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異世界料理道  作者: EDA
第五十二章 ゲルドの再来
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宿屋の寄り合い①~朝~

2020.5/22 更新分 1/1

 翌日――茶の月の1日である。

 プラティカ、レイナ=ルウ、ルド=ルウ、リミ=ルウと、4名もの客人を迎えることになったファの家は、きわめて賑やかな朝を迎えることになった。


 ただし、ルウ家の3名は起床してすぐに帰宅である。狩人であるルド=ルウはまだしも、レイナ=ルウとリミ=ルウには朝の仕事が待ちかまえているのだ。俺たちが洗い物の準備をしている間に、ルド=ルウたちは慌ただしく出立の準備を整えていた。


「では、アスタとプラティカはまたのちほど。収穫祭に関しては、まずミーア・レイ母さんに話を通しておきますので」


 そんな言葉を残して、レイナ=ルウたちは朝もやの中を帰っていった。

 それを見送りながら、プラティカはふっと息をつく。


「レイナ=ルウ、親切です。この厚意、報いねばなりません」


「そうですね。でも、貸し借りのように考える必要はないと思いますよ」


 収穫祭の見学に関しては、それにまつわるすべての氏族に了承を得なければならない。それを聞いて回る役割はルウ家が受け持つと、レイナ=ルウが約束してくれたのだ。

 だけどまあ、どのような案件でもそういった役割は族長筋の人間が受け持つものであるので、プラティカを特別扱いしているわけではない。あとは、族長たちとデイ=ラヴィッツたちがどのような判断を下すかであった。


「それじゃあ俺たちは、洗い物に向かおうかと思いますが……プラティカは、どうされますか?」


「無論、手伝います。一宿一飯、恩義です」


 プラティカは、右肩に垂らしていた三つ編みの長い髪を持ち上げると、それをそのまま頭の天辺近くにくくりつけた。ちょっと変形のポニーテールのようなスタイルである。

 そうすると、なめらかなうなじがあらわになって、何がなし俺をどきりとさせる。

 そして次の瞬間には、食い入るような眼光を横顔に感じることになった。眼光の主は、もちろん最愛の家長である。


「よし、それじゃあ水場に向かおうか!」


 俺が元気いっぱいに宣言しても、アイ=ファの眼光がゆるむことはなかった。

 そうして3人で手分けをして調理道具や食器の山を運搬し、水場へと向かう。そちらでは、フォウやランの人々が待ち受けていた。


 勉強会に参加した家人から、事情はすでに通達済みである。プラティカは洗い物に励みながら、四方から飛ばされてくる質問に逐一応じることになった。


(なんというか、森辺の外から客人を迎えることにも、すっかり慣れっこだな)


 およそ1年と8ヶ月前、俺が初めて森辺を訪れたときなどは、遠巻きにされて冷たい視線を送られていたものである。それはもちろん、スン家と対立していたアイ=ファ自身が忌避されていたという面もあろうが、それ以上に、森辺に外界の人間が訪れることが稀であったのだ。


 しかし現在では、数々の客人が森辺を訪れている。ジェノス在住の人々は言うに及ばず、ジャガルの建築屋の一行や、ディアルたちや《銀の壺》や傀儡使いの一行など――あまつさえ、シュミラル=リリンやマイムたちなどは森辺の同胞として迎えられることになったのだから、凄まじいばかりの変転といえよう。よって、今さら異国の少女がひとりばかり森辺で一夜を明かそうとも、驚く人間などは存在しないのかもしれなかった。


(この調子なら、収穫祭の見学も許されるのかな。……まあそれは、やっぱりデイ=ラヴィッツ次第か)


 そうして洗い物を終えたならば、お次は森の端にて薪と香草の採取である。プラティカは、当然のように同行を希望した。


「香草、自生のもの、採取しているのですね。興味深いです」


「ええ。ただ、採取してるのはピコとリーロの2種だけですけどね。あとは毒虫除けのグリギの実を補充するぐらいです」


 そして採取作業の前には、恒例の水浴びである。

 ラントの川まで到着すると、アイ=ファは探るようにプラティカを見やった。


「私たちは、この時間にこの場所で身を清める。お前は、どうするのだ?」


「はい。城下町、戻る時間、惜しいので、ご一緒したく思います」


 プラティカは3年間も西の王国を放浪していたという話であるので、川で水浴びをする機会もあったのだろう。以前にディアルが宿泊した際は水浴びを辞退していたが、彼女に臆するところはないようだった。


 俺はいつも通りに川辺の巨岩に背をもたれて、アイ=ファたちが水浴びを完了させるのを待つ。この場にアイ=ファ以外の人間が参じるのは、ティアと別れてから初めてのことかな――と、甘酸っぱい追憶を噛みしめることになった。


 それにしても、昨日出会ったばかりの相手の水浴びに立ちあうというのは、いささか落ち着かない心地である。以前にヤミル=レイを客人として迎えたときも、同じような心地を抱かなくもなかったが、あのときはラウ=レイも一緒であったので、そこまでは気にならなかったのだ。


(まあ、余計なことは考えないでおこう。さっきもアイ=ファににらまれちゃったしな)


 俺がそんな風に考えていると、ずっと静かであった巨岩の向こうからアイ=ファの声が聞こえてきた。


「……お前はさっきから、何をじろじろと見やっているのだ? 他者の裸身をそのように見やるのは、いささか礼を失しているように思うのだが」


「失礼しました。ただ、驚嘆していたのです」


「驚嘆?」


「はい。東の民、子を生さなければ、そうまで乳、張ること、ありませんので」


「ティアと同じようなことを抜かすな!」


 ばしゃんっと大きな音がした。客人の頭をひっぱたくことはできなかったので、川面を殴打することになったのだろう。

 俺がくすくすと笑っていると、首筋にぽたりと冷たいものが当たった。見上げると、巨岩の上からアイ=ファの赤くなった顔だけが覗いている。


「……何を笑っているのだ、お前は?」


「いや、なんだか微笑ましいなあと思って」


「……アスタよ、頭を出すがいい」


「うわ、身を乗り出すなって! 俺へのおしおきは服を着てからにしてくれ!」


 そうしてアイ=ファにおしおきをされた後は、俺も行水を済ませて、薪と香草の採取である。ピコやリーロはセルヴァの北部にも自生しているとのことで、プラティカにとっても既知の存在であったようだ。


「ただし、ゲルドの領地、存在しません。気候、適していないのでしょう」


「そうですか。ゲルドというのはマヒュドラと隣接していて、とても気温が低いのですよね?」


「はい。山の雪、溶けること、ありません。香草、野菜、独自の品種、多数存在します」


「なるほど。ゲルドの食材が到着する日が、楽しみでなりません」


 律儀に薪を拾いながら、プラティカはきろりと俺をねめつけてきた。


「アスタ、浮かれていますね」


「はい。恥ずかしながら、未知なる食材のことを考えるだけで楽しい気持ちになってしまいます」


「心情、わかります。私、同様ですので。……ミソ、タウ油、ホボイ油、いずれも素晴らしい食材です。心、弾みます」


 その面は無表情で、眼光も鋭いままであったが、それはプラティカの本心であったのだろう。森辺の習わしがなかったら、手を取り合って喜びを分かち合いたいぐらいであった。


「やっぱり、そうですよね。それに俺は、プラティカに出会えたことでも、心が弾んでしまっています」


「何故でしょう? 私、未熟です。料理人として、価値、高くありません」


「俺たちにとっては、初めてお近づきになる東の料理人ですからね。それだけで、心が弾んでしまうのですよ」


 そう言って、俺は心からの笑顔を届けてみせた。


「それにプラティカはまだ13歳ですが、修練のために3年間も西の王国を放浪していたという話ですし……何より、それだけの熱情を持っておられますからね。価値が高くないなんて、そんなことは絶対にないと思います」


「……過度の期待、負担です」


 無感情なハスキーボイスで言ってから、プラティカはぴくりと唇を震わせた。これはラダジッドなどがよく見せていた、微笑をこらえる仕草なのではないだろうか。


「ですが、光栄です。私こそ、アスタ、出会えて、心、弾んでいます」


「あはは。そんな風に言ってもらえたら、こちらこそ光栄です」


 やはり、昨日の昼下がりからずっと行動をともにしている上に、同じ料理人の身の上ということもあって、俺はずいぶんとプラティカを好ましく思うようになっていた。レイナ=ルウも、きっと同じような心地にとらわれて、あれこれ骨を折ることに決めたのだろう。


(それに、プラティカって何だか――)


 と、俺があらぬ想念にとらわれかけたとき、再び横顔に視線を感じた。

 振り返ると、アイ=ファが山猫のごとき気迫を発散させながら、ピコの葉をむしっている。このたびはアイ=ファの機嫌を損ねるような心当たりもなかったので、俺は内心で小首を傾げつつ、そちらに身を寄せることになった。


「なあ、俺は何かアイ=ファを不愉快にさせてしまったか?」


 俺がこっそり囁きかけると、アイ=ファはおもいきり口をとがらせた。俺が近づいたことにより、プラティカからは死角となったのだ。


「言っておくけど、やましいことは何もないからな? これは、あれだよ。アイ=ファがヴァン=デイロに抱くような敬愛の念なんだろうと思うよ」


 それでも、アイ=ファの唇は戻らない。これはいささか、想定外であった。俺たちはつい数日前、闘技会の祝宴で貴公子や貴婦人に取り囲まれることになり――それでもおたがいに心を乱す必要はない、と気持ちを確かめ合ったばかりであったのだ。


「なんだろう? 気にかかることがあるなら、なんでも言ってくれ。プラティカとは、これからもつきあいを深めることになるだろうから、誤解や疑念は解消しておくべきだと思うぞ」


「…………」


「ていうか、アイ=ファとの間に誤解や疑念なんて残しておけないよ。俺たちの間に隠しごとはなしって約束だろう?」


 アイ=ファは唇をひっこめると、ちょっと苦しげに眉をひそめた。

 こちらの不穏な気配を察してか、プラティカは少し離れた場所まで薪を拾いに移動している。その背中をちらりと見やってから、アイ=ファは俺の耳に唇を近づけてきた。


「お前はいつになく、愛おしげな目であやつを見ている。それはどこか……私を見るときの眼差しに似ているように思えるのだ」


「ええ? そんなまさか――」と言いかけて、俺は口をつぐむことになった。

 アイ=ファは唇を噛みながら、俺の腕をぎゅっとつかんでくる。


「思い当たることがあるようだな。もしやお前は、あやつのことを――」


「いや、違う違う。誤解させてしまったんなら、謝るよ。俺はちょっと……おかしな想像をしてしまっていただけなんだ」


「おかしな想像……」


「うん。プラティカは今日の朝から、ああやって三つ編みの髪を上のほうにくくりつけてるだろう? あの髪型って、ちょっとアイ=ファに似てないか? ちょうど髪の色なんかも、似た感じだしさ」


 俺の腕を握りしめたまま、アイ=ファは困惑の表情となった。

 その胸中の不安を一瞬でも早く溶かすべく、俺は全力で笑ってみせる。


「でさ、俺は昨日から、プラティカの声や目つきなんかが、アイ=ファにちょっと似てるなあって思ってたんだよ。無表情でぶっきらぼうなところなんかは、出会った頃のアイ=ファに似てなくもないしさ。だから、俺は……アイ=ファに妹でもいたら、こんな感じなのかなあって、そんな想像をしてしまっていたんだ」


 アイ=ファは完全に不意打ちをくらった様子で、大きく目を見開いた。

 照れ隠しに頭をかきながら、俺は言葉を重ねてみせる。


「プラティカは山の民で、ずいぶん張り詰めた気配を発してるみたいだから、それも狩人であるアイ=ファと似ているように感じちゃったのかな。……まあ何にせよ、そういうわけなんだよ。アイ=ファに妹がいたとしたら、なんて想像するのが楽しくて、ついつい顔がゆるんじゃったかもしれないけど、俺は――」


 アイ=ファの両腕が、いきなり俺を抱きすくめてきた。

 そして、1秒にも満たない時間で俺を突き放し、身を離す。暴風雨のごとき抱擁に蹂躙されたのち、俺は地面に倒れ込むことになった。

 見上げると、アイ=ファは何事もなかったかのように腕を組み、そっぽを向いている。ただ、その横顔は朱に染まり、息を呑むほどに綺麗だった。


「……あまりややこしい心情を抱くな。そのような心情を見抜くことは、難解に過ぎる」


「うん。だから人間には、言葉が必要なんだろうと思うよ」


 俺は明るく笑ってみせたが、心臓のほうは痛いほどに胸郭を叩いていた。ほんの一瞬の抱擁で、アイ=ファの情愛が全身を駆け巡っていったかのような心地であったのだ。

 すると、こちらに背を向けていたプラティカが、緑色の大きな葉をつまみながら振り返ってきた。


「こちら、リーロでしょうか? 形、似ていますが、見分け、難しいです」


「見分けがつかぬなら、迂闊に触らぬことだ。この森には、触れるだけで皮膚のかぶれる毒草も存在するのだぞ」


 アイ=ファはずかずかとプラティカに近づいていった。

 俺は呼吸を整えながら、ゆっくりと身を起こす。そうしてアイ=ファたちのほうを見やると、やっぱりその姿は姉妹のように睦まじく見えてしまった。


                  ◇


 そうして採取作業を終えたのちは、いよいよ屋台の商売の下準備だ。

 この時間、プラティカは昨日の勉強会の時にも劣らない真剣さで、俺たちの作業を見守っていた。俺ばかりでなく、すべてのかまど番の手もとを検分して、何もかもを貪欲に吸収しようとしているかのようである。その熱心さは、たびたび森辺を訪れているロイやシリィ=ロウたちにも負けていなかった。


(プラティカは、どんな料理を作るんだろうな。こっちも早く腕を見せてもらいたいもんだ)


 二刻ほどの時間をかけて下準備を済ませたならば、ルウの集落に出発である。

 そちらでは、笑顔のレイナ=ルウが待ち受けていた。


「族長である父ドンダはまだ眠っていますので、起きたらすぐに収穫祭の話をしておきますね。ザザとサウティは家が遠いので、ちょっと返事は遅くなってしまうかもしれませんが……収穫祭に参加する氏族からの返事は、屋台の商売を終える頃にお伝えできるかと思います」


「はい。ありがとうございます。……レイナ=ルウ、宿場町、下りないのですか?」


「わたしは今日の当番ではないので、後から宿場町に向かう予定です。プラティカが寄り合いに参加できるように祈っていますね」


 レイナ=ルウは笑顔であったが、プラティカはちょっと残念そうな眼差しになっているように感じられた。昨晩から何かと目をかけられていたので、レイナ=ルウを慕わしく感じているのだろう。

 そんなプラティカのもとに、本日の当番であるシーラ=ルウとララ=ルウも近づいてくる。彼女たちとは、これが初対面であった。


「わたしは本日の屋台の取り仕切り役をつとめる、ルウの分家のシーラ=ルウと申します」


「あたしは本家の三姉で、ララ=ルウだよ。あんたが縁を結んだレイナ姉とリミは、あたしの姉と妹なの。どうぞよろしくね!」


「はい。よろしくお願いいたします」


 きっとルウ家でも、プラティカの人柄は周知されることになったのだろう。シーラ=ルウとララ=ルウの表情にも、強い警戒の色はなかった。

 いっぽうプラティカは、用心深い山猫のような眼差しとなって、ふたりの姿を検分している。こういう部分も、ちょっとアイ=ファを連想させるのだ。


(アイ=ファが13歳の頃は、こんな感じだったのかな。……いや、その頃はまだ親父さんも存命だったから、もっと無邪気な感じだったのかな)


 そんな思いをかきたてられながら、俺は宿場町へと向かうことになった。

 その道中で、俺はプラティカにあれこれ伝達しておくことにした。


「屋台の取り仕切り役であるレイナ=ルウとシーラ=ルウは、城下町にもたびたび招かれていて、かまど番としての腕も森辺で指折りであると思いますよ」


「そうですか。屋台の料理、ルウの家、ファの家、まさり劣り、ありませんでした。また、ディンの家の菓子、秀逸でした」


「ディンの屋台を取り仕切っているのは、そちらのトゥール=ディンとなります。彼女の腕も、森辺で指折りですよ」


「と、とんでもありません。わたしなんて、まだまだ若輩者ですので……」


「トゥール=ディン、名前、聞いています。城下町、貴族に菓子、売っている御方ですね? あなた、考案した、『大福餅』、作り方、学びました」


「い、いえ、あれももともとは、アスタの考案してくださった菓子ですので……」


 そういえば、アルヴァッハには大福餅のレシピも伝えられていたのだ。遥かなるゲルドの地において、プラティカの作りあげた大福餅がアルヴァッハに供されていたのかと思うと、なかなかに感慨深かった。


 やがて宿場町に到着したならば、まずはミラノ=マスに寄り合いの打診だ。このいきなりの申し出に、さすがのミラノ=マスも目を丸くしてしまっていた。


「東の貴族に仕える料理番が、寄り合いで出される食事の味見をしたいだと? それはまた、ずいぶん突拍子もない申し出だな」


「はい。こういう話は、やはり商会長のタパスにおうかがいを立てるべきでしょうか?」


「うむ。貴族にまつわる話であれば、あいつに任せる他なかろうな。……というか、こういう話はまず貴族のほうからタパスに話を通すものなのではないのか?」


 言われてみれば、その通りである。そもそも宿場町を統治しているのはサトゥラス伯爵家であるのだから、それを飛び越して勝手に話を進めるというのは、何やら不義理な感じがした。


「プラティカ、寄り合いについても収穫祭についても、まずはアルヴァッハやジェノスの領主らにおうかがいを立てるべきではないでしょうか?」


「はい。それでは、アルヴァッハ様、到着を待ちたい、思います」


「ん? アルヴァッハと、どこかで落ち合う約束をしておられるのですか?」


「はい。アルヴァッハ様、ギバ料理の屋台、何としてでも出向く、言っていました」


 であれば、誰かしらジェノスの関係者も同伴することだろう。まずはそちらに話を通すべき、という形に落ち着いた。

 そういうわけで、俺たちは屋台の商売である。

 プラティカはアルヴァッハの到着を待つとのことで、ずっと屋台の裏側から俺たちの作業を見守っていた。


「よお、あの娘っ子は、けっきょく昨日からずっとつきっきりだったのか? 呆れるぐらいの熱心さだな」


『ミゾ仕立てのキミュス骨ラーメン』の準備を進めながら、レビがこっそり囁きかけてくる。『ギバ肉の卵とじ』の準備を進めながら、俺は「そうだね」と答えてみせた。


「あの熱心さには、頭が下がるよ。ちなみに宿屋の寄り合いにも参加するかもしれないから、そのときにはどうぞよろしくね」


「はは。そこまで熱心だと、ちっとばかり怖くなるぐらいだな」


 そんな風に言いながら、レビの表情は朗らかであった。俺たちがプラティカの存在を忌避していないのなら、自分が余計な口を出す必要はない、と考えてくれているのだろう。


 そうして屋台の商売を開始して、半刻ほどが過ぎた頃――ちょうど昨日と同じタイミングで、アルヴァッハたちが再来した。

 ただし今回は、城下町の立派なトトス車に乗っての登場だ。宿場町の入り口で停車したトトス車からは、さらに何名もの人々がぞろぞろと降りてきた。


「やあやあ、仕事のさなかに申し訳ないね、アスタ殿。今日もゲルドの貴人の方々のために、料理を買わせていただくよ」


 まずそのように声をかけてきたのは、ポルアースであった。

 さらに、メルフリードとフェルメスとジェムドまでもが顔をそろえて、そこに複数の武官が加えられている。ちょうど朝一番のラッシュを終えた時分であったが、往来の人々を仰天させるには十分な顔ぶれであった。


 これでは俺も、本腰を入れてお相手をしなければならない。昨日と同じようにレイ=マトゥアとクルア=スンに留守番をお願いしていると、ルウ家の屋台からもシーラ=ルウが駆け寄ってきた。


「ああ、本当にすまないねえ。プラティカ殿のことに関しても、重ねて御礼を言わせていただくよ」


「はい。そのプラティカについて、ちょっとご相談したいことがあるのですが……」


 そうして俺の口から寄り合いと収穫祭について告げてみせると、ポルアースも目を丸くすることになった。


「それはそれは……たった一夜で、すいぶん話が広がったものだねえ」


「はい。森辺の民としては、プラティカの申し出をどのように受け止めるべきでしょうか?」


 すると、無言で話に聞き入っていたメルフリードが進み出てきた。その月光めいた光を放つ灰色の瞳が、俺とプラティカとシーラ=ルウの姿を順番に見回していく。


「そちらのプラティカなる料理番の扱いに関しては、森辺の民の意思に任せたいという言葉を、アルヴァッハ殿から承っている。貴族同士のしがらみなどを考慮する必要はないので、森辺の民の判断にゆだねたい、と……それでよろしいのですな、アルヴァッハ殿?」


「うむ。プラティカ、粗雑、扱い、受けるなら、本人、責任である。我々、口出ししないこと、誓約する」


 そんな風に言ってから、アルヴァッハはタランチュラのように巨大で骨ばった手の指先を組み合わせた。


「……ただし、昨晩、逗留に関しては、我、申し出である。快諾してくれたこと、深く感謝している。いずれ、ファの家、ルウの家、感謝の言葉、あらためて伝えたい」


「いえ、こちらもプラティカとご縁を結べて嬉しく思っています。……それでは、寄り合いに関しては如何いたしましょうか?」


 アルヴァッハは、無言でメルフリードのほうに視線を転じた。

 メルフリードは「ふむ」と静かに目を光らせる。


「それもまた、我々の関知するところではないのだが……サトゥラス伯爵家には、事前に話を通しておくべきであろうな。それは、こちらで承ろう。いずれ商会長のもとに使者が届けられるであろうから、そちらはそちらで話を進めるがいい」


「ええ。貴人をお招きするわけではないのですから、商会長も二の足を踏むことはないでしょう」


 フェルメスがそのように声をあげると、メルフリードがそちらを振り返った。


「では、フェルメス殿も見届け役を願い出ることはないのだな?」


「はい。宿屋の寄り合いは、以前にも拝見していますしね。……それに僕まで出向いてしまうと、多くの人々に余計な気苦労をかけてしまうでしょうし」


 深く傾けたフードの陰で、フェルメスはくすくすと笑い声をたてた。


「僕が同伴を願うのは、アルヴァッハ殿らがおもむく時のみということにいたしましょう。その際には、きっと通訳も必要になるでしょうしね」


「うむ。フェルメス殿、厚意、ありがたい、思っている」


 重々しい声音で述べてから、アルヴァッハは俺を見下ろしてきた。


「我々、現在、ジェノス城、歓待、受けている。そちら、一段落したならば、ファの家、おもむくこと、許されるだろうか?」


「ええ、もちろんです。家長もそのつもりでおりますので、ご都合がつきましたらいつでもご連絡をお願いいたします」


「アイ=ファ、アスタ、温情、感謝する。……では、ギバ料理、購入、いいだろうか?」


「はい。どうぞご存分にお召し上がりください」


 そこで俺は、また新たな申し出を受けることになった。アルヴァッハたちはトトス車の中で食事を済ませるので、その場に立ちあってもらいたい、というのだ。


「申し訳ない。我からも、陳謝する」


 と、頭を下げてきたのはナナクエムである。どうして彼が陳謝しなければならないかというと――


「アルヴァッハ、昨日、思うさま、感想、伝えられなかった。昨晩、その無念、噴出し、我、理由もなく、感想、聞かされることになったのだ。アルヴァッハ、病である」


 そんな話を聞かされては、俺も無下には断れなかった。

 中天までには屋台に戻らせていただくという約束で、トトス車に同行する。昨日と品目が異なるのは、『ギバ肉の卵とじ』と『クリームシチュー』、そして『ミソ仕立てのキミュス骨ラーメン』であったので、その三品を召し上がっていただくことにした。


 トトス車にお邪魔してみると、床には立派な絨毯が敷きつめられている。あまり椅子を好まないゲルドの貴人たちのために、特別に準備されたのだそうだ。俺たちは入り口で履物を脱ぎ、そこで車座を形成することになった。


 アルヴァッハにナナクエムにプラティカに、メルフリードやポルアースまで料理を買いつけている。もともと10名ぐらいの人間がゆったりとくつろげる大きなトトス車であるが、この人数で料理まで広げると、なかなか容量は限界に近かった。


 俺とシーラ=ルウは入り口のそばで膝をそろえて、ひとまず貴き人々が料理を口にする姿を見守る。が、『ギバ肉の卵とじ』を口にするなり、アルヴァッハはかたわらのフェルメスに長々と東の言葉を伝えることになった。


「……はい、承知いたしました。それでは、アスタもよろしいでしょうか?」


「はい。よろしくお願いいたします」


「では、お伝えいたします。……この料理も、タウ油の特性が素晴らしい形で活かされているように感じられる。おそらくはジャガルの砂糖と酒が使われているのであろうが、その配分が見事である。また、そこにさらなる深みが加えられているのは、ギバ肉からもたらされる出汁であろうか? あるいは、西の王都からもたらされる燻製魚や海草の出汁であろうか? おそらくは、後者であろうと思われる。タウ油と砂糖と酒のみでも高度な調和を為せるであろうに、そこで慢心せず、さらなるひと手間を惜しまないアスタの心意気には敬意を表したい。アスタが凡百なる料理人と異なるのは、強い味付けの裏に土台となる出汁の存在を欠かさないことがひとつの大きな要因なのであろうと、我は常々そのように考えていた」


「はい、過分なお言葉をありがとうございます」


 フェルメスが息継ぎをするタイミングで、俺はそのように応じてみせた。

 もちろん論評がそこで終わらないことは、俺も承知の上である。それぐらい、アルヴァッハは長きの言葉をフェルメスに伝えていたのだ。


「……そして、そこにキミュスの卵を絡めるという手練も、また秀逸である。ほどよく熱を通された卵は黄身も白身もやわらかく、それがタウ油の汁と絶妙なる調和を為している。もとよりキミュスの卵というのはトトスの卵よりも繊細な味わいを有した食材であるように見受けられるが、その繊細さが絹糸のようにタウ油の汁と絡み合い、夢幻のごとき味わいを織り成している。そして、それ自体で完成された卵の料理が、ギバ肉をより豪奢に飾りたてるための細工であるのだから、感に堪えない。塩とピコの葉で引き締められたギバ肉が卵とタウ油の汁を纏ったさまは、宴衣装で着飾った貴婦人さながらであり、甲冑を纏った武人さながらである。豪奢さと勇猛さを兼ね備えたこの味わいは、故郷の言葉を使っても十全に説明しきれないのではないのかと、我は大きな不安にとらわれてしまっている」


「いえ、アルヴァッハのお言葉はいつも大きな励みであります」


 すると、今度はアルヴァッハ自身が西の言葉で語りかけてきた。


「この料理、見事である。しかし、我、ふたつの無念、抱えている。その内容、察知、可能であろうか?」


「ふたつの無念?」と、俺は考え込んだ。

 もちろんアルヴァッハの心情を言い当てる自信などはなかったのだが――俺なりの答えは、すぐに見つけだすことができた。


「そうですね。もしもこれが屋台ではなく、晩餐の場でアルヴァッハに供していたならば……2点ほど、細工を凝らす余地があります」


「ふむ。その細工とは?」


「まず、こちらの料理は焼きポイタンでなく、粒状のシャスカで召し上がっていただきたいところですね。もう1点は……チットを主体にした香辛料を添えたく思います」


 アルヴァッハは巨体をぐらりと揺らしながら、東の言葉で何かをつぶやいた。

 それはおそらく、反射的にこぼした言葉であるのだろう。フェルメスは、優雅な微笑とともにその内容を伝えてくれた。


「アルヴァッハ殿が感じられたのは、まさしくその2点であられたようです。何故に察することができたのか、と非常に驚かれております」


「もとより俺の故郷でも、こちらの料理はシャスカに似た食材とともに食されていました。後掛けの香辛料も、同様ですね。……だから、シムのお生まれであるアルヴァッハなら、シャスカと香辛料をお望みになるのではないかと推測した次第であります」


 アルヴァッハは、東の言葉で何かをまくしたてた。フェルメスは、その内容をゆったりとした口調で伝えてくれる。


「こちらは屋台の料理であるために、シャスカを準備できなかったのであろうと察することがかなった。しかし、香辛料を用いなかったのは、どういった理由であろうか? この味付けにはチットの実を始めとする香草の味が調和するのであろうと思うのだが……アスタは、後掛けの香辛料と言った。後掛けにしなければならない必然性があるのならば、是非とも聞かせてもらいたい」


「そうですね。チットの実というのは、熱を加えると味や風味が変質してしまいます。この料理には、煮汁にチットの実を加えるよりも、後から掛けたほうが調和するように思いますし……また、西や南のお客であれば、香辛料の辛みは不要と考える方々も少なくはないように思えたので、なおさら使う気にはなれませんでした。俺の故郷でも、辛みを足したい者だけが後掛けで使用するという作法であったのですが、こちらの食堂ではまだ後掛け調味料の作法も確立されていないのですよね」


 そんな風に言ってから、俺はアルヴァッハに笑いかけてみせた。


「なおかつ、俺がこちらの料理で使いたいと思うのは、七味チットという香辛料です。たしか以前に、アルヴァッハにも七味チットをお出ししたように思うのですが……あれは、『ギバ骨ラーメン』だったでしょうか?」


「うむ。シュミラル=リリン、ヴィナ・ルウ=リリン、婚儀の祝宴である」


「ああ、やっぱりそうですよね。あの七味チットというのは通常のチットの実よりもさらに繊細に味が組み立てられていますので、熱を加えるといっそう風味が台無しになってしまうのです。


「なるほど。理解した。アスタ、慧眼、感服である」


 アルヴァッハは納得してくれたようだが、俺の側にはまだ伝えるべき言葉が残されていた。


「ただもう1点、こちらの料理を晩餐でお出しするとしたら、俺は通常のギバ肉ではなく『ギバ・カツ』を使いたいと考えるかもしれません」


『ギバ・カツ』と、アルヴァッハは明瞭なイントネーションで反復した。


「以前、『ギバ・カツ』、シャスカとともに、供されていた。あの時、味付け、ミソであった。こちらの料理、水気、いっそう多い、感じられるが、『ギバ・カツ』、調和するのだろうか? 見事な衣、食感、損なわれないだろうか?」


「そこは好みの問題になってしまうかもしれませんが、森辺では好評をいただいています。あと、実は俺の故郷でも、素の肉を使うよりもカツを使うほうが主流であったのですよね。素の肉を使う際には卵の主である鳥の肉を使い、『親子丼』などと称されておりました。卵と関係ない肉を使う場合は、『他人丼』でありますね」


「興味深い。我、すべて味わうこと、願う、傲慢であろうか?」


「いえいえ。機会がありましたら、すべての料理を準備をして食べ比べていただきましょうか?」


「……アスタ、温情、感謝する」


 アルヴァッハは、感じ入ったようにまぶたを閉ざした。

 黙々と食事を進めていたナナクエムが、そこで初めて「アルヴァッハ」と声をあげる。


「アスタ、中天まで、約束である。最初の料理、時間、費やしすぎであろう」


「……我、ようやく、アスタ、思うさま、言葉、届けられた。その瞬間、この2ヶ月、待ち望んでいた。心、いささか乱れる、当然、思える」


 そんな風に答えてから、アルヴァッハは俺の顔をじっと見つめてくる。

 俺はもう1度、そちらに笑顔を送ってみせた。


「はい。俺もなんだか……ようやくアルヴァッハに再会できたという実感がわいてきたみたいです。ゲルドにお帰りになるまでの間、どうぞよろしくお願いいたします」


 アルヴァッハは重々しくうなずいてから、わずかに口もとを震わせた。

 もしかしたら、それは微笑をこらえるための仕草であったのかもしれなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ミゾ仕立てのキミュス骨ラーメン  ↓ ミソ仕立てのキミュス骨ラーメン ですよね
[良い点] うま味を知る男、その名はアルヴァッハ [気になる点] 自分は食べないのに、ヒトが目の前で食ってる飯の感想を通訳させられる 悲惨な外交官様に思わず同情
[一言] 困った友人でも付き合ってくれるナナクエムさんも良い人だよねw
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