~最終日~①最初の課題(上)
2014.9/25 更新分 1/2
宿場町に店を出すことが、決定した。
決定したはいいが、まずは考えることが山積みであった。
あまりに山積みすぎて、どこから手をつけていいかもわからないような状態である。
ちょっと、整理してみよう。
・どのような形態で店を開くのか?
・家の仕事と両立できるのか?
・物資の運搬の手段は?
・どれぐらいの売り上げを目指すべきか?
まずはそれだけのことを決めないと、献立すら決められない。
しかし、実のところ、俺の中ですでに献立は半分がた決定してしまっているのである。
ということで、それを実現するためにはどうすればよいか?という方向からメスを入れてみることにした。
・どのような形態で店を開くか?
それは、屋台が望ましい。
しかし、自分たちでそのようなものを作成するのは困難だ。
宿場町の人々は、あの屋台をどこから手に入れたのか? 買ったのか? 借りたのか? それを改めてリサーチせねばなるまい。
・家の仕事と両立できるのか?
すっかり不規則な生活が続いてしまっているが、もともと俺が受け持っていた仕事は、朝方と夕暮れ前に集中している。今まで料理の勉強にあてていた中天前後の時間をそのまま営業時間と移動時間にあてれば、まあ何とかなるだろう。
ただし、売りに出す献立があまりに手間のかかる料理だと、そのぶん営業時間が削減されてしまうのは自明の理である。
そこらへんは、綿密な計算が必要だ。
・物資の運搬の手段は?
これが難問である。
俺のプランとしては、家で調理をして、完成品を町に持ち込みたい。
が、保温のために鉄鍋と薪だけは運びたい。
となると――単身では不可能である。
何せ、ファの家と宿場町の間には、あの恐怖の吊り橋が立ちはだかっているのだから。
かといって、アイ=ファには頼れない。
宿場町までは往復で2時間もかかるのだから。行き道と帰り道の両方をアイ=ファに頼ったら、合計4時間も拘束する結果となってしまうのだ。
たかだか荷物持ちの仕事で、そこまで狩人の時間を食いつぶすことは不可能だ。
となると、これは――きわめて愉快なことに、「アルバイト」でも頼むしかあるまい。
どのみち数時間とはいえ、店番がひとりというのも頼りない話だ。
小用で席を外したくなることもあるであろうし、アウェイの宿場町で屋台を空にするのは危険であろう。どこに森辺の民を敵視する無頼漢が潜んでいるとも限らないのだから。
最低でも、1名は協力者が必要だ。
・どれぐらいの売り上げを目指すべきか?
これもなかなかの難問である。
俺としては、赤字にならなければそれでいいのだが。ただ、のちのちの展開を考えれば、あまり安売りすることはできない。
「ギバ肉の価値を認めさせてやりたい」というのが主題のひとつであるのだから。最低でも、現在流通している肉と同等の価値はつけたいところだ。
それに――そうしないと、市場の相場を乱すことになる。
あまりにギバ肉が低価格で購入できるようになってしまうと、他の肉屋が首をくくることにもなりかねない。
だから、売り上げどうこうでなく、あの「キミュスの肉饅頭」と同じような価格で、同じようなサイズの、同じような商品を売ればいいのかな、という結論に達した。
あとは採算がとれるように材料費を計算するばかりである。
◇
以上の考案をもってして、俺は朝一番でガズラン=ルティムにご意見をうかがうために足を伸ばしたのだが。
ガズラン=ルティムは、今まで見たこともないような顔つきで困惑の極に達してしまったのだった。
「すみません。アスタ、私にはあなたが何の話をしているのかも、今ひとつ理解しきれません……」
「え? 何がでしょう?」
「いや、言葉の意味は理解しているつもりであるのですが、採算や価格や拘束時間などと言われましても――私がそれをどうしたらいいのか、何をもってしてあなたに協力すればよいのかがわからないのです」
どうも、いらぬ説明が長すぎたようだ。
確かに、営業時間や価格設定の話をガズラン=ルティムに持ち込んでもしかたがない。それは、俺が頭を悩ませればいいだけのことである。
「すみません。そうですね。えーと、ご相談したいのはですね。店を開くには人手が必要だ、という点なのです。料理を詰めた鉄鍋をひとりで運ぶのは困難ですし、店番にも協力をしてほしい。これには森辺の女衆に協力を頼むしかないと思うのですが。その時間と労力を牙と角の代価で頼むことは可能だと思われますか?」
すると今度は、ガズラン=ルティムの実直そうな面に不審げな表情が浮かびあがってしまった。
この御仁がこのような表情をするのは、ちょっと珍しい。
「それはもちろん可能ではあると思いますが。しかし、宿場町に店を出すにあたっては、アイ=ファも行動をともにするのではないのですか?」
「え? いえ、アイ=ファには狩人としての仕事がありますので、それは無理なのです。アイ=ファにギバを狩ってもらわないと、俺たちのほうこそが一文無しになってしまいますし」
「しかし、宿場町で銅貨を得れば、それでアリアやポイタンは買えるではありませんか?」
「商売に成功すればそうなりますが、失敗したら一文無しです。というか、そもそもギバを狩らないと商売で使う肉そのものも得られないのですから……」
「それは、ルティムから提供することも可能です。昨日もお話した通り、ルティムには使い道のない肉がありあまっているのです」
「はい。もしも商売が成功したあかつきには、それはお頼みしようと思っていました。しかし現段階で必要なのは、料理に必要な野菜を買うための銅貨なのです」
今ひとつガズラン=ルティムの真意は読み取れないまま、俺はさらに言った。
「宿場町でギバ肉の料理を売るというのは、とてつもなく難しい話です。10日間で1個も売れないという最悪の状況も想定しておくべきでしょう。そうしたら、アイ=ファがこれまでに稼いだ角や牙もすべて失ってしまう可能性があります。ですから、アイ=ファには狩人の仕事を続けてもらう他ない、と思っておりますし――そもそも、アイ=ファ自身に狩人の仕事を放棄する気持ちは一切ないのです」
俺の隣りで、アイ=ファもうなずいている。
ガズラン=ルティムは、小さく息をついてから、言った。
「そうですね。それはアスタの言う通りだと思います。あなたがたは、すべての牙や角を失うことすら覚悟して、宿場町に店を出す決意を固めたのですね。私の考えが浅はかでした。……しかし、残念ながら、ルティムには他家にお貸しできるほど、女衆の人手にゆとりがないのです。昨日もお話した通り、ルティムは女衆の数が少ないので……」
「そうですか。ならば後はルウ家しか相談できる家はありませんが――ドンダ=ルウの気性を考えると、それもちょっと難しいですね。まあ、いざとなったら俺ひとりでも運搬が可能なメニューを考案するしかありませんので――」
「それは駄目だ」「それは駄目です」と、ふたりの声がシンクロした。
「な、何が駄目?」
まずはかたわらのアイ=ファが怒った顔をして詰め寄ってくる。
「仮にその商売が成功したときのことを考えてみよ。お前はその身に銅貨を携えて、宿場町をうろつくことになるのであろうが? お前には、宿場町のならず者から身を守る手段があるまい」
「え……そりゃまあそうだけど、でも、宿場町への買い出しは女衆の仕事なんだろ? それが大丈夫なら、俺だって……」
「……お前は自分が森辺の女衆よりも強い力を有しているとでも言うつもりなのか?」
ガーン!
そうなのですか?
それはまあ、ミーア・レイ母さんより重いものを持てる自信はないけれども!
「それは、アイ=ファの言う通りです。……というか、アスタが森辺の女衆よりも強い力を有していたとしても、危険なことに代わりはありません」
「ど、どうしてですか、ガズラン=ルティム?」
「森辺の民に自分から刃を向ける人間など、宿場町には存在しないということです。たとえ非力な幼子であろうと老人であろうと、それが森辺の民である限り、町の人間が害をなせばどのような結末が訪れるか――それはもう、何十年も前に証しだてられていることなのです」
ガズラン=ルティムの口調は穏やかであったが、その内容は壮絶の一言に過ぎた。
何か――壮絶な事件が、数十年前に起きたのだろう。
「……しかし、アスタは森辺の装束を身に纏っているだけで、その風貌は町の人間と同一です。もしも宿場町のならず者に、あれは見せかけだけの森辺の民だと判断されてしまうと、非常に危険なことになるでしょう」
「はあ……」
「それに加えて、宿場町ではスン家の人間と遭遇する可能性もあります。私には、そちらのほうが、より心配です」
ガズラン=ルティムの言葉に、アイ=ファも大きくうなずいている。
「それはもちろん、俺も考えていましたが――だけど、店を出すという行為自体は、森辺のしきたりには反していないのですよね? いくらスン家の人間でも、そんな白昼に堂々と悪逆な真似ができるのでしょうか?」
「……ドッド=スンという本家の次兄は、その白昼の宿場町で刀を抜いたのではないのですか? そして彼は、私の婚儀の宴でも、やはり刀を抜いていました」
「それはまあ……そうなんですけれども……でも、それで本当に人間を斬ったりするのは、許されないことですよね?」
「無論です。そのような真似は、都の法においても、森辺の掟においても許されません。必ずや己の生命でもって償わされることになるでしょう」
言いながら、ガズラン=ルティムは半ば無意識の様子で身を乗り出してきた。
「しかし、あなたを失ってしまった後で処断されても、何ひとつ報われません。そのような無法者の生命とあなたの安全を引き換えにすることなど、できるわけがないではないですか?」
ガズラン=ルティムの苦悩に満ちた眼差しと、アイ=ファの苛立ちに満ちた眼差しによって、俺は自分の浅はかさを知ることができた。
どうやら――俺の危機感が全然足りていなかったらしい。
「むろん、どのような無法者であれ、そう簡単に人前で刀を振り下ろす蛮勇をひねりだせるとは思いません。そのようなことをすれば、みずからも破滅することが目に見えているのですから。……しかし、考えてもみてください。アスタが毎日宿場町に通っていれば、どこかで人目を離れる瞬間が訪れます。森辺から宿場町までの道のりで待ち伏せをすることも容易ではないですか? もしもそのようなことになってしまったら――」
「ま、待ってください。それじゃあ仮にルウやルティムの女衆が同伴していても、危険なことに変わりはないじゃないですか?」
「いえ。今のスン家にそのような気概はありません。ルウの眷族に傷ひとつでもつけようものなら、ドンダ=ルウはこれまでに溜め込んだ怒りをすべて残らず解き放つことになるでしょうから」
そんな風に語るガズラン=ルティムの瞳には、今までに見たことがないほどの厳しい光が浮かんでいるような気がした。
「そのとき、スン家は確実に滅びます。そしてルウの眷族も多くの血を流すことになり――遅からず、森辺の集落そのものが滅びることになるでしょう」
「……はい」
「スン家の家長は、ドンダ=ルウのそういった気性をよくわきまえています。だから本当は、息子たちがルウ家にちょっかいをかけることを忌々しく感じているはずなのです。スン家の家長が何よりも重んじているのは、現在の安楽な生活を守ること、なのですから」
「……それなのに、あんな風に祝宴に乗り込んできたんですか、あいつらは?」
「はい。家長の命すらおろそかにしてしまうほど、愚鈍なのでありましょう」
この実直そうな若者がそこまではっきりと他人を誹謗する言葉を、俺は初めて耳にすることになった。
何だかもう、初めてづくしの朝である。
「ですが、そんな彼らでも、森辺を破滅に導く覚悟はない、と私は見ています。次兄ドッド=スンが祝宴で刀を抜いたのも、あくまでアスタに対する威嚇の行為であったのでしょう。以前にもお話した通り、ルウの眷族でないファの人間に対しては、彼らもいっそう自制を失うでしょうから」
「はい……」
「それでもアイ=ファなら、アスタを守ることができる。ですから私は、スン家に対しても何ら脅威は感じていなかったのですが、アイ=ファが行動をともにできないということならば――これはもう、ドンダ=ルウを頼るしかありませんね」
「ド、ドンダ=ルウをですか?」
「はい。何も難しい話ではありません。アスタとアイ=ファの今の心情をつまびらかにして、その上で、さきほどの仕事を依頼すればよいのです。とにかくルウの眷族がアスタのかたわらにいるだけで、当面の危険は回避されるのですから。相応の代価を支払って、女衆に手伝いを申し込めばよいのです」
「……本当にそれで危険はないのですか? いや、俺のことじゃなく、ルウの女衆を危険にさらすようなことにはならないのですか?」
「なりません。――そのような事態が生じて、森辺に破滅を導くことこそを私は一番怖れていますので。その言葉は、私の身命に賭けても誓えます」
ガズラン=ルティムの眼差しに迷いはなかった。
この俺みたいな唐変木ではなく、この大人物がスン家の連中に足もとをすくわれることはないだろう。そう信じることができる、強い眼差しだった。
それで俺は心を固めることができたが、俺のかたわらでアイ=ファはまだ苛立たしげに瞳を燃やしている。
「アスタ。どうしてお前は自分の身を守ることに、そう無頓着なのだ。お前のように非力な男をひとりで宿場町に向かわせることなど、できるはずがないであろうが?」
「あんまりそこを強調しないでくれよ。自分の非力さを思い知らされてるところなんだから……」
「それはしかたのないことです。狩人には狩人の仕事があり、かまど番にはかまど番の仕事がある。そしてルウにはルウの、ルティムにはルティムの、ファにはファの役割というものもあるのです。スン家の暴虐を掣肘するのはルウやルティムの役割であり、宿場町で店を開くのはファの役割――たとえ眷族ではなくとも、そうしてお互いに足りないものを補い合い、より充足した生を目指すのは、私にとって正しい姿だと思えます」
そうしてガズラン=ルティムは、ひさかたぶりに微笑した。
「そして、アイ=ファよ。他家を頼らず何でも自分たちだけで抱えこもうとするのは、ファの家の家風なのではないですか? 自身の安全をかえりみず目的に邁進しようとする、という意味において、アイ=ファとアスタはとてもよく似ているように感じられてしまいます」
やっぱりガズラン=ルティムというのは、相当な大人物なのだろう。
何故ならば――そんな言葉をかけられたアイ=ファが、ものすごく不本意そうな表情で唇をとがらせてしまったからである。
アイ=ファがそんな顔を俺以外の前でさらしてしまったのは、たぶん初めてだったと思う。
俺はガズラン=ルティムの大物っぷりに感心するのと同時に――何というか、無茶苦茶に、その、嫉妬心みたいなものまでかきたてられてしまっていた。
いったい自分の器はどこまで小さいのかと、俺は溜息をつくばかりである。