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異世界料理道  作者: EDA
第五十二章 ゲルドの再来
901/1680

合同収穫祭①~下準備~

2020.6/8 更新分 1/1

・今回は全8回の予定です。

 宿屋の寄り合いの翌日――茶の月の2日である。

 アイ=ファとふたりで朝の仕事を片付けて、木陰でのんびりくつろいでいると、荷車の近づいてくる音色が聞こえてきた。


「わーい! アイ=ファにアスタ、おはよー!」


 荷車を引かされていたのはルウ家のルウルウであり、御者台で手綱を握っていたのはリミ=ルウであった。

 荷台から降りてきたのは、レイナ=ルウとプラティカだ。両名も、それぞれの作法で朝の挨拶をしてくれた。


「おはようございます、プラティカ。昨晩もよく休めましたか?」


 俺が笑いかけてみせると、プラティカは無表情のまま、「はい」とうなずいた。宿屋の寄り合いを終えた後、プラティカはレイナ=ルウの提案通り、ルウ家で夜を明かすことになったのだ。そうして本日は、このまま合同収穫祭の見物に向かう予定となっていた。


「リミ=ルウは、ふたりをファの家まで送り届ける役目であったのか?」


 アイ=ファの問いかけに、リミ=ルウは「うん!」と元気にうなずいた。


「ジザ兄は、こんなに早くから出向く理由はないって言ってたから、ルウルウは家に戻さないといけないの。ジザ兄は中天ぐらいに向かうから、それまでレイナ姉をよろしくだってさー!」


「そうか。ジザ=ルウやドンダ=ルウが私たちを信用して家人を預けてくれるのは、何やら誇らしく思えてしまうな」


 アイ=ファは優しい表情で、御者台のリミ=ルウの赤茶けた髪を撫でた。

 リミ=ルウは嬉しそうに目を細めながら、「えへへ」と笑う。


「今日は一緒に行けなくて残念だけど、スンとかラヴィッツとかの人たちと仲良くなれるように、アイ=ファたちも頑張ってねー!」


「うむ。正しき絆を結べるように、力を尽くそうと思う」


「アイ=ファとアスタなら、大丈夫だよ! それじゃあ、リミは家に戻るねー!」


 心地好い春の風のように、リミ=ルウは俺たちの前を吹き過ぎていった。

 アイ=ファは腕を組みながら、「さて」と俺たちの姿を見回す。


「まだ日が出てから二刻も過ぎていないように思うが、もうラヴィッツの集落に向かおうという心づもりであるのだな?」


「うん。あっちでは朝から宴料理の準備を始める予定だっていうから、それを見物させてもらいたいんだ」


「相分かった。では、こちらの荷車に乗るがいい」


 アイ=ファの指示に従って、俺たちは母屋の横合いに保管されている荷車へと向かう。

 人間は4名のみであるが、ブレイブにドゥルムアにジルベにサチという家人たちも同乗だ。俺の左肩に鎮座していたサチは、どうしてブレイブたちまでもが荷車に乗り込んでくるのかと、ちょっといぶかしげに見守っていた。


「いよいよ合同収穫祭だね。宴料理ももちろんだけど、収穫祭そのものも楽しみだよ」


 アイ=ファの運転によって動き始めた荷車の中で、俺がそのように告げてみせると、レイナ=ルウはにこにこと笑いながら「そうですね」と応じてくれた。


「血族ならぬ氏族同士の収穫祭というのも、アスタが発案した新しい習わしですので、この日をつつがなく迎えられたことを喜ばしく思います。……だけどどうしても、わたしはついつい宴料理にばかり思いを馳せてしまいますね」


「それはもう、かまど番の業だからね。余所の氏族の宴料理なんて、そうそう口にする機会もないからさ」


「はい。それを作りあげるかまど番の中にマルフィラ=ナハムが加わっているので、なおさら期待が募ってしまいますね」


 すると、揺れる荷台の中でもきっちり正座の姿勢を取っていたプラティカが、鋭い視線を俺たちに突きつけてきた。


「マルフィラ=ナハム、一昨日、晩餐、ともにした、長身の御方ですね? 彼女、期待かけるべき、料理人ですか?」


 この質問に答えるには、一考が必要なところであった。


「うーん。彼女が確かな手際と鋭敏な舌を持っていることに疑いはありません。ただ俺たちは、まだ彼女の作る独自の料理というものを口にしたことがないのですよね」


「なるほど。未知数な部分、多いゆえ、期待、つのるのですね。その他、注目するべき料理人、存在しますか?」


「そうですね。今日は個々の力というよりも、森辺の平均的な技量というものが知れるかもしれません。俺が直接手ほどきをしたかまど番は数えるぐらいしか存在しないので、それで余計に俺も気になってしまうのでしょう」


 本日開催されるのは、ラヴィッツの血族とミームとスンの合同収穫祭である。

 その中で、俺から定期的に手ほどきを受けているのは、屋台の商売に参加している数名のみであったのだ。その数名からそれぞれの家に、どのていどの調理技術が伝えられているのか、それがもっとも気になるポイントであった。


 そうして和やかに言葉を交わしている間に、数十分ていどの時間が過ぎ――やがて御者台から、アイ=ファの落ち着いた声が届けられてきた。


「見えてきたぞ。ラヴィッツの集落だ」


 御者台のすぐそばに陣取っていた俺は、アイ=ファの脇から顔を出してみた。

 森辺の道は、ゆるやかに蛇行しながら北へとのびている。数十メートルの先に横道があり、そのすぐ脇の樹木に真っ白な布が巻きつけられているのが見えた。


「ああ、あれか。親切に、目印をつけてくれているんだな」


「うむ。族長筋の者たちは、ラヴィッツの集落の場所などは把握しておらぬだろうからな」


 そう言う俺たちも、ラヴィッツの家に参じたのはほぼ1年ぶりとなる。以前に訪れたのは、本年に存在しない閏月の金の月――アイ=ファは血抜きと解体を、俺は美味なる料理の作り方を、それぞれ手ほどきするためにおもむいてきたのだった。


 ギルルの歩調をゆるめさせたアイ=ファは、そのまま横道へと進入していく。

 その先に待ち受けていたのは、懐かしきラヴィッツの集落の様相であった。


 ラヴィッツの集落は、家人の数に不釣り合いなほど広大である。家屋の数は7軒もあり、広場の面積などはルウ家に匹敵するぐらいであるのだ。それは、ラヴィッツの家がこの数十年で多くの家人を失ったという衰退の証なのかもしれないが――家屋も広場も綺麗に整えられており、うらびれた雰囲気とは無縁である。それにやっぱりかつての大地震では何軒かの家屋が倒壊したらしく、それらもきちんと改築されているようだった。


 なおかつ、収穫祭の準備も滞りなく整えられている。広場の真ん中には儀式の火のための薪が積み上げられていたし、その手前には力比べの勇者が座するための壇も設えられている。また、広場の外周にはあちこちに簡易型のかまどが組み上げられ、また、とある家屋の脇では『ギバの丸焼き』の架台を設置している女衆の姿が見えた。


「まずは、本家に挨拶だな」


 アイ=ファが御者台から降りて手綱を引き始めたので、俺たちも自らの足で広場を進むことにした。

 架台を設置していた人々が、遠くのほうからぶんぶんと手を振ってくる。俺の視力では判然としないが、きっと見知った女衆であるのだろう。俺も同じ勢いで手を振り返しておいた。


「失礼する。ファの家長アイ=ファに家人のアスタ、ルウ家のレイナ=ルウ、およびゲルドの客人プラティカだ」


 アイ=ファがそのように呼びかけると、待つほどもなく母屋の戸板が開かれた。

 そこからぬうっと現れたのは、あまり見覚えのない男衆である。背丈はほどほどだが幅と厚みのある体格をしており、四角い顔には茶色い目がぎょろりと光っていた。


「ラヴィッツの末弟か。ひさしいな。家長のデイ=ラヴィッツに挨拶を願いたい」


 アイ=ファはかつてラヴィッツの狩人たちと森に入っていたので、もちろん見知った相手であるのだろう。ラヴィッツ本家の末弟は無言のままうっそりうなずくと、そのまま戸板の向こうに引っ込んでしまった。


 しばらくして、今度は大きく戸板が開かれる。

 デイ=ラヴィッツとさきほどの末弟、それにもう1名の見知らぬ男衆が、俺たちの前に立ち並んだ。


「ずいぶん早くの到着だな。女衆は、ようやくかまど仕事に取りかかった時分だぞ」


 まずはデイ=ラヴィッツが、不愛想な声でそのように告げてくる。頭はつるつるで眉もほとんどすりきれた、やたらと目の光が強い壮年の男衆だ。その額には、早くもひょっとこのように皺が寄り始めていた。


 そして、もう1名の男衆は――レイナ=ルウとほとんど背丈が変わらないぐらいの、小柄な体格をしている。それほど年はくっていなそうだが、頭髪がずいぶん後退しており、まるで落ち武者のようなヘアースタイルだ。そして、ざんばらに垂らされたその髪は、淡い金褐色をしていた。


「こやつらを見知っているのは、ファの家長だけであるはずだな。こっちは長兄で、こっちは末弟だ。次兄はすでに魂を返しており、長姉と末妹は分家や眷族に嫁入りしている」


 この人物は、ラヴィッツ本家の跡取りであったのだ。

 なんというか――父親に劣らず、ちょっと独特の風貌である。それほど痩せているわけではないのに、顔だけはごつごつと骨ばっており、落ちくぼんだ眼窩から鳶色の瞳を光らせている。また、小柄であるばかりでなくちょっと猫背で、すくいあげるように人の顔を見上げてくるのが、いささか落ち着かないところであった。


「で……それが噂の、ゲルドの客人か」


 デイ=ラヴィッツの目が、プラティカに向けられた。

 プラティカは凛々しく引き締まった面持ちで、「はい」と進み出る。


「プラティカ=ゲル=アーマァヤです。本日、参席、許してもらえたこと、深く感謝しています」


「ふん。貴族に連なる人間の申し出を断れば、後でどのような難癖をつけられるかもわからんからな。……ただし、森辺においては森辺の掟に従ってもらう。それを守れぬようであれば、すぐにでも出ていってもらうぞ」


「承知しています。迷惑、決してかけないこと、東方神、西方神、モルガの森……そして、父の魂、誓います」


 プラティカは、デイ=ラヴィッツにも負けない眼光を紫色の瞳にたたえていた。

 デイ=ラヴィッツは、面白くもなさそうに「ふん」と鼻を鳴らす。


「では、鋼を預かろう。それが、森辺の習わしであるからな」


「はい。毒の武器、同様ですね?」


 プラティカが外套の留め具に手をかけると、デイ=ラヴィッツは「ああ?」と額の皺を深くした。


「毒の武器などを預かる習わしは存在しない。というか、お前はそのように物騒なものを森辺に持ち込んでいるのか?」


「はい。森辺において、家の習わし、従うよう、言いつけられています」


 すると、アイ=ファが落ち着いた面持ちで発言を求めた。


「デイ=ラヴィッツの言う通り、森辺に毒の武器を預かるという習わしは存在しなかった。それは、そのようなものを持ち込む人間が森辺に存在しなかったゆえであろう。たしか、ゲルドの貴人らが最初にルウ家を訪れたときも、毒の武器を預かったりはしなかったのだと聞いている」


「はい。わたしも母ミーア・レイから、そのように聞きました」


「うむ。しかしその後、《銀の壺》をルウ家に招いた際には、毒の武器も預かったとのことだな。《銀の壺》は総勢で9名であったし、まだ名も知らぬ相手も多かったので、念を入れて預かることにしたのであろう。……族長筋のルウ家ですら、いまだ確たる習わしを定められていないのだから、今はそれぞれの家長の判断で対応するしかないのではないだろうか?」


「……そもそも外界の人間を森辺に引っ張り込んだりするから、話がややこしくなるのだ」


 保守派の筆頭らしい愚痴をこぼしつつ、デイ=ラヴィッツはあらためてプラティカをねめつけた。


「ともあれ、そのように物騒なものを持ち歩くことは認められん。鋼とともに、預からせてもらおう」


「承知しました。外套ごと、よろしいでしょうか? 厨、汚れ、持ち込まないよう、配慮したい、願います」


「好きにしろ」という返答であったので、プラティカは外套と短剣を差し出した。

 腰の刀を鞘ごと抜きつつ、アイ=ファはデイ=ラヴィッツへと呼びかける。


「では、私も狩人の衣を預けるべきであろうか? どのみち、夜には預けることになるのであろうからな」


「だから、好きにしろ。そもそもこれまでは狩人がかまどの間に足を踏み入れる機会などなかったのだから、狩人の衣については習わしも存在しない」


「承知した。では、この場で預かってもらいたく思う」


 刀を末弟に預けたのち、アイ=ファも狩人の衣を脱ぎさった。

 それと同時に、大柄な末弟がわずかに身をのけぞらせる。アイ=ファは小首を傾げつつ、末弟に狩人の衣も差し出した。


「どうした? 何かに驚いたようだが」


「いや……お前は狩人であるのに、女衆の装束を纏っているのだな」


「うむ。昨年に血抜きの手ほどきをした際も、私はこの姿であったはずだが」


「……俺はもっぱらフォウの家長と行動をともにしており、お前とはあまり関わりがなかったのだ」


「そうか。何にせよ、女衆の私が男衆の装束を纏うのは習わしに背く行いであろうし、こちらのほうが動き勝手もよいので、私はギバ狩りの際にも女衆の装束を纏っている」


 アイ=ファの荷物を受け取った末弟は、目のやり場に困っている様子で視線をさまよわせていた。

 その姿を見て、デイ=ラヴィッツは毛のない眉をぎゅっとひそめる。


「おい。そやつはまだ婚儀をあげておらぬのだ。みだりに誘惑するのはやめてもらおう」


「誘惑だと? 私が何をしたというのだ。そちらこそ、言いがかりはやめてもらいたい」


「ああ、もういいわ。かまど仕事を見物したいなら、とっとと行け。裏に行けば、女衆が集まっている」


 デイ=ラヴィッツが身を引こうとすると、アイ=ファが「待て」と声をあげた。


「荷台には、猟犬らと猫が控えている。昼の間は、それらも連れ歩くことを許してもらえるであろうか?」


「勝手にしろ」とデイ=ラヴィッツは引っ込みかけたが、今度は長兄が「待て」と声をあげた。ざらついた、耳にひっかかるような声音だ。


「猟犬はわかるが、ねことは何なのだ? そのようなものは、耳にした覚えもない」


 アイ=ファが口を開きかけたが、それよりも早くデイ=ラヴィッツが応じた。


「ファの家で、おかしな獣を家人に迎えたと話したろうが? 猫とは、その獣のことだ」


「ああ、あれか……それは、どのような獣であるのだ?」


 長兄が、金壺まなこで俺とアイ=ファを見比べてくる。

 俺はアイ=ファに了承を得て、荷台のサチを迎えに行くことにした。


「サチ、ちょっといいかな? 今日お世話になるラヴィッツの方々に挨拶をしてくれ」


 荷台の隅で丸くなっていたサチは「なうう」と不満げな声をあげてから、身を起こした。

 そうしてひたひたと近づいてくると、勢いをつけて俺の肩に飛び乗ってくる。その姿に、長兄は「うお」と目を丸くした。


「それが、ねこか? ギーズの大鼠より小さいな」


「サチは、まだ幼年であるのです。でも、このひと月ほどでけっこう大きくなったのですよ」


 その重みを肩に感じながら、俺は身体ごと長兄に向きなおった。

 彼はちょうど俺よりも頭ひとつぶんぐらい小さいので、肩に乗ったサチをわずかに見上げる格好となっている。大きく見開かれたその目は、やがてにっこりと細められた。


「やたらと愛くるしい獣だな。ギーズなどとは、大違いだ」


「あ、はい。猟犬に負けないぐらい、頭も賢いようですよ」


「そうかそうか」と言いながら、長兄は口をほころばせた。年齢よりも老けて見える面相のせいか、なんだか初孫を迎えた好々爺のような風情である。いきなり印象が一転しまったので、俺としても驚きを禁じ得ないところであった。


(末弟もだけど、こういう人間臭い一面を見せられると、なんだかほっとするな)


 そうして俺たちは、本家の母屋から辞去することになった。

 家屋の横手に荷車を置かせていただき、ギルルは手近な枝に手綱を結ぶ。サチは再び荷台で丸くなり、ブレイブたちはひょこひょこと俺たちの後をついてきた。

 かまど小屋は、多くの氏族がそうであるように、母屋の裏手に設置されている。そちらに向かいながら、アイ=ファが「アスタよ」と囁きかけてきた。


「さきほどの誘惑云々というのは、いったいどういった話であるのだ? 私がおかしな振る舞いなどをしなかったことは、お前も見届けていたはずだ」


「え? それはだから……末弟が、思わずアイ=ファの姿に見とれてしまったっていうだけの話だろう? 狩人の衣は前を合わせていると、その下の装束も隠されちゃうからな」


「私が纏っているのは、どこにもおかしなところのない女衆の装束であるのだから、見とれる理由などあるまい。かたわらには、同じ格好をしたレイナ=ルウも控えていたのだぞ?」


「だからまあ、心の準備ができていなかったってことなんだろうな。俺だって、アイ=ファが初めて狩人の衣を脱ぐところを目にしたときは、思わず心臓が跳ね上がったもんだよ」


 歩きながら、アイ=ファはわしゃわしゃと俺の頭をかき回してきた。

 すぐそばを歩いていたレイナ=ルウは、「どうしたのですか?」と目を丸くする。


「いや、なんでもないよ。……ああ、もういい匂いが漂ってきたね」


 幸いなことに、レイナ=ルウの関心はすぐにかまど小屋へと向けられることになった。そちらの窓からは、すでにもうもうと白い湯気と煙があげられていたのだ。


「ああ、アイ=ファにアスタ。それに、レイナ=ルウとゲルドの客人も。……ラヴィッツの家にようこそおいでなさいましたね」


 かまど小屋の戸板は開かれていたので、リリ=ラヴィッツがすぐに俺たちに気づいてくれた。

 室内では、7、8名ばかりの女衆が忙しそうに立ち働いている。それらの人々も、はっとした様子で目礼をしてくれた。


「ちょうどついさっきまでマルフィラ=ナハムもいたのですが、入れ違いになってしまいましたねえ。今頃は、ナハムかヴィンの女衆の面倒を見ているはずですよ」


「そうでしたか。まずはこちらの見学をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


「こちらはかまいませんけれど、今は日中の軽い食事をこしらえるかたわらで、肉や野菜を刻んでいるだけなんでねえ。見物のし甲斐はないように思いますよ」


 そんな風に言ってから、リリ=ラヴィッツはにんまりと微笑んだ。その眠そうに細められた目が、プラティカの顔に据えられる。


「ラヴィッツの血族に関しては、マルフィラ=ナハムに取り仕切りを任せてるんでねえ。あの娘の後を追いかけるほうが、見物のし甲斐はあるように思いますよ」


「そうですか。私、アスタ、従います」


 一任されてしまったので、俺はしばし思案した。

 どうやら本家のかまどでは、『タラパ煮込みの水餃子』を担当しているらしい。現在は、膨大なる量の具材を刻んでいるさなかであるのだろう。確かに現時点では、あまり見るべきものもなさそうなところであった。肉と野菜のみじん切りは、プラティカもすでに屋台の商売の下ごしらえでさんざん目にしているのだ。


「それではひと通りの家を見回ってから、またお邪魔いたしますね。えーと、勝手に歩いて回ってもよろしいのでしょうか?」


「どうぞ、ご随意に」という言葉を受けて、俺たちは歩を進めることにした。

 せっかくなので逆回りで広場に戻ろうとすると、屋外のかまどではスンの女衆らがポイタンを焼く作業に従事していた。俺たちの姿に気づくと、さきほどの人々よりも緊張した面持ちで身を起こす。


「ファ、ファの家のアイ=ファとアスタですね? どうも、おひさしぶりでございます」


「お仕事の最中に申し訳ありません。どうぞ俺たちにはかまわず、作業をお続けください」


 何名かは、復活祭の折に挨拶した覚えがあった。それ以外の人々は、ほぼ1年ぶりであろう。その中から、年配の女衆が深々と頭を下げてきた。


「わたしは、スン家の女衆の取り仕切りをしております。ファの方々は、ご壮健のご様子で……再びまみえることができて、心より嬉しく思っておりますよ」


 女衆の取り仕切りということは、本家の家長の伴侶であり、クルア=スンの母親であるということだ。

 ファの家を代表して、アイ=ファは粛然と「うむ」と応じた。


「そちらも壮健なようで何よりだ。今日はスン家の人間が加わる収穫祭を見届けることができて、私も嬉しく思っている」


「ありがとうございます。わたしどもが収獲の喜びを森辺の同胞と分かち合えるのも、ファの方々を始めとする皆のおかげでございましょう」


 そう言って、家長の伴侶はわずかに瞳を潤ませた。


「本日は、どうぞよろしくお願いいたします。……それで、そちらの方々は……?」


「こちらはルウ本家の次姉レイナ=ルウで、こちらはゲルドの客人プラティカだ。かまど仕事を見物するために、このように早くから訪れることになった」


 レイナ=ルウにも、俺たちに負けないぐらい入念な挨拶がされることになった。かつてのスン家の罪を暴き、森辺に新たな秩序をもたらすのに、もっとも大きな役目を果たしたのは、ルウとファの家とされていたのだ。レイナ=ルウもルウ本家の家人に相応しい態度で、スン家の人々に挨拶を返していた。


「スンの女衆は、あちらこちらで別の氏族のかまど仕事を手伝っております。煩わしいかとは思いますが、どうぞそちらの家人たちにも挨拶をさせてやってください」


 そんな言葉を締めくくりとして、俺たちはその場を離れることになった。

 広場に出て、隣の家を目指しながら、プラティカが俺を振り返ってくる。


「氏族ごと、様相、異なるのですね。ラヴィッツ、いくぶん居丈高であり、スン、敬服している、感じました」


「ええ。ラヴィッツとスンは俺たちにとって、とりわけ特別なご縁があった氏族となりますからね。ちょっと両極端であるかもしれません」


「なるほど。……スン家のみ、名前、聞いています。かつて、大罪、犯した氏族ですね?」


 アルヴァッハたちは森辺の民に大きな関心を寄せてくれていたので、そういった話もどこかで聞き及ぶことになったのだろう。俺はプラティカの顔を真っ直ぐに見返しながら、「そうです」とうなずいてみせた。


「ただしスン家はかつての罪を贖って、今後は正しく生きていこうと懸命に力を尽くしています。そんなスン家の人々の収穫祭を見届けられることを、俺たちも心から嬉しく思っているわけです」


「はい。承知しています。かつての族長、道を誤ったため、すべての家人、巻き添えとなったのですね? アルヴァッハ様、聞いています」


 と、プラティカは俺に対抗するように、ぐっと目に力を込めてくる。


「上に立つ人間、道を誤れば、下の人間、不幸、逃げられません。スン家の人々、かつての族長の罪、克服できたならば、私、喜ばしい、思います」


「そうですか」と、俺は笑ってみせた。


「ゲルドの方々は、そこまで森辺の民について理解を深めてくれていたのですね。それを心からありがたく思います」


「我々、森辺の民、正しい絆、結びたい、願っていますので」


 そう言って、プラティカはつんとそっぽを向いてしまった。そんな仕草も、好意的な感情がこぼれるのを抑制している結果のように思えて、微笑ましく感じてしまう俺である。

 そうして次なる家が目の前に迫ってきたとき、ひとりの女衆がこちらに駆け寄ってきた。誰かと思えば、屋台の手伝いでお馴染みであるラッツの女衆だ。


「おはようございます、みなさん。……あの、客人であるアスタにこのようなことを願うのは非常に心苦しいのですが、『ギバの丸焼き』で使う器具の確認をしていただけませんでしょうか?」


「ええ、かまいませんよ」


 どうやらさきほど手を振ってくれた女衆の中に、彼女も含まれていたようだ。ミームの血族であるラッツとアウロからは、1名ずつの女衆が宴料理の手伝いに出向いてきていたのだった。

 本家から2軒となりの家屋に近づいていくと、その横合いに2台の架台が設置されている。そこに立ち並んでいたのは、やはり屋台の手伝いをしているアウロの女衆と、見知らぬ2名の女衆であった。


「ああ、お疲れ様です、アスタ。不備はないかと思うのですが、如何でしょう?」


「どれどれ。……うん、問題はないようですよ。『ギバの丸焼き』は、こちらの4名で担当されるのですか?」


「はい。途中で何回か交代する予定ですが、まずはこの4名で取り組む予定です。実際に火にかけるのは、中天を過ぎてからとなりますが」


 ラッツの家は率先して『ギバの丸焼き』に必要な器材を買いつけたが、まだ自分たちの家でも予行演習を1回おこなったきりであるという話だった。調理に時間のかかる『ギバの丸焼き』は、やはり晩餐向けの献立ではないのだ。


「それまでは、それぞれのかまどで仕事を手伝う手はずになっています。アスタたちは、どちらに向かわれるのですか?」


「俺たちは、マルフィラ=ナハムを捜していたのですよね」


「ああ、マルフィラ=ナハムでしたら、さきほどあちらの家に駆け込んでいったようですよ」


「いえ、マルフィラ=ナハムはそこからもすぐに出て、あちらの家に駆けこんでいきました」


 どうやらマルフィラ=ナハムは、精力的に取り仕切り役の仕事を果たしているようだ。俺たちはラッツの女衆らに礼を言って、最後に目撃された家に向かうことにした。

 そうして母屋の裏手に回り込み、かまど小屋の内部を覗き込んでみると――そちらは、戦場の様相を呈していた。


「マルフィラ=ナハム、火加減はこれで問題ないでしょうか?」


「は、は、はい。しばらくはその火力を維持してください。あ、あとは灰汁を取るだけでけっこうです」


「マルフィラ=ナハム、こちらはこの分量で混ぜてしまってかまわないのですよね?」


「は、は、はい。み、水の分量にお気をつけくださいね。こ、こちらに分量を書きしたためておきましたけれど……ええと、数字を読むことはかないますか?」


「申し訳ありません。まだ修練が足りていなくて……」


「い、いいのですいいのです。そ、そちらの桶で3杯分の水を準備しておいてください」


 どうやらこの場所では、『ギバ骨ラーメン』の準備が進められているようだった。かまどでは出汁を取るための鉄鍋が火にかけられており、作業台では麺の生地を作製するための食材が広げられている。

 ちょっと声をかけるのもはばかられる雰囲気であったので、俺たちがしばらく戸板の外から静観していると――それに気づいた女衆のひとりが、「あーっ!」と元気な声を響かせた。


「ファの家のアスタ、おひさしぶりです! どうぞお入りください! ……って、ここはわたしの家ではないのですけれど」


 俺は数秒ほど考え込んでから、「ああ」と思い当たった。それは復活祭の期間に縁を結んだナハム本家の末妹、すなわちマルフィラ=ナハムの妹であったのだ。

 その声に跳び上がったマルフィラ=ナハムが、ぞんぶんに視線を泳がせながら、俺たちのほうを振り返ってくる。


「い、い、いらしていたのですね、アスタ。そ、それに、アイ=ファとレイナ=ルウとプラティカも……ご、ご挨拶が遅れてしまって、どうも申し訳ありません」


「いやいや、俺たちはただの見物人だからね。こちらにはかまわず、仕事を続けておくれよ」


 他の女衆たちも、恐縮した様子で俺たちに挨拶をしてくれた。

 彼女たちは、いずれもナハムの家人であるのだろう。マルフィラ=ナハムの妹ばかりでなく、その母親や、屋台を手伝ってくれている分家の女衆の姿も見える。他にも復活祭でまみえた相手がいるのかもしれなかったが、何せあの時期にはさまざまな氏族の人間が宿場町に下りていたので、そうそう顔を覚えることも難しかったのだ。


「そ、そ、それじゃあわたしは、ヴィンの家の様子を見にいってきます。ま、またすぐに戻ってきますので、そのまま作業をお続けください。……あ、き、生地を寝かせる時間については、問題ないでしょうか?」


「はい。こちらのすなどけいというもので時間を計るのですよね? そちらは問題ないかと思います」


「で、で、では、お願いいたします。な、何かあったら、草笛をお吹きください」


 そうしてかまど小屋の外に出てきたマルフィラ=ナハムは、また俺たちにもぺこぺこと頭を下げてきた。


「せ、せ、せわしなくて、申し訳ありません。ほ、本日は、これまでで一番大きな祝宴なもので……」


「いいんだよ。俺たちのほうこそ、邪魔にならないように気をつけるね。……でも、こんな祝宴の取り仕切り役を任されるなんて、すごいじゃないか」


「お、お、親筋であるラヴィッツの家にまで口出しするのは、とても気が引けるのですが……リ、リリ=ラヴィッツに申し渡されてしまったので……」


 リリ=ラヴィッツはああ見えて、マルフィラ=ナハムの腕を高く評価しているようであるのだ。ラヴィッツにまつわる祝宴では、こうしてマルフィラ=ナハムにすべての取り仕切りを任せるのが通例であるという話であった。


「今度は、ヴィンの家の様子を見に行くんだね。移動しながら話そうか。……そちらでは、何を担当しているのかな?」


「ヴィ、ヴィ、ヴィンの家は、ミソ仕立てのぎばじるとなります。ラ、ラヴィッツの家はタラパ仕立てのすいぎょーざと、タウ油の煮込み料理で、ナハムの家がぎばこつらーめんと、香草の料理で……な、ななつのかまど小屋の、いつつをお借りしています。の、残りのふたつはミームの家に貸しており、スンの女衆にはあちこちの家を手伝ってもらっています」


「すごいね。立派に取り仕切ってるじゃないか」


「と、と、とんでもありません。ユ、ユン=スドラやレイ=マトゥアであれば、こんなに慌てふためくこともないのでしょう」


 そう言って、マルフィラ=ナハムはふにゃりと微笑んだ。


「わ、わ、わたしの力など微々たるものですが、それでもアスタたちに宴料理を食べていただけることを、心から光栄に思っています。そ、そして、収穫祭を見届けてもらえることも、とても嬉しいです」


「うん。俺たちも、心から嬉しく思っているよ」


 俺たちも、さまざまな人々に合同収穫祭を見届けてもらっている。俺としては、それを見届ける側に回っても、同じぐらい幸福な心地であるのだな――という思いを再確認するばかりであった。

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