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異世界料理道  作者: EDA
第一章 異世界の見習い料理人
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③異郷の朝

2014.9/11 脱字修正

2014.10/29 一部、文章を修正。ストーリーに変更はありません。

2014.12/13 誤字修正

「……ピコの葉は、森の中の水辺に生える。もっとも採取に向いているのはラントという川の周辺だが、上流はスン家やそのゆかりの氏族の縄張りであるので、私たちは下流に向かう」


「了解です、隊長殿」


 昨晩も通った道を逆にたどって、俺たちは森へと向かう。

 何やかんやと大騒ぎして出発が遅れてしまったが、集落の他の家などは静かなものだった。たまにちらちらと人影はうかがえるものの、通りに出てこようとする者はいない。


「ふん。誰も好きこのんで起きぬけに森へ入る心情になどはなれぬだろう。毛皮をなめしたり薪を割ったり、朝方はそういった雑事にあてているのだろうさ」


「それなのに、隊長殿は早朝から森に向かうのでありますか?」


「……いきなり居候が増えたから、薪の備蓄が心もとないのだ。普段はこんな朝っぱらから森に入ったりはしない」


「小官のせいでありましたか! まことにもって汗顔の至りであります!」


「……今すぐその喋り方をやめないと、舌を切り落とす」


「わかりました。ごめんなさい」


 アイ=ファはまだ少しご機嫌ななめの様子だったので、俺もしばらくは歩くことに専念することにした。


 眼前には、初めて見るこの世界の朝の情景が展開されている。

 昨日は暗くてわからなかったが、なかなかの絶景である。


 もやのかかった天空に、こんもりと盛り上がったモルガの山。こんなに

大きな山だったのかと感心したくなるぐらい、峰が左右にのびている。


 目指す先には、深い森。

 集落を作るために切り開かれたこの一帯をのぞけば、すべてが豊かな緑に覆われている。


 見渡す限りの大自然、だ。


 空気は冴えざえと澄みわたり、排気ガスの匂いもしない。

 空には、鳥が舞っている。

 気温もまだそんなには上がっていないのだろう。長袖の調理着を着てちょうどいいぐらいだ。


 ふっと目線を間近に戻せば、あたりに生えている灌木の茂みに朝露が光っている。

 これがキャンプか何かだったら、さぞかし俺も充足した気持ちになれたことだろう。


「なあ。そういえば、ピコの葉ってのは、いったい何なんだ?」


 森の端にさしかかったところで俺が尋ねると、アイ=ファは面倒くさそうに「お前がさっき涙を流して喜んでいた、あれだ」と言った。


「え? それってあの香辛料のことか? ずいぶん可愛らしい名前なんだな」


「……ピコの葉は、およそひと月ほどで効能を失ってしまうから、それまでに十分な備蓄を確保しておく必要があるのだ。ピコの葉がなければ、肉など2日を待たずして腐ってしまう。腐った肉を食いたくなかったら、しっかり働け」


「了解だ。……あの昨晩いただいた野菜なんかも、自然に生っているのを収穫してるのか?」


「アリアとポイタンの実は、宿場町でこいつと交換する」


 森の茂みに足を踏み入れつつ、アイ=ファは首飾りをじゃらじゃらと揺らす。


「ギバの角と牙1頭分で、10日分のアリアとポイタンを得ることができる。2人で食うなら、5日分か。……つまり、最低でも5日に1回はギバを仕留めないと、ギバの肉の他に食するものを得られない、ということだ。今はこうして、多少なりとも余裕はあるがな」


「ふーん? だけど、こんなに立派な山があるんだから、食糧なんてここから好きなだけ調達し放題なんじゃないのか?」


「……モルガの山から恵みを奪うのは、禁忌だ」


「え?」


「モルガの山の恵みを荒らせば、飢えたギバがジェノスの領地の田畑を襲うようになる。森辺の民は、ピコやリーロなどの香草や、毒性の強いグリギの実などといった、ギバにとっては食用にならない一部の草葉しか採取することを許されていない」


「許されていないって、誰にだよ? 山や森なんて、本来誰のものでもないだろ?」


「モルガの山も森もすべては西の王国セルヴァの版図だ。私たち森辺の民は、80年ほど前に戦禍を逃れて、南の王国ジャガルの版図からこの森辺へと故郷を移した。……そして森辺の民は、山を荒らさず、ひたすらギバを狩るという約定のもとに、この地に生きることを西の王国に許されたのだ」


「何だよそりゃあ? どっちにしろ、こんな馬鹿でかい山なんだから、ちょっとぐらい恩恵にあずかったってギバを飢えさせることになんてならないだろ」


「そんなことはない。ギバは、山の麓でしか生きられない種なのだ。山中の奥深くには、ギバの怖れるマダラマの大蛇やヴァルブの狼、それに凶悪な野人も巣食っている。私たち森辺の民とギバが生きていけるのは、山の麓のこの森辺だけなのだ」


「ふーむ……」


 理解はできたが、納得はできない。

 生存競争の結果として、ギバは山麓に追いやられた。それはしかたのないことだが、他人の田畑を守るために、森辺の民はギバを狩ることしか許されない、というのは……何だか、ものすごい貧乏くじなのではないだろうか?

 森辺の民は『ギバ喰い』として蔑まれている、という昨日の言葉も、心に強くひっかかっている。


「……森辺の民は、しょせん南の王国から流れてきた異国の血筋でしかないからな。南の神ジャガルを捨てて、西の神セルヴァに魂と剣を捧げた。それでも石の都の住人にとって、我々は同胞ならぬ余所者でしかないのだろう」


 俺の気持ちを先読みしたかのように、アイ=ファは感情のない声でつぶやいた。


「余所者ったって、もう80年ぐらいはこの土地に住んでるんだろ? もうちょい権利を主張しても、バチは当たらないんじゃないのかなあ」


「……私がスン家やルウ家の庇護など求めていないのと同じように、森辺の民は王国の庇護など求めていない。私たちは、田畑を耕すよりもギバを狩っているほうが性に合っているのだ」


「そうか。まあ、森辺の民とは比べ物にならないぐらい『余所者』の俺なんかが口をはさめる問題ではないのかもしれないな」


 俺の言い方が癇にさわったのか、アイ=ファがじろりとにらみつけてくる。


「いや、お前らの生き様を否定してるわけじゃない。ただ、俺もあんまり石の都の住人たちとは気が合わないかもなと思っただけだ」


「……ふん。お前のように生白い男は、森辺よりも石の都のほうが分相応だ」


 意地の悪いことを言うアイ=ファの顔をにらみ返しつつ、俺はふっとある想念にとらわれる。


「ちょっと待った。さっき、ひとりの人間10食分の食糧を得るのに、ギバ1頭分の角や牙が必要だって言ったよな? ってことは、10人家族の家だったら、毎日1頭ずつギバを狩らなきゃいけなくなるわけで――おいおい、それで森辺の民が総勢500名の団体様だっていうんなら、1日50頭のギバを狩る必要があるってことになるじゃないか?」


 それがどうした、というようにアイ=ファが首を傾げやる。

 それがどうした、じゃないだろう、おい。


「森辺の民は、80年もの間、毎日50頭ものギバを狩ってるっていうのかよ? そんな乱獲をしているのに、どうしていまだにギバは絶滅していないんだ?」


「ギバが絶滅などするものか。ここ数年はむしろその数が増大し、田畑への被害も増えていると聞く。私たちが狩り尽くせるほどギバの数は少なくないし、森は、とてつもなく広いのだ」


「はあ……そりゃまた、とてつもない話だな」


 だったらなおさら、そんな大仕事を森辺の民にのみ押しつけている王国とやらのやり口が杜撰に感じられるし。また、ギバを狩らねば他の食糧を得られないというシステムも、何やら悪辣に感ぜられてしまう。


 森の恵みを収穫することも、田畑を耕すことも許されず、ただ、ギバを狩れ、と――つまりは、そういう話なのだろう。


 その裏で、森辺の民を《ギバ喰い》などと蔑んでいるというのなら、もうお話にもならないではないか。


「……だから、森の恵みを荒らすことは、何者にとっても禁忌なのだ。禁忌を破れば頭の皮を剥がされることになる。それだけはしっかり頭に叩きこんでおけ」


「……わかったよ」


 アイ=ファの足がぴたりと止まり、その指先が俺の胸ぐらをひっつかんでくる。


「おい。さきほどからその態度は何なのだ? 文句があるなら、はっきり言ってみるがいい」


「だから、お前らに怒ってるわけじゃねえよ! 王国だか都だかの連中のやり口が気にいらねえってだけだ!」


 ぐらぐらとギバ鍋みたいに煮立っていたアイ=ファの瞳が、すうっと冷めていく。


「何だそれは? 森辺の民でもないお前が、何故そのようなことに怒りを覚える?」


「何でって、客観的に考えたら、どうしたって腹が立つようなやり口だろ。それに俺は森辺の民であるアイ=ファの世話になってるんだから、そっちの側に感情移入するのが当たり前じゃないか?」


「……おかしな男だな、お前は」


 俺の胸もとから手を放し、またざくざくと草葉を踏みしめて歩き始める。


「それに、言っていることも筋違いだ。私たちは、剣で脅されて約定に従っているわけではない。都の連中は気に食わないが、連中の安寧を守っているのは我々だという誇りも矜持も持っている。もしも我々がこの地を去れば、他の何者かが己の仕事を捨ててギバと闘わなくてはならなくなるであろう。……西の神セルヴァに剣を捧げた私たちは、ギバを狩ることで王国の繁栄の一翼を担っているのだ」


「うん……まあそのへんの感覚は、森辺の生まれではない俺にはよくわかんないけどさ」


「私たちは、誇りをもって森辺に暮らしている。この牙と角は、生きる糧でもあり、その誇りの象徴だ。だから、森の恵みを荒らすことで、結果的に王国に害を為すのは、森辺の民の誇りを踏みにじる恥知らずの行為だと覚えておけ」


「わかった。王国の都合なんて知ったこっちゃないけど、森辺の民の誇りのためだってんなら、俺も気持ちよく約束事を守れそうだ」


 半ば無理矢理にでも、今のところはそう納得しておくことにした。

 枝葉をかきわけ、足速に進みながら、アイ=ファがちらりと視線を飛ばしてくる。


「……本当にお前はおかしな男だな、アスタ」


 不思議なことに、そんな風につぶやくアイ=ファの瞳からは、朝からの不機嫌そうな様子がきれいに消え去っているような気がした。



             ◇



 そのまま数十分ほど歩いて、太陽がすっかり姿を現した頃、俺たちは第一の目的地に到着した。


 ピコの葉が生息するという、ラントの川辺だ。

 川幅はおよそ5メートルほど。下流というだけあってそんなに流れは速くなさそうだが、深さはけっこうありそうだ。透明な水が木漏れ日を反射させて、実に荘厳な眺めである。


 しかし、その周辺は川にそって険しい岩場が続いており、草らしい草などは生えていなかった。


 ここからさらに移動するのかな、とアイ=ファを振り返ってみると、娘さんは何故か肩から羽織っていた毛皮のマントを脱ぎ始めていた。


「……ピコの葉を探す前に、行水をする」


「は? 行水?」


「何だ? ギバの脂にまみれたまま汗をかくと不快なのだ」


 すっかりご機嫌は回復したようだが、もともとデフォルトでぶっきらぼうなアイ=ファである。そんなアイ=ファはきわめて突っけんどんな口調でそう仰られながら、脱いだマントを俺に手渡してきた。


 おお、これはなかなかの重量だ。よく見ると裏地には小さなポケットがいくつも縫いつけられており、正体の知れぬ木の実だの、鉄の針だの、革紐の束だのが押しこめられている。総重量は、2、3キロぐらいあるのかもしれない。


「……ついでに、これも預けていく」と、アイ=ファは牙や角の首飾りまでもを外し、俺のほうに差しだしてきた。


 しかし、下僕めは革マントで両手がふさがっておりますぞ、姫。


「頭を下げろ」と、足を蹴られた。

 別に蹴らなくても下げますよ、と少し腰を屈めてみせると、両手で首飾りを広げたアイ=ファが目の前に接近してくる。


 ああ、近いな。記憶には残っていない早朝の一件を除外すれば、過去最高の至近距離だ。……とか、余計なことを考えていたら、嫌でも相手の首筋に目線が動いてしまった。


 ほっそりとした首の左側に、青紫色の歯型がくっきりと残っている。

 ああ、何という手加減なしの暴行をはたらいてしまったのだ、俺は。

 というか、姫君の香気はやっぱり死ぬほど芳しいです。そして、顔が近いです。肌が綺麗です。桜色の唇がセクシーです。

 ……これは新手の罰ゲームか何かなのでしょうか。


 そんな阿呆な想念には気づかぬままに、アイ=ファは俺の首に首飾りをかけて、すみやかに身を引いた。


「よし。……ギバはまだ眠っている頃合いだが、中には朝からうろつき回る変わり種もいる。森からギバの気配を感じたら、すぐに声をかけろ」


「了解です。森を見張っていればよいのですね?」


 俺は平常心を装っていたつもりだが、アイ=ファは何だかとっても冷ややかな目つきで俺の顔をねめつけてきた。


「……念のために言っておくが、未婚の女の裸身を目にするのは、禁忌だ」


「え。既婚の女なら許されるのですか?」


「……妻の裸身を目にすることが許されるのは、夫だけだ」


 ああ、よけいなことを言わなければ良かった。アイ=ファの目がさらに2割ほど冷ややかさを増した気がする。


「……見張っていろ」


「……了解です」


 俺はなるべく大きな岩を探して、そこに背をもたれて森の様子を監視することにした。

 だけどまあ、森辺の民にとっては生きる糧であり誇りそのものであると説明されたばかりの首飾りを託してくれたり、出歯亀行為に及んだりはすまいと信用したりしていただけるのは、非常に栄誉なことなのだろう。


 しかし、何だろう。俺はまだこのアイ=ファという娘の行動原理をつかみきれずにいる。


 人並み以上に警戒心が強いかと思えば、あっさり俺みたいな人間を信用したりもしてしまうし。ずいぶん面倒見がいいんだなあと感心した直後に、冷たく突き放されたりもする。

 基本的には善良で優しい気性をしているとは思うのだが、偏屈的で感情の振り幅が大きいという事実も否めない。


(だけどまあ何にせよ、信頼に値する相手ではあるよな)


 そんな風に、俺が考えたとき。

「ああッ!」という、抑制を失ったアイ=ファの悲鳴が、川辺の静寂を粉々に打ち砕いた。

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