⑤彷徨える二人
2014.9/24 更新分 1/2 2015.7/5 誤字を修正
そして俺たちは、再びルティム家の前に立っていた。
馬鹿でかい鉄鍋をふたりで掲げ持ちながら。
「おお、どうしたのだ、アイ=ファにアスタ! そんな鉄鍋をぶら下げて! もしかしたら俺の家に料理をふるまいに来てくれたのか!?」
「ダン=ルティム! もう森から帰られてたんですか」
ルウ本家にも劣らない大きな家屋の入り口から現れたのは、なんとルティムの家長殿だった。
まだ中天を過ぎて3時間ばかりしか経過していない。が、家長はすでにマントも刀も外した身軽な格好で俺たちを出迎えてくれた。
「どうにも最近、ギバどもが多くてなあ。今日分の角と牙は得られたし、分家の若い衆がちいとばっかり手傷を負ってしまったから、早々に引き返してきたのだ! で、今日は何をふるまってくれるのだ!?」
「いえあの、ガズラン=ルティムにお話があって訪ねてきただけなのですけれども……」
「何だそうなのか」と家長様は丸く張り詰めた肩をがっくりと落としてしまった。
180センチはあろうかという身の丈に、余裕で100キロはあろうかという肉厚の身体。禿頭で、褐色の顎髭をたくわえており、太鼓腹がどどんと突き出ている。アラビアの魔神か布袋様でも彷彿とさせるルティム本家の家長ダン=ルティムは、本日もご壮健のご様子だった。
「ダン=ルティムもいらしたのなら、一緒にお話を聞いていただいたほうがいいかもしれません。実はちょっと、ご相談したいことがあるのです」
「それはまあ、お前さんたちの相談に乗るのはやぶさかではないが……」
と、唇をとがらせる家長様である。
やめてください、うちの家長の十八番を奪うのは。
「ああ、アスタにアイ=ファ。やっぱりいらっしゃいましたか。カミュア=ヨシュとの話し合いはいかがでしたか?」
その出来た息子さんが、家長の背後から現れる。
ルウ家とはまた一味違った家長と跡取り息子である。
「1日に何度もすみません。あの、アマ・ミン=ルティムは――?」
「他の女衆とともに、ルウの家に行ってしまいました。1日も早く美味い料理の技術を習得できるように、と。おかげで私はほったらかしです」
「はあ、それはまた……」
「ですから、お気兼ねはいりません。どうぞお上がりください。……問題はありませんよね、家長?」
「うん……」
うんって。
幼児化が止まらないな、この御方は。
そんなこんなで、俺とアイ=ファは刀とついでに鉄鍋も預けて、再びルティムの客人となった。
行ったり来たりの1日である。
しかし、先延ばしにできるような問題でもないので、しかたがない。
日を重ねれば重ねるほど、アイ=ファも狩人としてのつとめが果たせなくなってしまうのだ。
◇
「――とまあ、だいたいそんな感じなのですが」
今回の話も、長かった。
ガズラン=ルティムは「ふむ」と腕を組む。
「それではやはり、その人物の印象は変わらない、ということなのですね。ただし、そういった言動の裏には、森辺に対する強い愛着――あるいは執着しか感じられず、アスタたちを騙しているような気配はない、と」
「はい。それに加えて、宿場町の様子も念入りに調査してみました。これなら確かに、店を出しても大きな問題は生じないし、上手くいけばそれなりに成功させることも可能だとは思います。……その果てに、ギバ肉そのものに商品価値を付与させることができるかどうかまでは、やってみないとわからないことですが」
俺たちは、レイト少年やドーラの親父さんと別れを告げた後、さまざまな屋台に立ち寄って、市場調査を敢行したのである。
その結果、どの店も軽食は赤銅貨1~3枚の値に定めており、1日の販売数は20食から50食、稼ぎは中天の前後に集中する、という情報を得ることができた。
これなら、戦える――と、俺は思う。
ガズラン=ルティムは、もう1度「ふむ」と言った。
「それならば、私は何の問題もないと思いますが……家長は、どう思われますか?」
「どうも思わん。なんでそんな石の都の住人が、森辺の行く末だ何だとほざいておるのだ? 石の都の住人は、せっせと石を運んで地の果てまでも道を伸ばしておればいいのだ。……そのようなことより、アスタよ」
と、ぶすっとした顔で言い、上目づかいで俺を見る。
だから、うちの家長の十八番を取らないでくださいってば。
「お前さんは都の連中に食事をふるまおうとしているのに、俺にはふるまってくれないのか?」
「いえあの、ですからその件でご意見がいただきたく……俺みたいな立場の人間が、そんな勝手に宿場町などで店を開いても問題はないのでしょうかね?」
「知らん。そのようなことを決めるのはファの家長であろうが? どうして俺なんぞの意見を聞こうとするのだ?」
「はあ。もちろんそれはその通りなのですが、店を出すという行為自体が、森辺の同胞の反感を買ったりはしないのか、それを確認しておきたかったのです。……それに、都とのやりとりについては、すべてスン家が取り仕切っているのですよね? そこを通さずに勝手なことをしていいのか、という疑問もありますし」
「……スン家だと?」と、ダン=ルティムのどんぐりまなこがギラリと光る。
「あんな馬鹿どもは放っておくがいい! 何か文句でもつけてきたら、その時こそ俺たちルティムが目にものを見せてくれよう! 何だ、スン家に刃を向ける心づもりなのか、アスタよ?」
「そんな嬉しそうな顔をしないでください! 森辺の騒乱の火種にはなりたくないから、こうしてご相談しているんです!」
「何だ、つまらん」と、ダン=ルティムはまた無気力モードに突入してしまう。
ガズラン=ルティムは、何事もなかったかのように「その点については心配ありません」と言った。
「スン家が取り仕切っているのは、あくまでジェノスの城とのやりとりだけです。あの石塀の中で店を開くという話ならばスン家を通す必要がありますが、宿場町なら問題はないはずです」
「そうですか。……しかし、本当にこんな素っ頓狂な話が、森辺の禁忌やしきたりに反したりはしないのでしょうかね?」
「それも問題はありません。むしろ我々はモルガの山の恵みを収穫することも、みずから畑を耕すことも禁じられ、ただひたすらギバを狩ることに専念する、という約定のもとに、この森辺に住まうことを許された身なのですから。逆に言えば、我々はギバを売ることしか、石の都には許されていないのです」
「なるほど……」
「そして、アスタよ。直接関係はないのですが。ルティムは今、少しだけ困った状況に陥ってしまっているのです」
「え? どうしたのですか?」
「肉が――減らないのです」
その精悍な面に浮かんだ笑みは、珍しく苦笑であるようだった。
「ルウの集落はあの宴で大量の肉を消費することができたのでしょうが。こちらではそういった機会もありませんでしたので。1日におよそ2頭ずつの血抜きと解体をほどこしていたら、もう分家の貯肉室までそれらの肉で満たされる結果となってしまいました。これでは、明日以降はすべての肉を森に置いてきてもかまわないぐらいの状態です」
「ああ……それはもちろん、そうなりますよね」
ファの家にだって、アイ=ファが仕留めたギバの肉がありあまっている。ピコの葉に漬けても半月か、長くても20日ていどしか保存はきかないので、最終的には大量の燻製肉を作ることになり、それらもまったく減る様子がない、というのが現状だ。
「この肉を銅貨に替えることができれば、確かに暮らしは豊かになることでしょう。それに――きちんと加工すれば美味くなるとわかった肉をみすみすムントの餌にしてしまうのも、惜しい話です。血抜きに失敗したギバの腐肉だけでも、連中の膨れた腹は十分に満たされるでしょうから」
「明日からも血抜きはするぞ! 肉はあまってもあばら肉には限りがあるのだからな!」
でろんと弛緩したまま、家長がわめく。
その息子は、まだちょっと苦笑気味の顔のままうなずいた。
「……となると、明日からはあばら肉以外をすべて森に捨てることになりますね。血抜きをして、内臓を抜いて、きちんと加工できた足や肩や腰の肉を」
「うわあ、それは勿体ないですね!」
「はい。ですがそれを、他の家の人間に配ることもできません。そのようなことをしたら、それこそ力のない氏族が牙や角をあきらめて、肉ばかりを喰らうようになってしまうかもしれませんので」
と、ガズラン=ルティムが少し表情を引き締めて、身を乗り出してくる。
「アスタ。私たちはあなたから学んだ技術を、これからミンやレイといった他の眷族にも伝えていく心づもりです。さらにその末には、森辺の民のすべてがこの知識を得るべきだと、私は考えています」
「え? スンの家もですか?」
「無論です。それで彼らがギバ狩りの仕事に精を出すようになれば、それが最高の結果なのですから」
そうだった。どうにもまだ森辺の一員になりきれていない俺には、スン家を「許されざる敵」としてしか認識できないでいる。
「しかし、現状でそうしてしまうのは、危険です。スン家のように力のある氏族ならまだしも、スンにもルウにも属さない小さな氏族の者たちには、まだこの知識を与えるわけにはいかないでしょう」
「え? 何故ですか?」
「それは、肉が美味すぎるからです。これまでは胴体の肉など喰えたものではない、と打ち捨ててきた小さな家の民たちが、この胴体の味を知ってしまったら――ギバがなかなか狩れぬのなら肉だけを喰っていればいい、という己の弱さに負けてしまう危険性があります」
それは――ありうるのか?
胴体の臭い肉を食べるのが嫌だから、必死になって多くのギバを狩ろうとする人々がいたとして。その、張り詰めた気持ちを、「美味い肉」の存在が断ち切ってしまう結果に――なりうるのだろうか?
なりうるのかもしれない。
このガズラン=ルティムがそう言うからには、その可能性は、少なくともゼロではないのだろう。
そして、狩人ならぬ俺にそれを責めることなどできようはずもない。
「私が思うに、それこそが知識の毒なのではないでしょうか」
「知識の毒、ですか――」
「はい。強い薬を使い過ぎれば毒となる。アスタの力が毒となりうるとすれば、それはこういう場合なのだと私は考えます」
その言葉に、俺の心臓がはねあがる。
俺の力が、毒に――
「だから私は、まだこの知識を眷族以外の小さな家には明かしてはならないと考えます。しかし、ギバの肉が宿場町で銅貨に替えられるようになれば、そういった人々も肉を売って、アリアやポイタンを得ることができます」
「はい……」
「そうすれば、あなたの力はあまねく薬となすことができます」
と、ガズラン=ルティムは力強く笑った。
「ですから、もしもアスタとアイ=ファが自分の道を見出し、宿場町に店を出す決断をしたときは、私は誰よりもその成功を望むでしょう。そして、そのための協力を惜しむこともありません。――友として」
「ありがとう……ございます。今夜一晩考えて、結論を出したいと思います。結論が出たら、まずはあなたにお知らせします、ガズラン=ルティム」
こんな大人物に友などと呼ばれる資格が、俺なんかにあるのだろうか?
その資格がないのだとしたら、その資格を得るために頑張りたい、と思う。
ガズラン=ルティムの存在が、自分の中でここまで大きくなるなんて、初めて顔を合わせたあの夜には想像もしていなかったことだ。
これもすべては、人の縁。
アイ=ファとの出会いがリミ=ルウとの出会いをもたらし、さらにはルウ家の一族と、このガズラン=ルティムやダン=ルティムとの出会いをもたらした。
そして、カミュア=ヨシュもまた――
あの男の存在を薬となすか、毒となすかは、まず俺とアイ=ファの決断にかかっている。
あとは、アイ=ファと話し合おう。
肚は、決まった。
「ありがとうございます。本当に、あなたに話を聞いてもらえて良かったです、ガズラン=ルティム」
「あなたにそう言っていただけるのは誇らしいことです、アスタ。……もうお帰りですか?」
「はい。1日に2度もお邪魔して申し訳ありませんでした」
「何だ、本当に帰ってしまうのか!」と、ダン=ルティムが雄叫びをあげる。
「もう陽が落ちるまでそれほどの時間もないのだぞ? ファの家は遠いのだろう? いっそこのルティムの家で夜を明かしていけばいいではないか!」
「いえ、さすがにそこまでは……」と言いかけて、俺も少し我に返った。
ここから家までは1時間半ぐらいはかかる。それでもまだ夕暮れまでに猶予はあろうが、ポイタンを天日で乾燥させる時間はとれないかもしれない。
そして、ヤマイモのようなギーゴがない限り、俺はまだ液状ポイタンを食べやすく調理するすべを有していないのだ。
「アスタ。ルティムの女衆もまだルウの家から戻ってこないようです。そして、女衆はまだ昨日からルウ家に通い始めたばかりで、そこまでの技術は習得できていません。……もしよかったら、今宵のかまどの番をあなたに預かっていただくことはかないませんでしょうか?」
俺と父親のどちらの顔色を見てとってか、ガズラン=ルティムまでそのようなことを言い出した。
「……それではちょっと、家長と相談させてください」
俺はなるべく厳粛な顔を作り、またアイ=ファの耳もとに口を寄せる結果になった。
「アイ=ファ。今日はこのまま家に帰ると、ひさびさに生粋のポイタン汁をすすることになるかもしれない」
アイ=ファもまた厳しい表情をしたままひとつうなずき、俺の耳に口を寄せてくる。
「やだ」
こうして俺たちは、めでたくルティムの家のかまど番を預かることになったのだった。