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異世界料理道  作者: EDA
第五十章 新たな出会いとしばしの別れ
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銀の月の十六日③~かまど巡り~

2020.3/21 更新分 1/1

『焼きカレーうどん』を食したのち、俺たちはまずドンダ=ルウにあらためて挨拶をさせていただくことにした。

 本家の前に敷かれた敷物の上で、見慣れた面々が待ちかまえている。ドンダ=ルウ、ジザ=ルウ、ジバ婆さん、ティト・ミン婆さん――それに、ギラン=リリンやムファの家長なども加わり、《銀の壺》の団員も2名ほど控えていた。その片方は、星読みを得意にする初老の団員だ。


「族長ドンダ=ルウ、今宵、祝宴、招待いただき、感謝しています」


 ラダジッドが指先を奇妙な形に組み合わせながら一礼すると、ドンダ=ルウは「ふん」と鼻を鳴らして果実酒をあおった。


「自由に過ごせと言いつけたのに、また挨拶に出向いてきたのか? 礼など、1度で十分だ」


「それだけ、感謝しているのです」と、シュミラル=リリンは手を下げたまま一礼する。


「今宵、忘れられぬ、一夜、なるでしょう。ドンダ=ルウ、はからい、心より、感謝しています」


「感謝感謝となんべんも繰り返されては、ありがたみも失せてしまうわ」


 ドンダ=ルウはその場で座りなおすと、底光する目でシュミラル=リリンをねめつけた。


「貴様がこの半年で魂を穢すようなことになれば、再び血族として迎え入れることもできなくなる。そのつもりで、半年の時間を過ごすことだ」


「はい。わきまえています」


 シュミラル=リリンはその言葉を噛みしめるように、ぐっと握った拳を胸もとにあてがった。

 すると、そのかたわらからヴィナ・ルウ=リリンが「もう……」と顔を出す。


「そんなに心配しなくったって、シュミラルは大丈夫よぉ……森辺の民になる前から、シュミラルの魂は穢れたりしていなかったでしょう……?」


「どうだかな」と、ドンダ=ルウは再び果実酒を口にする。

 それを見つめるヴィナ・ルウ=リリンは、ちょっと困っているような、それでいてとても幸福そうな眼差しになっていた。


(もしかしたらドンダ=ルウは、ヴィナ・ルウ=リリンの気持ちを思いやって、シュミラル=リリンに厳しい言葉をかけているのかな)


 言うまでもなく、森辺の民が半年もの時間を外界で過ごすというのは、かつてなかったことだ。よってヴィナ・ルウ=リリンはこの森辺において、愛する伴侶と半年も離れて暮らすという苦しさを、初めて味わう人間となるのだった。


 ドンダ=ルウはこのような気性と外見をしているが、家族に対しては並々ならぬ情愛を抱いているのだと、俺はそのように信じている。そんなドンダ=ルウであれば、ヴィナ・ルウ=リリンのことを心配にならないはずがなかった。


(それがわかっているから、ヴィナ・ルウ=リリンはこんなに幸福そうな眼差しになっているんじゃなかろうか)


 俺がそんな風に考えていると、ジバ婆さんが声をあげた。


「どうか元気にねえ、シュミラル=リリン……あんたたちが無事に戻ってくる日を、ヴィナと一緒に待っているからさあ……」


「はい。ありがとうございます」


 シュミラル=リリンは敷物に膝をつき、同じ目線の高さでジバ婆さんを見つめ返した。

 ジバ婆さんの瞳には、とても透き通った光が浮かべられている。それを見返すシュミラル=リリンの瞳には、最長老に対する敬意と情愛がくるめいているように感じられた。


「必ず、魂、穢すことなく、戻ります。そして、最長老、再び、まみえるとき、楽しみ、しています」


「ふふ……あたしはこんなに老いぼれちまったけど、もう思い残すことはないなんて言葉は、なかなか口にできないみたいだねえ……」


 ジバ婆さんは枯れ枝のように細い指先をのばして、シュミラル=リリンの肩にそっと触れた。


「あんたとヴィナが再びまみえる日を、この目で見届けたく思っているよ……気をつけて行っておいで……」


「はい」と、シュミラル=リリンは微笑をこぼした。

 そこで、ギラン=リリンが大らかな笑い声をあげる。


「さ、祝宴は始まったばかりであるのだぞ、シュミラルよ。別れの挨拶を述べたてるには、まだまだ早かろうよ。お前こそ思い残すことのないように、ぞんぶんにギバ料理を腹に収めていくがいい」


「承知しました」と、シュミラル=リリンは立ち上がる。

 そうして俺たちは本家の前を離れて、手近なかまどに向かうことになった。


「……アスタよ。今にも涙をこぼしそうな目つきになっているぞ」


 と、その道行きで、アイ=ファが囁きかけてくる。

「そんなことはないよ」と、俺は笑ってみせた。


「ギラン=リリンの言う通り、宴は始まったばかりなんだからな。こんなところで泣いてたら、宴が終わる頃には干からびちゃうよ」


「……宴の終わり際にはぞんぶんに涙をこぼそうという心づもりではなかろうな?」


「そんなつもりはないけれど、すべては母なる森のお導きさ」


「軽々しく母なる森を持ち出すな。とにかく、うかうかと涙をこぼすのではないぞ」


 アイ=ファもシュミラル=リリンとは確かな絆を深めていたが、さすがにこの夜に涙をこぼすことにはならないだろう。アイ=ファが人との別れで涙をこぼしたのは――5日前の、あの1度きりであったのだ。


 そんな風に考えたとき、俺の頬を温かいものが伝った。

 とたんにアイ=ファが、怖い顔を近づけてくる。


「言っているそばから、何をしているのだ。私の言葉を聞いていなかったのか?」


「いや、違うんだよ。これはうっかり、アイ=ファの泣き顔を思い出しちゃったからで……」


 アイ=ファは同じ表情のまま顔を赤らめると、両手で俺の頭をわしゃわしゃとかき回してきた。

 それに気づいたヴィナ・ルウ=リリンが、くすくすと笑い声をあげる。


「アスタとアイ=ファは、相変わらずねぇ……ほら、いい香りが近づいてきたわよぉ……?」


 本日この広場では、あちこちからカレーの香りがたちのぼっている。そのおかげで、俺の鼻はいささか麻痺しつつあったのだが、確かにカレーの香りがいっそう濃厚になったように感じられた。


 最初のかまどで待ちかまえていたのは、レイナ=ルウである。

 ミンやマァムの女衆らとともに、汁物料理を配っている。俺たちが近づいていくと、レイナ=ルウはにこやかに微笑んだ。


「お待ちしていましたよ、シュミラル=リリンにラダジッド。どうぞ、こちらの料理もお召し上がりください」


「はい。ありがとうございます」


 ルウ家においても銀の月を迎えてからは、カレー料理のアレンジに注力をしていた。これはその中のひとつ、『ギバ・カレーシチュー』であった。

 もともとルウ家では、汁物料理を得意とするレイナ=ルウとクリームシチューを得意とするリミ=ルウの力が合わさって、きわめてレベルの高いクリームシチューが完成されていた。そこに、カレーを添加した料理となる。


 カレーの素は香草の比率を試行錯誤して、辛みを控え目にされている。もともと日本式のカレーとシチューは似た部分が多いので、辛みが強調されると通常のカレーとの差異がぼやけてしまうためである。

 俺も先日に味見をさせていただいたが、こちらの『ギバ・カレーシチュー』はクリームシチューのまろやかな風味を確かに残しつつ、立派なカレー料理として成立していた。


「これは……味、不思議です。辛さ、感じませんが、まぎれもなく、カレー、風味です」


 シュミラル=リリンが驚きの声をあげると、ヴィナ・ルウ=リリンも「本当ねぇ……」とうっとり目を細めた。


「なんだか、すごく優しい味……これだったら、どんな幼子でも食べられるのじゃないかしら……?」


「はい。そして、大人でも、不満、ないでしょう。素晴らしい料理、思います」


「リリンの下の子にも食べさせてあげたいわぁ……これって、わたしでも作れるような料理なのかしら……」


「きっと大丈夫だよ」と、レイナ=ルウはいっそう嬉しそうに微笑んだ。

 姉に甘える妹としての表情が、ほのかに垣間見えているようである。


「ヴィナ姉だって、くりーむしちゅーは作れるでしょ? 香草の配分については書き留めてあるから、あとで書き写してあげるね」


「ありがとう……あなたは自慢の妹よ……」


 レイナ=ルウは「えへへ」と笑ってから、ちょっと恥ずかしそうに俺やアイ=ファを見やってきた。


「アイ=ファは、如何ですか? アスタには以前、味見をお願いしましたが、アイ=ファは初めてのはずですよね?」


「うむ。私はいささか辛みを苦手にしているので、この料理はきわめて美味であるように思える」


 そんな風に答えてから、アイ=ファはきろりと俺を見やってきた。


「……べつだん、お前のぎばかれーに文句をつけているわけではないぞ?」


「わかってるって」と、俺は笑い返してみせた。

 確かにアイ=ファは強い辛みを苦手にしているが、中辛ぐらいのカレーであれば、難なく口にできるのだ。ただ、超甘口に分類されるであろうこの『ギバ・カレーシチュー』も、アイ=ファの琴線に触れたようであった。


「ラダジッドは、如何です? 東の方々には、いささか物足りなく感じられてしまうでしょうか?」


 レイナ=ルウの問いかけに、ラダジッドは「いえ」と首を横に振った。


「我々、辛み、好みますが、辛み、存在しない料理、嫌っていません。こちら、カレー、豊かな風味、感じられますので、通常のカレー、変わらぬぐらい、美味、思います」


「それなら、よかったです」と、レイナ=ルウはまた微笑んだ。他の女衆らも、みんな嬉しそうな笑顔である。


「今日は色々なかれー料理を取りそろえていますので、どうぞごゆっくりお楽しみください。あとでご感想を聞かせていただけたら、嬉しく思います」


「はい、必ず」


 俺たちは空になった木皿を返し、次なるかまどに向かうことにした。

 こちらは、人だかりができている。『ギバ・カレーシチュー』よりも回転の悪い料理であるのだろう。しかし俺たちが近づいていくと、『焼きカレーうどん』のときと同じように、人々が順番を譲ってくれた。


「おお、シュミラル=リリンに東の客人か。さあ、好きなだけ食っていくがいい」


「うむ。これを食わずに森辺を離れては、ずっと悔いが残されてしまうであろうからな!」


 その場には、男衆の姿が多いようだった。

 それらの人々に御礼の挨拶を返しつつ、シュミラル=リリンを先頭にしてかまどに近づいていくと、じゅうじゅうという小気味のいい音色が聞こえてくる。そこでは、『ギバ・カツ』が調理されていたのだ。


「おお、アスタにアイ=ファではないか! そうか、お前たちがシュミラル=リリンらと連れ立っていたのだな!」


 と、何故かかまどの向こう側には、ラウ=レイが立ちはだかっていた。調理に励んでいるのは、ウル・レイ=リリンやリリンの女衆らである。


「ウル・レイ、こちらだったのですね」


 シュミラル=リリンが微笑みかけると、ウル・レイ=リリンも「ええ」と微笑んだ。妖精のように透明感のある微笑である。


「ちょうど今、新しい分が仕上がったところです。よければ、食べていってください」


 鉄網の上で油を切られていた『ギバ・カツ』が、ゴヌモキの葉の上で切り分けられていく。

 そして同じ台の上には、いくつかの深皿が置かれていた。ウスターソースやシールの実の搾り汁など、後掛けの調味料が準備されていたのだ。それに大皿には、ティノの千切りが山と積まれている。


「そちらはルウの女衆に手ほどきをされてこしらえた、おろしタウ油という調味料です。シィマのすりおろしごと掛けて食すると、美味ですね」


「ありがとうございます。心、躍ります」


 ラダジッドは平皿に取り分けられた『ギバ・カツ』におろしタウ油を掛け、ティノの千切りも添えてから、身を引いた。

 俺たちもそれにならって、もともと並んでいた人々に場所を譲る。ただ、せっかくウル・レイ=リリンがいるのだからと、かまどの裏側に回り込んで、その心尽くしを食させていただくことにした。


「ああ、やはり、美味です」と、ラダジッドが真っ先に言いたてる。


「前回、祝宴でも、食しましたが、この料理、きわめて美味、思います」


「ええ。『ギバの揚げ焼き』だったら屋台でも頻繁に扱っていますが、やはり本格的な『ギバ・カツ』にはかないません」


 ギバのラードを惜しみなく使われた『ギバ・カツ』は、やはり文句なしの美味しさであった。俺たちが口々にそう評すると、ウル・レイ=リリンはやわらかく微笑む。


「ありがとうございます。ルウ家では目新しいかれーの料理をいくつも準備するつもりだと聞いたので、わたしどもはぎばかつを受け持つことになったのですけれど……ヴィナ・ルウ、力を尽くした甲斐がありましたね」


「わたしなんて、肉を叩いたりティノを刻んだりしただけよぉ……面倒な仕事をすべて押しつけてしまって、申し訳なく思っているわぁ……」


「いえ。今日のあなたには、伴侶のかたわらにあるのがもっとも大事な役割であるはずです」


 ウル・レイ=リリンは少しつかみどころのない女衆であるが、ヴィナ・ルウ=リリンにとっては同じ家に住む家人である。静かに微笑み合うその姿からは、家族らしい和やかな空気が感じられた。


「で、ラウ=レイはこんなところで何をしているのかな?」


 俺が水を向けると、果実酒の土瓶を傾けていたラウ=レイは「うむ?」と首をひねった。


「俺もぶらぶらと、かまどを巡っていたところだ。ぎばかつはとっくにたいらげてしまったが、ウル・レイ=リリンと語らうのもひさびさだったので、ちょっと足を止めていただけだぞ」


「ひとりでかまどを巡っていたのかい? やっぱりそれは、珍しいように思えるね」


「しかたがないではないか。ヤミルの周りには、俺の姉たちが集まってしまっているからな」


 と、ラウ=レイは仏頂面で腕を組んだ。


「あいつらは、俺とヤミルがいつ婚儀をあげるのかと、やたらと聞きほじってくるのだ。俺はべつだんかまいもしないが、ヤミルは気にしてしまうようでな。頼むから、かまど仕事が終わるまでは近づかないでほしいと願われてしまった。……ヤミルにああまで願われては、俺も聞き入れるしかあるまい」


「ああ、なるほど……確かにラウ=レイのお姉さんがたは、なかなかに遠慮がなさそうだもんねえ」


「家族や血族に遠慮をする必要はないが、あいつらはとにかくやかましいからな。幼子の頃から、ずっとああなのだ」


 そのとき、薄暗がりの向こう側から、小さな人影がちょこちょこと駆け寄ってきた。


「ラウ=レイ! つぎのりょうりをはこんできたよ!」


「おお、待ちかねたぞ! 今度は、なんの料理なのだ?」


「うーんとね……よくわかんない。でも、すっごくおいしかったよ!」


 と、ラウ=レイに木皿を差し出したその幼子が、俺たちの姿に気づいて「あっ!」と飛び上がる。それはウル・レイ=リリンの子たる、リリン本家の長兄であった。


「あなた、働いていたのですね」


 シュミラル=リリンが優しく問いかけると、幼子はちょっともじもじしながら、「うん」とうなずいた。最近祝宴に参加できるようになったばかりの、5歳の幼子である。


「さっきまで、かあさんたちにりょうりをとどけてたよ。これは、ラウ=レイのぶん」


「立派です」とシュミラル=リリンが微笑むと、幼子もはにかむように微笑んだ。


「うむ、こいつも美味いな! まあ、最近の祝宴で不味い料理など口にした覚えもないから、美味いのが当然か!」


 木皿の料理をものの数秒でたいらげてしまったラウ=レイは、幼子の頭を力強くかき回した。


「しかし、お前のように小さな幼子をひとりで駆け回させるのは、いささか危なっかしいな。俺たちも、アスタらと同行させてもらうか」


「え? ううん、ぼくはいかないよ」


 と、幼子は父親似のくっきりとした眉をきゅっと吊り上げた。


「ぼくたちはきのうまで、シュミラルといーっぱいしゃべったから、きょうはほかのひととしゃべるひなの。だから、シュミラルとはいっしょにいかない」


「ほう。同じ家に住む家人であるお前こそ、シュミラル=リリンと語らっておくべきだと思うがな」


「ううん、だいじょうぶ! でも……」


 と、幼子は再びシュミラル=リリンを見つめた。


「いもうととは、しゃべってくれる? いもうとはまだちっちゃいから、もっとシュミラルとしゃべりたいとおもう」


「はい。のちほど、様子、見に行きます」


 シュミラル=リリンがそのように答えると、幼子は嬉しそうに白い歯をこぼした。

 するとラウ=レイが「ふむ!」と鼻息を噴いて、幼子の襟首をひっつかむ。幼子の小さな身体は、片手でラウ=レイの肩の上まで担ぎあげられてしまった。


「お前は、立派だな! さすがはリリンの跡継ぎだ! ならば、俺とふたりでかまどを巡ることにするか!」


「うん。それならいいよ」


 と、幼子はラウ=レイの頭に頬ずりをした。おたがいの母親と同じく、金褐色をした髪である。


「では、こやつはしばし預かるぞ! お前はぞんぶんにかまど仕事に励むがいい、ウル・レイ=リリンよ!」


「はい。よろしくお願いいたします」


 ウル・レイ=リリンのふわりとした笑顔に見送られつつ、ラウ=レイたちは意気揚々と立ち去っていった。

 空になった皿を返しつつ、ラダジッドがウル・レイ=リリンへと向きなおる。


「あなた、名前、レイ、入っているので、そちら、血筋なのですね?」


「はい。わたしはレイの分家の血筋でありました」


「なるほど。髪、瞳、色、同じです。しかし、気性、違うようです」


 それはもちろんラウ=レイばかりでなく、3姉妹や母親も含めての感慨であるのだろう。俺としても、異存はなかった。


 特に印象的であるのは、ラウ=レイの母親との相違である。どちらも金褐色のショートヘアで、水色の瞳をした女衆であり、なおかつ「母」という属性も共通であったためか、いっそうそれ以外の相違が際立ってしまうのだった。


 ウル・レイ=リリンは驚くほどほっそりとしており、妖精のように幻想的な雰囲気を有している。いっぽうラウ=レイの母親はヴィナ・ルウ=リリンに負けないぐらい肉感的なプロポーションで、生命力の塊みたいな女衆だ。また、どちらもきわめて端麗な面立ちをしていたが、その美しさの種類もまるで正反対であるように感じられた。


(共通するのは、どこか風格があるってところかな。ただ、ウル・レイ=リリンの場合は年齢に不似合いなぐらいの風格で、ラウ=レイの母親は年齢相応の風格を持ちながら規格外に若々しい外見ってところが、またややこしいんだけど)


 ウル・レイ=リリンは二児の母であるが、若くしてリリンの家に嫁いだので、おそらくレイ本家の長姉あたりと同世代なのであろうと思われた。


(何にせよ、森辺の民としても個性的で、魅力的なお人たちだよな)


 俺がひとりでそのように納得している間に、ラダジッドとウル・レイ=リリンの会話も終了してしまっていた。

 俺たちも別れの挨拶をして、次なるかまどへと足を踏み出す。

 が、新たなかまどに到着する前に、呼び止められることになった。かまどとかまどの間に椅子や卓が置かれており、そこにルティム本家の人々が陣取っていたのである。


「おお、アスタにアイ=ファにシュミラル=リリンに……それに、ヴィナ・ルウ=リリンと東の客人か! これはなんとも、豪勢な取り合わせだな!」


「どうもどうも。みなさんは、こちらでくつろがれていたのですね」


 これは、先頃の復活祭で買い替えることになった、青空食堂の椅子と卓であった。これらの寿命は1年ていどと聞いていたが、まだまだ焚きつけに使うには忍びないような状態であったので、ルウ家に持ち込まれることとなり、前回の祝宴からこうして活用されているのである。


 椅子も卓もけっこうな数であるので、この場に配置されているのは半分ていどとなる。そこに座しているのは、アマ・ミン=ルティムとゼディアス=ルティムを除くルティム本家の人々と、さまざまな氏族の混成軍、そしてリコたち傀儡使いの一行であった。


「やあ。リコたちも宴を楽しんでいるかな?」


「はい。余興を見せる芸人であるのに、このような席に座らせていただいて、いささか心苦しいところです」


 リコがそのように答えると、ダン=ルティムは「何を言っておるのだ!」と笑い声を響かせた。


「俺たちがこの場に呼びつけたのだから、何も心苦しく思う必要はないぞ! お前さんがたは、楽しい話をたんまり携えておるからな!」


 リコとベルトンは、この世に生まれ落ちたその瞬間から、旅芸人であったのだ。10年以上にも渡って諸国を放浪していれば、話題が尽きないのも当然であった。


 ベルトンは暗緑色の『ナナール・カレー』にひたした焼きポイタンをかじっており、その向かいには笑顔のモルン=ルティムが座している。ディック=ドムはようやく狩人としての仕事を再開できたということで、本日の祝宴は辞退していたのだ。

 それと同じ輪に、《銀の壺》の団員も2名ほど加わっていた。それに気づいたラダジッドが声をかけると、団員の1名がベルトンのほうを指し示す。


「こちら、ジャガルの様子、聞いていました。とても興味深い、思います」


「なるほど。あなたがた、セルヴァのみならず、ジャガル、巡っている、言っていましたね」


 ベルトンは大ぶりの焼きポイタンを呑みくだしてから、「へん」と肩をすくめた。


「そりゃージャガルだったら、言葉にも不自由はねーからな。選り好みをする理由はないだろうよ」


「はい。あなたがた、傀儡の劇、見事なので、シム、家族たち、見せること、できない、残念です」


 そう言って、ラダジッドはわずかに目を細めた。


「本日、この後、傀儡の劇、楽しみです。また、ジェノス、離れても、どこかで巡りあう、期待しています」


「ふん。俺たちがジャガルをうろついてる間は、どうあがいたって出くわす可能性もねーけどな」


 相変わらずの憎まれ口を叩きながら、ベルトンはちょっとそわそわしていた。きっと俺たちがやってくる前から、他の団員たちにも傀儡の劇の見事さを褒めちぎられていたのだろう。彼らは無表情なれども、こちらがしっかりと腰を据えて相対していれば、十分に真情や誠実さを推し量ることが可能であるのだった。


「ベルトンはジャガルに詳しいですし、《銀の壺》の方々はマヒュドラにまで足を踏み入れるというので、本当に興味深い話ばかりです。聞いているだけで、わたしなどは胸が高鳴ってしまいます」


 不愛想なベルトンと無表情の団員たちにはさまれて、モルン=ルティムはそのように言っていた。もしかしたら、彼女が持ち前の明朗さで両者を結びつけたのだろうか。それも、いかにもありそうな話であった。


 そうして彼らが中断されていた会話を再開させると、アイ=ファが奥側の座席へと歩を進めていく。俺たちもそれに追従していくと、そこにも慕わしい人々が待ち受けていた。


「ヴァン=デイロは、ガズラン=ルティムと語らっていたのだな」


 と、アイ=ファが珍しく、自分から声を投げかけた。この年齢で卓越した剣技を有し、リコたちを守るためにその生を捧げたヴァン=デイロのことを、アイ=ファはひそかに敬愛しているのだ。

 寡黙なヴァン=デイロは無言のままひとつうなずき、その代理とばかりにガズラン=ルティムが口を開く。


「さきほどまで、自由開拓民の生活というものについてうかがっていました。とても興味深く思います」


「ああ……ヴァン=デイロは、ドラッゴという場所の生まれであったのだったな」


 アイ=ファはその胸によぎった感情を隠したいかのように、金褐色の睫毛を伏せた。

 俺たちにとって、ドラッゴという地名は耳に新しい。それは聖域の族長会議において、「自由開拓民として古きからの生活に身を置いている、数少ない土地のひとつ」とジェムドに語られていたのである。


 かつてヴァン=デイロはドラッゴの山において、狩人として働いていた。その地にはアルグラの銀獅子が棲息していたため、ヴァン=デイロは卓越した力量を身につけることとなったのだ。ガージェの豹を狩っていたというジーダたちと同様に、それは森辺の民にも劣らない過酷な生であったのだろう。


「……儂も、聖域について興味深く聞かせていただいた。聖域の一族と語らうことのかなったおぬしたちを、いささか羨ましいように思う」


 と、ヴァン=デイロは低い声でそのように語り出した。


「儂は故郷を捨てた身であるが、石の都に馴染むことはかなわなかった。ゆえに、町から町へと渡り歩く《守護人》というものを生業にすることになったわけだが……やはり、森や山で育った人間には、石の都というものが息苦しく感じられるのやもしれんな」


「うむ。町におもむくことを苦痛とは思わぬが、そこで暮らしたいと願う森辺の民はいないように思う」


「そうであろう。むろん、聖域の民ならぬ我々に、精霊の声を聞くことなどはかなわぬのであろうが……吹き抜ける風の音や、木々のざわめきや、大地の声など、そういったものが聞こえぬ場所は、落ち着かぬ。我々は王国の民である前に、誰もが大地の子であるはずなのだ」


 そう言って、ヴァン=デイロはラダジッドのほうに目をやった。


「草原の民たるおぬしたちであれば、同じような心地なのではないだろうか? ジギの草原に、石造りの町は存在すまい?」


「はい。そして、ジギ、鉄、少ないです。よって、鋼、扱う人間、少ないです」


 ラダジッドはまた目を細めて、遠くを透かし見るような眼差しとなった。


「それら、未練でしょうか。我々、王国の民、ありながら、なるべく、文明の恩恵、遠ざけているような……そんな心地、ときおり、抱きます」


「未練が、すなわち悪というわけではあるまい。人間であれば、誰しも未練や後悔を抱えて生きておるものだ」


 ヴァン=デイロは、岩に刻まれた彫像のように、厳しく引き締まった面立ちをしている。

 ただその茶色い瞳には、ひどく柔和な光がたたえられているように感じられた。


「我々は、心のままに生きる他ない。そして、たとえ星読みの技を使ったとしても、すべての行く末を見通すことなどは決してかなわぬのだ。ならば、道を踏みしめるこの一歩が正しいものであるかどうか、それだけを考えて進むしかあるまい」


 ヴァン=デイロがこのように己の心情を語るのは、とても珍しいことであった。

 ジェノスで過ごす時間の中で、何か思うところがあったのか――それは、誰にもわからない。ただ、明日にはジェノスを出立するヴァン=デイロたちとラダジッドたちが、ここでこうして語り合うことになった運命を、俺は祝福したい心地であった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ドンダ、雄山然が板に着いてるな。これで娘たちに子が出来たら更に雄山化が進むのだろうか。
[一言] 「うむ。町におもむくことを苦痛とは思わぬが、そこで暮らしたいと願う森辺の民はいないように思う」 宿屋に婿入りしたいと思ってる男衆が近所に居ましたね。。。
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