日常への回帰①~到着~
2020.4/6 更新分 1/1 4/9 誤字を修正
・今回は全7話の予定です。
《銀の壺》を送別する祝宴から、4日後――銀の月の20日である。
太陽神の復活祭を終えてから、さまざまな人々との別れを経て、俺はようやく本来の日常に立ち戻ったような心地で、屋台の商売に励んでいた。
そんな中、意気揚々と俺たちのもとにやってきたのは、ジャガルの鉄具屋たるディアルであった。
「やあ、アスタ! 挨拶が遅くなっちゃったけど、無事に戻ってこられて何よりだったよー!」
銀の月を迎えて以来、ディアルが俺たちの屋台を訪れるのは2度目であり、モルガの山の族長会議を終えてからは、これが初めてであったのだ。
いつでも変わらないその元気いっぱいの姿を見返しながら、俺は「いらっしゃい」と笑顔を返してみせた。
「ディアルもずいぶん心配してくれてたんだって、ヤン経由でポルアースから聞いているよ。色々と心配をかけちゃって、申し訳なかったね」
「ううん! 大変なのはアスタたちだったんだから、何も謝る必要はないさ! こうして無事に戻ってきてくれたしね!」
ディアルは心から嬉しそうに笑ってくれており、俺もその笑顔だけで心が満たされる思いであった。
ところで本日のディアルは、いつもと様子が違っている点がひとつだけあった。従者のラービスのみならず、大きな2頭引きの荷車を引いたジャガルの男性を同行させていたのだ。
「ところで、ディアル。その荷車は、もしかして――」
「うん! ようやく注文の品が届いたんだよ!」
すると、隣の屋台で『ギバとナナールのクリームパスタ』を販売していたユン=スドラが表情を輝かせた。
「ついに到着したのですね! この日を心待ちにしておりました!」
「うんうん。僕も同じ気持ちだったよー!」
ユン=スドラとディアルがにこにこと笑い合うその姿は、とても微笑ましかった。
と、俺がそんな風に考えていると、ディアルは同じ笑顔のまま、こちらにくりんと向きなおってくる。
「で、注文の品はどうしようか? よかったら、屋台の商売が終わるのを待って、森辺の集落まで送り届けるけど」
「そうしてもらえたら、助かるなあ。なにせ、量が量だもんね」
「りょうかーい! それじゃあアスタたちの商売が終わるまで、トトスと荷車は屋台の裏に置かせてもらえる? ずっと街道に留まってると、衛兵に文句を言われちゃうからさ」
「了解だよ。レイ=マトゥア、悪いけどディアルの案内をしてもらえるかな?」
「はい、承知いたしました!」
レイ=マトゥアも、ユン=スドラに負けずに表情を輝かせていた。マトゥアの家でも、新しい調理刀を何本か注文していたのである。
そうしてレイ=マトゥアの案内でディアルたちが立ち去っていくと、研修生のクルア=スンが不思議そうに問うてきた。
「注文の品とは、なんでしょう? 何かジャガルの食材でも買いつけたのでしょうか?」
「いや、あのディアルはジャガルの鉄具屋なんだよ。みんなが紫の月に注文した鉄鍋や調理刀が、ついに到着したというわけだね」
クルア=スンが働き始めたのはつい6日前のことであったので、ディアルとも初対面であったのだ。
端麗な面立ちとひっそりとした雰囲気をあわせもつクルア=スンは、まだ理解しかねている様子で首を傾げていた。
「鉄鍋や調理刀ですか。それらの品は、宿場町でもぞんぶんに売られているかと思いますが……何か特別な品なのでしょうか?」
「特別というか、ディアルの店の品はとても質がいいんだよね。ファの家で使ってる肉切り刀も、そのほとんどはディアルの店で買ったものなんだよ」
「ああ、なるほど。ファの家の肉切り刀は、素晴らしい切れ味ですものね。ようやく納得いたしました。あれこれ詮索してしまい、申し訳ありません」
「何も謝る必要はないさ。スンの家でも新しい調理器具を購入するゆとりができたら、ぜひディアルを頼ってみるといいよ」
そんな言葉を交わしている間に、ディアルたちが舞い戻ってきた。ラービスと、トトスの手綱を引いていた壮年の南の民も同行している。
「さ、それじゃあ何でも好きに注文してね! ここの支払いは、僕が受け持つからさ!」
壮年の男性は、「はあ」と眉を下げていた。もしゃもしゃとした髭に覆われたその顔には、いくぶん不満げな表情が浮かべられているようである。
「そちらの御方は、ディアルの店のお人なのかな?」
俺が尋ねると、ディアルは「ううん」と首を振った。
「このお人は、荷運び屋だよ。半年にいっぺんは父さんが顔を出すことになってるけど、今回はまだ3ヶ月ぐらいしか経ってないからねー」
そのように言ってから、ディアルは悪戯小僧のように笑った。
「で、いつもは城下町で食事をご馳走してるんだけどさ。どうして今日は宿場町なんだって、不満に思ってるんじゃないのかなー」
「あ、いや、決して不満に思っているわけでは――」
「いいよいいよ! アスタたちの料理を食べれば、そんな不満も吹っ飛んじゃうだろうからさ!」
かくして、ディアルは屋台の料理をどっさり買い込むことになった。荷車には見張りの人間も控えているとのことで、4名分のお買い上げである。
それからしばらくして、俺の担当していた屋台の料理も売り切れの運びとなったので、青空食堂のほうに出向いてみると――荷運び屋の男性は、南の民の本性を発揮して豪快に笑い声をあげていた。
「いや、どれも見事な料理ばかりで驚かされましたわ! 宿場町でも、このように立派な食事が売られているのですな!」
「でしょー? 僕なんか、毎日だって宿場町に通いたいぐらいさ!」
ディアルも陽気に笑っており、ラービスは黙々とギバ料理を食している。その姿を見やって、クルア=スンはふわりと微笑んだ。
「南の民というのは情感が豊かで、見ていて心地好いですね。ギバの料理で喜んでくださっているので、なおさらそのように感じられます」
「うん。屋台で働いていると、ああいうお人たちともお近づきになれるよ」
それから四半刻ていどで終業時間となり、俺たちは鉄具屋の一行とともに森辺へと帰還することになった。
森の中を切り開かれた小道は2頭引きの荷車だとかなり窮屈なのであるが、さすが荷運び屋というものはトトスの扱いに長けているのだろう。荷台を枝葉にひっかけることもなく、すいすいと後を追従してくる。
やがて森辺に到着したならば、まずはルウの集落である。
そこで俺は、ファファの手綱を握っていたマルフィラ=ナハムに伝言役をお願いすることになった。
「申し訳ないけど、鉄具を注文した家の人たちに伝言をお願いできるかな? ファの家に集まって、注文した品の確認をしてもらいたいんだ」
「は、は、はい。しょ、承知いたしました」
ファファの荷車だけが道を北に駆けていき、俺たちはルウの集落にトトスの頭を巡らせる。
昼下がりの日差しの下、ルウの人々は今日も和やかに家の仕事に取り組んでいた。見慣れぬ2頭引きの荷車が乗り込んでくると、それらの人々がけげんそうな視線を向けてくる。
「おやまあ、今日はなんの騒ぎだい?」
俺たちが本家の前まで到着すると、母屋からミーア・レイ母さんが姿を現した。そちらには、レイナ=ルウがとびっきりの笑顔を届ける。
「ディアルに注文していた鉄具が届いたんだよ。今、分家のほうにも伝えてるから」
「ああ、そうなのかい。だったら、代価の準備をしないとねえ」
ミーア・レイ母さんも笑顔となって、いそいそと母屋の中に引き返していった。
その間に、分家のほうからたくさんの女衆が集まっている。初めて森辺の集落に足を踏み入れた荷運び屋の男性は、「ははあ」と息をついていた。
「森辺の集落ってのは、こんな場所だったんですなあ。噂には聞いていたけれど、なんともはや……」
「ふーん? 荷運び屋としてあちこち駆け巡ってるあなたでも、やっぱり森辺の集落は物珍しいのかな?」
「そりゃあ『木の民』だったら、山麓で暮らす人間も少なくはないですがね。こんな森のど真ん中に集落を作る人間は、そうそういないでしょうよ」
「あはは。ここはまだまだ森の端っこらしいけどね!」
ディアルと男性がそのように語らっていると、その背後にぬうっと大きな人影が浮かびあがった。森辺の装束を纏った、バルシャである。
「鉄具がどっさり届いたんだってね。よければ、荷下ろしを手伝おうか?」
「おお、びっくりした! ……いやいや、こいつは俺の仕事ですからね。手出しは無用ってもんですよ」
男性は荷車の後部に回り込み、閉ざされた扉をどんどんと叩いた。
「おおい、荷下ろしをするから、開けてくんな! ……それでお前さんも、ちっと森辺の集落ってやつを見物させてもらいなよ」
「うるせえなあ。森にも丸太小屋にも興味はねえよ」
箱形の荷台の扉が開いて、バルシャにも劣らぬ大柄な南の民が降りてくる。これが荷物の見張り役であり、道中の護衛役であるのだろう。アルダスやボズルやワッズを思い出させる、肉厚の身体をした大男である。
大男は仏頂面で周囲を見回したが、そこに分家の女衆らの姿を見出すと、にんまり脂下がった。
「なんだ、別嬪がそろってるな。東の民みてえな肌の色は気に食わねえが、面や身体は文句なしだ」
「ちょっと! 森辺のお人らに失礼な口をきくのは控えてもらえる?」
たちまちディアルが眉を吊り上げると、大男は「はん」と鼻で笑った。
「これしきの軽口でいきりたつなよ。それにこっちは、別嬪だって褒めてやってるんだから――」
大男は途中で口をつぐみ、おそるおそる背後を振り返った。
そこに立ちはだかっていたのは、大ぶりの鉈をぶら下げたリャダ=ルウである。
「な、な、なんだよ? 俺とやり合おうってのか?」
「うむ? ……ああ、これは薪割りの最中であったのだ。理由もなく他者と刃を交えるつもりはない」
リャダ=ルウは普段通りの沈着な面持ちで、大男の姿を見返していた。
「ただ、森辺においては女衆の外見をむやみに褒めそやすべきではない、という習わしが存在する。たとえ悪意はなかろうとも、我々の習わしを軽んじないでもらえたら、ありがたく思う」
「うん、ごめんなさい! このお人らは荷物を届けに来ただけだから、森辺の習わしについてもそんなに詳しくは説明してなかったの」
ディアルが両者の間に割り込んで、リャダ=ルウのほうに頭を下げた。
「すべては、僕の責任だよ。今後はこんなことがないように、十分に注意します」
「何も、責めているわけではないのだ。アスタやシーラたちの友であるお前の真情を疑ったりはしない」
リャダ=ルウはディアルに目礼を返すと、少し離れた場所に引き下がった。
その間に、大男は荷運び屋の男性の肩を小突いている。
「おい、なんだよありゃ? あんなやつに向かってこられたら、とうてい俺じゃあ太刀打ちできねえぞ?」
「お前さんが大人しくしておきゃあ、何の騒ぎにもなりゃしねえよ。護衛役が騒ぎを起こしてどうすんだい、まったく」
荷運び屋は大男の脇腹を小突き返すと、荷台のステップに足を掛けた。
「それで? どの分を下ろしゃあいいんですかね、お嬢さん?」
「ルウ家は注文が多かったから、ひとまとめにしてあるよ。木箱に名札がついてるから、それで確認してね」
荷運び屋は160センチほどの背丈であったが、それでも屈強なる南の民である。そこそこの大きさをした木箱と、包みにまとめられた鉄鍋を、難なく地面に下ろしていた。
「さ、それじゃあ検分をお願いするよ。伝票の写しも保管しておいてくれたかな?」
「ああ。伝票ってのは、こいつだね。レイナ、あんたにお願いするよ」
調理刀の1本や2本であれば、ディアルから手渡しをされていたが、今回は大きな取り引きであったので、きちんと正規の手続きを踏んでいたのだ。ミーア・レイ母さんから伝票の写しを受け取ったレイナ=ルウは、真剣な面持ちで木箱の中身を確認し始めた。
「肉切り刀が8本……菜切り刀が7本……片手鍋が9つ……鉄板が5枚……それにこちらは、すてーきかばーですね。あとは、普通の鉄鍋が……」
鉄鍋は布の包みにくるまれており、それをほどくと、さらに黒ずんだ布で覆われていた。
「あ、それは錆びないように、油をしみこませた布でくるんであるんだよ。服を汚さないように気をつけてね」
「承知しました。……はい、鉄鍋は5つで、間違いないですね。後の検分は、ミケルにお願いいたします」
いつの間にやら、バルシャのかたわらにミケルが控えていた。
ミケルは無言のまま木箱に近づくと、そこに収められていた調理刀の検分を開始する。
「ふむ……これは、いい品だ。本家で使われている調理刀と、同じ品であるようだな」
「うん! レイナ=ルウたちは、以前にも何本か買ってくれたからね」
そんな風に答えてから、ディアルはにこりと微笑んだ。
「あなたって、以前は城下町でも高名な料理人だったんでしょ? そんなあなたにいい品と言ってもらえるなら、光栄だよ」
「ふん。少なくとも、値段に恥じる出来栄えではなかろう。ジャガルにも、質の悪い品に法外な値段をつけるあくどい商人もいなくはないからな」
そうしてミケルが検分している間に、クルア=スンがこっそり囁きかけてきた。
「あの、ルウ家だけでこれほどの鉄具を買いつけたのでしょうか? 鉄具など、そうそう傷むものではないように思うのですが……」
「ああ、これはほとんどルウの眷族が注文した品であるみたいだよ。ルウには6つも眷族があるから、これほどの量になったんだろうね」
俺も、小声で答えてみせた。
「で、これまで森辺では、必要最低限の調理器具しかなかっただろう? それだと手間のかかる料理をこしらえるには足りないから、ちょいちょい買い足していたみたいなんだけど……いっぺんに注文すれば値引きをしてくれるっていう話だったから、今回はこれだけの鉄具が買い足されたみたいだね」
ミケルが「よし」と声をあげた。
「どの品にも不備はない。刀も鍋も、立派なものだ」
「ありがとう! それじゃあ、お代をいただけるかな?」
「ああ。確認しておくれ」
ミーア・レイ母さんが、小さな包みを差し出した。前金を覗いてもそれなりの金額であるはずだが、銀貨であればそれほどはかさばらないのだ。みんなの面前でその枚数を確認したのち、ディアルは笑顔で懐に手を差し込んだ。
「確かに、受け取ったよ。それじゃあ、これが証文ね」
「ああ。こいつは捨てちまってもかまわないんだよね?」
「うん。ていうか、特別な事情がなければ、すぐに破棄するべきだろうね。もしも僕に盗み出されたら、まだ取り引きは終わってないって言い張られちゃう恐れがあるからさ」
「ふふん。あんたはそんな真似をしないだろうけど、別の商人と取り引きをすることがあったら気をつけろってことだね?」
「そういうこと! さ、お待たせしたね、アスタ」
満足そうに笑いながら、ディアルが俺に向きなおってくる。ルウ家を除く氏族との取り引きに関しては、俺が代理人として責任を担っていたのである。
ルウ家の人々に別れを告げて、今度はともにファの家を目指す。
マルフィラ=ナハムのおかげをもって、そこには数多くの氏族の人々が待ち受けていた。
「待ってたよ、アスタ。ついに鉄具が届いたんだってね」
そのように笑いかけてきたのは、バードゥ=フォウの伴侶であった。
他には、ガズ、ラッツ、ベイムの家長の伴侶が顔をそろえている。さしあたっては、親筋の氏族の人間だけが参じてきたようだ。
「さー、今度はさっき以上の量なんだよね! 本当にひとりで大丈夫かな?」
ディアルの言葉に、荷運び屋は「ふん」と肩をすくめた。
「このていどの荷物で音をあげてたら、荷運び屋はつとまりませんや。まあ、ちっとばっかり時間はいただきますよ」
ファの家の前の広場に、さきほどよりも大量の荷物が下ろされていく。
その間に、俺は帰還の挨拶をさせていただくことにした。
「ただいま、ジルベ。今日も平和だったみたいだね」
玄関の戸板を開けると、ジルベが元気に「ばうっ!」と飛び出してくる。その姿に、護衛役の大男は「うひゃあ」と声をあげた。
「そ、そいつは獅子犬じゃねえか! なんで獅子犬なんざが、こんな場所にいるんだよ?」
「ゆえあって、うちで引き取ることになったのですよね。犬は、苦手ですか?」
「苦手なことはねえけど、獅子犬だろ? そいつを怒らせたら、人間なんて簡単に噛み殺されちまうんだぞ?」
「ええ。頼もしい家人です」
俺が立派なたてがみを撫でくり回すと、ジルベは嬉しそうに鼻面を寄せてきた。すると、俺の左肩に鎮座していた黒猫のサチが、ジルベの背中を踏み台にして、母屋の中に飛び込んでいく。サチがファの家で暮らすようになってから、そろそろひと月になるはずであるが、ジルベたちに対する愛想のなさは相変わらずであった。
「アスタ、準備ができたよー! 検分をお願いね!」
「はいはい、了解だよ」
俺はジルベを引き連れて、木箱の前に屈み込んだ。
もちろん俺にはミケルほどの鑑識眼が備わっていようはずもないが、それでも料理人の端くれだ。この世界の調理器具にもずいぶん慣れ親しんできた身であるし、不良品かどうかの見分けぐらいはつく。小さき氏族の人々に代わって、検分の役目を果たす所存であった。
(それにしても、すごい数だなあ)
ルウの血族はもともと生活にゆとりがあったので、この1年半ほどで頻繁に調理器具を買い足していた。しかし、小さき氏族の人々が大きな富を得られるようになったのはここ数ヶ月であり、また、大きな買い物に対する気後れというものも存在した。よって、ジャガル産の立派な調理器具を買いつけるのも、これが初めてのことであったのだった。
なおかつ、この場に集まったのは親筋である4つの氏族の人間のみであるが、眷族を含めれば10の氏族となるのである。それだけの氏族がいっぺんに調理器具を買い求めたのであるからして、なかなかに膨大な量であった。
「……あれ? たしか、ディンやリッドでも鉄具を注文してたよね?」
俺が検分の手を止めてそのように尋ねると、マルフィラ=ナハムとトゥール=ディンが同時に身を乗り出し、顔を見合わせた。
「あ、ト、トゥール=ディンのほうから、どうぞ」
「も、申し訳ありません。その、鉄具の受け取りに関しては、わたしが任されていたのです。だから、ディンやリッドの家には立ち寄りませんでした」
「ああ、なるほどね。了解したよ」
ならば、12の氏族が鉄具を注文したことになる。これだけの量になるのも納得であった。
たっぷり10分ほどの時間をかけて、俺は検分の仕事を果たす。さすがディアルの鉄具屋は、ひと品たりとも不良品をまぎれこませたりはしていなかった。
「よし、問題なしだね。お代も俺が預かってるので、ちょっと待っててね」
俺は母屋に引き返し、壁際で丸くなっているサチの寝姿を横目に、預けられていた銀貨と銅貨の袋を持ち出した。
こちらの袋も、ずしりと重い。白銅貨100枚分の価値のある銀貨をもちいても、この質量だ。ディアルがその枚数を数え始めると、荷運び屋と護衛役の両名も呆れた様子で息をついていた。
「城下町では珍しくもない光景だけど、こんな野っ原でそんな銀貨を拝むのは、やっぱりおかしな気分ですなあ」
「あはは。まあ、そうかもね。でも、森辺の狩人や獅子犬がいれば、盗っ人の心配も必要ないんじゃないのかな」
「そりゃあそうでしょう。森辺の狩人の腕っぷしは、ジャガルにまで鳴り響いてるぐらいですからな」
そう言って、荷運び屋は護衛役の巨体をにらみあげた。
「お前さんも、小耳にはさんだことぐらいはあるだろう? 去年のジェノスの闘技会では、森辺の民の若衆が最後まで勝ち抜いたって話なんだからな。そんな場所ででかい顔をしてたら、生命がいくつあっても足りねえぞ?」
「わかってるよ。うるせえなあ」
さきほどのリャダ=ルウがその闘技会の優勝者の父親だと知ったら、彼らはどのような顔をするのだろうか。ちょっと興味がわかないでもなかったが、俺は大人しく口をつぐんでおくことにした。
「よし、お代もばっちりだね! アスタ、証文だよ」
「ありがとう。これはさっそく、焚きつけで使わせていただくよ」
俺は受け取った証文を胴着の裏のポケットにしっかり収めてから、周囲の女衆らに呼びかけた。
「これにて取り引きは終了です。これらの鉄具は、それぞれ荷車でお持ち帰りください」
「手間をかけさせたね、アスタ。これでまた、料理をこしらえるのが楽しくなりそうだよ」
家長の伴侶たちは、みんなほくほく顔であった。
するとユン=スドラが、すがるような目でバードゥ=フォウの伴侶を振り返る。
「あ、あの、スドラで買いつけた調理刀と片手鍋は、こちらで受け取ってもよろしいでしょうか?」
「うん? 別にかまいはしないけど、あんたはこれからファの家で勉強会だろう? 帰りに、荷物になっちまうんじゃないのかい?」
「は、はい。だけどその、一刻も早く手に取ってみたくて……」
バードゥ=フォウの伴侶は、優しげな眼差しでユン=スドラを見返した。
「もちろん、あんたの好きにするといいよ。あんたは昔っから誰よりも、かまど仕事に熱心だったからねえ」
「ありがとうございます」と深くお辞儀をしてから、ユン=スドラは地面の木箱に取りすがった。
その中から、肉切り刀と菜切り刀を1本ずつと、片手鍋――いわゆるフライパンを、慎重な手つきでつまみあげる。
「美しいです……新品の刀というのは、これほどに美しいものであったのですね」
「うん。それを使い込んで年季を入れていくのも、かまど番の楽しみだよね」
「はい」と、ユン=スドラはそれらの鉄具を胸もとにかき抱いた。
もちろん調理刀も鞘に収められているので、危険はない。そうしてうっとりとまぶたを閉ざすユン=スドラは、心から幸福そうな表情を浮かべていた。
(俺も初めて菜切り刀やら鉄板やらを買ったときなんかは、こんな風に感極まって、アイ=ファを呆れさせてたなあ)
そんな想念が、しみじみと胸の中にしみこんでいく。
そうして残りの鉄具が女衆たちによって片付け始められると、荷運び屋が「さて」と声をあげた。
「それじゃあ、俺たちの仕事も完了ですな。あんたはどうするんです、お嬢さん?」
「あ、うん。ちょっと待っててね」
と、ディアルがもじもじしながら俺を振り返ってきた。
「あのさ、アスタ、突然のことで申し訳ないんだけど……今日、アスタの家にお邪魔することってできないかなあ?」
「え? お邪魔って、それは明日の朝までってことかい?」
城下町は夜間の出入りが制限されているので、ディアルたちが晩餐の刻限まで居残るとしたら、すなわち宿泊コースとなってしまうのだ。
ディアルはさきほどのユン=スドラに負けないぐらい、すがるような眼差しになっていた。
「うん。本当は事前にお願いしたかったんだけど、昨日は昨日で1日かけて、注文の品を城下町でさばかないといけなかったからさ。どうしても、宿場町まで出てくる時間を作れなかったんだよね」
「そっか。俺はもちろん大歓迎だけど、家のことを決めるのは家長のアイ=ファだからさ。アイ=ファが戻ったら、ディアルのほうからお願いしてもらえるかな?」
「うん! ありがとう、アスタ!」
ディアルはたちまち歓喜の表情になって、荷運び屋のほうを振り返った。
「それじゃあ僕とラービスは、こっちに居残ることにするよ! 今日はご苦労様だったね!」
「ほいほい。それじゃあ今後とも、ごひいきに」
そんな風に応じてから、荷運び屋は俺のほうに向きなおってきた。
「俺たちがジェノスまで出向くのは数ヶ月にいっぺんのことですが、次にはまたそちらの屋台に寄らせていただきますよ。それまでどうぞ、息災に」
「ありがとうございます。ご来店をお待ちしておりますね」
そうして荷運び屋たちは荷車で去っていき、俺のもとにはにこにこと笑うディアルと仏頂面のラービスが残された。
また、反対の側では鉄具を抱えたユン=スドラが幸福そうに微笑んでいる。左右から温かいオーラにはさみ込まれて、俺も何やら幸福な心地であった。