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異世界料理道  作者: EDA
第四章 迷い惑える三日間
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④長姉と末弟と宿場町(下)

2014.9/26 更新分 2/2 ・2014.9/27 誤字修正

2014.9/28 一部文章修正 ・2018.4/29 誤字を修正

 答えの見えない難問を心の底に抱えつつ、それでも仕事は果たさなけれならない。


 まずは例のヒキガエルみたいな笑い方をする老人の交換所に行き、牙と角を銅貨に換えることになった。


「何だよ、アスタはそれっぽっちかよ?」


「うん。アリアとポイタンは買ったばかりだから。そうすると、今のところはこれだけで十分なんだ」


 俺の手には、赤の銅貨が6枚あった。

 成獣のギバの牙や角なら1本で赤3枚、小さなギバのなら赤2枚、ということであったので。なるべく大きいのを2本差し出して、本日の軍資金を調達したのである。


「そっちはすごいねえ。さすがは13人家族!」


 ルウ家のふたりは、ギバ5頭分を銅貨に替えていた。

 枚数は6枚で同じだが、赤い銅貨の10倍の価値を有する白い銅貨である。


「うふふ。これでも3日分の食糧にしかならないんだけどねぇ……」


「え。それじゃあ3日に1度は町に降りてるんですか?」


 答えは、イエスであった。

 あるいは人手に余裕があれば、3人で来て5日分の食糧を買い込むのだ、という。


 なるほど。ファの家は2人しか家人がいないので20日分もの食糧を買い込むことも可能であったが、その6倍もの人数ともなると、せいぜいそれぐらいが限界となってしまうのか。


 計算したら、3日分でもアリアが108個、ポイタンが72個であった。

 ファの家の20日分、アリア120個、ポイタン80個と大差ない数字だ。


「そんで、親父の酒も買っていかなきゃなんねーしな。あんなもん、何が美味いんだか!」


「残るのは赤が5枚分ねぇ……今日は何の野菜を買っていこうかしらぁ……?」


 アイ=ファのときにも思ったことだが、やはり森辺の民と町中で買い物の相談に興じるというのは、つくづく新鮮な感覚である。


 それにやっぱり、身長のあまり変わらない長姉と末弟が楽しげに会話している姿が微笑ましい。けっこう笑顔の多いコンビでもあるので、宿場町の人々が怖れや蔑みの視線を向けつつ通りすぎていくのが、なおさら違和感をつのらせてくれた。


(ルド=ルウは、スイッチを切り替えない限りは他の男衆みたいに物騒な雰囲気をかもし出してもいないし、よく見ればけっこう可愛らしい顔立ちもしてるし、全然おっかない感じはしないと思うんだけどなあ)


 最初はルド=ルウの言動にひやひやしていた俺であるが、何となく、そんなことを気にするのが馬鹿馬鹿しくなってきてしまった。


 アイ=ファはアイ=ファだし、ルド=ルウはルド=ルウだ。俺は彼らがどれほど魅力的な人間かも知っているし、他の人間がどう思おうとも俺の気持ちは変わらない。


 もう、ことさら人々の目線を気にするのはやめよう、と俺は思った。


「それじゃあ、野菜を見に行きますか。北の端っこで店を出してる親父さんがいるんで……」


「あ! ちょっと待て! 武器屋だ武器屋! 何か面白いもんがあるかもしれねーから見ていこうぜ!」


 と、ルド=ルウが人波をかきわけて、屋台のひとつに駆けていってしまう。

 まあ正確には、かきわけるまでもなく、さーっと人間の波は引いていってしまっているのだが。


「……ごめんねぇ。もう15歳なのに、全然子どもで……まあ、20にもなって嫁入りしてないわたしに言われたくないだろうけどぉ……」


 そんな風に言って微笑むヴィナ=ルウは、ある意味、これまで見てきた中で一番魅力的な表情であるような気さえした。


 そんなに家族とともに在るのが幸福だと感じられるならば、外の世界なんかに憧れなくてもいいんじゃないか――と思うのだが。


 そんなことを考えながら屋台に近づいていくと、ルド=ルウは、何やら1本の刃物を手に取りつつ、「へー」と子どものような声をあげていた。


「これ、鉈かよ? 何か、人殺しの武器みたいだなあ」


「……ははは。戦では森を切り開いて進軍したりもするからね。その途中で敵軍と出くわしたりしたら、そいつで戦闘に突入することもあるんじゃないかなあ」


 象牙色の肌をした親父さんが、少しひきつった顔で応対をしている。


 ルド=ルウは「武器屋」などと呼んでいたが。敵対国・北のマヒュドラとは遠く離れたこのジェノスでは、戦らしい戦が起こることなど、まずありえない(らしい)。だからそこで売られていたのは、鉈だとか斧だとか小刀だとかの、日常生活にて使用する刃物がほとんどだった。


「あ、これって調理刀ですか?」と俺が声をかけると、親父さんの顔には困惑の色が加わった。

「何でこの生白い小僧は森辺の装束なんぞに身を包んでいやがるんだ?」とでも言わんばかりのお顔である。


「ああ。そいつは野菜用だね」


 親父の三徳包丁よりもひとまわりは細くて小さい、それでもなかなかに切れ味のよさそうな刀だった。


 ルウやルティムのかまどの間でもさんざん目にはしていたが、こうして売り場で見てみると、少なからず楽しい気分になってきてしまう。


(親父の包丁も20年物だもんな。次に大きく欠けたりしたら、たぶんもう使い物にならないだろうし。肉を切るならアイ=ファから借りたこの刀でも十分だけど、いずれは野菜用の刀が欲しいところだな……)


「……そいつは、白4枚に赤5枚だよ」


 ちょっとひかえめに、親父さんが声をかけてくる。


(ふむ。ざっとギバ4頭分ぐらいか)


 いつか豊かな暮らしとやらが実現できたのなら、是非とも購入したいところだ。


「ありがとうございます。ルド=ルウ、そろそろ野菜を見に行かないかい?」


「んー? ちょっと待っとけ」と、ルド=ルウが屋台から離れ始めた。

 その手に、厚刃の鉈を握りしめたまま。


「お、おい、ちょっと!」と声をあげる親父さんにはかまわず、往来で仁王立ちになる。


「悪い! ちょっと近づかないでくれっ!」


 と、大声を張り上げたが、もとより森辺の男衆に近寄ろうとする通行人はいない。人々は迷惑そうに顔をしかめながら、ルド=ルウを迂回して道を歩いていた。


「アスタもヴィナ姉も近づくなよ?」と、言い捨てるなり――ルド=ルウは、びゅんっとその鉈を振り下ろした。


 さらに下からすくいあげるようにして虚空を薙ぎ、びゅうんっ、びゅうんっと振り回す。


 空気に焦げ目がつきそうなほどの斬撃だった。


 刃物屋のご主人は、真っ青になってしまっている。

 道行く人々も、それは同様である。

 中には、思わず立ち止まり、そのままUターンしてしまう人たちもいる。


 そんな恐怖と困惑の目線などどこ吹く風で、ルド=ルウはさらにびゅんびゅんと鉈を奮い、そうして最後に「気に入った!」と大声をあげた。


「これなら一発でギバの頭を砕けそうだ! 親父、こいつはいくらだよ?」


「し、白が8枚だよ」


 大物の牙と爪でも、およそ6頭分強か。それはなかなかのお値段である。

 アリアとポイタンおよそ60食分と考えると、いかにあれらの食材がリーズナブルかということが察せられる。


「わかった! アスタ、他のやつに買われないように持っといてくれ! すぐに戻ってくっからさ!」


 と、俺の手にその鉈を押し付けて、ルド=ルウは風のように走り去ってしまった。


 モーゼの十戒のごとく、人波は割れていく。


「……ほんとに子どもねぇ……」とヴィナ=ルウは微笑していたが、しかし、子どもがこんな無茶苦茶に重い鉄の塊を振り回せるものだろうか?


 厚みは1センチ、身幅は10センチ、刀身は30センチはあろうかという肉厚の鉈で、刃先は少し湾曲している。重さはキロ単位だろう。確かにこれなら――ギバの頭蓋でも砕けそうだ。


(……どうして俺よりちっちゃいのに、こんなもんが振り回せるんだよ)


 つくづく恐ろしい狩人の膂力である。

 そうして駆け戻ってきたルド=ルウが鉈を買い、それを腰に下げるのを待ち、ようやく俺たちは野菜売りの露店に向かうことができた。


 もちろん、ドーラの親父さんの店である。


「や、やあ、いらっしゃい!」


 アイ=ファではない森辺の民の登場にここの親父さんも笑顔をひきつらせたが、それでも元気よく迎え入れてくれた。


「ああ、やっぱりここだったのねぇ。アリアやポイタンを袋で売ってくれる店は少ないものねぇ……アリアとポイタンを100個ずつ下さいなぁ」


「あいよ。アリアは白2枚で、ポイタンは白2枚と赤5枚だね」


「あれ? ずいぶんポイタンを多めに買うんだね?」とルド=ルウに耳打ちすると、「そりゃあ親父やダルム兄がよく食うからなあ」と応じられた。


 そうだ。アリア3個にポイタン2個というのは、アイ=ファ言うところの「健やかに生きるための最低限の数」であり、ルウ家の男衆はポイタンを3、4人前も食べる御仁がそろいぶみしているのだった。


「ほい、アリアとポイタンが100個ずつ。確認しておくれ」


 どさりと置かれた袋の中身を、仲良し姉弟が勘定していく。

 その間に、俺も目的を果たすことにした。


「ドーラの親父さん。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」


「お、おう、何だい?」


「このティノっていうのは、生でも食べられるのですか?」


 ティノは、レタスで作られたバラのような野菜である。

 大きさもレタスぐらいで、味や食感はややキャベツに近い。


「そりゃあもちろん食べられるよ。俺は煮込んだほうが好きだがね」


「なるほど。このタラパってのも、煮て食べるのが主流ですか?」


 タラパは、カボチャのような大きさと形状を有した、真っ赤な果実である。

 中身もカボチャのようにみっしり詰まっているが、酸味が強くて、煮込んで溶かせばトマトそっくりの味になる。


「そうだね。生で食べる人もいるが、やっぱり他の野菜と一緒に煮込まないと酸っぱすぎるだろう? 俺はアリアと煮込むのが好きだね」


「アリアは甘味が強いですもんね。アリアをこまかく刻んで炒めてから一緒に煮込むと、さらに甘味がひきたちますよ」


 親父さんが、不思議そうに目を丸くした。


「あ、あんた、ずいぶん野菜に詳しいんだな?」


「いえいえ、全然です。どの野菜が生で食べられるかも知らないぐらいですから。……あ、ちなみにアリアも生でいけますか?」


「ああ、もちろん」


「あとは……ギーゴか。ギーゴはこのお店では扱っていないんですか?」


「ギーゴはないね。うちの土には合わないんだ。……ギーゴなら、ミシル婆さんとこのが太くて甘くて人気があるよ」


「え、それはどこのお店なんですか?」


「ちゅ、中央の、革細工と布屋の間にある店だ。ちっちゃな婆さんがひとりでやってる店だから、見ればわかると思う」


「わかりました! ありがとうございます!」


 たぶん俺は、無意識のうちに笑顔になってしまっていたと思う。

 それと相対する親父さんも、にへらっと今までで一番やわらかい笑顔を見せてくれていた。


「おーし、数は合ってんな。アスタ、あんたは買わないのか?」


「あ、そうだった。親父さん、俺はティノを2つとタラパを3つ下さい」


「え? タラパを3つもかい?」


「はい。店で出す料理に使おうと思って。……あ、ちなみにタラパって、煮込んだらその日のうちに食べたほうがいいんですかね? あと、半分とかに切ったら、残りはどれぐらい持つものなんでしょう?」


「うーん、煮込んじまったら、せいぜい2日しかもたないね。切ったやつは放っておくと水分が抜けちまうけど、煮込むときに水を足してやれば味は変わんないよ」


「そうですか! すごく助かりました! ありがとうございます!」


 タラパもティノもかさばるので、合計5個でも袋はパンパンだった。

 ちなみに、タラパは1個で赤1枚。ティノは2個で赤1枚である。

 軍資金は、残り2枚。

 あとはギーゴと果実酒を買ったら、もうおしまいだ。


「うーん……あたしたちはどうしようかしらぁ……またティノでも買っていくぅ……?」


「ティノとか、無駄にでっけーじゃん! もっとちっちぇーやつにしようぜ」


「……それじゃあ、プラ?」


「プラはいらねー」


「じゃあ、何よぉ? ……わたしはティノが好きだけどなぁ……」


「チャッチにしようぜ、チャッチ! すーぷでめちゃくちゃ美味かったじゃん!」


「あれはでも、長ぁく煮込まないと、ああいう風に柔らかくならないんでしょぉ……?」


 チャッチというのは、ジャガイモによく似た食感の野菜である。

 今までの彼らのギバ鍋の作り方だと、強火で短時間で煮るだけだったから、表面はぐずぐず中身はざくざくという仕上がりで、あんまり甘味も引きだせなかったらしい。


「大丈夫ですよ。今の弱火でじっくり煮込むスープの作り方だったら、この前のシチューと同じ感じの仕上がりになると思います。で、沸騰してから入れるんじゃなく、水の状態から煮込んでみてください」


 俺が口をはさむと、ルド=ルウが勝ち誇った様子でヴィナ=ルウの丸い肩をゆさぶった。


「ほら、アスタもこう言ってんじゃん! チャッチだよチャッチ!」


「わかったわよぉ。美味しく作れるんなら、文句はないわぁ。……ええと、煮立ててから入れるんじゃなく、火をつける前から入れておくのねぇ?」


「はい」


「にっひっひ」と、ルド=ルウが姉の首をヘッドロックした。

「痛いわよぉ」と、ヴィナ=ルウが色っぽく身体をよじる。 


 本当に仲が良いのだなぁ。


「……あれ? チャッチがねーじゃん? ここじゃあ売ってねーの?」


「チャ、チャッチなら、ミシル婆さんのところで売ってるよ」と応じながら、親父さんは上目遣いでルド=ルウとヴィナ=ルウの姿を見比べた。


「あ、あんたたち、変わってるな? そんな風に野菜を選り好みする森辺の民なんて、俺は初めて見たよ」


「んー? 俺はプラとか嫌いなんだよ! プラなんで売らないで、あんたもチャッチを売ってくれよ!」


「あ、あれは木になるものだから、一から育てるのは難しいんだよ」


「ふーん。野菜にも色々あるんだな」


 ルド=ルウたちはいつも通りの感じだったが、親父さんの表情は明らかに変わっていた。


 驚いている。

 困惑している。

 そして――喜んでいる?


 ルド=ルウに対してけっこうな恐怖心を誘発されているご様子なのに、それでも何故か、くいいるように少年の顔を見つめやっている。


 もしかしたら、森辺の民が野菜の好き嫌いを述べていることが、そんなにも嬉しいのだろうか。


「食事に美味いも不味いもない」という言葉は、俺にとって心外だった。

 それと同じような心情を、この親父さんも抱え持っていたのかもしれない。


 そんなことを考えていたら、背後から「あ! アスタおにいちゃんだ!」という女の子の声が響きわたった。


 ターラである。

 その手にキミュスの肉饅頭を握りしめたちっちゃなターラが、とことこと俺たちに走り寄ってきた。


 そして。

 ルド=ルウたちの姿に気づいて、びくりと立ちすくむ。


「んー? 何だこのちびっこいの?」


「あ、この親父さんの娘さんで、ターラだよ。この前、話したろ?」


「あー、アスタが助けたり助けられたりしたっていう餓鬼んちょかあ」


 カミュアがルウの集落に現れた日の晩餐時に、ドッド=スンとのもめごととはどういう内容であったのか、詳しい内容を求められたことがあったのだ。


 3メートルほどの距離を置いて硬直してしまったターラのもとに、ルド=ルウがすたすたと歩み寄っていく。


 うーん……成犬になりかけのシェパードか何かが子猫に近づいていくような、ちょっと緊張感をそそられる光景である。


 気の毒な親父さんは、さきほどまでの不可思議な表情を消失させて、真っ青になってしまっている。


「ちびっちぇー! ちょうどちびリミとおんなじぐらいだな。お前、何歳?」


「は……はっさい……」


「ちびリミと一緒か。だけど細っけーから、よけいにちびっこく見えんな」


 ルド=ルウはその場にしゃがみこみ、少女の顔と肉饅頭を見比べた。


「何かいい匂いだな。それ、美味いのか?」


「……うん」


「ふーん」


「た……たべる?」


 なんとターラは、大事そうに両手で持っていた肉饅頭を、おずおずとルド=ルウのほうに差し出してきた。


 ルド=ルウは、不思議そうに小首を傾げやる。


「食っていいのか?」


「ひ、ひとくちなら!」


「あっそ。じゃあ、もらう」


 言い捨てざま、ルド=ルウは手も使わずに、がぶりと肉饅頭に喰らいついた。


 ターラの指ごと喰いちぎりそうな勢いである。

 親父さんが、声にならない悲鳴をあげている。


 ルド=ルウはあまり咀嚼もせずに肉饅頭を飲みこむと、黄褐色の髪をぼりぼりとかきながら、立ち上がった。


「何だよ、美味くねーじゃん」


「そ、そうかな?」


「美味くねー。アスタのほうが、もっとずっと美味い飯を作れっぞ?」


「そ、そうなんだ?」


 笑っているような泣いているような顔で、ターラがこちらを振り返る。

 俺はひとつ息をついてから、そちらに歩み寄っていった。


「まあ、好みは人それぞれだからね。みんなの口に合うかはまだわからないけど。たぶん近々このあたりに店を出せると思うから」


「そうなんだ! そしたら、ターラにも食べさせてね!」


「お店ですので、お代を頂戴いたします。……でも、ターラと親父さんには食べてもらって、ぜひ感想を聞かせてほしいなあ」


「うん!」


 本当に可愛い女の子だ。

 アイ=ファがいないから、おかしな目で見られることもないし!


 そんな風に思って背後を振り返ると、露店の前に立ち尽くしたヴィナ=ルウが、じとっとした目で俺とルド=ルウを見つめやっていた。


 女心は、謎である。


「そんじゃ、後は果実酒とチャッチだな。アスタは?」


「うん。俺も果実酒とギーゴでおしまいだね」


「あ、ギーゴ! ヴィナ姉、ギーゴも買わねーと! あれがなくっちゃ焼きポイタンがあの味にならねーんだろ?」


「大丈夫よぉ。果実酒を10本買ったって、銅貨は5枚もあまるんだからぁ……」


 と、ヴィナ=ルウが答えかけた時。

 最後のキャストが、ふわりと現れた。


「やあ、アスタ。3日連続で会えるなんて嬉しい限りだ。ついに心を決めてくれたのかなあ?」


 カミュア=ヨシュである。

 人混みの隙間から音もなく現れたカミュア=ヨシュが、長マントをたなびかせながら、俺たちに近づいてきた。


「レイトに聞いて、探しに来たんだよ。やっぱりドーラの親父さんのところだったんだねえ」


「はい。俺の用事は済んでしまったんですけど、お会いできて良かったですよ、カミュア」


 俺は、横目でルド=ルウをうかがってみた。

 ルド=ルウは、いつも通りの表情だった。

 ただ――腰に吊るした鉈の柄を、とん、とん、と指先でリズミカルに叩いている。


 そして、ヴィナ=ルウがすうっと近づいてきた。

 俺ではなく、ルド=ルウのななめ後ろで、足を止める。


「ああ、こちらのふたりは――」


「ルウの家の、ヴィナ=ルウとルド=ルウ。レイトから聞いているよ。入れ違いになるとまずいから、レイトは宿屋に置いてきたんだ」


 相変わらずの、すっとぼけた表情である。

 老人のような幼子のような紫色の目が、楽しそうにルド=ルウたちを見比べている。


「ルド=ルウとはたぶんルウの集落でも一度顔を合わせたと思うけど、もう一度名乗らせていただこう。旅人の安全を守る『守護人』を生業にしているカミュア=ヨシュという者だ。これといって家は持たないが、まああちこちの宿場町なんかを根城にしている、風来坊の西の民だよ」


「ふーん」と関心なさそうにルド=ルウは応じた。

 その指先は、まだ鉈の柄を叩いている。


「今日はアイ=ファはいないのだね。俺に用事というのは、屋台の件だったのかな?」


「そうです。まあ何とか話はつきそうですから、献立が決まったら店を出す手続きにまたおうかがいしますよ」


「ついに決心してくれたんだねえ。俺は嬉しいよ! 君の料理が食べられるなら、毎日だって通わせていただくよ、俺は」


「それぐらいの魅力がある料理をご提供できれば幸いです」


 屋台の件が片付いてしまったので、俺はもうこのすっとぼけたおっさんには用事がない。


 俺はもう一度、ルド=ルウを見る。

 すると、ルド=ルウは何の気もなさそうに、言った。


「カミュア=ヨシュ。俺の親父、ルウ本家の家長ドンダ=ルウから伝言がある。聞いてもらえるか?」


「もちろん! 承りましょう」


「……森辺の恥は、森辺ですすぐ。余計な手出しをしたら、貴様の首を刎ねる。――以上だ」


「了解しました。つつしみます」と、カミュアは気取った様子で一礼した。


 ルド=ルウはやはり表情を動かさぬまま、ちらりと俺を見る。


「それじゃあ、チャッチとギーゴを買いにいこうぜ。うかうかしてっと夕暮れになっちまうからな」


「そうだね。……それじゃあ、カミュア、せっかく探しに来てくれたのに申し訳ないですけど、俺たちもまだ買い出しの仕事が残っているので……」


「いいともいいとも! どうせ店を開けば、少なくとも10日間は毎日会えるのだからね。願わくば、その店が繁盛してギバ肉の料理が宿場町に浸透するように、祈っているよ、アスタ」


「ありがとうございます」


 そうしてカミュアは、現れたときと同様に、ふわりといなくなった。

 何だか――今日のおっさんは、ちょっと幽霊みたいに存在が薄かった気がする。


「……腹の立つ男だな」とルド=ルウが吐き捨てた。


「え?」


「俺の刀はギバを斬る刀だ。別にこいつで人間を斬るつもりはねーけど……斬りたくても斬れねー人間てのは、腹が立つ」


「ル、ルド=ルウ? それは――?」


「俺やダルム兄じゃ相手になんねーな。ジザ兄でも駄目かもしんねー。あのひょろ長い首を刎ねられるのは、たぶん親父ぐらいだ」


 そう言って、ルド=ルウは黄褐色の髪をかき回し、小さな子どもみたいに「ちぇっ」と舌を鳴らしたのだった。

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