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異世界料理道  作者: EDA
第四十八章 太陽神の復活祭、再び(下)
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幕間 ~兄弟の絆~

2020.2/3 更新分 1/1

・今回の更新は全8話です。

『滅落の日』の夜――ダレイムのドーラ家においては、凄まじいばかりの熱気と活力が渦巻いていた。


 まるで、森辺の祝宴である。

 もちろんこの場にいる人間の半数以上は森辺の民であるのだから、森辺の祝宴さながらの賑わいであっても、何もおかしいことはないのかもしれないが――逆に言うと、半数近くは森辺の民ならぬ町の人間であるのだ。そう考えれば、森辺の民と町の人間が何の隔たりもなくこのような場を形成していることを、まず一番に驚くべきなのかもしれなかった。


 少し離れた敷物で、ひときわ大きな声をあげているのは、南の民の一団である。

 そのそばには、東の民の一団だっているはずだ。この場には、ダレイムの民ばかりでなくそういった異国の民までもが群れ集っているのだった。


 そんな人々の賑わいを、ジザ=ルウは家の近くに敷かれた敷物の上から見回した。

 ジザ=ルウのかたわらでは、最長老のジバ=ルウがドーラ家の老人たちや名前も覚えきれないダレイムの人間たちと、楽しそうに語らっている。すでに日が沈んで何刻も経っているはずであるのに、老齢のジバ=ルウはいっかな弱ることなく元気に過ごしていた。


 ジバ=ルウをはさんだ向こう側では、弟のルド=ルウがギバ肉をはさんだポイタンをかじりながら、やはり町の人間たちと愉快げに語らっている。ジザ=ルウとルド=ルウは最長老の護衛役であるために、この場から離れることができないのだ。しかし、周囲の人間たちが次々と入れ替わってジバ=ルウとの対話を望んでくるので、移り気のルド=ルウも退屈するいとまはないようだった。


「……最長老の護衛役、ご苦労だな、ジザ」


 と、ふいに背後から声をかけられた。

 振り返ると、もうひとりの弟であるダルム=ルウが仏頂面で立っている。その姿に気づいたダレイムの人間が、陽気に声をあげた。


「やあ、あんたはたしか、このおふたりの兄弟だったよな! よかったら、あんたもちょいと語らっていきなよ!」


 ダルム=ルウは目礼だけして、ジザ=ルウの隣に腰を下ろした。

 後から近づいてくる者の影はないようなので、ジザ=ルウは疑念を呈することにする。


「シーラ=ルウは、どうしたのだ? さきほどまで、あちらでともに語らっていたであろう?」


「さすがに、よく見ているな。……あちらには女ばかりが集まってきたので、俺はしばし離れることにしたのだ」


 それはつまり、この場で伴侶と離れても危険はないと判じたということなのだろう。

 むろんジザ=ルウも、この場にいる人々が最長老や女衆に危害を加えると懸念を抱いているわけではない。それでもジザ=ルウが最長老のもとに留まっているのは、あくまで不測の事態に備えてのことであった。


「よー、ダルム兄じゃん。いいかげんに喋り疲れて、俺たちのところに逃げてきたのか?」


 ルド=ルウが陽気に笑いかけると、ダルム=ルウは「ふん」と鼻を鳴らした。


「お前のように、疲れるほど喋った覚えはない。それに、ジザはともかくお前のそばにいたところで、やかましいことに変わりはないだろう」


「ああ、そーかよ」と、ルド=ルウは気安く肩をすくめた。

 すると今度は、シン=ルウとララ=ルウが連れ立って歩み寄ってくる。


「ルド=ルウよ。ベンやカーゴがそろそろ横笛でも吹かぬかと言っているのだが、どうであろう?」


「あー、だけど俺は、ジバ婆のそばにいないといけねーからな。今日のところは、お前らにまかせるよ」


「おや……ルドの横笛がどれぐらい上達したのか、あたしも楽しみにしていたんだけどねえ……」


 ジバ=ルウがそのように言いたてると、ダルム=ルウがおもむろに腰を上げた。


「ならば、その間は俺が最長老のもとに控えていよう。横笛だろうが何だろうが、好きにするがいい」


「えー、いいのかよ? いちおうダルム兄は、分家の人間なわけだしなー」


「分家であろうが、血族であることに違いはない。親父だって、文句をつけることはなかろう」


 ルド=ルウは頭をかきながら、ジザ=ルウのほうを覗き込んできた。

 ジザ=ルウはしばし思案してから、「よかろう」と応じてみせる。


「ダルムであれば、狩人としての力量に不足はないからな。行ってくるがいい」


「了解! それじゃー、ちっと行ってくるよ!」


 ルド=ルウは嬉しそうに笑いながら立ち上がり、それで空いた場所にダルム=ルウが腰を下ろした。

 その仏頂面を見やりながら、ジザ=ルウは考える。


(もしかしたら、ダルムはどこかでシン=ルウたちの会話を聞き及び、ルドと役目を交代するためにこの場を訪れたのだろうか)


 ダルム=ルウは寡黙でいささか短慮なところもある人間であったが、家族に対する情愛や気づかいは他の弟妹たちに負けていないのだ。伴侶を娶って本家を出た身であっても、そういう部分に変わりはないようであった。


 ルド=ルウたちは、空き地を埋め尽くした人々の間をぬって、ベンたちのほうに近づいていく。

 やがてそちらから、「えーっ!」という若い娘の声が聞こえてきた。


「こんな日にまで、あたしに歌わせようっての? せっかくの『滅落の日』なんだから、みんなで一緒に歌えばいいじゃん!」


 騒いでいるのは宿場町の領民たる、ユーミであった。彼女もさきほど、傀儡使いの一行とともに到着したのだ。


「みんなで歌うのもいいけどよ、まずはお前の歌声を披露してやれよ」


「そうそう。俺たちは手土産もなかったんだからさ。サトゥラスの代表として、よろしく頼むぜ」


 囃し立てているのは、同じ宿場町の同胞たるベンやカーゴである。

 さらに、横笛を手にしたジョウ=ランもそこに言葉をかぶせた。


「俺も今日は、ユーミの歌を楽しみにしていました。いや、俺ばかりでなく、ユーミの歌を楽しみにしていた森辺の人間は多いのです。どうか俺たちの願いを聞き届けてはいただけないでしょうか?」


「だけど、あんな立派な傀儡の劇の後に、あたしのお粗末な歌を聞かせるなんてさー。せっかく綺麗に洗われたみんなの耳が、汚されちゃうんじゃない?」


「何を言っているのですか。ユーミの歌を耳にすれば、耳のみならず心まで洗われることでしょう」


「ああ、もういいから、あんたは喋んな!」


 遠目に、ユーミがジョウ=ランの肩を引っぱたく姿が見えた。

 森辺において、男女はみだりに触れ合わってはならない習わしであるのだが、こればかりはなかなかユーミも身につかぬようだ。ルウの家でもララ=ルウなどはしょっちゅうシン=ルウやアスタを引っぱたいているようなので、直情的な人間にはいっそうの自制が必要なのかもしれなかった。


「あ、そうだ! だったら、ララ=ルウも一緒に歌おうよ!」


 ユーミがそのように言い出すと、ララ=ルウがさきほどのユーミよりもけたたましい声で「えーっ!」とわめきたてた。


「い、いきなり何を言ってんのさ! どうしてあたしが、ユーミと一緒に歌わないといけないの!?」


「だってあんた、『ヴァイラスの宴』がなかなか上手く歌えないって言ってたじゃん。家で、練習してるんでしょ?」


「だ、だから、上手く歌えない人間が歌う必要はないでしょ?」


「あのねー、歌なんて、おもいっきり歌わないと上達しないんだよ! 恥ずかしがってぼしょぼしょ歌ってても、歌が咽喉に馴染んだりはしないもんなのさ」


 そう言って、ユーミはその場の人々をぐるりと見回した。


「他の森辺のみんなもさ、けっこう家で歌ったりしてるんでしょ? そういう人らも、一緒に歌おうよ!」


 すると、端のほうに座っていた女衆らが2名ほど立ち上がった。ジザ=ルウは名前を知らぬが、おそらくフォウの血族の者たちであろう。


「あの……わたしたちも、決してユーミのように上手には歌えないのですが……それでもかまわないのでしょうか?」


「もちろんさ! 他にもいたら、こっちに集まってよ!」


 すると、別の場所からもぴょこりと立ち上がる者があった。妹のリミ=ルウと、ドーラ家のターラである。


「リミも『ヴァイラスの宴』だったら、ちょっぴり覚えてるよー! 一緒に歌わせてー!」


「いいよいいよ! こっちにおいでー」


 そうして空き地の中央に女衆らが集められ、周囲の人々は歓声をあげることになった。

 さらに、横笛を手にした新たな男たちも進み出てくる。それは、シュミラル=リリンと《銀の壺》の者たちであった。


「そうだそうだ、あんたたちもいたんだったな! またあの見事な笛の音を聞かせてくれよ!」


 ルド=ルウが、はしゃいだ声をあげている。彼らはリリン家の晩餐会でも横笛の腕を披露しており、ルド=ルウに感銘を与えていたのだった。


「それじゃあ最初は、『ヴァイラスの宴』な!」


 ルド=ルウが先陣を切って横笛を吹き鳴らすと、そこに複数の音色が重ねられた。

 見物している周囲の者たちは、手を叩いて拍子を取り始める。そこに、女衆たちの歌声が響きわたった。


 最初は不安定に揺らいでいた歌声が、やがてユーミに導かれるようにして、ひとつに溶け合っていく。そうすると、えもいわれぬ力強さで夜の空気が震わされた。


 ジザ=ルウのかたわらで、最長老は陶然とまぶたを閉ざしている。

 これもまた、かつての森辺では見られない姿であった。

 森辺の民が横笛を吹き、歌を歌い、そしてそれに聞き入っているのだ。しかもその中には、ジザ=ルウの家族たちまでもが含まれている。ジザ=ルウとしては、今さらながらに大いなる驚嘆を噛みしめるばかりであった。


(歌というものも美味なる料理と同じように、森辺の民に大きな喜びや充足を与えてくれるかもしれない……アスタは、そのように言っていたはずだ)


 そのアスタは、ずいぶん遠い場所でユーミたちの歌を聞いていた。ドーラや傀儡使いの一行と、席を同じくしていたらしい。アスタとアイ=ファはさきほどから、ひっきりなしに場所を移して、さまざまな人々と交流を深めていたのだ。


(……どうやらアスタは、完全に力を取り戻せたようだな)


 2日前、城下町でフェルメスと対話したアスタは、大きく心を削られることになった。

 それが今日の昼、《ギャムレイの一座》の天幕でピノたちと語らうことにより、心を癒やされることになったのだ。


 ジザ=ルウの目から見ても、アスタは完全に復調していた。

 その黒い瞳には輝きが蘇り、力があふれかえっていた。聞いたところによると、アスタを苦悩させるものの正体はわからず仕舞いであったとのことなのだが――それでもアスタは、元気いっぱいに笑っていたのだった。


「もしかしたらこの先も、俺は『星無き民』というものに悩まされるのかもしれません。でも、どうにか乗り越えてみせますので、どうぞお見守りください」


 日中、天幕から戻ってきたアスタは、そのように言いたてていた。

 アスタとは、これほどまでに強靭な人間であったのかと、ジザ=ルウはいささか驚かされたぐらいである。

 ジザ=ルウが迂遠な言い回しでその心情を伝えると、アスタははにかむように微笑んだものだった。


「もちろん、俺ひとりの力なんて、たかが知れています。みなさんに支えられてこその力なのですから、何も偉そうなことは言えませんよ」


 それはつまり、アスタが同胞の存在を我が身の力に換えているということであった。

 いや、アイ=ファを始めとする森辺の同胞ばかりでなく、同じ西方神の子であるジェノスの領民たちや、異国の友である東や南の民たち――そのすべてが、アスタの力になっているのだろう。

 ジザ=ルウは次代の族長として、そんなアスタの姿を見届けなければならない立場であったのだった。


 そうしてジザ=ルウが思索にふけっている間に、ユーミたちの歌は終わっていた。

 人々は、大喜びで手を打ち鳴らしている。初めて人前で歌を披露したララ=ルウは、羞恥で顔を真っ赤にしながら、それでも満ち足りた表情をしていた。


「次は、みんなで歌おうよ! 『マドゥアルの恵み』なんてどう?」


 ユーミの提案で、敷物に座した人々も歌声を張り上げることになった。

 とはいえ、森辺の民のほとんどは、手を打ったり足を踏み鳴らしたりして、拍子を取っているばかりである。町の歌を覚えている人間など、数えるぐらいしか存在しないはずであるのだ。

 しかし来年の復活祭では、もっと数多くの森辺の民たちが、この歌をも歌えるようになっているのかもしれなかった。


「……最長老はそろそろ身を休めるべきではないだろうか?」


 歌と横笛の余興が終わり、ルド=ルウが戻ってくるのを待ってから、ジザ=ルウはそのように呼びかけてみることにした。

 ジバ=ルウは「そうだねえ……」と小さく息をつく。


「この場を離れるのは惜しいけど、やっぱり日の出まで寝ずにいるのは難しそうだ……悪いけれど、身を休める場所を貸してもらえるかい……?」


「ふん。音をあげるまで、ずいぶん時間がかかったね」


 そのように応じたのは、ずっと同じ場所にいたミシルであった。ドーラの家族であるふたりの老人も、ずいぶんくたびれた顔をしている。


「太陽神の再生には、まだまだかかるだろうからね。あたしもちょいと休ませておくれよ」


「ああ。寝床の準備はできてるよ」


 老人たちが腰を上げたので、ジザ=ルウは最長老の小さな身体を胸の前にすくいあげる。

 すると、まだこの場に留まっていたダルム=ルウが、弟の顔をじろりとねめつけた。


「俺はジザに話があるので、こちらに同行する。お前は適当に過ごしていろ」


「え? いいのかよ? 護衛役は、俺の仕事なんだぜ?」


「家を出るまでは、俺も果たしていた仕事だ。……ヴィナも、お前と語らいたそうにしていたぞ」


 ルド=ルウは、再びジザ=ルウを見やってきた。

 ジザ=ルウが了承の返事を与えると、「そっかー」と複雑そうに笑う。


「だったら、俺も後で交代するからさ。ジザ兄も、ちっとは復活祭を楽しめよ」


「俺の役割は復活祭を楽しむことではなく、復活祭の中に身を置く同胞の姿を見届けることだと考えている。いらぬ気遣いは、不要だ」


「でも、俺ばっかり楽しむのは不公平じゃん」


「俺が自由を与えられたところで、お前のように気兼ねなく楽しむことは難しいように思う」


 ジザ=ルウはそのように諭したが、ルド=ルウはなかなか納得しなかった。


「でも、それじゃあ俺の気が済まねーんだよ。とにかく、あとで交代するからな!」


 それでようやくルド=ルウが立ち去ったので、ジザ=ルウたちはドーラ家の家屋に向かうことになった。

 ジザ=ルウの腕の中で、最長老は「すまないねえ……」と申し訳なさそうに微笑む。


「あたしが我が儘を言うもんだから、あんたたちに不自由をさせちまってさ……あたしさえいなければ、あんたたちは気兼ねなく宴を楽しめるのにねえ……」


「最長老の存在があろうとなかろうと、俺の心持ちに変わりはないように思う。そして、最長老の喜びこそが、俺たちにとっての喜びであるのだ」


 最長老は、枯れ枝のように細い指先をジザ=ルウの顔にのばしてきた。


「あんたは強い子だね、ジザ……あんたはきっと、立派な家長になるよ……」


 最長老の指先が、ジザ=ルウの頬にそっと当てられる。

 このようなことをされるのを幼子のとき以来であったので、ジザ=ルウとしては戸惑いを禁じ得なかった。


「さ、あんたがたはそっちの部屋で休むといいよ」


 一同は、2階の寝所に招かれた。

 その扉に手をかけようとしたところで、後ろからばたばたと足音が聞こえてくる。


「あー、いたいた! こいつらも、一緒に休ませてくれる?」


 それは、ララ=ルウとシン=ルウであった。背中には、それぞれリミ=ルウとターラを背負っている。リミ=ルウたちもまだ眠りには落ちていないようだが、その目はとろんと半分まぶたが下がっていた。


「歌い終わって、気が抜けちゃったみたいだねー。ま、あれだけ騒いでりゃ当然だけどさ」


 そんな風に言ってから、ララ=ルウはわずかに頬を染めて、ジザ=ルウとダルム=ルウをにらみつけてきた。


「あー、なんにも言わないでよ? 今、ルドのやつを引っぱたいてきたところなんだから!」


「そうか。では、口を閉ざしておこう」


 するとさらに、別なる人物も階段をのぼってきた。自分の子を腕に抱いた、ウル・レイ=リリンである。


「申し訳ありませんが、わたしどももお願いいたします。場所がなければ、わたしはそばで見守っておりますので」


「ふん。誰も彼もが細っこいんだから、場所に困ることはないだろうさ」


 最長老とミシルを含めた6名が、同じ寝所に寝かされることになった。

 ジザ=ルウとダルム=ルウは、扉の前で護衛の役を果たすことにする。リミ=ルウたちを寝かしつけて、寝所の外に出てきたララ=ルウは、そんなジザ=ルウたちの姿をいぶかしそうに見比べた。


「ジザ兄たちは、あっちに戻らないの? これだけ森辺の狩人がうじゃうじゃいたら、無法者なんて近づいてこないと思うけど」


「それでも、仕事をおろそかにすることはできん。お前たちは、町の人間たちと絆を深める役割を全うするがいい」


「べつに、役割と思ってダレイムに来たわけじゃないけどねー」


 ララ=ルウはいくぶん心配そうな面持ちになっていたが、ジザ=ルウがうながすと素直に階段を下っていった。シン=ルウも目礼をしてから、それに追従する。


「さすがに、夜が明けるまでというのは長いな」


 そのように言いながら、ジザ=ルウは扉の脇に腰を下ろした。

 この場所にも表の喧噪は伝わってきていたが、それでもずいぶんと軽減されている。ジザ=ルウにとっても、これはひとときの休息であった。


「それで、俺に話とは、何なのだ?」


 ジザ=ルウが水を向けると、ダルム=ルウもようやく腰を下ろした。

 その顔は相変わらず仏頂面で、ジザ=ルウのほうを見ようとしない。立てた片膝に頬杖をついて、ダルム=ルウは虚空の闇を見据えていた。


「どうしたのだ? 俺に何か話があるのだと言っていたはずだぞ」


「急かすな。そのようにあらたまると、余計に話しにくいではないか」


 ぶっきらぼうに、ダルム=ルウは言い捨てた。

 そうしてしばらく黙り込んだのち、またぽつぽつと語り始める。


「……太陽神の復活祭というやつも、これでようやく終わるのだな」


「うむ。ルウ家は休息の期間でなかったため、昨年よりも多少苦労は多かったやもしれんな」


「多少で済むのか? お前は祝日というもののたびに、前日の夜から引っ張り出されていたではないか」


「それはルウ本家の長兄として、やむをえないことだ。最長老の護衛がなくとも、俺は次代の族長としてすべてを見届けなくてはならぬ立場だからな」


 ダルム=ルウは、ちらりとジザ=ルウの顔を盗み見てきた。

 まだ何か、心情をあらわにするのをためらっている様子である。寡黙ではあるが直情的なダルム=ルウには、珍しいことであった。


「それに、長きの時間を町で過ごしていたのは、ダルムも同様であろう? 3日に及ぶ祝日において、お前も朝から夜まで町に下りていたはずだ」


「いや。シーラが集落に戻るときは、俺もともに戻っていた。その間も、お前は町に居残っていたのであろうが?」


 ダルム=ルウは頬杖をついていた手をわずかにずらして、こめかみのあたりの髪をかき回した。


「お前は家に、身重の伴侶を残しているのだから……余計に気苦労がつのったのではないのか?」


「うむ? しかし、サティ・レイのもとに留まっても、俺に為すべきことはない。母ミーア・レイや数多くの女衆がそばにあるのだから、案ずる必要もなかろうしな」


「頭でそのように考えても、心から納得することはできまい。それともまさか、本当に伴侶の身を案じていないとでも抜かすつもりか?」


「どうしたのだ」と、ジザ=ルウは笑ってみせた。


「なんだか、お前らしくないように思えるぞ。何か言いたいことがあるならば、包み隠さず口にするがいい」


「だから、そのように急かすなというのに。……俺はただ、本家の長兄という立場の重さを思い知らされただけだ」


 またあらぬ方向に視線を飛ばしながら、ダルム=ルウはそのように言いたてた。


「しかもルウ家は、いまや族長筋であるのだからな。お前に町の様子を見届けさせようとする父ドンダの考えも、きっと正しいことであるのだろう」


「うむ。ダリ=サウティやゲオル=ザザも、俺と同じぐらいの時間を町で過ごしているはずだ」


「……しかしあやつらは、身重の伴侶を抱えているわけではない。気苦労のほどは、ジザが一番であるはずだ」


 そう言って、ダルム=ルウは小さく息をついた。


「俺が同じ役割を負わされていたら、とうていお前ほど平静ではいられないだろう。これはやはり……長兄として生きてきた人間と、そうでない人間の差なのだろうか?」


「どうであろうな。何にせよ、俺は母なる森の意思で、ルウ本家の長兄として生まれつくことになった。その立場に相応しい人間として振る舞うべきだと考えている」


「そら、すぐそれだ。お前は家族にすら、自分の弱みをさらそうとしない」


 その言い分には、ジザ=ルウも小首を傾げることになった。


「それは、俺だけの話であろうか? 俺たちの兄弟は、いずれも他者に弱みをさらすような人間ではないように思うのだが」


「しかし俺たちは、弱いからな。どんなに弱みを隠そうとしても、けっきょくは見透かされてしまう。すべての弱みを隠しおおせているのは、お前だけのはずだ」


 ダルム=ルウは、何やら意を決した様子でジザ=ルウのほうに顔を向けてきた。

 不機嫌そうな顔の中で、その父親に似た青い瞳にはとても真剣な光がたたえられている。


「それにお前は、頑固者だ。森辺がこのように変わり果てて、もっとも心苦しく思っているのは、お前のはずだろう。お前は……大丈夫なのか、ジザ?」


 それでようやく、ジザ=ルウは弟の心情を汲み取れたような気がした。

 要するに、ダルム=ルウは――ジザ=ルウの身を思いやってくれていただけなのである。


(そういえば、ダルムは昔からこうだったな)


 ダルム=ルウはこれほど情が深いのに、それを他者に気取られることを嫌がる気性であったのだ。親に叱られた弟妹たちが大泣きをしているとき、ダルム=ルウはいつも仏頂面でその頭を撫でてやっていたのだが――今のダルム=ルウは、そのときとそっくりな顔つきをしているように思えた。


「……頑固者というのも、俺ひとりの話ではないように思えるな。俺たちの兄弟の中に、頑固でない人間などいるのだろうか?」


「しかし、お前は――」


「うむ。俺は森辺の習わしを何よりも重んじている。それがこうまで変わり果てていくというのは、きわめて落ち着かないことだ」


 ジザ=ルウは、そのように答えてみせた。


「しかし、そうだからこそ、心を強くもって、変わりゆく森辺の姿を見届けなくてはならないと考えている。森辺にもたらされる新しい習わしというのは、正しいものであるのか間違ったものであるのか……それを判ずるのが、族長の役割であるのだろうからな。いまだ族長ならぬ若輩の俺にこのような役目を負わせてくれた父ドンダには、深く感謝しているのだ」


「…………」


「もちろん本音を言えば、身重のサティ・レイやまだ幼いコタのことを案じている。かなうことなら、朝から夜までともに過ごしたいところだ」


 そう言って、ジザ=ルウはまた笑ってみせた。


「しかし、大事な家族を正しい道に導くためにも、これは必要な行いであるのだ。言ってみれば、狩人としての仕事を果たすのと同じことなのであろう。どれだけ家族を慈しんでいても、朝から夜まで行動をともにすることはかなうまい」


「……それは、俺への当てつけか? 俺は祝日というものが訪れるたび、常にシーラをそばに置いていたからな」


 ダルム=ルウが、右頬の傷を赤く染めた。

 ジザ=ルウは、「何を言っているのだ」と首を横に振る。


「お前にとっては、伴侶のそばにあることが一番の仕事であるのだ。そして今は、その伴侶を置いて、俺などの身を案じてくれているではないか」


「別に俺は、お前などの身を案じているわけでは……」


「そうだったな。そういうことにしておこう」


 ジザ=ルウが含み笑いをすると、ダルム=ルウは古傷ばかりでなく顔全体を赤くした。


(俺もまた、ひとりで生きているわけではない。愛する家族や、血族や、森辺の同胞が、こうして力を与えてくれるのだ)


 そのように考えると、身体に力があふれかえってくる。

 おそらくは――アスタもそのように考えているのだろう。アスタは外界生まれの人間であったが、その瞳に宿った生命力の炎は、いまや決して森辺の民に劣るものではなかった。


(ならば、どのような苦難に見舞われようとも、決して志を曲げることはあるまい)


 そうしてジザ=ルウは、背後の壁に体重を預けた。


「ダルムとこのように語らうのも、ずいぶんひさびさであるように思えるな。この復活祭では、どういった者たちと絆を深めることになったのだ?」


「何だ、急に。俺の行いも、何かの検分の材料にしようという心づもりか?」


「そのような意図はない。まあ、自然に検分の材料にはなってしまうのかもしれないが……ただ、お前とひさびさに語らいたいだけだ」


 これもまた、太陽神の復活祭がもたらした、ひとつの運命であるはずだった。

 眠ることを許されぬ夜に、家を出た弟とひさびさに言葉を交わし合う。そういった行いの積み重ねが、ジザ=ルウという人間を形成していくのだ。


 壁の向こうから伝わってくる喧噪は、まったく静まる気配もない。

 それを遠くに聞きながら、ジザ=ルウはかけがえのない弟との対話を楽しむことにした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いい話でした 長編では初期に登場した人物がぞんざいな扱いを受けたり忘れ去られたりすることが珍しくない中で 登場人物を粗末にしない作風であることを、読むたびにいつも嬉しく思っています
[良い点] まさか、シーラ=ルウが?とドキドキしながら読んでましたが違ったようで。良かったような残念なような不思議な気持です。明日からの本編も楽しみです。
[気になる点] 近頃、内省的なくどくどした話しばかりで、面白くなくなっているように思う。何かと言えば「語らい」となるのもくどいです。異世界料理の新作は頭打ちなのでしょうか?ダンジョンを次々攻略するよう…
感想一覧
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