再来②~突然の申し出~
2020.5/19 更新分 1/1
その後、追加の料理もぞんぶんに楽しんだのち、ゲルドの一行は速やかに城下町へと立ち去っていった。
本人たちも言っていた通り、貴人たる身が余所の領地を訪れたならば、まず真っ先に領主へと挨拶をするべきであるのだろう。それでも俺たちの屋台に立ち寄らずにいられなかったというのは、光栄かつ嬉しい限りの話であった。
で――その日の営業終了間際においてのことである。
すべての料理を売り切って、あとは青空食堂のお客がはけるのを待つばかり――といった刻限に、城下町からプラティカだけが舞い戻ってきた。同行していたのは、復活祭の期間に顔馴染みとなった使者の男性および護衛の兵士である。
「お仕事のさなかに、失礼いたします。ちょっとお話をよろしいでしょうか?」
「はい、何でしょう?」
念のため、俺はレイナ=ルウにも同行してもらった。使者の男性は、ずいぶん恐縮した面持ちになっている。
「こちらの御方、ゲルの料理番プラティカ殿についてなのですが……プラティカ殿を明朝まで、森辺のファの家でお預かりしていただくことは可能でありましょうか?」
「明朝まで?」と、さすがに俺は目を丸くすることになった。
「そ、それはどういうことでしょう? さきほど屋台に来てくださった貴人の方々からは、何もうかがっていないのですが……」
「はい。アルヴァッハ殿は屋台の料理の味わいに深い感銘を受け、ついついアスタ殿にお言葉を伝えることを失念されてしまったそうです」
それは何となく、いかにもアルヴァッハらしい話であるように思えた。
が、それとこれとは話が別である。かつてはアルヴァッハたち自身をファの家に招く事態に至っていたが、初対面である彼女だけを翌朝まで預かってもらいたいというのは、いったい如何なる了見なのであろうか。
「こちらのプラティカ殿は、料理番としての修練を積むために、ジェノスを訪れたとのことであるのです。それで、アスタ殿を筆頭とする森辺の方々がどのように修練を積んでいるのか、それを見学させていただきたいと……そのように仰っているのです」
「はあ……ですがそれなら、夜までに城下町にお戻りになることもできるかと思うのですが……」
「可能であれば、そのままファの家の見事な晩餐も口にさせていただきたいと、アルヴァッハ殿はそのように仰っています。また、森辺においては朝方にも屋台の料理の準備をしているはずなので、そこまで見物させていただけたらと……突然の申し出で恐縮なのですが、なんとか聞き届けてはいただけないでしょうか?」
使者の男性は、ほとほと困り果てた顔になってしまっていた。彼にしてみれば、君主たるマルスタインの代弁者として語っているに過ぎないのである。俺たちが「嫌です」と答えたならば、彼こそが苦しい立場に追い込まれてしまうのであろう。
そんな彼の様子を見返しながら、レイナ=ルウは「うーん」と可愛らしく首を傾げていた。
「それは、ジェノスの領主マルスタインやゲルドの貴人であるアルヴァッハたちからの申し出であるのですね? それならば、族長らも無下に断ることはないかと思いますが……アスタとしては、如何でしょうか?」
「うん。俺もそうだろうとは思うよ。ただ、初対面の女性を宿泊させるっていうのは……うーん、どうだろう」
すると、プラティカがフードの陰で紫色の瞳を鋭くきらめかせた。
「私、寝床、どこでもかまいません。宿泊、迷惑ならば、木の上、眠ります」
「き、木の上ですか? いや、さすがにそういうわけには……」
「お気遣い、不要です。私、西の領土、放浪していたので、野宿、慣れています。モルガの森辺、危険な獣、多い、聞きますが、木の上、危険ですか?」
「そうですね。ギバやムントは木に登れないはずですけれど、ギーズに噛まれる恐れはあるかもしれません」
「ならば、害獣除け、香草、使います。ギーズの大鼠、近づくこと、できません。木の上、十分です」
プラティカは、一歩も引かじという気合を込めて、そのように言い放った。東の民らしく無表情で、なおかつ深くかぶったフードが濃い陰影を作っているために、なかなかの迫力である。
いっぽう使者の男性は、いっそうの困惑顔になっている。貴人の連れであるプラティカに野宿などさせてしまったら、ジェノスの面目が立たないのだろう。その顔色を見て取って、レイナ=ルウは「承知しました」とうなずいた。
「もしもファの家に宿泊させることが困難であれば、ルウ家でお預かりできるように相談いたします。そちらはとにかく、アスタの調理のさまを見学できればよいのですよね?」
「はい。見学さえかなえば、寝床、木の上でかまいません」
プラティカの鋭い眼光を真正面から受け止めつつ、レイナ=ルウはふっと微笑んだ。
「あなたを木の上で寝かせてしまったら、おそらく誰かが非難されることになるのでしょう。あなたの熱情は好ましく思いますが、周囲の様子にもお気を向けるべきではないでしょうか?」
プラティカは虚を突かれた様子でまばたきをすると、俺や使者の男性の表情をうかがってきた。
「……申し訳ありません。ジェノス、ついに到着できたので、気、逸っていました。謝罪、申し上げます」
「ついにということは、以前からジェノスに出向く話が持ち上がっていたのですか?」
「はい。私、紫の月から、藩主の屋敷、迎えられました。その日から、ジェノス、向かうべき、言われていたのです」
プラティカの瞳に、また鋭い光が蘇る。
「私、まだまだ未熟です。森辺の料理人、城下町の料理人、見習えば、さらなる飛躍、望めると、アルヴァッハ様、仰いました。どうか、力添え、お願いいたします」
「そうですか。わたしには、何のお約束もできないのですが……でも、あなたのような熱情を持つ人間は、とても好ましく思います」
レイナ=ルウは、明るい表情でそう言った。
そしてその青い瞳には、プラティカにも負けない強い光が生まれている。
「そして、ゲルドの料理人であるあなたがどのような料理を作るのか、それを興味深く思います。いつか、わたしたちもあなたの料理を口にすることはかなうのでしょうか?」
「はい。3日後、ゲルドの食材、届きます。私、その使い道、手ほどきをする役割です。森辺の料理人、その場に招かれる、聞いています」
「そうですか。それは、心から楽しみです」
なんだかおたがいの料理を口にする前から、ふたりは熱情をぶつけあっているかのような様子であった。
ともあれ――こうしてゲルドの料理人プラティカは、森辺の集落に招かれる段に至ったわけである。
◇
恐縮しきった使者の男性たちに別れを告げて、俺たちは森辺の集落に戻ることになった。
いちおう彼女はファの家の客人という扱いになるので、俺が運転するギルルの荷車に乗っていただく。同乗することになったのは、トゥール=ディンやマルフィラ=ナハムやレイ=マトゥアたちであった。
「えーと……あなたは貴族ではないのですよね? わたしたちが親しく口をきくことは許されるのでしょうか?」
そのように問うたのは、社交性の権化たるレイ=マトゥアである。
プラティカは、感情の欠落した声音で「はい」と応じていた。
「私、藩主の屋敷、仕えていますが、身分、平民です。あなたがた、遠慮、必要ありません。……ただし、西の言葉、不自由ですので、ご迷惑、かけるかと思います」
「そんなことありませんよ。わたしが知っている東の方々の中では、一番西の言葉がなめらかだと思います! トゥール=ディンも、そう思いませんか?」
「あ、はい、ええと……わたしはおひとりだけ、西の民のように言葉の巧みな御方とお会いしたことがありますので……」
「え、そうなのですか? シュミラル=リリンとかではないですよね?」
「は、はい……《黒の風切り羽》という商団の、ククルエルという御方です。あの御方はけっこう年配であったので、そのぶん言葉が巧みなのだろうと思います」
「あー、なるほどなるほど! わたしもその御方は、屋台でお見かけしたように思います! ……そういえば、プラティカは何歳なのですか?」
「私、13歳です」
「えーっ!」と複数の驚きの声が響きわたった。
彼女たちに背を向けて、ギルルの運転を担っていた俺も、もちろん同じ心情である。
「じゅ、13歳ですか? それじゃあ、わたしと一緒じゃないですか! プラティカは、すっごく大人びてるんですね!」
「……東の民、西の民よりも大柄です。それゆえ、年長に見えるのでしょう」
「いやいや、背丈だけの話じゃないですよー! わたし、アスタのちょっと下ぐらいかなーって思ってました! 本当にびっくりです!」
「…………」
「それで、あなたは今日、ファの家で一夜を明かすご予定なのですか?」
「はい。ファの家長、了承を得られれば、寝床、お借りします」
「そうですかー。いいですねー。わたしたちにとっては、羨ましい限りです!」
そこで俺は、「それじゃあさ」と口をはさんでみせた。
「もしもアイ=ファから了承をもらえたら、また3人ぐらい晩餐をご一緒するというのはどうだろう?」
「えー! いいんですか? まだこの前の晩餐から、そんなに日も空いてないですよ?」
と、レイ=マトゥアの大きな声が肉迫してきた。おそらく、御者台のすぐそばにまでにじり寄ってきたのだろう。
「うん。なにせファの家は、俺とアイ=ファしか人間の家人がいないからさ。異国の客人をお迎えするのに、ちょっと物寂しいだろう? アイ=ファにしてみても、気心の知れたみんなに同席してもらったほうが、気が休まると思うんだよね」
「それはもちろん、晩餐をご一緒できたら嬉しい限りですけれど……本当にアイ=ファは嫌がりませんか?」
「きっと大丈夫だよ。ディアルのときだって、客人が増えることに関しては快諾してくれたんだからさ」
そんな言葉を交わしている間に、荷車は細い坂道を踏破して、森辺の集落に到着していた。
本日は営業4日目であるので、勉強会はファの家だ。それでもプラティカを紹介をするために、俺たちはルウの集落に立ち寄ることになった。
「なるほど、事情はわかったよ。あのゲルドのお人らのお連れだったら、家長も文句は言わないだろうさ」
ミーア・レイ母さんは、そんな風に言ってくれていた。
「で、アイ=ファが嫌がったら、そのお人の寝場所をルウの家で準備するって話なんだね? そいつも別に、かまいはしないけど……アイ=ファは、どう考えるだろうね?」
「そうですね。アイ=ファの性格からすると……ルウ家の方々にご迷惑をかけるのは忍びない、と考えるかもしれません。晩餐の後にルウ家までお連れして、朝方になったら迎えに行く、というのもせわしない話ですしね」
それに、アイ=ファはアイ=ファで森辺の同胞ならぬ人々とも正しい絆を結ぶべきである、という確かな意識を備えているのだ。ジェノス城の祝宴で浮ついた貴公子たちに取り囲まれる気苦労に比べれば、まだしも我慢はきくのではないかと思われた。
「でも、いざというときにはお願いできますか? 俺も家長のいない場所で確約はできませんので」
「ああ、もちろんさ。それじゃあアイ=ファの返事をすぐに聞けるように、こっちからも誰かをファの家に向かわせておこうかね」
すると、無言で話を聞いていたレイナ=ルウが進み出た。
「だったら、わたしが行っていいかな? 晩餐の前には、戻ってくるから」
「うん、あんたにまかせようか。……あ、でも、帰りは暗くなるだろうから、バルシャにも行ってもらおうかね」
ということで、レイナ=ルウとバルシャもファの家の勉強会に立ちあうことになった。
もしかしたら、護衛役の意味合いもあるのだろうか。プラティカはうら若き娘さんであるが、勇猛で知られる山の民でもあるのだ。マントの合わせ目からは短剣の柄がちらちら見えているし、毒の武器だって扱えるかもしれない。それに、目つきの鋭さから鑑みるに、荒事と無縁の世界で生きてきたようには、あまり思えなかった。
(まあ何にせよ、バルシャがいてくれたほうがアイ=ファも安心するだろう。ミーア・レイ母さんの気づかいに感謝だな)
そんな思いを胸に秘めつつ、あらためてファの家に帰還である。
今日も全員が勉強会への参加を希望していたので、このままファの家に直帰であった。
「アスタ、ひとつおうかがいしたいのですが……何故、猫、いるのでしょう?」
と、その道中でプラティカが問うてきた。
ギルルの手綱を操りながら、俺は「ああ」と笑う。今日も宿場町に同行していた黒猫のサチは、荷車でまったりくつろいでいたのだ。
「以前、旅芸人の方々から引き取ることになったのです。名前はサチで、ファの家の家人ですよ」
「家人。……猫、家人にしているのですね」
「はい。シムでは、そう珍しい話ではないのでしょう?」
「いえ。猫、家人とするのは、ラオリムやジギなどです。ゲルドの山猫、気性が荒いので、人間、なつきません」
すると、マルフィラ=ナハムがいくぶん不安そうな声をあげた。
「も、も、もしかして、ゲルドではその山猫という獣の肉を口にすることもあるのでしょうか?」
返答は、強い口調の「いえ」であった。
「山猫、神聖な生き物です。ゲルドの民、山猫、決して危害を加えません。山猫、傷つけた者、罰が下るという伝承、残されています」
「そ、そ、そうでしたか。し、失礼なことを口走ってしまい、申し訳ありませんでした」
「失礼、思いません。異国において、習わし、さまざまなのですから、おたがい尊重する気持ち、大事なのでしょう」
プラティカは、ときおり東の民らしからぬ気の強さを垣間見せるようだが――なんとなく、それは生真面目で一本気な気性が要因であるように感じられた。
ともあれ、ゲルドとジェノスはこれから交易でもって絆を深めようとしているさなかであるのだ。その末席に連なる俺たちの間でも、健全な関係性を構築させていただきたいところであった。
「お待たせしました。こちらがファの家となります」
ファの家に到着すると、プラティカは機敏な動作で地面に降り立った。華奢な体格をしてはいるが、身体能力はけっこう高そうだ。
ギルルたちの面倒は他のメンバーにおまかせして、俺はプラティカを母屋に招き寄せる。まずは、ジルベに面通しだ。
「こちらでは、ジルベという家人が留守番をしてくれています。ジャガルの獅子犬という獣なのですが……犬は、ご存じですか?」
「はい。西の王国、放浪していたので、猟犬、見知っています」
「そうですか。危険はありませんので、ご安心くださいね」
俺が玄関の戸板を引き開けると、ジルベは「ばうっ」と元気に飛び出してきた。
それと同時に、プラティカは「ひゃうっ」と奇妙な声をあげる。そうして口もとに手をやると、森辺の民よりも黒い肌に血の色をのぼらせた。
「し、失礼いたしました。……それが、犬なのですか? 私、知っている犬、まったく違っています」
「はい。こちらは人間を守るために鍛えられた、獅子犬という犬種であるそうです。西でも南でも、希少な種類であるようですね」
ジルベは「また新しい客人か」とばかりに、プラティカの姿をじっと観察していた。
プラティカはひとつ咳払いをして手を下ろしたが、その顔にはまだ赤みが残されている。
「危険、ないようですね。主人、従順であるようです」
「はい。驚かせてしまって、申し訳ありません」
俺が笑いかけてみせると、プラティカの瞳に恨みがましげな光が浮かんだ。
「……私、おかしな声、愉快でしたか?」
「え? いえ、決してそんなことはありませんけれど……」
「感情、こぼしてしまったこと、恥辱です。どうぞ、お笑いください」
そう言って、プラティカはつんとそっぽを向いてしまった。
そんな可愛らしい一面を見せられてしまうと、こちらは微笑ましくなるばかりである。
「えーと……あ、もしも鋼の刃物や毒の武器などをお持ちでしたら、こちらでお預かりしてもよろしいでしょうか? それが、森辺の習わしであるのです」
「はい。アルヴァッハ様、聞いています。……毒の武器、外套ごと、お預かりいただけますか? 厨、汚れを持ち込むこと、避けたい、思います」
「それはお気遣いをありがとうございます。それじゃあ、この場でお預かりしますね」
プラティカはひとつうなずくと、首もとの留め具を外して、フードつきのマントを脱ぎ去った。
すると、金褐色の長い髪があらわになる。彼女はアイ=ファとそっくりの色合いをしたロングヘアーを右側でひとつの三つ編みにして、胸もとにまで垂らしていた。
その身に纏っているのは、黒と灰色を基調にした渦巻模様の装束である。上衣はノースリーブで、足にはゆったりとした脚衣を纏っており、首にはたくさんの飾り物を下げている。ただし、しなやかな腕から指先にかけてはいっさい装飾品をつけていないのが、いかにも料理人らしかった。東の民というのは、男性でもたくさんの腕飾りや指輪をしているのが常であるのだ。
(へえ……やっぱりアリシュナなんかとは、ずいぶん雰囲気が違ってるみたいだな)
アリシュナよりもいくぶん小柄であり、体格もほっそりしているのに、ずいぶん力強く感じられる。瑞々しい生命力に満ちた、若鹿のような風情であるのだ。
鋭く切れあがった目に、筋の通った鼻梁と薄い唇は、十分に端正な部類であろう。それでいて、頬の線なんかがやわらかく感じられるのは、やはり13歳という若さゆえなのであろうか。それでいて、もっとも魅力的に感じられるのは、強い意思をたたえたその紫色の瞳であった。
「……何故、私、注視しますか?」
と、ようやく治まりかけていたプラティカの顔に、また血の色がのぼる。そのように感情をこぼしてしまうのも、若年ゆえなのかもしれなかった。
「あ、これは失礼いたしました。外套をお預かりしますね」
「……外套と、短剣です」
俺に外套を手渡してから、プラティカは腰の短剣を鞘ごと取り外した。
鈍い銀色をした柄に滑り止めの彫刻が施された、年季の入った短剣である。革作りの鞘にも焼き印で飾りが施され、美しい飴色に輝いている。
「こちら、父の形見です。乱雑な扱い、避けてもらえたら、幸いです」
「そうですか。……俺も父親の刀を預かっている身ですので、決して粗末に扱わないことをお約束します」
プラティカは、秀麗な形をした眉をぴくりと震わせた。
「……あなた、父親、死に別れましたか?」
「いえ、父が死んだわけではないのですが……でも、2度と会うことはかなわない身の上です」
プラティカの短剣と外套を大事に預かりながら、俺は明るく笑ってみせた。
プラティカは、こらえかねたように眉をひそめている。が、その小さな唇がそれ以上の言葉を発することはなかった。
俺が母屋に踏み込むと、左肩に乗っていたサチが床に降り立ち、さっそく窓辺で丸くなる。サチに悪戯をされないよう、俺は大事な預かりものを物置の部屋に保管することにした。
「お待たせしました。それでは、かまど小屋に向かいましょう」
プラティカとジルベを引き連れて、母屋の裏へと回り込む。
ギルルとファファとルウルウは仲良く木の枝に繋がれており、荷車の荷物はすでに然るべき場所に片付けられていた。みんなはすでにかまど小屋の中であり、入り口のところではバルシャがひとりで立ち尽くしている。
「満員御礼みたいだから、あたしは入り口で覗かせてもらうよ。……おお、元気そうだね、ジルベ」
ジルベは「ばふっ」と愛想よく応じた。決して口にはできないが、ちょっと顔つきや体格の印象が似ている両名である。
そうしてかまど小屋にプラティカを招き入れると、勉強会の参加メンバーがずらりと立ち並んでいた。
常連メンバーであるトゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア――今日の当番であるリリ=ラヴィッツ、ガズ、ラッツ、アウロ、リッドの女衆――研修生のクルア=スンと、飛び込み参加のレイナ=ルウ――そして、下ごしらえの仕事の後に居残っていた、フォウとランの女衆。合計、13名だ。
フォウとランの女衆も、すでに事情を聞いているのだろう。好奇心もあらわに、プラティカのほうを見やっている。
俺はみんなを見渡せる場所にまでプラティカを招いてから、「さて」と声をあげてみせた。
「本日は、ゲルドの料理人であるプラティカを客人として迎えることになりました。彼女は料理人としての修練を積むために、10日もかけてゲルドから訪れてくれたそうです。ゲルドとジェノスの絆のために、森辺の民も最大限の便宜をはかるべきかと思いますので……どうぞよろしくお願いします」
すると、プラティカは奇妙な形に指先を組み合わせながら、一礼した。
「私、プラティカ=ゲル=アーマァヤです。ご迷惑、決してかけない、お約束します。見学、どうぞお許しください」
女衆たちは、めいめい礼を返していた。アルヴァッハたちは《颶風党》の脅威にさらされた氏族の家を一軒ずつ回ってお詫びの品を届けていたので、おおよその人々はその存在を見知っているのだ。プラティカはそのアルヴァッハのもとに仕える料理人であるために、大きな警戒心をかきたてられた様子もなかった。
「それではさっそく、勉強会を始めましょうか。……収穫祭は2日後に迫りましたが、何かおさらいしておきたいことはありますか?」
俺の言葉に、リリ=ラヴィッツは「いえ」と首を振った。いつもにこやかで内心の読みにくい表情をした、小さなお地蔵様のごとき年配の女衆である。
「今さら修練を重ねても、焼いた石に水をかけるようなものでしょう。わたしらのことはかまわずに、アスタのお好きなようになさってください」
「承知しました。それじゃあ……プラティカに何かご希望はありませんか?」
プラティカは、うろんげに俺を見やってきた。
「申し出、ありがたいですが、そこまでの便宜、恐縮です」
「いえ、こちらも取りたてて急ぎの案件はありませんので、何か希望を出していただけると、むしろ助かるぐらいなのです」
プラティカは、わずかに目を細めた。
そうすると、鋭い眼光がいっそう凝縮されるかのようである。
「では……ミソやタウ油の料理、お願いできますか? アルヴァッハ様、ミソとタウ油、とても気にかけています」
「ミソとタウ油ですか。そうですね……それじゃあ、汁物と炒め物の料理をお披露目しましょう」
まず俺は、めんつゆを作製することにした。
かつて黒フワノのそばと同時に開発した、タウ油ベースのめんつゆである。1年以上も前にレシピをほぼ完成させておきながら、森辺の集落ではあまり出番のなかったひと品だ。
「森辺では、そばやうどんが定着しませんでしたからね。日常的にそばやうどんを作っていたのは……ファとルウぐらいなんじゃないかな?」
俺の視線を受けて、レイナ=ルウが「はい」とうなずいた。
「ただ、ルウの血族でもそれほど頻繁に作っているわけではありません。月に1度か……せいぜい2度ぐらいだと思います」
「うん。パスタと違ってそばやうどんは献立の幅がせまいし、麺をすするっていうのも馴染みが薄かったからね。……でも最近では『ギバ骨ラーメン』が宴料理として定着してきたから、麺をすするのにも慣れてきたんじゃないかな?」
「そうですね。そばやうどんが森辺で定着しないのは、ギバ料理として扱うことが難しいからかもしれません」
「うんうん。それじゃあせっかくだから、ギバ肉をしっかり使った麺料理に挑んでみようか」
めんつゆを作製するのと同時進行で、俺は麺を打つことにした。
一考の末、黒フワノではなく白フワノとポイタンを使用する。さらにキミュスの卵と卵殻の準備をお願いすると、レイ=マトゥアは「あれれ?」と目を丸くした。
「卵を使うならぱすただし、卵の殻を使うならちゅうかめんですよね? うどんやそばを作るのではなかったのですか?」
「俺の故郷では、これもそばと呼ばれていたんだよね。まあ、地方によって呼び名が変わるっていうことなのかな」
俺が作製しようとしているのは、いわゆるソーキそばであった。肉うどんでもよかったのだが、せっかくなのでみんなにとっても目新しいと思えるような料理をお披露目したかったのだ。
「手順は、パスタや中華麺とそんなに変わらないからね。よかったら、レイ=マトゥアにはこっちを手伝ってもらえるかな?」
「はい、了解です!」
これだけ人数がそろっていれば、分担作業も容易である。さらに俺は、別の人員にギバ肉を煮込む準備をお願いした。
めんつゆと麺とギバ肉の同時進行である。プラティカは、鋭い眼差しでそれらのすべてを検分していた。
(香草を使わない料理ばかりだけど、プラティカのお気に召すかな)
しかしまあ、ジャガルの食材であるミソとタウ油の料理を望んだのは本人だ。彼女は今後、それらの食材を自分の料理に取り入れていくことになるのだろう。俺たちの勉強会が、その一助になれば幸いであった。