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異世界料理道  作者: EDA
第四十九章 同じ天の下で
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銀の月の十一日⑦~聖域の晩餐~

2020.3/1 更新分 1/1

 それから、半刻ほどのちのことである。

 洞穴の外から、晩餐の準備ができたという言葉が届けられた。


「ナムカルを始めとする近在の一族が、我々のために晩餐の準備をしてくれた。客人たちも、それで腹を満たしてもらいたい」


 ライタの案内で、俺たちは洞穴の外に向かう。

 再びアイ=ファにおんぶをされて、下界の岩場に降りてみると――そこには煌々とかがり火が焚かれて、実にたくさんの赤き民たちが集っていた。


「おおよそは、ナムカルの家人たちであるようだ。だけどやっぱり、ヴァルブ狩りの一族も多少はまじっているようだな」


 赤く目を泣きはらしたティアが、にこりと笑ってそのように説明してくれた。

 そこに、小さな人影がものすごい勢いで駆け寄ってくる。それは、ティアよりも幼いふたりの女の子たちだった。


「ティア! やっと会えた! ずっとずっと、心配してたんだよ!」


 女の子たちはティアにしがみつき、わんわんと声をあげて泣き始めてしまった。

 ティアは幸福そうに目を細めながら、女の子たちの頭に自分の頬をこすりつける。


「これは、ティアの妹たちだ。上の妹のメグリに、下の妹のカシャという」


「へえ、ティアにはふたりも妹がいたんだね」


 この半刻で、俺とティアもようやく普通に言葉を交わせるようになっていた。本当のお別れは明朝であるのだからと、おたがいに何とか心を律しているのである。

 すると、下の妹であるカシャという女の子が、涙に濡れた目で俺をにらみつけてきた。


「これが、アスタという外界の民なの? 大人の男衆なのに、すごく弱そう!」


「アスタは、狩人ではないからな。しかし、客人であるアスタに失礼な口をきくのはよくないことであるように思う」


「だって! この男衆のせいで、ティアは大きな罪を犯してしまったのでしょう?」


「それは違う。アスタを傷つけたのはティアの罪なのだから、アスタには何の罪もない。……そしてその罪はもう贖われたと判じられたのだから、そのように取り沙汰する理由もない」


 カシャは新たな涙をこぼして、ティアの身体をぎゅうっと抱きすくめた。

 カシャより少しだけ背の高いメグリは、ティアを解放して涙をぬぐう。


「ティアが生きていて、本当によかった。メグリたちはティアがマダラマに食べられてしまったと思って、弔いの儀式をしたんだよ?」


「うむ。ライタからそのように聞いている。長い時間、悲しい思いをさせて悪かった」


「いいの! こうして戻ってきてくれたから!」


 彼女たちは、ティアと同じぐらい純真で、同じぐらい可愛らしかった。

 それに、数センチずつティアより小さいだけで、顔立ちや雰囲気もそっくりだ。ただ、聖水で身を清める儀式をしていないティアだけが、髪や肌の色がくすんでいる。


「あっちで、みんなが待ってるよ! ティアのために、立派な晩餐を準備したからね!」


「いや、だけどティアは……」と、ティアは困った顔で俺を見やってきた。

 俺は「いいよ」と笑ってみせる。


「半年ぶりなんだから、そりゃあ誰だってティアと語らいたいさ。俺たちとは、また後で語らせておくれよ」


「……わかった。アスタたちも、聖域の晩餐を楽しんでほしい」


 そうしてティアは妹たちに腕を引っ張られて、岩場の果てに消えていった。

 すると、横合いからライタがひょこりと顔を覗かせる。


「ティアは行ってしまったか。では、ライタが客人たちの案内をしようと思う」


「うん、ありがとう。えーと、他の人たちは……」


「先に降りた客人たちは、すでに席へと案内されている。こちらだ」


 俺はアイ=ファやバードゥ=フォウたちとともに、岩場の中央へと歩を進めることになった。

 それなりの広さを持つ岩場が、聖域の民ですっかり埋め尽くされてしまっている。族長会議に参席した50名ていどの赤き民と、30頭ずつのヴァルブとマダラマと、そして晩餐の準備をしてくれた近在の一族の人々だ。それはもう、森辺の祝宴に劣らぬ熱気と賑わいであった。


「……赤き民にも、火を使うすべは存在していたのですね」


 と、興味深そうに周囲を見回していたレイリスがそのように言いたてた。


「モルガの山から煙があがることはなかったので、赤き民には火を扱うすべがないのではないかと論じられていたのですが……それは、誤りであったようです」


 確かにその場には、いくつものかがり火が灯されていた。ただ、かがり火の上には葉っぱを重ねて作られた屋根のようなものが掲げられており、それが煙を散らしていたのだった。


「煙をあげると、外界の人間に家の場所を知られてしまう。だからこうして、煙があがらぬように細工をしているのだ」


 先頭を歩きながら、ライタはそのように説明してくれた。

 すると、ななめ後方を歩いていたダン=ルティムがガハハと笑い声をあげる。


「何にせよ、俺の胃袋は空っぽだ! どのような晩餐を出してくれるのか、心から楽しみにしておるぞ!」


「うむ。客人の口にあえばいいのだが、どうであろうな」


「案ずることはあるまい! あちこちから、美味そうな匂いがたちのぼっているではないか!」


 それはもう、岩場に降りた瞬間から、俺も感じ取っていた。判別がつくのは、肉の焼かれる香りと香草の香りである。かつてティアも語らっていたが、聖域においては香草が大いに使われているという話であったのだ。


「ふん。ようやく来やがったか」


 岩場の中央には毛皮の敷物が準備されており、そこにドンダ=ルウたちが待ち受けていた。10名の客人は、これで勢ぞろいだ。

 そして客人たちの他には、3名の赤き民と1頭ずつのヴァルブとマダラマが控えていた。ティアの母親であるハムラと、ラアルと供の男衆、そしてそれぞれ純白の色合いをした狼と大蛇だ。


「おお! おぬしも、そこにおったのだな!」


 陽気に笑うダン=ルティムの姿を、白き狼は静かに見返した。

 数あるヴァルブの中でも、かなりの巨体である。その瞳は美しい金色にきらめき、かがり火に照らされる純白の毛並みは神々しいほどであった。


「どうかくつろいでもらいたい。すぐに食事と酒を運ばせよう」


 そのように言いたてたのは、ハムラであった。

 ティアの母親であるのだから相応の年齢のはずであるが、その面立ちは少女のように若々しい。ただ、その小さな身体には威厳と風格が満ちており、族長に相応しいたたずまいであった。


「そして、あらためて礼を言わせてもらいたい。客人たちの口添えがなければ、ティアの罪が許されることもなかっただろう。ティアの母として、ナムカルの族長として、心から感謝の言葉を伝えたく思う」


「いえ、こちらのほうこそ、ほっとしました。ティアが無事に聖域に戻ることができて、何よりです」


 ドンダ=ルウはすでに挨拶を交わした後であったようなので、俺がそのように答えてみせた。

 そうして敷物の上に車座を作ると、いくつかの小さな人影がちょこちょこと駆け寄ってくる。


「族長ハムラに、族長ラアル、客人らの晩餐を運んできた。前を失礼する」


 車座の中心に、さまざまな食事が置かれていく。その内容に、俺は目を見張ることになった。

 色とりどりの、豪勢な食事である。器こそ原始的なものであったが、そこにのせられた数々の料理は まったく見すぼらしいこともなかったのだった。


 ヤシの実のような殻がふたつに割られて、皿のように使われている。その中に満たされているのは、肉や香草を煮込んだ汁物料理だ。

 森辺でもお馴染みであるゴヌモキの葉には、焼いた肉や団子などがのせられている。

 その他にも、肉を香草ではさんで蒸し焼きにした料理や、見たこともない果実の山や、木の実か何かを蒸した料理などなど――本当に、宴料理と呼びたくなるような様相であった。


「すべての族長がひとつの場所に集まるのは数年に1度のことであるので、さまざまな一族が材料を持ち寄って晩餐をこしらえたのだ。どうか遠慮なく食べてもらいたい」


「うむ! この肉などは、実に美味そうだな! これは、何の肉であろうか?」


「それは、ペイフェイの肉だ。この場に存在しないのは、ヴァルブとマダラマの肉のみであろう」


 ライタはマダラマの鱗のマントを纏っているし、ラアルのお供はヴァルブの毛皮のマントを纏っている。その場に生きたヴァルブとマダラマが同席しているのが、今さらながらに異様な光景であった。


(でも、聖域ではこれが普通の光景なんだよな)


 そんな風に考えながら、俺も取り分けてもらったペイフェイの肉を味わわせてもらうことにした。

 ペイフェイの肉は、かつてティアが森辺に持ち込んだものを口にしたことがある。あの、鋭い爪を持つ巨大なナマケモノめいた獣の肉である。


 ペイフェイの肉は、断面から赤みの覗く、ミディアムレアの焼き加減であった。

 それに気づいたチム=スドラが、「うむ?」と不審げに声をあげる。


「どうもこの肉は、生焼けであるようだが……これで腹を壊すことにはならないのだろうか?」


「うむ! ギバでなければ、生焼けの肉が毒になることもないらしいぞ! 俺もかつては、カロンの生焼けの肉を食わされたものだからな!」


 豪快に笑いながら、ダン=ルティムはペイフェイの肉を大きな口に放り入れた。


「うむ、美味い! 俺には、カロンよりも美味く感じられるな!」


 その笑顔を頼もしく思いながら、俺もペイフェイの肉をかじり取った。

 半年ぶりの不思議な味わいが、口の中に広がっていく。

 ペイフェイの肉というのは、調味料も使っていないのに果実のような甘さと酸味を持つ、実に不可思議な味であるのだ。それがミディアムレアであるためか、いっそう鮮烈に感じられるようだった。


 肉質は、きわめて弾性が強い。しかし、筋張っていることはまったくなく、噛めば噛むほどに果実めいた風味や肉の旨みが口の中に広がっていく。ただ表面を炙り焼きにしただけの肉が、この上もなく豪奢に感じられた。


「ペイフェイの肉は、口に合うか。ならば、これはどうであろうかな」


 ラアルがにやにやと笑いながら、手もとの品を中央に押しやった。

 木の実の殻の皿である。そこに満たされていたのは、ねっとりと赤いプリンのような代物であった。


「これは、ペイフェイの血に塩と水と香草の搾り汁を加えて火にかけたものだ。シャウタルタではペイフェイを狩ったとき、必ずこれを作る」


「塩? お前さんがたは、どうやって塩を手に入れておるのだ? 俺たちは、町で買うしか手段がないのだが」


「シャウタルタの狩り場には、塩の谷が存在する。この近在に塩の谷は存在しないという話であったな、ハムラよ?」


「うむ。塩を口にできるのは、モルガの北側に住まう一族を招いたときだけだ」


 そういえば、ラアルは3日もかけてこの場所を訪れたという話であったのだ。モルガの山の広大さには驚かされるばかりであったが、このような大陸のど真ん中で岩塩が採取できるというのも、なかなかの驚きであった。


 ともあれ、ラアルの差し出した料理である。

 それはぷるんとした質感で、やはりプリンやゼリーを思わせる。俺の故郷でも、血のプリンだとかソーセージだとかは存在したような気がするが――それほどの知識は蓄えていなかった。


「水と塩と香草を加えただけで、血がこんな風に固まるのですか。香草が、そういう効果をもたらすのでしょうかね」


「いや。香草の足りないときは、水と塩だけで作ることもある。また、ペイフェイではなくリオンヌの血でも同じものを作れるので、何も特別なことではないのだろう」


 そこでラアルは、愉快そうに俺の顔を覗き込んできた。洞穴では黒みがかっているように見えた瞳が、今はかがり火に灯されて、ティアたちと同じガーネットのような色合いに見える。


「お前はずいぶんと瞳を輝かせているな、客人アスタよ。そんなにこの食事が気に入ったのか?」


「ああ、俺は森辺でかまど番をつとめているのです。……あ、聖域にかまどは存在しないでしょうか? えーと、つまり、食事を作るのが仕事ということですね」


「ほう」と言いながら、ラアルは含み笑いをした。

 そんなラアルを、ハムラは横目でねめつける。


「ラアルよ。客人を笑うのは失礼であろうが? 聖域においても、力を失った男衆が食事作りを仕事とすることはあるはずだ」


「何もそのようなことを笑っていたのではない。このアスタは考えていることが表にあふれかえる人間であるから、それが愉快であったのだ」


 そう言って、ラアルはさらに血のプリンの器を俺のほうに寄せてきた。


「愉快な人間は、好ましく思うぞ。そんなに興味をひかれたのなら、食べてみるがいい」


「ありがとうございます。……えーと、何か器をいただけるでしょうか? 森辺の民というのは、家族でない相手と同じ皿から食事を口にすることを禁じられているのです」


「ほう。風変わりな習わしだな。……おい、ヌーモの殻を客人の数だけ持ってこい!」


 ラアルの声に応じて、幼い女衆がたくさんの器を運んできてくれた。

 そちらに「ありがとう」と笑いかけてから、俺は血のプリンに取りかかる。そこには薄いへらのようなものが添えられていたので、器に取り分けることも難しくなかった。


 プリンと寒天の中間ぐらいの、やや重たい質感だ。

 控え目にふた口分ぐらいを器に移し、あらためてそれを口に運ぶと――なかなかに濃厚な血の香りが口の中に広がった。

 ただしこれは、ペイフェイの血ゆえであるのであろうが、フルーティな甘みと酸味も感じられる。そこに、香草由来と思しき清涼感も加えられていた。


「うん、美味しいですね。それに、すごく面白いです。血の料理というのは初めて食べたので、いい体験をさせていただきました」


「そうか。お前の同胞らは、たいそううろんげにしているようだがな」


「え?」と左右を見回すと、確かに多くの人々が眉をひそめて俺を見やっていた。アイ=ファに、ドンダ=ルウに、バードゥ=フォウに、チム=スドラに――そして、ダン=ルティムまでもが額に皺を寄せている。


「ふうむ。さすがにアスタは、覚悟が据わっておるようだな! 血の料理をためらいもなく口に運ぶなどとは、なかなか真似のできぬことだ!」


「え? どうしてです? 森辺の民だって、血抜きをしていないギバの肉を長きに渡って食べ続けていたじゃないですか」


「肉の中の血など、焼けば消えてしまうではないか! それでは、覚悟など必要なかろう!」


 しかし森辺の民は、ギバの脳や目玉や内臓でも、おおよそは躊躇いもなく口にしてきたのだ。それで血だけを忌避する理由が、俺にはいまひとつわからなかった。


「たしかアスタも、ご存じではなかったでしょうか? かつて森辺の民は、ギバの力を取り入れるために、その血を浴びる習わしを有していたのです」


 と、ガズラン=ルティムが穏やかな面持ちで説明してくれた。


「それは、黒き森に住まっていた頃からの習わしであったのでしょう。我々の祖は人を喰らう黒猿の肉を口にすることを禁忌としていたため、その代わりに血を浴びていたのです。その習わしを、モルガの森でも引き継いだわけですが……どうやらギバの血には、人間の毒となる成分が含まれていたようなのですね」


「ああ、ギバは生焼けだと腹を壊すということですから、やっぱり血にもそういう成分が含まれているのでしょうね」


「はい。ですから、その習わしもずいぶん古くに取りやめられることになりました。ただ、ごく一部の狩人は、そのような病魔を恐れぬ勇を示すために、近年までギバの血を浴びていたという風聞もありますが――」


 そこでダン=ルティムが、「おお!」と手を打った。


「そうかそうか! アスタは家長会議において、ギバの生き血を浴びたヤミル=レイに婚儀を迫られたという話であったな! それで、ヤミル=レイの裸身を目にしたのだから目玉をよこすべきではないかと、ズーロ=スンにそのような難癖をつけられることになったのだ!」


「ああ、いや、はい、そんなこともありましたねえ……」


 俺はおそるおそる、アイ=ファのほうをうかがってみた。

 当然のように、アイ=ファは山猫のごとき眼差しとなっている。まったくもって、余計な思い出を想起させてしまったものであった。


「え、えーとですね。ギバに関しても、生き血だったのがいけなかったのだと思いますよ? 肉と同じぐらい熱を通せば、血の中の毒素も消えるのだろうと思います。そうじゃなかったら、肉だって食用にはできなかったはずですからね」


「ふーむ。ならば、血そのものを忌避する理由はないということだな! ならば、俺もひとつ食してみるか!」


 ダン=ルティムは血のプリンを豪快にすくいあげて、自分の器に取り分けた。

 それから、あらためて血のプリンをすすり込むと――そのどんぐりまなこが、「おお!」と見開かれる。


「これは、美味いぞ! なんとかいう獣の力が、身体に満ちていくかのようだ!」


 それで他の人々も、おっかなびっくり血のプリンを取り分けることになった。きっと、自分たちのために準備された食事を残すことは許されない、と考えたのだろう。


「うむ、確かに……これは、美味であるように思えるな」


「はい。滋養も豊かであるように感じられます」


 そんな森辺の狩人たちを見回しながら、ラアルはまたにやにやと笑った。


「森辺の民は、あれこれ風変わりな習わしを有しているようだな。獣の血を浴びるだの、裸身を見たら目玉をくりぬくだの、我々には聞いたこともないような習わしばかりだ」


「そうですか。では、森辺の民の祖が聖域の民であるとするのは、早計であるのかもしれませんね」


 ガズラン=ルティムの言葉に、ラアルは「いや」と首を振った。


「すべての聖域の民が、同じ習わしに身を置いているとは限らない。特に白き民などは、ここから遠く離れた地で暮らしていたはずだ。客人ジェムドも、そのように言っていなかったか?」


「はい。白き聖域は、南の地に存在するとされています」


「うむ。東の一族が存在するならば、南の一族だって存在するのであろう。ならばなおさら、異なる習わしを有していてもおかしくはない」


 ラアルは満足そうにうなずいて、香草に巻かれた肉をかじった。


「我々は今日、実にさまざまな話を聞かされた。それらのすべてが真実であると断じきれないのが、惜しいところだが……しかし、愉快であったことに変わりはない」


「はい。わたしはいにしえの文献から紐解いた知識を語っただけですので、それらのすべてが混じりけのない真実であると断じることはかないません。……ただし、真実の一面ぐらいはとらえているのであろうと思われます」


「うむ。真実の一面とは、いい言葉だな。お前の語ったのは虚言ではなく、真実の切れ端であったのだろうと思う。そのように念じて、我々はお前から得た言葉を子や孫たちに語り継ぐことになるだろう」


 そんな風に言ってから、ラアルはにっと白い歯をこぼした。


「客人ジェムドと語ると、つい話が重くなってしまうようだな。さあ、もっと食事を口にするがいい。まだまだ腹は満ちておらぬはずだぞ」


 ラアルにうながされて、俺たちは食事を進めることになった。

 どの料理も、なかなかに美味である。調味料は塩しか存在せず、それすらほとんど使われていないのに、各種の香草が彩りを与えてくれているのだ。


 汁物料理は辛みがきいていて、なおかつ甘酸っぱい果実も投じられていた。肉はいくぶん筋張っていたが、香草のおかげか臭みもなく、しっかりとした肉の旨みが感じられる。これは、リオンヌなる獣の肉であるという話であった。

 それに、汁物料理に使われているヌーモの殻というやつは、底の部分が焼け焦げていた。聖域に鍋などは存在しないであろうから、この殻を直接火にかけているのだろう。


 ベリンボの団子と紹介された料理は、食感がぼそぼそとしていて味気なかったが、汁物にひたして食べると、格段に美味しかった。何かの木の実を細かく挽いて、水で練った上で熱を通した団子であるのだろう。いくぶん土臭い風味を有しているが、まったく食べにくいことはなく、添え物としては上等であった。


 肉を香草ではさんで蒸し焼きにした料理は、なかなか奇妙な味わいであった。肉は淡泊な赤身であったが、香草が甘いバナナのような香りをしており、それが不思議な調和をもたらしている。いったいどのようにして作りあげたのかと尋ねると、ナッチャの肉とルロルカの香草をゴヌモキの葉で包み込み、地面に埋めて、その上で火を焚くのだそうだ。まともな調理器具も存在しないこの地においても、そういうさまざまな工夫が凝らされていたのだった。


 それに、かつてティアからもちらりと聞いていた、酒である。

 その酒は、丸く穴の開けられたヌーモの殻に収められていた。というか、チェリルという果実を潰してヌーモの殻に封じておくと、10日ていどで酒ができあがるのだそうだ。俺もひとなめさせてもらったが、それはアンズのような風味と強烈な甘苦さを有する、なかなかに独特な味わいであった。


「ふむ。これは何かの、虫であるようだな」


 と、アイ=ファが自分の殻に取り分けた料理をつまみあげて、そのようにつぶやいた。

 その手もとを見やった俺は、思わずぎょっと身をすくめてしまう。俺が木の実か何かと思っていたそれは、ころころと肉付きのいい巨大なイモムシのようなものであったのだ。


 いや、印象としてはカブトムシの幼虫みたいなものであろうか。サイズもちょうどそれぐらいで、淡い褐色に蒸された身体が、きゅっと丸く縮められている。その内側に密集した毛のような足が、俺の背中をぞわぞわとさせた。


 アイ=ファの可憐な唇に、その幼虫がひょいっと投じられる。

 アイ=ファは平然とした面持ちで、蒸された幼虫を咀嚼した。


「うむ。これは土の中に住む虫であるのだろうかな。何か、大地の滋養を取り込んでいるような心地だ」


「ア、アイ=ファはそういうのに、抵抗がないんだな」


「うむ? 我々の祖は、黒き森で虫や蛇を喰らっていたという話であったからな。……と、こういった話は控えるべきであったか」


 アイ=ファは気がかりそうに、とぐろを巻いている純白のマダラマを見やった。

 そのすぐそばに座しているラアルは、「いや」と肩をすくめる。


「マダラマならぬ蛇であれば、我々も存分に喰らっている。というか、マダラマ自身も喰らっていよう。それは禁忌でも何でもないので、案ずる必要はない」


「そうか。それならば幸いであった」


 アイ=ファはラアルとマダラマに目礼をしてから、俺に同じ料理を取り分けてくれた。


「お前も、食してみるがいい。他の料理に劣る味わいではないぞ」


「ああ、うん……食べず嫌いはよくないよな」


 俺はあんまり、昆虫食というものを嗜んでこなかった。せいぜいが、どこかからのお土産でいただいたイナゴの佃煮ぐらいであろう。

 そんな俺にとって、この丸々とした幼虫の蒸し焼きは、なかなかにハードルが高かったのだが――しかし、森辺の民たる者、出された食事を忌避することは許されないはずであった。


 これはもう、アイ=ファを見習ってひと口で食するべきであろう。というか、胴体の途中でかじり取る勇気は出せそうにない。俺は呼吸を整えて、なるべく視界をぼやかしながら、崖から飛び降りるような覚悟でもって、それを口に入れてみせた。


「ああン……んぐう……」


「なんだ、おかしな声を出すな、うつけ者め」


 俺の頭を小突いてから、アイ=ファはいぶかしそうに首を傾げた。


「何か今、ずいぶん懐かしい心地がしたぞ。お前はたしか……初めてギバの目玉を食べたときにも、そのような声を発していたな」


 俺は涙目になりながら、うんうんとうなずいてみせた。口の中では、まだ幼虫のあれやこれやが躍り狂っているのだ。


「おかしなやつだ。血の料理は平気で口にする勇気があるのに、虫や目玉を苦手としているのか」


 アイ=ファは目もとだけで微笑みながら、持参の水筒を手渡してくれた。


「その涙がこぼれる前に、さっさと呑み下すがいい。まったく、世話の焼けるやつだ」


 アイ=ファの情愛を満身に味わいながら、俺は水筒の水で口の中身を流し込んだ。

 そんな俺たちの姿を、さきほどからハムラがじっと見つめている。その赤くきらめく瞳には、ずいぶんと真剣な光が灯されていた。


「……さきほどティアに聞いたのだが、ファの家には2名の家人しかなかったのか?」


「うむ。人間の家人は、我々のみとなる。あとは、トトスに犬に猫といった獣の家人たちのみだ」


「そうか」と、ハムラはふいに微笑んだ。

 その眼差しからも鋭さが抜け落ちて、代わりに温かい光が宿される。


「なんとなく、ティアの気持ちを理解できたように思う。ハムラもファの家で暮らしていたならば、お前たちに情愛を抱いてしまいそうだ」


 そのように語るハムラの笑顔は、ティアにそっくりであった。

 そしてその目もとは、ティアと同じように赤く泣きはらしている。どれだけの威厳や風格を有していようとも、彼女はティアの母親であるのだ。


 そんなハムラたちとも、今後は2度と会うこともできなくなるのだろう。

 しかしそれでも、俺はティアの家族や同胞たちと一夜を明かせる喜びを噛みしめたかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 通常運転でイチャついてんなこの二人。 絶対夫婦だって勘違いされてるよね、これ。
[一言] 赤の民の食文化だいぶマシだが、森辺の民どうしてあんな有様を100年近く続けたのか アレか、白の民自体メシマズだったのか
[一言] 石の民と聖域の民には独自の食文化があったのに中間の森辺の民がメシマズだったのは 引っ越ししたことでイギリスのように食文化がリセットされたからなんだろうな
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