銀の月の十六日①~騒がしき女衆たち~
2020.3/19 更新分 1/1
それから2日後の、銀の月の16日――《銀の壺》の送別の祝宴の当日である。
その日も休業日ではなかったので、日中は宿場町で屋台の商売であった。
ただしルウ家のほうは祝宴の準備があるので、屋台は1台きりの縮小営業となる。その分は、俺が管理する3台の屋台で多めに料理を売りさばくことになった。
クルア=スンの研修も3日目を迎え、順当に育成は進んでいる。本日は、『ギバ・カレー』の盛りつけを中心に取り組んでもらうことにした。
「屋台で食べる、最後の料理、『ギバ・カレー』であること、嬉しく思います」
今日も屋台を訪れてくれたラダジッドたちは、そのように言っていた。
「俺もそのように思って、『ギバ・カレー』をお出ししました。でも、夜の祝宴でもぞんぶんにカレー料理を食べられるのでしょうね」
「はい。それもまた、幸福です」
微笑をこらえるように口もとを震わせつつ、ラダジッドは青空食堂のほうに立ち去っていく。
すると、それと入れ替わりでシェイラがやってきた。
「お疲れ様です、アスタ様。本日も大変にぎわっておりますね」
「あ、どうも。いつもわざわざすみません」
最近のヤンが宿場町まで出向いてくるのは数日に1度のことであるので、それ以外の日はシェイラがわざわざアリシュナへの『ギバ・カレー』を引き取りに来てくれるのだ。
こういう日は、ポルアースたちのために追加で料理を買いつけるか、あるいは貴族からの言伝てを携えていることの多いシェイラであったが――どうやら本日は、後者であるようだった。
「実は、アスタ様とルウ家のお人にお伝えしたいことがあるのですが……少しだけお時間をいただけますでしょうか?」
「はい。こちらは大丈夫です」
シェイラはいつもピーク時を避けてやってきてくれるので、少しぐらいの時間を捻出することは難しくなかった。
クルア=スンの面倒はレイ=マトゥアにお願いして、シェイラを屋台の裏に招き入れる。ルウ家の屋台からは、ララ=ルウが来てくれた。
「あ、ダレイム伯爵家のお人だね。また何か、ドンダ父さんに相談かな?」
そのように語るララ=ルウの眉がきりりと吊り上がっていたためか、シェイラは恐縮した様子で一礼した。
「森辺の族長に使者を出すべきかどうか、まずは皆様に判じていただきたく思っているのですが……こちらの都合でお仕事のさなかに時間を取らせてしまい、申し訳ない限りです」
「うん。今はそんなに忙しくないから、大丈夫だよ」
そんな言葉とは裏腹に、ララ=ルウの眉は吊り上がったままである。
これには説明が必要であろうと思い、俺が声をあげることにした。
「大丈夫ですよ、シェイラ。ララ=ルウは別に気分を害してるわけではありません。そうだよね、ララ=ルウ?」
「うん。なんであたしが、腹を立てなきゃいけないの?」
「いや、ララ=ルウの気合の入ったお顔は、ちょっと怒っているように見えなくもないんだよ」
ララ=ルウがそのように気合を入れているのは、いつも取り仕切り役を担っているレイナ=ルウとシーラ=ルウの両名が、祝宴の準備のために欠席しているためであった。それで本日は、ララ=ルウが屋台の責任者に任命されることになったわけである。
もちろんララ=ルウぐらいキャリアを積んでいれば、屋台の責任者を担うことも難しくはない。仕事の手順は確立されているのだから、不測の事態でも生じない限り、慌てる場面もないだろう。
だけどやっぱり、肩書きというのは重要であるのだ。同じ仕事を果たすのでも、気の持ちようが変わってくる。そうしてララ=ルウの体内から絞り出された気合のほどが、眉のあたりに表出しているという顛末であった。
「別にあたしは、怒ってなんかいないよ? でも、あんまり屋台を空けておきたくないから、話を始めてもらえるかな?」
「はい、承知いたしました。実は、屋台の料理についてなのですが……予約の注文というものを受け付けていただくことは可能でありましょうか?」
「よやくのちゅうもん?」
「はい。現在も、トゥランで働く人々がこちらで昼の食事を買いつけておりますでしょう? それを、一括で買わせていただきたいのです」
そうしてシェイラは、順序よく説明をしてくれた。
要するに、トゥランから宿場町まで料理を買いに来るのは大きな手間であろうから、雇用主のほうからまとめ買いをさせていただきたい、という話であるようだ。
「トゥランの再建工事は大がかりであるため、今でも働き手を募っています。現段階では、100名近い人間がトゥランで働いているそうです」
「へえ、それはすごい数ですね」
「はい。それで、荷車を持たない人々は宿場町まで料理を買いにおもむくことがかないませんので、トゥランでも食事の準備をしているのですが……その内容が粗末である、という苦情が多数あがってしまったようなのですね」
そのように語りながら、シェイラはわずかに口をほころばせた。
「もちろんその食事も無償でふるまっているわけではなく、その日の賃金から差し引く形で供していますので、決して粗末な内容ではないはずなのですが……森辺の方々のお作りになる料理と比べられては、致し方ないのでしょう。同じていどの銅貨を取られて、どうして自分たちはこのように粗末な食事であるのかと、そのような不満が噴出してしまったようなのです」
「それはそれは……で、トゥランで働くすべての人々のために、食事を準備してほしいというご依頼なわけですか」
「はい。1名につき赤銅貨4枚という値段で、さしあたっては100名分……如何なものでしょう?」
ララ=ルウは眉を吊り上げたまま、フリーズしてしまった。
本日はレイナ=ルウたちばかりでなく、ツヴァイ=ルティムもお休みの日であったのだ。おそらく、どのように答えればいいのか判断がつかないのだろう。
そんなララ=ルウに代わって、俺はとりあえず頭に浮かんだ疑問を問いかけてみることにした。
「赤銅貨4枚なら、汁物料理と手づかみで食べられる料理の組み合わせが妥当でしょうかね。木皿などは、そちらで準備してもらえるのでしょうか?」
「はい。もともとトゥランでも汁物料理を出していたので、そちらは問題ありません」
すると、ララ=ルウが「あ、あのさ」と声をあげた。
「うちで扱ってる料理って、赤銅貨2枚か、赤銅貨1枚と割銭1枚なんだよね。で、汁物料理は赤銅貨1枚と割銭1枚だから、どんな風に組み合わせても赤銅貨4枚にはならない……よね?」
「そうだね」と、俺はララ=ルウに笑いかけてみせた。
「その分は、汁物料理の量を増やすか、手づかみで食べられる料理の大きさを変更するべきかな。肉体労働をしているなら、おなかいっぱい食べたいだろうしね」
「う、うん。あのジャガルの建築屋の人らも、いっぱい食べるもんね」
ほっとしたように、ララ=ルウは息をついた。自分の意見が見当違いでなかったことに安堵したのだろう。
「『ギバ・バーガー』だったら赤銅貨2枚だけど、それを100名分も余分に準備するのは大変だもんね。ルウ家で受け持つなら、『ミャームー焼き』や『香味焼き』が妥当だと思うよ」
「う、うん。そうだろうね」
「以前は宿屋の料理も受け持ってたんだから、作業的に無理はないと思うけど……ただ、ファの家ですべてをまかなうのはちょっと厳しいから、ルウ家と半分ずつ担当できたらありがたいかな。汁物料理とそうでない料理を日替わりで受け持てば、毎日色々な料理をお届けできるしね」
「う、うん。そうだね。そのへんは、レイナ姉たちに相談してみないとわかんないけど……」
「うん。あとは森辺に持ち帰って、相談かな」
俺は、シェイラに向きなおった。
「現場の人間としては、問題ないように思います。いちおう族長ドンダ=ルウにも話を通して、正式なお返事は明日ということでよろしいですか?」
「ええ、もちろん。急なお願いを聞いていただき、ありがとうございます」
そうしてシェイラは『ギバ・カレー』の包みを手に、城下町へと帰っていった。
ララ=ルウは「ふひー」と脱力している。
「何なのさ、もう! どうしてよりにもよって、こんな日にめんどくさい話が舞い込んでくるわけ?」
「あはは。でも、立派に取り仕切り役としての仕事を果たせたじゃないか」
「あんなの、アスタがほとんど片付けてくれてたじゃん」
ララ=ルウは可愛らしく、口をへの字にした。
「やっぱユン=スドラって、すごいよね。あんなしょっちゅう、アスタの代わりに仕事を取り仕切れるんだもんなー。トゥール=ディンなんて、自分で屋台を出しちゃったしさ!」
「うん、あのふたりはすごいよね。だけどララ=ルウはあのふたりより古くから屋台で働いてるんだから、立派に仕事を果たせるさ」
「……本当にそう思う?」と、ララ=ルウが妙に真剣な眼差しで俺を見つめてくる。
よって俺も、相応の心持ちで「うん」とうなずいてみせた。
「ララ=ルウはもともとしっかりしてるし決断力もあるから、取り仕切り役の仕事を果たすのに向いてると思うよ。人に指示を出すのも、得意そうだしね」
「……でも、あたしはずーっとレイナ姉たちに甘えてきちゃったからね。そこのところが、トゥール=ディンたちと違うんだろうなあ」
「ララ=ルウは、何か悩んでいるのかな?」
ララ=ルウは迷うように視線をさまよわせてから、俺の顔を正面から見つめてきた。
「別に、悩んでるわけじゃないんだけど……みんなには、秘密にしてくれる?」
「うん、もちろん」
「それじゃあ、話すけど……もしもこの先、シーラ=ルウに子供ができたりしたら、レイナ姉がひとりで屋台を取り仕切ることになっちゃうでしょ? それに、ヴィナ姉も嫁入りしちゃったから……そのときは、あたしが頑張りたいんだよね」
海のように青い瞳に強い光をたたえながら、ララ=ルウはそう言った。
「かまど仕事の腕前だったら、あたしなんてリミには全然かなわないけど……だからこそ、別のところでは頑張りたいんだよ。むしろ、めんどくさいことはあたしが引き受けて、レイナ姉とかリミにはかまど仕事のほうを頑張ってもらいたいの」
「そっか。ララ=ルウはそんな風に考えてたんだね」
俺はなんだか、清々しい涼風に頬を撫でられたような心地であった。
「ララ=ルウなら、大丈夫だよ。さっきも言ったけど、ララ=ルウは取り仕切り役に向いてると思うよ。ララ=ルウが取り仕切ってくれたら、周りのみんなも安心して働けるだろうからね」
「それはちょっと、ほめすぎだよ」
ララ=ルウははにかむように笑いながら、身を引いた。
「でも、アスタにそんな風に言ってもらえるのは、すごく心強いな。……じゃ、あたしは屋台に戻るから!」
俺に返事をするいとまも与えることなく、ララ=ルウは駆け去っていった。
俺も心地好い感慨を噛みしめつつ、レイ=マトゥアたちの待つ屋台に戻ることにする。
(やっぱり、ララ=ルウも成長してるんだな。取り仕切り役が代替わりしたとしても、ルウ家の屋台は安泰だ)
その後はハプニングもなく、俺たちは屋台の商売を終えることになった。
いったん姿を消したラダジッドたちも、自分たちの荷車を引いて戻ってくる。ジェノスにおける商売はすべて完了したので、彼らもこのままルウの集落に向かう段取りであったのだ。
「そういえば、注文の腸詰肉は、もう受け取ったのですよね?」
街道を歩きながら、俺がそのように尋ねると、ラダジッドは「はい」とうなずいた。
「納品、完了しています。北の民、評判、楽しみです」
《銀の壺》はギバの腸詰肉を大量に買いつけて、マヒュドラで販売する算段であったのだった。
森辺の民は城下町にも腸詰肉を卸していたが、そちらとは若干仕上がりの異なる特別仕立てである。ジェノスからマヒュドラまではひと月ばかりもかかるので、通常の干し肉と同程度に水抜きをして、保存性を高めてほしいと願われたのだ。
「マヒュドラ、到着すれば、その後、心配いりません。マヒュドラ、生肉、腐らないほど、気温、低いのです」
そんなラダジッドの要請に従って、担当の氏族が特別仕立ての腸詰肉を準備することになった。作製に手間がかかる分、わずかながらに割り増し料金をいただくことになったそうだが、それでもラダジッドは「是非に」と頼み込んできたのだそうだ。
「前回なんかはあちこちの氏族に力を借りて、干し肉を準備することになったのですよね。聞きそびれていましたが、そちらの評判はどうだったのでしょう?」
「はい、好評でした。よって、腸詰肉、販売、踏み切ったのです」
当時と現在ではギバ肉そのものの価格が変動しているので、かなりの割高となってしまったのだ。それでも商売は成立する、とラダジッドは決断したのだろう。
「俺には踏み入ることも許されないマヒュドラの地でギバの肉が食べられているなんて、なんだか不思議な心地です。これも、ラダジッドたちが繋いでくれたご縁ですね」
「はい。そして、アスタたち、北の食材、扱える、見込みなのですね?」
「ええ。ゲルドの方々が、マヒュドラから買いつけた食材も売り物にしたいと言ってくれているのですよね。今月か来月には、見本の食材が届けられることになるかと思います」
「アスタ、北の食材、どのような料理、作りあげるか、楽しみです」
それは俺も、楽しみなところであった。
ゲルドからジェノスまでは、やはりひと月ぐらいの道のりであるという話なので、復活祭の直後に出立したとしても、到着は月末が来月頭ぐらいであろう。あの奇妙な美食家アルヴァッハとの再会も、俺にとっては楽しみなところであった。
(復活祭が終わって、たくさんの人たちとお別れすることになっちゃったけど……そうやって、今度は別の人たちと再会することができるんだもんな)
俺はそれを、何よりかけがえのないことだと考えていた。
明日には、《銀の壺》もリコたちもジェノスを発ってしまう。つい昨日には、カミュア=ヨシュたちもジェノスから去っていた。しかし、別離の果てには再会の喜びが待っているのだと考えれば、それは幸いなことであった。
そんな思いを胸に、《キミュスの尻尾亭》で屋台を返却し、ラダジッドたちとともにルウの集落を目指す。
ルウの集落では、今日も祝宴の準備の慌ただしさが展開されていた。
ほんの10日ほど前にも、目にした光景である。
しかし、決して見飽きることはない。どのような祝宴でも、それはその日にだけ存在する時間であり、喜びであるのだ。
「それじゃあ、明日の準備はよろしくね」
「はい」と屈託のない微笑を残して、ユン=スドラたちはファの家へと帰っていった。本日はあくまで《銀の壺》とルウの血族が絆を深めるための祝宴であるので、特別参加が許されたのは俺とアイ=ファのみであるのだ。
(何せ今日は、ルウの血族が全員集められるんだもんな)
あまり記憶は定かではないが、俺が参加する祝宴で血族の全員が集められるのはけっこうひさびさであるように感じられた。何せルウは血族が多いので、収穫祭ですら、3回に2回は70名ていどに人数を絞っているのである。直近の親睦の祝宴も、たしか血族の参加者は80名ていどであったはずだった。
「さ、こっちだよ。とりあえず、ミーア・レイ母さんに挨拶してもらうからね!」
ララ=ルウの案内で、まずはルウ本家のかまど小屋へといざなわれる。その道行きで、屋台を手伝っていた1名と青空食堂の担当であった2名はそれぞれ分家の家に散っていった。おそらく最初から、どの家の仕事に加わるかは決められていたのだろう。そのあたりは抜かりのないルウ家であった。
「やあ、いらっしゃい。ルウ家にようこそ、客人がた」
ミーア・レイ母さんは、本日も朗らかな笑顔で俺たちを出迎えてくれた。
「鋼と、あとはシムの毒ってやつをお持ちだったら、こっちで預からせていただくよ」
「はい。毒の武器、まとめておきました」
ラダジッドの視線を受けて、若き団員が荷台から大きな包みを引っ張り出した。リミ=ルウだったら隠れられそうなぐらいのその大きさに、ミーア・レイ母さんは「おやまあ」と目を丸くする。
「それが全部、毒なのかい? こうして見ると、すごい量だねえ」
「はい。1年、旅する、用心です。厳重、封印、しましたので、包みから、こぼれること、ありません」
さらに、何名かの団員が鞘に収められた短剣を差し出した。あまり刃物を扱わないという草原の民でも、やはりこれぐらいの準備はあるのだ。
「確かにお預かりしたよ。あとは、好きにしておくれ」
「ありがとうございます。9名、4組、分かれて、見学、希望します」
言うが早いか、ラダジッドたちは4つの組に分かれた。その統率の見事さに、ミーア・レイ母さんはまた笑う。
「あんたがたは、本当になんでもきっちりしてるよねえ。うちの家人にも見習わせたいぐらいさ」
「いえ。屋台の商売、拝見する限り、森辺の民、統制、見事、思います」
それは俺も、同感である。森辺の民というのは男女を問わず、豊かな情感とともに仕事に対する実直さをあわせ持っているものであるのだ。
「私たち、アスタの仕事、見学、許されますか?」
「ええ、もちろん。俺はまた、シン=ルウの家のかまど小屋をお借りできるのですよね?」
「ああ。朝方に預かった荷物も、そっちに運んでおいたよ。手伝いの女衆も、そろそろ集まってる頃かね」
俺はミーア・レイ母さんに御礼を述べて、シン=ルウ家のかまど小屋へと向かうことにした。同行するのはラダジッドと、星読みを得意にする初老の団員、そして西の言葉を勉強中の若き団員だ。
シン=ルウの家の隣には、かつてミダ=ルウがひとりでこしらえた家が建っている。現在の、ダルム=ルウ家である。そちらの屋外のかまどでは、シーラ=ルウがカレーを煮込んでいた。
「ルウの家にようこそ、アスタ。それに、《銀の壺》の方々も……」
「はい。失礼いたします」
隔日で屋台の商売を取り仕切っているシーラ=ルウも、もちろんラダジッドたちとは着実に絆を深めていた。また、シーラ=ルウは《銀の壺》と出会った初年度から屋台の仕事に加わっていた、精鋭のひとりでもあるのだ。
「実は今日、屋台のほうで新しい仕事を持ちかけられることになりました。詳しくは、後でララ=ルウから聞いていただけますか?」
「承知いたしました。……ララ=ルウは、如何だったでしょうか?」
「はい。立派に取り仕切り役の仕事を果たしておりましたよ」
「そうですか」と、シーラ=ルウは静かながらも慈愛にあふれた微笑をこぼした。
ララ=ルウはシーラ=ルウにとって伴侶の妹であり、将来的には弟の伴侶になるかもしれない相手である。そこには俺からうかがえる以上の確かな絆が存在するのだろうと思われた。
そうしてシーラ=ルウに別れを告げて、シン=ルウ家の裏に回り込む過程で、若き団員が俺に呼びかけてくる。
「アスタ。森辺の民、異性……異性、褒める、禁忌です」
「え? ああ、はい。罰が与えられるほどの禁忌ではありませんが、習わしにそぐわない行いであるとされていますね」
「はい。本人、前……前、いなければ、禁忌、違うですか?」
懸命に西の言葉を探しながら、若き団員はそのように告げてきた。
「はい。本人の前でなければ、禁忌ではありません。……もしかして、シーラ=ルウのことでしょうか?」
「はい。シーラ=ルウ、美しいです」
シーラ=ルウは、細身というほど細身ではない。ただ、肩幅がややせまいのと、あまり起伏のない真っ直ぐな体型をしているので、それが東の民の美意識にかなったのかもしれなかった。
それに、シーラ=ルウの魅力は外見よりも内面に起因しているように感じられる。本家の姉妹たちのような華やかさはないが、あのように優しい気性であるし、それに俺と出会って以降、何ものにもくじけない芯の強さを獲得したように思うのだ。さらに婚儀をあげてからは、これまで以上の落ち着きとやわらかさが感じられるようになっていた。
「……シーラ=ルウ、伴侶、ある身です」
ラダジッドがいくぶんたしなめるような口調で言いつけると、若き団員はわずかに眉を下げた。
「邪、気持ち、ありません。褒める、駄目ですか?」
「いえ。ただし、節度、お願いします。……そして、感情、こぼれています」
若い団員は苦労をしながら、眉を定位置に戻していた。
それを微笑ましく思いながら、かまど小屋に近づいていくと――何やら、女衆の嬌声が聞こえてくる。活力旺盛な森辺の女衆でも、これはいささか珍しいことであった。
「失礼します。ファの家のアスタですが……」
俺がそのように呼びかけると、戸板が勢いよく開かれた。
あまり見覚えのない女衆が、下からすくいあげるように俺を見やってくる。それほど長くない黒褐色の髪をツヴァイ=ルティムみたいにきゅうきゅうにひっつめた、気の強そうな娘さんであった。
「待ってたよ、ファの家のアスタ! ふーん、へーえ、近くで見ると、こんな感じなのかあ」
「ど、どうも。今日の手伝いをしてくれる御方でしょうか?」
「そうじゃなきゃ、ここにいるわけがないでしょ? あっ! 東の民たちも連れてきたんだね!」
謎の女衆は、「にかっ」という表現に相応しい表情で笑った。
「さ、入って入って! みんな、待ちくたびれてたからさー。さっきまでは、あっちでポイタンを焼くのを手伝ってたんだけどね!」
それはルウの血族としても、なかなかに元気いっぱいの娘さんであった。
年齢は、俺よりも少し上なぐらいなのだろうか。その身に纏っているのは、いちおう既婚の装束である。しかし、出会った当初のララ=ルウを彷彿とさせるぐらい、彼女はやんちゃな気性が立ち居振る舞いからあふれかえっていた。
そうしていくぶん毒気を抜かれながら、かまど小屋に入室してみると、たちまち左右から別の女衆らがはさみこんでくる。俺とあんまり変わらないぐらいの背丈をした女衆と、モルン=ルティムのように丸っこい体格をした女衆だ。
「ルウの家にようこそ。……って言っても、あたしらはルウの家人じゃないけどね」
「おひさしぶりだねえ、ファの家のアスタ。まあ、まともに挨拶をしたこともないから、どうせ見覚えてはいないだろうけどお」
最初の女衆も俺の正面に陣取ったままであったので、俺は三方から囲まれる格好であった。
これはいったい何事かと、俺がひとりで泡を食っていると――女衆たちの隙間から、馴染みの深い姿が垣間見えた。ヤミル=レイが奥のほうの壁にもたれて、悩ましそうに溜め息をついていたのである。
「お、お疲れ様です、ヤミル=レイ。今日はヤミル=レイも、俺の仕事を手伝ってくれるのですね」
「ええ。残念ながら、そういうことになってしまったわ」
ヤミル=レイの言葉に、ひっつめ頭の女衆が振り返った。
「残念ながらって、どういう意味さ! あんた、何か不満でもあるの?」
「不満がない、とは言いきれないわね。どうしてまた、こんな顔ぶれが集まってしまったのよ」
「それは、あたしらがそうしてもらえるように掛け合ったからだろうね」
背の高い年長の女衆が、不敵な笑みをたたえつつそのように言い放った。
さっぱりわけのわからない俺は、なんとかヤミル=レイのほうに視線と言葉を送ってみせる。
「あ、あの、これはどういうことでしょう? この方々は、いったい……?」
「そっちのはレイ本家の長姉で、真ん中はミン本家の次兄の伴侶、それで隣はルティム分家の長兄の伴侶よ」
「あ、それじゃああなたが、ラウ=レイの姉君ということですね?」
俺は長身の女衆に呼びかけたのだが、答えたのはひっつめ頭の女衆であった。
「あたしらだって、ラウの姉だよ! やっぱりあいつ、あたしらのことを話してないんだね!」
「しかたないよお。あたしたちは、ミンとルティムの嫁になった身なんだからさあ」
俺は、目を白黒とさせることになった。
「えーと、それじゃあ……みなさんは、全員がラウ=レイのお姉さんなのですか?」
「そうだよ! ラウのやつが、いっつも世話をかけてるね!」
「あたしらみんな、自分が子を産んだり家族が子を産んだりで慌ただしくしてたからさあ。これまでなかなか、あなたに挨拶をする機会がなかったんだよねえ」
ふくよかな体格をした女衆が、のんびりとした調子で告げてくる。背格好はモルン=ルティムに似ていたが、彼女はずいぶんおっとりした気性であるようだった。
「え、えーと……みなさん、初めまして。今日はどうぞ、よろしくお願いいたします」
「そんな固くなることないって! あたしらみんな、あんたを手伝えるのを楽しみにしてたんだから!」
「うんうん。ファの家のアスタの仕事を手伝えるなんて、光栄だよねえ」
「赤ん坊の面倒を見るばっかりじゃなく、かまど仕事も修練を積んできたつもりだからさ。こっちこそ、よろしくお願いするよ」
なんというか、三者三様、圧倒的なるバイタリティを感じさせる姉妹たちであった。おっとりとした娘さんですら、何か不可視の圧力を発散させているようなのだ。
(これがみんな、ラウ=レイのお姉さんなのか……見た目は、あんまり似てないんだな)
ただし、この猛烈なる生命力こそが、家族の証であるのだろうか。なんだかもう、3体に分裂したラウ=レイに取り囲まれているような心地であった。
俺たちのかたわらをすりぬけて入室したラダジッドたちは、壁際に並んでこちらの様子をうかがっている。ヤミル=レイも壁にもたれたまま、動く様子はない。好奇心の虜となって押し寄せてくる3名の女衆に、俺はどのように対処するべきかも判然としなかった。
そこに俺の背後から、鋭い声音が響きわたる。
「あんたたち、何をしてるのさ? 仕事を始めなくていいのかい?」
おそるおそる、背後を振り返った俺は――さらなる驚きに見舞われることになった。目の前の3名にも劣らないインパクトを持った女衆が、そこに立ちはだかっていたのだ。
その女衆も、すらりと背が高かった。もちろん俺よりは小柄であるのだが、顔が小さくてスタイルがいいために、実際以上の長身に見えるのだろう。
ばっさりと短くした髪は美しい金褐色で、切れ上がった目に輝く瞳は、淡い水色だ。鼻が高く、口もとは引き締まり、とても勇ましい面持ちであるが、きわめて端麗な面立ちをしている。
その身に纏っているのは、やはり既婚の証である一枚布の装束である。しかし、その卓越したプロポーションを隠す役には立っていない。胸とお尻が大きくて、腰がぎゅぎゅっとくびれており、森辺の女衆としても破格の色香であるように感じられた。
「なんだ、母さんか。母さんこそ、どこに行ってたの?」
長身の女衆の言葉に、俺はくずおれそうになる。
「か、母さん? 母さんって、まさかみなさんの……?」
「うちの娘らが、失礼したね。今日は、わたしらがあんたの仕事を手伝わせてもらうよ、ファの家のアスタ」
母さんと呼ばれた女衆が、にっと白い歯をこぼす。
その表情も顔立ちも、彼女こそラウ=レイに瓜二つである。しかし――ラウ=レイは俺と同い年であるし、その上には3名もの姉が存在する。それらの母親であるということが信じられないぐらい、彼女は若々しく、そして美しかったのだった。