銀の月の十一日⑤~大神の落涙~
2020.2/28 更新分 1/1
空を駆け巡る流星群は、およそ四半刻ていどで消失することになった。
これほどの短時間に、あれほどの激しい流星が集中することなど、たぶん俺の故郷ではありえないのだろう。何にせよ、俺たちの心を騒がせた流星群は、至極唐突に消え失せることになったのだった。
俺たちが洞穴の広場に引き返すと、聖域の民たちものろのろとした足取りで戻ってきた。この世ならぬ光景を前にして、まだ誰もが魂を飛ばしている様子である。表情のわからないヴァルブやマダラマたちも、それは同様であるように感じられた。
すべての参席者が敷物の上に座し、ひと息というには長すぎる時間が過ぎたのち、取り仕切り役のラアルが厳粛なる声音で発言した。
「大神が、その意志を子たる我々に示してくれた。この上は、言葉を重ねる必要もなかろう」
答える者はいない。その静けさが、俺の不安を煽りたてた。
「ティアには、この場で魂を返してもらおうと思う。よもや、反対する者はあるまいな?」
「ちょ……ちょっと待ってください! どうしていきなり、そんな話になってしまうのですか!?」
たまらず声を張り上げると、ラアルは「ああ」と夢から覚めたように俺を見やった。
「そうか。客人たちには、説明が必要であろうな。さきほどの、天から降り注がれた星の光――あれは、『大神の落涙』であったのだ」
「は、はい。みなさんがそんな風に呼んでいたのは聞いていましたけれど……」
「大神は、嘆き悲しんでいる。やはり、ティアはその魂を返して罪を贖う他ないのだ」
「だ、だからどうして、そうなってしまうのですか? 大神の嘆きとティアの罪は、関係ないでしょう?」
「関係ないはずがない。それでは何故、この夜に大神の涙が流されたのだ? 大神は、子たるティアが数々の罪を犯してしまったことを、嘆き悲しんでいるのだ」
最前までの人を食ったような態度はなりをひそめて、ラアルは顔つきまでもが厳粛になっていた。
「そうでなければ、この夜に大神の涙が流される理由はない。客人たちはいにしえの作法に従って招き入れたのだから、大神が嘆く理由にはならないし……我々の作法に間違った部分があったのなら、嘆きではなく怒りをあらわにするはずであろう」
「だ、だけど……」
「もちろんティアは、我々にとっての同胞だ。ティア自身も罪を悔いているのだから、むやみに苦しめたりはしない。ベルゼの刀で首を切り、大神に魂を返したのちは、モルガの山に手厚く葬ろう」
俺は困惑の極みに陥り、無意識の内に立ち上がろうとしていた。
しかし途中で、腕をつかまれる。腕をつかんだのはアイ=ファではなく、反対の側に座していたシュミラル=リリンであった。
「お待ちください。流星群、聖域において、大神の嘆き、されているのですね?」
「むろんだ。大神の瞳は天空に瞬き、その涙もまた星として流れる。大神が眠りの中にあっても、その事実に変わるところはない」
「なるほど。東の王国、おいても、流星群、凶兆、されていました。東の民、星読み、得意、しているのです」
シュミラル=リリンは微笑んでこそいなかったが、とても穏やかな表情をしていた。
そして、そのやわらかい眼差しで俺を見やってから、またラアルのほうに向きなおる。
「なおかつ、星読みの技、魔術の名残、言われています。この大陸、魔術、支配されていた時代、星読みの技、生み出されたのでしょう。王国の民、魔術を捨て、新たな文明、築きましたが、東の地、星読みの技、受け継がれたのです」
「……それが、なんだというのだ?」
「流星群、凶兆、正しい、思います。ただし、見極め、重要です。星の意味、決して、見誤ってはならないのです」
ラアルの姿を真っすぐに見つめながら、シュミラル=リリンは言葉を重ねた。
「大神、何故、涙、こぼしたのでしょう? ティア、大罪、犯したからでしょうか? ……私、違う、思います」
「ふん。では、客人らが何か、大神を嘆かせるような不始末をしでかしたとでもいうのか?」
「いえ。この夜、もっとも重要、ティアです。原因、ティアなのでしょう」
「わからんな。言葉が不自由すぎるのではないか、客人シュミラル=リリンよ」
「申し訳ありません。ただ、思い出してほしいのです。大神、いつ、涙、こぼしましたか?」
ラアルは、うろんげに眉をひそめた。
他の赤き民たちも、おおよそは同じような表情である。
それらのすべての人々に向かって、シュミラル=リリンは静かに言葉を紡いでいった。
「あなた、ティア、魂、返すべき、主張していました。ルジャ、反論しましたが、あなた、聞き届けませんでした。ティア、間違い続け、聖域の民、相応しからぬ人間、断じました。そして、ルジャ、言葉、失ったとき――大神、涙、こぼしたのです」
「……それはつまり……」
「はい。ティア、許されないこと、大神、嘆き悲しんだのではないでしょうか? 私、そのように思います」
「……客人シュミラル=リリンよ。それはあまりに、都合のよすぎる言葉だと思えるぞ」
ラアルがひさびさに、不敵な微笑を浮かべた。
そしてその双眸には、これまで以上の熾烈な輝きが灯されている。他の赤き民たちも、何名かは同じような目つきになっていた。
「そして、外界の人間たるお前に大神の意思を取り沙汰されるのは、きわめて不愉快に感じられる。客人には、客人としての礼節をわきまえてもらいたい」
「そのお言葉には、異を唱えさせていただきたく思います」
と――シュミラル=リリンではなく、ジェムドがそのように反論した。
「東の民というのは、この世においてもっとも星読みに長けています。シュミラル=リリンはもはや東の民ではなく、森辺の民となりますが、その言葉は一聴に価することでしょう」
「しかし、東の民であろうと森辺の民であろうと、外界の人間であることに変わりはない。大神を捨てた人間に、大神の意思をはかることなどできようはずもないではないか」
「いえ。我々は、大神を捨てたわけではありません。捨てたのは、あくまで大神への信仰です。眠りに落ちた大神の代わりに、我々は新たな神々を崇めるに至ったに過ぎないのです」
「だから、それこそが大神を捨てた証であろうが? この世に、大神の他に神はない」
「そうでしょうか? 大神にも、かつては供たる神々が存在したはずです」
深くしみいるようなバリトンの声で、ジェムドはそのように言いつのった。
「神が唯一であったなら、大神と称する理由はありません。神が大いなる存在であるのは自明の理であるのですから、そのように言葉を飾る必要はないのです。然して、大神は大神と呼ばれている。それこそが、大きからぬ神が存在した証となりましょう。……大神と、その供たる十四小神の伝承は、いにしえの文献に残されているのです」
ラアルは愕然と、小さな身体をのけぞらせていた。
他の族長たちも、色を失って顔を見合わせている。ただ、供の男衆らはみんないぶかしそうな面持ちであった。
「どうして……どうして外界の人間であるお前が、その聖なる数字を知っているのだ。大神に十四の供あり、というのは……赤き民の族長にのみ語り継がれる、秘密の言葉であるはずだ」
「それは我々が、租を同じくしているためです。さきほどもお話しした通り、我々はかつて同じ大神のもとに生きる同胞であったのです。そして我々は、言葉のみではなく文字の読み書きという文明を携えているため、多くの知識を後世に残すことがかなったのです」
「…………」
「いにしえの文献において、十四小神の伝承も綴られていました。現在も、その半数は外界において神と崇められているのです」
「十四の供たる小神らが……外界で崇められている?」
「いえ。あくまで、その半数です。七つの神は小神として崇められ、残りの七つは邪神に貶められてしまったのです。その七邪神こそが……七つの聖域にこもった、あなたがたの小神であったのでしょう」
「虚言だ!」と、別の場所からわめく者があった。
広場の左端に座していた、ヴァルブ狩りの族長のひとりである。
「我々は、大神が目覚めるその日まで、小神を崇めることを禁じられている! その禁忌の名が、外界になど伝わっているはずがない!」
「では、その禁忌の名をわたしが語ることは許されましょうか? 許されるのでしたら、その名を語ることで証とさせていただきたく思います」
何かとてつもない動揺に襲われたように、赤き民の人々はどよめいた。
その中で、ラアルがすっくと立ち上がる。
「禁忌の名を、族長ならぬ者たちに聞かせることはできん。このラアルが、客人ジェムドの言葉を聞き届けたく思う」
そう言って、ラアルはひたひたとこちらに近づいてきた。
岩場の段から降りたジェムドがひざまずくと、ラアルがそちらに顔を寄せる。
「声をひそめて語るがいい。もしもお前が虚言を語っていたならば、相応の罰を受けてもらう」
俺からは数メートルの距離があったが、それでもかろうじて両者の会話を聞き取ることができた。
ジェムドは「承知いたしました」と美声で囁く。
「……ただし、七邪神のいずれが赤き民の神であるかは推測するよりありませんので、いくつかの名をあげさせていただきたく思います」
「ふん。その名が七つ以上に及んだら、虚言であると判じさせてもらうぞ」
「七つまでは、あげる必要もないかと思われます。……赤き民に伝わる小神の名は、調和神ダッバハ、あるいは薬神ムスィクヮではないでしょうか?」
ラアルは、ぐらりとよろめいた。
ジェムドはひとつうなずくと、身を起こして背後の段に座す。
「その二神こそが、西の地に存在する赤と黄の聖域のそれぞれの小神であろうと、フェルメス様は推論を立てておられました。納得いただけたのならば幸いに存じます」
ラアルは無言のまま、もとの場所に戻っていく。その小さな身体からみなぎる緊迫感に、人々はいっそうざわついた。
やがて白蛇のかたわらに座したラアルは、「何故だ?」と底ごもる声で問うた。
「よりにもよって、どうして我々の神が邪なものとされてしまったのだ? 外界の人間は、聖域の民を邪なものと見なしているのか?」
「そうではありません。外界の人間もまた、強き掟に縛られているのです。それは、魔術を禁忌とする掟です。我々は新たな文明を築くために、魔なるものを排除する必要があったのです」
「…………」
「聖域の民と友や同胞になれぬのと同じように、我々は聖域の小神を崇めることも許されませんでした。よって、それは邪な神であると断じ、遠ざけることになったのです。そして――大神が長きの眠りから覚めるとき、七邪神は浄化され、再び十四小神が世界を照らすのだと、そのように伝えられています」
「ならば……ならばやはり、お前たちは我々の神を邪な存在であると断じているのではないか!」
「いえ。それはあくまで、小神についてです。大神は、我々の崇める四大神の父として、今でも敬われているのです」
そう言って、ジェムドはゆったりと両腕を広げた。
「大神とは、この大陸そのもの、この世界そのものです。我々は、それをアムスホルンと名付けました。大神アムスホルンは、外界においてもすべての父であるのです。決して邪神などには貶められていません」
「…………」
「よって、我々に大神を軽んずる気持ちはありません。なおかつ、東の民というのは――王国の民となりながら、すべての魔術を打ち捨てることのできなかった一族であるのです。むろん、大神が眠りに落ちている以上、魔術を行使することはかなわないのですが、彼らは魔力を必要としない術を後世に伝えました。そのひとつが、星読みの術式であるのです」
「…………」
「聖域の民もまた、魔術を封じた一族であるのでしょう? 大神が眠りに落ちて、すでに600年以上が過ぎているのですから、この大地にはかなりの魔力が蘇っているはずです。しかし、枯渇した魔力が完全に蘇るまで――すなわち、大神が完全に目覚めるまで、あなたがたは魔術を使わないと誓い、その技を封じました。ならば、星読みに関しても、東の民は聖域の民よりも正しく読み取る力を残しているのではないでしょうか?」
そんな風に語りながら、ジェムドはシュミラル=リリンのほうに腕を差しのべた。
「以上の論をもちまして、わたしはシュミラル=リリンの意見を支持いたします。彼は大神の存在を軽んじてはおらず、その意思を正しく読み取りたいと願っているのでしょう。その思いの大きさに、聖域と外界に差は生じないかと思われます」
赤き民の族長たちは、もはや困惑をあらわにして同胞らと言葉を交わしていた。
ヴァルブやマダラマも、それぞれの友たる赤き民に身を寄せて、その議論に加わっているかのようである。
そのざわめきを粉砕したのは、またもやルジャの高笑いであった。
「実に興味深い話だった! 外界では、大神や聖域のことがそのようにして語り継がれていたのか! これはまったく、想像の外だったな!」
「またお前か。少しは口をつつしむがいい、ラズマの長兄よ」
「口をつつしんでも、会議は終わるまい。というか、言葉をぶつけあうのが会議というものであろうが? 正しき道を進むために、我々は大いに語り合うべきなのであろうよ」
不敵に笑いながら、ルジャはそう言った。
「大神は、何かを嘆き悲しんでいる。我々に断じられるのは、その一点だけだ。ティアの罪深さを嘆いているのか、ティアが罪人扱いされていることを嘆いているのか、大神はそこまで伝えてはくれなかった。ならば、自分たちで頭をひねって、大神の嘆きを止められるように力を尽くす他あるまい」
「うむ! さきほどから、お前さんの言葉には得心できるぞ、ラズマの家のルジャとやら!」
と、ずっと静かにしていたダン=ルティムが、ここぞとばかりに声を張り上げた。
「我々は、大いなる存在に見守られている! そうだからこそ、力を尽くさなければならんのだ! 大神の涙に心を乱して、力を尽くすのを取りやめるのは、決して正しい行いとは思えんぞ!」
「しかし、これ以上、何を語らえばいいというのだ? ティアの行いや考えは、すべてつまびらかにされているのだ」
「だが、お前さんとルジャだけでも、すでに意見が分かれているではないか! ティアにどのような処遇を与えても、お前さんたちのどちらかは不服であるというわけだ! それではまだ、正しき道を見いだせたとは言えまいよ!」
そうしてダン=ルティムは、ガハハと笑い声をあげた。洞穴の広間に反響して、普段以上の圧力である。
「だいたい俺などは、この段に至ってようやく口を開くことができたのだぞ? 10名もの人間を呼びつけておいて、まだその半数ぐらいは一言も口をきいていないではないか! これでは、何のために呼びつけたのかもわかるまい!」
「……10名までの同行を許すとは言ったが、そのような人数で押しかけてきたのは、そちらの勝手であろうが? 我々こそ、どうして10名もの人間がやってきたのか、判じかねている」
「それは、必要であったからであろうよ! さあ、お前さんたちも遠慮などせず、語るべきことを語るがいい!」
「ならば、俺から語らせていただこう」と、名乗りをあげたのは、バードゥ=フォウであった。
「ティアを森辺に連れ帰ったのは、俺たちフォウの血族となる。ルウは族長筋であり、ファはティアを預かっていた家となるが、そもそもの責任は俺たちが負うべきであるはずだ」
「責任とは、なんの話であろうかな」
「それはもちろん、ティアを森辺の集落に連れ帰った責任だ」
長身のバードゥ=フォウは真っ直ぐ背筋をのばしながら、そのように言いたてた。
「ラアルはさきほどから、ティアの行いに異を唱えていた。しかし、ティアにそのような状況を与えてしまったのは、俺たちだ。俺たちがティアを家まで連れ帰っていなければ、アスタが傷つけられることもなかった。また、ティアがアスタを傷つけた場に居合わせたのも俺たちであるのだから、二重の意味で責任がともなおう」
「ティアは自分の意思でアスタを傷つけたのだから、それはティア自身の罪となる。それを防ぐことができなかったからといって、客人バードゥ=フォウに罪が生じるとは思わない」
「しかし、ティアを森辺の集落に連れ帰ったのは、俺たちであるのだ」
バードゥ=フォウは、そのように言い張った。
「もしも俺たちが、ティアを森辺の集落に連れ帰っていなければ、いったいどうなっていたか……ティアは森の奥深くで、ペイフェイという獣の腕をつかみながら、川べりに引っかかっていた。ギバやムントに襲われていなければ、あの場でひとり、目を覚ますことになっただろう。そして、自分が外界に出てしまったことに気づき、慌てて山に戻ろうとしたはずだ」
「…………」
「しかしティアは、足を折っていた。山に戻ってもマダラマなどに出くわしていれば、そこで魂を返していただろう。しかし、運よく同胞の狩人と出くわしていたならば、どうだったのだ? 外界を踏みにじった罪によって、切り捨てられていたのだろうか?」
「……さて、どうだろうな」
「逆の立場であったならば、俺たちは決してそのような真似はしない。迂闊な狩人がモルガの山に迷い込んでしまったとしても、山の三獣と諍いを起こしたり、山の恵みを荒らしたりしていなければ、生命までは奪わないはずだ。君主筋たるジェノス侯爵に報告し、どのような罰を与えるべきか、判断を待つことになっただろう」
そう言って、バードゥ=フォウはレイリスのほうに視線を飛ばした。
「ジェノス侯爵の代理人たるレイリスに問いたい。その場合、禁忌を犯した狩人は生命を奪われるのであろうか?」
「いえ……確たることは言えませんが、死罪とまではならないでしょう。厳重に注意を与えた上で、2度とそのようなことが起きないように、対処を講じることになるかと思います」
「対処とは、どのようなものであろうか?」
「そうですね。森と山の境に、明確な目印をつけるだとか、森辺の民の狩り場を縮小して、山との境い目から遠ざけるなど……そういった形になるのではないでしょうか」
「うむ。納得のいく話だ。そもそも、モルガの森と山に明確な境い目など存在しない。そのようなものが存在するのならば、俺たちかライタたちのどちらかが禁忌を犯していることになろう。入山の儀式を施す前から、俺たちは同じ場で言葉を交わしていたのだからな」
バードゥ=フォウはひとつうなずき、ラアルのほうに視線を戻した。
「ティアは外界に出てしまったが、それは自分の意思によるものではないし、外界を汚したりもしなかった。そのまますぐに山へと戻っていれば、大きな罪には問われなかったように思う。たとえ片足が折れていても、自力で家まで帰りつくことがかなったのならば、誰もがティアの帰還を喜んだのではないだろうか?」
「ライタは、客人バードゥ=フォウの言葉に賛同する」
と――ライタが半ば腰を浮かせながら、そのように発言した。
そして、すぐかたわらのハムラに、ぺこりと頭を下げる。
「族長の供にすぎないライタが声をあげることを許してもらいたい。しかし、客人バードゥ=フォウの言葉は正しいように思う。ティアが自力で家まで戻ってこられたならば、きっと罪には問われなかったはずだ。そこまでの道のりでマダラマやリオンヌに出くわさなかったことが、大神の意思であると判じられただろうと思う」
「やはりそうか」と、バードゥ=フォウは首を振った。
「ならばどうしても、俺は責任を感じずにはいられない。俺たちがティアを連れ帰ってしまったために、ティアはアスタを傷つけるという罪を犯してしまったのだ。この場でティアが魂を返すことになるならば、その凶運をもたらしたのは俺たちフォウの人間であると考える」
ラアルは、難しい顔で考え込んでいた。
バードゥ=フォウは、さらに言葉を重ねていく。
「それでも俺たちは、自分たちが間違っていたとは考えていない。あのままティアを放っておけば、ギバやムントに襲われていたかもしれないし、ひとりで山に戻っていたならば、マダラマに襲われていたかもしれない。たとえモルガの赤き野人であっても、同じ人間の姿をしたティアを、見殺しにすることはできなかった。……それが間違いであるとは、どうしても思えないのだ」
「それは、当然の話だな! 俺でも、ティアを連れ帰っていたと思うぞ!」
そのように声をあげたダン=ルティムが、再びがばりと身を起こした。
「それは、聖域の民とて同じことなのではないのか? 自分たちの家に連れ帰ったりはしないやもしれんが、傷ついた人間を放っておくことはあるまい! 少なくとも、お前さんはそうであるはずだぞ!」
ダン=ルティムの指先が、びしりとライタのほうに向けられる。
いや――それはライタではなく、そのすぐそばにいた白き狼に向けられているようだった。
「お前さんは、あのときのヴァルブなのであろう? 俺とディム=ルティムが難渋していたとき、お前さんはたいそう心配そうに見守ってくれていたな!」
多くの人々が、困惑した面持ちでダン=ルティムと白き狼を見比べた。
その中で、ライタが白き狼に語りかける。
「《白》はかつて、ギバ狩りの狩人と出くわしたことがあると言っていたな。それが、あの客人ダン=ルティムであったのか?」
「…………」
「……どうやら、間違いないらしい」
ライタの言葉に、ダン=ルティムは哄笑をほとばしらせた。
「お前さんがたは、本当にヴァルブと言葉を交わすことがかなうのだな! ならば、ひとつ聞いてほしい! 俺は20年ほど前にも、白きヴァルブと出くわしておるのだ! あれもまた、そこのヴァルブであったのか? それとも、そやつの親か何かであったのか?」
「20年も前に、《白》は生まれていないはずだ。そうであろう、《白》よ?」
「…………」
「やはり、そうだと言っている。しかし……《白》の親もまた、ギバ狩りの狩人と出くわしているそうだ」
「では、俺を救ってくれたのは、そやつの親ということだな! 眼差しや気配がそっくりであったので、そうであろうと思ったぞ!」
ダン=ルティムはもう、愉快でたまらないような笑顔であった。
そして――そのどんぐりまなこに、うっすらと涙が光っている。
「お前さんの親に救われていなかったら、俺はあの場で魂を返していた! お前さんの親は、傷ついた俺を木の上まで運び、ひと晩中そばにいてくれたのだ!」
「ヴァルブとともに、一夜を明かしたというのか? しかし、それは……」
「うむ! あれは果たして、森であったのであろうかな、それとも山であったのであろうかな! 俺はうっかり森と山の境い目にまで踏み込んでしまったのだが、その後に、ヴァルブが木の上にまで運んでくれたのだ!」
ダン=ルティムはビア樽のような胴体をそらしながら、聖域の民たちを見回していった。
「あれが山であったのなら、俺が禁忌を破ったことになるし、あれが森であったのなら、ヴァルブが禁忌を破ったことになろう! 俺たちは、罪に問われるのであろうか?」
「いや、20年も前の話では……そもそも、《白》の親はすでに魂を返しているのだ」
「どれだけ時間が経とうとも、罪の重さに変わりはあるまい! というよりも、それは罪に問われるような話であるのかと、俺は問い質しておるのだ!」
満面に笑みをたたえたまま、ダン=ルティムはそのように言い放った。
「困っている相手を助けようというのは、誰にとっても正しき行いであろうが? だから俺は、バードゥ=フォウが間違っているなどとは思わんぞ! その後にティアがアスタを傷つけてしまったのは、ちょっとした行き違いではないか! ティアは足を折っていたばかりでなく、頭を打って血を流していたのだから、判断を誤ることもあろう! それが大きな罪になるなどとは、俺にはまったく思えんぞ!」
「だが……ティアが罪を犯したことに変わりはない」
ラアルの執拗な言葉にも、我らがダン=ルティムが怯むことはなかった。
「その罪は、どうして生じることになったのだ? ティアは、アスタのほうこそが禁忌を破って山の中に踏み込んでいると勘違いしていたのであろうが? ……いや、その場にはアスタのみならず、フォウの血族が勢ぞろいしていたという話であったな! ティアは聖域の掟を重んじていたからこそ、激烈な怒りにとらわれて、我を失ってしまったのであろう! 聖域の民として、見上げた心意気ではないか!」
「そうだ。かえすがえすも、ティアは聖域の民として正しく生きようと力を尽くしていた。どうか、その点を鑑みてもらいたいのだ」
バードゥ=フォウも、そのように言葉を添えることになった。
またざわめき始める聖域の民たちを前に、ティア自身は無言である。俺たちに背中を向けているために、ティアがどのような心情であるのか、俺たちにはまったくうかがい知ることもかなわないのだった。




