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異世界料理道  作者: EDA
第四十九章 同じ天の下で
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銀の月の十一日⑥~裁定~

2020.2/29 更新分 1/1

「ティアが生命を落としそうになったとき、最初に手当てをしたのは、この俺だ」


 しばらくの後、発言の機会をもらったのはチム=スドラであった。


「あれは、本当にひどい手傷であった。鋼の刀により、右の肩から左の腰までを斬り伏せられ、あちこちから白い骨が覗いていたぐらいであったのだ」


 赤き民たちが、おおっとどよめく。そしてヴァルブの狼たちは、その凶行に憤激した様子で双眸を燃やしていた。


「ティアが許されぬ罪を犯していたというのなら、俺も手当てをするべきではなかったのであろうか? しかし俺には、ティアを見殺しにすることなど絶対にできなかった。ティアがどれだけ心正しい人間であるかは、それまでの時間で強く思い知らされていたし……それにティアは、俺の同胞であるアスタを生命がけで救ってくれたのだ。そのような恩人を見殺しにすることなど、できようはずもない」


「…………」


「もちろん、俺の粗末な手当てだけでは、ティアも魂を返してしまっていただろう。その後にひと晩をかけて手当てをしてくれたのはそちらのシュミラル=リリンであるし、シュミラル=リリンに力を添えたのは、アスタとアイ=ファだ。そして、アスタたちがティアの手当てにかかりきりであった間、ファの家に力を添えたのは、フォウの血族やディンやリッドの女衆となる。それだけの人間が力を尽くして救うことになったティアの生命を、この場でむざむざ散らすことなど……俺にはどうしても、納得がいかない。また、俺たちはこれだけティアを正しき存在であると認めているのに、同胞たるお前たちがそのように考えないということが、どうしても腑に落ちないのだ」


「…………」


「ティアは確かに、アスタを殺めようとした。しかし、俺が指し示すモルガの山を見て、自分こそが禁忌を犯しているのだと知った瞬間、涙を流して俺たちに詫びてくれた。アスタの首にはティアの指の跡が残されていたが、数日で消えるていどのわずかな痛手だ。それしきの痛手の代償として、ティアは文字通り自分の生命を投げ出した。ティアは十分以上に罪を贖ったのだと、俺たちはそのように信じている」


 きっとチム=スドラもこの場で何を語るべきか、ずっと思案していたのだろう。彼には珍しい長広舌でそれだけまくしたてると、厳しい面持ちのまま岩場の段に座りなおした。


「……これで口をきいていないのは、お前だけであるようだな、客人アイ=ファよ」


 ラアルの言葉に、アイ=ファは「うむ」とうなずいた。


「同胞らがこれだけ言葉を重ねてくれたので、私が語るべき言葉はそれほど残されていないように思う。……しかし、ティアはこの半年の間をファの家で過ごしていた。ティアがどれだけ心正しき人間であるか、それを一番わきまえているのは私とアスタであろう」


「ティアは、心正しき人間であったか?」


「ティアは、心正しき人間であった。そして、大神の存在を何よりも重んじていた。その一点に、疑う余地はない」


 静かで、なおかつ力強い声で、アイ=ファはそのように言葉を綴った。


「さきほどアスタも言っていた通り、当初のティアは幾度となく自分の首を刎ねるべきだと言いたてていた。こちらが食事を与えたり、歩くための杖を与えたりするたびに、どうせ自分はすぐに首を刎ねられるのだから、そのような真似をする必要はないと言いたてて……その頑なさに、こちらが腹立たしくなるほどであったのだ。そうして常に、我々の迷惑にならぬようにと心を砕いていた」


「…………」


「ティアは自分の右肩が完全には力を取り戻せぬことも、1年の終わりが間近に迫っていることも察していた。しかし、そのような無念や悲しみさえ、我々にはひた隠しにしていたのだ。そのような話を打ち明けても、我々を暗い気持ちにさせるだけだと言い張って……そのような頑なさは、本当に腹立たしく思えてならない」


 そう言って、アイ=ファは1度だけ首を強く振った。


「そして、同時に……ティアの強さと清らかさに、私は打ちのめされることになった。我々は、誰に恥じることなく生きられるように、強い気持ちで正しき道を進むべきだと、常に自分を律しているつもりだが……ティアほど清廉で、そして強き心を持つ人間は、森辺にも存在しないかもしれない。私はティアの強さと清らかさに、心から敬服している」


「…………」


「そんなティアを育んだのは、この場にいる聖域の同胞たちだ。よって私は、ティアに正しき道が示されるのだと信じている。どうか、正しき判断を下してもらいたい」


 アイ=ファが口をつぐむと、聖域の民たちはまたどよめいた。

 それを制するように、ラアルが鋭く声をあげる。


「森辺の民の言い分は、理解できたように思う。やはりお前たちは、我々とどこか似た部分のある一族であるようだ。……しかしそれでも、お前たちが外界の人間であることに違いはない」


「それで何か、不都合でも生じるのであろうか?」


 しばらく静観していたドンダ=ルウが、重々しく問い質した。

 ラアルは真剣な面持ちで、「うむ」とうなずく。


「お前たちの言う通り、ティアは強さと清らかを持った人間であるのかもしれない。しかし、ティアがどれだけ強くとも、どれだけ清らかであろうとも、罪の大きさに変わりはないのだ」


「その罪とは、何を指してのことであろうか?」


「むろん、外界で長きの時間を過ごしたことについてだ」


 ラアルは、むしろ沈着さを増した様子でそのように言いたてた。


「禁忌には、禁忌になるべき理由がある。外界に出てはならじという禁忌は、外界の人間と諍いを起こしたり、あるいは友や同胞になってしまったりすることを禁ずるための掟であるが……それともう一点、聖域の民としての力を守るためでもあるのだ」


「聖域の民としての力とは? やはり、ティアが狩人としての力を取り戻せなかったことを取り沙汰しているのであろうか?」


「違う。狩人ではなく、聖域の民としての力だ。狩人ならぬ幼子でも、老人でも、それは変わるところがない。それはすなわち、不浄を遠ざけることによって得られる力である」


 ラアルとドンダ=ルウの言葉を前後からあびせられながら、ティアは身じろぎひとつしない。

 俺は息を詰めながら、ラアルの言葉を聞くことになった。


「我々が最たる不浄と考えているのは、ふたつ――鋼と、石の家だ。森辺の民は石ではなく木の家で暮らしているという話であったが、鋼の武器を扱っていると聞いた。不浄の鋼に囲まれて長きの時間を過ごしたティアに、聖域の民としての資格は残されているのか、ラアルはそれを判じかねている」


「しかし、ティアが鋼の刀を手に取る機会などはなかったはずだ。それでも、罪に問われるのか?」


「では、逆に問おう。鋼とは、この世のすべてを断ち切ることのできる存在だと聞いている。我々は肉や蔓草などを切る際にベルゼの石の刀を使っているが、外界ではどうなのだ?」


「それはむろん、鋼の刀を使っていよう」


「では、家を作るためにも鋼で木を切り刻んでいるのではないのか?」


「鋼ではなく、鉄の鋸を使うことが多いが……鋼の鉈や斧を使うこともあろうな」


「であれば、鋼にて作られた家や食事も、不浄の存在となろう。ティアは、長きに渡って不浄の存在により生き永らえていたことになるのだ」


 ドンダ=ルウは押し黙り、針金のように硬そうな顎髭をまさぐった。

 俺は、緊張に汗ばむ手をぎゅっと握り込む。


「不浄は、聖域の民の心身を穢す。穢れた人間を、同胞として迎え入れることは許されない。……ラアルは、そのように考えている」


「では――」と、低いが張りのある美声が響く。

 ドンダ=ルウとは反対の端に座した、ジェムドである。


「何故に、鋼は聖域の民の心身を穢すのでしょう? 石であろうと鋼であろうと、刀で切られた肉や蔓草に変わりがあるのでしょうか?」


「ある、と我々は考えている。だからこそ、不浄の鋼を身から遠ざけているのだ」


「そうですか。しかしそれは、鋼を不浄とする大前提から生じた派生事項なのではないでしょうか? そもそも鋼そのものを遠ざけていれば、鋼によって処理された肉や蔓草に触れる機会もないのですから、あえて忌避するまでもないように思います」


 ジェムドの言葉に、ラアルはおもいきり顔をしかめた。


「客人ジェムドが何を語らっているのか、ラアルにはわからない。わかるように語らってもらいたく思う」


「失礼いたしました。わたしは禁忌の理由について取り沙汰したく思っています」


 あくまでも穏やかな面持ちと口調で、ジェムドはそのように言いつのった。


「はからずも、さきほどラアルが仰った通り、禁忌には禁忌になるべき理由というものが存在します。聖域の民が、何故に鋼の道具と石造りの家を忌避しているか……それは、聖域の民としての資格を保つためでありますね。では、聖域の民の資格とは、何でしょう? それはすなわち、魔術師の資格ということになります」


 赤き民たちは、ざわめきをこらえるように息をひそめつつ、ジェムドの言葉を聞いていた。十四の小神にまつわるやりとりのおかげで、ジェムドの言葉には大きな関心を抱かずにはいられないのだろう。


「聖域の民とは、大神の目覚めを待つ一族です。大神の目覚めとは、大地の魔力の復活と同義です。あなたがたは、太古の時代に枯渇した大地の魔力が完全に回復するのを待ち焦がれているのです。では、大神が眠りから覚め、大地に魔力が満ちあふれたとき、いったい何が起きるのか――答えは、ひとつです。聖域の民は、再び魔術を行使することがかなうようになるのです」


 客人のほとんどは、俺を含めて大きな驚きにとらわれることになった。

 まったく顔色を変えていないのは――シュミラル=リリンひとりである。


「あなたがたは、そのためにこそ、聖域で身を清らかに保っているのです。自然の中に身を置いて、石の武器で獲物を狩る。それこそが、魔術師としての資格を保つための、唯一の道であったのです」


「では、不浄の存在とは? 何故に鋼や石造りの家は、心身を穢してしまうのでしょう?」


 こらえかねたように、ガズラン=ルティムが問い質した。

 ラアルたちのほうに視線を固定したまま、ジェムドは答える。


「それは、鋼や石造りの家といったものが、自然の摂理に反した存在であるゆえです。この地において、鋼や石造りの家に精霊は宿らないのです。精霊とは、この世の万物に宿っているとされていますが……鉄を鋼として鍛える叡智は、精霊を退ける行いでもあったのです。石を四角く切り出して、家や道とするのも、また同様です。鋼を扱い、石造りの家に住まう我々は、たとえこの世に魔力が満ちあふれようとも、決して魔術を行使することはかなわないのです」


「精霊……それは神々と同じように、人間には見ることも触れることもかなわない存在とされているはずですね」


「その通りです。しかし、この世は精霊にあふれています。魔力の枯渇とともに、すべての精霊は姿を消したはずですが……それからすでに600年以上の歳月が過ぎているのですから、魔力も精霊もあるていどは蘇ったものと推測されます。それらの精霊とともにあるために、聖域の民は聖域で暮らしているのです」


 ジェムドはいったん口をつぐみ、言葉を探すようにまぶたを閉ざした。


「よって、聖域の民は鋼と石の文明を忌避します。この新たな文明は人間に大きな力を与えましたが、その恩恵にあずかった人間は、魔術師としての資格を失ってしまうのです。然して、ティアはどうでしょう? 彼女は確かに半年の時間を外界で過ごしましたが、それは致命的な行いであったのでしょうか? 鋼の刀で調理された食事を食べ、鋼の道具で作られた家で暮らしていたとしても、森辺の集落は森の中に存在します。石の壁や石畳にはねのけられることもないのですから、森や大地の精霊たちも、友たるティアにずっと寄り添っていたのではないでしょうか?」


「しかし……それを判ずることは、誰にもできまい」


 ラアルの反駁に、ジェムドは「そうなのですか?」と小首を傾げた。


「石の都に住まう我々には、それを判ずることもできません。しかし、聖域の民たるあなたがたであれば、判ずることはできるはずです。あなたがたの目に、このティアはどう映っているのです? 聖域の同胞ですか? それとも、外界の人間ですか? ……それが、答えとなります」


「しかし」と、別の族長が声をあげた。


「それを言うならば、森辺の民とて我々の同胞のように見えなくもない。少なくとも、客人ジェムドと客人レイリスを除く人間は……いや、客人アスタもそうなのだろうか? ともあれ、それを除く7名に関しては、我々とさほど変わらぬ気配を感じる。ならば、気配だけで同胞か否かを判ずることはできなかろう」


 すると、ジェムドよりも早くガズラン=ルティムが発言した。


「それはもしかしたら、我々の出自に理由があるのかもしれません。何の証もない推測となりますが、しばし語らせていただいてもかまわないでしょうか?」


「……証のない話に、意味などあるのだろうか?」


「この話に意味があるかどうかは、むしろ聖域の方々に判じていただきたく思います。……ドンダ=ルウも、よろしいでしょうか?」


「例の件か」と、ドンダ=ルウは鼻を鳴らした。


「まさか本当に、そのような話を取り沙汰することになろうとはな。……まあ、貴様を供に選んだのは、俺だ。好きに語ってみせるがいい」


「ありがとうございます。……森辺の民は、聖域の民を祖にしているという可能性があるのです」


 今度こそ、聖域の民たちは驚愕をあらわにした。

 てんでに騒ぎたてようとする同胞を手で制し、ラアルがガズラン=ルティムをねめつける。


「ずいぶんと、愉快な話を聞かされるものだ。……まずは語るだけ語るがいい」


「承知しました。……これは、森辺に伝わる伝承と、外界で語り継がれていた伝承を組み合わせて導いた推論となります。まずは、外界で語り継がれていた伝承を聞いていただきましょう」


 そうしてガズラン=ルティムは、語り始めた。

 かつてニーヤがルウの祝宴で歌った、『黒き王と白き女王』についてである。


 古きの時代、東の王国を捨てた雲の民――ガゼの一族は、黒き獣の棲む黒き森にて、白き女王の一族と邂逅した。白き一族は身体が小さく、言葉も通じず――しかし、森の声を聞くことのできる、不思議な一族であった。

 名前のある神を持たず、森を母とする白き一族は、ガゼの一族と血の縁を結び、黒き獣と戦うことになった。そうして彼らは、ともに黒き森の民となった――『黒き王と白き女王』とは、そんな物語だ。


「我々がモルガの森辺に移り住んだのは、80年の昔となります。それ以前のことを知る人間は、もはやルウ家の最長老ジバ=ルウひとりです。そのジバ=ルウから伝え聞いたところによると――我々の祖は、かつて黒き森という場所で、黒猿という獣を狩っていたというのです。また、我々のかつての族長筋は、ガゼ家と呼ばれていました。それらの話を組み合わせて、『黒き王と白き女王』とは我々の祖の物語なのではないか――と、取り沙汰されるようになりました」


「…………」


「さらに我々は、ティアと出会って赤き民についてを知りました。身体が小さく、女衆を長とする習わしから、白き一族というのは赤き民と同じく聖域の民だったのではないかと……そのように推論するに至ったのです」


「…………」


「ラアルはさきほど、白き民は滅んだと言っていました。それは、外界の一族と血の縁を結んだことにより、聖域の民としては滅んだ、ということなのではないでしょうか? もとより雲の民というのは東の王国の民であったので、それは『友にも同胞にもなってはならじ』という禁忌を破ったことになります。雷の鳥なる同胞を失い、黒猿の脅威にさらされることになった白き一族は、強き力を持つ雲の民と巡りあい、聖域の民としての生を捨て、黒き森の民――森辺の民として生きていく道を選んだ、ということなのかもしれません」


 洞穴を満たしていたざわめきが消えていき、重苦しい静寂が満ちることになった。

 そこに、ラアルの厳粛なる声が響く。


「森辺には三つの族長筋が存在するという。客人ドンダ=ルウに白き民の族長としての証は見られないが……別なる族長に、その証は残されているのであろうか?」


「ふむ? 族長の証とは?」


「族長は、聖なる色をその瞳に宿している。赤き民もこれだけの族長が生まれることになったが、もっとも古き血をひくシャウタルタとナムカルには、赤き瞳を持つ人間が多い」


「なるほど」と、ドンダ=ルウは鼻を鳴らした。


「どうにも出来過ぎた話で、口にするのもはばかられるが……かつての族長筋であったガゼおよび眷族のリーマには、白銀の瞳を持つ人間が多かったと聞いている」


「……虚言では、ないようだな」


「森辺において、虚言は罪とされている。また、同胞ならぬティアを救うために、虚言を吐く理由はない」


 ラアルは、再び口を閉ざした。

 ガズラン=ルティムは、ゆったりと言葉を重ねていく。


「何も証はない話です。しかし、森辺の民は黒き森の時代から、外界の民との交流を避けていたと聞いています。ここ数年では、ずいぶんと外界の人間と絆を深めることになりましたが……それでも、森の中に生きる狩人の一族であるということに変わりはありません。ならば、聖域の民と似た気配を有していたとしても、不思議はないのではないでしょうか?」


「はい。やはり森辺の民というのは、聖域と外界の狭間に生きる一族であったのでしょう。一般的に、王国の民というのはわたしやレイリスのような人間を指します。森辺の民が聖域の民と多くの共通点を持っているからこそ、森辺の集落で過ごしていたティアも、不浄で大きく身を穢すことにはならなかったのではないでしょうか」


 ジェムドが、そのように言い継いだ。

 そう、もともとはそれが論点であったのだ。


「ティアを救ったのがわたしたちであり、過ごしていたのが石の町であったなら、ティアの身は穢れていたかもしれません。そしてティアもまた、石の町で過ごすことを忌避していたことでしょう。山を下りた狼が犬と化すように、聖域を離れた人間は外界の人間と化すのです。しかし、森辺の集落は聖域と外界の狭間であるゆえに、ティアは外界の人間に成り果てずに済んだのではないか――と、フェルメス様はそのように推察しています」


「……いい加減に、結論は出たのではないだろうかな」


 と、長らく発言を控えていたルジャが声をあげた。


「どこからどう見ても、ティアは聖域の民だ。半年の前と現在とで、どこにも変わりはなかろうよ。ティアが不浄に穢されたと感ずる人間が、この場にひとりでもいるのか?」


 答える人間はいなかった。

 そしてその目が一対ずつ、ラアルのほうに向けられていく。取り仕切り役であるラアルがどのように判じたのか、その答えを待っているかのようだった。

 ラアルはしばらく虚空を見据えてから、顔をあげる。

 その鋭い光をたたえた瞳が見据えたのは――俺だった。


「結論を出す前に、ひとつ聞いておきたい。……客人アスタにとって、ティアとは何なのだ?」


「はい。それは、どういったご質問でしょうか?」


「客人アスタはさきほどから……いや、この場に足を踏み入れたその瞬間から、ずっとティアのことを思いやっているように感じられる。ティアが罪人として扱われれば、怒り、嘆き……ティアの罪が許されそうになれば、喜び、安堵し……まるで尻に火のついたペイフェイのように、激しく心を乱している。それは、何故なのだ?」


「それは……もちろん、ティアに正しい行く末がもたらされることを願ってのことですが……」


「客人たちの大半は、そのように願っているのであろうと思う。しかしその中で、客人アスタは際立って心を乱してしまっているのだ」


 ラアルはあぐらをかいた膝に腕をのせて、ぐっと身を乗り出した。


「客人アスタは、まるで家族を見るような目でティアを見ている。お前の瞳には、ティアに対する慈愛の光があふれかえっている。……お前は本当に、ティアの友でも同胞でもないのか?」


「友でも同胞でもありません。ただ……友や同胞と同じぐらい、ティアのことを大事に思っています。それこそ、家族のようにティアのことを慈しんでしまっています」


 俺は、こぼれそうになる涙を必死にこらえながら、そのように言いつのってみせた。


「だけど俺は森辺の民で、ティアは聖域の民です。いつかはこうして別れの日が来るのだと、覚悟を固めていました。こんなに好ましく思える相手と別れなければならないのは、本当に苦しいことであり……それこそが、友にも同胞にもなってはいけない相手を慈しんでしまった罰なのだと、ティアはそんな風に言っていました。俺も……その苦しさを、甘んじて受けたいと思います」


「……であれば、最初から情をかけるべきではなかったのではなかろうかな」


「そうなのでしょうね。でも、それは無理な話でした。半年もの間を一緒に過ごして、ティアを心から遠ざけることなんてできなかったのです。俺は、聖域の民として誇り高く生きようとするティアのことを……心から、好ましく思います。だから、ティアに聖域の民としての正しい道を示してほしく願っています」


 ラアルは小さく息をついて、俺とティアの姿を見比べた。


「では、ティアにも聞いておきたい。外界の人間とそうまで深く絆を結んだティアが、聖域の民として正しく生きていくことはかなうのであろうか?」


「かなう」と、ティアは静かに答えた。


「ティアも、アスタのことを好ましく思っている。アイ=ファのことも、ドンダ=ルウのことも――森辺に好ましくない人間などは存在しなかった。しかしそれでも、ティアの故郷はモルガの山であり、家族や同胞を捨てることなどはできないのだ」


 俺たちに背中を見せたまま、ティアはぐっと胸をそらせた。


「アスタやアイ=ファを家族と呼ぶことができたら、どれほど幸福であったか……そんな風に考えることも、しょっちゅうだった。だけど、ナムカルの家族たちを捨てることなどできようはずもない。アスタたちと別れるのは、心を引き裂かれるほどの苦痛だが……アスタがさきほど言っていた通り、それこそが罰であるのだろう。ティアはその耐え難い痛みを胸に抱いて、聖域の民として生きたく思う」


「……お前はそれほどに、外界の人間に情を移していたのか」


「うむ。虚言を吐くことは許されない。ティアは本物の家族と同じぐらい、アスタとアイ=ファを好ましく思うようになってしまったのだ」


 俺は、ぐっと奥歯を噛みしめた。

 そうしないと、激情の塊が嗚咽としてこぼれてしまいそうだったのだ。


(俺だって……ティアと家族になれたら、どんなに嬉しかっただろう)


 だけどティアには、故郷と家族がある。

 俺はそれらを失ってしまったが――ティアには帰るべき場所があったし、そのためにこそ、数々の試練を乗り越えてきたのだ。


「では……外界の民として生きることを許す、としたらどうだ?」


 ラアルが、そろりと切り出した。


「大神の子としての証である顔と手足の紋を削ぎ落とせば、外界に出ることは許される。大神に魂を返すよりは、そちらのほうが幸福なのではないだろうか?」


「ラアルは、ティアを試しているのであろうか? そのような考えに至っていたのなら、ティアは最初から自分でその道を選んでいた」


 ティアは、あっさりとそう言い放った。


「ティアの罪が許されないのなら、この魂は大神に返す。そのために、ティアはこの場に戻ってきたのだ」


「そうか」と、ラアルは溜め息をついた。


「確かにお前は、13歳の娘とは思えぬほどの強情さを有しているようだ。……では、決を取ろうと思う」


 そのいきなりの宣言に、俺は息を呑む思いであった。

 しかし俺が声をあげるより早く、ラアルは朗々と声を響かせる。


「ナムカルの族長ハムラの子たるティアを聖域の同胞と認められない者は、立ち上がるがいい。立って、おのれの意思を大神に示すのだ」


 惑乱しながら、俺は視線を巡らせることになった。

 立ち上がる者は――いない。

 ラアル自身も、座したまま周囲を見回していた。


「……すべての族長が、ティアに罪はないと判じた。我々は、ティアが聖域に戻ることを認めよう」


 ティアの背中が、わずかに震えた。


「本当に……ティアの罪は許されたのか?」


「罪を許したのではない。罪はすでに贖われたと見なしたのだ。そのように言い張っていたのは、お前であろうが?」


 ラアルがひさびさに、にやりと笑う。


「いや、そのように言い張っていたのは、むしろ後ろの客人たちだったな。何にせよ、我々の意思はひとつにまとめられた。この決定をくつがえすことは、何者にもかなわない」


 その言葉が語り終えられるより早く、広場から立ち上がる者があった。

 ティアの母親である、ハムラだ。

 一歩遅れて、ライタと白き狼も飛び出してくる。だけどやっぱり、最初にティアを抱きすくめたのは、母親であった。


「すまなかった、ティア……ティアの家族であるハムラは、何も語ることが許されなかったのだ……」


 ハムラは、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。

 その両腕が、ティアの背中をかき抱いている。彼女はティアより少しだけ背が高く、顔立ちも大人っぽかったが――そのあどけない泣き顔は、ティアにそっくりだった。


 白き狼はティアの背後に回り込み、背中の空いている部分に鼻先をこすりつけていた。

 ライタは途中で足を止め、ティアたちの姿を見つめながら、ぽろぽろと涙を流している。


 ティアはこちらに背中を向けているので、どのような顔をしているのかもわからない。

 しかし、その口から赤ん坊のような泣き声が放たれるのに、それほどの時間はかからなかった。


 他にも何名かの赤き民たちとヴァルブの狼らが、ティアを取り囲んでいく。それですぐに、ティアの小さな姿は見えなくなってしまった。


 ティアはようやく、故郷に帰ることを許されたのだ。

 今は、俺などが駆けつけるべきではない。

 俺はぎゅうぎゅうと拳を握りしめながら、ただ涙と嗚咽をこらえるばかりであった。


(おめでとう、ティア。……本当によかったな)


 すると、アイ=ファが肘で俺の腕をつついてきた。


「……涙などこぼすのではないぞ、アスタよ」


 振り返ると、アイ=ファが仏頂面で俺を見つめていた。

 嗚咽がこぼれそうであったので、俺には答えることができない。

 ただ――星の苔の青白い光の下で、アイ=ファの瞳にもうっすらと光るものがあるように感じられた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] この回は感動しました。以後、楽しみにしてます。
[良い点] なんともずっとやきもきする展開でしたが、ようやくホッとすることができました。 [一言] ここではアスタの料理の出番は無いだろうなぁ。 禁忌が軽くなってしまうw
[気になる点] あれ、辛い思いして細かく描写された往路の山登りについてフォローなし? このままじゃ、ただの嫌がらせってことにしかならないのでは。
感想一覧
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