紫の月の三十一日⑦~長き夜~
2020.1/20 更新分 1/2
「あー、アイ=ファとアスタとレイナ姉だー! みんな、ヴィナ姉と一緒だったんだねー!」
しばらくして、元気いっぱいの声とともに、リミ=ルウが出現した。
ターラも同行しており、ふたりして巨大な木皿を掲げている。その上には、どっさりと焼いた肉が積まれていた。
「お肉が焼けたから持ってきてあげたよー! まだまだいーっぱいあるから、残さず食べてねー!」
森辺の民は酒樽ではなく、ギバ肉や野菜や焼きポイタン、それに手作りの菓子などを持参してきていたのだ。調理法は金網を使った炭火焼きオンリーであったが、その場の人々は歓声をあげてギバ肉をつまみあげることになった。
「あ、そうだ! さっきラウ=レイが、アスタたちを捜してたよー。あいつの仕事はいつになったら終わるのだーって、ずーっと騒いでたの」
「ラウ=レイが? 何か用事なのかな」
「わかんない。ラウ=レイはあっちで、ミダ=ルウたちと一緒だよー」
そちらの様子も気になったが、この場を離れるのも惜しいところである。
俺がそのように考えあぐねていると、シュミラル=リリンがやわらかく微笑みかけてきた。
「太陽神、再生まで、長きの時間、残されています。さまざまな相手、絆、深めるべきではないでしょうか? またのちほど、語らえたら、嬉しく思います」
「……わかりました。それじゃあ、いったん失礼しますね」
すると、ユン=スドラとライエルファム=スドラも腰を上げた。
「では、俺たちも別の場所を巡ることにしよう。チムたちの様子も気になるのでな」
俺とアイ=ファはリミ=ルウに示された方向に歩を進め、ライエルファム=スドラたちは途中で別の敷物に向かっていった。
これだけの人数だと目当ての相手を捜すのもひと苦労だが、目印はミダ=ルウの巨体だ。座っていても頭ひとつぶん以上が飛び出しているミダ=ルウの姿を求めて、俺たちは敷物の間を突き進んでいった。
「おお、アスタにアイ=ファ! ようやく姿を現したな!」
ラウ=レイが、酒杯を手に飛び上がった。女性のように繊細で、なおかつ狩人らしい勇猛さをたたえたその顔は、すでに酒気で真っ赤に染まっている。
「今日は朝から町に下りていたのに、お前たちとはロクに言葉を交わしていないような気がするぞ! そら、さっさとこちらに座るのだ!」
「えーと? それじゃあ、何か用事があったわけではないのかな?」
「ない! まさか、用事がなければ語る理由もないなどとは抜かさぬだろうな!?」
「もちろん、そんなことを言うわけがないじゃないか」
その場にはラウ=レイばかりでなく、かつてスン本家の兄弟であった面々や、マルフィラ=ナハムにレイ=マトゥア、それにベンやカーゴまで顔をそろえていたのだ。おまけに背中あわせの場所では、ルティム家と北の一族の面々が酒杯を交わしていたのだから、文句のつけようなどあるはずもなかった。
「アスタにアイ=ファ……ぎばこつらーめん、すごくおいしかったんだよ……?」
「ありがとう。みんなに喜んでもらえてよかったよ」
ミダ=ルウは、喜びに頬肉を震わせている。ツヴァイ=ルティムにオウラ=ルティム、ディガにドッド、そしてヤミル=レイと、かつての家族たちも勢ぞろいしているのだから、それだけでも満ち足りたひとときであったことだろう。そこに『ギバ骨ラーメン』でさらなる彩りを添えることがかなったのなら、俺も感無量であった。
ディガやドッドは、いくぶん曖昧な表情で笑っている。自分たちがこんなに幸福でいいのだろうかと、危ぶんでいるかのような面持ちである。ヤミル=レイやツヴァイ=ルティムの様子に変わるところはなかったが、オウラ=ルティムは深い慈愛の眼差しで、かつての家族たちの姿を見守っていた。
「今、ジョウ=ランとユーミについて、語らっていたのだ! こやつらは、つい先日まであやつらのことを知らされていなかったそうだな!」
こやつらとは、もちろんベンとカーゴのことであった。
ベンは苦笑を浮かべ、カーゴは肩をすくめている。宿場町においては長らく秘されていたその一件も、ついにこの復活祭の期間内で解禁されたのだ。
「いや、あいつらのことは前々からあやしいとは思ってたけどさ。それにしても、ユーミが嫁入りまで考えてたなんて驚きだよ。これまで町の人間が森辺に嫁入りしたことなんて、いっぺんもないんだろう?」
「うむ! アスタやシュミラル=リリンは森辺の家人となったが、嫁入りというのは初めてであろうな!」
「ああ、シュミラル=リリンなんてのは神を移すことになったんだから、ただ嫁入りするより突拍子もないんだろうけどよ。それにしたって、餓鬼の頃からの馴染みが森辺に嫁入りするなんて、なあ?」
「ああ。だけど仲間連中では、ユーミの手綱を握れるような野郎もいなかったからな。ジョウ=ランだったら、扱いに困ることもねえだろうさ」
彼らは年齢もまちまちであったが、ユーミとは聖堂に預けられていた幼少期からのつきあいであるのだ。それならば、俺たちと同等以上の感慨を噛みしめているはずであった。
「フン! だけどまだ、あのユーミって娘っ子がラン家に嫁入りするって決まったわけじゃないんでしょ? 今からウダウダ騒いだって、意味はないと思うけどネ」
珍しくもツヴァイ=ルティムが口をはさむと、ベンは「それはそうだけどさ」と頭をかいた。
「だけどやっぱり、驚きだよ。特にユーミの親父さんなんてのは、森辺の民嫌いで有名なお人だったからさ」
「そいつとは、宿屋の寄り合いで出くわしてるヨ。もっと森辺の民を嫌ってる連中は、他にいくらでもいそうだったけどネ!」
それは、《アロウのつぼみ亭》のレマ=ゲイトのことを指しているのだろう。ラウ=レイは陽気に笑いながら、ミダ=ルウの丸太のごとき腕をばしばしと叩いた。
「その者たちに謝罪させるために、ミダ=ルウを宿場町まで引っ張っていったという一件だな? ならばついでに、ドッドも連れていけば手間がはぶけたろうにな!」
「あ、ああ。俺としても、謝罪の機会があったんなら同行したかったよ」
「うるさいネ! 北の集落なんかに出向いてたら、戻る頃には寄り合いが終わっちまってたヨ!」
ツヴァイ=ルティムは、ドッドに向かって舌を出した。ミダ=ルウ以外の兄であった者たちに対しても、彼女の態度は一貫している様子だ。
(まあ、ツヴァイ=ルティムは、昔っからこうだったよな)
スン家の罪が暴かれた、前々回の家長会議の夜――ヤミル=レイが我が身を呈して家族の身を守ろうとしたとき、ツヴァイ=ルティムが激昂して父や兄たちをなじることになったのだ。あんたたちが腰抜けだから、ヤミル=レイがこんな風になってしまったのではないか――と。
あれから彼らが顔をそろえるときには、いつも不穏な空気が渦巻くことになった。ザッツ=スンとテイ=スンが行方をくらませたために、彼らがルウの集落で軟禁されたときも――サイクレウスと対決する前夜、ルウの集落で晩餐会が開かれたときも――そして、サイクレウスと対決した、その当日においてもだ。
ようやくそれらを覆すことがかなったのは、傀儡の劇を見届けるためにルウの集落へと集められた、今月のことであった。
そして今日、彼らは同じ敷物に座し、森辺の同胞や町の人々とともに、『滅落の日』の喜びを分かち合っている。
これもまた、この1年で培ったさまざまな行いの成果であるはずだった。
「何にせよ、今のジェノスで森辺の民を嫌ってる人間なんて、数えるぐらいしかいねえはずさ」
「そうそう。森辺の民はそれだけ頑張ってきたし、あの傀儡の劇もとどめを刺してくれた感じだよな」
ベンとカーゴは、あくまで陽気に言いたてた。
すると、オウラ=ルティムが静かな声でそれに応じる。
「力を尽くしたのは、町の人々も同じことでしょう。絆というのは、おたがいに手を差しのべてこそ、初めて深められるものなのだと思います。わたしなどは、数えるぐらいしか宿場町に下りていない身となりますが……それを心から思い知らされました」
「いやいや、ガズラン=ルティムの子が産まれるまでは、あんたもしょっちゅう屋台の仕事を手伝ってたろ? ここだけの話、あんた目当てで屋台に通ってた連中も少なくないんだぜ?」
「そうそう。あんたがツヴァイ=ルティムの母親だって聞いて、そいつらはひっくり返ってたけどな。でも、屋台に通うのをやめたりはしなかったよ」
オウラ=ルティムは、いくぶんきょとんとした様子でベンたちを見返した。
「申し訳ありませんが、言葉の意味を理解しかねます。わたしは伴侶と縁を絶たれた身ですが、こうして既婚の装束を纏っているのですから、男衆の目をひくことなどはありえないかと思うのですが……」
「いやいや、町の連中はそんな習わしもロクに知らねえしさ」
「それに、あんたは……って、見てくれを褒めそやすのは禁忌だったっけ。まあ、あんたが男連中の目を引くのは、なんもおかしい話じゃないさ」
オウラ=ルティムが困惑の表情を浮かべると、ずっと静かにしていたヤミル=レイがそちらをちろりとねめつけた。
「だから、あなたは新しい伴侶を探すべきだと忠言したでしょう? そのような装束は、とっとと着替えるべきなのじゃないかしら」
「ちょっと! オウラ母さんにおかしな話を吹き込まないでヨ!」
「何よ。弟妹が増えたら、あなただって嬉しいでしょう?」
「嬉しいもんか! オウラ母さんは、アタシだけの母さんなんだヨ!」
ツヴァイ=ルティムは母親の腕に取りすがり、怒れるポメラニアンのごとき形相と成り果てた。
オウラ=ルティムは、そんな娘のタマネギみたいにひっつめられた頭を、愛おしげに撫でる。
「ツ、ツ、ツヴァイ=ルティムとオウラ=ルティムは、ルティムの氏を授かることによって、母子を名乗ることも許されたのですよね?」
と、マルフィラ=ナハムが目を泳がせながら、発言した。
「そ、そ、それでしたら、ディガとドッドのおふたりも、ドムの氏を授かった際には、兄弟を名乗ることが許されるのでしょうか?」
「ええ? いや、そいつはどうなんだろうなあ」
「ああ。そんな話は、べつだん気にしちゃいなかったよ」
両名の返答に、マルフィラ=ナハムは細長い身体をのけぞらせていた。
「そ、そ、そうなのですか? と、とても重要な話だと思うのですが……」
「そうなのかな。どっちみち、ディガを兄貴呼ばわりしたことなんてないからな。同じ家で暮らせてるんだから、それ以上は望むこともねえよ」
「ああ、ドッドにディガ兄なんて呼ばれたら、背中がかゆくなりそうだ。……とにかく俺たちは、一人前の狩人として、正しく生きていけることを目指すだけさ」
マルフィラ=ナハムは、ただでさえ撫で肩である肩をさらに落とすことになった。
「そ、そ、そうですか。わ、わたしは兄妹に囲まれて育ったので、すごく重要なことなのだろうと考えていたのですが……き、きっとわたしが甘ったれなのですね」
「そんなことはねえよ。俺たちのほうが、普通じゃないんだろうさ」
「ああ。俺たちがまともな兄弟じゃなかったってことは、このざまを見てもわかるだろ?」
「い、い、いえ、たとえ血の縁を絶たれようとも、みなさんが深い絆で繋がれていることはわかります。わ、わたしはさっきから、みなさんの幸福感をおすそわけしてもらっているような心地であるのです」
そう言って、マルフィラ=ナハムはぎこちなく微笑んだ。
すると、ミダ=ルウがふるふると頬肉を震わせる。
「マルフィラ=ナハムは、すごく優しいんだね……どうもありがとうなんだよ……?」
「え、ええ? な、な、何も御礼を言われるようなことではないと思うのですが!」
マルフィラ=ナハムは、たちまち怒涛の勢いで目を泳がせ始めた。
その姿を見て、ラウ=レイが呵々大笑する。
「わかるぞ! こやつがディガとドッドの行く末までを案じていたことが、ミダ=ルウにはこの上なく嬉しかったのであろう! このようにむさ苦しい男衆どもを案じる人間など、そうそうおらぬだろうからな!」
「むさ苦しくて、悪かったな。スンの家に、あんたみたいな小綺麗な顔をした男衆は生まれねえんだよ」
「ふん! お前たちは顔だけでなく、存在そのものがむさ苦しいのだ! しかし、血の縁を絶たれても同じ家で暮らすことができたのは、何よりも励みになったことだろう! ルティムの両名も、然りだな!」
大きな声で言いながら、ラウ=レイはいきなりヤミル=レイの肩に手を回した。
「しかし、ミダ=ルウにはシン=ルウたちがいるし、ヤミル=レイには俺がいる! 今後もお前たちに負けぬほどの安らぎを与えると約束するので、何も案ずることはないぞ!」
ヤミル=レイは溜め息をつきながら、ラウ=レイの手の甲をしたたかにつねりあげた。
「女衆の身にみだりに触れるべきではないと、なんべん説明したらわかってもらえるのかしら?」
「痛い痛い! 俺たちは同じ家の家人だし、いずれは婚儀をあげる身なのだから、細かい話はいいではないか!」
ディガとドッドは、声をあげて笑っていた。
彼らが氏を失って以来、そのような姿を俺に見せるのは初めてのことである。それだけで、俺は胸がしめつけられるぐらい感慨深かった。
そこにいきなり、「おお!」という大声が響きわたる。声の主は、こちらに背を向けて座っていたダン=ルティムであった。
「あれは、傀儡使いの荷車だな! ようやく、到着か!」
目を凝らすと、荷車にくくりつけた松明の火がゆらめきながらこちらに近づいてきていた。本日のスペシャルゲスト、リコたちの一行が到着したのだ。
「やー、すっかり遅くなっちゃったよ! 欲張って、屋台の料理を山ほど準備しちゃったからさ!」
荷車から真っ先に下りたのは、リコたちに同乗を願ったユーミであった。ジョウ=ラン、ルイア、リコ、ベルトンも姿を現して、最後にヴァン=デイロが御者台から降りる。
「本日はお招きにあずかり、恐縮です。傀儡使いのリコにベルトンと申します。卑しき旅芸人の身となりますが、おめでたい席の端に居座ることをお許しいただけたら幸いです」
人々は、歓声で夜気をゆるがすことになった。
誰もが、リコたちの劇を心待ちにしていたのである。特にダレイム在住の人々は、ごく一部の人間を除いて、これが初見であるのだった。
「待ってたよ、ユーミ。それに、傀儡使いの嬢ちゃんたちもね。ひと休みしたら、さっそく例の劇をお願いするよ」
家の主人として、ドーラの親父さんがそのように挨拶をしていた。リコたちを家に招きたいと言い出したのも、親父さんであったのだ。その目的は、もちろん宿場町まで出向く機会のない家族や親族たちに『森辺のかまど番アスタ』をお披露目することであった。
まずは腹ごしらえをしていただくべく、俺とレイ=マトゥアで6名分の『ギバ骨ラーメン』をこしらえる。
それから四半刻ばかりの食休みを取って、いざ開演だ。
今日も夕刻ぐらいからみっちりと仕事に励んでいたのであろうに、リコたちの手並みには毛ほどの疲れもにじんでいなかった。
その澄みわたった声が夜のダレイムに響きわたり、軽妙なる傀儡の動きが人々の心をとらえていく。何度目にしても、それは見事の一言に尽きた。
およそ半刻をかけて『森辺のかまど番アスタ』が終演すると、怒涛のような拍手と喝采がまた夜気を震わせた。
ドーラ家の母君と叔父君も、ジバ婆さんのかたわらでリコたちの劇を見届けてくれただろうか。
「いやあ、お見事だったよ! 俺なんかはもう何べんも見てるのに、これっぽっちも見飽きたりはしないねえ」
ドーラの親父さんも満面の笑みで、リコたちに拍手を送っていた。
「あとは朝まで、のんびり過ごしておくれよ。酒も食い物も、まだまだたっぷり残されてるからさ!」
「ありがとうございます。それでは、荷車のほうに控えさせていただきますので――」
「いやいや、あんな暗がりに引っ込むことはないって。ここには旅芸人に石を投げるような人間もいないからさ。みんなと一緒に、太陽神の再生を祝おうじゃないか」
リコは嬉しそうに微笑みながら、「ありがとうございます」と頭を下げていた。
その後は、再びのお祭り騒ぎである。
さすがに幼子やご老体などは、家で小休止を取ることとなったが、おおよその人々は変わらぬ活気で酒杯を振りかざしている。夜更かしの習慣を持たない森辺の民でも、ここぞとばかりに持ち前の体力を発揮していた。
リコたちの到着はずいぶん遅かったが、それでも夜明けまでには多くの時間が残されている。その時間を、俺は余さず有意義に過ごすことができた。
ダレイムに住まうドーラ家の親族の方々や、ルウの血族や、ザザの血族、フォウの血族――それに、《銀の壺》や建築屋の人々とも、思うぞんぶん語らうことができた。特に、間もなくジェノスから出立する人々とは、どれだけ語っても時間が足りないぐらいであった。
そうして、どれだけの時間が過ぎたのか。
すっかり寝入ってしまった黒猫のサチを、トトスたちの眠る倉庫へと移動させ、また人々のもとに戻ろうとしたとき――アイ=ファが鋭い面持ちで、俺の腕をつかんできた。
「どうしたんだ?」と問おうとした俺は、途中で言葉を呑み込んだ。
行く手の暗がりに、3つの人影がぼんやり浮かびあがっていたのだ。
俺の視力ではその人相を判別することもできなかったが、何かの直観めいたものがその正体を告げていた。
「もしかして……フェルメスですか?」
答えは、「はい」であった。
歩を進めると、フードと襟巻きで人相を隠したフェルメスの姿があらわになる。その左右に並んでいるのは、従者のジェムドとガズラン=ルティムであった。




