食材である。同じ喜び、与えること、できていれば、本懐である」
「は、はい。ですが、タウ油やミソやケルの根はジャガルの食材であり、ブレの実はバルドの食材でありますため……そちらのご希望の量を取りそろえるのに、少々お時間がかかってしまうのですが……」
気弱げな調子で答えたのは、トルストである。
アルヴァッハは悠揚せまらず、「承知している」とまたうなずく。
「約束よりも、多量の食材、運んできた、こちらの勝手である。食材、十分な量、そろうまで、待たせていただく」
「ふむ。それで、ジェノス城に逗留していただくのは、アルヴァッハ殿とナナクエム殿と、お連れの2名だけで本当によろしいのだろうかな?」
ゆったりとした口調でマルスタインが発言すると、アルヴァッハは「うむ」と応じた。
「荷車、御者たち、逗留、恐縮である。御者たち、自由、過ごすので、配慮、不要である」
そんな風に言ってから、アルヴァッハは俺に向きなおってきた。
「御者たち、宿場町、訪れる機会、多かろう、思う。アスタたち、よろしく願いたい」
「承知しました。ゲルドのお人たちであれば、すぐに見わけはつくでしょう」
「……宿場町、行き来、自由、羨ましく思う」
すかさず、ナナクエムが「アルヴァッハ」と声をあげた。
「ジェノス城の人々、屋台の料理、わざわざ買いつけてくれている。不満、申し述べる、失礼である。また、アルヴァッハ、使節団の責任者、自覚、必要である」
「承知している。……不遜、聞こえたならば、謝罪する」
「いやいや」と、マルスタインは大らかに笑った。
「アルヴァッハ殿らにも、できるだけ自由に過ごしていただきたく思っているのだがね。……そういえば、森辺のファの家に出向く日取りは決定されたのであろうかな?」
「否。価格、決定について、今少し、時間、必要である。……数日の内、実現、願っている」
どうやらこのたびは、前回以上に多忙であるらしい。まあ、これだけ大きな交易の責任者であれば、それも当然であるのだろう。
「ああ、それと……例の件も、この場で確認しておいたらどうであろうかな?」
マルスタインが視線を向けたのは、彼の子息であるメルフリードであった。
メルフリードは、月光のように冴えざえとした灰色の瞳で父親を見返す。
「しかしこの場には、ルウとファとディンの者たちしかおりません。ディンはザザの眷族なれど、家が遠いために行き来は少ないのだと聞いています」
「それでも早めに伝えるべきではないかと思ったのだが、まあ森辺の民との調停役は其方であるのだから、判断はまかせよう」
メルフリードはしばらく無言で考え込んでから、やおら俺たちのほうに眼光を飛ばしてきた。
「では……あくまで先触れとして伝えさせてもらいたく思う。のちに正式に使者を送るので、それまでにご一考を願いたいと、族長らに伝えてもらえるであろうか?」
「はい。どのようなお話でしょう?」と、レイナ=ルウが受けて立つ。何か込み入った話であれば、ルウ本家である彼女の出番であるのだ。
「ゲルドの貴人がたが、森辺の収穫祭に大きな関心を寄せておられるのだ。収穫祭は血族のための重要な儀式であると理解はしているが……かなうことであれば、また見学を願いたく思う」
「収穫祭の見学ですか? ルウの家もファの家も、収穫祭はずいぶん先の話になるのですが――」
そこでレイナ=ルウは、びっくりしたように目を見開いた。
「もしかして……北の集落の収穫祭を?」
「うむ。ザザにおいては、茶の月の内に収穫祭を行う予定であると、そのように聞き及んでいる」
それは、驚くべき申し出であった。
優雅にお茶のカップを傾けていたガズラン=ルティムも、さすがに驚いた顔をしている。
「アルヴァッハたちがルウ家に挨拶におもむかれた日、ラヴィッツの集落においては5氏族合同の収穫祭が行われておりました。その際には、自重のかまえであられたというお話をうかがっているのですが……何か心境の変化でもあられたのでしょうか?」
「うむ。プラティカから、収穫祭の話、聞き及び、強き関心、かきたてられたのである」
厳粛なる無表情で、アルヴァッハはそのように答えた。
「もとより、森辺の祝宴、素晴らしいこと、我々、知っている。さらに、狩人の力比べ、素晴らしい、聞き及び、我慢、ならなくなった、次第である」
「そうですか……」と、ガズラン=ルティムは思案顔になった。
それから何かを言いかけて、レイナ=ルウのほうを振り返る。レイナ=ルウは、「どうぞ」とばかりに手を差しのべた。このような話では、ガズラン=ルティムを頼るのが最善であろう。
「さきほどメルフリードも仰った通り、収穫祭というのは血族のための儀式となります。しかし……以前には、ファの家を含む6氏族の収穫祭に、城下町の方々をお招きしておりましたね」
「うむ。その話、聞き及び、見学、許されるかと、思い至ったのである」
「やはり、そうでしたか。無論、ジェノスの領主たるマルスタインからの言葉であれば、族長らも拒むことはないかと思いますが……」
そう言って、ガズラン=ルティムはふいに微笑んだ。
「差し出がましいことながら、一点だけ私の意見を述べさせていただきたく思います。……その話は、ゲルドの方々から直接ザザの家長たるグラフ=ザザに願うべきではないでしょうか?」
「グラフ=ザザ。三族長、ひとりであるな? その子息、息女、何度か、まみえている」
「はい。ゲオル=ザザとスフィラ=ザザの父親となる人物ですね。そのグラフ=ザザというのは、森辺においてもとりわけ古き習わしを重んずる御方であるのです」
穏やかな微笑をたたえたまま、ガズラン=ルティムはそのように言葉を重ねた。
「マルスタインからのお言葉であれば、グラフ=ザザもその申し出を拒むことはないでしょう。しかしそれは、領主の命令には従うべきだという思いと、ジェノスの人々とは正しき絆を紡ぐべきだという思いからの行いとなります。それでは、ゲルドの方々と正しき絆を紡ぐこともかなわないのではないかと……私には、そのように思えてしまうのです」
「それは、不本意である。我々、森辺の民、正しき絆、結びたい、願っている」
「はい。私やアスタやドンダ=ルウや、実際にアルヴァッハたちと言葉を交わした人間は、誰もがそのように思っているはずです。ゲオル=ザザやスフィラ=ザザも、きっとそうでしょう。ですが、グラフ=ザザはまだ、あなたがたと顔をあわせたこともないのです」
「……了承した」と、アルヴァッハはひときわ重々しくうなずいた。
「我々、ザザの家、おもむきたい、思う。……メルフリード殿、仲介、願えるだろうか?」
「ええ。それでは、その旨を使者に伝えさせましょう」
どうやらそれで、話は一段落したようであった。
ただ、俺にはひとつ気にかかることがあった。その疑念を解消するべく、発言させていただく。
「あの、今日はまだ茶の月の4日ですよね。収穫祭が行われる予定である茶の月の下旬まで、アルヴァッハたちはジェノスに逗留されているのでしょうか?」
「うむ。必要な食材、そろうまで、時間、必要である。また、荷車、時間、かかるため、我々、20日間、遅く出発する、可能である」
俺はしばし考えてしまったが、すぐにその言葉の意味を理解することができた。たとえゲルドに持ち帰る食材の準備が速やかに完了しても、荷車ではひと月がかりの道程となるために、トトスにまたがったアルヴァッハたちは20日遅れの出発でも同時に帰宅することができる、ということだ。
「承知いたしました。それじゃあアルヴァッハたちは、もともと茶の月の下旬までジェノスに逗留するご予定だったのですね」
「うむ。何か、問題、あろうか?」
「いえ。自分が考えていたよりも長い期間であったので、嬉しく思っただけのことです。アルヴァッハたちがいらしてからもう5日目であるのに、まだあまり腰を据えて語らうこともできておりませんでしたので」
そう言って、俺は心よりの笑顔を届けてみせた。
「ファの家にいらしてくれる日を、心待ちにしております。そのときには、ゲルドから届けられた食材で料理を振る舞えるように、精進いたしますね」
アルヴァッハは、ぴくりと口もとを引きつらせた。
もしかしたら、微笑をこらえているのであろうか。
「アスタ、温かき言葉、感無量である。……プラティカ、料理、どうだったであろうか?」
「はい。あえて簡素な料理を供したというお話でしたが、それでも確かな力量を感じました。プラティカが自分の思うままに作りあげた料理を口にする日が、楽しみです」
「うむ。プラティカ、ゲルの屋敷、一番の腕である。ただし、まだまだ未熟である。アスタや、ヴァルカスや、さまざまな料理人から、多くのこと、学ぶであろう」
「あ、ヴァルカスもプラティカの力量を認めておられるご様子でしたよ。プラティカはまだ13歳であるのに、本当に大したものだと思います」
そうしてついつい話に花を咲かせてしまうと、柔和に微笑んだマルスタインが言葉をはさんできた。
「アルヴァッハ殿は、ずいぶんアスタと絆を深められたご様子だな。ジェノスの領主として、得難きことと思う」
「うむ? 何か、不審であろうか?」
アルヴァッハがそのように応じると、今度はフェルメスが声をあげた。
「マルスタイン殿は、アルヴァッハ殿とアスタが語らう姿をそこまで目にされていなかったのでしょう。僕やメルフリード殿は、先刻承知しておりましたよ」
「そうであったか。まるで旧知の友人であるかのようで、微笑ましいことだ」
「はい。僕もアスタと、そのような絆を紡ぎたいものです」
と、フェルメスがおねだりをするような視線を向けてくる。
俺の隣では、アイ=ファが懸命に溜め息を噛み殺していた。
「では、今日のところはこれまででしょうかな。日が傾く前に、閉会といたしましょう」
ポルアースのそんな言葉で、俺たちは食堂を辞去することになった。
ただ――この場で一言も口をきいていない人物が存在する。トルストの隣に座した、リフレイアである。
公の場で、彼女が生きたフランス人形のように取りすましているのはいつものことであったが――それでも、俺に対して1度も声すらかけないということが、これまでにあっただろうか?
(もしかして……北の民がジャガルに出立する日が近づいているから、落ち込んでいるのかな)
俺はそのように考えたが、人の目のある場所で口に出せる話題ではなかった。
しかし、このまま帰路についてしまうのは、あまりに心残りである。そういったわけで、俺はいささかならず不自然なタイミングで声をあげることになってしまった。
「あの、トゥラン伯爵家が晩餐会を開くことなどはあるのでしょうか?」
「は?」と目を剥いたのは、リフレイアではなく隣のトルストであった。リフレイアは、感情の読めない眼差しで俺を見返してくる。
「ば、晩餐会とは、なんのお話でありましょうかな? 今のところ、そういった話はあがっておらぬはずですが……」
「そうですか。近日中に、こちらのレイナ=ルウたちがサトゥラス伯爵家の晩餐会で厨をお預かりすると聞いていたもので……もしもトゥラン伯爵家でもそういった機会があるのなら、ぜひ自分がお引き受けしたいと考えていました」
「はあ……何故にアスタ殿が、そのようなことを……?」
トルストは、すっかり面食らってしまっている。やはり、あまりに唐突な申し出であっただろうか。
「いえ、最近はサンジュラもあまり宿場町にお顔を見せませんし、ムスルはそれ以上にご無沙汰でありましたから、ひさびさにご縁を紡ぎたいと考えただけなのです。もちろんトルストやリフレイアにも同じ気持ちなのですが……自分がそんな言葉を口にするのは、あまりに不遜でしょう?」
「い、いえいえ、とんでもない。アスタ殿や森辺の方々には、我々も返しきれないほどの恩義があるのですから……」
「では」と声をあげたのは、フェルメスであった。
そのヘーゼル・アイは、とても楽しそうにきらめいている。
「トゥラン伯爵家の主催で、ゲルドの方々をもてなすというのは如何でしょう? アスタが厨を預かるのでしたら、それ以上のもてなしは存在しないように思います」
「うむ。アスタの料理、食する機会、増えるならば、大きな喜びである」
アルヴァッハは深くうなずき、ナナクエムは静観のかまえであった。
そして、リフレイアは――ちょっと切なげな顔で微笑んでいる。
「素敵な提案をありがとう、アスタ。では、ジェノス侯やトルストと相談させていただくわ」
「はい。差し出がましいことを言ってしまって、どうもすみません」
そんな一幕を経て、俺たちは食堂を出ることになった。
小姓の案内で厨へと引き返しつつ、アイ=ファが「おい」と囁きかけてくる。
「あのような申し出をするときは、事前に告げておけ。いったい何事かと思ったではないか」
「うん、ごめん。リフレイアが元気そうだったら、あんな提案をすることもなかったんだけど……」
アイ=ファは俺の顔をじっと見つめてから、小さく溜め息をついた。
「アルヴァッハやフェルメスが同席していたら、けっきょく込み入った話はできぬように思うがな。……まあいい。お前の料理を口にすれば、あの娘も少しは力を取り戻すであろう」
鋭い観察眼を持つアイ=ファも、やはりリフレイアの様子には気づいていたのだ。それに俺たちは、いつだったかの祝宴でリフレイアが涙をこぼしてしまう姿も、ともに目撃していたのだった。
(その祝宴以降は、リフレイアもずっと気丈にふるまっていたけど……シフォン=チェルとの別れが、いよいよ目前に迫ってきちゃったんだもんな)
そうして俺もアイ=ファに続いて溜め息をついたとき、回廊の行く手から人影が近づいてきた。
藍色の調理着を纏った、プラティカである。ターバンだけを外したプラティカは、金褐色の髪を自然に胸もとまで垂らしていた。
「プラティカは、どちらに行かれるのですか? わたしたちは、厨に戻るところだったのですけれど」
レイナ=ルウが声をかけると、プラティカはわずかに眉を寄せながら一礼した。
「料理人たち、帰り始めたので、森辺の方々、同様かと思い、挨拶に来ました。私、早計であったようです」
「そうでしたか。食材をどのていど持ち帰るか決めなければならないため、もともと厨に戻る手はずであったのです」
「そうでしたか。では、ご一緒します」
ということで、プラティカも列に加わることになった。
その紫色の瞳が、強い光をたたえて俺たちを見回してくる。
「……私、菓子のみ、本来の力、振るいました。森辺の方々、失望させましたか?」
「失望なんて、とんでもない。みんな、あの菓子の出来栄えには大満足でしたよ」
俺が代表して答えると、プラティカはぐっと顔を寄せてきた。
「真実ですか? 私、忌憚なき意見、求めています」
「もちろん、真実です。森辺において、虚言は罪ですからね。……トゥール=ディンも、大満足だっただろう?」
「は、はい! わたしはあの、だいふくもちが素晴らしいと思いました! ブレの実を使わずとも、あのように美味しいだいふくもちを作れるのですね!」
「では、やはり、焼き菓子、粗末でしたか?」
「え? いえ、決して粗末とは思いませんけれど……自分であったらどう作るかと、想像力をかきたてられました」
「では、隙間、見出したのですね。私、未熟、証拠です」
そう言って、プラティカは再び俺に詰め寄ってきた。
「私、未熟、承知しています。ゆえに、森辺、学ばせていただきたいのです。ゲルド、帰る日まで、どうか――」
そこでアイ=ファがプラティカの襟首をひっつかみ、「近い」と言い捨てながら、俺から引き離した。
わずかに頬を染めながら、プラティカは不服そうにアイ=ファを振り返る。
「アイ=ファ、試作の料理、食しませんでした。私、料理、無関心ですか?」
「うむ? 私があのような場で、料理を口にすることはない。相手が誰であっても、それは同じことだ」
ぶっきらぼうに答えてから、アイ=ファはふっと優しげな眼差しになった。
「しかし、お前が大役を果たしたことは、喜ばしく思っているぞ。若い身でありながら、大したものだな」
プラティカは、ぎょっとしたように目を見開いた。
その目から、つうっと涙がこぼれ落ちる。それを見て、アイ=ファも目を見開くことになった。
「いきなり何を泣いているのだ。お前を責めたてた覚えはないぞ?」
「ち、違います。アイ=ファ、いきなり、優しく振る舞う、卑怯です。この涙、アイ=ファ、責任です」
「責任と言われても……とにかく、とっととその涙をひっこめるがいい」
「わ、わかっています。こちら、見ないでください。感情、さらす、恥辱です」
プラティカは子供のように手の甲で涙をぬぐいながら、アイ=ファから顔をそむけた。
その方向で歩を進めていたのは、俺である。なかなか涙の止まらない目で、プラティカは俺をにらみつけてきた。
「私、見ないよう、お願いしています。アスタ、私、辱めていますか?」
「と、とんでもありません。よかったら、こちらをお使いください」
俺が懐からまっさらの手拭いを取り出すと、プラティカは荒っぽくそれを強奪していった。
やっぱりプラティカは、俺たちが考えていた以上に気を張っていたのだろう。わずか13歳の身で、貴族たちに見守られながら、名だたる料理人たちに、食材を紹介したり料理をふるまったりすることになったのだ。しかもそれは、故郷たるゲルドとジェノスの大きな交易に関わる一大事であったのだから、責任感も尋常でなかったはずだ。
(天に召された親父さんも、プラティカのことを誇らしく思っていますよ)
心の中で、俺はそのように伝えておくことにした。
そうしてその日の大仕事は、ようやく終わりを迎えることになったのだ。
少なくとも、あとひと月近くはプラティカやアルヴァッハたちと絆を深めることができる。それを嬉しく思いながら、俺はプラティカの可愛らしい泣き顔をこっそり見守ることにした。