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異世界料理道  作者: EDA
第五十章 新たな出会いとしばしの別れ
878/1678

銀の月の十六日④~輝ける生~

2020.3/22 更新分 1/2

「あー! アイ=ファとアスタとヴィナ姉だ! やっと会えたねー!」


 ルティムの人々やリコたちに別れを告げて、かまど巡りを再開しようとしたところで、俺たちはリミ=ルウと出くわすことになった。2段重ねの木箱を小さな身体で抱えつつ、リミ=ルウはぱあっと表情を輝かせる。


「それに、シュミラル=リリンと、あなたは、えーと……背がおっきいから、ラダジッドだね! みんな一緒だったんだー!」


「うん。リミ=ルウは、そんな大荷物でどこに行くのかな?」


「リミはね、ちっちゃい子たちにお菓子を届けに行くところだよー!」


 リミ=ルウも十分にちっちゃいのだが、それでもあと数ヶ月で10歳となる身である。5歳未満で祝宴に参加できない幼子のために菓子を与えるというのも、ルウ家ではすっかり定例であった。


「シュミラル=リリンよ。たしかお前は、リリンの長姉の様子を見にいくという話であったな?」


 アイ=ファの問いかけに、シュミラル=リリンは「はい」とうなずき、リミ=ルウの抱える木箱の上段を取り上げた。


「せっかくなので、ともに、向かいましょう。遅くなると、幼子、眠ってしまいます」


「わーい、ありがとー!」


 荷物の減ったリミ=ルウは、満面の笑みでアイ=ファとヴィナ・ルウ=リリンを見比べた。大好きな友達と家を出てしまった姉にはさまれて、ご満悦の様子である。

 そうして俺たちは仲良く語らいながら、幼子たちの集められている分家の家を目指すことになった。


「今日はね、ふたつの家に分けられてるんだよー! ちっちゃい子が増えてきたから、面倒を見るのが大変なんだって!」


「幼子、一族、宝です。ルウの血族、繁栄、喜ばしい、思います」


 リミ=ルウのような少女が相手でも、ラダジッドの粛然とした態度に変わりはない。リミ=ルウも笑顔で、「うん!」とうなずいていた。


「それに、猟犬を使うようになってから、大きな怪我をする男衆も減ったからね! このまままだとどんどん家人が増えて、集落が狭苦しくなっちゃいそうだって、ドンダ父さんが怒りながら喜んでたよー!」


「怒りながら、喜ぶ、不可解です」


「うん! 顔だけ怒ってて、すごく嬉しそうだったの!」


 ドンダ=ルウがこの場にいたならば、どのような顔で愛娘の言葉を聞いていたのだろう。それを想像するだけで、俺はなんとも楽しい心地であった。

 やがて目的の場所に到着したリミ=ルウは、戸板に向かって元気いっぱいの声を張り上げる。


「本家の末妹、リミ=ルウだよー! お菓子を持ってきたから、開けてー!」


 どたどたと賑やかな足音が響いたかと思うと、戸板が勢いよく開かれた。そこから覗いたのは、リミ=ルウより遥かに小さな幼子である。きっと5歳を目前にしている幼子であるのだろう。その顔には、期待の色があふれかえっていた。


「ありがとー! これ重いから、中まで運ぶね!」


「わーい! みんな、おかしだよー!」


 幼子が屋内に駆け巡ると、奥のほうからも周波数の高い歓声が響きわたってきた。毎度のことながら、幼子の集められた家は保育所さながらである。

 そして、土間には何頭もの猟犬が控えていた。今日はすべての眷族ともども、猟犬たちも集められているのだ。別の家では、たくさんのトトスも同じように身を休めているはずであった。


「ご苦労様、リミ。みんな、菓子を心待ちにしていたのよ」


 広間の奥から、サティ・レイ=ルウの声が聞こえてくる。リミ=ルウに続いて土間に上がりこんだ俺は、「あれ?」と目を丸くすることになった。


「みなさん、どうも。こちらにおいでだったのですね」


「ああ。料理を配る仕事も一段落したから、こっちを手伝うことにしたんだよ」


 力強くも魅力的な笑顔を返してきたのは、ラウ=レイの母親である。その隣では、大きな布にくるまった次姉の姿もあった。


「アスタもお疲れ様ぁ。今、下の子にお乳をあげてるところなんだあ」


「そ、それは失礼しました。俺たちは外に引っ込んでおきますね」


「いいよいいよお。そのために、布をかぶってるんだからさあ」


 一枚布にくるまった次姉は、彼女自身が大きな赤子であるかのようだった。

 その間に、広間の真ん中まで上がり込んだリミ=ルウが、木箱を解放する。幼子たちは歓声をほとばしらせながら、手に手に菓子をつかみ取った。本日の菓子は、ぼたもちとロールケーキであるようだ。


「ほら、おかし! すっごくおいしそー!」


 と、最初に戸板を開けてくれた幼子が、次姉のほうに駆け寄っていった。さらに、2、3歳ぐらいに見える小さな女児たちが、元気な足取りでラウ=レイの母親の懐に飛び込んでいく。彼女は幸福そうに目を細めながら、その幼子たちの頭を撫で始めた。


「これが、わたしの孫たちだよ。それぞれの母親に負けないぐらい、元気だろう?」


 俺の隣で、アイ=ファが愕然としたように立ちすくんだ。


「それらの幼子が……すべて孫であるのか?」


「ああ。こっちに隠れてる赤子も含めて、4人だね」


 彼女自身も4人の子を持つ母親であるわけだが、さらに4名の孫までもがこうして元気に育っているのだ。俺が日中に味わわされた驚愕を、アイ=ファもこの場で味わわされたようだった。


(その幼子たちが孫じゃなくって子供だって言われたほうが自然なぐらいの若々しさだもんなあ。やっぱりこれは、驚異的だ)


 しかし、母であろうと祖母であろうと、彼女がその幼子たちに深い愛情を抱いていることに変わりはなかった。

 幼子たちの頭を撫でる手つきの優しさや、その姿を見つめる水色の瞳のやわらかさが、彼女の内心を如実に物語っている。かつてはラウ=レイたちもこのように慈しまれていたのかと思うと、なんだか感慨深かった。


「アスタ。さきほど彼女たちから、アスタの準備した宴料理をいただきました」


 と、おなかの大きなサティ・レイ=ルウが俺に呼びかけてくる。そのかたわらでは、コタ=ルウが熱心にロールケーキをついばんでいた。


「あの料理は、夢のように美味でした……ポイタンでもシャスカでもフワノでも、アスタが手掛ける料理はどれも心を奪われてしまいます」


 彼女は無類の、炭水化物好きであったのだ。以前よりも肉づきがよくなり、いっそうの柔和さを増した顔で、サティ・レイ=ルウはにこりと微笑んだ。


「それに、子に乳を与えるようになったら、しばらくかれーを口にすることもできませんので……その前に、あのような料理を口にできたことを嬉しく思っています」


「あはは。今日はカレー料理に困ることはありませんよね」


 すると、ラウ=レイの母親が横からサティ・レイ=ルウの顔を覗き込んだ。


「他に何か、食べたいものはないのかい? こっちの乳やりが終わったら、わたしが取ってきてあげるよ」


「いえ。最終的にはすべての料理が届けられる手はずになっているので、大丈夫です。あなたこそ、幼子の面倒を見る当番ではなかったでしょう? どうぞ祝宴を楽しんできてください」


「わたしは、いいんだよ。祝宴なんざ、若い頃にさんざん楽しんできたんだからさ」


 端麗な横顔を俺たちに見せながら、ラウ=レイの母親は白い歯をこぼした。


「それにもうじき、傀儡の劇ってやつが始められるんだろうしね。そのときは、あんたも広場に行っておいで。その間は、わたしがこの子らの面倒を見ておくからさ」


「そのお言葉はありがたく思いますが……でも、本当によろしいのですか?」


「いいんだってば。こんな年寄りに気をつかうことはないって」


「年寄り……」と、アイ=ファが口の中でつぶやいた。

 もちろんそれは軽口に過ぎないのであろうが、それがあまりに不似合いなぐらい、彼女は若々しいのである。


「それじゃあ、リミたちはそろそろ行くね! 隣の家にもお菓子を届けてあげないといけないから!」


「ああ、お疲れさん。……あ、シュミラル=リリンに東のお客人も、めいっぱいに祝宴を楽しみな」


「はい。ありがとうございます」


 両名は、表から戸板の内部をうかがっていたのだ。そんな彼らにも気配りを忘れない、ラウ=レイの母親であった。

 ぶんぶんと手を振る幼子たちに手を振り返しつつ、リミ=ルウはぱたりと戸板を閉める。その青い瞳が、くりんとシュミラル=リリンの長身を見上げた。


「リリンの子、いなかったねー。あとは、こっちの家だよー」


 リミ=ルウの案内で、隣の家屋へと突撃する。そちらの戸板が開かれると、まずは2頭の猟犬たちがシュミラル=リリンにすり寄ってきた。

 これはきっと、普段シュミラル=リリンとともに働いている猟犬たちであるのだろう。木箱を抱えたシュミラル=リリンは、慈愛に満ちた目でその猟犬たちを見下ろした。


「これでは、動けません。木箱、置くまで、お待ちください」


 シュミラル=リリンはそのように言いたてたが、猟犬たちは離れようとしなかった。

 この世界の犬というのは賢いので、きっと明日にはシュミラル=リリンが旅立ってしまうということを理解しているのだろう。それでも彼らは森辺に留まり、リリンの猟犬として働かなければならないのだ。

 俺はなんだかしんみりした気持ちで、シュミラル=リリンから木箱を預かることにした。


「とりあえず、木箱は俺がお預かりします。シュミラル=リリンは、ごゆっくりどうぞ」


 そうして俺が土間に踏み込むと、こちらにはジルベがすりよってきてしまった。我らの家人たちも、この場で預かってもらっていたのだ。


「やあ、ジルベ。悪いけど、この木箱を置きたいから場所を空けてもらえるかな?」


 ジルベはちょっとすねたような眼差しになりながら、平たい鼻面を俺のモモに押しつけてきた。その間に、ブレイブとドゥルムアはアイ=ファの足にすりよっている。


「あはは。みーんな、さびしかったみたいだね!」


 ということで、木箱はもとの持ち主たるリミ=ルウの手に託されることになった。


「お待たせ―! お菓子をいーっぱい持ってきたよー!」


 さきほどと変わらないぐらいの人数である幼子たちが、きゃあきゃあと駆け回る。その向こうでひっそりと座していたのは、アマ・ミン=ルティムと3名の女衆である。そのうちの1名はリリンの分家の女衆であり、全員が子を孕んでいるか、あるいは乳飲み子を抱えているようだった。


「お疲れ様です、リミ=ルウ。アスタにアイ=ファも、わざわざ申し訳ありません」


「いえいえ、ゼディアス=ルティムのお顔も見ておきたかったので。……えーと、サチはご面倒をおかけしていませんか?」


「サチでしたら、あちらです」


 ゼディアス=ルティムを抱いたアマ・ミン=ルティムが、指先で頭上を指し示す。燭台の光も届かない暗がりに、剥き出しである梁の影が見えた。


「幼子たちに追い回されるのに、嫌気がさしてしまったのでしょう。ずっとあの上で眠っているようです」


 俺は、胸の中をくすぐられているような心地で、アイ=ファを振り返ることになった。


「サチは、あの上だってさ。……なんか、いつだったかのティアみたいだな」


「ふん。サチとティアでは、似たところもないがな」


 アイ=ファは努めて無表情を保ちながら、その場に屈んでブレイブらの首を撫でた。


「あやつは狼に囲まれて育ったゆえに、そちらと気性が似ることになったのであろう。よって、狼に似た犬のほうが、ティアに近しいように思う」


「うん、それはそうなのかもな」


 すると、猟犬を足もとにまとわりつかせたシュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンも、ようよう土間に上がり込んできた。その姿に、アマ・ミン=ルティムが口をほころばせる。


「ああ、シュミラル=リリンたちもご一緒だったのですか。ほら、家人がいらっしゃいましたよ」


 ぼたもちを頬張っていた小さな女の子が、とてとてと頼りない足取りで土間のほうに近づいてくる。彼女こそが、リリン本家の長姉であった。


「あらあら……ブレの実が口のまわりについているじゃない……」


 上がり框に腰を下ろしたヴィナ・ルウ=リリンがやわらかく微笑みつつ、女の子の口もとをぬぐってあげた。女の子はにこにこと微笑みながら、ヴィナ・ルウ=リリンのなめらかな頬に手をあてている。

 すると、シュミラル=リリンもそのそばに膝を折り、女の子の頭にそっとを手をのせた。


「私、間もなく、旅立ちです。あなた、理解、難しい、思いますが……健やかな生、祈っています」


 女の子はきょとんとした顔になって、シュミラル=リリンを見返した。

 彼女はまだ2歳か3歳ぐらいの幼子であるのだ。旅や別れという言葉の意味を理解するのは、まだ難しいようだった。

 そんな彼女に、シュミラル=リリンは優しく微笑みかけている。いつかヴィナ・ルウ=リリンとの間に子が産まれても、シュミラル=リリンはこうして優しく微笑みかけ、そして旅立っていくのだろう。


(ふたりの間に産まれる子が、いつか商人になりたいと願ったりすることもあるんだろうか)


 それは、見果てぬ行く末の話であった。

 だけどきっと森辺の民であれば、同胞にとってもっとも幸福な道を、ともに考えてくれることだろう。森辺の民は、俺やシュミラル=リリンのような異郷の人間を、同胞として迎え入れてくれたのだ。覚悟を持つ人間に対しては、相応の覚悟を胸に対峙してくれる、それが森辺の民の度量であるのだろうと思えた。


「大丈夫よぉ……きっとこの子は、たいそう寂しがることになってしまうでしょうけれど……わたしたちがついているのだからねぇ……」


 ヴィナ・ルウ=リリンが、ふわりと女の子を抱きしめた。

 女の子はまた笑顔となって、ヴィナ・ルウ=リリンの栗色の髪に頬ずりをする。

 シュミラル=リリンは幸福そうに目を細め、最後に女の子の頭をひと撫でしてから、身を起こした。


「では、行きましょう。子供たち、よろしくお願いします」


 アマ・ミン=ルティムと3名の女衆に見送られて、俺たちは外に出た。名残惜しそうにしている猟犬たちの頭も撫でてから、シュミラル=リリンは戸板を閉める。


「シュミラル=リリン、多くの血族、授かった、実感します」


 と、外で待っていたラダジッドがそのように言いたてた。また土間には足を踏み入れぬまま、内部の様子をうかがっていたのだろう。


「シュミラル=リリン、故郷、捨てましたが、かつての家族たち、天の上、喜んでいるでしょう。私、気持ち、同様です」


「ありがとうございます」と、シュミラル=リリンは静かにラダジッドを見返した。

 やはり《銀の壺》の中でも、この両名はひときわ強い絆に結ばれているように感じられる。東の言葉ではもっと気さくに語らっているのだろうかと想像すると、なんだか胸が温かくなった。


「よーし! これでリミのお仕事はおしまいだよー! ヴィナ姉たちと一緒にいていーい?」


「もちろんよぉ……一緒にかまどを巡りましょう……」


 ということで、俺たちはようやくかまど巡りを再開させることになった。

 リミ=ルウを加えて6名となった顔ぶれで、まだ立ち寄っていなかったかまどへと足を向ける。リミ=ルウはヴィナ・ルウ=リリンの腕にぶらさがり、シュミラル=リリンはラダジッドと語らっていたので、俺はアイ=ファへと声をかけることにした。


「どうしたんだ、アイ=ファ? なんか、ぼーっとしてるみたいだな」


「いや……私はちょっと……母のことを思い出していたのだ」


 アイ=ファは珍しく、少し口ごもりながらそのように答えた。

 俺は「へえ」と目を丸くしてみせる。


「それはちょっと、珍しく感じられるな。幼子を抱えた女衆たちと顔をあわせたからなのかな?」


「いや……それよりも、ラウ=レイの母親が原因であるのだろうな」


「ラウ=レイの母親? ああ、アイ=ファの母親も、金褐色の髪をしていたんだっけ」


 そんな風に答えつつ、俺は首を傾げることになった。


「あれ? だけど、アイ=ファの母親はすごく繊細な人柄だって聞いたような覚えが……」


「うむ。気性は、まったく似ていない。むしろ、正反対と言えるぐらいであろう。しかし、幼子を慈しむあの眼差しは……どうにも私の母を思い出させてやまないのだ」


 アイ=ファは何かの感情をこらえるように眉をひそめながら、そのように言葉を綴った。

 アイ=ファの母親が幼子を慈しんでいたならば、その眼差しを向けられていたのはアイ=ファ自身に他ならなかったのだ。


「私の母は、身体が弱かった。ゆえに、若くして魂を返すことになったのだ。しかし、もしも母が頑健なる身体に生まれついていたのなら……あのように振る舞っていたのではないのかと……そんな埒もない想念にとらわれてしまったのだ」


「埒もないなんて、そんなことはないよ。アイ=ファにとっては、大事な話じゃないか」


 アイ=ファはしばしまぶたを閉ざすと、大きく深呼吸をしてから、いきなり俺の背中を引っぱたいてきた。


「今日は、シュミラル=リリンらと過ごす最後の夜であるのだぞ? 私などにかまいつける必要はあるまい」


「う、うん。だけど今のは、なかなか背骨に響いたな」


「力加減を間違えた。許せ」


 アイ=ファは何かをふっきるように笑い、じんじんと痛む俺の背中をぐいっと押しやってくる。結果、俺はシュミラル=リリンとラダジッドの間にまろび出ることになった。


「お前たちもだぞ、シュミラル=リリンにラダジッドよ。お前たちは、明日からともに日々を過ごすのであろうが? この夜は、アスタやルウの血族らと、ぞんぶんに言葉を交わすがいい」


「はい。失礼いたしました」


 シュミラル=リリンが、俺にやわらかく微笑みかけてくる。

 背中の痛みをこらえながら、俺もシュミラル=リリンに笑い返してみせた。


 そうして俺たちは、熱気渦巻く広場の中で、再び絆を深めることになった。

 さまざまな種類を取りそろえた『ギバ・カレー』に、『カレー・リゾット』や『カレー・ピザ』――あるいは、『ギバ骨ミソラーメン』や『クリスピー・ローストギバ』など、ルウの血族の心尽くしに舌鼓を打ち、その場で居合わせた人々とも大いに語らい、幸福で濃密な時間を過ごすことができた。


 やがて宴もたけなわといったところで、「おーい!」とルド=ルウの声が響きわたる。


「傀儡の劇を始めるってよ! 近くで見たいやつは、こっちに集まりなー!」


 ついに、《森辺のかまど番アスタ》の改良版がお披露目されるのだ。

 場所は、本家の母屋の横手であるらしい。俺たちがそちらに歩を進める道行きで、ラダジッドがいぶかしそうに首を傾げた。


「我々、近づいて、いいのでしょうか?」


「え? どうしてです?」


「周囲、男衆、少ない、思います」


 確かに、舞台へと近づくにつれて、周囲には女衆や幼子の姿が目立つようになっていた。

 しばらくして、アイ=ファが「ああ」と声をあげる。


「男衆は、女衆よりも遠くを見通すことがかなう。また、女衆のほうが身体が小さいため、場所を譲っているのであろう」


「では、我々、遠慮すべきでしょうか?」


「いや。東の民は、狩人ほどの眼力を有しておるまい。それにこの劇は、《銀の壺》の人間こそが、しかと見届けるべきであろう」


 ドンダ=ルウも同じように思ったのか、《銀の壺》のメンバーを招集する声が届けられてきた。

 広場のあちこちから、ひょろりとした長身の人影が進み出てくる。俺が知る限り、東の民の男性というのはいずれも180センチを超える長身であるのだ。


「ふん。それでも座っている分には、邪魔にもなるまい。貴様たちは、間近から見届けるがいい」


 舞台の近くにはたくさんの敷物が広げられて、俺とアイ=ファも《銀の壺》の団員たちともにかぶりつきで鑑賞することが許された。

 ジバ婆さんやミーア・レイ母さんたちも、遠からぬ位置に座している。サティ・レイ=ルウやアマ・ミン=ルティムも、姿を現したようだ。

 そんな中、舞台の手前に出てきたリコがお行儀よくおじぎをした。


「本日は素晴らしい祝宴に招いていただき、心より感謝しています。どうかひととき、わたしたちの芸をお楽しみください」


 ベルトンも不愛想な表情を保持しつつ、帽子を取って一礼した。

 歓声と拍手の中、《森辺のかまど番アスタ》の公演が開始される。


 序盤は、これまでと同様の内容である。

 しかしリコたちは、回数を重ねるごとに、劇のクオリティを向上させていた。どこがどうとは言えないのだが、ちょっとした節回しだとか傀儡の動かし方などが、いっそうこなれてきたように感じられるのだ。


 俺やアイ=ファや数々の登場人物たちが、まるで生あるものであるかのように、舞台を跳ね回っている。背景はずっと木目の板1枚であるのに、時にはファの家が、時には木々に囲まれた森辺の集落が、そこに現出したかのような感覚に見舞われる。そこで確かな生を送っているのが自分自身であるというのが、なんとも不可思議な心地であった。


 そして、最初の幕の中盤あたり――俺が屋台の商売を開始するくだりである。

 そこに南の民の傀儡が登場すると、多くの人々がおおっとどよめいた。


『ギバの肉など、硬くて臭くて食えるものか! こんな屋台はとっとと畳んで、森辺の集落に帰るがいい!』


『いえいえ、そういうわけにはいかないのです。こちらの料理は味見もできますので、よかったら味見をいかがですか?』


 新たな傀儡が導入されたことで、これまでになかったシーンが追加されている。

 それは懐かしい、俺とバランのおやっさんのやりとりであった。


『失礼します。料理、売っていただけますか?』


 しばらくして、東の民の傀儡も登場した。

 髪は黒いが、かつてシュミラル=リリンが演じた役回りである。


『馬鹿か、お前らは? こんな不味い肉に銅貨を出すなど、正気の沙汰とは思えんな!』


『私、同胞、この料理、きわめて美味、言っていました。私、その言葉、確かめたい、思っています』


 リコは建築屋と《銀の壺》の面々に入念な聞き込みをしていたが、もちろん当時のそのままの言葉ではないのだろう。1年以上も前の会話をそこまで細かに覚えていられるはずはないし、また、リコの判断によって適切なアレンジも加えられているはずだ。


 だけどそれは、俺の思い出の中のおやっさんとシュミラル=リリンそのままの姿であった。

 東の民の傀儡はぴくりとも動かずに棒立ちで、南の民の傀儡がそのぶん元気にぴょこぴょこと跳ね回っている。それもまた、東と南の民らしさを誇張する演出であるはずなのに、俺の心象風景とはぴったり重なるのだ。


 やがて、南の建築屋の棟梁は、業を煮やして仲間たちを呼びつける。そこで味見をした南の民たちは、美味いの不味いので大騒ぎだ。その場に傀儡が増やされずとも、リコたちの巧みな演技とナレーションで、わいわいと騒ぐ南の民たちの姿を幻視できた。我関せずで黙々と料理を食する東の民たちも、また然りである。


 そうして翌日には、東と南の一団がそれぞれ屋台に押しかけて、料理の取り合いに発展してしまう。

 俺はもう、大事な宝箱にしまっておいた数々の思い出を、目の前で見せつけられているような気分であった。


(俺たちは、こうやってシュミラル=リリンたちと出会ったんだ)


 俺はこっそり、シュミラル=リリンたちのほうをうかがってみた。

 シュミラル=リリンもラダジッドも、ヴィナ・ルウ=リリンも《銀の壺》の面々も、誰もが昔を懐かしむような眼差しで舞台を見やっている。劇には登場していなくとも、それらの全員がこの思い出を共有しているのだった。


 俺がひそかに胸を揺さぶられている間に、屋台のくだりは終了し、家長会議の騒動を経て、最初の幕が閉められる。

 そうして衣装換えののち、次なる幕が開かれたわけであるが――そちらにもワンシーンだけ、新たな傀儡たちの出番が追加されていた。

 テイ=スンが処断された後、俺がリフレイアにさらわれるまでの間に、東と南の民との別れが描かれていたのだ。


 時間にすれば、1分にも満たないシーンである。

 南の建築屋とも東の商団とも、それぞれ餞別の品を贈り合って、無事な再会を約束する。物語の本筋とは関わりのない、多くの観客にとっては息継ぎのようなシーンであるのだろう。


 しかしそれも、俺たちにとっては大事な思い出であった。

 劇の中では描かれない、さまざまな出来事が脳裏をよぎっていく。あの日、俺たちはジーダからの襲撃を受け、シン=ルウが手傷を負い、サンジュラに手助けされて――その末に、《銀の壺》との別れを果たしたのだった。


 昼下がりの陽光の下、シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンが見つめ合っている姿を、俺は今でもはっきりと覚えている。

 あの頃のふたりは、どちらも不安そうな眼差しをしていた。神と故郷を捨てるという決断を下したシュミラル=リリンでさえ、その瞳にはどこか陰りが――自分の行いがヴィナ・ルウ=リリンを苦しめてしまうのではないかという、そんな思いを微かに漂わせていたのだ。


「私、ヴィナ=ルウ――愛しています」


 シュミラル=リリンは、どれだけの覚悟でもって、あの言葉を口にしたのだろう。

 当時は今よりも遥かに閉鎖的であった森辺の民の女衆に、異国の民である自分を受け入れてもらうことはかなうのか。そんな先の読めない不安に苛まれながら、シュミラル=リリンはその言葉を発していたはずであった。


(しかもそのまま、半年間も離ればなれだなんて……俺には絶対に耐えられないだろう)


 それでもシュミラル=リリンは約束を果たし、猟犬を携えてジェノスに戻ってきた。商人に過ぎない自分が森辺の狩人として認められるためにはどうするべきか、その答えをもきっちりと見出して、再び愛する人の前に立ったのである。


 俺はなんだか、思い出の奔流に押し流されてしまいそうな心地であった。

 そんな中、傀儡の劇は粛々と進められて、ついには終わりを迎えることになった。


 始まりのときよりも大きな拍手と歓声が、リコとベルトンを祝福する。

 舞台の裏から現れた両名は、熱気に頬を火照らせながら、頭を下げていた。


「またのちほど、別の劇をお披露目させていただきます。それまでどうぞ、祝宴をお楽しみください」


 リコがよく通る声で宣言すると、人々は満足そうな面持ちで広場に散っていった。

 俺たちはそれぞれの思いを抱きながら、リコたちのほうに近づいていく。


「お疲れ様でした。劇、素晴らしかったです」


 まずは《銀の壺》の代表として、ラダジッドがそう言った。

 リコは心から嬉しそうに、「ありがとうございます」と一礼する。


「わたしなりに力を尽くしたつもりではあるのですが、どこか至らない点などはなかったでしょうか? どのように些細なことでも、お聞かせ願えたらありがたく思います」


「いえ。不満、わずかも、存在しません。あなたがた、力量、感服するばかりです」


 そのように答えてから、ラダジッドは団員たちを見回していった。

 もちろん、不満の声をあげる者などいようはずもない。ただ、もっとも年若き団員が、ちょっとおずおずとした様子で進み出た。


「私、西の言葉、不自由です。西の言葉、もっと……もっと、学べば、もっと、素晴らしい、感じるです。西の言葉、不自由、口惜しい、思うです」


「ありがとうございます。わたしが東の言葉を扱えればよかったのですが……こちらこそ、口惜しく思います」


 そんな風に答えてから、リコは俺にも向きなおってきた。


「アスタは、如何でしたか? どうぞご遠慮のない感想をお願いいたします」


「いや、申し分ない出来栄えだったよ。特に、ふたつめの幕でまで新しい場面が追加されていたのは、驚かされたし嬉しかった。俺にとっても、あれは大事な出来事だったからさ」


「ありがとうございます。アスタの輝ける生を正しく表せるように、今後も励みたく思います」


「……俺の輝ける生、か。俺なんて、本当にそんな大層な人間じゃないんだけどね」


「何を言っておられるのですか! アスタのように特別な生を生きているお人は、そうそう存在しないはずです!」


「うん。俺も自分の人生には満足しているし、誇りにも思っているけれど……」


 俺は、胸に去来した思いをそのまま伝えることにした。


「……でも、思うんだよね。俺はたまたま来歴が特殊だったから、人目を集めるような人生に見えてしまうんだろうけれど、この世の人間っていうのは全員が主人公だと思うんだ」


「全員が、主人公?」


「うん。リコだって、ベルトンだって、ヴァン=デイロだって……ああ、ヴァン=デイロは吟遊詩人に歌にされておられるのですよね。それなら、俺の言葉を理解していただけるのではないでしょうか? たとえば、リコたちの劇で扱われている森辺の騒動だって、他の人間からの視点だったら、また別の輝きを持つ物語になると思うんだ。アイ=ファや、ドンダ=ルウや、カミュア=ヨシュや……それに、立場のまったく異なる宿場町の人たちや、城下町の貴族たちや……まるきり正反対の立場であったスン家の人たちだって、そうさ。人間にとって、自分の人生の主人公は自分であるはずなんだからね」


 それはおそらく、シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンの運命に思いを馳せていたことから、浮かんだ連想であるのだろう。

《森辺のかまど番アスタ》の中で、ふたりの運命が綴られることはなかった。だけどふたりは、俺だって味わったことのないような運命の変転に翻弄されていたはずであるのだ。


 しかし、《森辺のかまど番アスタ》の中に、そのようなエピソードまで盛り込むことはできない。それはきっと、俺ではなくシュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンの物語であるからだ。

 ふたりは決して、脇役などではない。輝ける人生を生きる、主人公であるのだ。しかし、そこにスポットを当ててしまったら、この物語の主人公である「アスタ」の輝きがかき消されてしまうから、同じ劇中では取り扱うことができないのだろう。


「だからこそ、俺なんかを主人公に選んでくれたことを光栄に思っているよ。どうもありがとう、リコ。それに、ベルトンもね」


「いえ……アスタにそのように言っていただけたら、わたしのほうこそ光栄です」


 リコはなんだか、泣きそうな顔で笑っていた。


「アスタのお言葉は、わたしにも理解できたように思います。でも……きっと、わたしにとっての主人公は、アスタであるのです。アスタと出会い、絆を深められたことを、わたしは心から嬉しく思っています」


「ありがとう。俺もリコたちと出会えたことを、心から嬉しく思っているよ」


 俺はリコに笑いかけてから、シュミラル=リリンのほうを振り返った。

 シュミラル=リリンは、俺の心情をすべて見越しているかのように、優しく微笑んでくれていた。

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[良い点] リコには是非シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンのスピンオフをw
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