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異世界料理道  作者: EDA
第五十章 新たな出会いとしばしの別れ
876/1678

銀の月の十六日②~祝いの料理~

2020.3/20 更新分 1/1

「きょ、今日は5名も手伝ってくださるのですね。ミーア・レイ=ルウには、3名ばかりもお貸しいただけたらありがたい、と告げておいたのですが……」


 料理の準備を始めながら、俺がそのように声をあげると、ひっつめ頭の女衆がぐいっと顔を近づけてきた。


「何さ。なんか文句でも言いたげな顔つきだね。こんな人数じゃ、邪魔くさいとでも言いたいわけ?」


「い、いえ。決してそういうわけではないのですが……」


「やめなさいっての」と、彼女たちの母親である女衆が、娘の頭を軽く引っぱたいた。

 そして、魅力的な笑顔を俺のほうに向けてくる。


「まあ簡単に言っちゃうとね、わたしらはそんなにかまど仕事が得意じゃないもんだから、ふたりで一人前って扱いにしてもらったんだよ。それできっと、こんな人数になっちまったんだろうね」


「そうそう。ヤミルに比べたら、半人前でも足りないぐらいかもしれないけどね」


「あはは。それはヤミル=レイがすごすぎるんだよお。ちょっと見ない間に、レイでも一番のかまど番になっちゃってさあ」


「ほんとだよねー。ま、毎日のようにアスタの仕事を手伝ってたんなら、それも当然なのかもしれないけどさー」


 母親に続いて、3姉妹までもが先を競うように言葉を重ねてくる。

 聞くところによると、赤褐色の髪をした長身の女衆が長姉でレイ本家に居残り、黄褐色の髪をしたふくよかな女衆が次姉でルティム分家の嫁となり、黒褐色の髪をひっつめ頭にした女衆が末妹でミン本家の嫁となったのだそうだ。


 この中で、俺が事前に情報を得ていたのは、長姉についてのみであった。レイ本家の構成は、ラウ=レイを家長として、母親、祖母、長姉、長姉の伴侶、そしてヤミル=レイの6名なのだと聞いている。その他にも家族のいた気配は感じられたが、「みんな家を出た」としか聞いていなかったのだ。


「……ミン本家に嫁入りしたということは、アマ・ミン=ルティムとは同じ家で暮らす間柄だったのでしょうか?」


 俺がそのように尋ねると、末妹は「ううん」とひっつめ頭を横に振った。


「あたしが嫁入りしたのは、本家の次兄だったからさ。あたしと婚儀をあげると同時に、新しい分家を立てることになったんだよねー。だから、アマ・ミン=ルティムはあたしの伴侶の妹だけど、一緒に暮らしたことはないの」


「なるほど」と納得しつつ、俺はふくよかな次姉に向きなおる。


「あなたは、ルティムの分家に嫁入りをされたのですよね。それはもしかしたら、ガズラン=ルティムの弟さんの家なのでしょうか?」


「ううん、違うよお。わたしが嫁入りしたのは、先代家長の妹の家だからねえ。本家の次兄にはずーっと前にルウの女衆が嫁入りして、たくさん子供も産まれてるはずだよお」


 ならばどちらも、俺にとってはニアミスと称したいような血筋であるようだった。アマ・ミン=ルティムの兄の家と、ダン=ルティムの妹の家というのは、近いような遠いような微妙な距離感である。


「で、さっきもちょいと話したけど、あたしらは自分が子を産んだり家人が子を産んだりで、最近は祝宴で顔をそろえる機会が少なったんだよね。今日がひさびさの勢ぞろいってわけさ」


 長姉が、そのように説明をしてくれた。

 自分が子を産んだというのは、どうやら次姉であるらしい。長姉と末妹と母親は、それぞれ分家に産まれた赤子の世話をするために、しばらく祝宴から遠ざかっていたのだそうだ。


 ただし、次姉が産んだのはふたり目の子であり、長姉や末妹もすでにひとりの幼子を抱える身であるのだという。子供を産んでもこの元気さなのかと、俺はこっそり感心することになってしまった。


「そんなわけで、かまど仕事の手ほどきを受ける機会も、他の女衆よりは少なかったのさ。特にうちにはヤミルがいてくれたから、ついついまかせきりにしちゃったんだよね」


 ラウ=レイとそっくりの顔で笑いながら、母親がそのように言い継いだ。


「まあ、腕が足りない分は、気持ちで補うからさ。なんでも、好きに言いつけておくれよ。……あんたたちのために、とびっきりの宴料理を準備しないとね」


「あんたたち」とは、もちろん壁際に控えているラダジッドたちのことである。

 ラダジッドは静かな面持ちで、「恐縮です」と目礼をした。そちらを横目で眺めつつ、末妹が「ふーん」と顎をしゃくる。


「あんたらって、ほんとに表情を動かさないんだね。そんなんで、不便しない?」


「はい。不便、感じません。……ただ、相手の方々、不便、感じているかもしれません」


「そりゃーまあ、何を考えてるのかはっきり顔に出してくれたほうが、こっちはやりやすいよね」


 そんな風に言ってから、末妹はにっと白い歯をこぼした。


「でも、族長らが友と認めたってんなら、悪い人間ではないんだろうさ。そんでもって、シュミラル=リリンの同胞ってことは、あたしらにとっても血族みたいなもんなんだから、仲良くやるしか道はないってこった」


「はい。お言葉、ありがたい、思います」


 ラダジッドたちが3姉妹の圧力にめげている様子はなかったので、俺は安堵の息をつくことになった。


「それじゃあ、調理を始めましょう。えーと……ヤミル=レイ、カレーの準備をお願いできますか? 香草はもう乾煎りまで済ませてありますので」


 ヤミル=レイは、無言でアリアを刻み始めた。

 常になく静かな様子であるので、「大丈夫ですか?」と囁きかけてみると、いくぶん疲れのにじんだ切れ長の目で俺を見やってくる。


「あんまり大丈夫ではないわね。言うまでもないだろうけれど、わたしはこの姉妹たちが苦手であるのよ」


 するとたちまち、末妹が「あーっ!」とけたたましい声をあげた。


「何をこそこそ内緒話なんてしてるのさ! あたしらの悪口でも言い合ってるんじゃないだろうね!」


「そうだよ。それに、婚儀もあげてない人間同士がそんな風に身を寄せあうのは、感心しないね」


「あはは。ラウが見たら、怒っちゃうもんねえ」


 長姉と次姉もすかさず言葉を重ねてきて、ヤミル=レイに溜め息をつかせた。

 母親は、くびれた腰に両手をあてつつ、苦笑している。


「アスタ、わたしらにも仕事を割り振ってもらえるかい? 放っておいたら、この娘らは騒がしくなるいっぽうなんでね」


「しょ、承知しました。それではみなさんには、野菜の準備をお願いしますね。ヤミル=レイの手伝いは……あなたにお願いできますか?」


「了解だよ。さ、あんたたち、思うぞんぶん、働きな」


 さすがは母親の貫禄で、3姉妹たちもてきぱきと動き始めてくれた。

 だけどやっぱり、彼女が母親であるというのは驚きだ。3姉妹の産んだ4名の子供たちにとって、彼女は祖母にあたるわけなのである。このように若々しい祖母というものを目にしたのは、俺にとっても初めてのことであった。


(まあ、森辺では婚儀をあげるのも早いからな。40前後で孫を迎えるのも珍しくはないわけか)


 実際に、ドンダ=ルウやミーア・レイ母さんはその年頃で孫のコタ=ルウを授かっている。アイム=フォウという孫を持つバードゥ=フォウやその伴侶も、ゼディアス=ルティムという孫を持つダン=ルティムだって、おおよそは同世代であるはずだ。

 が、そういった人々を思い浮かべることによって、ますますこの人物の特異さが際立ってしまった。その中で、彼女だけがずばぬけて若々しく見えてしまうのである。


(すごく貫禄があるから、そういう意味では年齢相応なんだけど……20代の外見に、40代の風格が備わってるって感じなんだよな)


 俺がそのように考えていると、向い合わせで働いていた当人が、笑いを含んだ視線を突きつけてきた。


「さすがアスタは、器用なんだね。ちらちら人の顔を見やりながら、手もとはまったく危なげもないじゃないか」


「あ、いえ、その……ぶしつけな真似をしてしまい、申し訳ありません」


 虚言は罪なので、俺は正直に謝罪をしてみせた。

 すると彼女は、いっそう愉快そうに口の端を上げる。


「何も謝る必要はないさ。でも、そんなにわたしの顔が珍しいのかい?」


「ええ、まあ……本当にラウ=レイと似ておられますよね」


 そこは虚言にならぬていどに、ちょっぴり言葉を飾らせていただいた。女性に対して年齢がどうのと言いたてるのは、あまりに気が引けたためである。


「わたしはあんなに小生意気な面がまえをしているかい? ま、髪や瞳の色なんかは、ラウだけが受け継いだみたいだけどね。娘らは、あたしや伴侶の親の色を受け継いだみたいでさ」


「ああ、ラウ=レイの父親は真っ赤な髪であったそうですね」


 そういえば、3姉妹の髪は金褐色でも赤色でもない。かろうじて、長姉が赤みがかった髪をしているばかりである。森辺でも多く例が見られるように、隔世遺伝というやつが発現したのだろう。

 俺がそのように考えていると、ラウ=レイの母親はきょとんとした顔で俺を見つめてきた。


「どうしてあんたが、あたしの伴侶の髪の色なんざを知ってるんだい? あんたが森辺にやってきたとき、伴侶はとっくに魂を返してたはずだよね?」


「あ、それはラウ=レイから聞きました。血族の力比べで勇者になるほどの狩人であられたそうですね」


 すると背後から、また「えーっ!」という大きな声が聞こえてくる。そちらの作業台で野菜を刻んでいた末妹である。


「あいつ、あたしらのことはなーんにも語らないくせに、父さんのことは語ってたの? なんか、ひどくない?」


「あはは。しかたないよお。ラウは、男衆だもん」


「まあ、そうだね。狩人にとって、やっぱり父親ってのは特別な存在なんだよ」


 幸いなことに、今回は長姉と次姉も末妹をなだめる側に回ってくれた。

 そんな娘たちの言葉を聞きながら、母親は「そっか」と口をほころばせる。


「あいつが血族でもない人間に、父親の話をするとは思ってなかったよ。……やっぱりあんたは、ラウにとっていい友みたいだね。これからも、あいつのことをよろしくお願いするよ」


「もちろんです」と、俺も笑顔を返してみせた。

 ラウ=レイは、俺にとってかけがえのない友であるのだ。この女性が、そんなラウ=レイの母親であるという実感が、じわじわとわきあがってくる。ラウ=レイに対する慈愛があふれたその笑顔は、これまでで一番魅力的であるように感じられてならなかった。


「ところでさ、モルガの山ってどんなところだったんだい?」


 ふいにそのようなことを尋ねてきたのは、長身の長姉であった。


「ラウのやつが一緒に行けなかったって、すごくぼやいてたんだけど。そんなに楽しい場所だったの?」


「楽しいとか楽しくないとか、そういう話ではなかったのですが……でも、結果的には楽しかったですね。聖域の民というのは、誰もが魅力的で、誰もが信頼に足る存在であったと思います」


「……我々、興味深い、思います」


 ラダジッドもそのように言ってくれたので、俺は聖域について語ることになった。

 入山するための奇妙な習わしに、その最果てで待ち受けていた赤き民と、ヴァルブの狼と、マダラマの大蛇の族長たち――青白く輝く星の苔に、緊迫感に満ちた族長会議の様子――そして、熱気の渦巻く聖域の晩餐――すべてを語るには時間が足りなかったので、要所要所をかいつまむこととなったが、それでも一同は大きな感銘にとらわれているようだった。


「ふうん。本家の人たちにもちょろっと聞いてたけど、やっぱりすごいところだったんだねえ」


 鉄鍋にて具材を炒める作業に移行しながら、次姉がそのように言いたてた。この中で、彼女だけは同じ集落の家人――つまりはガズラン=ルティムやダン=ルティムから、多少なりとも話を聞く機会があったのだ。

 基本的に、聖域においての詳細については、ザザとサウティにしか周知されていない。他の氏族には、「無事に収束した」という事実だけが連絡網で回されていたのだ。


 しかしドンダ=ルウは、いずれ家長会議において、すべての氏族に詳細を知らしめるべきだと主張していた。

 その中には、ジェムドを通してフェルメスが伝えた言葉も含まれている。その内容こそ、すべての民が共有するべきだと、ドンダ=ルウはそのように考えたのだ。


 また、ジェノス城においては、レイリスの口からその内容が伝えられているのだろう。聖域の民と王国の民は、いずれ手を取り合うべきである――というその言葉は、聖域のかたわらに住まうジェノスの人々も知っておくべきであるはずだった。


「興味深いです。きわめて、興味深いです」


 ラダジッドは、そのように繰り返した。

 その細長い顔が普段よりも引き締まっているように感じられるのは、きっと懸命に感情を抑制した結果であるのだろう。


「やはり、この大地、魔力、蘇るのでしょうか。私、長年、疑問でした」


「なるほど。魔力が蘇らない可能性というものも考えておられたのですね」


「はい。むしろ、王国において、魔力、蘇る、考える人間、少ない、思います。特に、シム、除く、王国は……蘇らないこと、望んでいる、思います」


「え? どうしてですか?」


「むろん、魔術の文明、復興すれば、王国の文明、脅かされる、考えているためです。聖域、鋼、不浄であるように、王国、魔術、不浄であるのです」


 俺は、胸が引き攣るような痛みを覚えてしまった。

 そこに、穏やかな声が響く。星読みを得意とする、初老の団員の声である。


「しかし、魔力の復活、大神の意思です。人間、思惑、関わり、ありません。王国の民、どのように、思おうとも、魔力、蘇るでしょう」


「魔力、蘇りますか?」


「蘇ります。胎動、すでに、始まっているはずです」


 あくまでも穏やかに、初老の団員はそのように言いつのった。


「私、齢、重ねるごと、星読みの技、冴えわたっています。星読み、魔力、必要ない、されていますが……しかし、魔術です。大地、魔力、高まれば、星読みの技、冴えわたる、道理です」


「はい。ジェムドというお人も、大地の魔力は蘇りつつある、と言っていました」


 勢い込んで、俺がそのように言いたてると、初老の団員は微笑でも浮かべているような眼差しとなった。


「魔力、蘇りつつ、あります。大神、いずれ、目覚めます。そのとき、ジェムド、言葉、大きな救い、なるのでしょう。我々、争うことなく、手、取り合うべきです」


「……はい。俺もそのように思います」


 俺が大きく息をつくと、ラウ=レイの母親が目を細めて微笑んだ。


「わたしにはよくわからないけど、あんたにとってはずいぶんな大ごとみたいだね、アスタ。あんたの願う通りの行く末が訪れるように、わたしも森に祈っておくことにするよ」


「はい。ありがとうございます」


 俺が心からの笑みを浮かべてみせると、彼女は「あら」と含み笑いをした。


「あんた、いい顔で笑うんだね。ラウやヤミルが夢中になる気持ちがわかってきたよ」


「ちょっと。わたしと家長を一緒くたにしないでもらえるかしら?」


「でも、あんただってアスタにしっかり心をつかまれてるでしょ?」


 母親は、屈託なくヤミル=レイに笑いかけた。


「この前なんて、わたしらをほったらかしでファの家に押しかけてたもんね。迷惑そうな顔をしながら、あんたもラウと同じぐらい楽しんでたんでしょ?」


「本当だよ。あたしらは分家の赤子の面倒でてんてこ舞いだったってのにさ!」


 長姉も横から口をはさむと、ヤミル=レイは本日何度目かの溜め息をつくことになった。

 きっとレイの家ではここにラウ=レイも加わって、さぞかし賑やかな日々が送られているのだろう。あまり生活感をにじませることのないヤミル=レイの新たな一面が垣間見えたようで、俺はとても満ち足りた心地であった。


 ラダジッドたちも、聖域に対する感慨を落ち着かせた様子で、そんな彼女たちの姿を見守っている。最初はいささか心配であったが、これも森辺の日常の大事なワンシーンであるはずだった。


 本日は、《銀の壺》とルウの血族が絆を深めるための祝宴であるのだ。

 その前哨戦として、意外に彼女たちは適役であったのかもしれない。けたたましい3姉妹に、不愛想なヤミル=レイに、不思議な風格を持つラウ=レイの母親――気性はそれぞれであったものの、彼女たちには血族としての確かな絆を感ずることができた。


(次に再会できるのは、半年後になっちゃうけど……ラダジッドたちが、こんな個性的な面々を見忘れることはないだろう)


 この調子で、さまざまな人たちと絆を結んでいってほしい。

 そのように願いながら、俺は作業を進めることにした。


                    ◇


 そうして時間が経つにつれ、広場のほうはどんどん賑やかになっていった。

 森に出ていた狩人たちが帰還して、ルウの集落へとやってきたのだ。おおよその女衆は昼からかまど仕事に取り組んでいたが、幼子や老人などは男衆の帰りを待って、ともに訪れてきたはずであった。


 夕刻に差しかかると、アイ=ファやリコたちも集落にやってきた。まだまだファの狩り場では森の恵みも回復しきっておらず、ギバの数も少ないはずであったが、アイ=ファは本日も収獲をあげたとのことである。それらの始末をつけてから、ファの家で待機をしていたリコたちとともにやってきたのだ。


「あー、あんたがファの女狩人か! 近くで見ると、本当に綺麗なんだね!」


「うんうん。ヤミル=レイと出会う前は、ラウもアイ=ファのことを褒めちぎってたもんねえ」


「ヤミル=レイが来てからも、しばらくは騒いでなかったっけ? 嫁にできないのが残念だーとか何とかさ!」


 かくしてアイ=ファも3姉妹の洗礼を受けることになったわけであるが、鋼の精神力で無表情を保持していた。

 その表情がわずかなりとも揺らいだのは、ラウ=レイの母親と対面を果たしてからである。


「いつもラウが面倒をかけてるね。あんたのおかげで大層な力をつけることができたって、あいつはすごく感謝していたよ」


 彼女の魅力的な笑顔に、アイ=ファはちょっと息を呑んだようだった。


「あなたは……ラウ=レイの母親であるのか?」


「ああ。何かおかしいかい?」


「いや……顔立ちなどは、とてもラウ=レイに似ているようだ」


 アイ=ファは何かを振り払うかのように頭を少し揺すってから、あらためて彼女と向き合った。


「ラウ=レイの突飛な行いには驚かされることも多いが、かけがえのない友であることに違いはない。ラウ=レイの家族らとまみえることができて、私も喜ばしく思っている」


「うん。よかったら、わたしらともよろしくやっておくれよ」


 そんな一幕を経てすぐに、太陽は西の果てに没することになった。

 俺たちは、ようやく完成した料理を簡易かまどのほうに運び出す。広場には、100名を超えるルウの血族が勢ぞろいしているようだった。


「では、祝宴を始めようと思う。客人らは、こちらに」


 ドンダ=ルウの言葉に従って、俺とアイ=ファと《銀の壺》の一行は本家の前に集合した。リコとベルトンとヴァン=デイロも、人垣の中から進み出てくる。

 今日も婚儀や収穫祭ではないので、やぐらなどは建てられていない。俺たちはドンダ=ルウの左右に横並びとなって、広場の人々と相対することになった。


 そこに、シュミラル=リリンも近づいてくる。

 シュミラル=リリンは客人ではなかったが、本日の祝宴の主役である。シュミラル=リリンは俺とアイ=ファにやわらかく微笑みかけてから、ラダジッドの隣に並んだ。


「今日は、血族たるシュミラル=リリンを見送るための祝宴となる。また、シュミラル=リリンにとってはかけがえのない同胞である《銀の壺》の者たちとも絆を深めるべく、この祝宴に招くことと相成った」


 ドンダ=ルウは、重々しい声でそのように宣言した。

 そうして居並ぶ面々に自己紹介をさせてから、さらに言葉を重ねていく。


「これよりシュミラル=リリンを含む《銀の壺》の面々は、半年の期間、ジェノスを離れることとなる。血族とそれだけの期間を離れて過ごすというのは、かつてない行いとなろうが……それを許したのは、この俺だ。半年の後、シュミラル=リリンが森辺の民としての魂を損なうことなく、無事に戻ってきたときは……また血族として、迎え入れようと思う」


 人々は、無言でドンダ=ルウの言葉を聞いている。

 その表情に、不安や懸念の色はない。シュミラル=リリンはおよそ1年の時間を森辺の集落で過ごし、同胞たらんと力を尽くしてきたのだ。それを間近から見守ってきたルウの血族であれば、何も不安に思う理由はないはずだった。


「シュミラル=リリンと《銀の壺》の、無事な帰りを願う。……母なる森と、四大神に!」


 静まりかえっていた人々が、怒号のように唱和する。

 びりびりと肌の震えるような、熱気と生命力だ。10日前には同じこのルウの集落で、5日前には聖域で味わわされた、野生の息吹の奔流とでも呼びたくなるような様相であった。


「アスタにアイ=ファ、お疲れ様ぁ……ようやく挨拶ができたわねぇ……」


 と、自由に散開し始めた人々の中から、ヴィナ・ルウ=リリンが近づいてくる。横合いからは、すでにシュミラル=リリンとラダジッドもやってきていた。


「今日は最後まで、ご一緒させていただくわよぉ……まさか、嫌とは言わないわよねぇ……?」


「え、だけど――シュミラル=リリンは、他の血族のみなさんとお別れを惜しむべきではないでしょうか?」


 俺がおずおず問い返すと、ヴィナ・ルウ=リリンは可笑しそうに微笑んだ。


「シュミラルは普段から、他の血族と絆を深めているもの……まあ、アスタが嫌なら無理強いするつもりはないけどねぇ……」


「あ、いや、決して嫌なわけではなく――」


「シュミラルと一緒にいたいのでしょう……? こんなときぐらい、自分の気持ちを優先しなさいよ……」


 俺の建前も、そこであえなく崩落することになった。

 シュミラル=リリンとできるだけ長い時間を過ごしていたいだなんて、そんなのは最初からわかりきっていたことであるのだ。


「すみません。それじゃあ、お言葉に甘えさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 最後の無駄なあがきとして、俺はシュミラル=リリンにも確認を取っておくことにした。

 そこに待ち受けていたのは、慈愛にあふれた微笑である。


「この夜、アスタ、ともに過ごせること、心待ち、していました。最後まで、よろしくお願いします」


 そんなシュミラル=リリンの笑顔だけで、俺は胸を詰まらせることになってしまった。


「あ、ありがとうございます。だけどその前に、俺の準備した料理の様子を見てきてもいいですか? 何から何まで他の方々におまかせするのは申し訳ないので……」


「もちろんよぉ……どうせだったら、アスタの準備してくれた宴料理からいただきましょう……?」


 そうして俺たちは、熱気の渦巻く広場へと踏み入ることになった。

 同行するのは、アイ=ファ、シュミラル=リリン、ヴィナ・ルウ=リリン、ラダジッドの4名だ。


「そういえば、ラダジッドも自由に動くことができるのですね?」


 ルウ家の祝宴において、主賓というものは族長ドンダ=ルウと同じ敷物で過ごすのが常であったのだ。

 ラダジッドはわずかに目を細めつつ、「はい」とうなずく。


「族長ドンダ=ルウ、自由、過ごせばよい、言っていたので、私たち、甘えること、なりました。のちほど、挨拶、向かおう、思います」


「そうですか。では、俺もご一緒に挨拶をさせていただきます」


 そうして俺の宴料理が設置された簡易かまどに到着すると、そこにはすでに何重もの人垣ができてしまっていた。

 しかし、シュミラル=リリンとラダジッドの姿に気づくと、その人垣がモーゼの十戒のように割れていく。その中に、ふだんルウ家の屋台を手伝っているルティムの女衆の姿があった。


「どうぞ、お先にお取りください! すごく美味しそうですよ!」


「ありがとう……それじゃあ、お先にいただくわねぇ……」


 笑顔の人々に見守られながら、俺たちは簡易かまどに近づいていった。

 そこで配膳の仕事を受け持っていたのは、ヤミル=レイと長姉と次姉である。母親と末娘は、料理を配る役目を担うことになったのだろう。鉄板の上では、本日の宴料理がじゅうじゅうと温められていた。


「どうも、お疲れ様です。何も問題はありませんか?」


「平気だよお。ヤミル=レイがついててくれるからねえ」


 次姉は、のんびりと笑っている。

 すると、ヤミル=レイがそのふくよかな腕を肘でつついた。


「あんまり平気ではないようよ。焦げつく前に、皿に移すべきでしょうね」


「ああ、そうなのお? やっぱりヤミル=レイは頼りになるなあ」


 次姉は、手もとの料理を左右の木べらで皿に移した。ちょっとひやひやしてしまったが、手際は悪くないようだ。

 シュミラル=リリンはその場に満ちた芳香を胸いっぱいに吸ってから、俺のほうに目を向けてきた。


「カレーの香り、芳しいです。ただ、この料理、初めてである、思います」


「はい。この日のために、開発しました。みなさんに喜んでもらえたら嬉しいです」


 俺がこの日に準備したのは、いささかならず変化球のカレー料理――その名も、『焼きカレーうどん』であった。

 通常の『ギバ・カレー』でもさまざまな工夫を凝らし、カレーうどんやカレーまんやスープカレーなど、それなりのカレー料理を開発してきて、ついにこのようなメニューにまで行きつくことになったのだ。


 実際のところ、俺が故郷でこのような料理を作りあげたことはない。通常の焼きうどんであればその限りでなかったが、そこにカレーを添加しようなどという発想には至らなかったのだ。


 よってこれは、シュミラル=リリンたちに何か目新しい宴料理をお披露目したいと願って、ひそかに研究を続けていたひと品であった。

 しかし、勝算がなかったわけではない。カレーうどんがあのように美味であるのだから、それを焼きうどんにアレンジしても悪くはないのではないか、というのがそもそもの出発点であった。


 具材は、ギバのバラ肉と、タマネギのごときアリアと、キャベツのごときティノをメインにしている。あとは控え目ながらに、ニンジンのごときネェノンと、パプリカのごときマ・プラ、それにブナシメジモドキも使用していた。

 それらの具材を炒めてから、あらかじめ茹でておいたフワノのうどんと、燻製魚および海草の出汁を加えて、さらにカレーのルーを加える。水気が飛んだらタウ油で味を調えて、最後に燻製魚の削り節をかけたら、完成である。


 ちなみにこの料理は、祝宴の前にほぼ完成させている。現場で仕上げるには時間がかかりすぎてしまうので、完成品を温めなおして提供しているのだ。水気にひたしているわけではなく、なおかつカレーの油分で皮膜が作られているために、多少の時間を置いても美味しくいただけることは、これまでの開発期間の間に立証済みであった。


 ヤミル=レイと次姉が取り分けた料理の上に、長姉が燻製魚の削り節をかけていく。カツオブシとは食感が異なるが、風味はよく似た食材であるので、これも大事な味のアクセントである。


「この料理、パスタより、シャスカ料理、似ている、思います」


 ヴィナ・ルウ=リリンにうながされて料理の木皿を取り上げたラダジッドが、そのように言っていた。

 そちらに向かって、俺は「はい」と笑ってみせる。


「パスタの麺は黄色いので、うどんのほうがシャスカ料理に似ているのでしょうね。まあ、使っているのはシャスカではなくフワノなので、食べ心地はずいぶん違うかと思いますが……東の生まれであるみなさんに喜んでもらえたら嬉しいなと思いながら、考案しました」


 ラダジッドに続いて、シュミラル=リリンも木皿を取り上げる。そうして両名が左右の人々に場所を譲るべく身を引こうとすると、長姉が「ちょっと!」と声をあげた。


「よかったら、ここで味見をしていってくれない? あたしらの手伝った料理であなたたちを満足させられるのか、見届けておきたいんだよね」


「はい。承知しました」


 シュミラル=リリンとラダジッドは、三つ又に割られた木匙で麺を巻き取った。麺状のシャスカ料理を食べて育った両名であるので、手慣れたものである。

 さらに、麺を巻いた木匙の先で具材を刺し、同時に口へと運んでいく。

 俺が胸を高鳴らせつつ、その様子を見守っていると――やがてシュミラル=リリンが、「ああ」と微笑をこぼした。


「きわめて、美味です。カレー料理、どれも美味ですが……この料理、ひときわ美味です。フワノ、カレー、またとなく、調和している、感じます」


「……こういう際、表情、動かせる、羨ましい、思います」


 ラダジッドは静かな声で言いながら、俺とヤミル=レイたちの姿を順番に見回していった。


「やはり、我々、シャスカ、慣れ親しんでいます。こちら、フワノですが、好ましい、思います。焼いたポイタン、粒のシャスカ、美味でしたが、こちら、いっそう美味、感じられます」


「へへ」と笑って、長姉は次姉と目を見交わした。

 俺は俺で、深い喜びの虜となってしまっている。正真正銘、俺にとってはこれがシュミラル=リリンたちにお届けする最後の料理となるのだ。もちろん半年後には、またこの喜びを噛みしめられるのであろうが――それでも、しみいるような幸福感に変わりはなかった。


「アスタ、ありがとうございます。この味、決して、忘れません」


 シュミラル=リリンは、そのように言ってくれた。

 俺のほうこそ、この優しい笑顔を忘れることはないだろう。また、表情を動かすことは許されないまま、とても温かい光をたたえているラダジッドの眼差しも、それは同様であった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >「あんまり大丈夫ではないわね。言うまでもないだろうけれど、わたしはこの姉妹たちが苦手であるのよ」 “言うまでもないだろうけれど” この一言が入るだけで、ヤミル=レイというキャラクタ…
[良い点] 焼きカレーうどんなるものは人生において、今まで一度も聞いたことがありませんでしたが ググってみると、ふつーにヒットしますね 世の中って広いんですねえ… [一言] アスタさんが最近妙に色気…
[一言] 姦しい通り越して、とうとうけたたましい言っちゃったよw 同意せざるを得ない訳だが。
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