日常への回帰③~晩餐~
2020.4/8 更新分 1/1
そうして、下りの六の刻――日没である。
客人として招くことになったユン=スドラたちも、無事にそれぞれの家長から許しをもらうことがかなったので、俺たちは予定通りにささやかな晩餐会を開くことになった。
客人の顔ぶれは、ディアル、ラービス、ユン=スドラ、トゥール=ディン、クルア=スンの5名である。
クルア=スンを除くメンバーは昔からの馴染みであったものの、ひとつのグループとしては、やはり新鮮な組み合わせであろう。家長としての厳粛な面持ちをキープしたまま、アイ=ファはそれらの面々を見回していった。
「……では、晩餐を始めようと思う。今日は、そちらの3名もかまど仕事を手伝ったのだな?」
「うん。みんなの力作だよ」
「了承した。……森の恵みに感謝して、火の番をつとめたアスタ、ユン=スドラ、トゥール=ディン、クルア=スンに礼をほどこし、今宵の生命を得る」
森辺の同胞が客人として招かれるときのみ、口の外にまで放たれるアイ=ファの食前の文言である。
俺たちはそれを復唱し、いざ晩餐に取りかかることになった。
「それじゃあ、ディアルたちもどうぞ。腕によりをかけてこしらえたからね」
「うん! バランたちを招いたときにも負けないご馳走だね!」
きらきらと瞳を輝かせるディアルに笑い返しつつ、俺は鉄鍋の汁物料理をよそうことにした。
本日は勉強会の内容を反映して、タラパスープの水餃子と、タウ油の煮込み料理をメインにしていた。あとは、土鍋でこしらえた炊き込みシャスカに、和風のあんかけギバタン・ハンバーグ、ホボイのドレッシングでいただくマロールと生野菜のサラダ、ギバ肉とブナシメジモドキとナナールの煮びたしなどを準備している。
「はい、どうぞ。まだ熱いから、火傷をしないように気をつけてね」
「ありがとー!」と、ディアルは木匙を取り上げた。
ファの家自慢の、タラパスープである。ディアルはその香りをぞんぶんに楽しんでから、ギバの挽き肉がたっぷりの水餃子をすくいあげた。
まだ熱そうに湯気をたてている水餃子にふうふうと息を吹きかけて、小さな口でかじり取る。たちまちあふれでる肉汁にはふはふと息をもらしつつ、ディアルは歓喜の表情となった。
「美味しいね! 屋台でも、この料理を扱えばいいのに!」
「汁物料理はルウ家の担当だから、なるべく避けてるんだよね。焼き餃子だったら、何回か出してるんだけどさ」
「そっかー。でも、こうやって屋台で扱えない料理を口にできるのも、友達の特権だよねー!」
小さな身体から幸福そうなオーラを撒き散らしつつ、ディアルはかじりかけの水餃子を口に投じた。
その姿を見やりながら、クルア=スンはひっそりと微笑んでいる。昼間の屋台でも、クルア=スンはこうしてディアルの楽しそうな食べっぷりを観察していたのだった。
「クルア=スンも、冷めないうちにどうぞ。シャスカなんかは、かなりひさびさなんだよね?」
「はい。わたしがこの料理を口にしたのは、家長会議の1度きりとなります」
スン家はまだ他の氏族ほどは大きな富を有していないので、高級食材に分類されるシャスカを買いつける機会もなかったのだ。
本日の炊き込みシャスカには、ギバのバラ肉と、ニンジンのごときネェノンと、タケノコのごときチャムチャムと、シイタケモドキを使用している。木匙ですくいあげた炊き込みシャスカを口にしたクルア=スンは、こらえかねたように「ああ」と息をこぼした。
「わたしの記憶にあるシャスカよりも、遥かに美味であるように思います……いえ、あのときのシャスカも、夢のように美味であったのですが……あれは何というか、かれーやぎばかつと合わさったことにより、完成されているように思えたので……」
「家長会議でお披露目したのは、『ギバ・カレー』と『ギバ・カツ丼』だったっけ? あれは確かに、素のシャスカと他の料理を組み合わせるっていう内容だったからね」
「はい。それに、もうひと品……ぎばどんでしたか。印象としては、あの料理がもっとも近いかもしれません」
『ギバ丼』とは、北海道発祥の『豚丼』を参考に作りあげた料理であった。クルア=スンはおそらく、『ギバ丼』のタレがしみこんだシャスカとこの炊き込みシャスカに相似性を見出すことになったのだろう。
「あのときのシャスカ料理は、トゥール=ディンとユン=スドラが取り仕切り役として作りあげたんだよね」
俺がそのように水を向けると、トゥール=ディンは「は、はい」と頬を赤らめた。その姿を見て、クルア=スンは眩しそうに目を細める。
「あの日は慌ただしかったので、なかなかトゥール=ディンと言葉を交わす機会も得られませんでしたが……トゥール=ディンがあのように美味なる料理を作りあげたと聞いて、わたしは心から誇らしく思っていました。もちろん血族ならぬ身であるわたしがそのように思うのは、習わしから外れた行いであるのでしょうけれど……」
「そんなことはありません。たとえ血の縁が絶たれようとも、おふたりが深い絆で結ばれているということに変わりはないのでしょうからね」
大人っぽく笑いながら、ユン=スドラがそのように言葉をはさんだ。
クルア=スンはそちらに目礼を返してから、またトゥール=ディンのほうに向きなおる。トゥール=ディンは今にも涙をこぼしそうな目つきで、クルア=スンを見返した。
「森辺の民って、みんな仲がいいよねー。なんか、羨ましくなっちゃうなー」
と、ご満悦の表情で食事を進めていたディアルも、そのように発言する。
「それに、今なら言っちゃってもいいかな。僕、森辺の民が西方神の洗礼を受けるって聞いて、ちょっと心配な部分があったんだよね」
「心配な部分?」
「うん。けっきょく王都の連中は、森辺の民にもっと王国の民らしくしろーって言いつけてたわけでしょ? それで、西方神の洗礼を受けることになって……森辺の民が普通の町の人間みたいになっちゃったらつまんないなーとか考えてたんだよ」
そう言って、ディアルはにっこりと微笑んだ。
「でも、そんな心配はいらなかったね! 森辺の民は森辺の民らしいままで、町の人らとうまくやってるみたいだしさ!」
「うん。森辺の集落で生きている限り、森辺の民が森辺の民らしさを失うことにはならないんだと思うよ」
俺も笑顔で、そんな風に答えてみせた。
「でも、ディアルがそんな心配をしてくれてたなんて、ちょっと意外かな。ディアルだって、まぎれもなく町の人間なんだからさ」
「うん。もちろん僕だって、町の人間であることを恥じたりはしていないさ。でも、町の人間なんて何十万も何百万もいるんだろうから、森辺の民まで町の人間になっちゃう必要なんてないでしょ」
「何百万……この世には、それほどの人間が存在するのでしょうか?」
クルア=スンの言葉に、ディアルは「うん」とうなずいた。
「僕だってこの目で確かめたわけじゃないけど、それぐらいは余裕でいるんじゃない? 何せ、アムスホルンは広いんだからさ!」
「そう……なのですね。なんだか想像しただけで、目が眩んでしまいそうです」
「あはは。たいていの人間は故郷を出ることもないんだから、べつだん気にする必要もないと思うけどねー」
すると、客人の前では口数の減るアイ=ファが、ふっと口を開いた。
「そういえば、お前がジェノスにやってきてから、すでに1年半ほどが過ぎているはずだな。お前はいまだに、1度として故郷に戻っておらぬのか?」
「うん。ゼランドまでは、往復でひと月はかかっちゃうからねー。そう簡単には、帰れないさ」
「しかし……お前にも、故郷に残した家族があるのであろう?」
「そうだねー。妹たちも、ずいぶん大きくなったんだろうなあ」
ディアルは少し、曖昧な顔で微笑んだ。
「もちろん、故郷の家族たちが心配じゃないって言ったら嘘になっちゃうけど……僕もいっぱしの商売人になれるように、必死だったからさ。1年半なんて、あっという間だったよ」
「そうか。それだけの歳月を家族と離れて過ごすなど、我々には想像も及ばぬことだ。よくもそのような試練に耐えられるものだな」
「試練って言っても、自分から望んだ話だしさ。泣き言なんて言ってられないよ」
そうしてディアルは気恥ずかしそうに笑いながら、濃淡まだらの髪をわしゃわしゃとかき回した。
「それにまあ……僕も無事に、ジェノスの責任者になることができたからさ。次の節目では、ふた月の休みをもらって、故郷に戻ることになったんだよ」
「ほう」と、アイ=ファは厳粛な声で応じた。
「節目とは? 次に父親らがジェノスを訪れる時、ということであろうか?」
「うん。たぶん朱の月になるのかな? その時にハリアスも一緒に来て、ふた月だけジェノスの店を預かってくれるんだよ」
本年は閏月たる金の月が存在しないので、朱の月の到来は3ヶ月後となる。アイ=ファは同じ面持ちのまま、「そうか」とうなずいた。
「それは、正しき行いであるように思う。《銀の壺》とて、故郷を離れるのは1年ていどであるのだからな。移動にひと月を要するのであれば、故郷で過ごせるのはひと月ていどなのであろうが、家族たちとしっかり絆を結びなおすがいい」
「やだなー。僕のことはいいんだってば! ……ラービスこそ、やっとゼランドに戻れるんで、ほっとしてるでしょ? 妹たちも、ラービスに会いたがってるだろうしね!」
「……それでも、姉君たるディアル様とお会いできる喜びに比べれば、些末な話でありましょう」
ラービスは相変わらずの仏頂面で、そのように答えた。
しかしその皿は、誰よりも減りが早いようだ。俺たちの心尽くしがお気に召していれば幸いであった。
「そういえば、その《銀の壺》とかいう商団と一緒に、傀儡使いの人らもジェノスを出ていっちゃったんでしょ? 最後にもう1回ぐらい、あの人らの劇を見ておきたかったなあ」
故郷や家族の話を持ち出されるのは気恥ずかしいらしく、ディアルが話題の軌道修正に取り組んだ。
俺ばかりがお相手をするのも何かと思い、あえて口をつぐんでいると、ユン=スドラが「そうですね」と答えてくれた。
「しばらくは、ジャガルの領地を巡るそうです。まずはネルウィアという土地を目指すつもりだと仰っていましたね」
「ネルウィアっていうと、バランたちの故郷だね。ちぇー、羨ましいなあ」
「はい。このたび、バランを模した傀儡を作りあげることになったので、その出来栄えを確認してもらうのでしょう」
「あー、そっかそっか! ついにバランまで傀儡の劇に登場するって話だったもんね! それもすごい話だよねー!」
そんな風に言ってから、ディアルはもじもじと身体を揺すった。
「アスタが主役の劇に登場させてもらえるなんて、すっごく羨ましい話だけど……でも、僕なんかがあの劇で取り上げられたら、完全に悪役だもんねー。そうならなくて、よかったよ」
「悪役?」と、ユン=スドラは小首を傾げることになった。ディアルは眉を下げながら、「うん」とうなずく。
「だって僕、初対面でいきなりアスタを殴っちゃったし……アスタが城下町にさらわれたときも、完全に役立たずだったからね。これじゃあ悪役としてしか扱いようがないよ」
ユン=スドラたちは困惑気味に、俺のほうを見やってきた。これには、補足説明が必要であろう。
「ディアルが俺を殴ったってのは、ただの不幸な行き違いなんだよ。それに俺が城下町にさらわれたときは、ディアルも力を貸してくれたじゃないか」
「うむ。その話は、もう2度も3度も繰り返しているはずだ。いい加減に、考えを改めるがいい」
ユン=スドラたちがまだ不思議そうな顔をしていたので、俺は城下町における顛末を説明することになった。アイ=ファが変装をしてトゥラン伯爵邸に乗り込んだ際、ディアルも事が上手く進むように、陰ながら誘導してくれた、というくだりである。
「なるほど……わたしたちが屋台の手伝いを始める前から、ディアルはそうしてアスタたちと絆を深めていたのですね」
「うんうん、そういうことなんだよ」
「それで、アスタは何故、ディアルに殴られることになってしまったのでしょうか?」
「……それはまあ、言わぬが花ってやつかなあ」
俺が苦笑して誤魔化すと、ディアルはいくぶん顔を赤くしながら俺を叩くふりをした。俺はこのように愛くるしいディアルを少年と見間違えて、渾身の右フックをくらうことになったのである。
「でも、そっか。君たちは、全員が僕よりも早くアスタと知り合ってたわけじゃないんだね」
ディアルの言葉に、ユン=スドラが「はい」とうなずいた。
「わたしがアスタの仕事を手伝うようになったのは、トゥラン伯爵家の大罪人たちが裁かれた後となります。その前から、何度かファの家で料理の手ほどきをされたことはありますが、名前までは伝わっていなかったように思います」
「わたしも何度か顔をあわせる機会はありましたが、名乗りをあげたのはつい数日前となります」
クルア=スンもそのように答えたので、ディアルの視線は自然とトゥール=ディンに向けられることになった。
「あ、ええと、わたしは……初めて出会ったのが一昨年の青の月で、その数日後からディンの家人となり、アスタのもとで手ほどきを受けるようになりました」
「一昨年の青の月かー。それだったら、僕より早そうだね!」
ディアルと出会ったのは《銀の壺》や建築屋の面々とお別れをする数日前であったはずだから、青の月の終わり頃であろう。ならば、その頃にはもうトゥール=ディンともそれなりの交流を深められていたはずであった。
「僕が初めてトゥール=ディンのことを屋台で見かけたのは、ユン=スドラのちょっと前ぐらいだったかな。きちんと名前を知ったのは、復活祭の前のお茶会だったけどね!」
「は、はい。わたしが初めて、オディフィアと出会った日のことですね」
「そーそー! オディフィアがトゥール=ディンを召しかかえたい、とか言いだしちゃってさ! まあ、それだけトゥール=ディンのお菓子は美味しかったもんねー!」
トゥール=ディンは頬を染めながら、はにかんでいた。
タウ油の煮込み料理を口いっぱいに頬張って、それを呑み下してから、ディアルはおひさまのように笑う。
「やっぱり、こういう晩餐ってのはいいもんだね! もちろん祝宴だってすっごく楽しいけど、こうやって少人数でじっくり話し合うのは、なかなか難しいからさ!」
「はい。とても得難く思います」と、ユン=スドラも笑顔でそのように応じた。まったくもって、俺も同感である。
「ましてや、城下町の祝宴や晩餐会なんかだと、貴族の目が気になっちゃうからさ。……そういえば、アスタはまた城下町に呼ばれてるんだよね?」
「うん。ポルアースからの招待でね。あのヴァルカスっていう料理人と一緒に、厨を預かることになったんだよ」
その期日は、すでに2日後に迫っていた。屋台の営業日のど真ん中であるが、休業日にはポルアースやヴァルカスの都合がつかなかったのである。
「その日は例の外交官も招くって話だったけど、アスタは大丈夫なの?」
「うん。おかげさまで、あのお人ともちょっとは本音で語らえるようになったと思うからさ。むしろ、楽しみなぐらいだよ」
それも、ポルアースのはからいであった。ヴァルカスもフェルメスも俺との対面を望んでくれていたので、それをまとめてダレイム伯爵家の晩餐会で果たしてしまおうという計画であるのだ。
「それでその後は、ジェノスの闘技会だっけ。また森辺の民も出場するんでしょ?」
「うん。今回は、力試しっていう名目で出場することになったようだよ」
「力試し? 森辺の民だったら、また優勝しちゃうんじゃないの?」
「いや、前回出場したのは、森辺でも勇者の称号を持つふたりだったからさ。それでもあれだけ苦戦したんだから、今回はいっそう大変だろうね」
すると、クルア=スンが控え目に発言した。
「今回その闘技会というものに出場するのは、ルウの血族の狩人たちなのですよね? やはりアスタにとっては、見知った男衆であるのですか?」
「うん。ディム=ルティムにジィ=マァムっていう人たちなんだけど、護衛役として何度もお世話になったことがあるし、ルウ家の祝宴でも顔をあわせているから、それなりの顔馴染みだね」
俺は、トゥール=ディンのほうに視線を転じた。
「トゥール=ディンは、ディム=ルティムのことを覚えているかな?」
「は、はい。たしか、ダバッグにおもむいた際に、護衛役を担ってくれた御方ですよね?」
「うん、そうそう。で、ジィ=マァムっていうのは、最初の復活祭で護衛役を引き受けてくれた、ものすごく大きな男衆だね」
今回は、その両名が闘技会に参戦することになったのだ。アイ=ファの見込みでは「メルフリードやレイリスに勝つことは難しかろう」という話であったので、まさしく力試しであった。
「なるほどねー。まあ、毎回森辺の民が優勝してたら、さすがにジェノスの剣士たちの面目が立たないもんね! でも、あんまり恥ずかしい結果になるようなお人たちではないんでしょ?」
「うん。ディム=ルティムなんかは小柄だから甲冑の動きにくさが大変だろうけど、ジィ=マァムっていうのは森辺でも指折りの大きなお人だよ」
「大きいって、どれぐらい?」
「えーと……俺やラービスより、頭ひとつぶんぐらいは大きいかもね」
「ひゃー! そんなお人だったら、優勝しちゃうんじゃない?」
そんな風に言ってから、ディアルは可愛らしく首を傾げた。
「ていうか、アスタもずいぶん大きくなったよねー。最初に会った頃はラービスより拳ひとつぶんぐらいは小さかったように思うんだけど、今はほとんど変わらないもんね」
「うん、そうかもしれないね。きっとギバ肉の恩恵だよ」
「ちぇー! 僕はさすがに、ここまでかなー。ま、ジャガルの民としては、これでも大きいほうなんだけどさ」
そう、ディアルもこう見えて、背丈は160センチ近くもあるのだ。南の民というのは男性でもそれぐらいの背丈がほとんどであるので、十分に長身の部類であるはずだった。
ただしディアルは、体格が華奢である。バランのおやっさんのご家族の女性陣などは、ディアルよりも10センチ近くは小柄であったが、体重などは10キロばかりもまさっていたように思えた。
「で、城下町には、みんなも出向くの?」
と、ディアルは気を取りなおしたように話題を引き戻した。
ユン=スドラはやわらかく微笑みながら、「はい」と答える。
「わたしとトゥール=ディンは、同行を許されることになりました。クルア=スンには申し訳ないのですが……」
「とんでもありません。わたしなど、まだ何の力にもなれないのですから、同行させていただく理由がありません」
「うん。ユン=スドラだって、城下町まで出向けるようになったのは、最初の復活祭の頃だったからね。数ヶ月もすれば、クルア=スンに手伝いをお願いすることになるかもしれないよ」
俺がそのように言いたてると、ディアルは「あー」と膝を打った。
「そうだね! 僕もその頃に、城下町でユン=スドラを見たような覚えがあるよ! あれはたしか……シン=ルウってお人が貴族の騎士様をぶちのめした日だったよね?」
「はい。バナームから届けられる食材の使い道を考案する日でしたね。とても懐かしく思います」
「うんうん。最初の復活祭ってことは、1年以上も前の話なんだもんねー。あの頃のユン=スドラは、可愛らしかったなあ」
「そ、そんなことはないと思うのですが」
「いやいや、今でも十分に可愛らしいんだけどさ! それよりもっとこう、初々しい感じがして……お菓子を食べたときなんか、美味しー! って声を張り上げてなかったっけ?」
とたんにユン=スドラは顔を赤くして、恨みがましくディアルを見やった。
「そのようなことを言いたてられるのは、いささか気恥ずかしいです。……ディアルだってあの時は、貴族の姫君のように立派な装束を纏っていて、可愛らしかったです」
「へーんだ。初々しさでは、ユン=スドラにかなわないけどねー」
ディアルは動じた様子もなく、にっと白い歯を見せる。そのあたりは、純朴なる森辺の女衆よりもしたたかであるのだろう。
「で、闘技会ではどうなのかな? 去年は屋台を出すだけで、祝賀の宴には族長筋の人たちしか招かれてなかったよね?」
「うん。今回も出場するのはルウの血族だから、俺たちが招かれるいわれはないんだけど……ルウ家のお人らともども招待したいって言ってもらえたんだよね」
もちろんそのように画策したのはフェルメスであるのだと、俺たちはシェイラ経由でポルアースから聞かされていた。トトスの早駆け大会でも俺とアイ=ファは招かれていたので、今回もそのように取り計らっては如何かと、フェルメスがマルスタインに打診したのだそうだ。
そのトトスの早駆け大会の祝宴では、『聖アレシュの苦難』なる劇を見せつけられて、俺はフェルメスに大いなる不審の念を抱くことになったわけであるが――『滅落の日』に腹を割って話し合い、今後はあのようなことも起きないはずだと、俺は信じている。その信頼が裏切られたならば、俺も正々堂々とフェルメスに意見させていただく所存であった。
「なんだかんだで、慌ただしそうだね! アスタたちなんかは聖域の民のことでも揉めてたから、復活祭が終わった後もずっと気が休まらなかったんじゃない?」
「うん、まあ、そうかもね。でも……俺たちにとっては、どれも二の次にできない出来事ばかりだったからさ」
俺はふっと、部屋の片隅に視線を巡らせた。
そこには小さな棚があり、シュミラル=リリンから贈られた硝子の酒杯や、ラダジッドたちから贈られた硝子の大皿や、サウティの家から贈られた森の主の牙や――それに、ティアから贈られたペイフェイの爪などが飾られている。さらに数日前からは、そこに小さな木彫りの人形も並べられていたのだった。
俺の視力では判然としないが、その人形は今もつぶらな赤い瞳で俺たちの姿を見やっていることだろう。
今頃は、ティアも家族たちとともに晩餐を楽しんでいるのであろうか。
そのように考えると、俺の胸には温かい気持ちがうねってやまなかった。
「あ、そうそう! それで銀の月が明けたら、またあのゲルドの貴人とかいう連中もやってくるんでしょ? 本当に、気が休まるひまがなさそうだねー!」
「ああ、うん。でも、あのお人らはゲルドやマヒュドラの目新しい食材で交易を始めようとしてるんだからね。これで料理の幅が広がるなら、ディアルにとっても悪い話じゃないだろう?」
「そりゃまあ、そうなのかもしれないけどさ。東の民に城下町で大きな顔をされると、こっちはやっぱりやりにくいんだよ」
つんとした顔で言ってから、ディアルはタラパのスープをすすり込んだ。
「それにそろそろ、トゥランの北の民たちもジャガルに移住させられるんだろうしね。あっちもこっちも慌ただしそうだなあ」
まったくもって、ディアルの言う通りであった。
だけどこれが、俺たちにとっての日常であるのだ。俺が森辺にやってきて、もうすぐ1年と8ヶ月ぐらいが経つはずであるが、慌ただしくなかった時代がどれだけ存在したものか、さっぱり思い出せないぐらいである。
(こうやってディアルやユン=スドラたちを晩餐に招くのだって、俺たちにとっては大事なイベントだしな)
そうして晩餐の料理を食べ終えるまで、話題が尽きることはなかった。
賑やかながらも、和やかなひとときである。俺としては、銀の月の間に待ちかまえている数々の大きなイベントを迎える前に、元気と活力を充電させてもらえたような心地であった。




