祝賀の宴③~料理と社交~
2020.5/2 更新分 1/1
ダイアの宴料理は、見事のひと言に尽きた。
先月の祝宴でも味わわされた衝撃と驚嘆を、俺たちは再び味わわされることになったわけである。
とある卓には7色に色分けされたフワノの団子が並べられ、とある卓には色とりどりの料理が絵画のように配置され、とある卓には花の形に仕立てられた料理が絢爛に咲き誇り――味ばかりでなく、視覚からも俺たちを楽しませてくれたのだった。
それに、初見の料理も数多く存在した。
たとえば、チーズ・フォンデュのごとき料理である。俺たちはダバッグにおいても乾酪の壺焼きというチーズ・フォンデュめいた料理を口にした経験があったが、それとも比較にならぬほどの豪華な料理であった。
特筆するべきは、やはりその見栄えであろう。炭の仕込まれた台座の上で湯気をたてている乾酪は、当然のようにカラフルな色合いをしていた。
赤い乾酪はタラパの風味を有しており、青い乾酪はわずかに甘酸っぱく、緑色の乾酪は辛みがきいていてスパイシーである。その場には銀色の串に刺された肉や野菜や焼いたフワノが置かれており、どの乾酪でも美味しくいただくことができた。
その他に人目を引いていたのは――巨大マロールの料理であった。
かつての晩餐会では俺たちも、イセエビのごとく巨大なマロールを象った料理をお目にかけられた。しかし、あのようなものを貴賓の人数分準備することは不可能であるので、それはさらなる巨大さでカバーされていたのだった。
要するに、体長1メートルほどの巨大マロールが、卓の上にででんと鎮座ましましていたのである。最初にその料理が運び込まれてきた際、可憐な貴婦人の何名かは悲鳴をあげていたぐらいであった。
しかしそれだけの巨大さでも、フワノの生地で作られたマロールの造形は精緻そのもので、今にも動きだしそうな迫力であった。そんな巨大マロールの背中の殻が開かれると、内側にはマロールの身をふんだんに使ったシチューが詰め込まれているのだ。その細工には、多くの人々が快哉をあげていた。
「まったく、どの料理も驚かされちゃうなあ。味のほうも申し分ないし、やっぱりダイアっていうのは凄い料理人だよ」
俺がほくほく顔でそのように評すると、アイ=ファは「そうか」と目もとで微笑んだ。時間が経つにつれ、アイ=ファのやきもきもすっかり解消された様子である。
しかし実のところ、本日の俺たちは普段以上に声をかけられることが多かった。これはやっぱり、少人数であることが原因であるのだろうか。ガズラン=ルティムやダリ=サウティといった社交的な面々が存在しない分、俺たちに声をかけようと考える貴族が増えたのかもしれない。そしてその中には、若くて美しい貴婦人や貴公子といったものも、ぞんぶんに含まれていたのだった。
貴公子のほとんどはアイ=ファとレイナ=ルウに夢中であり、貴婦人のほとんどは――恐れ多きことながら、その4割ぐらいが俺へと熱い眼差しを傾けていた。ちなみに、残りの4割はアイ=ファであり、2割は若きディム=ルティムであった。ジザ=ルウには男女を問わずに年配の人々が、ジィ=マァムにはいかにも剣士らしい人々が集中した様子である。
もちろんディム=ルティムを除くメンバーは花飾りをつけているので、おかしな誘いを受けることはない。ただ漫然と、ちやほやされるばかりである。綺麗に着飾った貴婦人たちに周囲を取り囲まれるというアイ=ファの気苦労を、俺もついに心から理解できる事態に至ったのだった。
だけどやっぱり貴族というのは引き際もわきまえているようで、さんざんちやほやしたのちには、すみやかに解放してくれた。おそらく、しつこくつきまとうのは無粋であるという風潮が存在するのだろう。俺たちにしてみれば、ありがたい限りであった。
それにまた、俺たちに声をかけてくるのはそういった人々ばかりではなかった。かつてポルアースが示唆してくれていた通り、聖域の様子についてを問うてくる人々が、一定数存在したのである。
しかしそちらも、罪のない質問が多かった。ヴァルブの狼やマダラマの大蛇の恐ろしさについてや、赤き民の様子についてや、夜の晩餐の様子についてなど――まあ、誰でも好奇心をかきたてられて然り、という内容である。そんな中で、ときおり差しはさまれるのは、「魔術」についてであった。
「聖域の民というのは、魔術師の末裔であるのでしょう? 山の中では、人智を超えた魔術というものが扱われているのでしょうか?」
「魔術師は、火や風などを自由に操れるのだと聞きます。その力で、狼や大蛇を支配しているのでしょうか?」
「山の中では、邪神が祀られていたりとか……そのようなことは、なかったのですよね?」
そういった質問が為されたときには、俺も気持ちを引き締めて言葉を返すことになった。聖域の民が、どれだけ誠実で純真なる一族であったか――彼らがどれだけ質実な生活に身を置いているのか――熱意があふれすぎないように、自制を心がけなければならないほどであった。
「……さて、ずいぶん時が移ってしまったな」
ジザ=ルウがそのように言い出したのは、祝宴が始まって半刻ほどが過ぎてからであった。
「我々も、そろそろ領主らに挨拶をしておくべきであろう。皆、こちらについてくるがいい」
先頭を切るジザ=ルウに続いて、俺たちは貴族で賑わう広間を横断することになった。
しんがりでは、デヴィアスとジィ=マァムが楽しそうに笑いあっている。酒杯を空けるごとに、両者の親睦は深まっている様子である。ジィ=マァムが羽目を外したら大変なことになってしまいそうであったが、今のところは周囲の人々も温かい目で彼らを見守ってくれていた。
「挨拶が遅れて、申し訳ない。このような祝宴に招いてもらえたことを、心から感謝している」
西方神の足もとにて、ジザ=ルウがそのように告げると、マルスタインは「おお」と鷹揚に笑った。
「ジザ=ルウも、見事な宴衣装ではないか。それもダレイムの伯爵夫人から贈られたものであるのかな?」
「うむ。ダレイム伯爵家の厚意にも、深く感謝している」
「ふむ。次代の族長に相応しい風格だ」
マルスタインの大らかな笑顔や立ち居振る舞いには、これっぽっちの陰りも見られないようであった。
俺と同じことを考えたのか、ジザ=ルウは粛然とした様子でひとつうなずく。
「貴方はすっかり元気になられたようで、安心した。ひと月ほども仕事を離れていたのだと聞き、族長らも心を痛めていたのだ」
「うむ。メルフリードに任せておけば公務にも問題はないようなので、もうひと月ぐらいはゆっくり過ごそうかとも考えていたのだがね」
マルスタインの軽口に、かたわらのメルフリードが「ご冗談を」と厳かに反応した。
「もうひと月も公務を預かることになれば、わたしも近衛兵団団長の座を辞さなければならなかったでしょう。無論、今日の闘技会に参加することもかないませんでした」
「と、メルフリードがこのように言うのでね。ちょうどいい頃合いかと思い、寝床から這い出すことに決めたのだ。……森辺の族長らにも、よろしくお伝え願いたい」
そうしてジザ=ルウたちの挨拶が一段落すると、それを待ちかまえていたようにエウリフィアが進み出てきた。
「ジェノス城にようこそ、森辺の皆様方。……皆、本当に素晴らしい宴衣装だわ。特にレイナ=ルウとアイ=ファなんて、貴婦人そのものじゃない。文字通り、輝くような美しさね」
アイ=ファとレイナ=ルウは礼を失さぬよう、お行儀よく頭を下げていた。そんな仕草も、貴婦人さながらであろう。
すると、母親と一緒に進み出てきたオディフィアが、ドレスの裾をつまんで貴婦人の礼をしてくれた。
「もりべのみなさま、おひさしぶりです。……おあいできて、こころよりうれしくおもいます」
相変わらず、精巧な自動人形のような幼き姫君である。彼女もついに7歳を迎えたはずであるが、感情の欠落した端正な顔も、ちょっとたどたどしい喋り方も、まったく変わりはないようだった。
「おひさしぶりです、オディフィア。……今回はお会いできなくて残念ですと、トゥール=ディンから言伝てを預かっていました」
オディフィアは無表情のまま、「うん」とうなずいた。その父親そっくりの灰色をした瞳は、何故だかぴったりと俺に照準を合わせている。
すると、それに気づいたエウリフィアが、かたわらのメルフリードへと微笑みかけた。
「もうおおよその方々とは挨拶を済ませたはずよね。わたくしとオディフィアも、そろそろ広間を巡ってもよろしいかしら?」
「うむ。それはかまわんが――」と、メルフリードも愛娘と俺の姿を見比べた。エウリフィアは、くすりと笑ってから説明をしてくれる。
「オディフィアは、アスタに会えるのを楽しみにしていたのよ。だからできれば、アスタとご一緒させていただけるかしら?」
「俺ですか? それはもちろん、かまいませんけれど……でも、どうして俺に?」
「アスタは、トゥール=ディンにとても優しいでしょう? だからオディフィアも、アスタのことを好ましく思っているようよ」
オディフィアは無表情のまま、母親のドレスの裾をくいくいと引っ張った。どことなく、頭の上に汗のマークを幻視できるような気がするので――たぶん、照れているのだ。
俺はじんわりと温かい気持ちで胸を満たされながら、オディフィアに手を差しのべてみせた。
「俺でよかったら、是非ご一緒させてください。オディフィアがどんな様子であったか、トゥール=ディンにも伝えてあげたいので」
オディフィアは無言で俺の顔を見上げると、小さな指先をそっと俺の手の平に添えてきた。さきほどのデヴィアスがアイ=ファに見せた仕草を真似てみせたのだが、貴婦人をエスコートするのに相応な行いであったようだ。
まさかアイ=ファも気分を害したりはしないよな、と念じつつ、こっそりそちらをうかがってみると――アイ=ファは気分を害するどころか、とても穏やかな眼差しで俺たちの様子を見守ってくれていた。
「俺はしばし、この場でマルスタインらと語らいたく思う。皆は、晩餐を続けるがいい」
ジザ=ルウがそのように告げると、酒気で顔を染めたジィ=マァムがのしのしと進み出てきた。
「ならば俺も、この場に居残らせてもらいたく思う! メルフリードが普段どのような修練をしているのか、それを聞いておきたかったのだ!」
「それはいいな! では、剣術話を酒の肴にさせてもらおうか!」
デヴィアスが尻馬に乗っかると、ジザ=ルウはわずかに眉を曇らせた。このような場においても、レイナ=ルウの警護は厚くしておきたいという思いがあったのだろう。俺と同じ想像をしたらしく、ディム=ルティムが「では」と声をあげる。
「俺は、レイナ=ルウとともにあろうと思います。何かあれば、すぐにジザ=ルウを呼びますので」
「……うむ。では、よろしく頼む」
そうして俺たちは、ジザ=ルウたちの代わりにオディフィアとエウリフィアを加えた顔ぶれで、賑わいの渦中に戻ることになった。
その前にフェルメスは――と視線を巡らせてみると、ちょうどオーグや壮年の貴族とともにこの場を離れるところであった。あちらはあちらで、外交官としてのつとめがあるのだろう。俺のほうをちらりと見やったそのヘーゼル・アイには「またのちほど」という意思が込められているように感じられた。
「それでは、行きましょうか。オディフィアたちは、まだ何も口にされていないのですか?」
「うん。あいさつのほうが、さきだから」
俺の手の平に指先を添えたまま、オディフィアはしずしずと歩を進めている。その姿に気づいた広間の人々は、誰もが微笑ましそうに目を細めている様子であった。
すると背後から、「待て待て」と声をかけられた。振り返ると、リーハイムとレイリスが当主のもとを離れて、こちらに近づいてくる姿が見えた。
「ちょうどお前たちを捜そうとしていたところであったのだ。食事の前に、ちょっと話をさせてくれ」
「これは挨拶が遅れてしまって申し訳ありませんでした。……レイナ=ルウ、リーハイムがいらっしゃったよ」
「ああ、リーハイム。わたしもお話をさせていただきたく思っていました」
ディム=ルティムを引き連れたレイナ=ルウが進み出ると、何か言いかけたリーハイムはそのまま硬直してしまった。レイリスも、わずかばかりに目を見開いている。
「レ、レイナ=ルウ、その姿は……闘技場では、森辺の装束であったはずだよな?」
「あ、はい。ダレイム伯爵家のリッティアが、わざわざ準備してくださったのです」
レイナ=ルウは、ちょっと恥ずかしそうに微笑んだ。
その可憐な姿に、リーハイムはいっそう狼狽する。
「あ、ああ、そうなのか。いや、まったく見違えてしまった。まるでシムの姫君が、セルヴァの宴衣装を纏っているかのような……あ、いや、なんでもない。だから、そう、晩餐会! 晩餐会について、話をしておきたかったのだ!」
「はい。あなたがわたしを城下町に招けるように手を尽くしていると、ポルアースからそのようにうかがっていました」
「うむ、そうだ。もとより父上は俺に一任してくれていたのだが、メルフリード殿がどうにも堅物でな。なかなか了承を得ることができなかったのだ」
「はあ……」と、レイナ=ルウは心もとなげにエウリフィアのほうを見た。
つられて視線を動かしたリーハイムは、ぎくりとした様子で首をすくめる。
「な、なんだ、いたのかよ、エウリフィア。盗み聞きなど、貴婦人にあるまじき行いだぞ」
「それは失礼いたしましたわ。でも、わたくしは最初からレイナ=ルウたちとご一緒していたのですけれどね。あなたの目には、レイナ=ルウしか映っていなかったのかしら?」
リーハイムが顔を赤くして返答に窮すると、エウリフィアは愉快そうにころころと笑った。
「からかってしまって、ごめんなさい。殿方は、これほど美しいレイナ=ルウたちを褒めそやすこともできないのだから、ご不自由よね」
「や、やかましいぞ。……とにかくな、森辺の民のことに関しては、調停役であるメルフリード殿を懐柔する必要があるのだ。この夜の間には何としてでも了承を取りつけてみせるので、どうかそのつもりでいてもらいたい」
「はい。もしも城下町に招いていただくことがかなったら、ルウ家のかまど番として力を尽くすことをお約束いたします」
レイナ=ルウがその黒い瞳に強い熱情の光を瞬かせると、リーハイムはいくぶん怯んだ様子で身を引いた。
「な、なんだ? やっぱり俺なんかの仕事を引き受けるのは、不本意なのか?」
「え? そのようなことは、決してありません。わたしのかまど番としての力を見込んでくださったというお話なのですから、心より光栄に思っています」
「そ、そうなのか。いきなりおっかない目つきをするから、また何か怒らしちまったのかと思ったよ」
「まあ」と、レイナ=ルウは口をほころばせる。
「わたしもルウ家の人間ですので、いささか血の気は多いのかもしれませんが、理由もなく怒ったりはしません。リーハイムのはからいには、本当に感謝しているのです」
「そ、そうか。いや、それならいいんだ。そんな風に言ってもらえたら、俺のほうも光栄だよ」
と、リーハイムはたちまちドギマギしてしまう。もはやレイナ=ルウに下心はない、と宣言した上で、このように美しい姿や可愛らしい笑顔を見せられてしまっては、さぞかし心を乱されることだろう。
しかしレイナ=ルウは、リーハイムとの悪縁が完全に解消されたことを喜び、こうして素直に感情を表すことができるようになったのだ。俺としては、このまま両者の間に健全な信頼関係が築かれていくことを願うばかりであった。
「……レイリスも、お疲れ様です。今日は入賞、おめでとうございました」
レイリスのほうが手持ち無沙汰の様子であったので、俺はそのように挨拶をしてみせた。従兄弟のリーハイムよりも格段に貴公子らしい容姿をしたレイリスは、如才なく「ありがとうございます」と一礼する。
「アスタ殿もお元気そうで、何よりです。その後、お身体のほうは大丈夫でしたか?」
「ああ、聖域から戻った後は、何日か足腰が立ちませんでした。屋台の商売も、椅子を使うことになってしまいましたしね」
「わたしなどは、熱を出して2日も寝込むことになってしまいました。騎士としては、恥ずべき体たらくです」
そんな風に言ってから、レイリスはディム=ルティムのほうを振り返った。
ディム=ルティムは、闘志もあらわにレイリスを見つめている。しかしレイリスは、涼やかな微笑を返していた。
「本日は森辺のおふたかたと手合わせをすることがかない、光栄の限りでした。また機会があれば、よろしくお願いいたします」
「……どうせ次も自分が勝つ、とでも言いたげだな」
「そのようなことは、微塵も思っていません。何せわたしは、これで4名もの森辺の狩人と手合わせをした身であるのですからね。わたしほど、その力量の恐ろしさを思い知らされている人間はいないことでしょう」
レイリスは貴公子らしい気品を保持したまま、そのように言い継いだ。
その明るい茶色をした瞳に、ふっと強い光がたたえられる。
「また、あなたは14歳であり、わたしは18歳となります。おたがいに、まだまだ修練のさなかでありましょう。おたがいの存在を励みとして、さらなる高みを目指すことがかなえば、心より嬉しく思います」
「……そうか」と、ディム=ルティムもわずかに表情をやわらげた。
「お前は、立派な人間だな。さっきは浅ましい言葉をぶつけてしまい、すまなかった。剣ばかりでなく心のほうまで、お前に負けてしまっていたようだ」
「とんでもありません。わたしとて、シン=ルウ殿のお力を思い知らされるまでは、妄執の虜となってしまっていました」
「シン=ルウか。俺たちは、あいつこそを目標にしなければならないのだろうな」
どうやらこちらも、得難い絆が結ばれつつあるようである。
俺がそんな風に考えていると、小さな指先にくいくいと手を引っ張られた。見ると、オディフィアの灰色の瞳がちょっと切なげに俺を見つめている。その白くてなめらかな頬には、「おなかすいた」の6文字が浮かびあがっているように感じられた。
「よし! それでは、メルフリード殿と話をつけさせてもらうか! 行くぞ、レイリスよ!」
折よく、リーハイムがそのように言い出したので、俺たちは止められていた歩を再開させることができた。
そうして手近な卓を目指すと、エウリフィアが「あら」と楽しそうに声をあげる。
「あちらにも、見知った方々がおられるようよ」
卓のそばで若い貴婦人と語らっていた少女がこちらに気づいて、ぶんぶんと手を振ってきた。青いドレスを身に纏った、ディアルである。
「あー、来た来た! ようやく挨拶ができるね、森辺のみんな!」
「やあ、ディアル。この前はお疲れ様――」
と、俺はそこで言葉を呑み込むことになった。ディアルと言葉を交わしていた貴婦人が、キッとこちらを振り返ってきたのである。
「あ、あれ? そちらの御方は、シリィ=ロウであったのですか。まさか、こんな場でお会いできるとは思っていませんでした」
「……何故です?」
「いや、何故って言われると困ってしまうのですが……シリィ=ロウは《銀星堂》で、毎日忙しくしているのでしょう?」
「本日、《銀星堂》は休業日となります。もちろん休業日にもたゆみなく修練をしていますが、わたしにとってはジェノス城の宴料理を口にすることもかけがえのない修練となるのです」
シリィ=ロウは普段通りのぶっきらぼうな声音で、そのように言いたてた。
「また、ヴァルカスや他の弟子たちはジェノス城の祝宴に招かれるような立場ではありませんので、その分までわたしがダイアの料理を吟味する必要があるのです。決して浮ついた気持ちでこの場に参じたわけではありません」
「そうですか。それは失礼いたしました」
せっかくの宴衣装であるというのに、本当に相変わらずのシリィ=ロウであった。
それにしても、シリィ=ロウのこんな姿を見るのは1年以上ぶりのことだ。というか、俺がシリィ=ロウの女性らしい姿を目にしたのは、最初の茶会の1度きりであるはずだった。
いつもはきゅうきゅうにひっつめている茶色の髪を、ふわりと自然に垂らしている。宴衣装は淡いイエローで、胸もとにはふわふわとフリルが揺れており、ドレスの足もとは大きくふくらんでいる。かたわらのディアルと基本的には同系列のデザインであるので、これこそがジャガルから伝来した正統なる宴衣装であるのだろう。同じような様式でありながら、エウリフィアの宴衣装はアイ=ファたちに負けないぐらい襟ぐりがあいているのだ。
「シリィ=ロウもおいでだったのですね。このように早く再会できるとは思いませんでした」
と、俺やアイ=ファの陰にいたレイナ=ルウが、嬉しそうな笑顔で進み出る。その姿に、シリィ=ロウはくわっと目を見開いた。
「レイナ=ルウ……ですよね? ずいぶんと……ご立派な宴衣装で……」
「はい。ダレイム伯爵家のリッティアという御方が、わざわざあつらえてくださったのです」
本日この説明をするのは何度目であろうか。レイナ=ルウはまた少し頬を染めながら、シリィ=ロウとディアルの姿を見比べた。
「おふたりも、立派な宴衣装ですね。……リッティアの厚意を無下にするような言葉は控えるべきなのでしょうが……わたしもそのような宴衣装が望ましかったように思います」
「……とは、どういう意味でしょう?」
「こちらの宴衣装は、ちょっと胸もとが頼りなくて……何かやたらと人の視線を感じてしまいますし……」
「なるほど」と、シリィ=ロウは低く言い捨てた。
その長い髪がざわざわとメドゥーサのように蠢いて見えるのは、果たして目の錯覚であったのだろうか。
「であれば、わたしの宴衣装と交換いたしましょうか? ちょうどあなたとは背丈も同じぐらいのようですし……わたしであれば、人の目を集める恐れもないでしょうしね」
「あはは。そんなムキになることないじゃん!」
笑いながら、ディアルはシリィ=ロウの右腕を抱きすくめた。あんまり交流の深そうなイメージのない両者であるが、そういえば最初の茶会でも同席していたわけであるし、こうした祝宴では顔をあわせる機会も多いのだろう。
「でも、今のはレイナ=ルウも配慮が足りなかったかな? そーんな襟ぐりのあいた宴衣装は、僕たちみたいにぺったんこな身体つきだと、これっぽっちも似合わないんだよねー」
「え、ええ? そんなつもりは、毛頭なかったのですが……」
レイナ=ルウはぞんぶんに慌てふためいたのち、深々と一礼する。そうすると、あいた襟ぐりからいっそう谷間があらわにされてしまうのだが――まあ、俺が口を出せるような状況ではなかった。
「き、気分を害されてしまったのなら、謝罪いたします。わたしはどちらかというと、おふたりのようにすらりとした姿を羨ましく思っていたので……」
「……そのように言われると、いっそう立つ瀬がないのですが」
シリィ=ロウは憤懣を押し殺した面持ちで、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
その顔の先に立ちはだかっていたのは、我が最愛の家長である。いっそう卓越したプロポーションを見せつけられて、シリィ=ロウはまた眉を吊り上げかけたが――その途中で、彼女は愕然と目を見開くことになった。
「あ、あ、あなたはアイ=ファ……ですよね?」
「うむ。ひさかたぶり、というべきであるのだろうかな。3日ほど前に顔をあわせたばかりのはずだが」
アイ=ファは沈着な面持ちで、シリィ=ロウを見返している。シリィ=ロウのただならぬ様子に気づいたディアルは、「んー?」と可愛らしく小首を傾げた。
「どーしたの? アイ=ファの宴衣装だったら、前の舞踏会とかでもお目にかかってなかったっけ?」
「ぶ、舞踏会? わたしたちが厨を預かった、ダレイム伯爵家の舞踏会のことでしょうか? 確かにあのときも、アスタのかたわらに美しい女性が控えていたように思いますが……まさか、あれも……?」
「こんな綺麗な金色の髪をした森辺の民は、そうそういないでしょ! そりゃまあ確かに、見違えるような姿だけどさ!」
ディアルはけらけらと笑いながら、俺たちの姿を見回してきた。
「さ、アスタたちは料理を食べに来たんでしょ? この卓の料理も、すっごいよー! ほんっとジェノス城の料理人って、すごい料理を作れるよねー!」
「ふふ。ジェノス侯爵家の人間として、そのお言葉は誇らしく思うわ」
エウリフィアがそのように答えると、ディアルはちょっとはにかむような表情になった。以前の茶会で、エウリフィアに丁寧な言葉づかいは不要と言いつけられたので、それを実践しているさなかであるのだろう。広間の中央では優雅なダンスが始められたので、この卓の周囲にも余人の目はなかったのだった。
そうして俺たちは、ようやく新しい宴料理に取りかかることができた。
この卓に準備されていたのは、平たい生地の上に具材がのせられた、オーソドックスな軽食である。ただし、生地の形状は三角や四角や五角形で、具材も赤や青や紫と色とりどりである。肉や野菜を刻んだものを調味料で練り上げた、ディップであるようだ。
「これも見事な出来栄えですね。オディフィアも、如何です?」
幼き姫君は「うん」とうなずいて、青い具材がのせられたものをつまみあげた。俺は迷った末、紫色のを口に運んでみる。
俺が選んだ軽食は、清涼な花のような風味が強かった。お味のほうは果汁と思しき甘みが強く、それと同じぐらい塩気も強い。なおかつ、清涼な風味の向こう側に隠されていたのは、まぎれもなくミソの風味であった。
(ミソと果汁と香草を練り合わせたのかな。具材は……細かく刻んだキミュスの肉と、チャムチャムと、ティンファあたりか)
そして、五角形の生地のほうは、ちょっとソフトなクッキーを思わせる食感である。平たくのばした生地を、乳脂で揚げ焼きにしているのだろう。これはほとんど直感だが、フワノとシャスカをブレンドしているように感じられた。
驚くほどの複雑さではないし、目が覚めるほど美味、というわけでもない。ただ、外見の美しさは申し分ないし――やっぱりどこか、ほっとできるような味わいであった。
「美味しいですね。もうひとつ、如何です?」
俺がそのように呼びかけると、オディフィアはふるふると頭を振った。
「オディフィアは、おはなのりょうりがたべたい」
「お花ですか。それはたしか、あちらの卓ですね」
すると、同じ料理をつまんでいたディアルが笑顔で俺たちを覗き込んできた。
「今日は、アスタがオディフィアの同伴者なの? なんか、さまになってるね!」
「いや、同伴者ってわけじゃないんだけど……でも、そんな風に言われるのは光栄だね」
俺が再び手を差しのべると、オディフィアは優雅にも見える仕草でそっと指先を添えてくる。まだ7歳になったばかりでも、オディフィアはすでに貴婦人としての手ほどきを受けているのだ。さまになっているとしたら、それはすべてオディフィアの功績であるはずだった。
そうして俺たちは、ディアルとシリィ=ロウを加えた顔ぶれで、別なる卓を目指すことになった。
その道中で、オディフィアが俺の顔をじっと見上げてくる。
「……トゥール=ディンは、げんき?」
「ええ、とても元気です。早くオディフィアに会いたいと言っていましたよ」
「……オディフィアも、トゥール=ディンにあいたい」
と、オディフィアは灰色の目を伏せそうになったが、すぐにまた俺を見つめてきた。
「でも、アスタにあえたのもうれしい。オディフィア、めいわくじゃない?」
「迷惑なことなんて、ひとつもありません。俺もオディフィアとたくさん言葉を交わせて、嬉しいです」
俺は心を偽ることなく、そのように答えてみせた。
「今度は、トゥール=ディンとも一緒に語らいましょうね。城下町のお茶会か、森辺の祝宴か……早く機会が訪れるように祈りましょう」
オディフィアは「うん」とうなずいてから、ちょっともじもじとした。無表情のままであるが、何かを言いよどんでいる様子である。
「どうしました? 言いたいことがあれば、なんでもご遠慮なくどうぞ」
「うん。……あとででいいけど、せいいきのことをきかせてくれる?」
俺は完全に虚を突かれた格好であったが、それでも「はい」と笑顔を返すことができた。
「オディフィアは、ジェノス侯爵家の第一息女ですもんね。それなら、聖域についても詳しく知っておくべきだと思います。もしかしたら、オディフィアの伴侶が新しい領主となる時代に、大神アムスホルンが復活することもありえるのでしょうし……」
幼き姫君にはちょっと難しい話であろうかと思いつつ、俺はそのように言葉を重ねてしまった。
オディフィアは、不思議そうに首を傾げている。
「……たぶん、オディフィアのはんりょがりょうしゅになることはないとおもう」
「え? どうしてです?」
「たぶん、おとうとがうまれるから。とうさまのつぎは、おとうとがりょうしゅになるの」
俺はエウリフィアがレイナ=ルウらと楽しげに語らっているのをこっそり確認してから、身を屈めてオディフィアに囁きかけてみた。
「……もしかしたら、新しいお子さんが産まれる予定なのですか?」
「ううん。まだうまれない。……おとうとがうまれる、ゆめをみたの」
俺は「ああ」と笑ってしまった。そういえば、オディフィアはかつて茶会で夢の内容を長々と語っていたことがあったのだ。その中で、オディフィアとトゥール=ディンは立派なレディに成長しており、弟が産まれたから婚儀をせっつかれることもなくなった――などというエピソードが盛り込まれていたのだった。
「そっかそっか。そんな話もありましたね。あれはきっと、正夢ですよ」
「……まさゆめ?」
「はい。夢が現実になることを、俺の故郷ではそう呼んでいたんです」
俺の手の平に添えられていたオディフィアの指先が、きゅっと力を込めてきた。
「……ほんとうに、げんじつになるとおもう?」
「ええ、もちろん。今よりも大きくなったオディフィアとトゥール=ディンが、ふたりで舞踏会に参席する夢だったのでしょう? 今だって、ふたりは祝宴をともにしているのですから、数年後だって同じようであるはずです」
幼き姫君の灰色に光る瞳を見つめ返しながら、俺はそのように答えてみせた。
「オディフィアがそんな風にトゥール=ディンと仲良くしていきたいと思ってくれていることを、俺もとても嬉しく思います。……その舞踏会が現実になったら、俺とアイ=ファも招待してくださいね」
「うん」とうなずき、オディフィアはいっそう強く俺の手をつかんできた。
そこでようやく、目当ての卓に到着する。その場では、ポルアースとメリムがニコラを引き連れて、花の形をした料理を楽しんでいるさなかであった。
「おお、アスタ殿! オディフィア姫たちとご一緒だったのだね!」
「はい。ご挨拶が遅れてしまって、申し訳ありません」
「いいさいいさ! 僕たちはつい先日に会ったばかりだからね。森辺の民と語らいたいと願っている人間は大勢いるのだから、少しは遠慮しないとさ」
すると、可憐なるメリムもドレスの裾をつまんで挨拶をしてくれた。
「またお会いできて嬉しく思いますわ、森辺の皆様方。……アイ=ファもレイナ=ルウも、宴衣装がよくお似合いです。青い花飾りをつけていても、殿方たちが放っておかなかったのではないですか?」
「うむ、まあ、正しき絆を結ぶためには、いささかの忍耐も必要となるのであろう」
アイ=ファの返答が可笑しかったのか、メリムは「まあ」といっそう可愛らしく微笑む。小柄でほっそりとしており、派手なところはまったくないのに、やはり愛くるしさでは他の追随を許さないメリムであった。
「おお、そちらにおられるのは、ディアル嬢とシリィ=ロウ嬢か。さあさあ、ダイア殿の宴料理をぞんぶんに味わうといいよ!」
シリィ=ロウは折り目正しく挨拶を返してから、ニコラのほうをきろりと見やった。
「あなたもこちらにいらしたのですね。これは、いささか意想外でした」
「ああ、ニコラは僕たちの侍女という名目で同行してもらったのだよ。……というか、ヤンに弟子入りした後も、侍女という身分に変わりはないからね。おかげでこうやって、ダイア殿の料理を食べて学ぶこともできるというわけさ」
「それは、得難き経験でありますね。わたしの兄弟子たちであれば、心から羨むことでしょう」
「あはは。それでも侍女がおおっぴらに宴料理を楽しむことはできないから、僕たちがこうして盾になっているんだよね。どうかこの一件は、ご内密にお願いするよ」
そこには主催者たるジェノス侯爵家のエウリフィアも控えていたわけであるが、ポルアースに屈託はなかった。もちろん貴族の堅苦しさとは無縁であるエウリフィアは、優雅に微笑むばかりである。
挨拶を終えたオディフィアは、お気に入りの花弁を見つくろって、口に運んでいる。俺たちもすでにこちらの味見は済ませていたが、せっかくなのでもうひとたび味わわせていただいた。城下町の宴料理には無関心のディム=ルティムも、数少ないギバ料理ということで、牡丹色の花弁をぱくぱくと食している。
「こちらの料理は、本当にお美しいですよね。食べてしまうのが、もったいないぐらい」
と、メリムがにこやかに発言する。
「ただ、花弁のあちこちに青虫などをあしらったら、いっそう美しいように思うのですけれど……それだけが残念に思います」
真剣な面持ちで花弁を食していたシリィ=ロウが、「んぐ」と奇妙な声をあげた。
「あ、青虫ですか? さすがに虫を模した料理では、食欲が失せてしまうように思うのですが……」
「あら、そうでしょうか? あちらのマロールを模した料理などは、ずいぶん評判もいいようですよ」
そう言って、メリムはうっとりと目を細めた。
「マロールというのは、あのように美しい姿をしていたのですね。いつか、生きたマロールというものをこの目で拝見したいものです」
「いえ、マロールというのはもともと食材として扱われている生き物ですし……そもそも青虫は、美しくないでしょう?」
「青虫は、嫌うお人も多いようですね。わたくしは、とても愛くるしく思います」
メリムがにこりと微笑むと、アイ=ファが「ふむ」と慇懃に応じた。
「あなたは、虫を好いているのであろうか? 聖域においては、虫の料理も出されたのだが」
「まあ! 本当に食べてしまうのは、可哀想です! 確かに青虫はころころとしていて美味しそうではありますけれど、あんなに可愛らしい生き物を口にする気持ちにはなれませんわ」
「そうか。まあ、何を愛らしいと思うかは、人それぞれであるからな」
アイ=ファは平然としていたが、シリィ=ロウなどは目を白黒とさせてしまっていた。メリムの意外な一面を知って、俺としては愉快な心地である。
そうして和やかな時間を過ごしていると、広間の中央から小姓の澄みわたった声が聞こえてきた。
「それでは、余興の演劇を開始したく思います。観覧を希望される方々は、こちらにどうぞ」
これは、かつての祝宴と同じ展開であった。
アイ=ファはわずかに目を細め、それからすっと視線を後方に転じる。
同じ方向に目をやると、そちらからはフェルメスとジェムドが近づいてきていた。
「ようやくお会いできましたね。でも、観劇の時間となってしまったので、まだしばらくは語らうことも許されないようです」
「……この夜にも、演劇という見世物が準備されていたのだな」
「はい。旅芸人を招いたのはジェノス侯ですが、演目についてはまた僕から要望を出させていただきました」
その言葉に、アイ=ファはますます目を細めた。
「そうか。もちろん私は、あなたが『滅落の日』に語っていた言葉を疑ってはいないのだが……その信頼が裏切られないことを、心から願っている」
「はい。その信頼に応えられれば、幸いです」
そう言って、フェルメスはふわりと微笑んだ。
「僕が要望を出した演目は、『デデイットの帰還』という物語です。シムに伝わる、古い物語なのですが……アイ=ファたちは、ご存じでしょうか?」
アイ=ファは細めていた目を見開き、わずかに身体をのけぞらした。
「その名は、アスタから伝え聞いている。……デデイットという東の民が、聖域に招かれるという物語であろうか?」
「ええ、それです。きっと現在のジェノスの方々には喜ばれるであろうと思い、要望を出させていただきました」
フェルメスの美しいヘーゼル・アイが、夢見る乙女のような光をたたえる。
「そうしてジェノスの方々が、聖域の民についてより深い理解を得てくれれば、いっそう嬉しく思います。……よければアイ=ファたちも、ご覧になりませんか?」
「うむ、もちろん。……あなたの真情を疑うような言葉を口にしてしまい、申し訳なく思っている」
「アイ=ファは、僕の言葉を疑っていないと言ってくれていましたよ。何も詫びる必要はありません」
そんな言葉を残して、フェルメスはすうっと後ずさった。
「それでは、またのちほど。劇の後にでも、ゆっくり語らせてください」
他の人々も、すでに移動を始めている。オディフィアたちも席が準備されているとのことで、ポルアースたちと一緒に歩を進めていた。
その後を追いながら、俺はアイ=ファに囁きかけてみせる。
「まさか、『デデイットの帰還』ってやつを目にすることができるとは思わなかったな。なかなか小憎い演出じゃないか?」
「うむ。本当に、小憎たらしいぐらいだな」
そんな風に言ってから、アイ=ファはふっと口もとをほころばせた。
「しかし今日は、得るものの多い祝宴であるようだ。それを、嬉しく思っている」
「うん。アイ=ファが嬉しいなら、俺も嬉しいよ」
「……最初の内はどうなることかと、いささか腹が煮えてしまったがな」
「あ、いや、それは言いっこなしにしようよ」
「わかっている」と、アイ=ファはいっそう柔和に微笑んだ。
髪をほどき、宴衣装などを纏っているものだから――そんな笑顔が、いっそう輝かしく思えてしまう。
「私もあれから、浮ついた貴族の男衆にさんざん声をかけられることになってしまったからな。お前がどのような心情であったかも、多少は理解できたように思う」
「うん。その気もない相手にちやほやされるってのは、なかなか心苦しいもんだよな。どんなに好意を寄せられたって、それに応えることは絶対にできないんだからさ」
アイ=ファはやわらかく微笑んだまま、ちょっぴり頬を赤くした。
そして、俺の耳もとに可憐な唇を寄せ、いっそうひそめた囁き声を注ぎ込んでくる。
「言わずもがなのことを、いちいち口にする必要はない。……お前のことを、信じている」
アイ=ファの言葉と、声の響きと、吐息から伝わる温もりが、俺の胸を幸福感で満たしてくれた。
そうしてその日の祝宴は、いよいよたけなわを迎えることになったのだった。