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異世界料理道  作者: EDA
第五十一章 賑やかなりし日常へ
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日常への回帰②~さらなる申し出~

2020.4/7 更新分 1/1 ・4/9 誤字を修正

「さて、それじゃあ勉強会を開始しようか」


 鉄具の引き取りを完了したのち、俺たちは改めてかまどの間に集合した。

 今日は5日間の営業日の初日であるので、オーソドックスな勉強会だ。顔ぶれは、屋台の商売に参加していた10名と、下ごしらえの作業からそのまま居残ったフォウとランの女衆が1名ずつで、合計12名となる。さらに見物人として、ディアルとラービスが壁際に立ち並んでいた。


「今日は、どんな内容にしようか。クルア=スンは、何か希望はあるかな?」


「いえ、わたしはもう2度も希望をかなえていただいていますので、できれば他の方々のお話をうかがいたく思います」


 本日で勤務7日目となるクルア=スンは、すでにファとルウの勉強会に2回ずつ参加している。それでファの家では連続してリクエストを聞くことになったので、さすがに気が引けてしまったのだろう。

 俺は「そっか」と応じつつ、別の方向に視線を転じた。


「それじゃあ今日は、マルフィラ=ナハムたちに希望を聞こうかな。ちょうどラヴィッツとミームの面々もそろってるしね」


 ラヴィッツの血族とミームとスンは、間もなく合同で収穫祭を開く予定になっているのだ。

 マルフィラ=ナハムがせわしなく視線を泳がせると、残りの両名もそれにつられたように落ち着きを失った。


「ど、ど、どうしましょう? な、何か修練を積んでおきたいことはありますか?」


「や、やっぱり宴料理の参考になるような内容が望ましいですよね」


「で、でも、どのような宴料理にするかはまだ決められておりませんし……この時間からでは、ぎばこつすーぷの手ほどきをしていただくことも難しいですよね」


 そうして3名があわあわしていると、鞘から抜いた肉切り刀の刀身をうっとりと見つめていたユン=スドラが、そちらを振り返った。


「宴料理は、どのように分担する手はずなのでしょう? やはり同じ氏族の女衆で組となり、それぞれが手掛けることになるのでしょうか?」


「は、は、はい。ま、まだしっかりと話し合われたわけではありませんが、おそらくそうなるのではないかと……」


「なるほど。それでたしか、ぎばこつすーぷと『ギバの丸焼き』はこしらえる予定であるという話でしたよね。それはどの氏族が受け持つことになるのでしょう?」


「ぎばこつすーぷは、ナハムの家ですね。マルフィラ=ナハムほどしっかり手順をわきまえている人間は他にいませんので……あと、『ギバの丸焼き』はわたしたちミームが受け持つことになるかと思います」


『ギバの丸焼き』には必要な器具があるため、それはラッツの家が買い求めることになったのだ。それらの器具を借り出すからには、血族たるミームの家が責任を担わなければならないのだろう。

 ユン=スドラは思案深げに、また「なるほど」とうなずいている。


「それ以外にも、何か決められている献立は存在するのでしょうか?」


「そうですね。甘い菓子に関しても、今回はミームが受け持つことになるかと思います。わたしたちは以前から、アスタやトゥール=ディンに手ほどきをされておりましたし……あと、かれーの料理に関しても、やはりわたしたちが受け持つべきだと考えています」


「菓子と、かれーと、『ギバの丸焼き』ですか。では、ミームの家はそれでもう手一杯なのではないでしょうか?」


「言われてみれば、そうですね。さすがにこれ以上の料理を受け持つゆとりはないかと思います」


「それでは、残りの料理をラヴィッツの血族とスンで受け持つことになるわけですね」


 ユン=スドラの言葉に、クルア=スンが初めて「はい」と口をはさんだ。


「ただし、スン家にはまだ立派な宴料理を準備する力などはありませんので、余所の氏族の仕事を手伝ったり、ポイタンを焼いたりする仕事に従事することになるかと思われます」


「そうですか。では、ラヴィツの血族がどういった献立を選ぶかが肝要であるようですね」


 ユン=スドラの視線が、マルフィラ=ナハムとラヴィッツの女衆に固定される。


「そちらでは、ぎばこつすーぷの他に何を作るべきか、まだ思案の最中なのでしょうか?」


「は、は、はい。た、ただ、ぎばかつは出したいなという話があがっているぐらいです」


「ぎばかつですか。となると、肉を主体にした料理は『ギバの丸焼き』とあわせて、すでに2種ですね。ぎばこつすーぷは、どのような料理に仕上げるのです?」


「わ、わ、わたしはらーめんに挑みたいと考えています。すいぎょーざやにょっきのすーぷぱすたのほうが苦労は少ないのかもしれませんが、復活祭でらーめんを食べた方々はみんな気に入っていたようでしたし……そ、それに、宿場町に下りることのできなかった家人にも、らーめんを食べてもらいたいのです」


「では、『ギバの丸焼き』と『ぎばかつ』と『ぎばかれー』と『ぎばこつらーめん』ですね。……今回、シャスカは使わないのですか?」


「は、は、はい。シャスカはまだ、扱える人間がとても少ないですし……そ、それにやっぱり、ずいぶんと値が張ってしまうので……」


「それでは、ミソは如何でしょう?」


「あ、ミ、ミソの料理は出したいですね。ラ、ラヴィッツの血族でも、多少はミソを使うようになりましたので……」


「あとは、これまでに挙げた料理だと、野菜の使い道がやや少ないように思います。『ぎばこつらーめん』の他にも、きっと汁物料理は出しますよね?」


「そ、そ、そうですね。『ぎばこつらーめん』はひとりにつき1杯か2杯しか準備できないでしょうから、気軽に食べられる汁物料理も必要だと思います」


「では、ミソをどのように使うのかが考えどころになりそうですね。汁物料理と煮込みの料理の、どちらでミソを使うのか……最初にそれを決めてしまえば、他の献立を考える指針になるように思います」


 そう言って、ユン=スドラは可愛らしく首を傾げた。


「あと……ポイタンやフワノを使った料理というのは、『ぎばこつらーめん』だけなのですね。ラヴィッツの集落では、まだ石窯は作られていないのでしたっけ?」


「は、は、はい。れ、煉瓦を準備するにも銅貨が必要になってしまいますので……」


「それでは、ぎばこつすーぷ以外ですいぎょーざやにょっきを準備してみては如何でしょう? すべてを焼きポイタンにしてしまうよりは、彩りになるかと思います」


「な、な、なるほど……」と、今度はマルフィラ=ナハムが思案顔になった。


「そ、そ、それなら、何かタラパの料理ですいぎょーざかにょっきを使って……汁物料理は、ミソを使った『ぎばじる』にしたら……あとは、タウ油の煮込み料理とか……こ、香草の料理はどうだろう……『ぎばかれー』と似ていない料理なら、もうひとつぐらい香草の料理があっても……」


「だいぶ構想がまとまってきたみたいだね」


 俺が笑いかけると、マルフィラ=ナハムは我に返った様子でぶんぶんとうなずいた。


「は、は、はい。ユ、ユン=スドラのおかげで、どのような料理を準備するべきか、道筋が見えてきたように思います。も、もしよろしければ、今日はすいぎょーざの作り方とタウ油の煮込み料理について、手ほどきを願えますでしょうか?」


「うん。もちろん、かまわないよ」


 そのように答えてから、俺はユン=スドラにも笑顔を向けてみた。


「さすがユン=スドラは、助言も的確だね。俺が口を差しはさむ隙もなかったよ」


「とんでもありません。ただ、せっかくの合同収穫祭なのですから……わたしたちと同じように、大きな喜びを分かち合ってもらいたいと願っているのです」


 灰褐色のサイドテールを揺らしながら、ユン=スドラはにこりと微笑んだ。


「わたしたちも、かつては10名しか家人がいませんでした。もちろんその頃だって、収穫祭というのは大きな喜びであったのですが……近在の氏族と収穫祭をともにできるようになって、わたしたちはさらなる喜びを抱くことができたのです。ラヴィッツの血族や、スンやミームの人たちにも、同じ喜びを味わってもらいたく思います」


「はい。ミームもラッツやアウロと家が遠いために、収穫祭は自分たちだけで行うしかありませんでした。ラヴィッツの血族やスンの方々と収穫祭をともにすることができて、心から嬉しく思っています」


 そんな風に言ってから、ミームの女衆はユン=スドラの手を取った。


「それに、ユン=スドラがそんな風に言ってくれることも、とても嬉しく思います。……ユン=スドラは、本当に清らかで優しい心をお持ちなのですね」


「と、とんでもありません。あれこれ口をはさんでしまって、申し訳なく思っています」


 ユン=スドラは顔を真っ赤にしながら、気恥ずかしそうにはにかんだ。最近の彼女がそんな表情を見せるのは、ちょっと珍しいかもしれない。


「それじゃあまずは、タウ油の煮込み料理から始めてみようか。野菜たっぷりっていうのを念頭において、あれこれ試してみよう」


 そうしてようやく、本日の勉強会が開始されることになった。

 調理器具や食材の準備をしていると、ディアルが「ねえねえ」と声をかけてくる。


「さっき、あの娘――ユン=スドラだっけ? ユン=スドラが10人しか家族がいないって言ってたけど、それは森辺だと少ないほうになっちゃうの?」


「いや、ひとつの家に10人だったら、むしろ多いほうだけどね。そうじゃなくって、スドラは分家も眷族もなかったから、血縁者が10人しかいなかったっていうことなんだよ」


「あー、なるほど! 叔父とか伯母とか従兄弟とかもひっくるめて、10人ってことかー。それは確かに、少ないね! ……ま、アスタたちほどじゃないけどさ」


「あはは。まあでもスドラは、フォウと血の縁を結んだからね。血族の数は40人以上になったし、嫁を取ったり赤子が産まれたりもしているから、どんどん賑やかになってるさなかだよ」


「そっかそっか。まだまだ森辺はわからないことばっかりだなー」


 などと言いながら、ディアルはちらりとクルア=スンのほうを見た。


「わからないといえば、あの娘は初顔だよね? 屋台のときから、ずーっと気になってたんだけど」


「ああ、彼女はつい最近、屋台の仕事に参加したんだよ。名前は、クルア=スンだね」


「クルア=スン? ……スン家って、ずっと悪さをしてた一族だよね?」


「うん。でも、スン家の人たちもみんな罪を贖っているからね。おかしな目で見ないようにお願いするよ」


「わかってるってば。あのトゥール=ディンとか、ヤミル=レイとか……それにひっつめ頭の、ツヴァイ=ルティムだっけ? そういうお人らも、みーんなスン家の人間だったんでしょ? だったら、こっちが気にする理由はないさ」


 さすがディアルも1年半ばかりのつきあいだけあって、だいぶ森辺の人々についても知識が重ねられてきたようだった。


「ただ、あのクルア=スンっていうのも、すっごい美人だよねー。森辺って、つくづく美人が多いんだなー」


「うん。それで俺がディアルににらまれる理由にはならないと思うけどね」


「別に、にらんじゃいないさ。……ただ僕も、ちょっと昔のことを思い出してたんだよ」


 そう言って、ディアルはふいに明るく微笑んだ。


「あのユン=スドラってさ、トゥラン伯爵家の騒ぎが収まって少ししてから働き始めた娘でしょ? その頃はまだこんなにたくさんのお手伝いもいなかったから、また可愛らしい娘さんが増えたなーって印象に残ってるんだよね」


「ああ、なるほど。うん、確かにユン=スドラが働き始めたのは、その頃のはずだね」


「でしょー? それももう、1年以上も前の話なんだよねー。あの頃のユン=スドラってすごく子供っぽく見えたんだけど、すっかり立派になったなーとか思っちゃったんだ」


 そのように語るディアルこそ、なかなか大人っぽい笑顔になっていた。


「ほんと、僕なんかがそんな風に思うのはおこがましいんだけどさ。なんか、嬉しくなっちゃって……アスタ自身も、ギバ料理の屋台も、あの頃とは比べ物にならないぐらい立派になったもんね」


「うん。そういうディアルも、晴れてジェノス支店の責任者になったわけだしね。みんな、成長してるんだよ」


 そんな風に答えながら、俺もユン=スドラの様子をうかがってみた。

 確かに出会った頃のユン=スドラは、もっと幼げであったように思う。背丈はそんなに変わっていないようだが、15歳という年齢に似つかわしい、無邪気で朗らかな少女であったのだ。


 その無邪気さや朗らかさは損なわないまま、ユン=スドラは真っ直ぐに成長を続けているように感じられる。かまど番としても、教わる側から教える側になり、ぐっと頼もしくなったのだ。それはまた、トゥール=ディンが独り立ちしたことにより、ファの家の手伝いとしては名実ともに最古参となった貫禄であるのかもしれなかった。


(料理に対する熱情も、トゥール=ディンやレイナ=ルウたちに並ぶぐらいだもんな。俺も最近では取り仕切り役をお願いする機会が増えてるし……この1年ちょっとでの成長具合は、きっと森辺でも指折りなんだろう)


 そこで、ユン=スドラがこちらを振り返ってきたので、真正面から目が合ってしまった。

 ユン=スドラは、何かを恥じらうようにもじもじとし始める。


「あの……アスタにひとつお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」


「うん。どういうお願いかな?」


「今日はこの、新しく買いつけた調理刀を使ってみたいのです。お許しをいただけるでしょうか?」


 俺は、思わず口をほころばせてしまった。


「もちろんだよ。そのために、自分で持ち帰るようにしたんじゃないのかい?」


「あ、いえ、それは単に、新しい道具が嬉しかっただけのことでしたので……これはわたしひとりのものではなく、スドラの家の持ち物であるのに、おかしいですよね」


「何もおかしくはないさ。俺だって、新しい道具を買いつけるたびに、浮き立った気分になってるからね」


「やっぱりアスタも、そうだったのですね」


 鞘に収めた肉切り刀を持ち上げて、ユン=スドラは花が開くように微笑んだ。


「わたしも、幸せな心地です。大事に使って、子や孫にまで受け継がせたいと願っています」


 それはやっぱり、ユン=スドラがもともと持っていた無邪気さと、この1年ばかりで獲得した大人っぽさが混在した笑顔であるように感じられた。


「アスタ、準備が整いました! まずは何から始めましょう?」


 と、レイ=マトゥアが元気いっぱいに声をあげてくる。

 俺はユン=スドラとともに、そちらへ向きなおった。


「まずは、食材の選別だね。タウ油の煮込み料理に合う野菜はたくさんあるけれど、野菜同士の相性というものもあるからさ。そういったことを再確認しながら、収穫祭に相応しい料理というのを考案してみよう」


 そうして本日も、楽しい勉強会が開催されることになった。

 もともと下ごしらえの作業の熱気が残されていたかまど小屋に、さらなる熱気がたちのぼっていく。ユン=スドラばかりでなく、この場にいる誰もが料理に対する確かな熱意を備えているのだ。そうでなければ、賃金も発生しない勉強会に参加する理由はない。もっとも新参であるクルア=スンも、彼女独特のひそやかな雰囲気を保持したまま、とても真剣な面持ちで俺たちのやりとりに耳を傾けていた。


 それから一刻ほどが過ぎ、勉強会も折り返し地点を過ぎたあたりで、表のジルベが「ばうっ」と吠えた。我が愛しき家長が帰還したのである。

 ディアルたちの一件があったので、俺は途中であった作業をトゥール=ディンに託して、アイ=ファを出迎えることにした。


「うわあ、すごい! 大物を仕留めたね、アイ=ファ!」


 ディアルが言う通り、アイ=ファは巨大なギバを背負っていた。下手をしたら、100キロ級ではないだろうか。さしものアイ=ファもわずかに呼吸を乱しており、額や手足に汗をしたたらせている。


「……ディアルか。何故にお前が、ファの家にいるのだ?」


「うん、実は――」


「いや、待て。先にギバを吊るしてくる。すでに毛皮を洗っているので、こやつは地面には置けぬのだ」


 アイ=ファがかまど小屋に向きなおると、賢いブレイブが前足で解体部屋の戸板を開ける。アイ=ファは「うむ」とひとつうなずき、ひとり解体部屋へと踏み入っていった。


「すごいなー! いくら鍛えてるって言っても、あんなギバをひとりで担いじゃうんだもん! あんなの、ラービスでも難しいんじゃない?」


「……多少の距離であれば持ち歩くことはかなうでしょうが、足場の悪い森の中では、それも難しいかと思われます」


「だよねー! 森辺の狩人って、やっぱりすごいんだなあ!」


 ディアルは、心から感心している様子であった。無邪気の度合いでは、ユン=スドラの上をいくディアルであるのだ。


 その間に、俺はかまどの間の棚に保管してある清潔な手拭いを準備しておくことにした。

 やがてアイ=ファが戻ってきたならば、それを「どうぞ」と差し出してみせる。アイ=ファはまたひとつ「うむ」とうなずいて、顔の汗をぬぐい始めた。


「あはは。まるきり亭主と奥方みたいだね! 男女は反対なんだけどさ!」


「……それでお前は、ファの家に何用であるのだ? これからギバを解体しなければならぬので、手短に願いたい」


「うん、実はね、急な話で申し訳ないんだけど――」


 そうしてディアルが来意を告げると、アイ=ファはたちまち不服そうな面持ちになってしまった。


「……つまり、とりたてて用事も理由もなく、ただファの家で一夜を明かしたいということか」


「うん。商品を渡すついでって言ったら何だけど、なんの用事もなく森辺に来るのは気が引けたから、ちょうどいい機会かなーと思ったんだよね」


「…………」


「本当にいきなりの話で、申し訳ないと思ってるよ! ただ、前にアスタの屋台を訪ねたときは、聖域の民のことで慌ただしそうだったから、そんな話もできなかったし……僕、復活祭が終わる前から、早くまたアイ=ファたちとゆっくり語らいたいなーって思ってたんだよね」


 そう言って、ディアルは上目づかいにアイ=ファを見た。


「もちろん約束もなしにやってきたんだから、迷惑だっていうんならすぐに帰るけど……やっぱり、駄目かなあ?」


 アイ=ファは深々と溜め息をついてから、俺のほうを横目でねめつけてきた。


「……やはりこやつは、猫よりも犬に似ているように思えてしまうな」


「あはは。実はけっこう出会った当初から、俺はそんな風に思ってたよ」


 ディアルはしょんぼりすると、小雨に濡れそぼる子犬のような風情になってしまうのだ。犬をこよなく愛するアイ=ファとしては、如何ともし難い心境であるのだろう。


「……わかった。このたびは、了承しよう。ただし今後は、前日までに了承を得るように心がけてもらいたく思う」


「ありがとう! アイ=ファは、優しいね!」


 ディアルはぴょこんと耳を立てて尻尾を振る子犬のような風情で、喜んだ。


「それじゃあ、これは手土産ね! 奮発して、またジャガルの蒸留酒を持ってきたから! そのまま飲むなり料理に使うなり、好きにしておくれよ!」


 ラービスが、その手に抱えていた包みを俺のほうに差し出してくる。1リットルサイズの瓶が、2本は包まれているようだ。


「では、私はギバの解体に取りかかる。晩餐までは、好きに過ごすがいい」


「あ、それじゃあギバの解体ってやつを見学させてくれない? こんな機会、そうそうないだろうからさ!」


「……間近で見物されるのは、気障りだ。見たいなら、戸板の外から眺めるがいい」


「了解! ありがとー!」


 話は丸く収まったようなので、俺も自分の仕事場に戻ることにした。

 かまどの間には、変わらぬ熱気が渦巻いている。煮込みの番を担ったメンバー以外は、水餃子の作製に取りかかっていた。


「ありがとうね、トゥール=ディン。よかったら、水餃子のほうに移っておくれよ」


「承知しました。……ディアルたちは、如何でしたか?」


「うん。無事にお客として迎えることになったよ。まあ、断る理由はないからね」


「そうですか……」と、トゥール=ディンはわずかに眉を下げた。

 鉄鍋を攪拌していたレードルを受け取りつつ、俺は首を傾げてみせる。


「どうしたんだい? 何か気がかりでもあるのかな?」


「あ、いえ、そういうわけではないのですが……ただ、ディアルたちを羨ましいなと思って……」


 と、トゥール=ディンは頬を染めていく。

 すると、遠からぬ場所にいたレイ=マトゥアも「そうですよねー!」と賛同の声をあげた。


「わたしたちがファの家で一夜を明かす機会なんて、そうそうありませんもん。もちろん、荷車を使えばすぐの距離なのですから、それが当然なのでしょうけれど」


「うん、まあ、森辺の民でファの家に逗留したことがあるのは、ルウとレイの人たちぐらいかな? それもせいぜい、2、3回のことだしね」


「あと、シュミラル=リリンも逗留していましたよね。あれは、ティアの治療をするためですけれど」


 そのように言ってから、レイ=マトゥアはにこりと微笑んだ。


「大変な役目を担っていたシュミラル=リリンはともかくとして、他の方々は羨ましく思います! そんな風に考えている人間は、決して少なくないでしょうね!」


「そうなのかい? レイ=マトゥアやトゥール=ディンなんて、毎日のように顔をあわせているけれど……」


「仕事をともにするのと一夜をともにするのとでは、まったく違います! アスタやアイ=ファとじっくり語らって、一緒に眠ることができるなんて、想像しただけで楽しそうではないですか!」


「そんな風に言ってもらえるのは、光栄の限りだね」


 晩餐はともかくとして、女衆の客人が就寝をともにするのは俺ではなくアイ=ファである。それでも楽しそうと言ってもらえるのは、俺にとって自分のことよりも嬉しかった。アイ=ファはあんなにも不愛想であるが、やっぱりあるていど気心が知れれば、誰もが心をひかれるのだろう。


(だったら、ディアルだってそうなんだろうな。俺だけじゃなく、アイ=ファと一緒に過ごすのが楽しかったから、こうしてまた訪ねたいと思ってくれたんだろう)


 俺は温かい気持ちになりながら、トゥール=ディンやレイ=マトゥアたちの姿を見回していった。


「だったらさ、みんなも晩餐にお招きしていいか、アイ=ファとディアルに相談してみようか? 寝床の関係で宿泊は難しいかもしれないけど、晩餐ぐらいだったら了承を得られるかもしれないよ」


「えっ! 本当ですか!?」


「うん。でも、晩餐だけじゃ面白みがないかな? トゥール=ディンやユン=スドラなんかは、ゲルドの貴人をお招きしたときなんかにも、晩餐をご一緒したもんね」


 俺の言葉に、トゥール=ディンは慌てふためいた様子でぶんぶんと首を横に振った。


「あ、あれも確かに得難い体験でありましたが、あの場にはゲルドの方々ばかりでなく、メルフリードやフェルメスなどもおられたので……とても晩餐を楽しむ余裕もなかったというか……」


「そっか。そりゃまあそうだよね」


 トゥール=ディンは、いっそう顔を赤くしてうつむいてしまう。こんな図々しいお願いをしていいのだろうかと思い悩みつつ、実現したら嬉しいな、と千々に心を乱している様子である。トゥール=ディンのこんな姿を見せられては、俺も黙ってはいられなかった。


「それじゃあ、アイ=ファたちに確認してみるよ。たびたび悪いけど、ちょっと抜けさせてもらうね」


 俺は受け取ったばかりのレードルを再びトゥール=ディンに託し、解体部屋へと足を向けた。

 ディアルたちは戸板にへばりつくようにして、解体のさまを見守っている。俺からの提案に、アイ=ファとディアルが難色を示すことはなかった。


「いいよいいよ! 人数は多いほうが楽しいもんね!」


「……客人の数が少しばかり増えようとも、大差はあるまい」


「ありがとう。何名ぐらいが許容範囲かな?」


 あまり人数が増えすぎると、じっくり語らうことも難しくなってしまう。協議の末、増員は3名までと定められることになった。


「ただいま。3名までは了承を得られたよ」


 俺がそのように伝えると、かまどの間は騒然となった。


「3名ですか! ならば、くじ引きが必要となりますね!」


「くじ引き? レイ=マトゥアとトゥール=ディンの他にも、そんなにたくさん希望者がいるのかな?」


「そんなの、いるに決まっています! というか、希望しない人間のほうが少ないのではないでしょうか?」


 この場には、俺を除いて11名ものかまど番が集結しているのである。そんなことがありえるのだろうかと、俺は脳内でクエスチョンマークをかき抱くことになった。


「えーと、ファの家で晩餐をともにしたいと希望される御方はおられますか? おられたら、挙手を願います」


 すると、きっちり11本の腕があげられることになった。

 トゥール=ディンから受け取ったレードルを手に、俺はしばし絶句してしまう。まだそれほどの馴染みもないクルア=スンやラヴィッツの女衆までもが、おずおずと手をあげていたのだ。


「ラ、ラヴィッツやナハムは、家長からお許しをもらえるのかな?」


「はい。反対はされないように思います」


 それならまあ、俺としても望むところであった。

 しかし、この人数は驚きである。これならば、確かにくじ引きでもして決めるしかなかった。


「それじゃあ、最初に言いだしたトゥール=ディンとレイ=マトゥアは当確でいいんじゃないかな?」


「いえ! 思いの強さに変わりはないでしょうから、それでは不公平です! そうですよね、トゥール=ディン?」


「は、はい。自分だけ特別扱いされるのは、気が引けてしまいます」


 ということで、急遽くじ引き大会が決行されることと相成った。

 薪などを束ねるためにストックしてあるフィバッハの蔓草を11本に切り分けて、3本分だけ先端に結び目を作り、当たりくじとする。その先端部を小袋の中に隠して、1本ずつ引いてもらうことにした。


(ただ晩餐をご一緒するっていうだけの話で、こんなに夢中になってもらえるなんて、光栄の限りだなあ)


 俺がそんな想念にひたっている間に、雌雄は決された。

 ファの家で晩餐をともにする権利を勝ち取ったのは、ユン=スドラ、トゥール=ディン、クルア=スンの3名である。


「レイ=マトゥアは、残念だったね」


 俺がそのように呼びかけると、レイ=マトゥアは普段通りの元気さで「いえ!」と答えてくれた。


「……でも、この先いつか、同じ機会を作っていただけますか? そうしたら、わたしばかりでなくみんなが喜ぶと思います」


「うん。あるていどの時間を置けば、アイ=ファも嫌な顔はしないと思うよ」


「それなら、よかったです!」と、レイ=マトゥアはいっそう嬉しそうに微笑んだ。

 かくしてファの家においては、突如として5名の客人を晩餐に迎える事態に至ったわけであった。

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[一言] いつも楽しく読ませてもらってます。 本文中に脱字がありましたのでここに記載させてください ▼以下本文切り抜き▼ 「そうですか。では、〝ラヴィツ〟の血族がどういった献立を選ぶかが肝要で…
[良い点] こういうの…いいよなぁ… めっちゃ良いよ…
[気になる点] 本当に大好きな作品でいつも楽しみに読ませていただいてますが、一点だけどうしても気になるところがあるので書かせていただきます。 『とんでもありません』や『とんでもございません』は 誤用…
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