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異世界料理道  作者: EDA
第五十一章 賑やかなりし日常へ
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ジェノスの闘技会、再び①~幕開け~

2020.4/27 更新分 1/1

・今回は全7話です。

 ダレイム伯爵家の晩餐会から、3日後――銀の月の25日である。

 なかなか慌ただしいことに、その日はジェノスの闘技会であった。


 俺たちは、昨年もこの闘技会というものに関わっている。俺などは闘技場のそばで屋台を開き、午後の本選を観戦させていただいたぐらいのものであったが、サトゥラス伯爵家と悪縁を結んでしまったシン=ルウなどは、ゲオル=ザザとともに出場を余儀なくされてしまったのだ。


 しかしシン=ルウはその日にレイリスとの決着をつけ、サトゥラス伯爵家との悪縁にもきっちりと決着をつけることができた。なおかつ闘技会においては優勝を果たし、族長筋の人々やゲオル=ザザともども祝賀の宴に招待されることになったというのも、忘れ難い思い出であった。


 そんなわけで、昨年はさまざまなしがらみから否応なく闘技会と関わることになった森辺の民であるが、本年はきわめてフラットな状態で関わる予定となっている。闘技会そのものにはジィ=マァムとディム=ルティムの両名が力試しという名目で出場することになり、俺たちも本来は屋台の休業日であったのだが、特別に営業を敢行していた。そして夜にはアイ=ファとともに、祝賀の宴に招かれる手はずとなっていたのだった。


「貴族の祝宴などというものは、想像することも難しいように思います。ですがアスタたちは、喜びの気持ちをもって臨むことができるのですよね?」


 闘技場の広場に設置された作業台において商売の準備を進めながら、そのように問うてきたのは研修生のクルア=スンであった。

 その端麗なる面を見返しつつ、俺は「もちろん」と答えてみせる。


「森辺の民が貴族の方々と絆を深められるのはありがたい話だし、俺個人としても城下町の見事な料理を口にできる貴重な機会だから、心から嬉しく思っているよ」


「そうですか。でしたらわたしも、喜ばしく思います。アスタばかりが大きな苦労を背負ってしまうようですと、あまりに心苦しいので……」


「そんな心配はご無用さ。クルア=スンは、優しいんだね」


「とんでもありません」と、クルア=スンは静かに微笑む。このあたりは、15歳という年齢に不相応なまでの落ち着きを持ったクルア=スンである。


「前にも話したけれど、いつかクルア=スンにも城下町に出向く機会が巡ってくるかもしれないからさ。そのときは、俺と同じ喜びを分かち合えるようになると思うよ」


「そうですか。……わたしはアスタの仕事を手伝わせていただけるようになってから、まだ10日ほどしか経っておりませんので……いまだその喜びを噛みしめているさなかにあります」


 そう言って、クルア=スンは幻想的なる銀灰色の瞳で広場のほうを見回した。闘技場と作業台の間に広がる広場には、すでに千名や2千名ほどの人々が集まって、闘技会の開始を待ちかまえていたのだ。

 俺たちはいつも通り7種の店を並べており、隣にはユーミとルイアが陣取っている。ふたつの火元を必要とするレビやラーズたちは、本日も宿場町に居残りだ。復活祭のさなかであった早駆け大会の頃とは異なり、現在はそれほど宿場町が賑わう時期でもないので、レビたちも「今日はのんびりやらせてもらうさ」と笑っていたものであった。


 それはまあ、この場にこれだけの人間が集まってしまえば、宿場町が閑散としてしてまうのも無理からぬことであろう。ジェノスの領民のみならず、宿場町や城下町を訪れていた行商人の多くも集結している様子であるのだ。過ぎ去ってしまった復活祭の余熱を再燃させたいかのように、人々は熱気を渦巻かせていた。


「なあ、まだ料理の準備はできねえのか?」


 と、開店前から店の前に集まっていた南の民のひとりが、そのようにせっついてくる。それは現在、トゥランの再建工事を受け持っている建築屋の面々であった。さすがに本日は、そちらの仕事も休業と定められていたのだ。


「少々お待ちくださいね。……シーラ=ルウ、そちらは如何ですか?」


 ルウ家の店の取り仕切り役であるシーラ=ルウは、落ち着いた微笑とともに準備オーケーの合図を送ってきた。

 そちらに返事を返してから、俺は正面の人々に向きなおる。


「お待たせいたしました。それでは、販売を開始いたします」


 建築屋の面々は、喜び勇んで銅貨を差し出してきた。しかしクルア=スンは焦ることなく、「順番に受けつけますので、おひとりずつお願いいたします」と応対する。


 俺たちの担当である日替わりメニューは、ちょっとひさびさの『ソース焼きそば』であった。火元がひとつしかないこの作業台ではパスタやラーメンを供することができないので、手軽な麺料理を供することにしたのだ。


 たっぷりの具材を使った『ソース焼きそば』を木皿に取り分けると、銅貨を支払った人々にあっという間に持ち去られてしまう。闘技会の開始までにはもう半刻も残されていないので、気の早い人々はこの朝方に食事を済ませてしまおうと躍起になっているのだ。これもまた、昨年の闘技会や先月の早駆け大会と同じ光景であった。


「ふうむ、本当に大した人出だな! 復活祭がまたやってきたかのような騒ぎではないか!」


 と、背後からダン=ルティムの大きな声が響きわたる。本日は家人が出場するということで、ルティムとマァムの人々はギバ狩りの仕事を休みとして、観戦に出向いてきていたのである。


 よって、作業場の裏には大勢の男衆がひしめいており、表のほうでは女衆らが食器の回収のために待機してくれていた。この場には青空食堂が存在しないため、食器の持ち逃げには普段以上の注意が必要となってしまうのだ。

 ただしこれまでの営業においても、木皿や木匙が紛失する事態には至っていなかった。作業場の近くに放り出されていたことは多々あったものの、数が減じることはなかったのである。それはお客の人々が森辺の民の商売に相応の敬意を払ってくれている証のように思えて、俺にはたいそう嬉しく感じられたものであった。


「……それにしても、うすたーそーすの焼ける匂いを嗅がされると、腹が減ってたまらんな! 中天まで我慢がききそうにないぞ!」


「ダン=ルティムたちの食事については、ルウ家のほうで準備されるのですよね? それはいつお召し上がりになる予定なのですか?」


「だから、それを考えあぐねておるのだ! 力比べが始まってしまえば客もいなくなるので手が空くという話であったが、俺たちが腹を満たしている間にディム=ルティムたちの力比べを見逃してしまうかもしれんからな!」


 それはつまり、ディム=ルティムたちが予選で敗退する可能性も考慮している、ということなのだろうか。

 俺がそのように問うてみると、ダン=ルティムは「そうだな」と愉快そうに口髭をひねった。


「ドンダ=ルウやシン=ルウに聞いたところ、ディム=ルティムが最後まで勝ち抜くことは難しかろうという話であったのだ! まあ、ゲオル=ザザでさえ途中で負けることになったぐらいであるのだから、それも当然の話であろう。これは狩人の力比べではなく、剣士とやらの力比べであるのだしな!」


 そう、ジェノスの闘技会に出場する森辺の狩人は、ある種のハンデを背負って戦うことになるのだ。すなわち、着慣れない甲冑の重量と動きにくさである。無類の巨漢たるジィ=マァムはまだしも、若年で小柄なディム=ルティムにとっては、かなりのハンデになってしまうはずだった。


「しかもメルフリードなどという者は、もともとルウの血族の勇者にも匹敵するような力量を持っておるように感じられるしな! それで不慣れな取り決めに従うとなれば、ディム=ルティムやジィ=マァムが早々に敗れてしまっても不思議はあるまい! わざわざ狩人の仕事を休みと定めたのに、血族の戦いを見届けずに帰ることはできんから、どうしたものかと思案しておったのだ!」


「なるほど、そうなのですね。まあ、大会の始まりには挨拶などがあるはずですし、予選では大勢の人々が何回も試合をするのでしょうから、少しぐらいの猶予はあると思いますよ。お客が引けてすぐに腹ごしらえを済ませれば、ディム=ルティムたちの出番を見逃すことにもならないのではないでしょうかね」


「そうか! では、シーラ=ルウたちにそのように伝えておこう! 世話をかけたな、アスタよ!」


 ガハハと豪快な笑い声を響かせながら、ダン=ルティムは横合いに引っ込んでいった。

 するとそれと入れ替わりで、また大きな人影が近づいてくる。ガズラン=ルティムとディック=ドムの勇壮なるコンビである。


「お疲れ様です、アスタ。本当にたいそうな賑わいであるようですね」


「はい。でも、本番は中天の休み時間ですからね。そのときには、これとも比較にならないぐらいの人たちが来てくれると思いますよ」


「聞きしにまさる賑わいです。町の人間がそうまで剣士の力比べに大きな関心を抱いているとは、いささか意外であるように思います」


「そうですね。俺も想像するだけですけど、ジェノスは平和な土地である分、刺激に飢えているという面もあるのかもしれませんね」


 新たな具材を鉄板に広げつつ、俺はディック=ドムにも笑いかけてみせる。


「それにしても、またディック=ドムとお会いできて嬉しく思います。痛めていた手の調子は如何ですか?」


「うむ。まだ十全とは言えぬが、狩人の仕事を果たすのに不足はない」


 ギバの頭骨をかぶったディック=ドムは、普段通りの重々しい声音でそのように答えてくれた。

《銀の壺》の送別の祝宴は辞退していたディック=ドムであるが、本日のイベントには自ら観戦を希望して、北の集落から駆けつけてきたのだそうだ。やはり、ゲオル=ザザが途中で敗退するほどの大会とはどのようなものであるのかと、狩人の血が騒ぐのかもしれなかった。


「ところで……そちらのお前は、スンの女衆であったはずだな」


 と、黒く燃えるディック=ドムの双眸が、俺の隣で働くクルア=スンを見据えた。

 鉄板の上でじゅうじゅうと音をたてている具材の様子を見守っていたクルア=スンは、ディック=ドムに向きなおって一礼する。


「はい。スン本家の末妹、クルア=スンと申します。ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません」


「そちらは仕事のさなかであるのだから、俺などに気を使う必要はあるまい。……ついにスン家の人間も、屋台の商売を手伝うようになったのだな」


「はい。聖域における騒動が収まるのを待ち、ファの家に手伝いを申し出ることとなりました」


 クルア=スンは、澄みわたった銀灰色の瞳でディック=ドムを見つめ返す。以前のクルア=スンは分家の家人に過ぎなかったが、ドムの家長たるディック=ドムとはたびたび顔をあわせる機会があったのだろう。大きな秘密を抱えるスン家は収穫祭なども各自の氏族で行うように取り計らっていたが、婚儀の祝宴などでは眷族の人々を招いていたはずであったのだ。


「……自分たちが森辺の民として正しく生きているということを、しっかりと証し立てるがいい。ルウやファの者たちであれば、それを見誤ることもあるまい」


「はい。ありがとうございます」


 クルア=スンは粛然とした様子でまた一礼すると、正面に向きなおった。そろそろ『ソース焼きそば』が仕上がりそうな頃合いであったのだ。

 するとそこに、モルン=ルティムを引き連れたレム=ドムもやってくる。本日はディック=ドムばかりでなく、ドムの狩人たちも大挙してやってきていたのだ。


「なんだ、ディックはこんなところにいたのね。モルン=ルティムを置き去りにしてまで、アスタと語らいたかったの?」


「……今日はルティムの家人がそろっているのだから、モルン=ルティムはそちらと語らうべきであろう」


「だったら、あなたも一緒に語らえばいいでしょう? いちいち行動を別にする必要はないじゃない」


 レム=ドムはにやにやと笑い、モルン=ルティムはわずかに頬を赤らめる。それを見返すディック=ドムは、頭骨の影に表情を隠していた。

 お客はひっきりなしにやってきているが、その舞台裏も負けないぐらい賑やかな様子である。ちなみに我が愛しき家長はさきほどから、遠からぬ位置でディガやドッドと言葉を交わしていた。昨年の末ぐらいに再会を果たしてから、何度か顔をあわせる機会を経て、そちらでも少しずつ絆が深められていたのだ。


 アイ=ファと語らうディガとドッドは、初心な若衆のようにはにかんでいる。なんとなく、人間になついたばかりの猟犬めいた風情である。かつては彼らがアイ=ファに乱暴をしようとして家に忍び込んだり、果てには生命を奪おうとしたなどとは、誰にも想像はつかないことだろう。どうやら彼らは狩人としての力をつけた結果、アイ=ファがどれだけ卓越した力量を持つかも感じ取れるようになり、憧憬にも似た気持ちを抱いた様子であった。


(こういうのを、生々流転っていうのかな)


 そんな感慨を噛みしめながら、俺は新たな『ソース焼きそば』を焼きあげていった。


               ◇


 それから半刻ていどが過ぎ、上りの五の刻に至ると、闘技場のほうから遠雷のごとき太鼓の音色が聞こえてきた。

 広場の人々はそれを合図に闘技場へと詰めかけて、ルティムやマァムやドムの人々は、急いで腹ごしらえを開始する。そうして彼らも四半刻と遅れることなく、闘技場の内へと消えていった。後に残された護衛役は、アイ=ファとバルシャとリャダ=ルウである。


 ここから中天までの二刻ばかりは俺たちの休憩タイムであるので、軽食をいただきつつ歓談にいそしむ。話題の中心となるのは、やはり闘技会に出場した2名の去就についてであった。


「ジィ=マァムやディム=ルティムという狩人たちは、まだ勇者の座を得られるほどの力量ではない、というお話でしたよね。いったいどれぐらいの力を持つ狩人であるのでしょうか?」


 小さき氏族の女衆らは、ルウの血族の女衆らにそんな質問を飛ばしていた。

「そうだなー」と首をひねったのは、本日の当番のひとりであるララ=ルウだ。


「ディム=ルティムってのは、まだ15歳にもなってない見習い狩人なんだよね。見習いの中では力のあるほうだって話だけど……収穫祭の力比べでは、同じ年頃の狩人にしか勝てたことはないんじゃないのかな」


「では、ジィ=マァムは? そちらはとても大きな身体をした狩人なのでしょう?」


「うん。ミダ=ルウを除けば、ルウの血族で一番大きいぐらいかもね。さっきまでうろちょろしてたドムの家長より大きいぐらいだもん。……ただ、けっこう力まかせなところがあるから、勇者になるにはまだまだだなーなんて言われてたよ。アイ=ファだって、いっつもジィ=マァムを負かしてたもんね」


 ララ=ルウの言葉を聞いて、多くの女衆がアイ=ファを振り返ることになった。その賞賛の視線から逃げるように、アイ=ファはそっぽを向いてしまう。


「あーでもアイ=ファはルウの血族の力比べでも勇者になれるぐらいの力量なんだから、それと比べてもしかたないか。うーんとね、ルウの血族の力比べでは、ジィ=マァムに勝てるようになったら勇者になれる、なんて言葉を聞いたことがあるね」


「では、ジィ=マァムも限りなく勇者に近い力を持っている、ということなのでしょうか?」


「うん。ここ最近では、ジィ=マァムも勇者以外の狩人には負けてない気がするからね」


「そうですか……それでも今日の力比べで、ジィ=マァムが最後まで勝ち抜くことはないだろう、という見込みなのですね?」


「うちの連中は、そんな風に言ってたね。それはアイ=ファに聞いたほうが早いんじゃない?」


 リャダ=ルウやバルシャは別の輪で軽食をとっていたので、狩人はアイ=ファしかいなかったのだ。再び水を向けられたアイ=ファは、しかたなさそうに口を開いた。


「ジィ=マァムであれば、よほど組み合わせが悪くない限り、最後の8名まで勝ち抜くことは可能であろうと思う。ただ……それより先に勝ち進むことは難しいやもしれんな」


「ふーん。メルフリードやレイリスって貴族の他にも、そんなに手ごわいやつがそろってるの?」


「少なくとも、昨年の闘技会にはそれだけの手練れがそろっていた。あとはジィ=マァムが、どれだけの力をつけているかだ。あやつがきちんと修練を積んでいれば、メルフリードやレイリスを倒すこともありえよう」


 やはり剣士の闘技会というのは不確定要素も多いために、アイ=ファも確たることは言えないようだった。

 しかしそれゆえに、森辺の人々は期待を募らせているようだ。不利な条件の力比べで、森辺の同胞がどれだけの結果を残せるものか、誰もが心を躍らせている様子であった。


 そうして楽しく歓談していると、闘技場の裏側から立派なトトス車が近づいてきた。料理の予約注文をしていた、城下町の人々である。


「失礼いたします。料理を引き取りに参上いたしました」


「はい。少々お待ちくださいね」


 今回は、あらかじめ買いつける料理の数を承っていたのだ。ファとルウの店から2種ずつと、ディンの店の菓子も加えて、50名ほどの人々が満腹になれるぐらいの分量であった。

 そうして役目を終えたトトス車がしずしずと戻っていくと、ほどなくして闘技場の扉が開かれる。中天となり、一刻の休憩時間となったのだ。


 今度は朝方よりも凄まじい勢いで、人々が押し寄せてくる。闘技場における営業時間は普段の半分ていどであるのに、普段以上の売り上げとなるのは、これだけの人々が料理を欲してくれるゆえであった。


「よお、お疲れさん。こんな日にまで、大変だな」


 しばらくして、新たな具材を鉄板に広げたところで、そのように呼びかけられる。顔を上げると、見慣れた人々が『ソース焼きそば』の屋台に並んでくれていた。建築屋の人々とともにトゥランの再建工事に携わっている、宿場町の若衆らである。俺に声をかけてきたのは、そのリーダー格であるダンロであった。


「ああ、どうも。みなさんもいらっしゃっていたのですね」


「ここ最近は、働き詰めだったからな。楽しめる日に楽しんでおかないと、身がもたねえよ」


 ダンロは陽気に笑いながら、仲間の陰に引っ込んでいた人物の腕を引っ張った。


「ほら、あんたも挨拶しておけよ。最近は、アスタたちとも顔をあわせる機会がなかったんだろ?」


「あ、ああ……どうも、ご無沙汰だったな」


 それは復活祭において俺の銅貨をかすめ取ろうとした、あの人物であった。工事現場の食事はまとめて予約注文されるようになったので、彼らと顔をあわせるのは数日ぶりであったのだ。

 若衆ぞろいの集団の中で、彼だけは壮年の男性である。しかし、真っ当な仕事で銅貨を稼ぐようになってから、彼は身なりをきちんと整えるようになったので、もう無法者に見えたりはしなかった。


「どうも、おひさしぶりです。なんだか見るたびに、お顔の色つやがよくなっているように見えますね」


「へへへ。そいつは毎日、美味いギバ料理を腹いっぱい食べてるからだろうと思うよ」


 その人物がいくぶん気恥ずかしそうに言うと、ダンロも「まったくだよな!」と元気に同意した。


「アスタたちが面倒な仕事を引き受けてくれたおかげで、俺たちも万々歳さ。何せ、屋台の仕事が休みに日にまで、わざわざ俺たちの食事の準備をしてくれてるんだからなあ」


「ええ。休みの日こそ、手が空いていますからね。そういう日は衛兵の方々がルウ家まで料理を引き取りに来てくださるので、こちらは何の手間にもなりませんよ」


 そんな会話に花を咲かせてから、俺は闘技会の様子を尋ねさせていただいた。


「それで、闘技会のほうは如何です? 森辺の狩人たちは予選を勝ち抜くことができたのでしょうか?」


「ああ、まだ聞いてなかったのか? あの、身体のちっこいほう……たしか、ディム=ルティムだったっけか。あいつは途中で負けちまったんだけど、敗者復活戦とかいうやつに勝ち抜いたんで、昼からの本選にも出られるようになったみたいだぜ。あの馬鹿でっかいジィ=マァムってお人なんかは、まあ言わずもがなだな」


「そうですか。ふたりとも本選に進めたのなら、何よりです。……ちなみにディム=ルティムは、なんという御方に負けてしまったのでしょう?」


「さて、なんだったかな。どっかで聞いたような名前だったけど、忘れちまったよ」


 すると、かつて無法者であった男性が笑いながら口をはさんできた。


「それは、ロギンってお人だよ。たしか、近衛兵団の副団長だって紹介されてたね」


「へえ、あれだけずらずらと名前を並べられて、よく覚えてたもんだな」


「そりゃあ、森辺のお人らの試合はとりわけ目を凝らして見物させていただいたからね」


 そう言って、その人物は無精髭に包まれた下顎を撫でさすった。


「でもまあディム=ルティムってお人は負けちまったけど、そんなに力の差はなかったように思うよ。次にまた同じ相手とやりあうことになっても、後れを取ることはないんじゃないのかね」


「ふうん? なんだか知ったような口を叩くじゃねえか?」


「闘技会ってのは賭場が開かれるから、これまでもちょいちょい覗いてたんだよ。ジェノスの闘技会を目にするのは初めてだけど、なかなか剣士の粒はそろってるんじゃねえのかな」


 そんな風に言ってから、その人物は俺に笑いかけてきた。


「何にせよ、俺は賭け抜きで森辺のお人らを応援させてもらうよ。誰であれ、あんたにとっては大事な同胞なんだろうからな」


「はい、ありがとうございます」


 嬉しくなって、俺も笑顔を返してみせた。

 するとダンロが、「そうそう」と声をあげてくる。


「森辺のお人らじゃねえけど、あのドーンのおっさんもきっちり勝ち抜いてたよ。口だけのおっさんではなかったみたいだな」


「ドーン? ……ああ、祝賀の宴でご一緒した、あの御方ですか」


 真っ赤な髪をたてがみのように逆立てた、古傷だらけの厳つい顔が脳裏に思い浮かぶ。傭兵団の団長であるというその人物は、ダンロともどもトトスの早駆け大会で入賞し、祝賀の宴で知遇を得ることになったのだ。


「なるほどなるほど。そういえばあの御方は、前々回の闘技会で入賞したんだって言っていましたものね。俺の知り合いも、森辺の狩人に匹敵する数少ない剣士だと言っていたように思います」


「ああ。確かに森辺の狩人に負けないような戦いっぷりだったよ。おかげさんで、けっこう銅貨を稼がせてもらったな」


 陽気に笑いながら、ダンロはそのように言いたてた。


「ただ、こっから先は誰が勝ち抜くのかも見当がつかねえから、慎重に勝負しねえとな。汗水たらして稼いだ銅貨を、無駄にはできねえからよ」


「そうですか。この後は俺も観戦させてもらうので、試合が楽しみです」


 そこで新たな『ソース焼きそば』が仕上がったので、ダンロたちは木皿を手に意気揚々と立ち去っていった。

 また新しい分の準備を始めつつ、俺は背後のアイ=ファに呼びかける。


「話は聞いてたよな? ディム=ルティムを負かしたロギンって名前に聞き覚えがあるんだけど、そのお人は前回も出場してたんだっけ?」


「うむ。ザッシュマが、森辺の狩人に匹敵する力を持つやもしれぬと言っていた4名のひとりであろうな」


「ああ、なるほど。メルフリード、レイリス、ドーンに並ぶ剣士ってことか」


 俺は納得しかけたが、アイ=ファは「いや」と首を振った。


「あの頃のザッシュマは、まだレイリスの名を知らなかった。レイリスのことは、サトゥラス騎士団の若い騎士としか言っていなかったはずだ」


「ふーん? それじゃあ、4番目の剣士は誰だったっけ?」


 アイ=ファは何故だかいくぶん眉を下げながら、「デヴィアスだ」と答えた。


「あー、そっかそっか! あのお人もそれぐらいの腕を持つ剣士だったんだっけ。……ところでアイ=ファは、どうしてそんな渋いお顔をしているのかな?」


「渋い顔などしておらん。ただ……この夜もあやつと顔をあわせるのかもしれぬと、今さらながらに思い至っただけのことだ」


 あの気持ちも言葉も偽らない真正直な御仁が宴衣装のアイ=ファと遭遇したならば、いったいどのような反応を見せるのか。それは想像に難くなかった。

 俺はアイ=ファの心情を思いやり、話題の転換を試みることにする。


「でもとりあえず、ディム=ルティムもジィ=マァムも本選に進めたみたいでよかったよ。やっぱり森辺の狩人ってのは、大したもんだな」


「ふん。あやつらも、たゆみなく修練に励んでいたろうからな」


 厳粛なる面持ちを取り戻して、アイ=ファはそのように言った。

 そういえば今回の闘技会に参戦している両名は、かつてルウ家の祝宴においてアイ=ファとあれこれ心情を打ち明け合うことになった顔ぶれであったのだった。


(ディム=ルティムもジィ=マァムも、アイ=ファの強さに心から感服してたみたいだもんな)


 あれはたしか、シーラ=ルウとダルム=ルウの婚儀の祝宴であっただろう。その少し前に行われた収穫祭において、アイ=ファはジザ=ルウを負傷させて失格負けとなり、それを契機としてルウの収穫祭には今後参席しないことを決断したのだった。


(でもきっと、あれからもあのふたりはアイ=ファの存在を励みにして、それぞれ頑張ってきたんだろう。できればふたり一緒に祝賀の宴に参加してもらいたいものだけど……それはやっぱり、望みすぎなのかな)


 闘技会の出場者が祝賀の宴に招かれるには、最後の8名まで勝ち抜かなくてはならないのだ。トトスの早駆け大会のときと同様に、それは決して簡単な話ではないはずだった。


(仕事が終わったら、せいいっぱい応援しよう。俺にできるのは、それだけだからな)


 そんな思いを胸に、俺は仕事を果たすことになった。

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