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異世界料理道  作者: EDA
第五十二章 ゲルドの再来
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合同収穫祭②~力比べ・前半戦~

2020.6/9 更新分 1/1

 それから数刻の時間が過ぎ――中天も越えて、下りの一の刻である。

 騒擾の極みであったかまど仕事もそこでいったんひと区切りとなり、広場ではいよいよ狩人の力比べが行われることになった。


 その頃には、本日の見届け役である人々も顔をそろえている。

 本日招待されたのは、族長筋の三氏族と、ミームの血族であるラッツおよびアウロ、そしてファの家から男女1名ずつに、そしてプラティカという顔ぶれであった。


 ルウ家からはジザ=ルウとレイナ=ルウ、ザザ家からはゲオル=ザザとスフィラ=ザザ、サウティからはダリ=サウティと若い女衆、ラッツとアウロはそれぞれの家長および屋台の仕事を手伝っている女衆という組み合わせだ。


 そして、それを迎える5氏族の人々は――6氏族で行われる俺たちの合同収穫祭よりも、人数では上回っているように感じられた。

 まあ、こちらの6氏族には家人の少ないファとスドラが含まれるので、それが必然であるのだろう。本来、小さき氏族というのは力を失った眷族と合併を繰り返しているので、族長筋の眷族よりも家人が多いぐらいであるのだ。


 ラヴィッツ、ナハム、ヴィン、ミーム、スン――どの氏族も、20名から30名ていどの家人を擁しているのだろう。もっとも家人が少ないのは、多くの家人を別なる氏族へと譲り渡したスン家であるはずだが、それでも20名ぐらいの家人であるのだ。よって、5氏族の総数は優に100名を超えており、これはルウの血族をも上回る人数であった。


「……本日、我々は初めて血族ならぬ氏族との収穫祭を執り行うことになる。言うまでもなく、収穫祭というのは血族で喜びを分かち合う神聖な儀式であったわけだが……先の家長会議において、森辺の民はすべての氏族と絆を深めるべきであると決せられた。このように習わしにそぐわぬ行いに手を染めるのも、その決定に従った結果となる」


 本家の母屋を背景に、デイ=ラヴィッツがぶすっとした顔で開会の挨拶を述べていた。この場に集まった人間の過半数はラヴィッツの血族であるし、会場もラヴィッツの集落であるのだから、まあ相応の人選であろう。人々は、かしこまった面持ちでその言葉を聞いている。


「俺自身は古きからの習わしを重んじる人間であるため、このように習わしを変えてしまうような行いは、はなはだ落ち着かない。しかし、自分の目で見て、自分の肌で感じぬ限り、正しいか間違っているかを判ずるのは難しい、というのが、ここ最近の森辺の方針となる。よって俺は、これが本当に正しい行いであるのかどうか、厳しい目で見届けようと考えている。この場に集まった客人の面々も、それは同じ心情であろう。各々、そのつもりで本日の収穫祭に取り組んでもらいたい」


 ラヴィッツの血族たちがひそとも声をあげないためか、他の氏族の面々もそれにならっていた。

 デイ=ラヴィッツはひとつうなずいて、右手の方向を指し示す。


「では、狩人の力比べを始めようと思う。それもまた、ファの家を始めとする6氏族の収穫祭を参考として、5つの種目を行うこととなったので、それぞれ日々の修練の成果を母なる森と同胞に示してもらいたい」


 やはり無言のまま、人々は右手の方向へと歩を進め始めた。

 俺の隣を歩いていたゲオル=ザザは、「ふふん」と下顎を撫でさすっている。


「ずいぶん静かな収穫祭もあったものだ。どうやらこやつらは、ずいぶん気を張っているようだな」


「ええ。族長筋の面々がこれだけそろっていると、やはり緊張してしまうのでしょうかね」


「本来は、それが当然の話であるからな。せめて力比べでは、情けない姿を見せてほしくないものだ」


 これから行われる力比べに関して、俺はいささか自分の気持ちの置きどころを見定められずにいた。何せこの5氏族の男衆とは縁が薄いため、名前を知っている相手も数えるほどしか存在しないのである。


 というか、俺がきちんと名前を知っているのは、ラヴィッツ本家の家長デイ=ラヴィッツと、ナハム本家の長兄モラ=ナハムの2名のみであった。あとはスン本家およびナハム本家の家長や、さきほど出くわしたラヴィッツ本家の長兄と末弟ぐらいしか、顔を見知った相手すらロクにいないという有り様だ。


「……でも、アイ=ファとしては余所の氏族の力比べを拝見するのは、やっぱり楽しみなものなのかな?」


 俺がこっそり尋ねてみると、アイ=ファは粛然とした面持ちで「そうだな」と答えてくれた。


「森辺の民として正しく生きようと心をあらためたスン家の男衆が、どれだけの力を取り戻すことがかなったか、それは見届けたく思う。それに、ラヴィッツの血族というのは……どうにも、力をはかるのが難しくてな。以前から、多少の興味を覚えていた」


「ふうん? 1年ぐらい前には一緒に森に入っていたのに、それでも力をはかりきれなかったのか?」


「うむ。ラヴィッツの狩人というのは危険を回避することに執心するあまり、獲物を多く取り逃がしていたのでな。あれでは、力をはかることも難しい」


 そういえば、ラヴィッツの狩人に血抜きと解体の手ほどきをする際にも、アイ=ファはずいぶん手こずっていたのだった。

 ただし、ラヴィッツの血族というのは規律を重んじているのであろうから、日々の修練にはたゆみなく取り組んでいたはずだ。そして猟犬を手に入れた現在では、危険を回避しながらも着実に収穫量を上げているはずだった。


「では最初に、的当ての力比べを執り行う」


 森の端に到着すると、そこにはすでに木札の的が吊り下げられていた。

 このあたりの作法は、完全に6氏族の合同収穫祭を踏襲しているのだ。


 5名の狩人が、弓と矢筒を手に進み出る。ちょうど今回は5氏族であったので、それぞれ別なる氏族から1名ずつで開始されるようだ。

 13歳未満の男児が的を揺らして、5歳以上の幼子たちが数を数える。その初々しさや愛くるしさには、こちらの収穫祭と変わるところはなかった。

 そうして最初の狩人らが矢を放ち始めると、またゲオル=ザザが「ほう」と声をあげた。


「どいつも、なかなかの腕ではないか。……まあ、北の集落では弓の使い手が少ないので、そのように思えてしまうのだろうがな」


 俺から見ても、それは6氏族の狩人たちに負けない腕前であるように感じられた。

 そして、静まりかえっていた人の輪に、じわじわと熱気がたちのぼり始める。見物している人々が、じょじょに昂揚し始めたのだ。最初の矢が射ち尽くされて、スンの男衆の勝利が告げられると、本日初めての歓声も響き渡った。


「さすが、森辺の狩人です。弓、扱い、巧みです」


 と、俺のかたわらではプラティカも身を乗り出している。その紫色の瞳には、調理のさまを見届けていたときと同様の強い光がたたえられていた。


「プラティカも、こういう力比べに関心が高いのですか?」


「はい。父親、弓、名手でしたし、私、父から手ほどき、されました。山の民、たしなみです」


 料理番たるプラティカやその父までもが弓を扱っていたとは、さすが狩人の一族である。力比べの見物がプラティカにとっても有意義な時間となれば、幸いであった。


 そうして的当ての力比べは、粛々と進められていく。

 どの氏族が際立っているという印象はなく、力量は拮抗しているように感じられる。そうすると、それを見守る人々の熱気もいっそう高まっていくようだった。


「おお、いいぞ! その調子で、ミームの力を森に示すのだ!」


 ちょっと遠い場所でがなりたてているのは、血気さかんなラッツの若き家長だ。眷族たるミームの狩人の活躍には、やはり血が騒いでしまうのだろう。


 デイ=ラヴィッツやスンの家長やラヴィッツの長兄も、順調に勝ち進んでいる。ただ、モラ=ナハムやラヴィッツの末弟は1回戦で敗退しており、やはり大柄な狩人は弓を扱う機会が少ないのだろうかという思いを深めてくれた。


「アイ=ファの印象では、どんな感じだ?」


 俺がこっそり問うてみると、アイ=ファは鋭い眼差しで「そうだな」とつぶやいた。


「チム=スドラやジョウ=ランほど、卓越した使い手はいないように思うが……しかし、個々の力は優れているように思う。ディンやリッドに比べると、弓を得手とする狩人が多いようだ」


 突出した使い手はいなくとも、平均レベルが高い、ということか。

 そんな中、準決勝戦でデイ=ラヴィッツと長兄の親子対決が繰り広げられることになった。

 歓声の中、勝利をつかみ取ったのは長兄のほうである。

 長兄は、にんまりと笑いながら父親の顔を見上げていた。朝方にサチに向けていたものとはまったく異なる、実に人の悪そうな笑顔だ。


「やはり弓では、もう親父殿に後れを取ることはないようだ。ここまで鍛えてくれたことを感謝しているぞ、親父殿」


「ふん。勝ち誇るのは、勇者の座を勝ち取ってからにすることだな」


 デイ=ラヴィッツはひょっとこのように皺を寄せながら、手近な若衆に弓を押しつけた。

 彼らがどのような親子関係を構築しているのか、今のところは大いなる謎である。


 そうして次の準決勝戦では、スンの家長も敗れてしまった。

 勝利したのは、ミームの若き狩人だ。それほど大柄ではないがすらりとした体格をしており、若い女衆からは黄色い声が巻き起こっていた。


 さらに決勝戦においても、勝利したのはそのミームの男衆である。

 女衆にまじって、ラッツの家長が歓喜の雄叫びをほとばしらせることになった。


「よくやった! 他の者たちも、決して恥じるような腕ではなかったぞ! その調子で、ぞんぶんにミームの力を示すがいい!」


 その勢いに、ゲオル=ザザは苦笑していた。


「相変わらず暑苦しい奴だな、ラッツの家長というのは。俺とてディンやリッドの狩人らが勝利を収めるのは嬉しく思ったが、あそこまで取り乱した覚えはない」


「うむ。やはり親筋の家長ともなれば、喜びもひとしおなのであろうな」


 ジザ=ルウが落ち着いた声で答えると、ゲオル=ザザがそちらを振り返った。


「そういえば、俺たちも次の収穫祭からは、的当てや木登りなどでも力を比べることになったのだ。ルウの血族では、いまだに闘技の力比べしか行っていないのか?」


「うむ。検討はされているが、まだ取り組んではいない。……北の集落が早々に取り組むことになったとは、いささか意外だな」


「なに、俺たちもハヴィラやダナと収穫祭をともにすることになったからな。それで闘技の力比べだけでは、けっきょく北の集落の狩人ばかりが勝ち残ってしまうだろうと考えてのことだ」


「なるほど。家長ドンダにも、その旨は伝えておくこととしよう。これだけの人数でも日が暮れる前に力比べを終えられるなら、的当てや木登りの勝負を行わない理由もなかろうからな」


 次代の族長を担うであろう両名の、きわめて有意義な意見交換である。いつの間にやらゲオル=ザザも、ジザ=ルウと肩を並べるぐらいの貫禄を身につけたように感じられた。


(その頃にはまだダリ=サウティも現役だろうし、森辺の行く末はますます安泰だな)


 俺がそんな風に考えていると、当のダリ=サウティが大らかに笑いかけてきた。


「こうして見ると、血族ならぬ相手と収穫祭をあげられる者たちが羨ましくなってしまうな。まあ、サウティには4つの眷族があるので、決して人数では負けていないのだが……血族ならぬ相手であるからこそ、常よりも発奮するという面もあるのだろう」


「そうですね。やはり、ダイやレェンと収穫祭を行うのは難しそうなのですか?」


「うむ。あやつらはつつしみ深いので、族長筋と収穫祭を行うなどとは恐れ多いという心情であるようだ。それに、休息の期間を合わせられるほど、サウティと家が近いわけでもないのでな」


「それを言うなら、俺たちも一緒だぞ。そうだからこそ、これまでは収穫祭をともにしていなかったのだからな」


 と、ゲオル=ザザがこちらに割り込んでくる。


「だがそれも、ファやフォウの者たちのやり口を真似ればいいだけのことだ。このたびも、北の集落のほうが先に狩り場の恵みが尽きる見通しだが、そのときはハヴィラやダナの仕事を手伝うように決められている。そうすれば、収穫祭の日取りなど好きに合わせられるではないか?」


「だから、その点に関しても、ダイやレェンの者たちは腰が引けてしまっているのだ。普段と異なる狩り場で仕事を果たすというのも、得るものは多いように思うのだがな」


「だったら、そのように命じてしまえばいい。族長の命令であれば、ダイやレェンの連中も逆らえはせんだろう」


 ゲオル=ザザは豪放に笑い、ダリ=サウティは苦笑を浮かべる。このあたりは、族長の資質よりも個々の気性が影響しているのだろう。

 そんな会話を楽しんでいる間に、次なる競技も開始された。

 第2の種目は、荷運びである。ここで圧倒的な力を見せたのは、やはりモラ=ナハムであった。


 どの氏族にもそれなりに大柄な男衆はそろっているが、モラ=ナハムは骨格からして秀でているように感じられる。その外見に違わぬ膂力を発揮して、モラ=ナハムは見事に勇者の座を勝ち取ることになった。


「やったー! ほらほら、モラ兄が勇者だよ! すごいねー!」


 少し離れた場所で騒いでいるのは、ナハムの末妹だ。

 その小さな手にがくがくと肩を揺さぶられながら、マルフィラ=ナハムもとても嬉しそうだった。


 第3の種目は、木登りである。

 ここで力を見せたのは、デイ=ラヴィッツ、ラヴィッツの長兄、そしてスンの家長であった。

 デイ=ラヴィッツとスンの家長は中肉中背であるのに、小柄な長兄に負けないほど身軽であったようだ。的当てでは勇者となったミームの若き狩人も、スンの家長にあえなく敗北していた。


 準決勝戦ではまたもやデイ=ラヴィッツと長兄の親子対決となり、3たびの勝負を繰り返しても決着がつかず、両者とも決勝戦に進出という事態に相成った。

 スンの家長や、ミームやヴィンの男衆も交えて、5名による決勝戦が行われる。

 その結果は――僅差で、ラヴィッツの長兄の勝利であった。


「3度の勝負で、疲れてしまったか? やはり年齢には勝てぬようだな、親父殿」


 長兄がにやにやと笑いながらそのように言いたてると、デイ=ラヴィッツは汗だくの禿頭をぬぐいながら、「やかましい」と言い捨てた。


 というわけで、力比べの前半の部は終了である。

 広場にはあちこちに敷物が敷かれて、心尽くしの軽食が配られることになった。

 男衆は一刻の休憩で、女衆は調理の再開だ。

 族長筋の面々がデイ=ラヴィッツらと歓談しているのを横目に、俺たちは調理の見学をさせていただくことにした。


「いやあ、俺たちの収穫祭に負けない盛り上がりだったな。俺には狩人の力量を見抜く目なんてないけれど、みんなけっこうな力量なんじゃないか?」


「そうだな。少なくとも、フォウの血族やディンやリッドに劣るものではないように思う。……ということは、いずれの氏族もかなりの地力を備えていたということだ」


「ふむ。そのココロは?」


「ファの近在にある氏族は、早くから豊かな暮らしを得て、さらなる力を得ることがかなった。このたび収穫祭を行っている氏族らは、ようやく最近になって豊かな暮らしを送れるようになったはずだが……それでも、フォウやディンなどと互角に近い力を有しているのだ。ならば、貧しき頃からも確かな地力を備えていたということになろう」


「なるほど」と納得してから、俺はひとつの疑念を抱いた。


「その中で、ミームはけっこう早い段階から、ファの家に肉を売ることで多くの銅貨を手にしていたよな。それでラヴィッツの血族は、アイ=ファの言う通り地力を備えていたのかもしれないけど……スンの狩人は、どうなんだろう? 彼らは10年以上もギバ狩りの仕事から身を引いていて、今でもジーンやスドラのお世話になってるはずだよな?」


「スン家が正しき道を歩み始めてから、すでに1年以上の時が過ぎている。その期間で、本来の力が蘇ったと見るべきであろう。……もともとスン家というのは、どの氏族よりも強き力を持つ族長筋であったのだ」


 俺はもう1度、「なるほど」と言ってみせた。

 言われてみれば、ミダ=ルウなどは恐るべき力量を開花させているし、ディガとドッドについても、過酷で知られる北の集落の生活に耐えている。怠惰な生活に身を落としていたディガとドッドがドムの家に引き取られると聞いたとき、ルド=ルウなどは「そんなの死罪と一緒じゃねーか」とコメントしていたほどであるのだ。


 それに、6氏族の合同収穫祭では、かつてスン家であったゼイ=ディンも勇者の座を得ている。

 スン家の人々は、大きく道を誤った。しかしそれを激しく悔いて、誰もが修練に打ち込んだのだろう。その結果が、これであるのだ。

 そのように考えると、俺の胸には温かいものが満ちていった。


「アスタ、お待ちください」


 と、後方から沈着な声音で呼びかけられる。

 振り返ると、追ってきていたのはスフィラ=ザザとサウティの女衆であった。


「わたしどもも、アスタたちに同行させていただきたく思うのですが、よろしいでしょうか?」


「ええ、もちろん。プラティカも、かまいませんよね?」


「無論です。部外者、私なのですから、お気遣い、無用です」


 プラティカは身体ごとスフィラ=ザザたちに向きなおり、一礼した。その姿を、スフィラ=ザザは鋭い眼差しで検分している。


「さきほど、申しそびれましたが、スフィラ=ザザ、名前、うかがっています。本日、よろしくお願いいたします」


「ええ。わたしとゲオルも、ゲルドの貴人たちとは晩餐をともにしたことがありましたので。その従者でありかまど番であるという御方とお会いできるのを楽しみにしていました」


 どちらも如才のない立ち居振る舞いであるが、警戒心が強くて眼光が鋭い部分はよく似通っている。そんな両者の姿を、サウティの女衆はにこやかな面持ちで見守っていた。


「それでは、参りましょう。どのような宴料理が準備されているのか、とても楽しみです」


 俺たちはぞろぞろと列を成して、手近なかまど小屋に向かうことにした。

 その道中で、『ギバの丸焼き』に取りかかっていたラッツの女衆らに挨拶をする。2台の架台で焼かれているのは、どちらも50キロサイズの若いギバだ。俺たちが屋台で取り扱ったものよりも大物であるが、これだけ時間があれば問題なく仕上げられることだろう。


 そうしてかまど小屋のほうに回り込むと、香辛料の鮮烈な香りが漂ってくる。こちらではミームの女衆たちの手で、『ギバ・カレー』が作製されていたのだ。


「……こちらの家、とりわけ手際、いいように思います」


 プラティカがこっそり囁きかけてきたので、俺も小声で「そうですね」と答えてみせた。


「今日の5氏族の中では、ミームの家がもっとも古くからファの家とつきあいがあったのです。多少なりとも、その差が出ているのでしょうね」


 ミームの家はラッツの眷族であったために、ラヴィッツやスンよりも先んじてファの家の手ほどきを受けていた。定期的に手ほどきされていたのは屋台の商売を手伝ってくれている1名のみであったが、荷車に空きがあるときなどは他の女衆らも積極的にファの家を訪れていたのだ。

 また、血抜きや解体の技術に関しても、トゥラン伯爵家にまつわる騒動が収束したぐらいの頃合いには習得していたので、ファやルウの家に生鮮肉を売ることで多くの銅貨を手中にしていた。それでさまざまな食材を買いつけることもかなったので、『ギバ・カレー』を始めとする料理の習得も早かったのだった。


「『ギバ・カレー』、難解な料理です。アスタ、いなくとも、作りあげられる、驚異的、思います」


「そうですか。まあ確かに、これは森辺の民が読み書きを習得した恩恵なのでしょうね。香草の分量さえ把握できれば、再現は難しくないのだと思います」


 しばらくして、俺たちは次のかまど小屋に向かうことにした。

 こちらでも、香草の香りが強く匂いたっている。歩を進めていく内に、レイナ=ルウははっきりと表情を引き締めていた。


「失礼します。またちょっと見学をさせていただきますね」


 そこは、ナハムの家に割り当てられたふたつ目のかまど小屋であった。

 集っているのはナハムの分家の女衆と、それを手伝うスンの女衆、そして取り仕切り役のマルフィラ=ナハムである。ラヴィッツの血族の総指揮官であるマルフィラ=ナハムの本拠地は、この場所であるのだった。


「あ、ど、ど、どうも。アスタにアイ=ファにレイナ=ルウにプラティカに、それからええと……」


「俺たちのことは、気にしないでいいよ。力比べの再開まで、そんなに時間も残されてないだろうしね」


「も、も、申し訳ありません。の、のちほどきちんとご挨拶をさせてください」


 マルフィラ=ナハムはあたふたと頭を下げてから、周囲の女衆に指示を送り始めた。その中には、クルア=スンも含まれている。彼女はスン家の中で指折りのかまど番であろうから、この場の手伝いに割り振られたのだろう。


「……中天の前にうかがったときよりも、扱う香草の種類が増えたようですね。いったいどのような料理に仕上げられるのか、心から楽しみに思います」


 真剣そのものの表情で、レイナ=ルウがそのようにつぶやいた。

 それは何故かというならば、この場で作られているのがマルフィラ=ナハムの考案したオリジナルの料理であるためであった。

 ラヴィッツの血族は、合計で5種の料理を担当している。その内の4種は俺が手ほどきした料理であり、勉強会でもたびたび取り上げられていたのだが、最後の1種だけは普段からナハムの家で作られている料理が選出されたのだ。


 ただしこちらは『ギバ・カレー』に負けないぐらい数多くの香草を使うため、食材費もそれなりの価格となる。よって、ナハムの家でも晩餐で作るのは10日にいっぺんのみ、と決められているらしい。

 ヴァルカスに着目されるほどの鋭敏な舌を持つマルフィラ=ナハムが、いったいどのようなギバ料理を考案したのか。それはレイナ=ルウならずとも、気になるところであった。


「……なるほど。彼女がマルフィラ=ナハムという女衆であったのですね。どこかの祝宴で挨拶はしたかと思うのですが、ようやく顔と名前が一致しました」


 と、スフィラ=ザザも小声で呼びかけてくる。


「彼女の名は、トゥール=ディンからも何度となく聞かされています。よほど才覚のあるかまど番なのでしょうね」


「そうですね。彼女が屋台の商売を手伝うようになってから、まだ半年ちょっとのはずですけれど……かまど番としての才覚という意味では、最初から飛び抜けたものを感じさせられました」


 マルフィラ=ナハムは鋭敏な味覚を有しているばかりでなく、腕力の強さと手先の器用さも秀でていた。なおかつ、文字の読み書きや計算に関しても並々ならぬ才覚を見せており、それもかまど仕事には有用であったはずだ。

 そして何より彼女には、料理に対する熱情というものも備わっていた。

 マルフィラ=ナハムと初めて出会った日、彼女は俺がこしらえた屋台の料理を試食して、感涙にむせんでいたのである。それだけの熱情が備わっていたからこそ、彼女はさまざまな才覚を開花させることがかなったのだろう。


「彼女がどのような料理を考案したのか、俺もすごく楽しみにしています。スフィラ=ザザも、どうぞ期待していてください」


「はい。祝宴の後はディンの家で一夜を明かす手はずになっていますので、トゥール=ディンにしっかりと感想を伝えられるように励みたく思います」


 スフィラ=ザザはこう見えて、トゥール=ディンに深い情愛を抱いているのだ。

 俺は温かい気持ちになりながら、「そうですね」と笑ってみせた。


「あと、ミームの家では菓子も担当しています。それも楽しみなところですね」


「菓子ですか」と目を輝かせかけたスフィラ=ザザは、慌てた様子で咳払いをした。


「……では、その出来栄えもトゥール=ディンに報告いたしましょう。ファの家の近在とは言い難いミームの家で、どれだけの菓子が作られているのか、わたしとしても興味深く思います」


 すると、マルフィラ=ナハムたちの手際を一心に観察していたプラティカが、けげんそうにスフィラ=ザザを振り返った。


「スフィラ=ザザ、甘い菓子、好んでいるのですか?」


「な、何でしょう? 菓子に限らず、美味なる料理は森辺の民に大きな力と喜びを与えるであろう、というのがアスタの主張となります」


「いえ。スフィラ=ザザ、ふいに声、弾んだので、甘い菓子、好んでいるかと思っただけです。恥辱、覚えてしまったのなら、謝罪いたします」


「べ、別にわたしは、何も恥辱に思ったりはしていません!」


 直情的な面も持ち合わせているスフィラ=ザザは、お顔を赤くしてしまっていた。プラティカは、深い理解を示すかのように一礼する。

 そんな感じで、一刻ばかりの休憩時間は慌ただしく過ぎ去っていったのだった。

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