ダレイム伯爵家の晩餐会③~競演~
2020.4/11 更新分 1/1
「では次は、わたしどもの準備した汁物料理となります」
ヴァルカスの言葉とともに、ロイとシリィ=ロウが立ち上がった。ヴァルカスたちの準備した汁物料理は保温の仕掛けのあるワゴンに設置されていたので、それを手ずから皿に移し、小姓たちへと受け渡していく。
そうして新たな料理が配膳されると、今度はさきほどよりも大きな感嘆の声がこぼれた。それだけのインパクトを持った、ヴァルカスの料理であったのだ。
「こちらは、ギギの葉を使った汁物料理となります」
ギギの葉は、精製されたカカオのような風味を持つ香草である。森辺の民にとっては、チョコレートの材料として慣れ親しんできた食材だ。
それでこのギギの葉は、もともと真っ黒な色合いをしているのだが――こちらの料理にも、その色合いが如実に反映されていた。それは、夜の闇のように真っ黒なシチューであったのだ。
「これはこれは……まるで、字を書くための染料じみた色合いだな」
いささか辟易した様子で言ったのは、パウドであった。
ヴァルカスは、そちらをぼんやりと振り返る。
「文字を書くための染料は、食材になりえません。これはあくまでギギの葉の色合いとなりますので、ご安心してお召し上がりください」
「うむ。それはそうなのであろうが……」
と、大きな鼻をひくつかせたパウドは、「ほう」と目を丸くした。
「確かにこれは、芳しい香りだな。どれ、味を見させていただこうか」
俺などは、鼻をひくつかせるまでもなく、その芳香を嗅ぎ取ることができていた。ちょっとコーヒーっぽい香りの中に、さまざまな香草や食材の香りが織り込まれた、実に複雑な芳香である。
(もともとギギの葉ってのは、茶の原料なんだもんな。それを主体にした汁物料理っていうのは、いったいどんなもんなんだろう)
俺は大きな期待感とともに、金属製の匙を取り上げた。
質感は、やはりシチューのようにもったりとしている。軽く皿の中をさらってみると、ごろりとした具材が匙にのっかった。乱切りにされた、チャッチである。
(これはますますシチューっぽいな。ヴァルカスがこれまでに出してきた汁物料理とは、ちょっと趣が違うみたいだ)
俺はたっぷりの黒い煮汁とともに、チャッチを口に投じ入れた。
とたん、複雑な味わいが口内に爆発する。
想像以上に、そこには香草の辛みがきいていた。
だけどやっぱり、主体となるのはギギの葉の風味である。強烈な辛みと、わずかな酸味と、そしてまろやかな甘みが、ギギの葉の苦みによって統率されているのだ。
辛いけど、甘い。なんらかの果汁と、砂糖や蜜まで使っているのだろう。砂糖を溶かしたコーヒに、香草で辛みと酸味までをも添加したような――そんな奇妙な味わいであるのに、きちんと整合性が取れている。それはまた、土台となる出汁が盤石の堅牢さを有しているゆえであった。
旨みが、尋常でないのである。これは明らかに、魚介の出汁であった。俺も魚介カレーでお世話になったホタテモドキを主体にして、燻製魚や海草も使っているのだろう。深みはあるのに、決してくどくはない。ヴァルカスの力量がぞんぶんに発揮された仕上がりであった。
具材のチャッチは表面にのみそれらの味わいがしみこんでおり、内側のほうはほくほくとしていて、罪のない味である。複雑怪奇な煮汁の味わいを、優しくなだめてくれるかのようだった。
他に隠されていた具材は、ニンジンのごときネェノンや、ズッキーニのごときチャンや、タケノコのごときチャムチャムや、パプリカのごときマ・プラなど――いずれもほどよく煮込まれており、強烈な味を中和する役割を果たしているように感じられる。煮汁の味わいがこれらの具材の芯にまでしみこんでいたならば、さすがに舌が疲れてしまいそうなところであった。
(あと……ほぐした魚の身も使われてるみたいだな。こっちの繊維は、ホタテモドキだろうか。これらが満遍なく行き渡っているから、食べごたえもかなりのものだな)
俺がそのように考えていると、第一子息のアディスが「ううむ」とうなり声をあげた。
「其方は以前から、思いも寄らぬ料理で我々を驚かせていたものだが……この1年半ばかりで、ますます腕を上げたようだな。こまかいことなどわからぬが、とにかくこれは凄い料理だ」
「1年半、ですか。もしかしたら、それはジェノス城で行われた会議の日を指しているのでしょうか?」
フェルメスがそのように問い質すと、アディスはハッとしたように口をつぐんだ。フェルメスのほうは、どこか悪戯な妖精っぽい感じに微笑んでいる。
「それはすなわち、アスタが当時のトゥラン伯爵邸に捕らわれていた期間に行われた会議ということになりますね。トゥラン伯爵家の前当主サイクレウスはそれからすぐに体調を崩してしまったため、自慢の料理人を屋敷の外に連れ回すこともつつしむようになった――と、報告書にはそのように記載されていました」
「いや、まあ、その話は……」
「べつだん、ご遠慮される必要はありませんでしょう。その出来事をきっかけにして、ダレイム伯爵家と森辺の民の絆は結ばれたのですから、このような日には相応しい話題であるように思います。……アスタは、どのように思われますか?」
「はい。あのときは、ポルアースのおかげで救われることとなりました」
俺は話が穏便な方向に進むようにと、ポルアースへと笑いかけてみせた。ポルアースは、得たりと笑顔を返してくる。
「うんうん。あのときは、父上も兄上もジェノス城を離れられない身であったからねえ。そのおかげで、僕などが暗躍する羽目になってしまったのだよ。まあ、すべてはカミュア=ヨシュ殿のお導きだね!」
そんな風に言ってから、ポルアースはくりんとヴァルカスのほうを振り返った。
「でも、そうか。あの日はヴァルカス殿もジェノス城であったのだね。そういえば、こちらの晩餐は副料理長であったティマロ殿が手掛けたのだと聞かされた覚えがあるよ」
「は……それは、どういったお話でありましょう?」
ヴァルカスがそのように答えると、がしゃんと不作法な音色が鳴り響いた。脱力したロイが、肘を卓にぶつけてしまったのだ。
「し、失礼いたしました。……あのですね、ヴァルカス、その話も自分がさんざんお話ししたでしょう? あなたが前当主とお屋敷を離れていた間、自分がアスタの面倒を見る羽目になっていたのですよ」
「はて。何故にあなたが、アスタ殿の面倒を?」
「……ですから自分も、その当時はトゥラン伯爵家のお世話になっていた身なのですよ。あなたは料理の関わらない話は、片っ端から忘れちまうんですか?」
ヴァルカスはしばらくぼんやりと考え込んでいたが、ふいに「ああ」と目を見開いた。
「思い出しました。わたしがジェノス城に出向いている間に、アスタ殿はトゥラン伯爵家にお招きされていたのでしたね」
「お招きじゃなくって、誘拐でしたけれどね」
「それで、キミュスの揚げ料理を始めとする数々の料理を披露したのだと聞いています。かなうことならば、わたしもその場に立ちあいたかったものです」
「ぷっ」という可愛らしい声が、俺のすぐそばから響きわたった。
声の主は、メリムである。メリムは口もとに手をやりながら、ほっそりとした肩を震わせていた。
「し、失礼いたしました。おふたりのやりとりが、何やら可笑しかったもので……」
「……貴き方々にお楽しみいただけたら、光栄に存じます」
ロイはほとんど溜め息まじりに、そう応じていた。
ポルアースも、その場を取りなすように「そうかそうか」と声をあげる。
「その頃はロイ殿もまだヴァルカス殿のお弟子ではなかったため、お屋敷に居残っていたのだったね。それで、リフレイア姫にかどわかされたアスタ殿の面倒を見ることになった、と……つまりロイ殿は、僕やヴァルカス殿よりも早くから、アスタ殿と顔をあわせていたわけだ」
「……はい。あのときは、近衛兵団の方々に連日、取り調べを受けることとなりました」
それは俺も、初耳の話であった。が、あの一件はメルフリードが徹底的に調査をして、リフレイアを投獄する事態にまで至ったのだ。俺の世話係を担当していたロイとシフォン=チェルには、厳しい尋問が待ち受けていたのだろう。
「それが今では、こうして全員で食事の卓を囲んでいるわけだからねえ。いやはや、これも西方神のお導きであるのかなあ。運命の妙というものを感じてしまうよ」
「ええ、本当に。かなうことなら、僕もその頃の様子をこの目で見届けたかったものです」
優雅に微笑みながら、フェルメスがそのように応じた。
その向こう側では、パウドやアディスがこっそり汗をぬぐっている。当時の彼らはポルアースの行いに批判的であり、トゥラン伯爵家に盾突くとは何事か、と憤慨していたはずなのである。
(きっとフェルメスはそんなことも踏まえた上で、こんな話題を持ち出したんだろうな。まったく、人が悪いや)
そうしてその話題が終息する頃には、汁物料理の皿も空になっていた。
俺とヤンの陣営で料理の見事さを賞賛したのちに、次なる料理の出番である。
「それでは次は、自分たちの準備したフワノ料理となりますね」
俺の合図を受けて、ユン=スドラとトゥール=ディンが立ち上がる。こちらも料理の取り分けは小姓まかせにせず、自分たちで取り組む手はずであったのだ。
ワゴンに設置されていた鉄鍋の蓋が開けられると、ヴァルカスの汁物料理よりも鮮烈な芳香が食堂を満たしていく。
その香りだけで貴族の面々は感嘆の声をあげ、そしてヴァルカスはぴくりと肩を震わせた。
「……こちらは、かれーの料理であるようですね」
「はい。カレー料理の最新作です」
小姓たちが、しずしずと皿を配り始める。そこに盛りつけられていたのは、《銀の壺》の送別の祝宴でお披露目した『カレー焼きうどん』であった。
ただし今回はフェルメスが参席しているために、ギバ肉ではなく海鮮仕立てだ。ギバ肉の代役をつとめるは、マロールとホタテモドキと、そしてイカやタコに類するヌニョンパであった。
「名づけるなら、『魚介カレー焼きうどん』といったところでしょうか。使っているのはシャスカではなく、フワノを主体にした生地となります」
「ふむふむ。シャスカはシャスカらしからぬ料理に仕上げ、フワノやポイタンをシャスカめいた料理に仕上げるというのが、アスタ殿の愉快な手腕だものね」
弾んだ声で、ポルアースがそのように評してくれた。
「城下町ではアスタ殿の考案した黒フワノのそばというものがだいぶん浸透してきたところだけれども、これにはトゥランの白いフワノを使っているのだね?」
「はい。フワノに少しだけポイタンを混ぜて、理想の食感を追求しました。お気に召せば幸いです」
すべての皿が配膳されると、人々はそれぞれ興味深そうに突き匙を取り上げた。城下町では黒フワノのそばやシャスカ料理が流通しているので、もはや麺料理に驚く人間はいないだろう。しかし、カレー料理に慣れ親しんでいる人間は、ごく限られているはずだった。
「まあ、香りの通りに刺激的な味わいですのね。……これは以前に舞踏会で出された不思議な饅頭と似ているように思えるわ」
最初に声をあげたのは、当主の伴侶たるリッティアであった。
そちらに向かって、俺は「はい」と笑いかけてみせる。
「レイナ=ルウたちが準備した、『カレーまん』ですね。今回はギバ肉でなく魚介の食材を使ってみましたが、お気に召しましたでしょうか?」
「ええ、とっても」と微笑んでから、リッティアは伴侶のパウドを振り返った。
「ねえ、あなたもそう思うでしょう? とっても不思議で、とっても美味ですわね」
「うむ……わたしは辛い料理というものをそれほど得意にしていないのだが、この夜に出される料理は不思議といくらでも食べられてしまうな」
そのように応じつつ、パウドはテーブルナプキンで額に浮かんだ汗をぬぐった。こちらは中辛ていどの辛みに抑えているのだが、ずいぶん汗腺を刺激されてしまったご様子である。
「ヴァルカスも香草を使った料理を得意にされているので、自分は控えるべきかとも考えたのですが、ここ最近ではこちらの料理が自信作であったので、献立に組み入れてしまいました。辛い料理を苦手にされていたのなら、申し訳なく思います」
パウドは立派な眉をひそめつつ、俺のほうを振り返ってきた。
「辛いが、きわめて美味であるので、謝罪をするには及ばない。……まだそれほどの若さである其方が、城下町でも高名なるヴァルカスに匹敵するほどの腕を有していることに驚かされている」
「過分なお言葉をありがとうございます」
保守的で慎重な気性をしたパウドは、ポルアースが繋いだ森辺の民との縁を乱してしまわないように気を張っている、という話を耳にしたことがある。それから1年近くが経過しているはずであるが、その基本スタンスに大きな変化は生じていないようだった。
(まあ、城下町の祝宴なんかで何度かは顔をあわせているけど、きちんと言葉を交わすのはこれが初めてなぐらいだもんな。大恩あるポルアースのご家族なんだから、もっともっと仲良くさせていただきたいもんだ)
そんな風に考えながら、俺はアディスとカーリア夫妻にも目を向けてみた。
「如何でしょうか? 宿場町ではカレー料理もずいぶん根付いてきたかと思うのですが、城下町の貴き方々のお口にも合えば光栄に思います」
「ああ、うむ……非常に美味であるように思う」
「ええ。香草の料理をいただくのはひさびさなので、さきほどからとても気持ちが浮き立っておりますわ」
アディスは父親と同様の仏頂面で、カーリアは取りすました面持ちであった。ダレイム伯爵家の半数は、なかなかガードが固いようだ。
それにしても、香草の料理がひさびさとは、いささか意外である。ヤンとて城下町の料理人であるのだから、香草の料理は得意にしているはずなのだが――と、俺がそんな風に考えていると、ななめ前方に座したメリムが小さな身体を懸命にのばして、俺に囁きかけてきた。
「義姉のカーリアはつい最近まで赤子に乳をやっていたので、香草の料理を控えていたのですわ。もともとは、とても香草の料理を好んでおられたのですよ」
「ああ、なるほど……わざわざありがとうございます」
「いいえ。カーリアがとても嬉しそうにしているので、わたくしも嬉しく思っています。素晴らしい料理を出してくださったアスタにもヴァルカスにも、心から感謝しておりますわ」
そう言って、メリムはにっこりと微笑んだ。
やっぱり年長者とは思えないほどの、無邪気で屈託のない笑顔である。こんな可愛らしい女性を伴侶に迎えられて、ポルアースは幸せだなあと思うことしきりであった。
「こちらは本当に美味ですね。アスタの作るかれー料理というものには、いつも心が打ち震えます」
と、メリムに負けじとばかりに、フェルメスも可憐な微笑みを届けてきた。
「また、王都においてもこれほど見事な魚介の料理を手掛けられる料理人は、多くありません。アスタもヴァルカスも非凡な腕を持つ料理人と言えるでしょう」
「ありがとうございます。魚介の食材はカレーと相性がいいので、フェルメスに料理をお出しする際は、ついつい頼ってしまいがちなのですが……もう飽き飽きだと思われなかったのなら、幸いです」
「まだ飽きるほどは、アスタの料理を口にする機会もなかったかと思います。ジェノス侯の手前、そうそう気軽にアスタを呼びつけることもかないませんしね」
そのように言いながら、フェルメスは俺の隣のレイナ=ルウへと視線を転じた。
「サトゥラス伯爵家においても、レイナ=ルウに調理の依頼をしたいというお話が持ち上がっているそうですね。現在、第一子息のリーハイム殿がなんとかジェノス侯やメルフリード殿を説き伏せようと、懸命に手を尽くしておられるご様子ですよ」
「あ……そうだったのですね」
レイナ=ルウは姿勢を正して、フェルメスの笑顔を見つめ返した。
「そのお話は、以前の祝宴でおうかがいいたしました。実現したら、光栄に思います」
「ええ。これまでは、森辺の民の負担にならぬようにと、なるべく城下町に呼びつけることを控えていた、というお話でしたからね。それを際限なく許してしまうと、あちこちの貴族が興味本位で森辺の民を呼びつけようとする恐れが生じるのでしょう」
フェルメスはやわらかく微笑んだまま、そのように言葉を重ねた。
「しかしまた、森辺の民と城下町の人々はそうしておたがいに行き来することで、これだけの絆を深められたのだろうと思います。それに、トゥール=ディンを除けばアスタ以外の料理人が指名されるというのも初めてのことなのですから、これは非常に有意義な行いでありましょう。そのように考えて、僕もリーハイム殿の進言をひそかに後押ししている立場となります」
「うんうん。レイナ=ルウ殿とリーハイム殿のわだかまりも、すっかり解消された様子でありますからね。ルウ家とサトゥラス伯爵家の絆を深めるためにも、それは有意義な行いでありましょう」
ポルアースも朗らかに笑いながら、そのように申し述べた。
「それに、これまで森辺の方々を城下町に招いてきたのは、いずれもジェノス侯爵家かダレイム伯爵家に連なる人間となります。これでは、森辺の民との調停役であるメルフリード殿や僕が職権を乱用していると思われかねないでしょうからね。そういう意味でも、ここは新たな一歩を踏み出すべき時期に至ったのではないかと思いますよ」
「ええ。実に得難いお話です」
冷たい茶で咽喉を湿してから、フェルメスはヴァルカスたちのほうに視線を転じた。
「それでは、本日の趣向に目を戻しましょうか。アスタの準備したこちらの料理は、如何でしたか?」
「非の打ちどころもないように思います」
至極平坦な声でありながら、ヴァルカスがすかさず言葉を返した。
「アスタ殿の仰る通り、かれーというのは魚介の食材ときわめて相性がよろしいのでしょう。ギバ肉のかれー料理も捨て難く思いますが、わたしは魚介のかれー料理というものにいっそう心をひかれます。また、細長く仕上げたフワノの生地を茹であげた上で焼きあげるという細工にも、強い感銘を受けました」
「おほめにあずかり、光栄です。何か気になる点などはありませんでしたか?」
「非の打ちどころがないと、最初に申し上げました。アスタ殿は長きに渡ってかれーの味を練りあげてこられたゆえに、こうしてさまざまな料理に転用できる段まで至ったのでしょう。なおかつこちらは、最近完成させた料理であるというお話でありましたね?」
「はい。年が明けてから、本格的に完成を目指した料理となりますね」
「では、これほどの完成度でありながら、まだまだ向上の余地も残されているのでしょう。この料理が今後どのような飛躍を遂げるのか心待ちにしています」
これだけの言葉を並べたてても、ヴァルカスは相変わらずの無表情で、棒読み口調である。東の民でも、もうちょっとは内心を覗かせてくれそうなものであった。
しかし、ヴァルカスにこうして褒めちぎられるというのは、光栄の極みである。俺の胸は、誇らしさでいっぱいであった。
「……わたくしも師ヴァルカスと同じ気持ちでございます。また、シャスカ料理と似て異なるこちらの料理は、東の方々にも大いに喜ばれるのではないでしょうか」
ずっと無言であったタートゥマイも、そのように評してくれた。
「となると、ゲルドの方々の来訪が待ち遠しいところだね! お手数をかけてしまうけれど、その節にはまたアスタ殿のお力を借りたいと考えているよ!」
ポルアースの言葉に、俺は「はい」と応じてみせた。アルヴァッハたちの再来は、俺にとっても待ち遠しいところである。
その後はヤンとニコラからも、ありがたい寸評をいただくことができた。両名はカレー料理にも慣れ親しんでいたので、主に取り沙汰されたのは魚介の取り扱いとフワノのうどんについてとなる。特にヤンからは、そばとパスタと中華麺とうどんの使い分けに関して、賞賛を受けることとなった。
「その中で、ちゅうかめんというのは知らない名前だなあ。きっとまだ城下町では出されていない料理なのだろうね?」
ポルアースの言葉に、俺は「はい」とうなずいてみせた。
「あ、だけど、ポルアースはシュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンの婚儀に招待されていましたよね。あのときに出された『ギバ骨ラーメン』で使われていたのが、その中華麺となります」
「ああ、あれか! 色が黄色かったので、きっとぱすたなのだろうと思っていたよ。やっぱり料理人ならぬ僕には、味の微細な違いなど区別がつけられないのだろうねえ」
「いえいえ。きっと食べ比べれば、なんらかの違いはご理解いただけるかと思います。……今日の料理もうどんを使うか中華麺を使うかで迷ったのですよね」
するとヴァルカスが、無表情のまま身を乗り出してきた。
「わたしもそのちゅうかめんというものは初めて聞く名前となります。それを使うと、どのような変化が得られるのでしょうか?」
「え? えーと……中華麺はうどんよりも細く、少し縮れさせたりもしますので、より味が絡みやすくなりますね。それに、生地そのものが若干の風味を帯びていますので、食べ心地もそれなりに変化するかと思われます」
「興味深いです。……アスタ殿の料理の特性は、その多様性にありましょう。同じ料理でうどんとちゅうかめんを使い分けたり、魚介やギバ肉を使い分けたりすることで、まったく異なる料理と為すことができるという、その手際にわたしは感服しております」
「過分なお言葉、ありがとうございます」
言ってから、俺は「しまった」と思った。案の定、ヴァルカスは「過不足のない言葉を告げたつもりです」と返してくる。
「ともあれ、見事なフワノ料理でありました。……次は我々の番となりますね」
ヴァルカスの視線を受けて、今度はタートゥマイが立ち上がった。やはり野菜料理は、タートゥマイの管轄であるらしい。
タートゥマイは銀色のワゴンに近づくと、そちらに準備されていた料理を皿に取り分けていく。それが卓にまで運ばれると、いくぶん困惑気味のざわめきがあげられた。
「これはまた……これまで以上に、奇異なる料理であるようだな」
パウドなどは、不審の念をあらわにして皿の上の料理をにらみつけていた。アディスやカーリアなども、それと同種の表情である。反面、リッティアとメリムとポルアースのやわらかトリオは、純然たる好奇心をその瞳に輝かせていた。
「ヴァルカス殿の野菜料理には、いつも驚かされてしまうなあ。これは、どういう料理であるのかな?」
「こちらは、野菜と香草の団子料理となります」
団子――確かに、団子ではあるのだろう。ピンポン球を軽く潰したぐらいの大きさと形状をしたものが、それぞれの皿に3つずつ、ちょこんとのせられている。
ただその色合いは、いずれも緑と朱と青のマーブル模様である。以前に同じような色合いをした煮凝りのような野菜料理を出された覚えがあるが、今回は団子バージョンであるということであろうか。
「団子……フワノ料理や菓子であれば、べつだん珍しい料理でもないが……まさか、野菜料理で団子を出されようとはな」
「それに、この色合いです。味の想像が、まったくつきません。というか、食べ物であるとも思えぬほどです」
似たもの親子のパウドとアディスは、忌憚のない意見を交わし合っている。貴族たる彼らは、城下町の料理人たるヴァルカスに遠慮をする理由もないのだろう。感心しているというよりは、いくぶん非難がましい口調である。
しかしもちろんヴァルカスは、どこ吹く風で「どうぞ」と皿を示していた。
「本日は3種のみの料理ということで、とりわけ手間のかかるこちらの料理を準備することがかないました。本来わたしどもの《銀星堂》におきましては、10名以下のお客様にのみ供している特別献立となります」
フェルメスを除く貴族の人々は、おっかなびっくりで突き匙を取り上げていた。こちらのレイナ=ルウやシーラ=ルウたちは、決然とした面持ちである。ヴァルカスの野菜料理には毎回度肝を抜かれているので、心の準備というものが必要になってしまうのだ。
よって俺も、十分な覚悟をもって、その奇妙な団子を口に運んだわけであるが――それでも、驚嘆の思いを抑制することはかなわなかった。
お味の第一印象は、まだ何とか想定の範囲内である。甘さと辛さと苦さと酸味が複雑に入り混じった、ヴァルカスならではの味わいだ。いったい何種の食材を使用しているのかもわからないぐらい、複雑怪奇な味わいである。
その複雑な味わいに、今回は複雑な食感までもが加えられていた。
表面は、もっちりとした穀物の食感である。おそらくは、粘り気の強いシャスカを使っているのだろう。俺たちが作る大福餅にも似た、好ましい食感であった。
ただその中に、異なる2種の食感が隠されている。
その片方は、あのとろりとした煮凝りの食感であった。やわらかい生地の中には、あの煮凝りが具材として包まれていたのだ。
そしてさらに、煮凝りの中にカリカリとしたスナック菓子のような食感までもが潜んでいる。
それもまた、俺たちにとっては既知の料理――ヴァルカスと最初に厨をあずかったときに出された、香りの爆弾とでも言うべき不思議な糸状の料理に他ならなかった。
大福餅のような生地と、ゼリーのような煮凝りと、糸のように細い野菜の繊維質。それらのすべてが複雑な味わいを有しており、口の中でさまざまな反応を呼び起こすのである。
生地の粘度が高いために、それを呑み下すためには入念な咀嚼が必要となる。その間、口内が複雑な味わいに蹂躙され続けるのだ。そして、とろりと溶け崩れる煮凝りと、サクサクとした繊維質の食感が、過度な情報を与えてくる。これが如何なる料理であるのか、こちらの解析が追いつかないような状態であった。
「これは、美味……なのか?」
ようやくひとつ目の団子を食べ終えたらしいパウドが、困惑しきった声を絞り出した。
そちらを振り返ったリッティアが、柔和な表情で「ええ」とうなずく。
「きっと美味であるのでしょう。わたくしも、適切な言葉が思い浮かばないのだけれど……口が喜んでいるように感じるわ」
「そうですね」と賛同を示したのは、フェルメスであった。
「僕も思わず言葉を失ってしまいましたが……快いか不快かと問われたならば、迷いなく快いと答えられます。ならば、美味であるということなのでしょう」
「ええ。舌ばかりでなく、口全体が……歯や顎までもが、心地好いのです。このように幸福な心地を得られる料理は、ついぞ口にした覚えもないように思いますわ」
言葉にすると、そういうことになるのだろう。なんだかもう、美味いだとか不味いだとかを超越して、ひたすら物凄いのだ。
俺がそんな風に考えていると、フェルメスが微笑をはらんだ眼差しを送りつけてきた。
「僕たちには、これぐらいの感想しか出てこないようです。料理人たるアスタたちとしては、如何でしょう?」
「いや、恥ずかしながら、自分も同じ心地です。いったいどのような言葉でこちらの料理を評すればいいのか、言葉が浮かびません」
「はい……わたしも同様です」
レイナ=ルウが、すがるような目でヴァルカスを見つめた。
「ヴァルカス。こちらの料理で使われている具材は、かつて披露してくださった2種の野菜料理なのですね?」
「はい。いささか味付けは変えていますが、基本は同じ料理となります」
「それを組み合わせることで……こうまで異なる料理に仕上げることがかなうのですね」
「はい。シャスカの生地を使っているのですから、異なる仕上がりになるのは必然です。また、異なる料理を組み合わせるためには味の配分を微調整することになりますので、基本は同じでも別種の料理と称するべきでしょう」
起伏のない声と口調で、ヴァルカスはそのように言いたてた。
「わたしは野菜料理において、ひとつの完成を得られたと自負していました。もう研鑽の余地もないぐらいに、理想の味を体現できたと信ずることがかなったのです。……さらに手を加えるとなれば、食感の向上でありましょう。自分の理想とする味を保持したまま、どこまで食感の調和を得られるか……現在は、そちらに注力している次第です」
「……本当に、ヴァルカスを山にたとえるならば、見上げているだけで首が折れてしまいそうな心地です」
ふっと微笑をこぼしながら、レイナ=ルウはそう言った。
「だけどわたしは、アスタだけでなくあなたと出会えたことを幸福に思います。わたしがあなたの作法を真似ることなど、とうていかなわないのでしょうが……それでもあなたの存在は、アスタの存在と同じぐらいの大きさで、わたしの心に食い入っているのだと感じます」
「あなたがわたしの作法を真似る必要はありません。……しかし、ことさら無視する必要もないのでしょう」
ヴァルカスの目が、末席のロイをちらりと見やったようだった。
「お若いあなたは、これからの人間です。わたしやアスタ殿やミケル殿や――それにダイア殿の料理を口にしたあなたがどのような料理人になりうるのか、わたしはそれを楽しみにしています。若かりし時代にそれだけの料理を口にして、己の糧とすることができれば、老齢なるわたしたちには辿り着けなかった領域にまで到達できる可能性があるのです」
「老齢ですか。ヴァルカスは、わたしの父よりもお若いはずでしたよね?」
レイナ=ルウは、元来の朗らかさでくすりと笑った。
「でも、ヴァルカスにそのように言っていただけることは、心から光栄に思います。わたしには、マイムやマルフィラ=ナハムのような特別な才覚など備わっていないので……」
「しかしあなたは、アスタ殿やマイム殿と遜色のない料理を作りあげるお力を持っています。ただしそれらはアスタ殿やミケル殿に手ほどきをされた結果なのでしょうから……あなたが師の横に並び立ち、さらにその先に進めるかどうかは、あなたの熱情次第なのでしょう」
あくまでも抑揚のない声で、ヴァルカスはそう言った。
「願わくは、わたしの舌があまり衰えないうちに、結果を示してほしいものです」
「はい。いつかヴァルカスに心からご満足いただけるような料理を作りあげたいと願っています」
レイナ=ルウは昂揚に頬を火照らせながら、そのように言いつのった。
俺は横から、その顔を見やっていたわけであるが――逆の側からは、シーラ=ルウとトゥール=ディンをはさんで、ユン=スドラがその横顔を見つめていた。
どこか、眩しいものでも見るような眼差しである。
ヴァルカスとこのようなやりとりのできるレイナ=ルウのことを、憧憬し、羨望しているのだろうか。
だけどユン=スドラは、レイナ=ルウの料理がヴァルカスに酷評される姿も見ていたはずであった。それはたしか、ユン=スドラが初めて城下町に出向いた日の出来事であったのだ。
(ユン=スドラも、いつかヴァルカスに酷評されたり賞賛されたりするようになるんだろうか?)
しかしユン=スドラは、城下町の人々に自分の力を示したい、とは考えていないように見受けられた。ユン=スドラの目はあくまで森辺に向けられており、同胞たちにこそ美味なる食事を届けたい、と――そんな思いを抱いているように感じられるのだ。
だけどそれでも、料理に対する熱情というものは、レイナ=ルウに負けていない。
だからユン=スドラは、こんな眼差しでレイナ=ルウを見つめているのかもしれなかった。
(何せ、かまど仕事に集中するために、しばらくは婚儀をあげたくないなんて言い張ってるふたりなんだもんな)
レイナ=ルウもユン=スドラも、シーラ=ルウもトゥール=ディンも、みんなそれぞれの志に則って、かまど番の修練に励んでいる。ヴァルカスの刺激的な料理は、そんな彼女たちの思いをいっそう浮き彫りにするのかもしれなかった。