②最初の課題(下)
2014.9/25 更新分 2/2
その後は、ドンダ=ルウが目覚めるであろう中天の少し前まで時間が空いてしまったので、近所の川辺でピコの葉の採取をさせていただいた。
婚儀の日と、その翌日と、2日連続でさぼってしまっていたため、ちょっと採取量に不安があったのである。
ピコの葉を切らしてしまえば、肉の保存ができなくなる。他家の晩餐にお邪魔すれば洗い物や薪の採取は省略できるが、こればかりは替えのきかないお仕事なのだ。
で、太陽がいい感じに昇ってきたところで、俺たちはルウの集落へと出発した。
新品の鉄鍋にピコの葉を山積みにした珍妙な姿で、ガズラン夫妻との4人連れである。
「コタ=ルウの顔が見たいので」という理由で、アマ・ミン=ルティムが同伴を求めてきたのだった。
「しかし、昨日だってルウの集落にはおもむいたじゃないか?」
「あれは料理の勉強で出向いたのです。コタ=ルウの顔は見れていません」
「それでまた中天過ぎにはルウの家にお邪魔するのか?」
「そうですよ。他の女衆は通っているのにわたしだけ通っていなかったら、わたしはルティムで一番料理の下手な女衆になってしまいますよ? それでもいいのですか?」
「しかし……」
「そして、あなたが出かけてしまったら、もうあなたとは晩餐まで顔を合わせる機会もなくなってしまいます。それでもよろしければ、今からでもルティムの家に引き返しますけれど」
「別に、引き返せとは言っていないさ」
という、彼らの貴重な新婚トークを聞きながらの30分間である。
ごちそうさまでしたとしか言い様がない。
そんなこんなで、到着だ。
まだ宴からは3日しか経過していないのに、ずいぶんひさびさな気がしてしまう。
分家では女衆がさまざまな仕事に励んでおり、俺たちの姿に気づくと、みんな手を振ったりおじぎをしたりしてくれた。
何せ6日間もこの集落で過ごさせていただいた俺なので、気分は第二の故郷である。
「おやおやまあまあ、どうしたんだい、おそろいで! しかも鉄鍋なんて抱えちゃってさ! 宴はもう終わってるんだよ、あんたたち!」
そんな風に出迎えてくれたのは、ミーア・レイ母さんだった。
驚き、なおかつ呆れているが、その後、とても嬉しそうに破顔してくれる。その笑顔も、何だかすごく懐かしく感じられてしまった。
「ちょっと家長にご相談があって来たんです。家長はもうお目覚めですか?」
「ああ。広間で干し肉をかじってるね。ジザやルドも一緒だよ」
うーむ、微妙な取り合わせだ。
しかし、臆してはいられない。
「それじゃあ、鋼を預かるよ。鉄鍋はそのへんに置いておいてもらえるかい?」
「はい」
アマ・ミンは刀を備えていなかったので、3名分の刀がミーア・レイ母さんに預けられた。
「ほい。ルウの家にようこそ。……家長、客人だよ!」
引き戸をくぐって、足を踏み込む。
家長とその息子たちは、広間の真ん中で何やら顔を突き合わせていた。
「あれ? アスタじゃん! 何だよ、どうしたんだよ!」
ルド=ルウが気づいて、ぴょんっと立ち上がる。
そして、うっそりと振り返る家長と跡取り息子。
ご機嫌は――あんまりよろしくないようだ。
「何だ、またロクでもねえ顔がそろっていやがるな。厄介事の匂いしかしねえぞ、おい?」
仏頂面というか野獣面のドンダ=ルウに、ガズラン=ルティムが一礼する。
「恐縮です。しばしお時間をいただけますか、ルウの家長ドンダ=ルウよ」
「……ふん」と低く言い捨てて、ドンダ=ルウは上座に座りなおした。
ジザ=ルウとルド=ルウは、俺たちから見て左側に並んで腰を下ろす。
「ミーア・レイ=ルウ。わたしはサティ・レイ=ルウとコタ=ルウを訪ねてきたのですが、こちらにいらっしゃいますか?」
「部屋にいるよ。そうだね、小難しい話は男どもにまかせておこう」
刀を家長の背後にそろえてから、ミーア・レイ母さんとアマ・ミンは左側の通路に消えていった。
「まもなく森に向かう刻限でありましょうから、さっそく説明させていただきます。……実は、ファの家からルティムの家に仕事の依頼があったのですが、我が家ではそれに応じられないため、ルウの家を頼ってきたという次第なのです」
「……仕事だと?」
「そうです。――アスタ、その説明はあなたから」
「はい。実はですね、俺は、宿場町で店を開こうかと思っているのです」
「はあ!?」と大声をあげたのは、ルド=ルウだった。
「どういうこったよ! おい、アスタ! あんた、森辺を出ていくつもりなのか!?」
「いや、あくまで森辺の民として、ギバ肉の料理を露店で売りに出そうと思っているんだ。……荒唐無稽な話に聞こえるかもしれませんが、そういうことなのです。それで、その仕事を手伝ってくれる女衆を1名、誰か貸していただけないかと……そういうご相談に来たんですが」
ドンダ=ルウはもともと不機嫌そうな顔をしていたので、あまり変化は見られなかった。
ジザ=ルウは、そうでなくても心情が読み取れない。
そして、ルド=ルウは――腹を抱えて笑い始めた。
「何だそりゃ? 町の人間にギバを喰わそうってのか? 俺たちを《ギバ喰い》とか呼んでるあいつらに? ほんっと面白えな、あんたって男は! 何をどうしたら、そんな突拍子もないことが思いつけるんだよ?」
「いやまあ、話せば長くなるんだけどね。……ドンダ=ルウは、どう思われますか?」
「……それは、貴様が考えついたことなのか?」と、ドンダ=ルウがいきなり核心をついてきた。
「考えついたのは、俺ではありません。それを勧めてくれたのは、あのカミュア=ヨシュという石の都の住人です」
「だろうな。あのすっとぼけた男は宣言通り、ファの家に姿を現したってことか」
「はい。ですが、俺も彼と共謀するつもりはありません。彼がどういう思惑でそんな話を勧めてきたのかはわかりませんが、話を聞くと、それなりに現実味のある話だと思えてきたので、それなら挑戦してみようかと思い至ったわけです」
ドンダ=ルウは、思ったほど激烈な反応を見せなかった。
どちらかというと――静かに座しているだけのジザ=ルウのほうが、ちょっとばっかり不穏な圧力を発し始めたように感じられる。
「俺は彼に、ファの家で料理をふるまったのですね。そうしたら、こんなに美味い肉を売らないのはもったいない。この肉を銅貨に替えれば、森辺の民はもっと豊かになれるだろう。この肉の美味さを町の人間に知らしめるために、料理の露店を出してみたらいいんじゃないか――という、そんな風な流れでした。もちろんそんな素っ頓狂な話が可能かどうか、俺も実際に宿場町に下りて色々調査してみました」
そうして俺は、ガズラン=ルティムに対したときと同じように、この2日間で考えたこと、感じたことを正直に述べてみせた。
宿場町の人々からは、それほど大きな反感は買わずに済みそうだ、ということ。
うまくやればギバ肉の料理を売ることは可能なのではないか、ということ。
そして、カミュア=ヨシュの心情は理解しきれない部分が多いが、その根底にあるのは森辺に対する愛着や執着であり、自分たちを騙そうとしている気配は感じられなかった、ということ。
「何だかよくわかんねーおっさんだな。でもまあアスタの料理が馬っ鹿みてーに美味いってことは確かなんだからさ! 面白えじゃん! やってみろよ! 町の連中がギバを食ってどんな顔をするのか、俺も見てみたいもんだぜ!」
「うるせえぞ、ルド」と、ドンダ=ルウが不機嫌そうな声をあげる。
不機嫌そうだが、やはりその双眸は落ち着いたままだ。
これは何とかなりそうかな――と、思ったとき、ジザ=ルウが「アスタ」と低く呼びかけてきた。
「貴方が町で商売をするのは自然なことだ。貴方はどう見ても町の人間なのだからな。……しかし、それなら、いっそのこと宿場町の人間になってしまえば、話は早いのではなかろうか?」
「はあ。ジザ=ルウにしてみればそのように思えるのかもしれませんが。以前にもお答えした通り、俺はこの森辺が好きなんです。森辺に住むことと、町で店を開くこと、どちらかをあきらめろと言われれば、もちろん俺は店をあきらめます」
「へへ」とおかしな声が聞こえたので目線を動かすと、ルド=ルウがあさっての方向を向きながら、笑っていた。
何だか――無茶苦茶に楽しそうな笑顔だ。
「……俺には、茶番だとしか思えねえな」と、ドンダ=ルウがつぶやいた。
「石の都の連中が、大喜びでギバを食うとは思えねえ。ギバの肉が銅貨に替えられるなんて、そんな馬鹿げた夢物語が実現するとも思えねえ」
「はい。俺もどれだけの成果があげられるかまでは、わかりません。それでも、挑戦してみたいと思ったんです」
俺はちょっとだけ身を乗り出して、ドンダ=ルウの魁偉な顔を見つめやった。
「だけど、挑戦するには、俺とアイ=ファだけの力では不可能なんです。店を出すこと自体にも人手は必要ですし、それに、俺ひとりで宿場町を行き来するのは危険だともたしなめられました。どこでスン家の人間に遭遇するかもわからない以上、ルウの眷族に助力を頼むべきだ、と――そこまで踏まえた上で、考えてみてくれませんか?」
「ふん……」
「俺の成功を信じてほしい、とは言いません。当たり前の話ですが、成功しようと失敗しようと、代価はきちんとお支払いします。……ガズラン=ルティムと話し合い、その代価は1日に牙や角を2本ずつ、と定めました」
女衆が毛皮をなめすのには、ふたりがかりで半日はかかるという話だった。それで得られる代価は牙と角1頭分と大差ないのだから、ひとりの女衆を半日借りるならそれぐらいが相応であろう、という結論に至ったのだ。
「ただし、スン家と確執のあるファの家ですから、そこだけは十分に考慮してください。ガズラン=ルティムは、ただルウの眷族がかたわらにあるだけで、スン家も悪逆な真似はできなくなる、と仰っしゃっていましたが、ドッド=スンなどは酔いにまかせて何をするかもわからない無法者です」
「そんなことは貴様に諭されるまでもない。……ルウの女衆をなめるなよ、小僧」
「家長」と、ジザ=ルウが声をあげかけた。
ドンダ=ルウは、それを手で制する。
「女衆を半日貸して、牙と角を2本か。それは悪い話じゃねえ。今のルウには、女衆の手もありあまっていることだしな」
「……はい」
「ただし、ひとつだけ条件がある」
「条件――ですか?」
「あのすっとぼけた金髪の男と手を組んで、貴様が何か企みごとをしていたら、その右腕を、もらう」
ぞくっと背筋に寒気が走った。
そちらを見てもいないのに、一瞬アイ=ファのほうからまで殺気を感じてしまう。
「その約定が交わせるなら、女衆を貸してやろう」
「……俺自身には、何も企みごとなどありません。ただ、あのカミュア=ヨシュという男が何を企んでいるかまでは、俺にもわからないんですが」
「あの男が何か企んでいたのなら、あの男の首を刎ねるだけだ。そして、貴様がその片棒をかつごうとしていたなら、その右腕を、いただく」
重苦しい静寂が、たちこめた。
俺は、ごくりと生唾を飲みくだす。
「俺自身には、さきほど述べた以上の考えや気持ちがないことは、何をかけてでも誓えます。ただ――万が一にも、カミュア=ヨシュに何か裏の考えがあって、それが明るみなったとき、俺には身の潔白を証明する手段がないかもしれません」
「そんな小賢しいもんを求めちゃいねえ。貴様も一緒に騙されていただけなら、愚かな小僧と嘲笑うだけだ。……ガズラン=ルティム、それに、ファの家の家長」
「はい」とガズラン=ルティムは静かに応じたが、アイ=ファは無言のまま、ドンダ=ルウをにらみつけるばかりであった。
その瞳は、やはり深甚な怒りに燃えさかってしまっている。
「貴様たちは、この小僧の言葉を信用しているのか?」
「もちろんです。信用していなければ、このような場に姿は現しません」
「貴様はどうなんだ、ファの家の家長よ」
「……答えるまでもない。家人を信じることができずして、何が家長か」
その声もまた、怒りに震えてしまっている。
しかし、それと相対するドンダ=ルウは――冷静だった。
「ならば、貴様を信じるというこのふたりが、貴様の潔白を最後まで信じぬくことがかなったならば、それでいいということにしてやろう。このふたりまでもがそろって貴様を裏切り者だと断じたときは、その右腕をいただく」
「それでいいのなら、俺も約定を交わすことができます」
額の冷や汗をぬぐいながら、俺はそう応じた。
「俺は絶対に森辺の民を裏切らないと誓います」
「右腕を賭けるか?」
「右腕を、賭けます」
その瞬間、アイ=ファが「待たれよ」と鋭い声をあげた。
「このたびの一件は、アスタ個人の判断にあらず、ファの家の総意として行われる所作だ。そこに不始末が生じたときは、その責は家長が負うべきであろう」
アイ=ファの目は、いよいよ野生の山猫のように燃えていた。
ドンダ=ルウは、無言でそれを見つめ返す。
「我らの身に恥ずべき所作があったなら、アスタではなく私の右腕を捧げよう」
「おい、アイ=ファ――」
「貴様の腕などに用はないのだ、ファの家の家長よ」と、ドンダ=ルウが重々しい声音で応じる。
「貴様のような人間が石の都の住人と企みごとを謀るわけがない。しかし、その小僧は異国の生まれだ。俺が知りたいのは、その小僧の真意と覚悟だけだ」
「しかし……」
「答えは、すでに出ているのだろうが? 俺が問うているのは、今この瞬間にこの小僧が俺や貴様らをたばかっているかいないか、ということだけだ。そうでないというのなら、小僧の右腕が生き別れになることもない」
ドンダ=ルウの瞳が、少しだけ光を強めながら、怒れるアイ=ファの顔を見すえる。
「貴様はこの小僧の覚悟を踏みにじる気か? ……それとも、内心ではやはりこの小僧の真情を疑っているのか?」
アイ=ファが、腰を浮かせかけた。
その腕を、俺は慌てて引っつかむ。
「落ち着けよ、アイ=ファ。俺はお前たちを裏切っていない。だったら何もおかしなことにはならないさ」
たぶんこれは、必要な措置なのだ。
森辺の行く末を担うルウ本家の家長として、軽々しく俺を信用することはできないのだろうと思う。
だけどそれでも、ドンダ=ルウはその審判を、アイ=ファとガズラン=ルティムに託した。
俺のことは信用できないが、森辺の同胞であるアイ=ファやガズラン=ルティムのことは信じている、という――その判断や決断は、むしろ俺にはある種の潔さや心地よささえ感じられてしまった。
ただ……ことさら凶悪な言葉を使ってそれを実行しようとするのが、この御仁の悪いところなのだろう。
だけど俺は、納得することができた。
そんな俺の顔をしばらく無言でにらみつけてから――やがてアイ=ファは、浮かせかけていた腰を下ろした。
まだ激情の渦巻いている目を伏せて、きゅっと唇を噛みしめている。
「……約定は、成立だな」と、ドンダ=ルウがつぶやいた。
「それじゃあ、誰を貸すか、だが――」
「あ、手伝ってもらいたい仕事というのは、料理や鉄鍋の運搬と、店番の補助です。重い荷物を持って山道を歩ける体力がないと、つとまらない仕事でしょうね」
「ふん……」
「本家でも分家でもかまいません。人選は、おまかせいたします」
そう言いながらも、俺の胸中には新たなる暗雲がたちこめ始めていた。
レイナ=ルウともヴィナ=ルウとも、俺はあの宴以来、いっさい顔を合わせていないのだ。
自分をどこか遠い世界に連れ去ってほしい、と願うヴィナ=ルウと。
ファの家を出て、ルウ家の家人になってほしい、と願うレイナ=ルウ。
俺には、そのどちらの願いもかなえてやることはできない。
それでも、彼女たちを忌避しながら生きるような真似はしたくないので、何とか穏便な関係性を再構築したい、とは思うのだが――今のところは、まだその筋道が見つからない。
いったい誰が選出されるのか。いくぶん心拍数を上昇させながら待ちかまえていると――やがて、ドンダ=ルウはぽつりとつぶやいた。
「ヴィナだな」と。