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異世界料理道  作者: EDA
第五十二章 ゲルドの再来
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新たな食材①~ゲルドの恵み~

2020.6/13 更新分 1/1

 ラヴィッツの集落で行われた合同収穫祭の、翌々日――俺たちは屋台の商売を終えた後、城下町へと向かうことになった。

 昨日の中天を過ぎた頃、予定通りにゲルドの使節団の本隊が到着したのだ。それで新たな食材を吟味するために、俺たちも城下町に招待される栄誉を授かったのだった。


 よってプラティカは、昨日の内に城下町に戻っていた。まずは彼女が新たな食材で、見本の料理を作る手はずとなっているのである。プラティカがジェノスにやってきてから5日目にして、ついにその実力を垣間見ることがかなう俺たちは、否応なく期待をふくらませていた。


 ただ1点、ささやかながらも懸念事項が存在する。

 昨日の昼下がり、プラティカを迎えに来たジェノス侯爵家の使者の男性が、こっそり耳打ちしてきたのである。


「こちらは森辺の民との調停役であるメルフリード殿および補佐官のポルアース殿からの、連名の言伝てとなります。族長筋たるルウ家の方々にも、お伝え願えるでしょうか?」


 いったい何事かと思ったが、話はそれほど複雑ではなかった。

 要約すれば、ゲルドからはこちらの見込みよりも遥かに膨大な量の食材が届けられたのだそうだ。


 もともと今回は、「見本の食材が届けられる」という手はずになっていた。どの食材をどれだけ買いつけるか、まずは吟味が必要であるのだから、それが当然の話であろう。確かな分量が定められていたのは、すでにジェノスでもお馴染みであるシャスカのみであったのだ。

 然して、ゲルドの使節団は莫大な量の食材を運び込んできてしまった。

 その量、なんと荷車30台分であるとのことである。それは、ジェノスが取り引きしている東の商団の中でももっとも大規模な《黒の風切り羽》と比べても、倍の分量にあたるのだった。


「不要であれば持ち帰るので、必要な分だけを買いつけていただきたいと、アルヴァッハ殿はそのように仰っているのですが……それでは、ゲルドの方々の面目を潰すことになってしまいましょう? 我々は、どうにかしてそれらの食材を腐らせることなく、ジェノスで売りさばかなくてはならないのです」


 だからなんとか、その食材を有効に活用できるように力を尽くしてほしい――メルフリードたちから届けられたのは、そんな懇願のお言葉であった。


「まったくゲルドのお人らは、いちいちやることが豪快だよなあ。きっと悪気はないんだろうけどさ」


 当日、城下町に向かう荷車の中で俺がそのように評すると、手綱を操っていたアイ=ファが「そうだな」と応じてきた。


「しかし、たとえ食材を持ち帰らせることになろうとも、アルヴァッハたちが憤ることはあるまい。あやつらは、そうまで不義理な人間ではないはずだ」


「うん、俺もそう思うよ。だけど、怒ることはなくても残念がるだろうな。アルヴァッハなんかは、きっと俺たちが喜ぶと思って、それだけの食材を準備させたんだろうからさ」


「うむ。相手を喜ばせたいという気持ちを打ち砕かれれば、さぞかし無念であろうな」


「それじゃあアルヴァッハたちを残念がらせないように、俺たちも力を尽くさないとな」


 城下町の人々の懸念も余所に、俺はまったく心配していなかった。あれだけの美食家であるアルヴァッハが自信を持って選び抜いた食材であるならば、それはきっと素晴らしいものであろうと信ずることができたのだ。

 それに城下町には、ヴァルカスを筆頭とする料理人たちが控えている。俺たちに使い道を見いだせない食材があろうとも、ヴァルカスであれば見事に使いこなせるに違いなかった。


「アスタたちがゲルドの貴人らと顔をあわせるのは、3日ぶりとなるのでしょうか?」


 と、同じ荷車で揺られていたガズラン=ルティムが、そのように問うてきた。本日は数多くの貴族たちと顔をあわせる予定であったので、ガズラン=ルティムが護衛役に任命されたのである。そんなドンダ=ルウの采配をありがたく思いながら、俺は「そうですね」と答えてみせた。


「昨日や今日なんかはジェノス城の使いの方々が料理を買いに出向いてきたので、アルヴァッハたちと会うのは3日ぶりです。ガズラン=ルティムは、まだ顔をあわせていないのですよね?」


「はい。私はプラティカなる者ともまだ面識がないので、そちらも興味深く思っています」


 聞くところによると、俺たちが合同収穫祭に招かれた日、アルヴァッハとナナクエムはルウ家に挨拶に出向いてきたのだそうだ。もちろんメルフリードやポルアースや警護の武官たちをどっさり引き連れてのことである。その際に、またアルヴァッハたちがファの家を訪れることを許していただきたいという話も告げられたのだと聞いていた。


「それに、アルヴァッハたちがゲルドに戻る際には、また城下町で森辺のかまど番に料理を作ってもらいたいと願われたそうですね」


「はい。できればそのときには、ゲルドから届けられた新たな食材で料理を披露したいところです」


 やがて荷車は、城門に到着した。

 俺たちは、順番に荷台を降りていく。本日同行するかまど番は、レイナ=ルウ、シーラ=ルウ、マイム、トゥール=ディンの4名であった。本日は料理を作る立場でもないし、ヴァルカスたちに挨拶をできる貴重な機会ということで、みんなそれなりにリラックスした表情だ。


「お待ちしておりました、森辺の皆様方。あちらの車にお乗り換えください」


 穏やかな面持ちをした初老の武官が、アイ=ファからギルルの手綱を受け取って、立派なトトス車のほうを指し示す。

 そちらに近づいていくと、トトス車の御者が慌てふためいた様子で地面に降り立った。


「ど、どうぞ。貴賓館までお送りいたします」


 大柄で、肉厚の体格をした武官である。ひさしのついた兜を深々とかぶって、ぱっと見には人相もわからなかったのだが――その長身を見上げたアイ=ファは、「ほう」と目を丸くした。


「誰かと思えば、あなたであったか。今日はあなたが、トトスの手綱を握るのか?」


「は、はい。しばらくは、こちらの任務を負うこととなりました」


 兜のひさしの陰で、純朴そうな顔が気弱げに笑っている。俺は一瞬考え込んでから、「あっ!」と声をあげることになった。


「あなたは、ガーデルであったのですね。ご挨拶が遅れてしまって、申し訳ありません」


「と、とんでもありません。客人が御者に挨拶をする理由などありませんので……」


 よく見れば、兜の脇からぐりぐりとした褐色の巻き毛がこぼれている。これだけ立派な体格をしていながら、いつも頼りなげに目を泳がせている、それは護民兵団の兵士ガーデルに他ならなかった。


「最後にお会いしたのは、復活祭の折でしたよね。あれから傷が悪化して、しばらく寝込むことになってしまったのだと、デヴィアスからうかがっていました。身体のほうは、もう大丈夫なのですか?」


「は、はい。おかげさまで、もうすっかり……ご、ご心配をかけてしまい、こちらこそ申し訳ありません」


 すると、ガズラン=ルティムも静かにガーデルに微笑みかけた。自らの足で城下町を検分した際、ガズラン=ルティムもガーデルと出会っていたのだ。


「おひさしぶりです、ガーデル。私はルティムの家長で、ガズラン=ルティムと申します。アスタたちから容態を聞いていたので、私も心配しておりました」


「い、いえ、俺なんかの……あ、いや、小官なんかのことは、どうぞお気になさらないでください。ご覧の通り、すっかり回復しましたので……」


「ですが、あなたはもともとトゥランを中心とする領地を守る役目であったのでしょう? 傷が癒えていないからこそ、トトスの運転を任されたのではないのですか?」


 ガズラン=ルティムがゆったりとした口調で言葉を重ねると、ガーデルはいっそう恐縮した様子で鳶色の目を伏せてしまった。


「は、はい……実のところ、まだ剣を振るうことはかないませんので……で、ですが、他の武官も同行いたしますので、みなさんに危険はありません」


「そうですか。あなたの傷が1日も早く癒えるように、森と西方神に祈ります」


 すると、ギルルの手綱を預かった武官がけげんそうに歩み寄ってきた。


「どうかされましたでしょうか? よろしければ、出発したいのですが」


「申し訳ありません。こちらの御方と面識がありましたので、挨拶をさせていただきました」


 ガズラン=ルティムの返答に、初老の武官は「ああ」と口をほころばせた。


「そういえば、ガーデルは森辺の方々ともゆかりのある立場でありましたな。ガーデルの傷が癒えるまではと、デヴィアス殿から身柄をお預かりしたのです」


「そうでしたか。我々が健やかな心持ちで日々を過ごせるのも、ガーデルのおかげと感謝しています」


 そんな言葉が交わされている間も、ガーデルは困ったように目を伏せていた。

 トトス車に乗り込む前に、俺はガーデルへと笑いかけておくことにする。


「ガーデルには、俺も心から感謝しています。また機会があったら、ぜひ宿場町までお越しくださいね」


 ガーデルはちらりと俺のほうを見やると、弱々しいながらも微笑んでくれた。

 それでようやくトトス車に乗り込んで、城下町に出発である。俺の隣に座したアイ=ファは、しみじみとした様子で息をついていた。


「あやつは、相変わらずのようだな。というか、宿場町に出向いてきた際のほうが、もう少しは覇気があったように思うぞ」


「あのときは復活祭だったから、気分が昂揚していたんじゃないか? ……それにしても、これだけの時間が過ぎても傷が癒えないなんて、よほどの深手だったんだな」


 ガーデルが大罪人シルエルを討ち取ったのは、灰の月の下旬である。それからもう、4ヶ月以上は経過しているはずであった。


「あやつは、左肩の骨を粉々に砕かれたという話だったからな。2度と刀を取れなくとも不思議はないほどの深手であったのだろう。そうしてあやつが生命を賭してくれたからこそ、我々は平穏な日々を送ることができているのだ」


 アイ=ファの厳粛なる言葉に、ガズラン=ルティムも「そうですね」と同意した。その瞳には、何やら思案深げな光がたたえられている。


「これは私の勝手な印象にすぎませんが……ガーデルは兵士などではなく、もっと穏やかな生に身を置くべきなのではないでしょうか。あの者は、ずいぶん心が不安定であるように感じられます」


「うむ。その身に宿された力とは関係なく、荒事に向いた気性ではないのであろうな。しかし、どのように生きるかを選ぶのは、本人であろう」


「そうですね。彼が心安らかに生きていけるように、私も願いたく思います」


 どうやらガズラン=ルティムは、ガーデルの行く末を深く案じているようだった。

 まあ確かに、ガーデルはあれほどに繊細な気性をしているのだ。俺やアイ=ファなどはもう4回ぐらいは顔をあわせているはずであるのに、なかなか気安い関係は築くことができずにいた。


(でも、こんな日にガーデルと再会できたのは、なんだか西方神の思し召しみたいに感じられちゃうな)


 アルヴァッハたちがジェノスを訪れてきたのも、もとを質せばシルエルが原因であるのだ。シルエルがゲルドの大罪人たちを引き連れて、トゥランや森辺を襲ったりしなければ、アルヴァッハたちが詫びの言葉を届ける必要も生じなかったのである。


(俺たちにとっては、シルエルの襲撃さえもが、新たな出会いや嬉しい運命をもたらしてくれた。ガーデルにとっても、そうなればいいんだけど……こればかりは、西方神に祈るしかないか)


 俺がそんな感慨を噛みしめている間に、トトス車は貴賓館に到着した。

 もとはトゥラン伯爵家の私邸であった、黄色い屋根の立派な建物である。城下町を訪れる機会が増えても、この場所に足を踏み入れるのはずいぶんひさびさであるように感じられた。


 屋敷の前庭で車を降り、最後にまたガーデルと挨拶を交わしてから、玄関口に案内をされる。男女で順番に身を清めたら、いざ厨へと出発だ。


「では、私が扉の外に待機いたします」


 ガズラン=ルティムがそのように宣言すると、アイ=ファはなんとも言えない面持ちでそちらを振り返った。


「しかし今日は貴族を相手にするために、ガズラン=ルティムが選ばれたのであろう? であれば……今日ばかりは、私が扉の外に居残るべきであろうか……?」


「いえ。食材の検分というものを果たしている間は、貴族と言葉を交わすいとまもないことでしょう。どうぞこの場は私におまかせください」


「承知した」と、アイ=ファは真剣な面持ちで目礼をする。

 しかるのちに、俺が横目でにらみつけられることになった。


「……お前は何をそのように、笑いをこらえているような顔をしているのだ?」


「え? いや、まあ、うん、こんな場所で口にする内容ではないかな」


 俺はただ、アイ=ファはとことん俺のそばにいる役目を余人に譲りたくないのだなあと、そんなひそやかな喜びを噛みしめていただけのことであった。

 察しのいいアイ=ファはわずかに顔を赤くしながら、俺の足を蹴ってくる。その間に、案内役の小姓が厨の扉を開けてくれた。


「失礼いたします。森辺の皆様方がご到着いたしました」


 厨では、すでに大勢の料理人たちが待ち受けていた。

 さらにその奥では、数多くの貴族たちも待ち受けている。その中から、ポルアースが「やあやあ」と明るい声を投げかけてきた。


「今日はどうもご足労であったね。到着をお待ちしていたよ」


 俺たちはめいめい頭を下げながら、右端のスペースに案内をされた。

 正面の壁際に、貴き人々がずらりと立ち並んでいる。マルスタインにメルフリード、ポルアースとその上司である外務官、アルヴァッハにナナクエム、フェルメスとジェムド――それに予想外であったのは、リフレイアとトルストまで顔をそろえていたことであった。


「食材の買いつけに関して責任を果たしているのは、ジェノス侯爵家とトゥラン伯爵家になるからね。それで、トルスト殿とリフレイア姫にもご足労を願ったわけさ」


 俺の表情の変化に気づいたのか、ポルアースが笑顔でそのように説明してくれた。

 まあ、言われてみればもっともな話である。ゲルドの食材が売れ残ってしまったら、損をかぶるのはその両家であるのだ。リフレイアなどは普段通りのすまし顔であったが、トルストのほうはなかなか張り詰めた表情になってしまっていた。


 そして、それに相対する料理人たちのほうも、豪華な顔ぶれだ。

 ヴァルカスに4名の弟子たちと、ヤンとニコラ、ティマロ――合計で、20名ぐらいはいるだろう。さらに俺はその中に、穏やかな表情で微笑むダイアの姿も発見していた。

 これまでに、こういった場でダイアの姿を見かけた覚えはない。ジェノス侯爵家も、ゲルドとの交易にはよほどの重きを置いているのであろう。安穏とした気分であった俺も、いささか気持ちが引き締まっていくのを感じた。


「それではさっそく、ゲルドから届けられた食材のご説明をお願いしようかな」


 ポルアースの言葉に、プラティカが「はい」と進み出た。

 森辺で過ごしていたときとは、格好が異なっている。ノースリーブの胴着にゆったりとした脚衣という様式は同一であるのだが、すべてが深い藍色に染めあげられた、無地の装束であったのだ。これが、ゲルドの調理着であるのだろう。


 装飾品の類いもすべて外しており、金褐色の長い髪はすべて藍色のターバンの中に収められている。その姿は、きわめて凛々しく感じられた。


「まず、食材、ありのままの姿、お目にかけます。その後、簡単な料理、召し上がっていただく、よろしいですね?」


「うん。どうぞよろしくお願いするよ」


「承知しました。……まず、こちらからです」


 プラティカは、作業台のひとつに歩み寄った。食材はそちらに準備されており、上から布が掛けられていたのだ。

 プラティカが布を剥ぐと、その下に隠されていたのは草で編んだ籠と、いくつかの銀色のクロッシュであった。草籠には、複数の野菜がどっさりと積まれている。


「野菜、3種、果実、1種です。いずれも、ゲルドの食材です」


 貴族たちも料理人たちも、食い入るように草籠の中身を見やっていた。もちろん俺や森辺のかまど番も、それは同様だ。確かにそれらは、いずれもジェノスでお目にかかったことのない見てくれをしていた。


「ふむ……そちらの細長い野菜は、ユラルと似ているように見えますな」


 そのように発言したのは、誰あろうティマロであった。のっぺりとしたお顔と、痩せているのにぽこんとお腹の出た体型が印象的な、壮年の料理人だ。俺たちにとっては、それなりに心安い相手である。

 そんなティマロの言葉を受けて、プラティカはその指摘された野菜を取り上げた。


「はい。こちら、ユラル・パです。その名、ユラルならぬもの、意味です。ユラル、香草であり、ユラル・パ、野菜です。また、ユラル、ジギの香草であり、ユラル・パ、ゲルドの野菜です。ゲルドの民、もともと南方、暮らしており、先にユラル、知ったため、そのように名づけられた、思われます」


 ゲルドの民は古きの時代、ラオの民を不毛の地に追いやって、肥沃な領地を占領したという話であったのだ。それが『白き賢人ミーシャ』の活躍によって、今度は自分たちが北方の寒冷地に追いやられることになった――というのが、俺たちの知る伝承の内容であった。


 それはともかくとして、ユラルであれば俺も記憶に留めている。今のところは活用できていないのだが、長ネギのような形状をしており、ミントのような香りを持つ香草だ。確かにユラル・パというのも、長ネギによく似た形状をしていた。


「野菜、すべて、保存のため、干し固めています。ひと晩、水に漬け、戻した、こちらになります」


 解説をしながら、プラティカはかたわらのクロッシュを開けた。そこには大きな陶磁の皿が置かれており、ミリ単位で輪切りにされたユラル・パがどっさりと準備されていた。


「ユラル・パ、生食、可能です。味、お確かめください」


 小姓がすうっと進み出て、まずは陶磁の皿を貴族のもとへと運搬した。


「ユラル・パ、味わい、鮮烈です。味見、ひと切れ、十分かと思われます」


 プラティカの忠告に従って、貴族たちはユラル・パの輪切りをつまんでいった。

 その皿が料理人たちのもとにまで届けられる前に、ポルアースが「ほうほう」と声をあげる。


「これはなかなかに、鮮烈な味わいだね! 野菜ではなく香草だと言われても、納得できそうな味わいだ!」


「いわゆる香味野菜というものでしょうか。生のアリアと同じぐらい、鮮烈な味であるようです」


 可憐に微笑みながら応じたのは、フェルメスだ。ポルアースは「なるほどなるほど」と大きくうなずいている。

 その間も小姓はせわしなく厨を行き来して、すべての料理人にユラル・パを届けた。右端のスペースに陣取っていた俺たちは、最後にそれをつまみあげる。


 こうして輪切りにされても、やはり長ネギのごとき形状だ。

 それを口に放り入れると、実に鮮烈な香気と辛みが鼻に抜けていった。

 俺の陰では、トゥール=ディンがこっそり「あうう」と可愛らしい声をあげている。まだ幼子と少女の狭間にあるトゥール=ディンは、とても鋭敏な舌をしているのだ。


「大丈夫かい? これはちょっと、生だと刺激が強いみたいだね」


「は、はい……でもきっと、料理で使えば問題はないのだと思います。生のアリアでも、さらだで使う分には美味しいと思えますので……」


「そうですね」と、こちらは笑顔のマイムが賛同の声をあげる。


「この清涼な香気は、味の強い料理と調和するように思います。色々と試してみたいところですね」


 俺もマイムに同感であった。

 というか、これは風味や味わいも、それほど長ネギから遠くないように感じられる。ならば、使い道などいくらでも考案できそうなところであった。


 他の料理人たちも、顔を見合わせながら小声で意見交換をしている。ヴァルカスはひとりぼんやりと立ち尽くし、ロイはシリィ=ロウと、ボズルはタートゥマイと、それぞれ熱心に囁き合っているようであった。


「ユラル・パ、熱を通すと、味と食感、変質します。のちほど、簡単な料理、お目にかけます」


 紫色の瞳を鋭く輝かせながら、プラティカはそう言った。


「次、ペレです。こちらも、生食、可能ですので、味見、お願いいたします」


 ペレとは、ずんぐりとした緑色の野菜であった。成人男性の上腕ぐらいの太さと長さがあり、干し固めるとしわしわであるが、水で戻すと茹で卵のようにつるんとした質感になる。そんななめらかな表皮ごといちょう切りにされており、内部はわずかに黄色みがかった白色だ。


 こちらは非常に水気が豊かであり、若干の青臭さがあるぐらいで、実に罪のない味わいであった。

 この瑞々しさは、キュウリを連想させる。これもまた、使い勝手のよさそうな野菜であった。


「最後の野菜、ファーナです。こちら、生食、適していません。のちほど、料理、お目にかけます」


 最後のファーナは、青菜であった。見た目はホウレンソウのごときナナールに似ているが、根もとや茎がしっかりとしており、むしろ小松菜に近いように感じられた。


「そして、果実、ワッチです。こちら、硬い殻、割らなければ、半年、腐りません」


 プラティカの言葉に、ティマロが「ほほう?」と反応した。


「ですが、ゲルドとはきわめて寒冷なる地であるのでしょう? この温暖なるジェノスにおいても、問題はないのでしょうかな?」


「はい。ラオリム、ジギ、ドゥラにおいて、立証されています。ワッチ、そちらでも、多く買いつけられているのです」


 ドゥラとは、シムの最東端である、海辺の領地だと聞いている。ゲルドはドゥラの海の民とも、頻繁に交易をしているのだそうだ。


 で、ゲルドの果実、ワッチであるが――それは艶々と照り輝く、真っ黒の殻に覆われていた。なおかつ卵のような形状と大きさをしているために、まるでピータンのようである。


「殻、割り方、お目にかけます」


 プラティカはワッチのひとつをまな板の上に置き、さらに上から別のまな板をかぶせて、それを手の腹で殴打した。

 陶磁の皿でも割れたような、硬質の音色が響きわたる。プラティカが上のまな板を取り除くと、黒い殻にはびっしりと亀裂が生じていた。


「割れれば、手で取り除く、容易です。殻、除去したもの、こちらです」


 新たなクロッシュの下には、深皿にワッチの実が盛り付けられていた。

 小姓たちは人数分の木匙を手に、人々の間を巡り始める。貴族においても料理人においても、その味見をして嫌な顔をする人間はひとりとして存在しなかった。


「これは、美味な果実だね! このままでも十分に美味しいけれど、いい菓子の材料にもなりそうだ!」


 ポルアースがそのように評すると、プラティカは「はい」とうなずいた。


「ゲルドにおいて、ワッチの菓子、好まれています。のちほど、お目にかけます」


「うんうん。これはオディフィア姫も、喜びそうだ」


 ポルアースに視線を向けられて、トゥール=ディンはおずおずと微笑んだ。そしてその顔は、未知なる果実への期待感に、ほんのり赤らんでいる。

 すべての料理人に配布されたのち、ついに俺たちのもとにもワッチがやってきた。

 外見は、なかなか鮮烈な朱色である。光沢のある丸い果肉であるために、まるでイクラか何かのようだ。

 しかし、その味わいは――明らかに、柑橘系のそれであった。俺の知る夏みかんにも負けないぐらい甘みが豊かで、このままでも美味しくいただくことが容易である。


「ワッチ、披露したので、酒類、紹介します。ワッチ酒、および、ギャマの乳酒です」


 それは、おちょこのような器に土瓶から注がれることになった。

 酒を飲めないかまど番――俺とマイムとトゥール=ディンの3名は、なめるていどの量を所望する。ワッチ酒は果肉から想像される通りの甘さであったが、乳酒のほうはトゥール=ディンが涙を浮かべるぐらい酸味が強く、おまけに香草の香りが強烈に過ぎた。


「ギャマの乳酒に、香草を使っているのですね。やはり山育ちのギャマは乳も風味が強すぎるため、香草で緩和しているのでしょうか?」


 そのように問うたのは、ヴァルカスの弟子であるタートゥマイであった。東の血を引く、老練の料理人である。

 プラティカは、臆する様子もなく「はい」とうなずいた。


「ゲルドにおいて、香草、使わない作法、存在しますが、乳の強い風味、苦手にする人間、少なくありません。ジェノスの方々、同様であろうと思い、香草を使った乳酒、選ばれた、聞いています」


「なるほど。ギャマの腸詰肉の味わいも気になるところです」


「では、腸詰肉、および乾酪、披露いたします」


 新たなクロッシュがオープンされた。

 そこに山積みにされたのは、薄い輪切りにされた腸詰肉と、小さな角切りにされた乾酪だ。


「腸詰肉、水で戻したもの、茹でています。素の味、お確かめください」


 基本的に、俺たちがギバならぬ肉類を買いつけることはないだろう。

 しかし最近では海産物を料理に取り入れつつあるし、ゲルドの腸詰肉の出来栄えも気になるところである。俺たちも、喜んで味見をさせていただいた。


「これは……ずいぶん美味であるように感じられます」


 レイナ=ルウが、小声でそのように告げてきた。

 確かにこれは、美味なる味わいだ。山育ちのギャマは臭みが物凄いと聞かされていたのだが、それを緩和するために、さまざまな香辛料が練り込まれていたのだった。


 ピコの葉に似たペッパー系の辛みの他に、未知だがどこか懐かしく感じられるような風味も伝わってくる。それらの香草が、ギャマの臭みを隠すと同時に、肉の味を際立たせているのだろう。確かにこれは、森辺の民が好みそうな力強い味わいであった。


「腸詰肉に香草を練り込むと、このような味わいが得られるのですね。ギバの腸詰肉でも、この作法は有用なのではないでしょうか?」


「うん。試してみる価値はありそうだね」


 そして、ギャマの乾酪である。

 こちらには特に細工もされていないようだが――ただはっきりと、香りが強烈だ。俺たちが知る草原のギャマの乾酪もカマンベールチーズのように濃厚でまろやかな香気を有していたが、それよりも遥かに刺激的な香りであろう。獣臭さと酸味の入り混じった、ちょっと表現に困るような香りであった。


 俺たちよりも先に試食を済ませた料理人たちも、ざわざわとどよめいていしまっている。ゲルドの貴人たちの手前、否定的なコメントは差し控えているようであったが、明らかに困惑や嫌悪の表情だ。


「ふむ。これはいささか……風味の強い乾酪であるようだね?」


 料理人たちの心情を代弁しようと考えたのか、ポルアースがひかえめなコメントを口にした。

 凛然とした無表情のまま、プラティカは「はい」とうなずく。


「ゲルドにおいて、ギャマの乾酪、香草にまぶし、食します。ただいま、素の味、知っていただくため、あえて香草、準備しませんでした」


「ああ、なるほど。この乾酪がどのような味に仕上げられるのか、試食の料理が待ち遠しいところだね」


 ポルアースは、ほっとしたように息をついた。

 ようやくこちらにも試食の皿が回されてきたので、十分に用心をしながら口にしてみると――香りから想像される通りの味が、口に広がる。草原産のものよりも酸味が強く、そして、どこか動物園を連想させられるような独特の臭気であった。


「これは確かに、香草を欲したくなるような味であるようですね」


 森辺においても指折りで穏やかであり、最近では慈母のような包容力を体得したシーラ=ルウをして、その言いようであった。トゥール=ディンなどは、可哀想になるぐらいの涙目である。


「でも、この風味は確かに腸詰肉にも感じました。香草とあわせることにより、この風味も好ましいものに変ずるということなのでしょう」


「そうですね。俺もプラティカの試食品がいっそう楽しみになってきました」


 そうして俺たちが囁き合っている間に、プラティカが「では」と声をあげた。


「次、ゲルドの香草、披露します。その後、ドゥラの食材、および、マヒュドラの食材、披露します」


 どうやら新たな食材のお披露目は、まだ折り返し地点にも至っていないようであった。

 この後にはどのような食材が控えているのか、期待は高まるばかりである。俺のすぐそばにたたずむ森辺のかまど番たちも、城下町の料理人たちも、思いはひとつであるようであった。

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