宿屋の寄り合い③~晩餐~
2020.5/24 更新分 1/1 ・6/1 誤字を修正 ・6/6 ララ=ルウの年齢を修正
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「では、主たる議題はこれぐらいでありましょうかな。あとは晩餐をいただきながら、意見交換をいたしましょう」
寄り合いが開始されてから一刻ほどが過ぎ、日没に達したあたりで、タパスがそのように言い出した。
食堂には一般のお客も集まり始めて、すでに小さからぬ賑わいを見せている。また、半刻ほど前には帰り道の護衛役であるアイ=ファとルド=ルウも到着していた。
「本日は《キミュスの尻尾亭》ばかりでなく、森辺の方々も晩餐の準備を担ってくださったそうですので、期待いたしましょう。……では、よろしくお願いいたします」
「はい。それでは、少々お待ちください」
俺たちは、一列となって厨に向かうことになった。
そちらでは、テリア=マスやレビやラーズたちが、お客のための料理をこしらえている。俺たちが入室すると、レビが「よお」と笑いかけてきた。
「お疲れさん。そっちもようやく晩餐か」
「うん。レビたちのラーメンは、最後でいいんだよね?」
「ああ。らーめんは熱い内に食べてもらわないとな。アスタたちの料理の後でも、そうそう見劣りはしないだろうしよ」
ということで、まずは俺たちの準備したギバ料理からであった。
作り置きの料理を温めなおすだけであるのに、プラティカはそんなさままで真剣に観察している。そんなプラティカとアイ=ファとルド=ルウに見守られながら、俺たちは配膳の仕事に従事した。
「お待たせしました。まずはこちらの料理をお召し上がりください」
俺たちが準備したのは、『ギバのミソ角煮』と『タラパとマロール仕立てのシチュー』であった。前者は俺、後者はレイナ=ルウたちが考案した料理である。どちらも近々、屋台で取り扱おうかと考えている自信の品であった。
「この後には《キミュスの尻尾亭》のラーメンと甘い菓子が控えておりますので、それでほどよくお腹は満たされるかと思います」
「ううむ。どちらも香りからして、素晴らしいですなあ」
ナウディスは陶然とした面持ちで、大きな鼻をひくつかせていた。
そうして『ギバのミソ角煮』を口にすると、その髭もじゃのお顔がいっそうとろけてしまう。
「これは、美味ですぞ! タウ油を使ったかくににも負けぬほどの味わいであります! ミソというのは、どうしてこんなにも心をとらえて離さないのでしょうなあ」
「あはは。やっぱりジャガルのタウ豆を使ってるだけあって、ナウディスはいっそう心をつかまれてしまうのでしょうか?」
「そうなのかもしれません。が、南の血を引かぬ方々にとっても、これは美味でありましょう?」
ナウディスの呼びかけに、あちこちの卓から賛同の声があげられた。
そこに、ちょっと気弱げな声もかぶさる。
「森辺のお人らの屋台では、こんな料理がずらりと並べられてるんだよな? うちの料理なんざで太刀打ちできるのか、ちっと不安になってきちまったよ」
とたんに、レマ=ゲイトは「ふん!」と鼻を鳴らした。
「自信がないなら、引っ込んでなよ! そんな弱腰の人間に足を引っ張られるのは、こっちだって御免だよ!」
「だけどこれは、本当に美味ですねえ。レマ=ゲイトも、味見をしてみたら如何です?」
隣の卓のジーゼが、レマ=ゲイトにやわらかく微笑みかけた。
レマ=ゲイトはぎょろりと目を剥きながら、そちらをにらみつける。
「あんたは、いちいちやかましいね! うちではギバ肉なんざ扱っちゃいないんだから、ギバ料理の味見なんざ不要なんだよ!」
「そうでしょうかねえ? タパスなんかは、ああして入念に味見をされているようですよ?」
真剣な面持ちで料理を食してくれていたタパスは、にっこりと微笑んでから面を上げた。
「以前から申し上げております通り、わたしはカロンの胴体の肉を宿場町に広めるというお役目を担っておりますからな。残念ながら、ギバ肉は買いつけておりませんのです」
「だったら、味見なんて不要だろ」
「いえいえ。我々はギバ肉を使わずにギバ料理と戦わなければならないのですからな。敵の力を知らなければ、勝利の道を探ることも難しいでしょう」
それはずいぶんとタパスらしからぬ物騒な物言いであったが、きっとレマ=ゲイトの心を動かすために、あえて言葉を選んだのだろう。
それが功を奏したのか、レマ=ゲイトはしばらく卓上の皿をにらみつけてから、おもむろに木匙を取り上げた。
クジラを思わせる大きな口が、ミソの色合いに照り輝くギバ肉をひとのみにする。それを咀嚼する内に、レマ=ゲイトの立派な眉は険しく寄せられていった。
「如何です? たいそう美味な味わいでしょう?」
「だから、やかましいって言ってるじゃないか。味見の邪魔をするんじゃないよ」
レマ=ゲイトは添え物の焼きポイタンをかじり取ると、凄まじい勢いで『ギバのミソ角煮』をたいらげ始めた。
ともあれ、レマ=ゲイトに俺たちの料理を食べてもらえて、喜ばしい限りである。
「こちらの料理も、素晴らしい出来栄えです。東のお客様でも、これならば大変に満足されるでしょう」
と、今度はネイルが声をあげてくる。『タラパとマロール仕立てのシチュー』を食してくれたのだ。
これは昨年末ぐらいから、レイナ=ルウたちがずっと研鑽を重ねていた料理となる。これと対になる『カロン乳とマロール仕立てのシチュー』はすでに屋台でも供されているが、こちらにはまだまだ改良の余地があると見なされて、ずっと研鑽が重ねられていたのである。
アマエビに似たマロールを風味づけの食材として使いながら、ギバ肉たっぷりのシチューとして調和させる、というのがこの料理の眼目だ。そこで持ち出されたのは、カロン乳のシチューと同様に、各種の香草であった。タラパとマロールとギバ肉の味を調和させるのに、どの香草がどれぐらい必要か、レイナ=ルウたちはひたすらその一点を突き詰めていたのだった。
最終的に選ばれたのは、カレーにおいて辛さを担っている2種と、トウガラシのような風味を持つイラ、そして苦みと青臭さが特徴であるナフアである。
チットの実もトウガラシに似ているが、イラとはいささか風味が異なる。あえて高値のイラを使うことで、チットとは異なる独自の味わいを生み出すことはできないか――という部分を出発点にして、レイナ=ルウたちは香草の配合に励んでいたのだった。
もともとタラパはトウガラシ系の辛みと相性のいい食材であるが、そこで妥協を許さずに、レイナ=ルウたちはあれこれと研鑽を重ねていた。また、ダレイム伯爵家の晩餐会においてヤンから供された魚介料理に感銘を受け、苦くて青臭いナフアを隠し味にするという手法を獲得したのだ。
レイナ=ルウも、貪欲に他者の手法を吸収している。その成果が、こちらの料理であるのだ。シーラ=ルウもともに手を携えていたが、この料理に関してはほとんどレイナ=ルウの考案であると、こっそりそのように告げてくれていた。
「この料理は、本当に完成度が高いと思うよ。けっこう香草も使っているから、是非ともヴァルカスの感想を聞いてみたいところだね」
「はい。正直に言って、ヴァルカスに失望されたくないという思いも、わたしの中に強く渦巻いているのだと思います」
そんな風に言ってから、レイナ=ルウはプラティカを振り返った。
「プラティカは、如何でしょう? プラティカにも失望されていないと嬉しいのですが」
「失望、真逆です。私、屋台、汁物料理、2種、口、しましたが、こちら、もっとも美味、思います」
同じ料理をがつがつとかきこんでいたルド=ルウが、「んー?」と首を傾げた。
「なんか、言葉がたどたどしくなってねーか? 昨日はもっと、すらすら喋ってたろ?」
「……おそらく、衝撃ゆえでしょう。レイナ=ルウ、調理の腕、感服しました」
プラティカは、ずいぶんとレイナ=ルウのことを慕っている。
それゆえに、というべきなのか――プラティカは、きわめて鋭い眼差しでレイナ=ルウを見やっていた。きっと、心の底からレイナ=ルウの腕前に感服することになったのだろう。
「ありがとうございます。香草を多用した料理でプラティカにそう言っていただけると、とても光栄です」
「……森辺の民、驚異的です。森辺の民、2年前まで、美味なる料理、興味なかった、真実ですか?」
「はい。わたしもわたしなりに、食べやすい食材の組み合わせなどには気を使っていたつもりではあるのですが……やっぱりアスタと出会うまでは、料理の出来の善し悪しにそこまでの重きは置いていませんでした」
「……レイナ=ルウ、齢、いくつですか?」
「わたしは、アスタと同い年になるはずです」
レイナ=ルウの返答に、プラティカはふっと息をついた。
「安心しました。レイナ=ルウ、年少であれば、私、自信、打ち砕かれていた、思います」
レイナ=ルウは「まあ」と微笑み、ララ=ルウは「あはは」と陽気に笑った。
「あたしがあんたより年長なんだから、レイナ姉だってそうに決まってるじゃん。ついでに言うと、ツヴァイ=ルティムはあんたと同い年だね。あたしやツヴァイ=ルティムの料理を食べたら、プラティカは安心するのかもねー」
「フン! アタシの仕事は銅貨の勘定なんだから、かまど仕事の腕前なんて知ったこっちゃないヨ」
ツヴァイ=ルティムは興味なさげに、2種のギバ料理をもりもりとたいらげている。同じように食事を進めていたアイ=ファは、いくぶん目を見開きながらプラティカたちの姿を見回した。
「プラティカとツヴァイ=ルティムは、同じ齢であるのか」
「うん。あたしだって、1歳しか変わんないけどねー」
「ほう……それは何とも、奇妙な心地だな」
「そーお? それを言うなら、アイ=ファとアスタとレイナ姉が同い年ってのも、なんだか奇妙な心地だけどねー」
「ふむ。他者から見れば、そういうものであるのだろうかな」
アイ=ファはあっさり納得したようだが、俺はそれなりの好奇心をかきたてられていた。確かにこの3名が同世代というのは奇妙な心地であったし、さらにレイ=マトゥアまで加えたら、いっそう混沌とするように思えたのだ。
プラティカは、圧倒的に大人びている。しかしそれは、東の民らしく長身で無表情であることが、理由の大であるのだろう。165センチていどの身長も、13歳の少女としては長身の部類であるはずだった。
しかし、レイ=マトゥアを含む3名が、そこまで子供っぽいかというと――それも素直にはうなずき難いのだ。彼女らはいずれも種類の異なる稚気を帯びていたが、それと同時に、それぞれの大人っぽさも備えているように思えるのだった。
ララ=ルウは誰よりも強靭な精神力を持っているように思えるし、ツヴァイ=ルティムは数学と商いの才覚に秀でている。もっとも幼げであるレイ=マトゥアとて、大勢の人間を取り仕切ることのできるしっかり者であるので、ただ子供っぽいだけではない。そう考えると、もっとも大人びているプラティカこそが、その一本気な気性の裏に、誰よりも繊細でやわらかい一面を隠しているのではないのかと、そんな風に思えてしまった。
(まあ、俺もそこまでプラティカの気性をわきまえているわけではないんだけど……どこか、庇護欲みたいなものをかきたてられちゃうんだよな)
そんな風に考えていると、当のプラティカからにらみつけられてしまった。
「……アスタ、何故、私の顔、注視しますか?」
「ああ、いえ、ちょっと物思いにふけってしまいました」
「……他者の顔、注視しながら、物思いにふける、控えるべきです」
無表情を保ちながら、プラティカはわずかに頬を染めている。こういうところに、俺は繊細さを感じているのだろうか。
ともあれ、プラティカに余計な気苦労をかけてしまったのは申し訳ない限りである。もうひとたび謝罪してから、アイ=ファのほうを振り返ると――最愛なる家長は、苦笑をこらえているような面持ちになっていた。
「えーとですね、俺が考案したミソの料理は如何でしょう? いちおう自分では、自信作なのですが」
「こちら、料理、驚嘆です。味付け、秀逸、さることながら、ギバ肉の魅力、引き出す手際、見事です」
と、プラティカもたちまち料理のほうに関心を戻した様子である。
「私個人、好みであるのは、ルウ家の汁物料理ですが、それは、香草の存在ゆえでしょう。こちらの料理、ギバ肉、きわめて美味、思います。これまでいただいた、ギバ料理の中、屈指である、思います」
「あー、確かにギバ肉はどんな料理でも美味いけど、こいつは格別かもなー」
ルド=ルウまでそんな風に言ってくれたので、俺は「ありがとう」と答えてみせた。
「森辺のかまど番として、それは光栄の限りだね。プラティカも、ありがとうございます」
「いえ。御礼、言うべき、こちらです。私、昨晩から、衝撃、連続です」
俺たちの周囲でも、宿屋のご主人がたは侃々諤々と料理の論評をぶつけ合っている。これでまた、ご主人がたに奮起していただけたら幸いであった。
そこに、大きなお盆を掲げたテリア=マスとレビがやってくる。
「お待たせいたしました。こちらは、《キミュスの尻尾亭》が屋台で売りに出している料理となります」
俺たちの料理もあらかた食べ尽くされたと見計らって、次なるメニューを運び込んできたのだ。あちこちの卓からは、歓声ともつかないどよめきがあげられていた。
「《キミュスの尻尾亭》ご自慢のらーめんってやつか。わざわざ晩餐で準備してくれるなんて、ありがたいこったね」
主人のひとりがそんな風に言ってから、「おや?」とうろんげに眉をひそめた。
「だけどこいつは……以前に食ったやつと香りが違うみたいだな。こいつは、もしかして……」
「こいつはね、木匙1杯のケルの根をぶち込んでるんだよ」
悪戯小僧のように笑いながら、レビがそのように解説した。
「こいつはらーめんに合うかどうか、俺と親父で意見が割れちまってね。みなさんのご意見を聞かせてもらえたら、ありがたく思うよ」
「なんだい。俺たちを味見役にしようってのか。ずいぶん虫のいい話じゃねえか」
「文句があるなら、食わなきゃいいさ。……なんてのは冗談だけどさ。みなさんに好評だろうと不評だろうと、どっちでもかまいはしないんだよ。こいつは屋台でも入れるかどうか、お客に選んでもらおうと考えているんでね」
「ほう?」と反応したのは、タパスであった。
「ですが、ケルの根というのもそれなりの値のする食材でありましょう? それを加えるか加えないかで、売り値を変えようというお考えなのでしょうかな?」
「ああ。ケルの根をご所望のお客には、小さい割り銭をいただこうと考えてるよ。あと、ケルの根だけじゃなくミャームーも準備して、お好きなほうを選んでいただこうって寸法さ」
小さい割り銭というのは、赤銅貨を4分割したもので、俺の感覚としては50円ほどの価値であった。木匙1杯分であれば、ミャームーはもちろんケルの根だって余裕で元は取れることだろう。
「お客の好みで、食材を追加しようというお考えですか……それはずいぶんと、目新しいやり口でありますな」
「ああ。種を明かすと、アスタがそういうやり口を考えてるって聞いたもんでさ。こっちもあれこれ思い悩んでるさなかだったから、お先に取り組ませていただくことになったのさ」
レビとラーズは『ミソ仕立てのキミュス骨ラーメン』の味付けに関して、あれこれ思い悩んでいた。ミャームーをたっぷり入れたほうが美味いと主張するレビと、香りの強いミャームーを多用するのは避けるべきであると主張するラーズで、完全に意見が分かれてしまったのだ。そんなさなか、俺が後掛けの調味料を屋台に導入するすべはないだろうかと思案していることを打ち明けたため、斯様な顛末に至ったのだった。
「こっちはミャームーとケルの根をすりおろしておくだけだから、べつだんお客の注文がなくったってかまいはしないのさ。余った分は、別の料理で使えばいいだけのことだからね。……ああ、とにかく食べておくれよ。ケルの根を入れようが入れまいが、冷めちまったら台無しだからさ」
レビがそのようにうながすと、ご主人がたも気を取り直した様子で先の割られた木匙を取り上げた。それにならって、俺たちも味見に取りかからせていただくことにする。
ケルの根というのは、ジャガルから買いつけているショウガのごとき食材である。たとえ木匙1杯の分量でも、その清涼にして刺激的な香りは強く匂いたっていた。
俺は故郷でもラーメンにショウガを入れたことはなかったし、レビたちにもそのような助言は与えていなかった。より美味なるラーメンを追求しているさなかに、ラーズが発案したのだそうだ。
よって俺は、大きな好奇心とともにこのラーメンをすすりこむことになったわけであるが――なかなかに、興味深い味わいであった。
コクのあるタウ油仕立てのスープに、ケルの根が思いも寄らぬ形で調和している。辛みがあるのにすうっと風が抜けていくような清涼感が独特で、それでいてスープのコクを損なうこともない。むしろ、深みが増したかのようである。
2種の料理を食べ終えたばかりであったのに、どんどん箸が進んでしまう。ハーフサイズのラーメンは、あっという間に胃袋に消えてしまった。
「どうだい? アスタの感想も聞かせてもらえたら、ありがたいんだけどな」
「いや、これはなかなかいい感じだと思うよ。ミャームーに負けないぐらい、人気が出るんじゃないのかな」
「そっか。アスタが言うんだったら、間違いはないんだろうな」
レビは苦笑を浮かべながら、頭をかいた。レビはあくまでミャームーの追加を主張しており、ケルの根に関しては懐疑的であったのだ。
「ま、お客が美味いと思うなら、俺の好みなんてどうでもいいんだけどよ。また親父にでかい顔をされちまうな」
「あはは。ラーズがでかい顔をするところなんて、想像がつかないけどね」
そんな風に言ってから、俺はプラティカを振り返った。
「プラティカは、如何でしたか? ケルの根も、ジャガルの食材なのですが」
プラティカは開きかけた口をつぐんで、俺を手招きしてきた。
俺が顔を寄せると、真剣な目つきで言葉を紡ぐ。
「私、不満、持っています。他の卓、聞かれること、避けたいので、あの者、呼んでいただけますか?」
「はい、承知しました。……レビ、ちょっとこっちに来てもらえるかな?」
レビはけげんそうな顔をしながら、こちらの卓に寄ってきた。他の卓のご主人がたはまた感想のぶつけあいに励んでいるので、声をひそめれば聞かれることはないだろう。
「私、昨日、屋台にて、同じ料理、食しました。よって、差異、明らかです。……この料理、不備、目立ちます」
「お、やっぱりかい? 俺もらーめんにケルの根は合わないと思ってたんだよ」
「いえ。ケルの根、調和させる道筋、存在するはずです。ただし、完全な調和、目指すならば、もとの煮汁、味を組み立て直す必要、あるのでしょう。調和、わずかに乱れている、惜しく思います」
「えーと……ケルの根が合わないことはないけど、完璧な味を目指すんだったら、土台を作りかえる必要があるってことかい?」
「はい。ただし、ケルの根、いれなければ、味、完成しています。また、ケルの根、いれることで、調和、わずかに乱れますが、新たな刺激、生まれます。それを喜ぶ人間、少なくない、思います。ケルの根、後掛けならば、現状、最善、思います」
そんな風に言ってから、プラティカはいっそう眼光を鋭くした。
「ただし、ケルの根、完全な調和、目指すならば、どのような味わい、生まれるか、個人的興味、抱いています。あなた、完全な調和、目指しますか?」
「いやあ、どうだろうな。親父にそんな話を聞かせたら、ケルの根仕立てのらーめんを作りあげたい、なんて言い出すかもしれねえけどさ」
レビはなんだか、複雑そうな顔で笑っていた。
「にしても、あんたはすごく親身になって語ってくれるんだな。俺たちは、森辺の民でも何でもないのによ」
「私、優れた料理人、敬愛しています。あなたがた、まぎれもなく、含まれます。美味なる料理、ありがとうございました」
真っ直ぐに背筋をのばしていたプラティカは、そのままぺこりと一礼した。
その姿に、レビは目を細めて微笑する。
「あんた、森辺の民とウマが合いそうだな。……こっちこそ、色々と感想をありがとうよ。親父にも、間違いなく聞かせておくからさ」
そんな言葉を残して、レビは厨房に立ち去っていった。
それを追いかけるようにして、俺たちも席を立つことにする。
「それでは最後に、食後の菓子をお配りしますね。みなさん、そのままお待ちください」
菓子は、完成品を配るだけのことである。
それが卓に並べられると、レマ=ゲイトはぎょろりと大きく目を剥いた。
「ふん……今回は、ずいぶんありきたりの見た目をしてるじゃないか」
「は、はい。この菓子も、今後は屋台で売っていこうかと考えています」
レマ=ゲイトの迫力に気圧されつつ、それでもトゥール=ディンはにこりと微笑んだ。
レマ=ゲイトの言う通り、今回はあまり奇をてらっていない。ポイタンの焼き菓子からキャリアをスタートさせたトゥール=ディンにとっては、初心に返ったひと品となるだろう。その内容は、『ラマムのパウンドケーキ』であった。
トゥール=ディンがこれまでに研鑽を重ねてきたポイタンとフワノの混合生地に、細かく刻んだラマムの実を練り込んで焼き上げている。この作製には石窯が必須であったので、朝方の内にディンの家で完成させたものを持ち運んできたのだ。
『チョコまん』や『あんまん』や簡略版のクレープなどで宿場町を賑わせてきたトゥール=ディンであるので、宿屋のご主人がたもいささか拍子抜けであったかもしれない。そもそも菓子の存在しなかった宿場町にその作り方を広めたのは俺たちであるのだが、一番最初に手ほどきをしたのがポイタンやフワノの焼き菓子であったのだ。
しかし、『ラマムのパウンドケーキ』を口にしたご主人がたは、誰もが感嘆の声をあげていた。
トゥール=ディンの焼き菓子を口にするのはひさかたぶりであろうし、その数ヶ月の間でもトゥール=ディンは着実に腕を上げている。なんのケレン味もないメニューであるからこそ、トゥール=ディンの並々ならぬ力量が伝わるはずであった。
「これは、本当に美味ですねえ。べつだん、目新しい食材を使っているようには思えないのですけれど……それとも何か、あたしらにはわからない細工でもされているのでしょうかねえ?」
と、ジーゼが穏やかに微笑みながら、そのように問うてきた。
自分の席に戻ったトゥール=ディンは、「い、いえ」と首を振る。
「生地の材料は、ポイタンとフワノと卵と砂糖と乳脂だけですし……ラマムも細かく刻んだだけで、特に細工はしていません。ただ、焼きあげるのに石窯というものを使っています」
「石窯ですか」と、タパスが横から口をはさんだ。
「石窯でしたら、すでに多くの宿屋が手に入れたはずですが、それでもこれほど上等な菓子を作りあげることは、なかなか難しいでしょうなあ」
「あ、そ、そうだったのですか?」
「ええ。以前にトゥランの北の民たちのために、石窯が設置されたでしょう? これはフワノやポイタンの生地を焼きあげるのに有用だということで、我々も見習うことになったのです」
そんな風聞は、俺も耳にしたことがあった。もともとそれは城下町の料理人であったミケルが森辺にもたらしたものであり、紆余曲折を経てトゥランにももたらされることになったのだ。そこからさらに宿場町にまで導入されることになったというのは、ずいぶん錯綜した話であった。
まあそれは、かつてサイクレウスが食材の流通を牛耳って、城下町以外の食文化が停滞していたゆえであるのだろう。そこから真っ先に脱却したのが森辺の集落であり、また、城下町の住人であったミケルとの繋がりもあったため、どこよりも早く石窯を導入することがかなったのだった。
「もちろんわたしの宿においては、ヤン殿という心強い御方が力を添えてくださっておりますので、数々の美味なる菓子をお出しすることができておりますが……それにしても、この出来栄えには舌を巻いてしまいますな。本当に何か、特別な手際などは存在しないのでしょうか?」
うなずきかけたトゥール=ディンは、途中で動きを停止させた。
「あ……そ、そういえば、わたしは紫の月に、新たな調理器具を手にすることがかないました。それが焼き菓子の役に立っているかとは思います」
「ほほう? それはまた、城下町の調理器具でありましょうかな?」
俺たちは、かつて城下町で蒸し籠を買いつけてみては如何かと、宿屋のご主人がたに提案したことがあったのだ。
ご主人がたの視線を満身に浴びて、感じやすい顔を真っ赤にしながら、トゥール=ディンは「は、はい」とうなずいた。
「それは、泡だて器という調理器具になります。最近になってバルドという土地から買いつけた品だという話であったので、城下町でもまだあまり広まっていないのかもしれません」
トゥール=ディンがその形状や使い道を説明すると、ご主人がたは顔を見合わせてざわめいた。
その中で、レマ=ゲイトが尖った声をぶつけてくる。
「あわだてきだか何だか知らないけど、そんな妙ちくりんなもんを使うだけで菓子の出来栄えが変わるっていうのかい?」
「は、はい。その泡だて器を使うと、生地の中にたくさんの空気が入るのです。そうすると、普通にかきまぜるよりも、こうして生地がふっくらと仕上がるようなのです」
「ふん……また馬鹿正直に、手の内をさらすもんだね。これからあたしらは、こぞって屋台を出そうとしてるってのにさ。ま、どれだけ手の内をさらそうとも、どうせ自分らが勝つに決まってると考えてるわけだね」
レマ=ゲイトの意地悪な物言いに、トゥール=ディンはあたふたと目を泳がせてしまう。
が、最終的には心を静めて、レマ=ゲイトにやわらかく微笑みかけていた。
「以前の寄り合いでもお伝えしましたが、《アロウのつぼみ亭》の菓子は本当に美味でした。あのような菓子を口にして、自分のほうがまさっているなどと言い張る気持ちにはなれません。……でも、みなさんが泡だて器を使うことでもっと美味なる菓子を作れるようになったら、わたしはとても嬉しく思います」
「ふん。商売敵の腕が上がって、何を嬉しがることがあるんだい」
「はい。お恥ずかしい話ですけれど、わたしはとても菓子が好きなので……美味なる菓子を口にするだけで、幸せな心地になってしまうのです」
トゥール=ディンが気恥ずかしそうに答えると、レマ=ゲイトは肉厚の肩をすくめて、残りの菓子を口に放り入れた。
俺が欠席した先月の寄り合いでも、トゥール=ディンはレマ=ゲイトとたくさん言葉を交わすことができたと、嬉しそうに語っていたのだ。立場も気性も年齢も大きく異なる両名であるが、そこには美味なる菓子を通して紡がれた縁が存在するのだった。
「……アスタ、同じ心情ですか?」
と、隣からプラティカが低い声で囁きかけてきた。
「なんです?」と反問すると、プラティカはさらに近づいてきて、ハスキーな声を俺の耳に注ぎ込んでくる。
「アスタ、自分の手際、隠しません。料理の知識、財産であるのに、まったく隠さない、不思議であったのです。アスタ、自分の知識、広がり、他の料理人、力量、上がること、喜びなのですか?」
「そうですね。森辺の集落においては、まさしくそういう心情です。そもそも俺の出発点は、商売を成功させることではなく、森辺の人々に美味なる料理の喜びを知ってもらうことでしたからね」
俺がそのように囁き返すと、プラティカはわずかに眉をひそめて、また顔を寄せてきた。
「ですが、私や、宿屋の人間、森辺の民ならぬ存在です。料理の知識、作法、開示する必要、ないはずです」
「うーん。宿場町に関しては、もともと目新しい食材の使い道を知らしめる、という役割があったので、半分は仕事のようなものであったのですが……そうでなくても、美味なる料理の喜びが広がるのは、俺にとっても嬉しい話ですね。それに、美味なる料理を作りあげたいと願う人たちは、俺にとっての同志みたいなものですので、その喜びを分かち合えるのが嬉しいのかもしれません」
俺の言葉を聞いたプラティカは、ますます難しい顔になってしまった。ずいぶん表情が動いてしまっているが、それを指摘するべきかどうか、いささか判断が難しいところである。
そうして俺が思い悩んでいる間に、プラティカがまた近づいてきた。
「アスタの言葉、難しいです。私、異国の民であり、アスタ、関わり、薄いです。それでも、心情、変わりませんか?」
「ええ、変わりませんね。俺はこの地で、天涯孤独の身であったので……美味なる料理を通して他者と繋がりを持てるだけで、嬉しく思えてしまうのかもしれません」
そんな風に囁き返してから、俺が笑顔を向けてみせると、プラティカは紫色の瞳に困惑の光をたたえて見返してきた。
そこに背後から、アイ=ファの顔がずいっと割り込んでくる。
「……お前たちはさきほどから、何をこそこそと密談しているのだ?」
「わあ、びっくりした。いつの間に背後に回り込んでたんだよ?」
「そのようなことにも気づかぬぐらい、密談に夢中になっていたということだな」
アイ=ファは横目で俺をねめつけてから、鋭く輝く瞳をプラティカのほうにも突きつけた。
「あと、お前の唇がアスタの耳に触れそうになっていたぞ。家人ならぬ人間がみだりに触れ合うのは森辺の禁忌となるので、それを忘れないでもらいたい」
「そ、そのような真似、いたしません。あなた、ふしだらです」
プラティカが顔を赤くして抗議すると、つられたようにアイ=ファも顔を赤くした。
「ふ、ふしだらとはどういう言い草だ。禁忌を犯しそうになったのは、そちらのほうではないか」
「き、禁忌、犯していません。耳、接吻、ふしだらです」
「せ、せっぷ……そのような言葉をみだりに語るほうが、ふしだらであろうが?」
小声で言い合うアイ=ファたちの姿は、まるで餌を取り合う山猫さながらであった。
向かいの席で頬杖をついていたルド=ルウは、そんな両名の姿をきょとんと見やっている。
「お前ら、何をこそこそ言い合ってるんだよ? 追加の料理は頼まねーのか?」
「う、うむ? 追加の料理とは?」
「銅貨のいらねー料理が済んだら、銅貨を払って追加の料理を頼むのが寄り合いの習わしだろ。ふた月ぶりで、忘れちまったのか? テリア=マスたちが、注文を聞いて回ってるぜー?」
「そ、そうか」と、アイ=ファは赤い顔をしたまま身を起こした。
「確かにあの量では、腹も満たされぬな。追加のギバ料理を買いつけるべきであろうと思う」
「だろー? そんでもって、そいつを食う時はあちこちに散らばって色んな連中と絆を深めるんじゃねーの?」
見回すと、他のご主人がたはすでに席の移動を始めて、酒杯を酌み交わしていた。
「そうだったね。それじゃあ、俺たちも移動しようか。プラティカは、どうします?」
「……私、厨の見学、願います」
プラティカもまだいくぶん頬を染めたまま、ミラノ=マスに向きなおった。
そうしてプラティカは厨へと消えていったので、俺たちも席を立つことにする。
「俺はちょっと、ネイルに挨拶をしてこようかな。最近、顔をあわせる機会が少なかったからさ」
俺も立ち上がり、背後のアイ=ファを振り返った。
アイ=ファは口をへの字にしながら、俺の顔をじっとりとにらみつけている。
「……お前はどうして、そのように楽しげな顔をしているのだ?」
「んー? なんていうか、アイ=ファとプラティカのやりとりを見てるだけで、心が温かくなっちゃうんだよな。さっきのも、姉妹喧嘩みたいで微笑ましかったからさ」
「……その原因の半分は、お前であろうが?」
アイ=ファは再び顔を赤くしながら、俺の頭を強い力でわしゃわしゃとかき回してきた。
そうしてプラティカとともにする2日目の夜は、賑やかながらも平穏に過ぎ去っていったのだった。