銀の月の十一日④~族長会議~
2020.2/27 更新分 1/1
「では、会議を進めたく思うが……客人たちは、その壁際に座してもらいたい。案内の役目を果たした4名は、それぞれの族長のもとに戻るがいい」
壁際と言われたので後方を振り返ると、俺たちが通ってきた通路の入り口の横合いが、ちょうどいい高さの段になっていた。そこに腰をかけても、立っていたときと同じぐらいには広場を見渡すことができる。どうやらこの広場は中央のほうがゆるやかに落ちくぼんでおり、壁際であるほど目線が高いようだった。
そうして俺たちが見守る中、ライタとルジャとヴァルブとマダラマが、それぞれの族長のもとに歩を進めていく。
ライタが向かったのは、取り仕切り役であるラアルのすぐそばで座していた女性のかたわらであった。これがナムカルの族長であるのなら、それはティアの母親であるということだ。年齢の区別はつけにくいが、ラアルと同じていどの年恰好で、その目は鋭くティアの姿を見据えているようだった。
なおかつ、ライタたちのすぐそばには、巨大で真っ白な狼が座している。たしか、ダン=ルティムが出くわしたヴァルブも純白の毛並みであったはずだが――と思って視線を傾けると、ダン=ルティムはすっかり興奮しきった面持ちでその純白のヴァルブを見つめていた。
「……シャウタルタの族長ラアルよ。ティアは、このままでかまわないのだろうか?」
と、ひとりその場に立ち尽くしていたティアが、そのように呼びかけた。そういえば、ティアには何の指示も出されていなかったのだ。
白きマダラマの背を撫でながら、ラアルは「ふふん」と鼻で笑った。
「お前を客人たちと並べて座らせるのは不相応であるように思うし、かといって、お前が地べたに座したなら、後ろの族長たちから姿が見えなくなってしまおう。これから罪を裁かれる身として、お前は全員に姿をさらしておくべきだと考えたのだが、何か不服でもあるのであろうか?」
「不服はない。ただ、狩人の衣とベルゼの刀を下ろしてもいいだろうか?」
「ふん。そのようなものは、足もとにでも置いておけ」
ティアはうなずき、右肩にかけていた狩人の衣と、鞘に収められていた刀を足もとに置いた。
俺たちからは、そんなティアの背中しか見ることができない。その向こう側には聖域の民たちがずらりと陣取っているので、それはまるで、ティアがたったひとりで同胞たちに立ち向かっているかのような姿であった。
(ティア、俺たちはここにいるからな)
俺はひそかに、拳を握り込むことになった。
そんな中、ラアルの声が響きわたる。
「では、お前の言い分を聞くとしよう。……ナムカルの族長ハムラの子ティアは、長きに渡って外界に身を置くことになった。その理由と、お前が外界でどのように過ごしていたかを、つまびらかにするがいい」
「了承した。1年の半分にも及ぶ長い話であるので、心して聞いてもらいたい」
そうしてティアは、語りだした。
道中でルジャたちに語っていたのと、同じ内容である。俺は再び、ティアと過ごしていた日々を追体験することになった。
それを聞く聖域の民たちは、やはり無言にして不動である。この広場は声がよく響くので、最後方に座していてもティアの言葉を聞き逃す恐れはなかっただろう。星の苔なる青白き輝きの下で、彼らの双眸は鬼火のように陰々と瞬いていた。
ティアがすべてを語り終えるのに、たっぷり半刻はかかっただろうか。
それから最初に声をあげたのは、やはり取り仕切り役のラアルであった。
「驚くべき話であるように思う。それらの話に偽りはないと、ティアは大神の前で誓えるか?」
「ティアは、真実のみを語ったと父なる大神に誓う」
「では、客人たちはどうであろうか? 自分たちの知る真実とティアの語った言葉に異なる点があったならば、正直に告げてもらいたい」
もちろん俺たちは、沈黙でもってティアの正直さを認めることになった。ティアが虚言を吐くことなどはありえないし、それに、ティアは自分の行動を客観的にとらえることが巧みであるようにすら感じられた。
「では、客人のひとり、レイリスに問わせてもらいたい」
いきなり名指しにされて、レイリスはハッとしたように背筋をのばした。
「ティアが辿り着いた森辺の集落という場所は、ジェノスなる地の一部であるという。では、どうしてジェノスの長は、ティアの罪を裁かなかったのであろうか?」
「ティアの罪、と申しますと――」
「言うまでもなかろう。聖域の民たるティアが、外界を踏みにじった罪についてだ」
薄闇の中で強く双眸を光らせながら、ラアルはそう言った。
「外界の人間が聖域を踏みにじったならば、我々は決して許さない。獣のように皮を剥ぎ、その屍を外界に返すことになろう。ジェノスの長は、どうしてそのようにしてティアの罪を裁かなかったのであろうか?」
「それは……このティアが、悪意をもって掟を破ったわけではない、と判じたためとなります。ティアはただ、足をすべらせて川に落ちただけだという話であったのですから……生命で贖うほどの罪ではないはずです」
「では、何故にティアが外界で傷を癒やすことを許したのであろうか? その場ですぐにティアを聖域に戻していれば、このように面倒なことにもならなかったはずだ」
「それは、ですから……ティアが、そのように望んだためとなります」
「なるほど。ティアはアスタを傷つけた罪を贖い、狩人としての力を取り戻すまでは、聖域に戻れないと考えたという。そんなティアの都合のために、外界の掟をねじ曲げたというわけか」
「あ、いや、決して外界の掟をねじ曲げたのではなく……我々の掟は、聖域の民とは友にも同胞にもなってはならじ、というものであったはずです。よって、その掟を守るという条件で、森辺の集落への滞在を許した格好となります」
レイリスは額の冷や汗をぬぐいながら、それでも自分の使命を果たせるようにと、懸命に言葉を紡いでくれていた。
しかし、ラアルの眼光は鋭い光をたたえたままである。
「だが、おたがいの土地を踏みにじってはならじというのも、我々の間に交わされた約定であるはずだ。その禁忌を破ったティアに対して、罰が必要だとは考えなかったのだろうか?」
「そ、それはさきほども申し上げた通り、ティアが自分の意思で約定を破ったわけではないと見なした結果となります。また、我々は友にも同胞にもなれぬ関係であると同時に、決して敵対してはならないという約定も交わしていたのですから……その約定を守るためにも、ティアの意思を尊重することとなりました」
「ふん……」と鼻を鳴らして、ラアルはわずかに視線をそらした。その先に座しているのは、ジェムドである。
「客人のひとりジェムドは、ジェノスの地が正しく治められているかどうかを見届ける役割にあるという。客人ジェムドの目から見て、これは正しい行いであったのだろうか?」
「はい。ジェノスの長マルスタインは、森辺の民を信頼した上で、赤き民ティアの逗留を許したと聞いています。わたしの主人たるフェルメス様は、その判断が正しかったと認められています」
「……森辺の民を、信頼?」
「はい。森辺の民は、森の中で生きる一族です。石の町で生きる我々とは、異なる習わしや掟を有しています。そんな森辺の民であれば、聖域の民との約定を破ることにはなるまいと、ジェノスの長マルスタインはそのように考えたのだと聞いています」
深みのあるバリトンの声で、ジェムドは淡々と語っていった。
「仮に、赤き民ティアの流れついた先が、石の町であったとしましょう。そのときは、おそらくこのような結果にもならなかったと推測されます。人々はモルガの三獣たるティアに恐怖し、救いの手を差しのべることもできぬまま、刀を向けていたかもしれません」
「モルガの三獣とは?」
「ジェノスにおいて、赤き民は赤き野人と呼ばれており、ヴァルブやマダラマとともにモルガの三獣と称されていたそうです。当初、ジェノスの人々は赤き野人が人間そのままの姿をしていることすら知らなかったのだと聞いています」
ジェムドに視線を向けられて、レイリスは慌てた様子で首肯した。
そちらにうなずき返してから、ジェムドはさらに言葉を重ねる。
「よって、当初のジェノス侯はティアの首を刎ねるべきだと言い渡していたそうです。どういった理由にせよ、モルガの三獣が外界に出ることは許されないのですから、首を刎ねることこそが、のちのちの禍根を絶つ最善の道と考えたのでしょう」
「ふむ。むしろ、そのほうが自然であるように、我々には思えるな」
「そうなのでしょう。それこそが、王国の一般的な姿であるのです。東の王国ではどうなのか、それは議論の余地もあるかと思いますが……少なくとも西の王国において、聖域の民に恐怖しない人間は多くありません。森辺の民と、自由開拓民のごく一部の人間だけが、平静な気持ちで聖域の民と向き合えるのだと推測されます」
「それは、何故か?」
「それは、森辺の民や自由開拓民の一部の人間が、自然の中に身を置いているゆえとなります。森辺の民は森を、ドラッゴの民は山を、シャーリの民は川を、それぞれ母としていますが、それは本来、王国において許されぬ所業であるのです」
それもまた、フェルメスから学んだ知識であるのだろうか。突貫で記憶したとは思えないぐらい、ジェムドの言葉に澱みはなかった。
「王国の民にとっては、王国こそが神であるのです。それゆえに、王国の名と神の名を同一にしています。あなたがたが世界そのものを神としているように、我々は王国を神としているのです。そして、神とは父なるものであり、母なるものは存在しません。……しかし、森辺の民と自由開拓民だけが、おのれを取り巻く世界を母と呼んでいます。それはおそらく、いにしえの習わしを捨てきれなかった名残であるのでしょう」
「いにしえの習わしとは?」
「それはもちろん、この世界を神とする習わしです。太古の時代からあなたがたが受け継いできた、その信仰です。我々は、その信仰を捨てることにより、石と鋼の文明を得ることになりましたが……森辺の民や自由開拓民は、石の都と聖域の狭間で、独自の生を生きることを選んだのでしょう」
そんな風に言ってから、ジェムドは涼しい眼差しで聖域の民たちを見回していった。
「その前に、ひとつ確認させていただきたいのですが……聖域の民と王国の民が、もとは同一の神を崇める同胞であったという認識は、こちらにも残されているのでしょうか?」
「……外界の民とは、大いなる神を捨てた一族の末裔であると、我々の間に語り継がれている」
「なるほど。さしあたっては、その認識で問題ありません。太古の時代、この大陸は魔術の文明に統治されていました。しかし、大地の魔力が欠乏したために、魔術の文明は潰えることになりました。これが、『大神の眠り』です」
まるでフェルメスが乗り移ったかのように、ジェムドはなめらかに言葉を重ねていく。
聖域の民たちばかりでなく、俺たちも息を詰めてその言葉を聞くことになった。
「そこで大神の民たちは、ふたつの道を選ぶことになりました。大神の目覚めを待つために、自然の中で獣のように生きるか。あるいは、魔術と異なる新たな文明を築きあげるか。……前者が聖域の民であり、後者が王国の民となります。そして、ごく一部の人間が、聖域と王国の狭間で生きることとなったのです」
「……それが、森辺の民であると?」
「いえ、実際のところ、森辺の民の正体は謎に包まれています。ただ、彼らの生は自由開拓民と酷似しているので、混乱を避けるために、この場では同一のものとして語らせていただきます」
悠揚せまらず、ジェムドはそのように答えた。
「自由開拓民は、聖域にこもることをよしとしませんでした。しかし、王国の民として生きる決断もできなかったのです。そんな彼らは、新たな神々を受け入れると同時に、故郷を母と呼ぶことで、独自の生を切り開くこととなったのです。新たな文明の恩恵はなるべく遠ざけて、石造りではなく木造りの家に住み、野生の中で獲物を狩る。それが、元来の自由開拓民となります」
「元来のということは、現在はそうではない、ということか?」
「はい。現在そういう暮らしに身を置いている自由開拓民は、ごくわずかでしょう。文明の恩恵にあずかって、大地の声を聞くすべを失った人間は、もはや王国の民と変わるところはないのです。下手をしたら、東の王国のジギやゲルドの民のほうが、よほど本来の自由開拓民に近いのではないか――と、フェルメス様はそのように仰っていました」
ジェムドの視線を受けて、シュミラル=リリンは「はい」とうなずいた。
「私、前身、ジギの民です。ジギの民、草原、かけがえのないもの、考えています。草原、母、呼ぶこと、許されないのでしょうが……それに等しい存在、思っています」
「……客人シュミラル=リリンは何故、そのように奇妙な喋り方であるのだ?」
ラアルの反問に、シュミラル=リリンはやわらかな微笑をこぼす。
「申し訳ありません。私、東の一族であったのです。西の言葉、不自由で、恐縮です」
何故だか、これまで頑なに沈黙を保っていた聖域の民たちが、そこで少しだけざわめいた。
それを代表するかのように、ラアルが口を開く。
「客人シュミラル=リリン、お前は東の一族であったのか。その伝承は、我々にも残されている」
「はい。東の地にも、聖域、存在します。詳しい場所、わかりませんが、青き聖域、黒き聖域、存在するはずです」
すると、シュミラル=リリンに場を譲っていたジェムドも、再び口を開いた。
「大陸には、7つの聖域が存在するとされています。西には、赤と黄。南には、緑と白。北には、紫。東には、黒。そして、北と東の狭間には、青。――と、それぞれの聖なる色が、一族の名に冠せられているのだという話です」
「……白き聖域は、滅んだ」と、ラアルは低い声で応じた。
「遥かなる昔、最後の魔術師アトゥラがその事実を告げにおもむいたと、伝承に残されている。白き民は友たる雷の鳥を失い、黒き獣に滅ぼされた、と……そのアトゥラは東の一族たる青き民であり、言葉が不自由であったという話であったのだ」
その言葉に、俺の心臓が跳ね上がった。
雷の鳥というのはよくわからないが、白き民に黒き獣というのは――白き女王の一族と、黒猿のことなのではないだろうか?
俺はこっそり左右を見回してみたが、それに反応する森辺の同胞はいなかった。
ただ――ガズラン=ルティムの瞳が、わずかに鷹のような光をたたえているように感じられた。
「……だが、そのような話はティアの罪と関わりがない。客人ジェムドは何を思って、そのような話を語り出したのであろうか?」
「はい。森辺の民は、それだけ聖域の民に近しい存在であるということをお伝えしたく思いました。むろん、森辺の民もれっきとした王国の民であり、聖域では禁忌とされる鋼の武器を扱っています。よって、聖域の民とは友にも同胞にもなれぬ身でありますが……森を母とし、森の中で生きる一族です。清廉にして果敢なる森辺の民であるならば、掟や約定を踏みにじることなく、ティアの身柄を預かれるのはないかと――ジェノスの長マルスタインは、そのように判断したのだと聞いています」
「なるほど。だから、ティアの罪を裁こうとはしなかった、ということか」
ラアルの低いつぶやきに、ドンダ=ルウがぴくりと反応した。
「俺も、発言させてもらいたい。聖域の民たちは、俺たちの行いに不満を抱いているのであろうか? どうもそちらは、ティアに罰が下されることを望んでいるように感じられるのだが」
「むろんだ。外界の民たちがティアに然るべき罰を与えていれば、我々がこのように集まる必要もなかったはずだ」
ラアルは皮肉っぽい笑みを浮かべて、そのように答えた。
「ラアルは3日もの時間をかけて、この地におもむくことになった。その間、大事な血族たちと離れて過ごさなくてはならないのだ。正直に言って、大きな不満を抱いている」
「しかしそれは、ティアの罪を見定めるためであろう。ティアの生命よりも、自らの安楽な生活のほうが重要である、ということか?」
「同胞の生命は、何よりも重い。だからこうして、我々は文句も言わずにこの場に集まった。ましてやティアは、ナムカルの次の族長になるはずの人間であったのだからな」
悪びれる様子もなく、ラアルはそう言った。
「しかし、けっきょくこの場でティアが魂を返すことになるならば、我々の苦労も無駄となる。外界の人間が決着をつけてくれていれば、そのような労力をかける必要もなかったのだ」
「……やはり貴様は、ティアが魂を返すことを望んでいるようだな。それは、貴様がヴァルブ狩りの一族であるゆえなのであろうか?」
「ほう。客人ドンダ=ルウは、ラアルが公正でないと言いたてているのか?」
「そうではないと信じたく思っている。しかし、貴様がティアの死を望む理由がわからんのだ」
ドンダ=ルウはその巨体に静かな迫力をみなぎらせながら、そう言った。
「俺たちの目から見て、ティアはすべての罪を贖ったように見える。そうでないというのなら、理由を聞かせてもらいたい」
「理由か。それは最初から、明白であるように思う」
ラアルは悠然とした面持ちで、白きマダラマの咽喉もとを撫でさすった。
「まずティアは、外界を踏みにじるという罪を犯した。しかしそれは自分の意思による行いではなかったので、大きな罪とはならないだろう。……しかしティアは、外界の人間アスタを傷つけた。そして、自らの傷を癒やすという理由で、長きの時間を外界で過ごした。それらはティアの意思によるものであるので、大きな罪であると考える」
「アスタを傷つけたという罪に関しては、贖われたと聞いている。それは、ティアの考え違いであったのだろうか?」
「他者の生命を脅かしたのならば、自らの生命を使って贖うしかない。ティアは聖域の掟の通りに、罪を贖ったかに思えるが……しかし、その行いを為すために、外界で長きの時間を過ごすことになった」
「ティアが森辺で過ごしていたのは、傷を癒やすためであったはずだが」
「しかし、傷が癒えてもアスタへの罪を贖わなければ、聖域に戻ることはかなわなかった。さきほど、ティア自身がそのように語らっていたはずだ」
この半年の経緯を説明する中で、ティアは確かにそう語っていた。
「また、それとは別に、ティアは傷を癒やすために外界に留まっていた。それこそが、もっとも大きな罪であるように思える」
「何故だ? 狩人としての力を失ったまま聖域に戻ることは許されないと、ティアはそのように語っていた。それは、間違いであったのか?」
「……その一点を、まずは論ずるべきであろうな」
ラアルの鋭い双眸が、黙然と立ち尽くすティアに向けられた。
「ティアよ。お前は、狩人の力を失ったまま聖域に戻ることは許されない、と考えたのだな?」
「うむ。それは間違いであったのだろうか?」
「間違いではない。数々の禁忌を破った上に、狩人としての力を失った人間がおめおめと聖域に戻ることなどは、決して許されないだろう。……しかし、外界で傷を癒やすという行いは、本当に正しいものであったのだろうか?」
気づけば、ラアルの顔から薄笑いが消えていた。青白い照明のせいで黒みがかって見えるラアルの目が、射るようにティアを見据えている。
「お前が聖域に戻っていれば、マダラマの牙か同胞の刀が、お前の罪を裁いてくれたはずだ。お前はただ、自らの死を恐れただけなのではないのか?」
「違います!」と、反射的に俺は叫んでしまった。
それから慌てて、ラアルに頭を下げてみせる。
「話の途中で割り込んでしまい、申し訳ありません。でも、ティアが死を恐れたことは、1度としてありませんでした。ティアは最初、外界の人間がティアの罪を裁くべきだと主張したけれど、それはこちらの側が拒絶したのです。それは、さっきのティアの説明でも語られていましたよね?」
「しかしけっきょく、ティアはその甘い判断を受け入れることになった」
「いいえ! ティアはずっと、どうして自分の首を刎ねないのだと不思議がっていたんです! そうすることが一番の正しい道であるはずだと、ティアはずっと主張していました! 今回だって……ティアは、俺たちに迷惑をかけるぐらいであれば、魂を返したほうがいいと言っていたんです!」
俺はどうしても、他のみんなみたいに冷静に振る舞うことができなかった。
しかしそれでも、声をあげずにはいられなかったのだ。
「むしろ、最初の頃のティアは、魂を返すことを強く望んでいたぐらいでした。ティアは大きな罪を犯してしまったけれど、大神に魂を返せばその罪も贖われるんだと言い張って……だから、ティアにとっては魂を返すことのほうが、安楽なぐらいであったんです! でもティアは、長きの時間を苦しみながら、自分の手で罪を贖う道を選んだんです! それが、間違った行いであったのでしょうか?」
「…………」
「友にも同胞にもなれない人間たちに囲まれて、何ヶ月もの時間を過ごすだなんて、そんなのは大きな苦痛であるはずです。さきほども話にあがった通り、森辺の民というのは聖域の民に近しい存在であったかもしれませんが……それでもやっぱり、友や同胞にはなれないのです。どんなに辛くて、苦しくても、ティアが俺たちに甘えることはありませんでした。そんな状況で、ティアが半年も過ごしていたということを……どうか、考えてあげてほしく思います」
「しかし、客人アスタを見ていると、まるでティアの友であるかのようだ。ティアもさぞかし、楽しい気分で日々を過ごせたのではないだろうかな」
ラアルの言葉は、俺の胸を深くえぐった。
だからこそ――なのだ。
「……だからこそ、です。ティアは、俺たちのことを好ましいと言ってくれました。俺たちも、ティアのことを好ましく思っていました。だけど、友や同胞にはなれないんです。正直に言って、俺は……ティアが森辺の同胞になってくれたら、どんなに嬉しいだろうと思っていましたけれど……でもティアは、そんな安易な道には逃げなかったんです。それよりも、故郷に残した同胞こそを大事に思い、大神に魂を捧げるんだと……どんな孤独にも負けないで、ティアは今、この場に立つことを許されたんです」
洞穴の広場は、しんと静まりかえっていた。
赤き民もヴァルブもマダラマも、じっと押し黙って俺の言葉を聞いている。
そこに――いきなり少年の高笑いが響きわたった。
「なるほど、それで得心がいった! だからティアは、ずっとそのように打ち沈んでいたのか! 外界の人間にまで情を移そうとは、まったく情の深いことだ!」
笑い声の主は、ルジャであった。
ラアルは、うろんげにそちらを振り返る。
「ラズマの長兄か。お前は族長ホルアの供に過ぎぬのだから、大人しくしているがいい」
「おや、供は口を開くことを禁じられているのか? そのような話は、耳にしたことがなかったな」
「ルジャ、控えよ」と、かたわらの女衆が厳しい声を発した。これがきっと、ルジャの母親ホルアであるのだろう。
しかし、ルジャは黙らなかった。
「この場の取り仕切り役はラアルなのだろうが、我々だって黙っている必要はないはずだ! むしろ、我々の言葉や心情をまとめあげるのが、取り仕切り役の仕事なのではないだろうか?」
「……お前がどのような心情を抱いているというのだ、ラズマの長兄よ?」
「俺はもちろん、ティアの罪はすでに贖われたと考えている」
にんまりと笑いながら、ルジャはそのように言いたてた。
「ティアは数々の罪を犯したが、それらをすべて贖ってみせたのだ! 確かに客人アスタの言う通り、さっさと魂を返してしまったほうが、よほど安楽であったろうよ! だいたいこの中で、1年の半分を外界で過ごすことに耐えられる人間など存在するのか? そのような真似ができるのは、ティアぐらい純真で、ティアぐらい強情な人間だけであるはずだぞ!」
「……安楽ではない道が正しいと決まったものではない。むしろ、間違った道を選んだからこそ、ティアは苦しむことになったのではないだろうか?」
ラアルは、落ち着き払った声でそう言った。
「長きに渡って外界で過ごしたことも、鋼の刀で生命を脅かされたことも、好ましく思う相手と友や同胞になれぬことも、確かに苦しいことだろう。その苦しさこそが、ティアの間違いの証であるように思える」
「そうだとしても、ティアが罪を贖ったことに変わりはあるまい。というか、その苦しさこそが、ティアに与えられた罰ということだ」
「ならば、ティアは罪を犯し続けたということなのではないだろうか? ティアは間違い続けたゆえに、罰をくらい続けたのだ。聖域の民に相応しい行いだとは、とうてい思えない」
ラアルの言葉は、革鞭のように俺を打ちのめした。
ルジャはいくぶん鼻白んだ様子で、言葉を探している。他の聖域の民たちは、なんとも不明瞭な面持ちで視線を交わし合っていた。
「我々は大神の子として、魂を清らかに保たなくてはならない。大きな罪を犯したとき、ティアがすぐさま魂を返していれば、きっと大神の慈悲によって清められたことだろう。しかしティアは大きな罪に罪を重ねて、魂を穢すことになった。そのように穢れた人間を、再び同胞として迎え入れるのは――」
ラアルがそこまで言いかけたとき、その場にいるほとんどの人間が腰を浮かせた。
洞穴の外から、獣の遠吠えが響きわたってきたのである。
「あれは、ヴァルブの遠鳴きだな。いったい、何事だ?」
ラアルは眉をひそめながら、ティアの母親ハムラを振り返った。
ハムラは、愕然とした面持ちで立ち上がる。
「大神が、泣いていると……ヴァルブたちが、告げている」
「なんだと!」と、ラアルが立ち上がった。
「それは、真実だな? そのような冗談は、決して許されぬぞ?」
「ハムラは、冗談など言わない。『大神の落涙』だ」
ハムラも立ち上がり、自分より右側に座した同胞たちに言葉を飛ばした。
「族長らよ、大神の意思を見届けるのだ! 表に、急げ!」
「待て! 我々を出し抜くことは許さぬぞ!」
その後は、もう大変な騒ぎであった。洞穴の広場に集結していた聖域の民たちが、我先にと外界への通路に殺到したのだ。
赤き民もヴァルブもマダラマも、通路の向こうに消えていく。最後のマダラマの尾が暗がりの向こうに消えたところで、ドンダ=ルウが立ち上がった。
「さっぱりわけがわからんが、俺たちも同じものを見届けておくべきであろう。行くぞ」
そうして俺たちも、外界への通路に身を投じることになった。
通路は、さきほどよりも暗くなっている。星の苔の輝きが届かぬ場所にまで至ると、ほとんど真っ暗闇であった。
「頭をぶつけるのではないぞ、アスタよ」
途中からは、アイ=ファが俺の手を引いてくれた。
だんだん低くなっていく天井に気をつけながら、俺たちは暗がりの中を進んでいく。どれだけ進んでも明るくなることはなかったので、洞穴の外はもう夜であるのだろう。
そうして洞穴の出口にまで到着した俺たちは――信じ難い光景を目にすることになった。
闇に閉ざされた天空に、いくつもの流星が飛び交っていたのだ。
(これは……流星群ってやつか)
俺の故郷にも、そういう現象が存在した。しかし、これだけの流星群を目の当たりにしたのは、俺も初めてのことであった。
紺色がかった夜の空を、白い光の尾を引きながら、無数の流星が駆け巡っていく。一切の光が存在しない山中であるために、その輝きはいっそう際立っていた。
美しくも、どこか空恐ろしい光景である。
断崖の下まで降りた聖域の民たちは、いずれも岩場にひざまずき、呆然とその光景を見上げている様子であった。
「あれが、『大神の落涙』か……大神が、泣いてしまっているのだな」
俺のななめ後方から、ティアの声が聞こえてきた。ティアは同胞らの後に続かず、俺たちと行動をともにしていたのだ。
「これで、ティアの運命は決せられたようだ。……皆、このような手間をかけさせてしまって、本当に申し訳なく思う」
俺は天空の奇跡に魂を奪われつつ、ティアを振り返ることになった。
暗い暗い闇の中――ティアは、静謐そのものの表情で微笑んでいるように感じられた。