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異世界料理道  作者: EDA
第四十九章 同じ天の下で
859/1677

銀の月の六日③~祝宴~

2020.2/9 更新分 1/1 ・3/30 タイトル名を修正

 そして、日没である。

 狩人の仕事を果たしていた男衆も帰還し、アイ=ファや旅芸人たちも無事に到着して、ルウの集落における親睦の祝宴が開かれることになった。


「……このルウの集落の祝宴に町の客人を初めて招いたのは、昨年の銀の月となる。あれから1年が過ぎ、俺たちも数々の祝宴で町の客人を招くこととなったが……この銀の月に、また多くの客人を迎えられたことを喜ばしく思う」


 重々しい、地鳴りのような声音で、ドンダ=ルウはそのように宣言した。

 収穫祭や婚儀ではないので、やぐら等は準備されていない。ドンダ=ルウは本家の母屋の前に立ちはだかり、100名を超える人々と相対していた。


 ルウの血族は参加者を80名ていどに絞っていたが、客人と旅芸人だけで40名以上にのぼるのだ。ルウの血族が勢ぞろいする祝宴と同規模の熱気が、その場には渦巻いていた。


「何度となく森辺を訪れている客人もあれば、これが初めての森辺となる客人もいる。誰もが分け隔てなく、同じ四大神の子として絆を深めてもらいたい」


 そんな言葉に続いて、すべての客人が紹介されることとなった。

 ルウの血族ならぬ森辺の客人としては、俺、アイ=ファ、トゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア――そして、もともとこちらに逗留していたディック=ドムとレム=ドム――さらに、特別参加のジョウ=ランで、9名だ。


 ドーラ家は、親父さんとその伴侶、老齢である母君と叔父君、ふたりの息子さんにターラ、そして上の息子さんの伴侶で、8名。さらに、ミシル婆さんもその末席に控えている。


 宿場町からは、ユーミ、テリア=マス、レビ、ベン、カーゴ――城下町からは、ロイ、シリィ=ロウ、ボズル、ニコラ、ディアル、ラービス――カミュア=ヨシュ、レイト、ザッシュマ――そして、夕刻にはリコとベルトンとヴァン=デイロも到着していた。


 ミシル婆さんやディアルたちなど、初めてルウの祝宴に参席する人間も、何名かは含まれている。リコたちにしてみても、たびたび森辺を訪れてはいたが、祝宴に参席するのは初めてのことだ。

 しかし、それらの人々が好奇の目にさらされる理由はなかった。ルウの祝宴においては貴族を招いたことすらあるのだから、今さら見知らぬ人間が数名ばかり増えても、驚くには値しないのだろう。


 しかし、最後の最後で《ギャムレイの一座》が紹介されると、広場にはざわめきが満ちることになった。

 彼らなどは2度目の参席であるのに、やはりなかなか見慣れることができないのだろう。それは、俺にしてみても同じような心境であった。


「本日は我々の芸を買っていただき、恐悦至極にございます。皆様の祝宴に彩りを添えられるよう、座員一同、励ませていただきます」


 座長のギャムレイは、気取った仕草で一礼する。海賊のようにけばけばしい格好をした、隻眼隻腕のあやしげな人物だ。どれだけかしこまっていても、彼の奇妙な存在感が薄らぐことはなかった。


 ピノを筆頭とする何名かは、宿場町で商売をしている人間にとって、見慣れた姿である。

 しかし、それらがこうしてずらりと立ち並ぶと――やはり、なかなかの迫力であった。大男のドガ、仮面の小男ザン、妖艶なる美女のナチャラ、長身痩躯のディロなども、そういった迫力の一助を担っている。


 吟遊詩人のニーヤに、獣使いのシャントゥ、双子のアルンとアミン、それにまだ甲冑を纏っていない騎士王のロロなどは、それほど罪のない外見であろう。しかし、尋常ならざる外見をした座員たちの中に混じっていると、そんな彼らまでもがこの世ならぬ存在に見えてきてしまうのである。


 そこにとどめをさしているのは、占星師のライラノスと人獣の子ゼッタであった。

 この両名は、俺にとっても馴染みが薄い。ライラノスなどは復活祭の間にも顔をあわせる機会がなかったし、ゼッタも天幕の暗がりの中でその姿をわずかに垣間見たのみである。そんな両名は、そろってフードつきマントで人相を隠しており、ひときわ不気味な雰囲気を発散させているのだった。


「……今日は、獣たちの紹介をせぬのか?」


 ひと通りの紹介が終わったところでドンダ=ルウが尋ねると、シャントゥがにこやかな笑顔で「はい」と応じた。


「本日はあくまで芸を売る身として参上いたしましたので、獣たちの紹介は不要にございます」


 このやりとりに、俺はこっそり首を傾げかけたが、すぐに「ああ」と思い至った。そういえば、彼らが昨年祝宴に招かれたのは、森の中でルウの狩人たちを救ったためであったのだ。その立役者は他ならぬヒューイや黒猿たちであったので、彼らも人間と同様に扱ってほしいと、シャントゥが頼み込んでいたのだった。


「了承した。そちらの芸は、ひと通りの宴料理を楽しんだ後に披露してもらいたい」


「承知しました。それまでは広場の片隅でくつろがせていただきますので、いつでもお声をかけてくださいますようお願いいたします」


 ギャムレイは下顎のヤギ髭をしごきながら、にんまりと微笑んでいる。どこかカミュア=ヨシュにも通じる笑い方だ。

 ドンダ=ルウは「ふん」と鼻を鳴らしてから、広場に集った血族たちのほうに視線を巡らせた。


「それでは、親睦の祝宴を開始する。かつては森辺とジェノスの絆に祝福を捧げたが、よりさまざまな地の客人を招いた今日の祝宴に、その言葉は不相応であろう。よって、同じ四大神の子として、喜びを分かち合ってもらいたく思う。……四大王国の民の絆に!」


「四大王国の民の絆に!」という言葉が復唱された。

 森辺において、そのような言葉が祝宴で捧げられたのは初めてのことであろう。そこには、西方神の洗礼を受けた森辺の民の覚悟や決意が十分に含まれているように感じられた。


 ともあれ、祝宴の始まりである。

《ギャムレイの一座》の座員たちがひょこひょこと広場の隅に引っ込んでいくのを横目に、俺は担当のかまどへと向かった。


「さて、それじゃあ始めようか。分担は、さっき決めた通りにね」


 かまど番は5名であったので、2名が盛りつけ、3名が配膳を受け持ち、前半と後半で役割を入れ替えることにした。最初の盛りつけ係は、ユン=スドラとレイ=マトゥアだ。


「……ふむ。お前もこの場に居座るつもりであるのか?」


 アイ=ファがそのように呼びかけたのは、ユン=スドラのかたわらにたたずんでいたジョウ=ランであった。ジョウ=ランは、なんとも曖昧な表情で微笑んでいる。


「ええ。いちおう俺は、ユン=スドラの付き添いという名目で参席することを許されたので……その仕事を全うしなければなりません」


「何も、つきっきりになることはないと言ったのですけれどね。それは、あくまで名目なのですから」


 ユン=スドラが苦笑まじりに言葉を添えると、ジョウ=ランは「いやあ」と長い前髪をかきあげた。


「家長たちに、念を押されているのです。ユーミと絆を深めるのはかまわないが、それで本来の役割を二の次にするようでは、自分たちも黙ってはおられんぞと……ですから、しかたがないのです」


「ふふ。しかたがない扱いで付き添われても、わたしは気が重くなるいっぽうですね」


「あ、いえいえ! そういう意味ではありません! ユン=スドラの気を悪くさせてしまったのなら、謝罪します」


 ユン=スドラはくすくすと笑いながら、ふたつの鉄鍋の蓋を取り去った。


「それでは、仕事を始めましょう。まずはわたしが、シャスカの盛りつけを受け持ちますね」


「はい! わたしもシャスカの扱いに慣れたいので、あとで交代をお願いいたします!」


 炊きたてのシャスカとカレーの芳香が一気にたちこめて、周囲の人々を振り返らせる。真っ先に駆け寄ってきたのは、ラウ=レイにレビにテリア=マスという顔ぶれであった。


「おお、アスタたちが準備したのは、かれーであったのだな! ……うむ? しかしこのかれーは、まったく水気がないようだが……」


「これはね、ドライカレーという料理なんだよ。ラウ=レイたちのお口に合うかな?」


 これは近々、ポイタンの生地にはさんで屋台でも出してみようかと思案している料理であった。

 みじん切りにしたアリアとミャームー、ギバの挽き肉、プラとネェノンとチャンという順番で火を通し、カレー用のスパイスと、赤ママリア酒、すりおろしたケルの根、ケチャップ、ウスターソースで調味する。ピーマンのごときプラとズッキーニのごときチャンを加えるというのは試行錯誤の結果であるのだが、お気に召せば幸いであった。


 祝宴においても屋台においても、しっかりとした肉料理と汁物料理が準備されているので、挽き肉しか使っていないこの料理でも不満の声はあがらないのではないかと期待をかけている。

 また、シャスカでも焼きポイタンでも優り劣りなく楽しめる料理であると自負しているのだが――さしあたって、ラウ=レイたちの反応は上々であった。


「うむ! 汁物でないかれーというのはいささか奇妙な心地だが、決して悪くはないと思うぞ! ただ、普通のかれーよりも口が渇くように思えるので、ますます果実酒が進んでしまいそうだな!」


「あはは。また飲みすぎてヤミル=レイに叱られないようにね。……そういえば、ラウ=レイがヤミル=レイと別行動っていうのは珍しいね?」


 配膳用の盛りつけが仕上がるのを待ちながら、俺がそのように呼びかけると、ラウ=レイはたちまち「うむ」と口をとがらせた。


「ヤミルもしばらくはかまど番としての仕事があるので、客人たちの面倒を見よと言いつけられてしまったのだ。家長たる俺がそのように命じられる筋合いはないのだがな!」


 そんな風に言ってから、ラウ=レイはドライカレーに舌鼓を打っているレビたちを振り返った。


「ただ、復活祭の間はこやつらと言葉を交わす機会もなかったので、ちょうどいいかと思ってな。お前たちは、ずっと屋台や宿屋の仕事を果たしていたのであろう?」


「ああ。宿屋にとって、復活祭ってのは一番の稼ぎ時だからな。……って、まだ1年も働いてない俺が偉そうに言うことじゃないけどよ」


「そんなことはありません。さすが住み込みで働いてるだけあって、レビもラーズもすっかり宿屋の仕事が板についているように思います」


 ドライカレーの木皿を手に、レビとテリア=マスは微笑みを交わし合う。その姿に、ラウ=レイは「ふむ」と首を傾げた。


「なんだ、お前たちはそういう関係であったのか。まあ、似合いのふたりであるようだな」


「い、いえ! わたしたちは、決してそういう関係では……」


 テリア=マスが顔を赤らめると、レビのほうは「そうだよ」と眉をひそめた。


「そんな風に見られたら、テリア=マスが気の毒だろ。俺なんざ、宿屋では一番の下っ端なんだからな」


「ほう? 余所の氏族から家人となったヤミルなどは、家で一番の新参であるのだがな。そんなヤミルが家長の俺と婚儀をあげるのも、不相応であるということか?」


「いや、そっちの家のことはよくわからねえけど……男と女じゃ、また違うだろ」


「何も違わんと思うし、たぶん俺が正しいのだと思うぞ。そら、そっちの娘がうらめしげにお前をにらみつけているではないか」


「い、いえ、レビのことをにらんでいたわけでは……」


 テリア=マスはいっそう顔を赤くしながら、目を伏せてしまう。この状況こそが、気の毒さの最たるものであろう。

 しかしまた、ラウ=レイのように明け透けな人間と語らうのも、ふたりにとっては有用であるように思えなくもなかった。テリア=マスとレビの行く末は、俺にとってもほのかな懸念のひとつであったのだ。


「それじゃあ俺たちも仕事があるんで、失礼するよ。また後でゆっくりとね」


 たくさんの木皿をのせた盆を手に、俺は祝宴の場に突撃することにした。

 まず向かうべきは、族長ドンダ=ルウのもとであろう。母屋の前に敷かれた敷物では、実に大勢の人々が寄り集まっていた。


「失礼いたします。俺たちの手掛けた宴料理をお持ちしましたので、よければお召し上がりください」


 ドンダ=ルウのもとには、復活祭の期間中に宿場町へと下りることのできなかった本家の家人たち――ミーア・レイ母さん、ティト・ミン婆さん、サティ・レイ=ルウの3名が勢ぞろいしていた。それに、ジバ婆さんとミシル婆さんに、ドーラ家の母君と叔父君も顔をそろえている。いつになく、女性が多めの布陣といえよう。


「サティ・レイ=ルウ、おひさしぶりです。こちらはカレー料理なのですが、如何でしょう?」


「はい。以前にシュミラル=リリンにおうかがいしたのですが、かれーで使われている香草は、子を孕んでいても毒になることはないそうです」


 そう言って、サティ・レイ=ルウはにこりと微笑んだ。

 そのおなかはすっかり大きくなって、表情はいよいよ柔和さを増している。懐妊の報告から数ヶ月が経っているが、経過は良好であるようだった。


「それに、シャスカも毒になることはないそうです。それを聞いて、わたしは飛び上がるほど嬉しくなってしまいました」


「あはは。サティ・レイ=ルウは大のシャスカ好きですものね」


 各人に木皿を配りつつ、俺はジバ婆さんたちの様子もうかがってみる。


「こちらのカレーでは、肉も野菜も細かく刻まれています。食べにくいことはないかと思いますが、シャスカは粘り気があるので咽喉に詰まらせないようにお気をつけくださいね」


「ありがとうねえ……シャスカのもちを食べるときにも、十分に注意しているよ……」


 顔をくしゃくしゃにして笑っている。ジバ婆さんは、心から幸福そうだった。

 そのすぐそばにいるミシル婆さんたちは――普段通りの仏頂面でありながら、どこか眼差しがやわらかいように感じられた。初めて森辺を訪れたという緊張感も、この数刻ですっかり払拭されたようだ。


「ミシルたちも、どうぞ。……森辺の祝宴は、如何でしょうか?」


「ふん。あんたがたがダレイムに押しかけるときよりは年寄りが多いんで、むしろ落ち着くぐらいかもしれないね」


 すると、親父さんの母君が、ミシル婆さんのとなりで何かをつぶやいた。

 俺から木皿を受け取りつつ、ミシル婆さんはうろんげにそちらを振り返る。


「なんだい? 周りが騒がしいんだから、ぼそぼそ喋ったって聞こえやしないよ」


「うん……そっちのおっかない顔をした族長ってお人がジバ=ルウの孫だって聞かされて、あたしはちっとばかり驚かされちまったよ」


 ジバ婆さんも、興味深そうにこちらを覗き込んできた。

 仏頂面で、少しやわらかい眼差しをした母君は、そんなジバ婆さんにも聞こえるように声を大きくする。


「あんたのお孫は、あたしの息子と大して変わらないぐらいの年齢だろう? それが何だか、奇妙な心地なんだよ。あたしもあんたも、おんなじ老いぼれだってのにさ」


「そうかい……まあ、あたしはもう86歳になっちまったからねえ……あんたがたは、まだ70歳ぐらいなんだろう……? それじゃあまあ、あたしよりもあたしの子のほうが年は近いってことなんだろうねえ……」


「……あんたの子は、もうみんな魂を返しちまったって話だよね?」


「うん……特に男衆なんかは、60歳まで生きるほうが珍しいぐらいだからさ……そっちのティト・ミンが、あたしの息子の伴侶だよ……」


 ふくよかなお顔ににこやかな表情をたたえつつ、ティト・ミン婆さんがうなずいた。正確な年齢は知らないが、おそらく60代の半ばぐらいであろう。ミシル婆さんたちよりは、いくぶん若く見える。


「今日はミシルたちと言葉を交わすことができて、心から嬉しく思っておりますよ。最長老から、さんざん話を聞かされていたんでねえ」


「ふん。根性の曲がった年寄りどもが押しかけてくるって、頭を抱えていたんじゃないのかい?」


「いいえ、滅相もない。……最長老から聞いていた通りのお人たちで、いっそう安心できましたよ」


 そう言って、ティト・ミン婆さんは肌艶のいい丸いお顔に笑いじわを刻んだ。


「森辺では、わたしぐらいの年をした人間も、そんなに多くないのでね。こんな風に言ったら失礼かもしれないけれど、自分と年の近い友を作ることができて、最長老も嬉しかったんだと思いますよ」


「ふん……こっちの孫とそっちの曾孫が同じ年なのに、年が近いと言えるのかねえ」


 ドーラ家の母君が、苦笑っぽい表情を浮かべた。

 しかし、苦笑であっても貴重な笑顔である。俺などは、それだけで少し心を揺さぶられてしまった。


「ああ、ターラとリミのことだね? リミはしょっちゅうターラの話をしているし、最長老はしょっちゅうあなたがたの話をしているし……だから、ドーラの家っていうのはすごく近しく感じるのですよ。あと、もちろんミシルもね」


 にこにこと笑いながら、ティト・ミン婆さんの瞳にはとても理知的な光が宿されている。ティト・ミン婆さんは、ただ温和なだけの人間ではないのだ。


「わたしなんかは家の仕事があるんで、そうそう町に出向くこともできやしないけど……家族たちの幸福そうな顔を見ていると、ああ、わたしらは決して間違っちゃいなかったんだなって安心できるのですよ」


「ふん。なんだかあんたのほうが、長老めいた人間であるようだね」


「ええ、ええ。最長老は、ちょいと子供じみた部分があるんでねえ。きっとあなたがたが、最長老のそういう部分をもとに戻してくれたのだと思いますよ」


 そんな両名のやりとりを、やはりジバ婆さんは幸福そうな表情で聞いていた。

 そして、それを見守るアイ=ファも、とても満ち足りた面持ちになっている。ジバ婆さんの喜びは、アイ=ファの喜びに直結しているのだ。


「それでは、ひとまず失礼いたしますね」


 俺とアイ=ファは、空になった盆を手に、かまどへと引き返す。

 そちらでは、ずいぶんな人垣ができてしまっていた。やはり、カレーの香りにひかれる人間は多いのだろう。裏手に回り込むと、盛りつけの担当が2名から3名に増えていた。


「あれ? マルフィラ=ナハムもそっちを手伝うことになったのかな?」


「は、は、はい。こ、こうまで人が押し寄せてしまうと、盆で運ぶ分までは手が回らないようであったので……か、勝手な真似をしてしまって申し訳ありません」


「何も謝ることはないよ。適切な判断じゃないか」


 ユン=スドラがシャスカをよそって、レイ=マトゥアがドライカレーをよそう。そうして完成した料理は、目の前の人々に片っ端から持ち去られてしまうのだ。よって、マルフィラ=ナハムがふたりの間に陣取って、盆で配る分の盛りつけに着手した、ということであるようだった。


「それじゃあ、俺たちの分もお願いするよ。トゥール=ディンは、左回りで料理を配ってるはずだよね?」


「は、は、はい。わ、わたしはそれを盛りつける仕事を果たしていたので、まだどこにも運んでいません」


「それじゃあ俺たちが右回りで配っていくから、マルフィラ=ナハムはそのまま盛りつけの作業をお願いするよ」


 俺とアイ=ファで6皿ずつの料理を受け取り、いざ次なる敷物へと向かう。その途中で、別のかまどの前で固まっている料理人の一行と出くわすことになった。


「おお、アスタ殿! そちらの料理は、さきほどトゥール=ディン殿にいただきましたぞ! あれはまた、我々の師匠が黙っていられなくなるような料理であるようですな!」


 木皿で汁物料理をすすっていたボズルが、そのように笑いかけてくる。そこはレイナ=ルウが取りしきる、『ミソと脱脂乳のギバ・スープ』のかまどであったのだ。


「それに、こちらの汁物料理もですな! カロンの乳とミソを合わせようという料理人は城下町でも少なくないようですが、これほど見事な仕上がりの料理を作りあげることのできた人間は、そうそうおらんはずです!」


 レイナ=ルウは「光栄です」と頭を下げた。


「ただ、肉の部位や食材の選別などには、まだまだ考慮の余地があるように思いますので、現在マイムやミケルたちと話し合っているさなかであるのです」


「ううむ。ミケル殿が森辺の家人となって、いよいよ恐るべき力が発揮されてきたように思いますな! 今後が楽しみでなりません」


 ボズル以外の人々は、ずいぶん寡黙な様子である。盆にのせたドライカレーが冷めてしまうのも気がかりであったが、なんとなく俺は素通りし難い心境であった。


「本当に、その汁物料理の出来栄えは見事ですよね。ロイたちは、如何でした?」


「如何も何も、森辺の料理を口にするたびにへこまされてるよ。こっちはイチから基礎を叩き込まれてる段階で、新しい料理の開発なんざ取り組む時間もありゃしないからな」


 そう言って、ロイはレイナ=ルウのほうを振り返った。


「まあ、泣き言ばっか口にしてても始まらねえか。こっちが刺激を受けるばかりで申し訳ねえけど、そのうちにまとめて御礼をさせてもらうからな」


「はい。ロイの料理を口にできる日を楽しみにしています」


 そのように言ってから、レイナ=ルウはシリィ=ロウとボズルの姿を見比べた。


「それに、そちらのおふたりもです。いつかおふたりの料理も口にすることができれば、嬉しく思います」


「……わたしはべつだん、ロイのように目新しい料理を手掛けているわけではありません。師たるヴァルカスの料理さえ口にしていれば、わたし個人の料理など口にする甲斐はないのではないでしょうか?」


 シリィ=ロウがあまり覇気のない声で答えると、レイナ=ルウは「いいえ」と首を横に振った。


「かつてサトゥラス伯爵家でふるまわれたあなたの料理は、確かにヴァルカスの弟子に相応しい仕上がりでありましたが、ヴァルカスの料理そのものであったとは思いません。わたしはあなたの料理にも、強く関心をひかれています」


 シリィ=ロウはぎょっとしたように身を引くと、やっぱり低めの声で「そうですか……」と応じた。

 日中から感じていたことであるが、どうも本日のシリィ=ロウはいつも以上に感情の起伏が激しいようである。俺がそのように考えていると、ロイが「ああ」と肩をすくめた。


「どうもシリィ=ロウは、あの傀儡の劇を見て以来、気持ちが定まらないみたいでな。森辺の民にどう接するべきか、判じかねてるんじゃねえのかな」


 彼らも城下町で『森辺のかまど番アスタ』を見ることができたのだ。それは日中にもちらりと聞いていたが、シリィ=ロウがそのような状態にあるとは初耳であった。


「そこまで思い悩む必要はないと思うんだけどな。今まで威張りくさってたぶん、引け目を感じちまうもんなのかねえ」


「そ、そんなことを思い悩んでいたわけではありません! わたしは威張り散らしていた覚えもありませんし、森辺の方々を見下していたわけでもないのですから――!」


 と、声を大きくしたかと思うと、また肩を落としてしまうシリィ=ロウである。


「ただ、わたしはこういう気性ですので……森辺の方々こそ、わたしのような人間は目障りなのではないかと……」


「シリィ=ロウを目障りに思っている人間など、ひとりもいないはずです。わたしだって、本日お会いできるのを楽しみにしていたのですよ?」


 レイナ=ルウが、持ち前の朗らかさでにこりと微笑みかけた。


「それに、復活祭で忙しいさなか、シリィ=ロウたちがわざわざ傀儡の劇を見るために足を運んでくれたことを、とても嬉しく思っていました。できれば今度は、シリィ=ロウたちの話も聞かせていただきたく思っています」


「わ、わたしたちの話?」


「はい。わたしたちは、シリィ=ロウたちがどのような思いで料理人を志したのかも知りません。のちほどゆっくりと言葉を交わしていただけたら、嬉しく思います」


 どうやらレイナ=ルウにまかせておけば、こちらは安泰なようだった。

 口の中でごにょごにょと何かつぶやいているシリィ=ロウを横目に、俺はロイとボズルに笑いかけてみせる。


「俺も仕事が終わったら、是非ゆっくりと語らせてください。それじゃあ、失礼いたしますね」


「あ、おい。今日も傀儡の劇を見せてもらえるんだよな?」


「はい。そのはずですよ。まずは《ギャムレイの一座》の曲芸が披露されるみたいですけどね」


「了解。楽しみにしてるよ」


 そうして俺は、ようやく中断していた仕事を再開することになった。

 しばらく歩くと、敷物で賑やかに騒いでいる面々の姿が見えてくる。それは、ルティム本家の人々を中心に形成された集まりであった。


「おお! その香りは、かれーだな! いつ運ばれてくるのかと心待ちにしておったのだ!」


 その真ん中に陣取っていたダン=ルティムが、陽気に果実酒の土瓶を振りかざしてくる。俺が木皿を手渡すと、そのどんぐりまなこがいっそう丸くなった。


「うむ? アスタよ、このかれーはまったく汁気がないではないか!」


「はい。あえてそのように仕上げた料理となります」


「なんだ、俺は汁気たっぷりのかれーが好みなのだぞ? このように干からびていたら、せっかくのかれーも……いや、これは美味いな! 干からびたかれーというのも美味ではないか!」


 ダン=ルティムが、ガハハと笑い声を響かせる。それを笑顔で聞いているのは、ドーラ家の長男とその伴侶と次男であった。


「お疲れ様です、アスタ。祖母や大叔父たちの様子はどうでしたか?」


「はい。みなさん、語らいの場を楽しんでおられるご様子でした」


「そうですか。ジバ=ルウのご家族とうまく言葉を交わせるかどうか、祖母たちも少し不安に思っていたようなので、それならよかったです」


 そんな風に語る彼らも1年ぶりの森辺であるはずであったが、復活祭の祝日にも森辺の民と交流を深める機会はあったので、至極リラックスした様子であった。

 それに、ダン=ルティムやガズラン=ルティムはたびたびドーラ家を訪れているので、心安くもあるのだろう。賑やかながらも、和やかな様相である。


「アマ・ミン=ルティムも、少しおひさしぶりですね。今日は宴料理をカレーにしてしまって、申し訳ありません」


「とんでもありません。わたしもひと口だけ、味見をさせていただきたく思います」


 妊婦にカレーはオーケーであるという話であったが、子に乳を与える人間は香草を控えたほうが望ましい、という話であったのだ。その子たるゼディアス=ルティムは、現在コタ=ルウたち幼子と一緒にルウ家で面倒を見られているはずであった。


「もう間もなく、旅芸人たちの芸が始められるのですよね? またあの獣たちに会えるかと思うと、胸が弾んでしまいます」


「ああ、去年は一緒に天幕を巡りましたもんね。……ドルイのことは、聞きましたか?」


「はい。親にも負けぬほど大きくなったそうですね。あの小さな姿が失われてしまったのは、ちょっぴり残念に思えてしまいますが……でも、大きく育った姿を見られるのも楽しみです」


 去年の復活祭において、アマ・ミン=ルティムは幼獣であったドルイのもふもふを童心に返った様子で満喫していたのである。俺にとっては、それも大事な思い出のひとつであった。


「ああ、アイ=ファにアスタ。よかったら、わたしたちにも料理をもらえるかしら?」


 と、ダン=ルティムの巨体の向こう側から、レム=ドムが呼びかけてきた。そちらでは、ドムの兄妹とモルン=ルティム、それにツヴァイ=ルティムやオウラ=ルティムが集っていたのだ。


「……先日は、ティアの件で世話をかけたな」


 木皿を手渡しながら、アイ=ファがそのように呼びかけると、レム=ドムは「うふん?」と色っぽく首を傾げた。


「わたしたちは族長たるグラフ=ザザの言いつけで行動をともにしたのだから、アイ=ファに礼を言われる筋合いではないのじゃないかしら? ティアを森辺に置いていたのだって、べつだんアイ=ファたちの責任ではないのだしね」


「……まあ、そうかもしれんな」


 多くは語らず、アイ=ファは他の人々にも木皿を渡していった。

 すると今度は、ディック=ドムがうっそりと発言する。


「アイ=ファたちにも、この場で告げておこう。俺たちは明日、ドムの集落に戻ることになった」


「ほう。拳の傷が、ようやく癒えたのか?」


「うむ。狩りの仕事を始めるにはもういくらか必要だが、ドムの家を離れてすでに半月以上が過ぎている。家長としては、長すぎるぐらいの逗留であったことだろう」


 そのように語りながら、ディック=ドムは黒い瞳を静かに光らせた。


「それで、族長たちとも語らったのだが……モルガの山におもむく役目は、ルウ家に一任されることに相成った」


「ふむ。ザザとサウティは、身を引くのだな」


「うむ。赤き民の身柄を預かっていたのは、ファとフォウとルウの家となる。モルガの山に向かうのは10名のみという限りがあるのだから、より事情をわきまえた人間が同行するべきであろうという話に落ち着いたのだ」


「そうか。私の同行を許してもらえるならば、異存はない」


 すると、モルン=ルティムがいくぶん心配そうに俺とアイ=ファの姿を見上げてきた。


「モルガの山におもむく際は、どうぞお気をつけくださいね、アイ=ファにアスタ。ティアを見ていれば、聖域の民が清らかな心を持つということも信じられますが……ヴァルブの狼とマダラマの大蛇の存在が、いささかならず心配です」


「うむ? マダラマはともかく、ヴァルブのほうに心配はいらんぞ! あやつらがどれだけ親切な獣であるかは、俺がさんざん説明したろうが?」


 ダン=ルティムが、ぐりんとこちらに向きなおってきた。

 モルン=ルティムは、幼子をなだめるような面持ちで微笑む。


「ダン父さんは、2回ほどヴァルブと出くわしただけなのでしょう? 他のヴァルブがどのような気性であるのかは、わからないじゃない」


「しかし、ヴァルブもマダラマも聖域の民の友であるという話なのだからな! 聖域の民を信ずるならば、ヴァルブやマダラマのことも信ずるべきであろうよ!」


「でも、ティアたちはマダラマを狩っていたというし、ヴァルブを狩る一族もいるのだという話であったでしょう? わたしたちの道理だけで、すべてを推し量ることは難しいと思う」


「お前は、心配性だな! 俺やアイ=ファがいる限り、何も案ずる必要はないぞ! なあ、アイ=ファよ?」


 アイ=ファは「うむ」とだけ答えていた。

 やはりティアの話題になると、神妙な気持ちになってしまうのだろう。それは俺も、同じことだった。


(ティアも今頃、フォウの家で晩餐かな……)


 胸もとに、ぐっと何かを押し込まれるような感覚が芽生える。

 しかし俺は、ティアに会えない寂しさよりも、明日には再会できるという喜びを噛みしめるべきであるのだろう。

 ティアとの別離を悲しむのは、本当のお別れを迎えるときまで差し控えるべきであるのだ。

 そして、それがどれほどの喪失感であったとしても、俺にとってはティアと出会えた喜びのほうがまさるはずだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 生誕の日に参席しているのに、ティト=ミンの年齢をアスタが知らないのはおかしい。
[気になる点] 誉めあいや謙遜しあいも、度が過ぎればくどくなります。 [一言] カレー料理なら、ラッシーやヨーグルトなど乳製品が登場すれば良いのにと感じました。乳製品が、辛いカレーを中和するのはよく知…
[気になる点] カミュア達は城下町の客ではない
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