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異世界料理道  作者: EDA
第五十二章 ゲルドの再来
907/1681

新たな食材②~ドゥラの恵みとマヒュドラの恵み~

2020.6/14 更新分 1/1

「こちら、ゲルド、香草です」


 あくまでも厳粛なる調子で、プラティカは次なる食材を紹介してくれた。


「ココリ、ミャン、ミャンツ、そしてブケラです。味見、しやすいよう、細かく挽いたもの、準備いたしました」


 さすがに貴族たちは、こちらの味見を辞退していた。料理人ならぬ身で香辛料をひとなめしたところで、なかなかその価値を判ずるのは難しいことだろう。

 しかしもちろん料理人たちは、興味津々の様子である。ことジェノスの城下町においては、香草をいかに巧みに扱えるかが、ひとつのステイタスと目されているようであるのだ。


「ふむ。ミャンとミャンツは名が似ておりますが、色や香りはまったく異なるようですな」


 ティマロがそのように評すると、プラティカは「はい」と慇懃に応じた。


「それら、兄弟である、言われていますが、性質、大きく異なっています。また、ミャンツ、乾燥させると、そのように、色、変じるのです」


「ふうむ。どちらも独特の風味であり、これは料理人の腕が試されそうなところでありますな」


 ティマロは、きわめて難しげな面持ちになっていた。

 いっぽうヴァルカスはというと、やっぱり茫洋としたたたずまいである。香草を扱わせれば随一と評されるヴァルカスであるのだが、いったいどのような感想を抱いているのであろうか。


 まあ今は、それよりも自分の吟味である。小姓たちがこちらにも小皿を運んできてくれたので、俺たちも味見をさせてもらうことにした。


 ココリは、砂のようにさらさらとした淡い褐色の粉。

 ミャンは、深い緑色の粉。

 ミャンツは、ココリよりも濃い褐色の粉。

 プケラは、枯れ葉のように緑と褐色の入り混じった色合いの粉だ。


 ココリは、初っ端から鮮烈な味わいであった。

 かなり刺激的な、舌の痺れるような辛さだ。

 しかし、トウガラシのごときチットの実や、マスタードのごときサルファルとはまったく異なっており――何か独特の風味を有している。俺がもっとも近いと思えるのは、ずばり山椒であった。


(これはなかなか、面白い使い方ができるかもしれないな)


 続いて、ミャンである。

 これはココリよりも、さらに大きく驚かされた。この何とも表現し難い風味は、俺の知る大葉、いわゆるアオジソとそっくりであったのだ。


 その兄弟であるというミャンツは、似ても似つかない味わいをしている。爽やかで、ほろ苦く、あえて言うならば、セージのような風味であろうか。

 俺がそのように考えていると、レイナ=ルウがこっそり袖を引いてきた。


「アスタ、さきほどの腸詰肉には、このミャンツという香草も使われていたのではないでしょうか?」


「ああ、そうかもしれないね。肉料理とは相性がいいかもしれないよ」


 俺にはそれほど馴染みもないが、セージであればスパイスの中でもかなりの代表格であるはずだ。


 そして最後のブケラは、むしろミャンよりもミャンツに似ているように感じられた。土のような草のような風味がミャンツよりも強烈で、やっぱりほんのりと苦い。それに何だか、とても懐かしい感じがした。


「……このブケラというのは、いささか身を清める香草と香りが似ているように思えてしまいますな」


 と、またティマロが声をあげる。こういう場で、もっともアクティブであるのがこのティマロであるのだ。

 これまでと同じように、プラティカは「はい」と答えた。


「こちらの浴堂、似た香り、感じました。あちらの香草、食材、使われていないのでしょうか?」


「身を清める香草を口にすることはありませんな。あれはどのように処置しても強い渋みが抜けないため、身を清める香草として使われることになったのでしょう」


 言われて、ようやく俺も気づいた。つまりこの香草は、ヨモギと似た風味をしているのだ。


(ヨモギか……俺にはヨモギ餅ぐらいしか思いつかないな)


 俺がそのように案じていると、プラティカが「如何でしょう?」と厨を見回した。


「ジェノス、ジギから、数々の香草、買いつけています。このたび、それらと似ていない香草、選ばれた、聞いています。活用、かなうでしょうか?」


「さきほどの野菜や果実に比べると、かなり頭をひねることとなりましょうな。ですが、それで見事な料理を作りあげることこそが、料理人の本懐でありましょう」


 ティマロは、薄い胸板とせり出たお腹を突き出して、そのように宣言した。

 どうも今日は、普段以上に鼻息が荒いようだ。領主たるマルスタインや異国の貴人まで列席しているので、発奮しているのであろうか。


「ゲルドの食材、以上です。次、ドゥラの食材、披露いたします」


 いよいよシムの海辺の領地、ドゥラの食材のお披露目である。

 プラティカが作業台の布を取り除くと、そこには3つの壺が置かれていた。


「マロマロのチット漬け、ペルスラの油漬け、そして魚醤です」


「ぎょしょう? とは、初めて耳にする名であるようですな」


 ティマロに先んじて、今度はボズルが発言した。陽気で大柄なジャガルの料理人である。敵対国たるシムの料理人に対して、べつだん悪い印象は持っていない様子だ。


「魚醤、ドゥラの食材であるため、詳細、わかりません。魚、原料とした、調味料です。魚、長きの時間、塩に漬け、ろ過したもの、聞いています。……察するに、タウ油、似ているのではないでしょうか?」


「ふむ? タウの豆から作られたタウ油が、その魚醤というものに似ている、と?」


「はい。味、そこまで近くありませんが、どこか、通ずるもの、感じました。私、印象です」


 プラティカの指示で、またおちょこのような器が持ち出される。そうして配布されたのは、確かにタウ油のような色合いで、とろりとなめらかな液体であった。

 お味のほうは、なかなかに鮮烈である。甘みが豊かで、魚臭いというわけではないのだが、きわめて独特の風味を有している。製造方法を聞く限り、魚の旨み成分がこれでもかとばかりに凝縮されているのであろう。


(要するに、しょっつるとかナンプラーみたいなものなのかな。これを主体にするのは難しそうだけど、ひと味加えたいときに有用かもしれない)


 次に配られたのは、マロマロのチット漬けであった。

 てっきりこちらも魚介類かと思いきや、マロマロとは豆類であるという。マロマロの豆に塩やチットの実や数々の調味料をぶちこんで、これまた発酵させたものであるらしい。チットの実を使っているために、色合いはかなり赤みが強かった。


「ふうん。なんだか、ミソのような質感だねえ」


 味見は辞退したポルアースが、物珍しげに料理人たちの手もとを覗き込んでいる。

 まあ、あれもタウの豆を発酵させた食材であるのだから、質感が似るのも道理であろう。お味のほうは、見た目通りに辛みが強いが、発酵食品ならではの甘みと酸味とまろやかさもきいている。豆板醤と似ていなくもないので、中華風の料理とは相性がいいように思われた。


「そして、最後、ペルスラの油漬けです」


 プラティカが壺の蓋を取り去ると、周囲の料理人たちが「わっ」と叫んで身を引いた。

 しばし遅れて、こちらにも強烈な香りが漂ってくる。これはもう、魚醤以上のはっきりとした魚臭さである。


「こ、これはなかなか強烈な香りでありますな。こちらも魚を材料にした食材なのでしょうか?」


 なんとかその場に踏みとどまったティマロが尋ねると、プラティカは「はい」とうなずいた。


「保存性、高めるため、長きの時間、塩と油、漬けています。ペルスラ、東玄海、獲れる魚です」


「なるほど。確かに西の王都におきましても、魚の油漬けや魚醤という食材は多く取り扱われておりますよ」


 ひさびさに、フェルメスが笑いを含んだ声で発言する。


「ただ、王都の近在だけでも十分に売りさばくことができているので、ジェノスに運ばれる食材には含まれていないようです」


「うむ。以前、そう聞いたので、このたび、携えてきた」


 アルヴァッハが重々しく宣言すると、料理人たちに緊迫した空気が走り抜ける。ゲルドの藩主家のほうがジェノス侯爵家よりも格式が高いという話は、もちろん周知されているのだろう。


「料理人たち、嫌悪感、顕著である。ペルスラの油漬け、不要であったろうか?」


「それは、味を見ないことには判ずることもかないませんでしょうな」


 こういう場面では如才のないティマロが、恭しく一礼した。


「我々は魚介の食材に馴染みが薄いため、ついつい過敏に反応してしまうのでしょう。プラティカ殿、是非ともお味見のほうをよろしくお願いいたします」


「はい。味、強いので、わずかずつ、どうぞ」


 小姓たちによって、ペルスラの油漬けが配られていく。その皿がこちらに近づいてきただけで、トゥール=ディンは泣きそうな顔になってしまっていた。


「大丈夫かい? 無理して口をつける必要はないからね」


「い、いえ。せっかくこの場に招いていただけたのですから、そのように意気地のない姿は見せられません」


 かくも、健気なトゥール=ディンであった。

 いっぽうレイナ=ルウたちは、好奇心の虜となって皿の到着を待ち受けている。いったいどのような食材であるのかと、期待感のほうがまさっている様子だ。


 そうして味見をしてみると、やはりなかなかに強烈な味わいではあった。

 しっかり発酵しているようだが、三枚におろされた魚の形を保っている。塩気が強くて、酸っぱくて、ほんのり甘くて――そして、魚臭い。また、何せ油漬けであるために、そのねっとりとした油分が舌にまとわりついてくるかのようだった。


(まあ、クセの強いアンチョビみたいなもんかな。噂に聞くシュールストレミングよりは、よっぽどマシだろうさ)


 シュールストレミングとは、世界で一番臭いと称される、塩漬けニシンの缶詰である。缶の中で発酵が進むため、そこから発生したガスで缶が膨らむという、それは恐ろしい食べ物であるようなのだ。

 そういえば、俺の親父はシュールストレミングも美味しくいただくことができた――なんて、よく口にしていたように記憶している。それがどれほど強烈なシロモノであるのか、1度ぐらいは体験しておきたかったところであった。


 そんな感慨を噛みしめている間に、ドゥラの食材は終了である。

 おそるべきことに、まだマヒュドラの食材が控えているのだ。同じ日にこれだけの未知なる食材がお披露目されるのは、きっとジェノスでも史上初であるのだろう。


「では、最後、マヒュドラ、食材です。アマンサ、ドルー、メレスです」


「おお、初めて聞き覚えのある名前が出たね。アマンサというのは、僕も何度か口にした覚えがあるように思うよ」


 ポルアースがそのように言いたてると、便秘のパグ犬みたいな面持ちでたたずんでいたトルストが、初めて口を開いた。


「アマンサは、北回りで訪れるジギの商団が運んでくる食材でありますな。そちらは量が少ないため、ジェノス城と《銀星堂》でのみ取り扱われているかと思われます」


 俺もその名前には聞き覚えがあったし、ヴァルカスとダイアの料理や菓子でそれぞれ扱われていたように記憶している。ブルーベリーを思わせる、甘酸っぱい果実であるはずだった。


 そうしてプラティカが実物をお披露目すると、今度は好意的な驚きの声があげられる。そこに準備されていた3種の食材は、それぞれ青色、赤紫色、黄色と、実に鮮烈な色合いをしていたのである。


「青の果実、アマンサです。赤紫の野菜、ドルーです。黄の豆、メレスです。生食、可能、アマンサですので、そちらのみ、お配りします」


 甘酸っぱいアマンサの味を堪能しつつ、俺は残りの食材に興味をかきたてられていた。

 ドルーはぷっくりとした丸い形状にちょろんと尻尾の生えた、明らかな根菜だ。

 メレスは、小指の爪ぐらいの大きさをした、黄色い豆である。

 どちらもまったく、味の想像がつかなかった。


「メレス、マヒュドラにおいて、穀物、見なされています。北の民、メレス、細かく挽いて、水で練り、焼きあげて、食します。セルヴァにおける、フワノ、同様です」


「では、こちらもそのように食するのでしょうかな?」


 トルストが心配そうに声をあげると、プラティカは「いえ」と首を振った。


「メレスの生地、非常に硬く、大きな価値、見出されません。また、ゲルド、シャスカ、豊富であるため、穀物、不要です。よって、メレス、豆として使います。ジェノス、フワノおよびポイタン、豊富であるため、同様でしょう。のちほど、料理、お目にかけます」


「そうですか」と、トルストは安堵の息をついた。

 ポイタン、黒フワノ、シャスカときて、またさらなる穀物が登場してしまったら、いよいよトゥラン産の白フワノの存在意義が危ぶまれてしまうと懸念していたのであろう。


 ただし、ジェノスにおける白フワノというのは、いまや重要な輸出用の食材であるのだとも聞いている。バナームからの黒フワノ、およびシムからのシャスカに対して、こちらは白フワノを差し出しているのだ。俺たちが黒フワノやシャスカを珍重しているように、異郷では白フワノこそがそのように扱われているはずであった。


「これでようやく、すべての食材を紹介し終えたわけだね? いやあ、大変な数だった! しかし、どれもこれも興味深い食材ばかりでありましたねえ」


 なんとかジェノスで売りさばけるように、力を尽くしていただきたい――と、陰で森辺のかまど番に懇願していたことなどはおくびにも出さず、ポルアースは社交性たっぷりの顔で微笑んだ。


「それでは引き続き、料理の試食会をお願いしようかな。我々は別室に移るので、料理人のお歴々は忌憚なく意見を交換してくれたまえ」


 敬服する料理人たちに見送られながら、貴き人々は一列となって厨を退室していった。

 そんな中、小姓のひとりがそっと俺たちに近づいてくる。


「ルウ本家のレイナ=ルウ様でございますね? 森辺の方々は、こちらの試食会を終えたのちに食堂までご足労いただきたいとの、ジェノス侯からの仰せです」


 レイナ=ルウは、つつましい面持ちで「承知いたしました」と一礼する。

 貴族たちは、食堂で試食会を行うのだろう。この場では挨拶らしい挨拶もできなかったので、こちらとしても望むところであった。

 すると、貴族たちと入れ替わりで、ガズラン=ルティムが厨に踏み入ってくる。


「アイ=ファ。私も貴族たちとともに食堂までおもむいてはどうかという言葉をかけられました。こちらの護衛役は、アイ=ファおひとりにまかせてしまっても大丈夫でしょうか?」


「うむ。このような場まで無法者が入り込むことはなかろうからな。……たとえそのような者が現れても、私が生命にかえてもかまど番たちを守ってみせよう」


「では、何かあれば草笛でお知らせください」


 落ち着いた微笑を残して、ガズラン=ルティムは立ち去っていった。

 で、いよいよ待望の試食会であるが――プラティカは、こちらで準備されていた調理助手たちにせわしなく指示を飛ばしている様子であった。試食会といえどもこれだけの人数であるのだから、料理は事前に作られていたのだろう。それを温めなおしたり、盛りつけたりという作業であるようなので、手際を見学という段には至らなかった。


 それにやっぱり、貴族たちへの料理が優先されているのだろう。こちらの試食会の開始にはまだ時間がありそうであったので、俺たちはその間に知己たる方々に挨拶回りをさせてもらうことにした。


「どうもお疲れ様です、ヤン。今日もニコラとご一緒であったのですね」


「はい。無理を言って、同行をお許しいただきました」


 ヤンは穏やかに微笑み、ニコラは仏頂面で一礼する。

 しかし、ヤンのほうもすぐに真剣な面持ちとなって身を寄せてきた。


「ところで……あのプラティカという御方は、森辺で調理の見学をされていたのですか?」


「はい。最初の日にはファの家に逗留して、一昨日には収穫祭の見学をされていましたね」


「なおかつ、3日前には宿屋の寄り合いにおける調理も見学されたそうですね」


 ヤンはいつになく、厳しい表情になっていた。

 その目が、真っ直ぐに俺を見据えてくる。


「アスタ殿、このようにぶしつけなお願いをするのは、非常に心苦しいのですが……いずれこちらのニコラも、また森辺で調理の見学をさせていただけませんでしょうか?」


「え? それはまあ……家長や族長らに許しをいただければ、俺に異存はありませんけれど……」


 俺が視線を差し向けると、アイ=ファもヤンに負けないぐらい真剣な表情で進み出てきた。


「そちらの娘は、以前のルウ家の祝宴でもかまど仕事の見物をしていたはずだな。それでも、用事は足りなかったのであろうか?」


「はい。ニコラには、若い内に見識を広げてほしいのです。それでも森辺の方々にご迷惑をかけてはならじと思い、ヴァルカス殿のお弟子らが招かれた際にご一緒させていただければ僥倖かと考えていたのですが……」


「そのように考えている間に、新参の人間がずけずけと見物を願い出てきた、というわけか」


 アイ=ファは同じ表情のまま、ニコラのほうを振り返った。


「しかしあのプラティカは、自分の意思で森辺におもむくことを願ったのだ。主人たるアルヴァッハの名と立場を頼ったのは、最初の1日のみであろう。お前が森辺の祝宴を訪れたときと同様にな」


「……あなたが何を仰りたいのか、わたしにはよくわからないのですが」


「私は、お前の心情を問うている。お前はただ、師たるヤンの言いつけに従っているだけであるのか?」


「いえ」と、ニコラは目を光らせた。


「森辺で調理を見学させていただき、わたしは自分がどれだけ非才の身であるか、思い知らされることになりました。もしも許されるなら、また森辺で学ばせていただきたく思っています」


「はい。機会があればまた森辺におもむきたいと願い出てきたのは、ニコラ自身であるのです」


 と、表情をやわらげたヤンが、そのように補足をしてくれた。


「わたしが考えていた以上に、ニコラは得るものが多かったようです。アスタ殿を始めとする森辺の方々の調理を見学することは、ニコラにとって大きな糧となるでしょう。伏して、お願いいたします」


「……そうか。であれば、族長らの許しを乞うべきであろうな」


 そのように語るアイ=ファは、いくぶん悄然としているように見えた。また客人が増えてしまうのか……と、気落ちしているのかもしれない。

 すると、黙って様子をうかがっていたレイナ=ルウが声をあげた。


「それでしたら、プラティカと日程を合わせては如何でしょう? プラティカは、森辺と城下町の両方で修練を積みたいという話であったので、そちらと日取りを合わせていただけると、こちらも迎えやすいかと思います」


 そしてレイナ=ルウは、アイ=ファを励ますように微笑んだ。


「それに、何もかもをファの家が担う必要はありません。ルウ家にはミケルとマイムがいるのですから、プラティカやニコラの修練に事欠くことはないように思います」


「うむ……べつだん、ファの家に客人を迎えることを忌避しているわけではないのだが……」


「でも、ファの家にはふたりしか家人がおりませんものね。もともと家人の多いルウ家とは、やはり事情が異なるのだと思います」


 アイ=ファが客人の招待について消極的であるのは、おそらく――俺とふたりきりで過ごせる時間が削られてしまうためなのである。

 そんな心情をレイナ=ルウに見透かされたような心地になり、俺はアイ=ファと一緒に顔を赤くすることになってしまった。ラヴィッツの長兄に婚儀の話をつつき回された一件もまだまだ記憶に新しかったので、なおさらである。


 ともあれ、その話は族長らの承認待ちということで、一段落した。

 熱をおびた頬をさすりつつ、今度はヴァルカスの一派へと歩み寄る。そちらでは、また弟子同士が熱い討論を繰り広げており、ヴァルカスはひとりぽつねんとたたずんでいた。


「お疲れ様です、ヴァルカス。今回は、半月と空けずに再会できましたね」


「…………」


「あのー、ヴァルカス? どこかお加減でも悪いのでしょうか?」


 虚空をさまよっていたヴァルカスの瞳が、ぼんやりと俺を見返してきた。


「おや……アスタ殿、どうしてこちらに?」


「あ、いや、ゲルドから届けられた食材を検分するお役目を授かったのですけれど……」


「ああ、森辺の方々も招かれていたのですね。すっかり失念しておりました」


 そうしてヴァルカスは、いきなり思いも寄らぬことをした。

 茫洋とした無表情のまま、大きく腕を広げると、おもむろに俺の身体を抱きすくめてきたのである。


「お会いできて、光栄です。お元気そうで、何よりです」


 そうしてヴァルカスは俺の背中をぽんぽんと気安く叩いてから、速やかに身を引いた。

 で、何事もなかったかのように腕を組み、また自分の世界に入り込んでしまう。


「お、お前は何をやっているのだ? 気安く他者の身に触れるものではない」


 アイ=ファが憤慨した様子で文句をつけると、ヴァルカスは感情の欠落した声音で「お静かに」と応じた。


「今、思索に耽っております。ご用事があれば、またのちほどに」


「なんだ、その態度は? だいたいお前は、いつもそうやって――」


 と、アイ=ファがいっそういきりたったところで、ロイが「よお」と近づいてきた。


「今のヴァルカスは相手にしねえほうがいいぞ。新たな食材のことで頭がいっぱいなんだからよ」


「ああ、どうも。……数々の食材に巡りあえた喜びにひたっているのでしょうか?」


「いや、たぶん頭の中で試作品でもこしらえてるんだろ。これまでの食材に新しい食材をどんな風に組み込むべきか、妄想に耽ってるんだよ」


「妄想ではなく、思索です」と、シリィ=ロウもやってきた。

 そちらに向かって、ロイはひょいっと肩をすくめる。


「以前にバルドの食材を持ち帰ったときも、ヴァルカスはしばらくあんな感じだったもんな。お前もいきなり手を握られて、悲鳴をあげてたじゃねえか」


「よ、余計な言葉はつつしんでください! おかしな誤解をされてしまうではないですか!」


 そうして今度は、シリィ=ロウが顔を赤らめることになった。

 その間に、ボズルとタートゥマイも挨拶をしてくれる。ひさびさの再会に、ボズルとマイムはにこやかに笑い合っていた。


「いや、今回の食材はいずれも興味深かったですな。これではヴァルカスならずとも、腕が疼くところでありましょう。しばらくは、新たな食材の吟味にかかりきりになってしまいそうですな」


「そうですね! わたしもずっと、胸が弾んでしまっています! ……父さんには、新しい食材に手をつけるのは10年早いって叱られてしまいそうですけれど」


 そんな両名の姿を静かに見守っていたシーラ=ルウが、ふっとシリィ=ロウを振り返る。


「シリィ=ロウたちは、如何でありましたか?」


「え? な、何がでしょう?」


「やはり、期待に胸を弾ませているのでしょうか? わたしも大きな喜びを得ると同時に、あれだけの食材を使いこなせるのかと、いささか胸が重くなってしまっているのですが……」


 それは、意外な心情の吐露であった。

 シリィ=ロウは眉を吊り上げて、シーラ=ルウにぐっと詰め寄る。


「べつだん、すべての食材を均等に使う必要はありません。不要であれば、ひとつだって使う必要はないのです。でも、新たな食材を使えば新たな味を生み出すことが可能になるのですから、期待や喜びの気持ちだけを重んじて、自分の仕事に励めばいいのではないでしょうか?」


 シリィ=ロウの剣幕にちょっと驚いた様子で目を見開いてから、シーラ=ルウは静かに微笑んだ。


「そうですね。シリィ=ロウの仰る通りです。……気弱な姿をさらしてしまって、申し訳ありません」


「あ、いえ、べつだん謝罪していただくような話では……」


「シリィ=ロウは、お強いのですね。それでいて、そんなにお優しいのですから、尊敬いたします」


「な、なんですか? あなたまでおかしなことを仰るのはおやめください!」


 シリィ=ロウは、また顔を赤くして身を引いてしまう。彼女は彼女なりに、シーラ=ルウを励まそうとしてくれたのだろう。シリィ=ロウが初めて森辺を訪れたとき、親切にエスコート役を買って出たのは、このシーラ=ルウであったのだった。


 そうこうしている間に試食会の準備も整ってきたようであるので、俺たちは急いで移動する。まだダイアとティマロに挨拶を済ましていないのだ。

 幸いなことに、両者は同じ場所に控えていた。というか、ティマロが熱っぽくダイアに語りかけていたのだ。俺たちが近づいていくと、ダイアは「あら」と目を細めて微笑んだ。


「おひさしぶりでございますねえ、森辺の皆様方。本日は、お疲れ様でございました」


 復活祭の期間にはダイアの料理を食する幸運に恵まれたが、本人と顔をあわせるのはけっこうひさびさのことである。白いもののまじった褐色の髪を頭の天辺でまとめた、とても柔和な風貌の女性だ。まだ老女と呼ばれるような年齢ではないのであろうが、そのゆったりとした気品と風格にも変わるところはないようであった。


「おひさしぶりです、ダイア。それに、ティマロも。お元気そうで、何よりです」


「ええ、そちらもご壮健なようで、何よりですな」


 ティマロは、取りつくろったような笑顔でそう言った。明らかに、迷惑そうな態度である。どうやら俺たちは、お邪魔虫であるようだ。

 すると、ダイアが「あら」と小首を傾げた。


「ティマロも森辺の方々とお知り合いであったのでしょうか? それは存じませんでした」


「ああ、はい。何度かおたがいの料理を口にしておりまして……こういった食材の検分の場でも、顔をあわせる機会が多々ありましたな」


「そうだったのですね。それは得難きことでございます」


「はあ、まあ、西方神の思し召しでありましょうかな」


 ダイアに対しては愛想よく答えつつ、俺たちのほうにちらちらと棘のある視線を突きつけてくる。そこまで俺たちの存在が邪魔なのであろうか。


「おふたりは親しい間柄であられたのですね。少し、意外なように思います」


 レイナ=ルウがそのように声をあげると、ダイアはやわらかい表情のまま小首を傾げた。


「ティマロとお会いできたのは、1年以上ぶりかと思いますが……わたくしたちが親しく口をきくのは、意外なのでございましょうか?」


「はい。ティマロはヴァルカスに対して厳しい態度を取っておられるので、ダイアに対してもそうなのかと、勝手に想像してしまっていました」


「どうしてわたしが!」と、ティマロは飛び上がってしまった。


「わ、わたしがヴァルカス殿に厳しい顔を見せるのは、あの御方が礼を失しているからに他なりません! このように情理をわきまえたダイア殿に、そのような態度を取る理由はありませんでしょう!」


「そうでしたか。以前に王都の監査官に料理をお出ししたとき、ティマロはダイアに対して強い対抗心を抱いているように見受けられたので、わたしもそのような勘違いをしてしまったのです」


 レイナ=ルウは、なんだか彼女には似つかわしくないぐらい、ずけずけと言葉を重ねていった。

 ティマロはもう、気の毒なぐらいにオロオロとして、ダイアとレイナ=ルウの姿を見比べている。


「ご、誤解ですぞ、ダイア殿! それはダイア殿はジェノスを代表する料理人であられるのですから、わたしも競争心というものを抱かされております。だからといって、けっして敵対心などというものは持ち合わせておりません!」


「はい。ティマロからそのような悪心を感じたことは、1度としてないように思いますねえ」


 ダイアはあくまでも、ゆったりと微笑んでいる。

 するとレイナ=ルウも、ふいに朗らかに微笑んだ。


「ティマロこそ、情理をわきまえた御方ですものね。アスタが王都の監査官に非道な仕打ちをされたとき、我がことのように憤慨してくださったのだと聞いています」


「おや、アスタ様が、そのような仕打ちを?」


「はい。アスタの料理を床に投げ出して、犬に食べさせてしまったそうです」


「まあ……それはさぞかし、悲しい心地であったでしょうねえ」


 ダイアが、慈母のような眼差しを俺に向けてくる。

 いまひとつこの展開についていけていなかった俺は、「はあ」と間抜けにうなずき返すことになった。


「ですが、その犬も今ではファの家の大事な家人ですし……監査官とも和解することができたので、どうということもありません」


「左様でございますか。それは何よりでございました」


 ダイアはやわらかく微笑みながら、ティマロのほうを振り返った。


「ですが、それを我がことのように憤慨されるとは、とてもお優しいことですね。あなたのそういうお優しい気性が、きっと料理にも表れているのでしょう」


「あ? いや、ええ、はい……せ、せっかくの料理を獣に食べさせてしまうなど、料理人にとっては耐え難い屈辱でありますからな」


 と、ティマロが目を白黒とさせたところで、プラティカの声が響きわたった。


「試食、準備、完了いたしました。こちら、お集まりください」


 20名からの料理人たちと一緒になって、俺たちもプラティカの陣取った作業台へと近づいていく。

 その道行きで、俺はレイナ=ルウに尋ねておくことにした。


「ねえ、レイナ=ルウ。今の一幕は、いったい何だったんだろう?」


「……申し訳ありません。ティマロの態度に不本意なものを感じてしまったので、ついつい余計な口を叩いてしまいました」


 と、レイナ=ルウは、悪戯を発見された幼子のように小さく舌を出した。やんちゃな妹たちとそっくりの、実に可愛らしい仕草である。


「どうやらわたしは、ティマロとひさびさに再会できることも、ずいぶん心待ちにしていたようです。それなのに、じゃけんな扱いをされてしまったので、物寂しく感じたのでしょう。……でも、ティマロがあまりに慌てていたので、こちらも慌てて場をとりなすことになってしまいました」


「そうだったのか。レイナ=ルウがそんな風に振る舞うのは、ずいぶん珍しく感じられてしまうね」


「はい。もっと立場に相応しい振る舞いを身につけなければなりませんね。ジザ兄に見られていたら、叱られていたと思います」


 そう言って、レイナ=ルウは気恥ずかしそうに微笑んだ。

 要するに、レイナ=ルウも数々の新たな食材を目前に迎えて、気が昂っていたということなのであろうか。ティマロには気の毒であったが、ずいぶん意外で魅力的な一面を見せつけられたような心地であった。


 そんなわけで、待望の試食会である。

 俺たちは、気持ちも新たにその幸福な時間を迎えることになった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] >要するに、しょっつるとかナンプラーみたいなものなのかな。 アスタは155部分でマルの塩漬けを見た時に「魚醤か何かを使っているのですか?」と言っていたので、魚醤についてはもっと詳しく…
[良い点] 色々見返して今後に思いを馳せておりますw 山椒、担々麺、汁無し担々麺にもいいなぁ。 それと魚醤! タイ料理的なやつにも使われているし、チャーハンとかめっちゃ合いますよね!パスタに使ったり…
[気になる点] この世界に魚醤の醤にあたる意味の言葉があるとは思いませんでした。
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